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2050-01-01

SMAP記事のカテゴリ作成のお知らせ

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2016.4.27

2016-05-29

(21)木村拓哉さんが語った蜷川幸雄さんへの思いと、『夜空ノムコウ』

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こんにちは、検索迷子です。


今日は、木村拓哉さんのラジオ木村拓哉のWHAT’S UP SMAP 5月27日放送分』について、感想を書こうと思う。


1月以降、ずっと木村さんのラジオをできるだけリアルタイムで聴いてきた。それは、1月以降のSMAPをとりまく環境の変化で気になっていたのもあるが、それだけではなかった。


私は、昨年の木村さんの誕生日に書いた草なぎ剛さんと木村拓哉さんでも触れたが、1998年くらいに木村さんのファンで、当時は欠かさずラジオを視聴していた時期がある。


今年、久しぶりにラジオを聴くようになり、木村さんのラジオならではのテンションに懐かしさを覚えたり、お腹の底から出しているような声に、昔よりも声に張りが出ているような気がして、ずいぶんと長いブランクがありながら再び聴くようになった。失礼な言いかたを承知で書けば、トーク内容よりも、とにかく声を聴くだけで力がわいてくる気持ちになるような声に、強い生命力と温かみを感じる。


蜷川幸雄さんとの思い出

と、ラジオでの声の話題をどこかで書こうかと、数か月漠然と考えていた。そんななか、これは書き残したいと思う話題を木村さんがこの日していた。それが、蜷川幸雄さんが亡くなったことに対する思い出を、というリスナーからのお便りをきっかけに木村さんがした話だった。


つい先日、私と変則的にコラボブログを書いている、「剛 しっかりしなさい!」ブログ運営者である、凪(なぎ)さんが、コラボブログではない形で、蜷川幸雄さんを書かれていた。この時点では、私は蜷川さんの舞台の観劇経験もないし、木村さんが出演された『盲導犬』の舞台のエピソードも、知っていたものの特別な感情はわかなかった。


でも、そんな私が、ラジオで木村さんが語った話の後半にぐっと引き込まれた。それは、木村さんが蜷川さんとの思い出話をしたあとに、曲をかけようとして、しばらくどんな曲がいいかと考えて、「僕の中で、こういう存在だったなっていう曲、たまたまうちらの曲で、”これかな?”っていう曲があるので、”蜷川さんは俺にとって、こういう曲の人でした”という、『夜空ノムコウ』を聴いてください」と言ったことだった。

夜空ノムコウ

夜空ノムコウ


このあと、『夜空ノムコウ』を聴きながら、しばらく放心状態になった。正直なところ、木村さんがここで『夜空ノムコウ』を選曲するとは思わなかった。それで、あらためて木村さんのトークを振り返り、なぜ木村さんはこの曲を選んだのか考えてみた。


木村さんはどの歌詞が、どんな風に思い出と結びついているといった話はしていない。でも、木村さんなりに、この曲をどう受け止めているか、わかるような話をしていた。


蜷川さんの訃報にふれ、「嘘でしょ」と事実を受け入れがたい気持ちになり、「蜷川さんが亡くなってしまったことを誰かと話さないと落ち着かなくて」という動転した気持ちで亀梨さんに連絡をとったことも、木村さんが誰かの死を前にして、こういう気持ちになり、それをラジオで話されるんだなと思ったりした。木村さんから、「落ち着かなくて」という言葉を聞くとは意外な感じがした。


そして、お通夜に参列してやっと現実を受け入れたこと、でも蜷川実花さんが撮影した遺影の写真を見ながら、「何かを喋り出すことはないんだけど、あの遺影を見てるとてると『おまえ、まだまだだな』と言われてる気がして」というように、心のなかで蜷川さんと対話し、自分へのだめ出しを受け止めるような心持ちになったのだろう。


そして、木村さんは事務所からのコメントでも発表した内容でもある、17歳当時の初めてのお芝居、台本、拍手をもらうことの凄さや厳しさと、初めて尽くしを経験し、これをやっていこうという意識が芽生え、その経験が今の仕事につながっているという話をされていた。そこに導いてくれたのが、蜷川さんだったと。


当時はSMAPが結成される前で、木村さんは芸能界も仕事もなめていたという話もしていた。今では責任感の塊のような木村さんにも、そういう時代があったのかと、振り返る木村さんの声を聴きながら、木村さんが、蜷川さんとの出会わなければ、もし木村さんが言ったようにどこかの古着屋さんの店員になっていたら、日本の芸能界の歴史が変わっていたんだと思うと、木村さんに役者として息吹を吹き込んでくれた蜷川さんの偉大さをあらためて感じる。


蜷川さんの指導にしっかりついていき、あらゆるものを吸収して、舞台を成立させ、拍手を浴び、それから26年経った43歳の今の木村さんにつながっているのだと思うと、人一人と出会うことのかけがえのなさに、胸がぎゅっとなった。


でも、木村さん自身は『おまえ、まだまだだな』と言われているような気持ちを今でも持ち、さらに自分を鼓舞し、高みを見ていく意識を持っている。たぶん、世の中が持つ木村拓哉のイメージの、もっと上に行こうとしている。


蜷川さんとの「いつかまた一緒に仕事をしよう」という話は叶わなかったが、木村さんは蜷川さんの逝去という事実を受け止めたときに、「ぼくの心のやわらかい場所を 今でもまだしめつける」ような思い出深いメッセージがいくつも浮かび、そして、「あの頃の未来に ぼくらは立っているのかな」という、今の自分はどうですかという問いを、心のなかで蜷川さんと話していたのかもしれない。


「何かを信じてこれたかな」といういくつもの問いを投げかけながらと、明日という未来を閉じてしまった蜷川さんに、「夜空ノムコウには もう明日が待っている」という思いを持って、明日を生きる人間としての魂を受け取る役割を引き受け、希望を明日につないで生きて行こうという気持ちを、より強く持ったのではないかと、木村さんの話を聴きながら感じた。


歌をどう解釈するかは、その人が決めていい

私が、この日の木村さんの話と選曲に心を打たれた理由は、もう一つある。

それは私自身が、SMAPさんの『夜空ノムコウ』を歌う(8)SMAPの「夜空ノムコウ」を歌い継ぐ景色

でも書いてきたが、来月、ライブハウスでこの曲を歌うことになったことが大きい。


半年以上、何百回もこの曲を歌い続けて、ちょうどいま、『夜空ノムコウ』って、いい歌だと思ってきたけど、本当はどんな歌なのかと、えんえんと考えている時期なのだ。


人前でこの歌を歌う意味ってなんなんだろうとか、なぜ自分はこの曲を選び、何を伝えたいんだろうとか、プロではないなりに、せっかく人に聴いてもらうなら、何か一ミリでも伝えたいと欲が出ている。だから、歌えば歌うほど歌詞の意味の解釈が違っているのではとか、抑揚のつけかたがこうじゃないとか、SMAPってそもそもどういう気持ちで歌っているんだろうかと、何度も考えている。


曲を聴き、自分で歌い、軌道修正して、そのプロセスを通して、自分がどうして数ある楽曲のなかでこの歌を無意識に選んだんだろうかとか、人前で歌おうと思う恥ずかしさ以前に、自分が自分の心の中を丸裸にしていくような、不思議な感覚を味わっている。自分にとって『夜空ノムコウ』って何なのだろうという問いを、最近ずっと繰り返している。


