ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

西洋が西洋として....

ここ数ヶ月、ずっと同じ主題ばかりで申し訳ありません。実は、まだたまっている他のテーマがあるのですが、なぜかパイピシュ先生の話題に集中してしまっています(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120616)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120617)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120618)。
昨晩も、一ヶ月前から作ってあった訳文1本を見直して提出。2-3月頃は、文化の相違もあって、こちらは相談をしているつもりなのに、向こう側にとっては間接的な断りを暗示しているかのように受けとめたようで、本当に受けて立つ気があるのかどうかイライラされていたのに、今では毎度、「送るタイミングなんて、僕には重要じゃないからね」と、こちらの作業が一端始まったら、とっても寛大なパイピシュ先生。
「わざわざ日本語にしなくたって、日本でも英語で直接読んでいる人々が多いと思いますけど」なんて、私もあれこれ意見したりした時期がありましたが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120424)、今となっては、一体、目的は何だったんだ?まぁ、こちらが邪推するに、メル友(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120127)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120129)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120519)に日本語がくっついたという程度に維持したい間柄だったのでしょう.....。
もうそろそろ慣れてきて、パイピシュ先生の思考パターンや内容が把握できるようになれば、自分なりのペースが作れるようにはなると思います。
しかし、アメリカもヨーロッパも、経済にしても国民統合にしても治安にしても、大変な状況だなぁとつくづく思います。私の知る日本の大学などは、とりあえず、「相互理解」や「寛容の精神」や「米国批判」みたいなものに回っていれば、講演や会合などが成り立つような、甘さやいい加減さが見え隠れしていたようですが、これにつくづく嫌気がさしていた頃でもあったので、ひょんなきっかけでパイピシュ先生と知り合えたことは(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120113)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120114)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120115)、タイミングとしてはよかったと思います。とにかく、規模としては小さなシンクタンクではあっても、常に気を張って活動を続けていかなければ資金もすぐに枯渇してしまうし、人材育成もできず、大変といえば大変。インターネットのせいで、国内外で、中途半端に悪用されて批判を浴びてしまったりもしているし....でも、パイピシュ先生のように、明確な目的意識を持って情報収集に努め、技能を磨き、自分で身につけた個人の力と才覚で社会貢献しつつ、一生懸命に体を張って生きている姿は、大変に刺激となります。アメリカって、よくわからないけれど元気な人達だなぁ、と感心するぐらい。厳しい競争社会だから、あそこまで発展できたのだろうし、だからこそ、ムスリム圏出身の人々が、「イスラーム」を笠に着て、それまで築いてきた西洋的価値観を侵食しているように見えることに、我慢ならない人々が存在するのでしょう。
私の立場からすると、西洋が西洋としてしっかりと存続してもらわなければ、数年のうちに日本にも影響が及ぶので、お願いしますね、といったところ。そういえば、二十代半ばの頃、全共闘世代の男性から、「僕達の世代は、世の中からはみ出るとアメリカに行って、留学と名のつく遊学みたいなことをしてブラブラしているヤツが多いんですよ」と聞いたことを思い出します。皆が皆、そうではなかったでしょうが、思い当たる節も確かに...。ちょうど、パイピシュ先生の世代に相当するのですが、自分の信念を貫いて表明したばかりに、友達を失って孤立してしまい(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120507)、いろいろと本当に苦労されたのがパイピシュ先生。
でも、私のような下の世代からすれば、「だからこそ、先生のお仕事の意義が重要なんですよ」って言いたい。ただ、アメリカの場合、ちょっと単純過ぎるきらいがあるのですけど.