ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

前田護郎主筆『聖書愛読』(11)

やはり前田護郎先生の文章は人気がありますね。リンクが早速入ると、こちらもうれしくなります。研究発表後の曰く言い難い疲れと違い、前田護郎先生の入力作業は、喜びと心地よい楽しみが伴うものです。
その前に、私の状況を少し書かせてくださいね。
昨夕は、大阪クリスチャンセンター50周年記念のクリスマス行事に招待され、美しい歌声を堪能しました。また、イスラエル旅行の写真をスクリーンで再現したものを見たり、同行した方達10人と親交を温めたりしました。イスラエル旅行は、帰国後に調べてみると、いろいろなグループが企画経営していますが、今から振り返っても、最もよい旅団で、最もよい時期(イスラエルの気候も、私自身の人生上も日程上も)と、最もよいガイドさんに恵まれたと思います。これはご挨拶ではなく、本当にそうなのです。
そもそも、外での仕事がなくなる今年から、どのように過ごそうかと考えていた時、インターネット検索で、大阪クリスチャンセンターが、50周年記念として聖書の旅イスラエル・ツアーを計画していることを知ったのです。一神教の問題は、私のテーマが直接関わるものなので、是非そのルーツである土地を一度は見ておきたいと思いました。ただ、家を空けることにためらいがあったので、主人に恐る恐る申し出ると、最初は治安を心配して躊躇していましたが、結局のところ、申し込みが可能になりました。こういうことは、あらゆる条件が揃わないとなかなか実現しないものですから、とても感謝しています。
それに、料金も非常に良心的で、旅行社の担当者もクリスチャンということで、とても丁寧なオリエンテーションと、空港でのお見送りと出迎え、そして3ヶ月後の感謝会と今回のクリスマス行事と、アフターケアもきちんとされています。
一度一緒に旅行した人々と、後々まで大切に交流する、これは当たり前だと思われますか。私の関わってきた学会や研究会や大学の悪口を言いたくはありませんが、とにかく私達の世代は忙し過ぎて、会合でも何でも、どこかやりっ放しという感じなのです。変に競争的で、表面的には儀礼的でも、心そこにあらず、という印象を受けることが多いようです。
そのような環境の下、仕事はなくなるし、主人の健康問題は気がかりだしという、錯綜した感情のもつれを抱えながらの参加でしたので、この旅は実にリフレッシュされた思いでした。60代から80代ぐらいの方が中心でしたが、ベテラン牧師も数名含まれ、ご健脚と頭のシャープさと豊富な人生経験には、非常に感銘を受けました。昔の神学部は、よい人材と、厳しい鍛錬と、並々ならぬ献身への思いがあったのだとノスタルジックな気分になります。
ところで、参加者の一人からは、同行した娘さんが5月に出産予定だといううれしいお知らせを聞きました。また、旅行の前後から始まったヨハネ黙示録の勉強では、牧師が非常によく調べてきているという話も伺いました。実は、牧師には二通りあって、信仰深く、聖書にもよく通暁している優秀な方と、聖書はほどほどにして、政治談義に熱を入れるタイプとに大別されるようです。(その他には、この「ユーリの部屋」で二度ほど、建設的批判として書いたような憂慮すべき同世代の牧師もいますが。問題の根は、そういう牧師を平気で送り出した神学部にあります。)その方の教会では、憲法九条やパレスチナ問題の話が牧師からよく出るので、どうもしっくりいかないようでした。「それもいいけれど、もっと聖書を教えて欲しい。心と魂の満たしを求めたい」というわけです。「イスラエルのことも、政治的な批判の対象としてのみならず、もっと実情を聖書に照らし合わせて見てほしい」とのことでした。全く同感です。
前田護郎先生は、イスラエルパレスチナのことを「第五の福音書」とおっしゃっていたそうです。では、どうぞ。

・第171号 1978年(昭和53年)3月
「経済速力」(p.1)
幼児のころからせつかれて、早く学業を終え、早く就職し、早く家庭を持ち、早く立身出世して、早く死ぬ人が多くはないでしょうか。
「書斎だより」(p.7)
聖書の真理があらゆる学問への意欲を燃やすことを知ってもらいたい。これはいわゆる伝道ではなく、真理を求めるものとしての願いである(12月3日).

・第172号 1978年(昭和53年)4月「書斎だより」(p.8)
若い社会人数十名が、若さの中にも学生とは違った仕事の苦労の体験を持っているので理解の仕方が深い。大学での講義のノートに新しい部分を加えるのも面白い(11月18日).

