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2017-02-02

[]マーケティング重視なキャスティングとは思えない/『破門 ふたりのヤクビョーガミ』 11:53 マーケティング重視なキャスティングとは思えない/『破門 ふたりのヤクビョーガミ』を含むブックマーク

『破門 ふたりのヤクビョーガミ』鑑賞。それにしてもこのクソだっさいタイトルなんとかならんのか……

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原作は個人的に“ナニワのエルロイ”、“ナニワのレナード”と呼んでいる黒川博行直木賞受賞作。センテンスは短く、セリフはおろか、それ以外も関西弁で書かれており、軽快でノリがよく、キャラクターの掛け合いで話を転がしていく文体が特徴。タランティーノが『パルプ・フィクション』をエルモア・レナード風に仕立て上げたように、この映画版の『破門』も、「文学映画に移し替える」ということをしており、作品のテンションは結構似ている部分があっておもしろく観た。

自主規制が当たり前になった昨今のメジャー邦画では珍しく、タバコをスパスパ吸い、登場人物の8割くらいはヤクザ長回しによる執拗なエグいバイオレンスもあり、これにおっぱいが出てればいうことないという感じ。

何よりもこの映画の最大の魅力はキャスティング。マーケティングを重視しつつ、関西出身で固め、北野武とは真反対の関西弁のみで奏でられる小気味良いセリフ回しで魅せていく。二宮役の横山裕はもちろん、イケイケヤクザの桑原はちょっとインテリ寄りに変更されるもキレたら豹変するという設定で、その変貌ぶりを佐々木蔵之助が見事に演じている。さらにしぶとく逃げ延びる小清水の橋爪功、その愛人に橋本まなみ、気が強い関西のねーちゃんっぽい北川景子二宮を息子のように想う國村隼などほぼほぼ原作通りで感動。 さらに黒川博行サプライズで出演している。

大阪でロケしてるわりに泥臭さがなく、スタイリッシュな感じに仕上がっていて、全体的に軽く、安っぽいのが残念極まりないし、原作から丸々シーンを抜くのではなく、ひとつのシーンから少しだけぶっこ抜いているので、まったく繋がってこないシーンもあって、話がわかりにくくなるのではないか?という懸念もなくはないが、元々小説自体が軽快なエンターテインメントだけに、その軽さやスピード感も含めて及第点はあげてもいいのではないだろうか。とはいえ、傑作でもないので、強くおすすめはしないけれど。

破門 (角川文庫)

破門 (角川文庫)

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2017-01-30

[]関根彰子はあのとき何をしていたのか?/葉真中顕『絶叫』 12:19 関根彰子はあのとき何をしていたのか?/葉真中顕『絶叫』を含むブックマーク

葉真中顕という作家の登場は衝撃的だった。正確にいうならば、その登場の“仕方”が衝撃的だったというべきだろう。

まず彼はブロガーとしてぼくの前に現われた。彼のブログは立ち上げてから半年もしない内にブレイクし、その名を轟かせていったが、そんな彼のブログにぼくのブログリンクが張られたことがきっかけで、それまで三ケタだったぼくのブログアクセス数は飛躍的に伸びていった。その意味で彼はブログ界の恩人のひとりである*1

二回、直接お会いする機会があり、いろんなお話をさせていただいたり、そのあとも互いのブログにコメントしたりしていたが、2011年頃に彼のブログの更新が少なくなり、そのまま停止した。過激な内容の記事もあって、あまりのブレイクぶりにコメントが荒れたりもしていたから、疲弊していたのは明らかだった。Twitterのつぶやきもなくなった。少しだけ心配しつつも、まぁ気が向いたらまた再開するのではないか程度に思っていた。

