ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

名前に寄りかからないこと

2月下旬、シンガポール聖書協会の総主事宛に、遅ればせながら、昨年6月の国際聖書フォーラム2007のレセプションでのお写真をお送りしたら、その後、週一回発行されているというメールマガジンが届くようになりました。マレーシアの教会総主事とも交流のあるシンガポール教会総主事なので、マレーシアとのかかわりや研究テーマなどについて、簡単な自己紹介を添えたからでもあります。私の場合は、まったく自発的な問題意識に基づくものであって、どこかの学界や大学組織や著名な教授の名前に寄りかかっているわけではないため、何かと苦労もありますが、一方で、自己紹介さえきちんと正直にすれば、現地の指導者層やスタッフから、こちらの想像以上に、理解し支援してくださることも多いと知りました。
シンガポール聖書協会のメールマガジンには、毎週の訪問者のお名前が列挙してあり、中には懐かしいお名前や、マレーシアの教会指導者も何人か含まれています。
シンガポールは、本当に東南アジアのキリスト教ハブなのだなあと思わされます。戦後、帝国主義的な植民地支配は学界でも非難の対象となりましたが、その反面、欧米宣教師達がアジアで戦略的に築いたキリスト教地点は、戦後もずっと生きています。その点、日本だけが唯一、一部の個人や学者を除いて、大かたは衰退しているのではないかとも思ってしまうのですが、実際はどうなのでしょう?せいぜい、人口の5%ぐらいはキリスト教化されていなければ、日本の場合は、経済的にも人材の上でも、将来がもたないような気もするのですが。

昨日は、マレーシア神学院の図書館スタッフから、メールが届きました。2008年2月13日付「ユーリの部屋」で書いた内容で、昨年暮れに紹介してくれた本を発送したようなのですが、こちらに全然着かなかったのです。私が事前に送った本代と送料分の小切手は、無事に受け取ったそうです。二度同じ本を送るとなると、追加料金の請求が来るのではと思っていたら、不要だとのことでした。ただし、そのために彼は、オフィスにも何度か往復してくれたようで、担当者の言うことを疑わしく思っていたとのこと。今度こそは確実に届きますように。そして、サクティさん、いつも本当にありがとう。

また、スシロ先生からもご連絡がありました。ワークショップ二日目の遅い夕方に、すれ違いで東京に到着されたとのことでした。また、いつかどこかでお目にかかれるといいですね。まあ今回は、私が風邪を引いていたので、感染防止のためによかったのかも…。
スシロ先生は、常にどんなメールでも即座にお返事をくださり、かつ、必ず受取通知を寄こすよう求められます。私も大抵そうしていますが、これは大切なことですね。上述のサクティさんも、こまめに連絡をくれるタイプです。また、マレーシア聖書協会の事務スタッフも、必ずこちらの受取通知に挨拶をくれます。サバ神学院もそうでした。

マレーシアに関しては、英語使用のキリスト教関連組織は、欧米留学する人が比較的多いからなのか、外国人との交流があるためなのか、欧米系ミッショナリーがかつて滞在していた頃からの訓示が効いているのか、私にとって、連絡をとったり資料を閲覧複写したりするのに、最も信頼できる相手でしたし、今もそうです。きちんとレシートを送り、文書は複写してファイルを作り、確実に文献や資料が届くかどうか、いつもこまごまと心配してくれます。

マレーシアにいた頃は、マレー系新聞社を除き、マレー人相手の連絡は、大学構内でも結構気難しいところがありました。「手紙/メールなんて届いていない」「パソコンは壊れたから見ていない」「あなたマレー語できないの?」「英語もできないの?」などと、言いたい放題です。担当者が「明日もう一度来なさい」というので行ってみると、休みを取っていたりするのです。また、英語がきちんと理解できない担当者も増えてきたため、たったの一言で怒り出したり勘違いしたり、時間のロスが出ることもありました。さらに、気分にムラがある係に当たると、小さな用事でも大きく振り回されることがありました。よく観察してみると、相手によって、あるいは日によって、応対を変えているらしいこともわかりました。
この点、私の狭い経験の範囲では、インドネシアの場合も、どこかぎくしゃくしがちです。こちらが頼んでもいない本を勘違いして送ってきたり、返事がなかったりします。私がインドネシア語で文章が書ければよいのでしょうが、マレー語との相違が気になり、つい楽な英語を用いるので、ますます通じにくいのかもしれません。そういう点で、スシロ先生のような方は、非常に頼りになる貴重なインドネシア人です。スシロ先生の方も、日本人だということで、相当こちらに気を使ってくださっているのだろうと推察するのですが。