そして、木村さんのラジオでの話を聴いて、少し目の前が開けたような思いがした。それは、自分がそのとき、感じたままに歌詞を受け取り、音楽の世界観に身を委ねていいということを改めて教えてもらえたことが大きい。


木村さんは『夜空ノムコウ』をいろんな番組や、いろんな場面で歌っているだろうから、この曲が常に蜷川さんの思い出とだけ結びつくわけではないだろう。それでも、木村さんがもともと好きな曲だと言っているこの『夜空ノムコウ』の、一つの受け止め方を伝えてくれたことは、とても意味が大きい時間だった。


もともとこの曲は、作詞をしたスガシカオさんが言っているように、登場人物を特定していないことの良さがある。歌を聴き手に委ねているから、恋愛の歌ともとれるし、友人同士とも、自己との対話ともとれる。


そして、木村さんは蜷川さんのご逝去にあたって、蜷川さんの存在をこの歌詞に投影した。こういう、たいせつな存在を象徴するような歌として紹介は、とても素敵なことだと思った。そして、この曲をかける前にそれを丁寧に話してくれた木村さんには、本当にこの人は、言葉で人に何かを伝えて感動を与え続けてきた人なんだなと、あらためて素晴らしい人だと思わされた。


木村さんが蜷川さんの存在を重ねて、今時点で『夜空ノムコウ』を選曲したように、私には私なりの『夜空ノムコウ』を歌おうと思った理由があり、伝えたいものがあるのなら、それを木村さんのように素直な気持ちで表現したいと思った。


こんなに長く、一つの曲と向き合ってきたことはなかったかもしれない。でも、何度歌ってもあきない。それどころか、もっと深く知りたいと思うのが、『夜空ノムコウ』という曲なのだ。


何よりも『夜空ノムコウ』が好きだから歌いたいのだし、その歌う時間をたいせつにしたいと、ごくシンプルな結論に半年かけてやっと行きついたような気がする。下手でもいい。自分にとってたいせつな歌を、たいせつにしているという気持ちを精一杯伝えられるよう、本気で歌おうと思う。


木村さんの記事について

木村さんの記事は、

(4)木村拓哉さんの自己犠牲の精神以来、久しぶりに書いた。

この時の記事は、多くのかたに読まれ、たくさんの木村さんファンのかたにTwitterでもフォローしていただいた。なのに気がつけば5か月、木村さんの話題を書いていなかった。


私も多くの木村さんファンSMAPファンのかたのように、木村さんの存在を感じられるメディア露出が少ないのが、だんだん淋しいと思うようになっているのかもしれない。だから、毎週金曜日、木村さんの声を聴いて、ああ、今週も木村さんが元気な声で良かったと安心し、私も元気でいようと思ったりする。


今回みたいに、関節鳴らしの音披露とか、笑いがある話題でのリラックスタイムの後(エロトークの後でなくて内心ほっとしたが)、いきなり蜷川さんの話題となり、『夜空ノムコウ』の選曲に、はっとさせられて、もう、この気持ちは書き残さなければという思いになった。こんなふうに、「このときの木村さんは書き残さなきゃ」という思いをもっとしたいと思う。


木村さんのラジオ番組での、心情を語る言葉選びを慎重にしている間合いとか、誠実な話しかたとか、深みのある声が直接聴けるということが、どれだけ人の心に灯りをともすのかということを、一度書きたいと思っていたが、今日はそれが叶って自分でも嬉しい。特に金曜の夜をゆるりと終わらせるのではなく、がつんとエネルギーチャージをするような時間になるので、未視聴のかたはぜひラジオを聴いていただければと思う。


では、また。


コラボブログの主旨

ブログ主旨については、下記にリンク先を掲載している。

【コラボブログ:SMAPとココカラ】(2)SMAPとファンは、もはや一つの組織の最下段、【コラボブログ:SMAPとココカラ】(4)木村拓哉さんの自己犠牲の精神の序盤で紹介している。

2016-05-20

(20)草なぎ剛さんの『5月の風を抱きしめて』を聴きながら

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こんにちは、検索迷子です。


今日は、「剛 しっかりしなさい!」ブログ運営者である、凪(なぎ)さんとのコラボブログ第20回である。コラボブログ【SMAPとココカラ】(19)心の鏡を受けて、草なぎさんの歌の話題を書こうと思う。


5月に入ってずっと、草なぎ剛さんの『5月の風を抱きしめて』が頭のなかに流れている。

この曲は、ちょうど一年前のスマスマの「シャッフルビストロ」草なぎさんの回で、「初のソロ曲は何か」というクイズにもなっていたが、このクイズ以前から、なんだかとても気になる曲だった。


SMAPの楽曲で、具体的な「何月」が入っている曲をざっと調べたところ、この『5月の風を抱きしめて』と、稲垣さんのソロ曲『September Rain』の2曲が1993年発売『SMAP004』に収録されている以外に、ないようだ(見落としていたらご指摘ください)。

SMAP 004

SMAP 004


以前、稲垣吾郎さんの「September Rain」については記事を書いたため、今日は草なぎさんのこの曲のことに少し触れたい。


『5月の風を抱きしめて』が持つ、青さと素直さ

季節を感じたいとき、その時期や風物詩、植物などを題材にした詩を探して読むことがある。

優れた作品は、季節にかかわらず、通年いつでもその良さが伝わってくる。


それでもやはり、季節を特定して作られた詩は、その時期にしか実感できない風合いを持っているから、できるだけその時期に読もうと思っている。


草なぎさんのこの曲は、当初、音だけを聴いていて、ずいぶんアイドルっぽい曲だなと思っていた。SMAPのメンバーにも、歌詞の面白さを突っ込まれていたというエピソードも、コスプレをしたメンバーをバックに従えて、草なぎさんが歌う場面も観たことがある。


確かにいかにも若者という、キャッチーな固有名詞が並び、ポップな感じがするし、青春時代のまだ初々しい恋愛という雰囲気だ。


歌詞からすると、片思いしている女の子が失恋して、その痛みを友だちとして元気にさせてあげようとする歌なのだろう。


でも改めて、固有名詞からの世界観の先入観をなしに、歌詞だけを見ていくと、とてもシンプルだけど、気持ちがあたたかくなるような言葉が綴られていることに気づく。


草なぎさんの純粋さとか誠実さのようなものが、優しさを伝える歌詞に乗って、やけに味わい深く聴こえる。


そう思って何度も歌を聴くと、この歌詞が、思春期ならではの、ストレートな気持ちを口にできなかったり、まだ触れてもいないけど触れたいという照れ隠しや、複雑な思いからなる曲だとわかってくる。


楽しそうなキーワードをまくしたてたり、おちゃらけて会話をしているように見えて、その張りきりかたが逆に、「ピノキオみたいに」という歌詞にもあるように、本心を言えない、届かない思いを間接的に伝えているようでせつない。