その二年後、彼のブログは再開された。「新人賞をとって、ミステリー作家になりました。」というタイトルで。

これに驚いたのはぼくだけではないだろうが、そういった特殊な状況でぼくは葉真中顕という作家の登場を見ていたのであった。

そんな彼の処女作『ロスト・ケア』を読んだのだが、新人賞を満場一致でとったのも頷ける傑作であった。

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43人を殺したという戦後最大の殺人事件の犯人に死刑判決が下る。しかし被害者は彼を憎むどころか感謝すらしているという、一体この事件はなんなのか…………というのが主なあらすじ。

読んだのはだいぶ前になるが、この小説の感想をブログに書かなかったのは、作者が書こうとしているテーマをばらすと、上記の作品を引きつける部分が台なしになってしまうからだ。ぼくがこの『ロスト・ケア』でいちばんおもしろかったのはその部分であって、これから読む人もそこに感動してほしかったので、あえて書かなかったというのが本音である。

それこそこの作品の先見の明はすばらしく、相模原で起きた障害者施設での殺傷事件ニュースで見たときにすぐに『ロスト・ケア』を思い出した。もしかしたらこういう事件は起こりえるかもしれないと思ういっぽうで、ここまで規模の大きなものは小説のなかの世界だけだろうと思っていただけにショックは尚更大きかった。逆にいまこのタイミングで読まれるべきなのかもしれない。

作品としては可読性が高い社会派ミステリーという感じだろうが、彼がブログで書いてきた社会の欺瞞やそれに対する怒りがギュウギュウに押し込まれており、それが葉真中顕という作家の個性を形成しているようにも思えた。叙述トリックの使い方も鮮やかでキレイにダマされたし、何よりも悪を悪として描かずに正義は社会の後ろ盾になることはあまりないというメッセージも強く心に響いた。いや、もしかしたら書いてる本人はそういうつもりではないかもしれないけれど。

二作目の『絶叫』はこのスタイルをそのままにスケールを大きく広げ、社会の欺瞞と怒りを詰め込みながら、それをわりと冷静に眺めている————俯瞰しているという風に受け取った。

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ストーリーは鈴木陽子というひとりの女性がマンションの一室で孤独死しているところからはじまる。彼女の人生を同じような境遇の刑事が追い、それと平行して彼女の視点から過去が明らかになるという構成である。

読書メーターやAmazonレビューで『火車』や『嫌われ松子の一生』っぽいというのがそこそこ目についたが、ぼくも同様で、最初に読み終わったときに『火車』を関根彰子の視点から描いたような話だなと素直に思った。

他にもマンションの一室にいた人が……というのは同じ宮部みゆきの『理由』を彷彿とさせたし、普通の女がとあるきっかけから堕ちていくのは『グロテスク』で、20年以上の時をカルチャーや事件と共に一人のキャラクターとすすめていくのは『白夜行』や『幻夜』からの影響があるなと感じた。というか、この辺の本をたまさか最近読んでいたので感じたわけだが、言ってしまえば90年代〜2000年代のミステリーノワールに影響を受けた作品ということである*2

独自性でいうなら描写の容赦なさ。これは『ロスト・ケア』にもあったが、葉真中顕は現実にある悲惨な状況やよくあるようなこと————ノンフィクションな状況をこれでもかと詰め込み、そのリアリティラインでフィクションを構成していく。そして、それが野島伸司のように畳み掛けるわけではなく、真綿でゆっくり首を絞めるように読者を追い込んでいく。

ポエムのような心情描写が随所に差し込まれるため、どこか現実でありながらも現実ではない世界を構築。このスタンスは『コクーン』に持ち越されるのだが、長くなったので次の機会に。

二作目にして(というか一作目からそうだったけど)葉真中顕の刻印がバッチリ押された『絶叫』。まさに『火車』とか好きならおすすめ。今年中に文庫化すると確か言っていたので、解説が気になるところである。

ロスト・ケア (光文社文庫)

ロスト・ケア (光文社文庫)