植民地化政策の是非はともかくとして、最初にその土地に入って行った外来人のコミュニケーション上の苦労は、ですから、並大抵のものではなかっただろうと思うのです。あ、欧米人にとっては、今でも日本人とのコミュニケーションに苦労されているのかもしれないですね。じゃあ、お互い様ってことですか。

ところで、おととい届いた国連難民支援のニュースレター2008 年第1号 No.14)を読んでいたら、次のような感動的なエピソードが紹介されていました(p.3)。コソボの事例なのですが、「民族共存の鍵は女性たちが握る」ということから、「アルバニア系とセルビア系の女性たちに共同で」「蜂蜜づくりや手工芸品づくりのプロジェクトに携わって」もらったのだそうです。民族対話など当初は「想像もできないこと」だったのに、材料の仕入先などの実務では、相手に「会ってみてもいいかな、という雰囲気ができる」のだそうです。「一緒にコーヒーを飲んでしゃべることにこんなにも意味があるのか」と、国連職員の方が驚かされたとの由。「女性は手に職をつけ、わずかながらもお金を稼ぎ、家族を養い、そして対話の道を開く」…ずっしりと重い文面でした。そして、状況も環境も全く違うのに、自分が女性に生まれたことに、誇りと意義を改めて感じさせられました。
最近の開発援助プログラムは、どこでも多くは、女性と子どもに焦点を当て、エンパワーメントを重視するものが増えているようです。識字教育をはじめとする教育そのものが、その人の自立を促し人生を決定するとして、非常に大切に考えられているのです。

「それは初等教育さえ普及していない地域のことだ」といわれるかもしれませんが、私には決してそうとも思えません。さすがに最近では、「女に教育や学問はいらない」などという言葉を耳にすることも減りましたが、私が高校生の頃までは、周囲にさえ、そういう男性が皆無ではなかったので、日本とて決していばれた口ではないと思うのです。
ただし、妹や私にとって非常に幸運だったのは、うちの両親がそういうタイプでは全くなかったことです。もっとも、自分達が大学までストレートに教育を受けた層でした。母方の祖父は、自分が旧制中学しか出ていなくても、「娘にも教育は必要だ」と、うちの母や叔母を快く四年制大学まで出しましたし、父の妹、つまり父方の私の叔母も、大叔父達と同じく医学博士で、教鞭をとり、結婚も子育てもしていたので、その点においては環境に恵まれていたのでしょう。実家の父は、私が結婚する直前も、そして今でも、「仕事は続けろよ」「大学の方はどうなったのか」と言ってきます。
さらに、主人とて一度も、私のマレーシア行きや勉強を続けたいという希望を阻止したことはありません。何しろ、初めて名古屋で会って食事や散歩をした後、「これからもご連絡させていただいてもいいですか」と言われたので、おずおずと「あのう、結婚後もマレーシアの勉強を続けたいんですけれど…」と申し出たら、急にうれしそうな表情になって「僕、そういう女性の方が好きなんです。何か一つテーマを持って勉強している人の方がむしろいい。僕のところに来たら、自由にのびのび勉強できるはずだ」と言いました。そして、父から結婚前提の交際許可をもらう時にも、大真面目で「勉強する女性が好きなんです」と言っていました。亡くなった主人の母方の伯父も、「誰が何と言おうと、自分はユーリさんの味方だ。学問する人を尊敬する」とこれまた大真面目に、電話で何度も言ってくれました。