でも、本当は心の真ん中では、相手を焦がれて、思いやる気持ちが深い歌詞だとわかってくる。


たとえば次のような、ふとした気持ちを伝える歌詞にそれを感じる。

めいる気持ち晴らそう

あやして君を笑わす

どこまでも歩きたい

本当は手をつないだら 何もかもうまくいきそうで

僕の知っている優しさ みんなあげたい


そして、何よりも印象深いのがこの箇所だ。草なぎさんがこの歌詞を歌うことで、いま、という時間を大事に生きるという思いがより際立つような歌詞だ。

一緒にいるこの時を特別大事にしたいのさ


草なぎさんが歌う効果と期待

5月のさわやかな風の季節は、あっという間の通り過ぎていく。

青春の恋愛手前のこういう時期も、あっという間に過ぎてしまうだろう。


『5月の風を抱きしめて』は、自分と重ねてという共感が、いまの自分にできる歌ではないが、草なぎさんが歌うことによって、その声の持つメッセージ性が、青春時代の歌という意味とは違う形で届けられている気がした。


歌本来の解釈をしみじみとしながら、ちょっと笑える固有名詞ばかりなのにせつなくなり、SMAPの楽曲って奥が深いと思った。稲垣さんのソロ曲の話題のときにも思ったが、この『SMAP004』の時点で、メンバーの個性に合わせてソロ曲が割り振られていたのかと思うと、とても感慨深い。


18歳時点でこの曲を収録した草なぎさんの歌に妙に聴き入り、たぶん、五月中ずっとこの曲を聴くだろう。


できれば、23年経過した現代の渋谷の名所バージョンで、草なぎさんのこういう歌を聴いてみたいと思ったりした。最近の草なぎさんの作詞能力の秀逸さからすると、この、「周囲がきょとんとするような単語のなかに、真の思いや、せつなさを込める」ということができそうな気がする。


たとえば同じ五月を表現するにしても、風薫る五月、ともはや一般的に定型語化した単語では、たぶん、草なぎさんは作詞をしないだろう。どんな単語を持ってくるのかを、ぜひ聴いてみたい。


最後に、「5月」がつくタイトルの楽曲を草なぎさんのソロ曲に割り当てたのは、ぴったりな感じがしている。

一年で一番過ごしやすく、人々が心地よさを感じる、さわやかな季節なのもそうだし、肌寒い春でも、灼熱の夏でもない少しふんわりした月だからだ。やわらかな五月の風と日差しが、草なぎさんの存在感にあっていると思った。


5月の風を抱きしめて、いましかない、いまという時を大切にしようと、シンプルにシンプルに思う。

今年の5月は、いましかない。


コラボブログの主旨

ブログ主旨については、下記にリンク先を掲載している。

【コラボブログ:SMAPとココカラ】(2)SMAPとファンは、もはや一つの組織の最下段、【コラボブログ:SMAPとココカラ】(4)木村拓哉さんの自己犠牲の精神の序盤で紹介している。


では、また。

知恵と勇気知恵と勇気 2016/05/24 04:38 初めまして。かなり昔に、お名前に惹かれて、ブログを読ませていただき、詩に関してだったかと思いますが、細やかで冷静で対象への優しさを持って書く方なのだろうという印象でした。あまり、詩に関心がない私は、それきりだったのですが、去年から草𦿶さんのことが増えてきて、更新を楽しみにしておりました。

私は、下の3人にやや気持ちの比重があるSMAPファンです。



5月の風を抱きしめては、私にとって、好きな歌の中でもなぜか特別なものです。私は検索迷子さんより年上のようですし、また、この歌をリアルタイムで聴いたのではなく、初めて聴いたのはせいぜい6、7年前。その時から5月になるたび何度も繰り返し聴きます。同じ体験をした訳ではなくても、若い時の上手く伝えられないもどかしさ、光の眩しさ、懐かしい感じ。草𦿶さんが、独特の揺れるような少年の声でぶつけるように歌うと、(実は、とても深く低い強い歌声も持っていると思いますが)『今は、今しか、ない 』ことが切なく響いて、この歳になっても涙が出そうになる。いつもは忘れていることですが、ブログを読んでいて触発され、また、この歌を好きな方がおられることが嬉しくてコメント欄にお邪魔しました。



このブログを読みながら、今初めて感じているのは、昨年1月のコンサート最終日(オーラスですね)の、SMAPによるMCと挨拶の言葉です。数少ないコンサート参加経験の中で、オーラスは初めてだったのですが、彼らはしきりにコンサートツアーが終わることを惜しんでいるようでした。嗚呼もうこの曲が終わってしまう、舞台は再演があるけれどコンサートツアーには同じものの再演てない、こうしていつまでも4人の後ろ姿を見ていたい、等。いつも話に聞いている内容よりも切なさが勝っているようでした。今にして思えば、ですが。

SMAPとファンが直面している今を、乗り越えるために今できそうなことはしたい、どうなろうが、あの時もっとこうしたかったと後悔する気持ちを少なくできるように行動したい、と改めて思った次第です。



長々と書いてしまいましたが、この話題に関係ないことを一つ加えさせてください。他のメンバーに対しても、書いて頂き、特に誤解されやすい木村さんについて、自己犠牲の精神にスポットを当てて頂き、ありがとうございます。話題となった水泳大会を私は見ていませんが、心にストンと何かがはまった感じがします。そう、いつもそうだよね、この人の思考回路はそれを選ぶだろうね、という感じでしょうか。本来なら、木村さんのことを一緒にコラボしてくださった凪さんにもお礼を言うべきなのですが、今ここに表明しないとまた先延ばししてしまいそうなので、書かせて頂きます。お二人とも、ありがとうございました。



凪さんとのコラボブログ、検索迷子さんご自身のブログ、これからも楽しみにしております。こちらはSMAPファンブログではないと承知しておりますが、彼らを好きという思いに間違いはないと、時に励まされています。長々と自分語りになって申し訳ありませんでした。

2016-05-04

「ゴロウデラックス」での、草なぎ剛さんのホスピタリティ

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こんにちは、検索迷子です。


2016年4月28日放送のゴロウデラックス第203回で、『Okiraku 2』が課題図書となり、草なぎ剛さんが初めて同番組にゲスト出演されていたため、感想を書こうと思う。書籍レビューについては過去3回行っており、最下段にリンクを掲載している。

Okiraku 2

Okiraku 2

Okiraku 2 豪華特装版

Okiraku 2 豪華特装版


今日は、ゲストの草なぎさんに着目して感想を書くが、後日、稲垣さんについても触れたいと思っている。一つの記事で書くには、濃厚な番組だったということもあり、side-Aとside-Bのように、着目点を別にして、お二人の素敵さを書き分けたいと思う。


「ゲスト」の概念を変えた草なぎさん

番組は、草なぎさんが登場する冒頭から、驚かされることばかりだった。

稲垣さんが以前食べて、気に入っていた様子を覚えていて再現した、「タモリさんのおでん風玉ねぎ」を自宅の鍋ごと持参し、コレクションするジーンズを多数持参してジーンズ談義を披露し、稲垣さんに自作のギター曲を歌ってプレゼントしていた。


本の宣伝をする番組なのに、なかなか本の話題にいかなかったり、違う話題が番組の時間の大半を占めていて、一見、草なぎさんは自由にふるまっているように見えた。でも、きちんと事前打ち合わせがあってのことだと、番組の流れから十分わかった。


番組の空気からは一貫して、草なぎさんが稲垣さんをどれほどたいせつに思っているかという、愛情の深さがひしひしと伝わってきた。草なぎさんが「ゴロウさんに僕は、歌を作ってきました」と発言したとき、外山さんも「吾郎さんのことすごいお好きなんだっていうのが、伝わってきますね」と言っていたが、本当にその通りだと思った。


