ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

インドネシアとシンガポールと...

このブログ日記を書く前に、今朝方、韓国聖書協会の総主事でいらっしゃるミン先生から、昨年6月初旬に届いたメールを読み直してみたところ「自分の研究に対してさらに献身的に取り組み、国際社会に向けて、その結果を報告するよう、心より望みます」と書かれているのに目が留まりました。韓国人の博士に、このような表現で励ましていただき、改めて身の引き締まる思いです。

ところで、昨日の続きで、スシロ先生のことをもう少し書かせてください。

スシロ先生の書かれたもので最も参考になったのが、インドネシア聖書協会から出版された“Mengenal Alkitab Anda” (拙訳『あなたの聖書について』)という本です。1984年の初版ですが、かなりよく読まれたようで、その後も、1990年と1995年の改訂を経て、2001年に第4版が出されました。

私がこの本を知ったのは、マレーシア聖書協会を2000年3月下旬に訪れた時のことで、サバ州出身のボルネオ福音教会(Sidang Injil Borneo)の女性聖書翻訳者で牧師夫人でもあるカダザンドゥスン人Puan Stemmah Sariauから、第3版を無料でいただいたのでした。今から思えば、リサーチの手順として、もっと早くに連絡をとっておくべきだったのに、というところですが、私の場合、そもそも問題意識が先に立っていて、リサーチがここまで続くとは、当初、想像だにしていませんでした。1990年代前半のマレー半島では「マレー語聖書なんて‘センシティヴ’だ」の一点張りで、キリスト教書店の華人店員も、こわごわ周囲をうかがいながら、カウンターの下からそっとマレー語聖書を手渡すぐらい、用心深く振る舞っていました。また、華人にせよインド系にせよ、首都圏のクリスチャンは、マレー語を教授言語とするはずの大学教員ですら、マレー語聖書にはほとんど無関心を装っていました。ややこしい問題には、関わりたくなかったのです。

現地の感情に配慮せよ、とはフィールドワークの原則ですが、そもそも「何が誰にとって、どのようにセンシティヴなのか、それは何故なのか」もわからず、こんなに時間がかかってしまいました。それだけに、この本は思い出の深いものです。インドネシアの立場では、キリスト教系大学もあるぐらいですから、マレー語聖書についてもほぼ懸念なく書けるので、本当に助かります。当時は、イギリスやオランダの大学や図書館に、突然乗り込むほどのコネもなければ、経済的、精神的、学問的な余裕もありませんでしたし…。「スシロ先生、スシロ先生」と私がとりわけ慕っているのは、そういう背景からです。

今回、フォーラムのために東京に向かう直前、家の中でバタバタ準備をしていた時、ハッと直感的に思うところがあって、机の横に積み上げてあった本を一冊取り出し、鞄に詰め込みました。2006年11月下旬にコタ・キナバルにあるサバ神学院を訪問した際、購入した“Matang dan Sempurna” (拙訳:『熟した』)という本です。聖書、教義、宣教使命、クリスチャン生活に関する、12名による計14本の論文集をマレー語訳したもので、スシロ先生はもちろん、7月10日のブログ日記でご登場願ったDr. Yu Suee Yanも、執筆者のリストに載っています。スシロ論文について幾つか質問があったので、直接うかがった方が早い、と判断したのです。こういう即断というのは、結構アテになるものですね。初日レセプション後の歓談時、2004年出版のこの本をお見せすると、スシロ先生、とても大喜びされて「わぁ、この本持っているの?そういえば、これの新版、いや改訂版じゃなくて、全く新しい内容のものが出されたばかりだよ。翻訳者のJudyさんに聞いてみてご覧」と教えてくださいました。そして、質問もあっさり解決したばかりか、問い合わせるべき関係者のメールアドレスまで、携帯からすぐに教わりました。

「スシロ先生」と何度も書きましたが、私が知る限り、来日されたのは、1999年、昨年のフォーラム、今年の前半、そして今回のフォーラムの計4回のようです。去年お会いした時、「ようやく初めてお目にかかれました」とご挨拶すると、困惑したように黙ってしまわれたので、(あれ?)と思っていたら、「実は、私達、シンガポールで一度会っているんですよ」と後日メールが届きました。えぇ!!! まったく赤面の至り!!! 恥ずかしい…!!! こういうところが、私の力量不足と不器用さなんですね。つくづく、プロにはなれない、と思ってしまいます。ブリズベン在住のスシロ先生には、大変有能な女性秘書がついていて、いつも私の愚問に対して、連絡を即座にマメにとってくださるのですが、その方と比べたら、穴があったら入りたいぐらい、抜けている私、です。

ここでもう一度、反省の意をこめて振り返ってみますが、マレーシアでもシンガポールでも、きちんと行動日誌とフィールドメモを作っているにもかかわらず、どういうわけか、その辺の記憶がどうも曖昧なのです。

2000年11月に、マレー語のキリスト教翻訳に関して質問するため、シンガポール聖書協会を予約訪問しました。その時、応対してくださった華人のMr. Quekとの面会前後に、どうやら握手ぐらいは交わしたらしいのです....。私が確かに覚えているのは、あの日、Mr. Quekが、コタ・キナバルで出版された本から、スシロ先生の英語論文のコピーを、私のために一部準備してくださっていたことです。「これ、すごくおもしろいよ」と。あの時には、聖書倉庫まで見せていただき、中に一人マレー人風の男性が係として働いていたのは今でも記憶のうちにありますが、絶対にスシロ先生ではありませんでした。「Dr. Daud Soesiloって、どこのお国の方なんですか?」とMr. Quekに尋ねたら、「スシロ?あの人はインドネシア人だよ」と教えてくださったことだけは鮮明ですけれど、もしかしたら、エレベーターかどこかでお会いしたのでしょうか。

あれれ?やっぱりお目にかかってはいないと思うのですが…。受信記録によれば、その直前からメール上で知り合いだったことになっていますが、もしもご本人がいらっしゃるなら、当然すぐにお会いしたいじゃないですか???