むしろ、若い頃の私にとっては、キリスト教会の牧師や大学院の教授の方に、重要な節目において、人を抑えつけたり変なことを言ったりする人が目立ったように思います。
例えば、「あなたのようなインテリ(?)には、結婚したいという男性はいません。たとえ相手の男性がいいと言ったとしても、その親が嫌がりますよ」と言ったのは、名古屋のある牧師でした。「妻(女性)は夫(男性)に従うべきです」とも。
当時二十代後半の適齢期(?)で、困惑させられた私は、そのことを、後藤文雄神父さま(参照:2007年11月5日・12月11日・12月14日・12月18日・2008年1月20日付「ユーリの部屋」)にご相談したことがあります。すると「その牧師さん、自分にコンプレックスがあるんじゃない?」とのこと。さすがは、ドイツ人司祭ともかかわりのあるカトリック教会、はっきりおっしゃるなあ、と思いました。優秀なカトリック系大学出身のお嬢さん達が、後藤神父さまを慕ってよく遊びに来られていたことも、あるいは影響していたのかもしれません。
また、学生クリスチャンのために活動していたあるプロテスタントの指導者は、私が大学院に進学しようとした時、決然とこう言いました。「大学まで親のお金で出させてもらって、その上に院進学までしようとするなんて、考えが甘過ぎる。いったん社会に出て自分で稼いだなら、院試を受けてもいい」と。
大学の指導教官から「今がチャンス」と勧められた受験でしたし、親も、私学ではなく自宅通学である以上、浪人しない限り学費は出すと言っているのに、どうして赤の他人にそのようなことを言う権利があるのか、と今でも思いますが、当時は愚かにも、そう言われて非常に戸惑いました。一応は「先生」とも呼んでいた目上からのアドヴァイスでしたから、気が付きませんでしたが、今振り返れば、その方自身、東京のあまり目立たない(?)私学を、アルバイトを重ねて苦労して卒業されたので、私にも同じ思いをさせてやりたいと願ったのかもしれません。
問題は、本心はコンプレックスや妬みや僻みからであったとしても、表向きは「主/神」や「信仰」の名において語られることです。教会では、「神の御心を知るには、クリスチャン同士の交流の中から」とか「聖書の知識よりも、信仰の方が大事です」と今でも主張するところがありますが、信心深くて従順なのが取り柄で、依存心の強い信徒を集めているだけだとしたら、日本の教会からは優秀な人材がどんどん流出していくのではないでしょうか。比較するならば、妙に信仰を持たない人々の方が、一般社会でも、常識的で健全に立派にやっていることが多いのかもしれません。

「先生」と呼ばれてはならない、と福音書には書いてあります(マタイ福音書23章8節)。確かに、牧師であれ大学教授であれ、社会上昇を求めて必死に努力して「先生」と呼ばれる地位に就いた人の場合、自分よりも年下の女性が、意欲的に人生を切り開こうとするのを見ると、感情的に抑えつけたくなるのでしょうか。どうも私に変なことを言ってきた「先生」達は、今思えば、その種の人々だったように思われます。

話はすっかり逸れてしまいましたが、紛争地域や開発途上国のみならず、女性と子どもにそれぞれにふさわしい適切な教育と訓練を施し、自分の力で生きていけるようにすることこそ、社会の安定と発展と平和につながるのです。本当に、つくづく若い時の私は、環境が間違っていたというのか、エリートとかインテリなどと誤って安易にレッテル付けされることを極度に恐れた余りに、みすみす自分を歪めさせていたところがあります。

昨日は、投稿の謝礼にいただいた図書カードを使って、近所の本屋さんでNHK教育テレビの講座テキストを2冊買い求めました。亀山郁夫先生の『悲劇のロシア:ドストエフスキーからショスタコーヴィチ』と太田愛人先生の『パウロの手紙を語る(下)』です。どちらも、重いテーマを扱っているのに、ぐいぐい吸い寄せられるような興味深い内容です。