番組中の草なぎさんを観ながら、草なぎさんは終始笑顔で、稲垣さんを大好きなことを一ミリも隠さず、最大限の愛を注いでいると思った。


たとえとして適切かはわからないが、その素直な感情表現は、感情の駆け引きをせず、常に全身で嬉しい楽しいを表現する、犬の愛情表現にも近いと思った。嬉しいときはしっぽをふるし、笑顔になるし、おなかをだして転がる。そして何よりも、人間の笑い声を喜び、ほめられるとますます賢く、飼い主に忠誠心を見せていく姿とか、まるで犬のような素直さと無邪気さで、稲垣さん大好きオーラが全面的に出ていた。


草なぎさんの素直さというのはバラエティのなかでよく見かけていたと思っていたが、こんなにも、相手に尽くしたい、相手を喜ばせたい、相手を笑顔にさせたいという感情表現がものすごく豊かに、こんなにストレートに出る場面というのは本当にめずらしいと思った。


それは感情表現が下手というよりは、人見知りだったり、相手との距離感でそこまで表現できなかったり、あるいは番組上そういう感情を見せることがなかったりしたのだろうが、今回ここまで、全面的に「うれしい、たのしい、だいすき」が全開の草なぎさんを観たのは、とても新鮮だった。


草なぎさんはこの番組で、「ゲスト」という概念を変えたと思った。呼ばれる側が、MC側をもてなすという新しい形で番組に参加していた。それはやはり、MCが稲垣さんだからというのも大きいだろう。


ホスピタリティ」は双方向の満足で成立し、豊かな時間を創る

この日の草なぎさんと稲垣さんの空気感を、何か言葉で表現できないかと考えたいたところ、「ホスピタリティ」という言葉が浮かんだ。


草なぎさんは、登場シーンでお鍋を置くなり、すぐに「何を持って来たら、皆さんの心が掴めるかなと思ったら、自分の料理がいいと思って」と発言している。


この一言は、よく考えたらとてもすごいことだ。ゲストなのに、自分が話を聞かれる側という受け身の姿勢の出演ではなく、ホスト側である、稲垣さんと外山さんの「心をつかむ」ことを既に考えてきている。


面白いエピソード、気の利いた一言を用意しておくといった番組への関わりかたではなく、自作の料理、ジーンズ、自作の歌と、草なぎさんは複数の仕掛けを用意して、それを惜しげもなく、ホスト側に提供している。


たぶん、他のゲストのかたのときと同じような感じで、番組進行をしようとしていた稲垣さんは、他の作家さんのかたとは全く毛色が違う、「本の説明や、宣伝色」のなさに面食らいつつも、一つ一つのサプライズに心から驚き、テレもしていたように見えた。


草なぎさんは、稲垣さんの番組に呼ばれて、全力で稲垣さんを喜ばせようとして、稲垣さんの喜ぶ姿にまた満面の笑顔になっていた。人を笑顔にするのが好きなかたなんだなと思ったし、人の笑顔によって、自分も笑顔になるという、典型的な幸福感の輪の広がりがそこにはあった。


先に、「ホスピタリティ」と書いたが、これは、草なぎさんが稲垣さんにとか、稲垣さんが草なぎさんに、という一方向のことではない。イメージとして、「ホスピタリティ」というと、サービスを提供する側の「おもてなし」の精神という使われ方をすることが多いような気がするが、改めて言葉を少し調べてみたら、もっと広い意味での解釈もあるとわかった。


それは、「ホスピタリティは、客人と主人が、共に喜びを共有する相互満足によって成り立つ」ということだ。そして、そこで信頼関係を高めて、何かを共に創り上げて、社会を豊かにしていく波及効果も期待できるというくらい、「おもてなしの心」は社会や人の心を、温かなものに変えていく力を持つのだ。少し言葉の解説を補うために、以下のサイトから言葉の意味を引用する。


日本ホスピタリティ推進協会「ホスピタリティとは」


 ホスピタリティとは接客・接遇の場面だけで発揮されるものではなく、人と人、人とモノ、人と社会、人と自然などの関わりにおいて具現化されるものである。


 狭義の定義では、人が人に対して行なういわゆる「もてなし」の行動や考え方について触れていて、これは接客・接遇の場面でも使われるホスピタリティのことである。主人と客人の間でホスピタリティが行き交うが、それは一方通行のものではなく、主人が客人のために行なう行動に対して、それを受ける客人も感謝の気持ちを持ち、客人が喜びを感じていることが主人に伝わることで、共に喜びを共有するという関係が成立することが必要だ。すなわち、ホスピタリティは両者の間に「相互満足」があってこそ成立する。


 つまり、主客の両方がお互いに満足し、それによって信頼関係を強め、共に価値を高めていく「共創」がホスピタリティにおける重要なキーワードなのである。


 広義の定義では、ホスピタリティが主人と客人の二者間の話にとどまらないことを言っている。社会全体に対して、その構成員である人々が、ホスピタリティの精神を発揮することで、相互に満足感を得たり、助け合ったり、共に何かを創りあげることができ、それによって社会が豊かになっていくという大きな意味でもホスピタリティは重要である。

(後略)


草なぎさんの稲垣さんへの思いは、稲垣さんを笑顔にし、二人の気持ちが通い合った笑顔は、そばにいた外山さんだけでなく、番組スタッフ、視聴者をも温かい気持ちにしてくれるものだった。ホスピタリティって、こういう素敵な伝播の形をとるのだと、お二人の笑顔を観て思った。稲垣さんを笑顔にしようと一生懸命な草なぎさんが、ぐるりと一周回って、観ているこちら側にも伝わってきて、幸福感の輪って広がるものだなとしみじみと思わされた。


ホスピタリティがあふれるっていうのは、このお二人のような、人の笑顔を作ることに、丁寧に時間や対話を重ねる姿勢を持つひとのことなのだとわかる、本当にいい回だと思った。


書籍の宣伝よりも、人を伝えることのたいせつさ

最後に、本の宣伝という切り口での感想も書いておきたい。


私は、この回の放送を「ブックバラエティ」として、本自体の話題がたくさん聞けるのを、とても楽しみにしていた。本好きとしても、『Okiraku 2』を書籍として面白いと思っていたため、何を稲垣さんや外山さんが朗読にチョイスし、草なぎさんが自著をどう語るのか、すごく興味を持っていた。


草なぎさんが本に対して、「なんか、くだらない話が多いんですけど、そのなかに結構、大事なことが隠されている。SMAPのこともあるし、他のメンバーのこともあるし、なんか、その時、呟いていることが本になった」という発言を受けて、草なぎさんの内面の奥行きの深さに、ダイレクトに触れるような箇所が選ばれるのかと思っていた。


実際に朗読されたものを聴いて、少し、あれっと思ったのは事実だ。稲垣さんと外山さんは、毎回朗読箇所を直接選んでいるのかまでは存じ上げないが、番組としてキャッチーな話題になりそうなものが選ばれ、朗読されていた、という印象だった。


朗読されたうちの一編は、香取さんのNY舞台観劇の際、稲垣さんとのNYで過ごした時間に着目した「'09 win. 明けましておめでとうございます。'10年は年男・草なぎ(注:原文は漢字)剛をよろしくね!」だった。外山さんが朗読した直後、稲垣さんは「アイドルのエッセイだね」と笑っていた。そのときお財布を忘れて、稲垣さんに買ってもらったというジーンズも持参し、そのあとの趣味のジーンズの話題にもつながりやすい一編だったのだろう。


