ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

誤解された知識人?(1)

本格的な梅雨入り模様。少し湿度が高いのは困りますが、その代わり、一日家でおとなしく過ごしました。ゆっくり片付けものをしたり、体と頭を休める時間ができることは、非常にありがたいことです。
昨日もまた、1本、パイピシュ先生(私が勝手に作ったダニエル・パイプス先生(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120608)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120609)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120610)のニックネーム(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120612))宛に新たに翻訳を提出。実は一週間前に初訳(下訳)を済ませて寝かせてあったものです。
疲労がたまって風邪を引いたらしく早く帰宅した主人のおかげで、たまたま昨晩は時間ができたので、数時間かけて一気に見直し。二度チェックした上で早速送ったのはいいのですが、どうやら、今週初め頃のシリア情勢の発言およびその反響などで、パイピシュ先生もお疲れなのか、レヴィ君(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120525)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120531)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120604)共々、今までのところではアップされていません。その前にはもう1本、別のもので、「もうできたの!」とびっくりされていた訳文もありますが、続きがあるらしく、ちょっと待て、といったところでしょうか。土曜日ですしね。
ところで、お二人とも安息日はどうしていらっしゃるのでしょうか。少なくともこれまでの経験では、インターネット上はあまり関係ないらしく、あるいは誰かスタッフがやっているのか、週末だろうが日曜日だろうが、アップされるものはアップし、更新するものは更新して、といったキビキビ、テキパキした調子です。
パイピシュ先生とお仲間先生方や若いお兄さん研究員達に私が惹かれた理由は、多分、発言内容の強さや激しさというものよりも、あの混乱したつかみどころのない中東情勢に対して、実に勤勉でマメに働き、書くことが好きで得意で、誰が非難しようと(これが正しいのだ)と論理的にもデータ上も考えたことは、自分の信念に沿って、堂々と主張する姿勢だろうと思います。それに、安易に人に媚びたりしないし、冗談で人を笑わせて取り入ったりもしない、実に真っ直ぐで男らしい人達なのです。
それに、いろいろと苦労人でもあるので、一端、共鳴するところで一致すると判明するやいなや、急速に親しみを寄せるばかりか、面識がないにもかかわらず、信用までしてくださるところが、こちらを(お助けできることなら協力したい)と思わせる魅力なのだろうと思うのです。
ところで、日本の中東研究者の中には、アメリカとは違った視点を自分達は打ち立てているんだ、と言いたげな文章を書かれているのを見かけることがあります。意気込みは素晴らしいですし、異なる意見や考えが自由に出せることは重要かつ必要。ただ、素人の私が見ている限りでは、到底、米国の人材とデータと経験蓄積において、日本は貧弱。例えば、語学能力だって、パイプス先生のお父様が、英語はもちろん、ロシア語でも論文を書いていらした実績からもうかがえるように、全く次元が異なります。
ダニエル先生も、去年、フランスのテレビで、(さすがに英語よりは訥々とされているものの)フランス語で自説を述べていらした上(http://www.danielpipes.org/9477/egypt-transition)、アラビア語のカイロ方言まで、小さな本が書けるほどに通じている他、ドイツ語やフランス語の資料も駆使して、本を書いていらっしゃいます。もともと知的環境に恵まれていたのみならず、ご本人の並々ならぬ努力は相当なもの。日本の研究者も、フランス語とアラビア語なしには中東のイスラーム研究ができない、とはおっしゃっていますし、事実、文献講読も訓練されているのでしょうが、どこか迫力が違うように感じられます。
一言で「アメリカは」と言ってみたところで、パイピシュ先生の「中東フォーラム」に連なるスタッフも、ハイファ生まれの英国の大学教授、エジプト系コプトアメリカ人二世、オックスフォード大学の学生などのように、決して一筋縄ではいかない、多様な人材が揃っています。恐らくは、私がそうだったように、何らかのきっかけで、パイピシュ先生からお声がかかってのことでしょうが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120507)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120521)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120607)、それにしたって、自分なりの判断や決心がなければ、安易に参加できるものではありません。

ところで私は、パイピシュ先生の見解が、常に正しくて絶対に間違っていないとは思っていません。ある文章は明らかに勇み足ですし、別の場合には、筆が滑ったと思われるものも含まれています。当時はよくても、今では部分的に古くなっていて妥当性に欠けるものもなくはありません。
ただ、本質はそこにはないのだろうと思います。流動性の大きい現代および地域を専門とされているので、研究方針は、戦略を立ててきちっと強気で進めていらっしゃるものの、長期的視野に立って、それほど楽観視せず(最終的には「楽観主義だ」と書くこともありますが、それは多分、ユダヤ教の教えからくるものではないかと想像しています。この頃のパイピシュ先生は、「陰鬱で悲観的だ」とご自分で明言されています)、粘り強くしたたかに、あきらめずに取り組まれていると拝見しています。
それに、あの地域に関しては、イスラエルも含めて、帰納法を重視されています。一つ一つ、細かで些細なように見えるデータをこまめに集めて、分析して、一つのセオリーを打ち立て、それに沿って原稿を書く。その作業を延々と続けつつも、同類の事例が出てきた場合には、必ずといっていいほど過去に遡って、自分の書いたものの検証をされています。間違っていたら、それについてはきちっと言明もされています。
イラク戦争をめぐって、ネオコン云々の批判が、私の周囲でもいろいろとありましたが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071026)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20081123)、パイプス先生がネオコンかどうかは、ご本人もよくわからないらしいですし(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120113)、私としても、そういう範疇化が妥当なのかどうか疑問です(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120129)。それよりも、日本語で読んだ限りのパイプス批判なるものが、あまりにも部分だけで反応している不正確なものだということが気になっていました。
余談ながら、バーナード・ルイス氏(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100615)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111217)のイスラーム関連のエッセイ集をアメリカから取り寄せて読み始めていますが(“Islam in History: Ideas, People, and Events in the Middle East”New Edition, Revised and Expanded,1993)、驚くべき事に、ルイス先生も非常に誤解された学者だということが、新たに判明しました(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100514)。ある学者を批判するのであれば、まずは、その著作をきちんと読むことから始め、批判すべき論拠をきちっと一つずつ列挙すべきです。そうでなければ、単なる人格非難に終始してしまうどころか、聴いている人々を迷わすことにもなりかねません。

基本的に、お忙しいパイピシュ先生のお邪魔は極力避けたいので、私としては、先生の言論活動で何か疑問に思ったら、過去の映像を見たり、関係書籍を取り寄せて読んだり、ご本人はもちろんのこと、お父様やお仲間学者の著作を読んだりして、自分で考えます。意見の相違そのものは当然のこととして、取り立てて騒いだりはしません。それよりも、なぜそのように考えるか、背景や理由を探ろうとしています。そこが、翻訳という作業を依頼され、自分でも真剣に取り組んでいく過程で、もっとも有益で刺激を与えられる側面です。
ここ数ヶ月、マレーシア事例その他からは多少離れてしまっていますが、結局のところは、パイプス先生達の研究活動と、テーマや問題意識に通底する面が大きく、もともと私も、ユダヤ教イスラエル事情などに真面目な関心を寄せていたので、本当にこの度のご縁を、驚きつつもうれしく思っています。
パイピシュ先生、どうか末永く、お元気でご活躍くださいね♡