うーん…というわけで、暑さと資料探しの疲れと移動とで、マレーシアやシンガポールでは、情けないことに、普段に増して頭がぼんやりしているようです。ごめんなさい、スシロ先生!国境を超えることは、あの地域一帯の人々にとって半日常的行為なのでしょうが、私のような日本生まれの日本育ちで、大学院を出てから初めて熱帯に滞在赴任したという経歴の者にとっては、気候と言葉に慣れるのに、何年経っても、いささかきついものがあります。

ところで、今回、東京で初めてお目にかかったシンガポール聖書協会の総主事は、林溪潭(Lim K. Tham)先生です。私が「シンガポール聖書協会には、二度行ったことがあります。そもそも、マレーシアの教会でマレー語がどのように使われているかという点に興味を持ちました。前総主事のDr. Lee Soo Annにお聞きしたところ、『そういう問題は、正しくはマレーシア聖書協会に尋ねるべきです』とお返事をくださいました。それで、ダウド博士(スシロ先生)が、多くを助けてくださったんです」と自己紹介すると、ほう、といった風に感心して「じゃ、シェラベアにも関わっているの?」と即座に問われましたので、「えぇ、シェラベアについて関心を持ち、調べたことがあります」とお答えしました。フォーラムの最後に、自らお別れの握手の手をさしのべてくださった時には、文字通り「再見!」の気持ちをこめてお別れしました。

シンガポールと言えば、シンガポール大学図書館、国立図書館、トリニティ神学校図書館などへの用事で、もう7回以上も訪問しています。文献資料集めだけならば、マレーシアと比較にならないほど便利で、とても清潔で機能的な国です。しかし、ムラユ・イスラーム圏内に存する、華人中心のこのミニ国家の行く末を思うと、私でも何だか不安がよぎることがあります。それ以上に、日本人としてシンガポールを訪れるたびに、昭南島時代を思い出し、気持ちが暗くなることが多いのです。地元の人々の日本を見つめるまなざしは、今も決して好意的ばかりとも言えないことを知っているだけに、記念碑を見つけてはしばし足を止め、迫り来る感情と向き合わなければなりません。

前述のDr. Lee Soo Annですが、元は、シンガポール大学歴史学部の先生でいらっしゃいました。マレー語聖書に関する私からの問い合わせに対して、1999年9月下旬に、メールでのお返事をいただいたのがきっかけでした。2000年11月にシンガポールへ行った時、「業務前の礼拝を共にしませんか」とお誘いをいただいていたのに、「早朝シンガポールに着くので、少し休息をとらせていただけませんでしょうか」とお断りしてしまいました。その時には、それ以外の方法を思いつかなかったほど疲れていたのが実情だったのです。それと、頭がぼんやりして英語にミスが頻出したら、かえって失礼かな、とも思ったのです。今では、とても後悔しています。少々無理してでも参加すればよかった…。人生において、機会というものは、たった一度しかないのです。特に、流動性の激しい東南アジアでは、「また今度ね」というのは単なる挨拶であって、その「今度」は二度と派生しないことも多いのです。そして、Dr. Lee Soo Annは、こちらが自分の用事にかまけているうちに、定年退職されてしまいました…。

長くなったので、ムラユ圏内の中間に位置する、シンガポール聖書協会の役割を簡単に述べて、終わりとします。

聖書翻訳には、現地の人々との密接な協力関係が必須ですが、現在のシンガポールは、簡略中国語聖書と英語聖書の聖書頒布が中心業務となっており、相互不干渉の原則からか、聖書協会として、特にインドネシアやマレーシアの内情に深く関わっているわけではなさそうです。かつては、マレーシア・シンガポールブルネイ聖書協会という名称で、あの地域一帯を統括して業務を執り行っていましたが、1960年代以降、国の相違が大きくなったため、徐々に分離独立の方向へ向かいました。ただし、今でも、シンガポールのクリスチャン達が、ボルネオ島先住民族に対してミッションツアーを行うことはあるようですが...。聖書協会の協力関係で言えば、シンガポールの役割は、安全で快適な会合の場所を用意し、ハイテク・コンピュータを提供することなのだそうです。各長所を生かした相互協力は、端で見ていても美しいものです。日本の場合、都合の良い時ばかり「アジア、アジア」と言い立て、都合が悪くなると「脱亜入欧」の精神に戻る傾向にあるようですので....。

複雑な東南アジアの国情、民族関係、経済格差、政治的問題などを踏まえつつも、ある場合には適度な距離を置き、なおそれを超えて、聖書の仕事のために、各自が連帯している様子を直接間接に学ぶ機会に恵まれた私は、この上なく祝されているのだとも感じます。