もう一編は、「'14 spr. 僕らSMAPの未来は中居くんにかかってる!」から、結婚観の箇所を稲垣さんが朗読したが、これは朗読直後、草なぎさんがすぐに「いつだろう。これちょっと前なのかなぁ」「なんか、また考え変わってくるね」と発言していたことから、今現在の心境とは少し違うようだったが、そこから稲垣さんと結婚観の話が膨らんで、それもまた面白い場面になったと思う。


自分としては、草なぎさんの洞察力とか、豊かな感性を伝える文章がもっとあったのではという気持ちがなくもなかったが、結果的には番組が楽しかったこともあり、この2編で良かったのかとも思う。バラエティとしての話題の取り上げやすさや、話のふくらみからすると、稲垣さんとの関係性や恋愛観という話題だったからこそ、重くなりすぎず、ずっと笑顔のまま番組は進行したのだと思った。


これが、コンプレックスや、苦難を乗り越えたといった話や、特定のお芝居や番組といった話題、SMAP以外やタモリさん以外のかたが出てくる話を選んだら、番組はまた違ったものになっただろう。


チョイスされた朗読の箇所もそうだが、草なぎさんはこの書籍を買ってねとも、見てねとも発言していなくて、自著でありながら、がっつり宣伝をしないところも面白いなと思って見ていた。


私はときどき、あるジャンルのアーティストのかたのイベントのお手伝いをしていて、書籍販売を手伝うこともあるが、その際、著者や出版社のかたは一冊を売ることに必死となっている。その熱量が伝わってくるから、お手伝いするときもできるだけ一冊でも多く売れるように、できる限りの協力をする。


普段のゴロウデラックスに出演される作家さんは、新刊の場合はきっと、出版社のかたもスタジオにいるのではないかと推測するが、草なぎさんの場合はどうだったのだろう。ここまで宣伝しなくて大丈夫かと心配になってしまった。


が、草なぎさんは作家さんではないから「本は自分の生み出した子ども」とか、「寝食忘れて書いた」いう感じとはまた異なり、自分のアウトプットするものの一部、というように、ほどよく本との距離感もあるのだろう。また、著名人でもあることから、この一冊の印税が死活問題というわけでもない。


そう考えると、この本は、「過去、草なぎさんがたどった思考の一部」という、「アイドルのエッセイ」といったとらえ方でも、失礼にはならないのだろうなと、番組を観て思った。


なにより、ゴロウデラックスの草なぎさんを観て、愛情あふれるご本人の姿が伝わったことが、買ってねの言葉以上の宣伝効果があるんだろうなと思った。


それは、作家さんの書く、テーマ性や文体といった文字での個性の表現とは形は違うが、草なぎさんの笑顔やホスピタリティが伝わることが、何よりの宣伝なのかもしれないと思った。お人柄が伝わることで、書籍の文章を読みたいと思われるのがタレントさんの宣伝のスタイルとして、十分ありだなと思った。タレントさんって愛されることがお仕事なんだと改めて思い、書籍宣伝のアプローチにこういう形があるのかと発見できた気がする。人としての関心を持たれてこそ、本って読みたくなるものだということが。


今回、「ブックバラエティのゴロウデラックス」としては、斬新に見えた番組ではあったが、これもまた、本の宣伝の形であり、ゲストの登場の形なのだと思うと、草なぎさんのオリジナリティってすごいなと思わされた。


自由なようであり、きちんと場を盛り上げ、場を楽しんでいたからこそ、視聴者は草なぎさんに癒され、パーソナリティに関心を持ち、その結果、本を手にする人もいるのだろうと思う。


愛がぎゅうぎゅうに詰まった、いい回だったと本当に心から思う。本の出版をきっかけに番組に初登場し、本に書かれた数年間以上に濃厚で幸福感があふれる、今この時点での、草なぎさんと稲垣さんの笑顔が引き出された、素敵な時間だった。草なぎさんには、ぜひまた本を出版して、ゴロウデラックスに出演してほしいと思っている。


以下は、草なぎさん書籍の過去レビューです。よければ、合わせてお読みください。

Okiraku 2』の書籍レビュー

草なぎ剛さん著『Okiraku 2』での「和顔愛語」の精神

草なぎ剛さんの『Okiraku 2』での、お花の話題

草なぎ剛さんの『Okiraku 2』読了直後


Okiraku 2』以外の、草なぎさん書籍の過去レビュー

Okiraku』の草なぎ剛さんのプラスに転化させる言葉

『クサナギロン』の草なぎ剛さんの「はじめに」の言葉

『月の街 山の街』の草なぎ剛さんの「いい違和感」を伝える言葉


草なぎ剛さんの『これが僕です。』の言葉(1)で、おまえと呼ばれなくなった喜びを綴った、「おまえの痛み」。

草なぎ剛さんの『これが僕です。』の言葉(2)で、自信と不安の行きかう感情を書いた、「若者よ!」。

草なぎ剛さんの『これが僕です。』の言葉(3)で、断れない自分なりに、ここぞという時は意志をはっきり言ったほうがいいという、「”NO!”が言えない」。

草なぎ剛さんの『これが僕です。』の言葉(4)で、特技のバック転をコワイお兄ちゃんたちにからまれたときの魔法に使っていたという、「警察官は損をする」。

草なぎ剛さんの『これが僕です。』の言葉(5)で、捨て猫に接して「強く生きる」ことを考えた「目かくしをして正義を判断しろ」と、まえがきで「読み手側の感性に期待する」。

草なぎ剛さんの『これが僕です。』の言葉(6)で、スタッフの死を悼む思い、を取り上げた。


では、また。

2016-04-30

中居正広さんの「終活」番組での存在感

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こんにちは、検索迷子です。


土曜プレミアム・中居正広の「終活」ってなんなの?〜僕はこうして死にたい〜2016、を観たので、その感想を書こうと思う。


私は7か月くらい前からSMAPを話題にしたブログを書いているが、唯一、ブログタイトルに個人名をつけて感想を書いてこなかったのは、中居さんだけだった。これは、興味がないからということではなく、逆に、中居さんの多様性を一つの番組やシーンだけ切り出して、感想を書くことの難しさを感じていたからだ。


実際、ブログで話題にする前、Twitterもやっていなくて、一人だけでSMAPのことに関心を持ちネットで情報を閲覧していた時期は、ファンのかたのブログなどで、草なぎさんと中居さんの情報だけをずっとウォッチしていたくらい、中居さんの司会番組には注目していた。といっても、テレビをほとんど観ない自分は、中居さんの多数の番組を視聴することはなく、ネット情報で中居さんの活躍を知るのみで、ブログでわざわざ感想を書く日なんてこないと思っていた。


SMAP全員が出る番組を視聴するだけでも、中居さんのMCの素晴らしさは、いつか言葉にしたいと思うようにはなっていた。けれども、その凄さはもはや尊敬の域にあって、簡単に言葉にできそうにないと思っていた。


でも、そんな「書くことが難しい存在」の中居さんだが、一度どうしてもしっかりと敬意を書いておきたくて、最近ずっと、別テーマで書こうと考えていた。でも今日は、番組を視聴して、その準備中の話題とは別に、どうしても今一つ書きたくなったので書こうと思う。