絶叫

絶叫

*1:ちなみにTHE KAWASAKI CHAINSAW MASSACREのdoyさんもぼくのブログブレイクさせてくれたひとり

*2読書量が多くないため、大元のネタは他にあるのかもしれないが

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2017-01-24

[]ロバート・アルトマン映画を観てるような楽しさ『デッドプール16:38 ロバート・アルトマンの映画を観てるような楽しさ『デッドプール』を含むブックマーク

デッドプール』をBDで鑑賞。

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親に虐待されて育ち、トラブルシューターとして日銭を稼いで生活している主人公の元にコールガールが現われて意気投合。ようやく人生に希望の光が差し込んだのもつかの間、なんと彼は末期ガンと診断されてしまう。そんな彼に「末期ガンを治療するための人体実験を引き受けないか?」と誘いが。わらをもつかむ想いでその実験の被験者になり、彼は病気どころか傷すら跳ね返す不死身の身体を手にするが、その副作用で全身の皮膚が火傷したように爛れてしまう………というのが主なあらすじ。

低予算が故に見せ場がなくて、場所もあまり動かないので画が持たないみたいな感想を事前に見聞きしていたのだが、ぼくは逆で、そのふたつしかない見せ場もモーション速度を変えまくることによって持たせたり、その合間に主人公の過去を入れたりして飽きさせず、キャラクターもそんなに出ないからこそ画がチャカチャカせずに見やすく、あまり撮れないぶんランタイムも108分とタイトになっていて、低予算であることをうまく利用しているなと思った。というよりも今までのヒーローコミック作品が思いのほか壮大すぎたといったほうがいいのかもしれない。

特に気に入ったのは友人との関係性というか描き方で、顔が醜く変型してしまった主人公にたいし「腐ったアボカド同士から望まれずに生まれた子供」とか「金玉に歯が生えたような顔」とか容赦なく言ったり、これからカチこむぞというときも「オレ行きたくないから行かない」とその友人が出てこなくなったりするが、その妙な突き放し方に幼なじみとの付き合いを思い出し、笑いながらも泣きそうになったりした。

ボヤーっとした日常を送っていた男の元にコールガールが……というのは『トゥルー・ロマンス』だし、能力を手に入れた代償に醜くなるというのは『ダークマン』だし、既存のポップソングを演出に使うというのは『キックアス』で、恐らくそのあたりはオマージュの範疇だろうが、ぼくは映画の定型をグイグイ外してくる展開や要所要所にメタ展開を挟み込み、内輪ネタをガンガン言ってしまうという演出など、全体的にロバート・アルトマン映画を観てるような楽しさがあった。脚本は『ゾンビランド』の人だと知り、合点がいったのだが、それとは別におっぱい絡みのギャグや役者の名前を平気で言ってしまうギャグも含めて『M★A★S★H』や『ザ・プレイヤー』を思い出した。そういう意味も含めてシネフィルから秘宝系まで幅広くおすすめしたいところ。

DEADPOOL

DEADPOOL

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2017-01-17

[]夫婦を超えた先にあるもの『逃げるは恥だが役に立つ09:46 夫婦を超えた先にあるもの『逃げるは恥だが役に立つ』を含むブックマーク

14日の土曜日に幼なじみ一家の自宅に行き、子供たちが恋ダンスが好きだということもあって、酒を飲みながら去年話題になったドラマ『逃げるが恥だが役に立つ』を観た。

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最初は飲みながらだったのでワーワーキャーキャー言いながら観ていたのだが、子供たちや幼なじみ夫婦が寝出してからも夢中になって結局朝5時まで観ていた。キュン死に星野源へのルサンチマンのせいで、数時間で2歳くらい老けたと思われる。

パロディの連発を含め、映像作品として多面的な魅力があり、ものすごくおもしろかったのだが、夫婦の理想や夫婦を超えていくというテーマが進むにしたがって、ちょっとトンでもない方向にいき、それに衝撃を受けたのでブログに書くことにした*1。ちなみにネタバレ有り。まぁネタバレしたところでおもしろさが半減するとも思えないが。