・第173号 1978年(昭和53年)5月「兎と亀の話について」(p.1)
兎と亀の話は、おそくてもたゆまず歩むものの勝利を示す教育上たいせつな寓話です。

・第174号 1978年(昭和53年)6月
「信仰と理性について」(p.1)
それで信仰は理性と対立する感情の世界のものと考えられがちです。しかし感情の面だけならば未開人の宗教にも見られますし、無神論者がみずからの感情に従うのとも共通します。(中略)死と罪という冷厳な事実と取り組むという点で聖書は理性的といえないでしょうか。死と罪が不快であるからとてそれを避けて一時しのぎをする方が感情的です。(中略)神を信ぜざるをえない人の方が信じない人よりも理性的です。キリスト信仰が真の理性にもとづく科学を支えまた推進していることは歴史と現実の示すとおりであり、真の信仰が感情的な空想でなく未来への理性的な希望を与えるものです。
Girls, be beautiful! (学園報第2号(1977年10月発行)(pp. 5-7)
美学という学問がありますのも、人生と社会の根本問題として美がいかに大切であるかを示すものであります。
人間にとって大切なことは、自分はどうなろうとも他の人を美しくしようとする心構えです。
現実を軽視して義と美と離しすぎたところに聖書解釈のひずみとそれによる現代の諸問題へのキリスト教会の無気力のもとがあるのではないでしょうか。
「日本のよさを求めて」(“かもめ”第96号(3月発行)からの再録)(p.8)
(前略)しかし総じて、家庭が健全であって、既婚者も未婚者も家庭的な雰囲気の中で協力して平和な秩序ある生活をつづければ、精神的にも物質的にも生産は増大するものです。(中略)
いずれにせよ、この恐ろしい女性軍は長つづきせずに滅びました。世界史の示すように、ギリシア・ローマが文化的にも社会的にも指導的立場をとり、それを底から支えて生かすキリスト教精神が、今日の欧米の強大な勢力を築いたのです。(中略)
東大でわたくしの接した学生の中に、今は国際的に活躍する人が多くなりました。その何人かはあちらのお嬢さんと結婚しましたが、その若い奥さんたちの何としとやかで、つつましやかなことでしょう。日本の女性以上に日本的ともいえます。(後略)
「インド・タイ通信 1977(Ⅳ)」(pp.9-11)
天然資源と歴史と英語という3つの富を持つインドはキリストの福音を多数が受け入れれば前途洋々たるものがあると結びました。(中略)
イギリスから着きたての新聞を買って読みますと、やはり世界の情勢が手にとるように見えます。それに本場の英語のよさも格別です。(後略)
「書斎だより」(pp.11-16)
世間の誤解や幼時からの圧迫的宗教教育からの解放が必要である。(12月12日)
某新聞に“クリスチャンの‘神’だのみ”と題してある新興宗団の世話になって当選した議員のことがでていた。水の洗礼で教会員と目されるところに問題がある(12月15日).
午後は東大聖書研究会主催のクリスマス講演に出かけた。(中略)矢内原夫人のお顔も見栄、百数十人の静かな集りであった(12月17日).
イスラーム教とユダヤ教にはクリスマスがないと皮肉る人もあろうが、ひとのことはいえない。戦時中のヨーロッパでせめてクリスマスには空襲をやめてもらいたいという国民の声を無視したキリスト教徒の政治家があった(12月26日)
小諸の相生会館で“地上の天国”と題して話した。(中略)会後の茶会ではさすがに教育県だけあって長老中堅新進の活発な発言がつづいた。日本の救いは信州よりといわれた内村先生のことを思う。(1月2日)
夕方はオリエント学会関係の研究の相談会に出席した。三笠宮様の御熱心には敬服した(1月17日).
国際キリスト教大学での日本基督教学会理事会に出席した。相変わらずの財政難であるが、精神面の根本問題がわかれば打開策があるのにと思う。(1月20日
ある人の違約の意図を見て公的な立場できびしく規制した。まだわたくしはおいぼれていないらしい(1月21日).

・第175号 1978年(昭和53年)7月
「健康3原則について」(pp.5-7)
1. 安息 勤労を無理につづけると健康をそこないますから、適当な安息が必要です。(中略)睡眠時間は長い方がよろしい。不眠は健康の敵で、それに勝つには心の平安が大切です。(中略)
2. 吸収 美しい花や緑を眺めること、すぐれた音楽に親しむこと、よい感触を与える家具を用いること等も健康を支えます。
3. 清潔 古来水のほとりに文化が発達したこと、文化と清潔とが正比例すること等も考えましょう。体の清潔と心の清潔とが結びつくことも忘れますまい。
「書斎だより」(pp.14-15)
愛知県産業貿易館での内村先生記念講演会にのぞみ、(中略)自分だけ神を信じて天国入りをするのではなく、他の人の僕になるという社会意識と結びつくのが福音的な行き方であることを説明した。生まれ故郷ではじめての講演(3月26日,日曜)
まめに各教科を勉強し、心身ともにすこやかに育ってくれれば進学も就職も、そして家庭の人としてもよい方向へ導かれようと、特に精神の面を強調して話した(4月8日).

・第179号 1978年(昭和53年)11月
「きびしい世の中に巣立つ方へ」(pp.7-9)
まずは物ごとは初めが大切です。(中略)質素に、しかし清潔にし、身だしなみを常に心がけて下さい。仕事に馴れるまでは疲れやすいものですが、安息と吸収と清潔という健康3原則を実行して常に元気を出しましょう。
(中略)むしろ、あの人は話せない、と思われるくらいの方が賢明です。女性の誇りといいますか、犯しがたい気品をつねに持って下さい。その代り仕事には一生懸命打ち込んで、しばらくして職場になくてはならぬ人になってもらいたいものです。例えば、廊下に落ちている紙屑をそっと拾ったり、疲れた同僚を助けたり、贈られたお菓子をお福分けしたりして温かい隣人愛で職場に花を咲かせましょう。
収入の一部を蓄えることも心掛けましょう。(中略)
職場の人間関係は大切ですが、与えられた仕事をいかに効果的にするかを中心に理性的に行動して感情的にならないよう努めましょう。(中略)何か専門に打ち込みたいと思っても一般教育という一見お子様ランチのような時間割があったり、大教室で演説のような講義を聞かされたり、小人数の演習で若い男性に囲まれて困ったと思っているうちに授業が始まって入って来た先生も若い男性だったりして中々大変です。(中略)つまらない講義のつまらなさも半分と思いましょう。それに、学問すなわち真理そのものの探究と教授の顔とをあまりに結びつけるからつまらなくなるのです。真理そのものにいます天地万有の創造主とともに学ぶものの幸福を求めましょう。
(引用終)