終活」がリアリティを持つ、中居さんの経験談

私は中居さんのテレビ番組を、SMAPがゲストの時以外は、ほとんど観ないが、今日の「終活」は番組が始まる直前まで観ようかどうか、ぐだぐだと悩んでいた。理由はやはり、テーマの重さに自分の気持ちが耐えられるか、ということだった。


でも、観終えてみたいまは、観て良かったと思った。そう思わせてくれたのは、中居さんの司会の力だと思っている。中居さんは、重たいテーマも、軽やかに目の前に差し出してくれて、視聴者の感情の起伏の緩急を、ほどよくつけてくれる役割に徹してくれた。


話題の中核をしっかりととらえつつ、考えるべきところは考えさせてくれるところ、重たい話題のなかにも眉間にしわを寄せるだけでなく、笑いとして気持ちをふわっと軽くしてくれて、「重く考えすぎず、でも、しっかり考える」という気持ちにさせてくれた。


ご自身のお父様の話を織り交ぜつつ、各エピソードをうまく取り上げ、でも、どこも重くなりすぎず、過不足もなくそれぞれの話題に寄り添っていて、本当にバランス感覚のいい司会をされるなと思って見ていた。


番組中、番組後にも、では実際、自分は「終活」をどうしていくかと、手元に引き寄せさせてくれた気がする。二時間強の番組のなかで、泣き笑いしつつ、しっかりとテーマを植え付ける役割を果たした番組だと思った。


私は以前、いっとき仕事で「終活」に近いことをサポートするようなことをしていて、人の死に直面するかたたちと多く接したことがあった。勉強のために、「エンディングノート」を書くセミナーにも参加したことがあるし、「死」や「葬儀」や「遺品整理」といった言葉を毎日、ビジネスとして、むしろ感情を排して使っていた日常もあった。仕事として、医療現場に毎日通ってビジネスの話をしていたこともあるし、関係者にも話を聞くこともあった。


だから、こうした一般のかたが迂回したくなるような「死」を取り巻く話題を、体験をもって魂を込めて発する人や、できるだけその話題を避けようとする人、あるいは、ただの冠婚葬祭や供養業界ビジネスの一つの会話として日常語のように話す人の違いは、言葉のはしばしからその違いがわかるほうだと思っている。同じ「葬儀」という言葉を発する人でも、「死」への意識や、距離感の取り方は大きく違うのだ。


私がこの番組を観ようと思った理由は、中居さんがビジネスとして「終活」のテーマをドライにさばくのか、それともとことんまで寄り添っていくのか、その司会の方向性に興味があったからだ。


中居さんは昨年のこの番組の収録時、まさにお父様の看病のさなかで、お通夜の際がオンエアだったと言われていた。そして、一年後、またこのスペシャル番組の収録があり、この一年間、テレビでは語られなかったことをいくつもお話しされていた。


近親のかたの死を体験されたからというだけではなく、中居さんのお父様への関わりかたの深さや行動してきたことの数々は、この番組のMCに中居さんが適任であったと本当に思わされた。


中居さんが、単にゲストの方との会話や番組進行のスキルが高いから、司会がうまい、というだけではなく、ご自身の地に足がついた経験を惜しげもなく世の中のかたに伝えていく、そのリアリティを持った人間力があるからこそ、この番組のMCは中居さんにしか務まらなかっただろうと心から思えた。


愛を想い出を納棺するエピソード

なかでも、はっとしたエピソードは、香取さんの絵の納棺のお話しだった。これはSMAP同士の微笑ましいエピソードというよりも、棺に何を入れるのかという本質を、中居さんがきちんと理解しているような話として、好ましいと思った。


それは、入院中にお見舞いに来られた香取さんが、中居さんの写真(それを、紙にコラージュして?)とお父さんの絵を描いてくれた絵をプレゼントしてくださって、納棺の際にそれを「お父さんが喜ぶだろうと思って」と、香取さんの許可をとって棺に納めたというものだった。中居さんの直筆の手紙と、ほかにはいくつかの品々と、香取さんの絵を入れたのだろう。


棺に入れるものは実は、燃やせるものが前提のため、意外と納められるものが限定されてしまうが、天国まで持っていける数少ないもののなかに、香取さんの絵があったというのは素敵なお話だと思った。そして、ご遺骨と一緒となった香取さんの絵も収められた、骨壺をいくつもに分けて家のあちこちに置いているという。


近親が亡くなった際は、いかに闘病期間があったとしても、死を受け入れられず、悲しみに暮れて、いざ棺に何を収めるか冷静に考えが及ばないことがある。だから、中居さんが直筆の手紙を書いたというお話だけでも素晴らしいと思ったが、香取さんの絵を一緒にと思ったところが、さらに素敵だと思った。


棺とか骨壺というのは、とても身内感のあるものだ。そのなかに、中居さんが香取さんの絵を選んだということが、愛情を込めて絵を描いてくれた香取さんへの、中居さんからの感謝の気持ちや愛情でもあるように思える。中居さんへのお父様への愛情も、この絵にまつわる中居さんと、香取さんの魂のつながりのようなものも含めて、愛を棺に納めるということの本質がわかっていらっしゃるかたなんだなというのが、伝わっている。


そして、香取さんにとって絵を描いてプレゼントするということは、ご自分の一番大事な能力を使った、一番大きな愛情表現の一つでもあると思うのだ。唯一無二のものをプレゼントして、それを受け取ってもらえたことだけで嬉しかっただろうに、お父様と永遠に骨壺と一緒にいる絵になるなんて、灰となって美しき思い出のまま残るという素晴らしい贈り物だなと感動してしまった。


私はこのエピソードをこれほど長めに書いたが、番組ではさらりとワンシーンで終わっていた。でも、そこがまた、この番組が本来の主旨から脱線せずに、重すぎず、軽すぎず番組を進行している度合いがほどよい感じがした。


結果的に、中居さんはお仕事としても冷静に「終活」に向き合いつつ、近親者の死を経験した一人の人間としても番組に臨んでおられたと思う。司会という役割、近親者の死というどっちの立場も過剰にもならず、本当にバランスが良い司会をされていて、中居さんはこの番組の司会に適任だったと思った。


特に、司会として、「終活」をやらなきゃだめだよ、自分もこれからしっかりやるという宣言やスタンスではなく、フラットな立ち位置のままなのも好感を持てた。


昨年、同番組の司会をしてもなお、このことを忘れちゃったりとか、意識から遠ざかるとかいう一般のかたの目線のままで、だからこそ繰り返し伝えていくことの大事さを話していたが、番組のテーマについて押しつけがましくないのが、逆に印象に残った。だからこそ、繰り返し伝えていく役割として、中居さんには、またこの番組を続けてほしいと思った。


私たちは生きていくうえで、目を背けたい話題、できるだけ先送りしたい話題もいくつもある。でも、中居さんの司会によって、遠くにあったものが近くになり、直視できないものに視線を向けようと思うこともあるのだと、今回つくづく、中居さんという存在の大きさを実感させられた番組だった。