もう知ってる人も多いと思うが、話を要約すると、我が強い性格のせいで派遣切りにあってしまったガッキー星野源の元に家事代行としてやってくる。親の事情もあって、家がなくなってしまうことから、気難しい性格の星野源を説得するため、住み込みで働かせてもらう理由として契約という形の結婚を申し込み、星野源もそれにメリットを感じ承諾する。そんな特殊な関係でひとつ屋根のした暮らすことになったふたりだったが一緒に住んでいくうちに恋愛に発展していき……とよくある感じだ。

ここまでは(ムチャクチャだけど)まぁ、フィクションとして無い話じゃない。しかし、すごいのはここから。

星野源は優秀なプログラマーで収入もかなりあるのだが(だから家事代行も頼める)、ガッキー同様、なんとリストラにあってしまう。次の就職先を決めるも、給料が減ることがわかり、このまま契約結婚の形を維持できないことを危惧したガッキーは収入を補うために自ら働きに出ることを提案する(この時点でふたりはかなりの恋愛状態に発展していたので辞めるという選択肢はない)。今までは雇用主と従業員という関係で「仕事」として家事をしていたガッキーだったが、それを星野源と分担することになった。

ここからふたりの関係性に変化が生まれる。

今まで完璧に家事をこなしていたガッキーも忙しさにかまけて手を抜くようになってしまう。星野源は今までの仕事ぶりからすると納得がいかないので、なぜちゃんとやらないのかと聞くとガッキーはこう返す。

「今までは仕事として、お金が発生していたので、念入りに掃除もしてましたが、今はボランティアという扱いなので、そこそこの生活ができるほどであれば、ある程度のところでやめればいいかなって」

これをキッカケにガッキーはどんどん本性をあらわしていく。米を炊いておいてくれと頼んだのに、風呂掃除に夢中になって忘れてしまった星野源に対し、「なんでそんなこともできないんだ」的な態度で怒りだし、それまで工夫に工夫を重ねてきた料理もお惣菜を買ってくる程度のレベルに下がっていく。冒頭で会社をクビになってしまった性格を反省しつつも仕事のストレスのせいか、細かいところにどんどん口を出すようになっていく。

星野源としては「家事を完璧にこなして、優しいことばをつねにかけてくれたガッキー」を好きになっていたので、そのギャップにどんどん幻滅し、互いの齟齬から夫婦関係が破綻していく。逆にいえばこれが本来の普通の夫婦の姿であるはずなのに、幻想を抱いていた分、現実に打ちのめされていく……というのが後半の展開だ。

大半の人はこのドラマを「夫婦を超えたら家族になるしかない」という感じで観ていたのではないだろうか?新婚のときはよくしてくれた奥さんも、子供が生まれると変わってしまうと世間的に言われているし、育児や家事をしない旦那に愛想を尽かすなんてこともよくある話で、それも超えることが夫婦であり、超えた先には家族があると。

ただ、ぼくはそれと同時に「家事に報酬を出し、互いが満足できる恋愛関係があれば、夫婦はうまくいく」ということを暗に示唆しているドラマなのではないかとも思った。

恐らく制作サイドとしては『昼顔』のように「こんなこと現実にあるわけねぇだろ!目を覚ませ!」と冷や水ぶっかけたはずだが、その一方で「金くれればもっと家事くらいがんばるわ!」と受け取る共働きの妻も一定数いてもおかしくなく、突き詰めれば「結局世の中は金かよ」と思わなくもない。なんといっても星野源がリストラされるまでふたりの間にはそれを阻む障害は何一つなく、ある程度の齟齬があったとしても不満は“ムズキュン”と呼ばれるくらいで関係はうまくいっていたからだ。

実際、最終回の最後の最後までギクシャクしてたふたりだったのだが、なぜかハグ一発で仲直りし、その先の未来はどうなるかわからないというあいまいな感じでこのドラマは終了する。それがとても「いやーよかったよかったねぇ」という感じには受け取れなかった。少なくともぼくのような人にとってはだが。