では、また。

ひろひろ 2016/05/01 12:49 以前 大阪の放送で徳光さん、石坂浩二さん、もうお一人大阪では司会者として有名な方のお三人の対談で、中居さんの司会に注目、真摯に取り組み素晴らしい、すでに自分のスタイルを確立している、と、誉めてくださっていたのですが、私には、専門家3人の語る、彼の独自のスタイルというのが、よくわからなかったのですが、貴方のこの文章で理解できました、有り難うございました。

kensakumaigokensakumaigo 2016/05/05 06:37 ひろさん

こんにちは、検索迷子です。コメントありがとうございます。
書いていただいた番組、動画などで少し拝見していました。
中居さんの司会には、いろんな素晴らしい面があると思います。ずっと言葉にしてみたいと思いながら、今回初めてチャレンジして書いてみました。
これからも、中居さんの素晴らしさを、また少しずつ表現していければと思います。
微力でもお力になれて本当にうれしいです。こちらこそ、ほめていただいてありがとうございました。

2016-04-28

草なぎ剛さん著『Okiraku 2』での「和顔愛語」の精神

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こんにちは、検索迷子です。


今日、ゴロウデラックスで、草なぎさんの『Okiraku 2』が課題図書となる。それで、少し時間が開いてしまったが、感想の続きを書こうと思う。


以前にも、少し感想めいたものを書いている。

草なぎ剛さんの『Okiraku 2』での、お花の話題

草なぎ剛さんの『Okiraku 2』読了直後

Okiraku 2

Okiraku 2

Okiraku 2 豪華特装版

Okiraku 2 豪華特装版


私は、書評を書くのが好きなのだが、同じ本を何度もレビューするというのはあまりしないが、この『Okiraku 2』は、タレントさんが出版した本というくくり以上の読み応えがあり、視点を変えて何度かレビューしたいと思っている。書いても書いても、もう一度紹介したいと切り口が出てくる。


今日、番組を視聴してから感想を書くのも面白そうだが、いったん、草なぎさんご自身の口からの感想を聞く前に、自分はこう思ったというのを記録しておきたい。ご本人の感想を聞くと、そこに引っ張られて、自分の素の感想が書きにくくなるかもしれないので、自分の思ったままを一度残したいと思う。


前回の感想ブログでも書いたが、私はこの本を3回通しで読んで、フセンを立てたり、ノートのメモをしながら読んだ。それから2週間近く経過してしまったが、ノートを見返してみて、改めて読みたてほやほやのそのときの殴り書きのような感想を、整理しておきたくなった。


「和顔愛語」にあふれる一冊

本書を読んですぐに思ったのは、人や物事を「リスペクト」する表現が多い本だなということだった。出会った人、仕事や物事、アイテムなど、そのときどきの自分と出会えたことに対する「感謝」の気持ちが、直接的な言葉としても間接的な表現としてもあふれていると思った。


そして、対象に対する「敬意」に包まれ、そこから「真摯に吸収」している草なぎさんがうかがい知れる。何にどのような状況で出会っても、それを取りこぼすことなく、どんな機会も自分の栄養にしているのだとわかる。

こんなに多忙で、こんなに変化が多く、たくさんの人と出会い、仕事の成果が絶えず求められるなかでも、決して一つ一つをおろそかにせず、自分に取り込む姿勢はとても素晴らしいことだと思う。


特に、本書で目を引いたのは、言葉そのものだ。

草なぎさんは、何かを批判するような言葉を使わない。ネガティブワードを使って何かを誇張するような、逆説的な言い回しすらしない。何かを落とすような言葉、気持ちが暗くなるような言葉が、本一冊まるまる出てこない。2007年から約9年分の記事をまとめた一冊が、ここまで美しい言葉で埋め尽くされているのは、それだけで驚く。


本書では、シンプルで、まっすぐな賛辞の言葉を惜しげもなく人に注がれている。過剰な形容詞すらつけない。だから余計に、そのシンプルな言葉が響いてくる。本書で取り上げられた話題となった、人や仕事や物事は、草なぎさんの言葉によって、より輝きを増すような存在に映る。人であれば会ってみたいと思うし、仕事であれば、その成果物に触れてみたいと思う。


本書の表現を見ながら、草なぎさんが発する言葉の根幹にあるものは何だろうと思っていた。それで、ふと、「和顔愛語」という仏教の言葉を思い出した。簡単に言うと、「穏やかな表情で、愛のある言葉を発する」ことだ。以下、言葉の意味をご参照ください。


国立国会図書館 レファレンス協同データベース

質問:「和顔愛語」の読み方、意味、出典が知りたい。

回答:

「和顔愛語」の読み方については(わがんあいご)と(わげんあいご)のふたつが確認できた。『岩波四字熟語辞典』によると、「【和顔愛語】わがんあいご:穏やかな顔つきとやさしい言葉遣いのこと。「和顔」は柔和な顔。温顔。「愛語」は愛情のこもった言葉。特に仏教で、菩薩が人々を導くために優しい言葉をかけることを言う。「和顔愛語」は仏教書に見られるが、「和顔」は仏教に限らずふつうに使われる。」とある。さらに、『広説佛教語大辞典下巻』では、「【和顔愛語】わげんあいご やわらかな顔色とやさしいことば。やわらいだ笑顔をし、親愛の情のこもったおだやかなことばをかわすこと。なごやかな顔、愛情あることばで人に接すること。

(後略)


草なぎさんが持つ空気感は、この「和顔愛語」にぴったりのような気がした。テレビで拝見する、ご本人そのものにもその雰囲気はあるが、書き言葉にもその空気がにじみ出ているところが、なによりも草なぎさんの素晴らしさだと思った。


私自身、書いている文章と、実際に会う自分とは少し違うと印象が違うと言われる。意図的ではなく無意識のものだが、それはタレントではないゆえ、匿名ブログゆえの、セルフコントロールのなさかもしれない。


草なぎさんの場合、ご本人と文章のギャップの少なさは、常に見られているというタレントさんの意識の高さからくるものかもしれないし、本当に裏表がない性格なのかもしれない。いずれにしても、本の言葉や行間にすら愛情の深さや柔和さを感じるというのは、本当に凄いことだと思っている。


自分自身への厳しさ

他者へは「和顔愛語」の精神で接している反面、草なぎさんはご自身には厳しい面を持つ言葉を使われている。内省的な表現、「ラクしてはいけない」という自らへの戒め、「何々になりたい」という決意、自分がどのように見られているのかという客観性、「緊張」への対処のしかたなど、冷静にご自分を見ているような表現が随所に見受けられる。


他者を責めない草なぎさんは、ご自分にはこうして、内面と向き合う時間を持ち、今後はこうしようと考える時間がたくさんあるのだと思うと、より、その内省の言葉に重みが増す。


環境や周囲のせいにせず、自己責任で物事を引き取ろうとする、その前向きな姿勢は、人として見習いたいと思わされる。


かといって、強い言葉で自分を責めるということではなく、ほどよく「弱み」を見せて、自分自身の葛藤も伝えている姿に、一人の人として共感できることも多く、自分もこうやって肩の力を抜きつつ、でも、タフに生きていく方向に昇華させたいなと思わされる。


SMAPで一番、5人という存在を語っているような一冊

私は本書を連載当時には一切読んでおらず、書籍化で初見の文章ばかりだったのだが、読了して、一番最初に衝撃を受けたのは、「草なぎさんがSMAPで一番、SMAPを語っている存在だったんだ」という事実だった。それも、テレビで観ているのとあまり差のないイメージで、メンバーへの思いや愛情ある言葉を綴っている。


これを連載で読んでこられたファンのかたたちに対して、ファンのかたはずっと草なぎさんに寄り添ってこられたんだと思った。そして、ファンのかたたちの後押しがあって、この連載は19年も続き、書籍化は2冊目となったのだと思った。


私は前書の『Okiraku』を読了したあと、いつかこの続きが書籍になるタイミングで、続きをまとめ読みをしようと思っていた。でも、今読み終えて見て、リアルタイムで読まなかったことを少し後悔した。


草なぎさんの素直な気持ちが綴られたこの言葉を、リアルタイムで読んでいたら、草なぎさんという人を信じて、応援したくなる気持ちがわかるなぁと思った。


メンバーに対する思い、ファンのかたに対する思い、仕事や関係者に対する思いを、逐一、連載の形で発信してもらい、ライムラグがあまりないなかで受け止めることが、どれだけファンとの絆を強めて、信頼関係を築いてきたのだろうと思うと、連載という場はとても大事で、かけがえのないコミュニケーションの場所なんだなと今回、あらためて連載があるってすごいことなんだと思った。


本書は、連載自体は15年秋のところで終わっているが、最後の「草なぎ剛ロングインタビュー」では、15年末の紅白にも触れられているし、脚注スマスマの紹介に「コップのツヨ子さん」の記載もあるから、年明けまで編集作業は行われていたのだろう。


年初の会見とのつながりがわかるような記載はないが、少なくとも、本書の内容をもっと早くに読んでいたら、私自身、あの会見の見方とか、SMAPに対してどう思うかという気持ちはもう少し違っていたような気がする。いろんな報道に振り回されたり、ざわざわするような気持ちがもう少し緩和されるような、信じられる言葉の根拠やベースがここにはたくさんあると思ったからだ。


もちろん草なぎさんがすべてを語っているわけではないが、なにか、草なぎさんの言葉を信じていたいと、思うゆるぎないものをくれるような一冊だと思えた。



まだ、本書のことは書ききれていない思いもあるが、今日はいったんここまでとしたい。



では、また。

2016-04-21

くまモンの生みの親、小山薫堂さんの『まってる。』

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こんにちは、検索迷子です。


放送作家脚本家であり、多彩な活動をされている、熊本県出身の小山薫堂さんが、被災地支援のWebページと、募金箱の開設を発表されたようだ。

小山薫堂さん、熊本支援ページ開設へ くまモン生みの親ー朝日新聞デジタル

熊本県出身の放送作家で、「くまモン」の生みの親の小山薫堂さんが、熊本地震被災地支援のため、「ヤフー!ジャパン」のサイト内に、「FOR KUMAMOTO PROJECT」のページを立ち上げると発表した。ページ上に「くまモン募金箱」を設け、支援金も募る。開設は25日の予定。


小山さんといえば、映画『おくりびと』、TV番組『料理の鉄人』など数多くの実績を残されているが、私は小山さんの発想が好きで、書籍も数冊読んできた。


なかでも、くまモンを生み出し、著作権を買い取って、商標権を使用許諾制にしたことによって認知度が高まっていったという、くまモンの広がるプロセスについてもとても興味を持っていて、柔軟な視点にはいつも驚かされる。この詳細は、小山さんの書籍でも見られるが、ネット記事もあったので、ご参考までに。

「くまモン」は私たちが育てました ゆるキャラを“売るキャラ”に変えた熊本県職員たちー日経ビジネスデジタル


小山さんが翻訳した絵本

今日は、そんな小山さんのお仕事のなかでも、私がとても好きな、小山さんが翻訳した絵本についてご紹介したい。なぜいま絵本? と思われるかもしれないが、何かこの絵本のなかのメッセージと、地震復興に思いをはせたとき、願いがリンクする絵本のような気持ちがしたからだ。


実は、3年前に一度このブログで紹介させていただいたが、一部を新たに書き換えて、再度紹介したいと思う。


『まってる。』、

デヴィッドカリ、セルジュブロック作、小山 薫堂(こやまくんどう)さん訳、千倉書房2006年11月刊。

まってる。

まってる。


若い女性と男性が、出会って、時に命が尽きて老いた家族と別れて、そして赤ちゃんの新しい命に出会うという、壮大な時間の流れを描いた絵本だ。絵本だから、とても薄い本なのに、人が人と出会って生きる、その一生を「赤い糸」がつながれた関係として、視覚的に表現した絵本だ。


待ってる、という気持ちの表現を、赤い刺繍糸を「待っているもの」の象徴として、絵の中に必ず埋め込み、sストーリーは展開していく。静かな絵本なのだが、赤い糸が本当に生きているかのような、生命力をもって表現されている。


赤い刺繍糸の使われ方がとても効果的で、そのときどきの人生のシーンでの、「待っている」ものが、誰にとっても、ああ、それわかるわかる、というものばかりでとても素敵な絵本だ。


いわゆる「運命の赤い糸」のような、わかりやすい使われ方だと、「運命がつながる日をまってる」の絵本のページがあり、そこでも当然、赤い糸を使っている。


人の一生には、これほど多くの待ってる、があり、数多くの出会いがあるのだと思った。


そして、なかには、待っていたくないけど、

命がそっと終わりを迎えるときなど、受け入れなければならないこともあると気づかされる。

それが、またせつなく、でも生きていればそういうときもあるのだろうと思わされた。


自分が待ってるものは何だろう。

あなたが待ってるものは何だろう。


不思議なことに、これを3年前に見たときは、恋愛的な要素が強い作品と受け取っていたような気がするが、いま見返してみると、生きるうえで必要なもの、待っているものって多様なんだと思うようになった。


それは、天災のない日々だったり、未来への希望だったり、何気ない毎日だったり、ただただ、身近な存在と笑い合えるだけの穏やかな時間だったり。


待っているものは来るだろうか。

でもたぶん、ただ待つだけではだめなような気もする。


待っていることって、受け身なことではなく、ものすごくエネルギーを持つ、実はとても自発的な行為なんだと思うようになってきた。待つ時間さえも、有意義に過ごしていないと、待っていることすら伝わらないのではないかと。


だから、待っていたいことがあるならば、行動しようと思う。

運命の赤い糸は、恋愛だけのものではなく、幸せをたぐりよせようと思う、その気持ち全体の象徴なのだろう。


待ってる。


赤い糸を切らさないよう、ぼんやりして赤い糸がかすまないよう、今できることを懸命にやる。


誰かが赤い糸を垂らしてくれるのを待つのではなく、赤い糸を自分から垂らしにいけるよう、赤い糸をしっかりとたぐりよせるパワーを切らさないよう、生きるということを大事にしようと思う。


まってる。

と言っていたいと思う。

まってる。と思えるものを失くしたくないと思う。


それが、誰かと自分を結ぶ、つながりの糸であり、待てるものがあることが、希望なのだから。待つもののある人生は幸せだと、この、まってる。は教えてくれる。


「まってる。」と言えるものがあり、待つことが今を照らす光となることも確かだが、よりアクティブに、待つ時間を生きて行こうと今、自分は思っている。


今晩、穏やかな眠りについて、明朝に眠りから覚めて、一日笑顔で生きられるよう、願いはそれほど大きくない。


でも、その時間こそ「まってる。」時間で、その時間こそ、かけがえのない、命の1ページ。


では、また。