もっといってしまえば、星野源がああいう性格だからよかったものの、これガッキーがリストラされた理由みたいに、相手が上司のような人だったら音速で家から出てけ!と言われてた可能性だってなくはないし、本来ガッキー星野源の気難しい性格に耐えられるようなキャラではないのだ(初めて付き合った男はちゃらんぽらんなエグザイル崩れだし、友人はヤンキーである)。だいたい星野源に至っては改めてちゃんとプロポーズするにあたり、またしてもリスクや金額のことを言い出し、結婚ってそういうことじゃねぇだろ!とガッキーが激怒するくだりがあるように人の気持ちも理解できないし、恋愛スキルもまったくない。というか、恋愛なんて興味ないという今時の若者と揶揄されてるようなキャラクター像である。

見終わったあとで「これ夫婦で見てたとかすごいな」と正直に思ったのだが、幼なじみとはいえ、他者の夫婦関係に首をつっこむわけにもいかず、翌日、全話観てたという独身の後輩に「どう思う?」とこの話をしたら「そんなことまったく思わず観てました」と言っていたのでまぁそんなものなのかもしれない。というか、これはぼくの一方的な意見なので、是非いろんな人の話を聞いてみたいものである。といっても、周りにはこれ観てる人ほとんどいないけど。

*1:正確にいうと最初はフェイスブックに書いていたのだが、マクガイヤーさんに「ブログで書いた方がいい」と言われてブログに改稿して載せた

nontedionontedio 2017/01/17 20:08 作品ベースの「童話」からすれば二人は「師弟関係」なので、元々一体化は想定されていないのです。
ヒロインが成長したら自然に関係解消するだけ。
構造論的内容ならブログに少し書いてみました。
「何気にモンテディオな日々」

charlestonbluecharlestonblue 2017/01/18 14:21 最後のハグは、平匡さんのパートナー宣言に惚れたわけですよ。
今まで失敗して来た「我が強い性格」が、平匡さんはそうは思っておらず、「我が強い」が論理的である彼女の主張に「気難しい」彼が価値を見出し誠実に対応してきたわけですから。

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2016-12-29

[]容疑者Xの一族の焦点/レイモンド・チャンドラー『プレイバック』 12:58 容疑者Xの一族の焦点/レイモンド・チャンドラー『プレイバック』を含むブックマーク

この年の瀬にインフルエンザにかかった。しかもA型である。

自ら望んだことではあるものの、12月22日から1月15日まで休みは元日だけというスケジュールだった。とはいえ、望まなくてもこのようなシフトになったに違いない。なぜならぼく以外の連中も同じだからである。いや、ひとりだけ違うか。まぁそんなことはどうでもいい。

ここ最近ブログに書いていたように5月以降、まともな休みがなかった。あったことはあったが、二ケタの連勤の後に一休だけだったりで、また次の日から連勤がはじまる。そんな感じだ。連休は片手で数えられるくらいであり、世間のみなさまがやれ13連休だのなんだのいってる程度の休みはなかった。仕事は嫌いではないし、職場のみんなとは家族のような関係を築いている。しかし、ここまで働かされるとなると、息がつまってつまって仕方がない。こないだも仕事中に急に意味もなく号泣して、休憩室で倒れてしまった。10連勤の途中であった。いままで生きてきてそんなことなど一度もなかった。自分でもさすがにキてるなと思った。

自分ではやれると思っていても無意識に限界が来てるというのはよくあるもので、最後のひとふんばりだというタイミングでのこれである。身体からのサインなのかもしれない。酒も際限なく飲んでいたし。

というわけで、ここ3日間。かなり有意義にすごしている。といってももちろんインフルエンザなので、部屋からは出れず、ひたすらベッドの上で本を読むかテレビを観るかしかしてないわけだが(あとツイッター)、2日目から熱も35度まで下がり(下がりすぎだろ)、ぼくのような人間にとっては幸せこの上ない日々だといえる。ハッキリいってなんの苦もない。インフルエンザバケーションと名付けたいくらいである。もしかしたら生まれながらの引きこもりなのかもしれない。

ただ、残念なのは26日に医者にいってインフルエンザと宣告されたので5日間の休みとなり、31日は出勤しなければならないということ。医者には年内は外出たらダメといわれたのだが(まぁ医者は大概そういう)、会社に電話したら「出ろ」といわれた。非情な世界である。人がいないから当然っちゃ当然なのだが、同僚たちにもうしわけないことをしたなんていう気持ちは微塵もない。むしろ休ませてほしかったくらいだ。ちなみに31日は朝の4時から21時近くまで働くことになる。病み上がりなのに。

というわけで、忙しさにかまけて読んでいたにも関わらず、なかなか感想をゆっくり書く時間がなかったレイモンド・チャンドラーの『プレイバック』について。

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村上春樹が新訳を担当しているチャンドラーの新刊は全部読んでいるが、『リトル・シスター』を読んでから是が非でも新訳化してほしかったのがこの『プレイバック』である。

「タフでなければ生きていけない、優しくなければ生きている資格はない」というセリフで有名だが(チャンドラーのチャの字も知らない親父だが、『野生の証明』のキャッチコピーに使われたらしく、このセリフだけは知っていたくらい)、ぼくはこの作品が昔からチャンドラーのなかでもベスト3に入るくらい好きで(ご他聞に漏れず、あとの二作は『さよなら、愛しい人』と『ロング・グッドバイ』である。『大いなる眠り』はそこまでであり、逆に『湖中の女』があとは好きだったりする)、『リトル・シスター』を読んだあとに、ここまで丁寧に訳してくれるならと、是が非でも早急に村上春樹に翻訳してほしかったが、読んでみたらやはり満足の出来。

ストーリーとしてはシンプルで、ある女性を尾行していたら、ある男に脅迫されているっぽいことがわかった。そこでなぜか急にマーロウがその女性と接触を試みるも、その脅迫している男とも遭遇してしまい……というもの。

そもそも依頼人にある女を尾行してくれって言われてるのに、いきなりその人が止まってるホテルの部屋に入るなど、行動に合点がいかないところがいくつかあるが(なんで脅迫してる男のふりして手紙を部屋に入れたのか?とか)、改めて読むと、これ犯人の動機というか、トリック的なものは『ゼロの焦点』と『犬神家の一族』と『容疑者Xの献身』を合体させて要約したような感じ。調べてみると『ゼロの焦点』と『プレイバック』はほぼ同時期に刊行されており、『犬神家の一族』は角川ブーム以前となると『プレイバック』以前で『容疑者X』は言うまでもないが、たまたま似たようなことをまったく違う国でもってそれぞれやっていたと思うと驚く。それぞれのことをいうとネタバレになるので読んでいただきたいところであるが、300ページほどの話によくもまぁこれだけ詰め込んだなという感じだ。分かりにくいっちゃ分かりにくい話でもある。

ちなみにこの本の帯にも書いてある通り(それを宣伝に使うというものどうかと思うが)、その有名なセリフについてはあくまで前後のやりとりのなかに埋もれさせ「飛ばねぇ豚はただの豚だ」的なパンチラインにしなかったのが逆におもしろかった。このセリフをありがたがってるのは日本人だけであるということに起因したのかもしれない。

もちろんエスメラルダという街の描写はこれまで以上にイキイキしており、そこに住んでいるかのような錯覚さえおこす。各キャラクターも魅力的で会話はウィットに富んでおり、純文学としても読める。なぞの人物とのやりとりはまるで禅問答のような感じで『インヒアレント・ヴァイス』や『ビッグ・リボウスキ』もこの作品からの影響はあるのではないかと思う。何よりもうれしいのは、リマスター盤が出ることによってビートルズやツェッペリンが「新作」として聴けるように、新訳によってチャンドラーを「新作」としてリアルタイムで読めることだ。これ以上の喜びはないだろう。自信をもっておすすめしたい所存である。