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レイテ沖海戦

(社会)
れいておきかいせん

Battle for Leyte Gulf (米)

レイテ沖海戦とは(比島沖海戦とも)、1944年10月23日〜25日にかけてフィリピン周辺で行われた日米海軍の戦闘。シブヤン海海戦、サマール島沖海戦、スリガオ海峡海戦、エンガノ岬沖海戦の4つの主要戦闘のことの総称。日本側作戦名は「捷一号作戦」、アメリカ側作戦名は「マスケティーア作戦」。
この戦いで日本連合艦隊は事実上壊滅した。
日本軍の作戦は、空母兵力はミッドウェー、マリアナの海戦で失ったので、空母を囮にしてまだ三隻しか失っていない戦艦群をレイテ湾に突入するという物だった。

戦況

1944年10月17日、米軍はフィリピン、スルアン島に上陸開始。日本軍、捷一号作戦発動。

18日、栗田中将指揮の主力部隊、日本軍第一遊撃部隊(戦艦7隻(大和、武蔵、長門、扶桑、山城、金剛、榛名)、重巡洋艦11隻(愛宕、高雄、摩耶、鳥海、妙高、羽黒、最上、鈴谷、熊野、利根、筑摩)、軽巡洋艦2隻(能代、矢矧)、駆逐艦19隻、旗艦重巡洋艦愛宕)、リンガ出撃。

19日、小沢中将指揮陽動部隊(囮部隊)の日本軍第三艦隊(正規空母1隻(瑞鶴)、改造空母3隻(千歳、千代田、瑞鳳)、航空戦艦2隻(伊勢、日向)、軽巡洋艦3隻(多摩、五十鈴、大淀)、駆逐艦8隻、旗艦航空母艦瑞鶴)、瀬戸内海出撃。

20日、第一遊撃部隊、ブルネイに到着、補給を受ける。

21日、志摩中将指揮の第二遊撃部隊(重巡洋艦2隻(那智、足柄)、軽巡洋艦1隻(阿武隈)、駆逐艦7隻、旗艦重巡洋艦那智)、馬公出撃。

22日、第一遊撃部隊の栗田中将指揮下第一、第二部隊(第一部隊戦艦3隻(大和、武蔵、長門)、重巡洋艦6隻(愛宕、高雄、摩耶、鳥海、妙高、羽黒)、軽巡洋艦1隻(能代)、駆逐艦9隻、旗艦重巡洋艦愛宕、第二部隊戦艦2隻(金剛、榛名)、重巡洋艦4隻(熊野、鈴谷、利根、筑摩)、軽巡洋艦1隻(矢矧)、駆逐艦6隻、旗艦戦艦金剛)がブルネイ出撃、シブヤン海を通りレイテ湾を目指す。遅れて西村中将指揮下第三部隊(戦艦2隻(山城、扶桑)、重巡洋艦1隻(最上)、駆逐艦4隻、旗艦戦艦山城)が出撃、スリガオ海峡経由でレイテ湾を目指す。

23日、パラワン水道通過中の第一遊撃部隊第一、第二部隊が米潜水艦「ダーター」に発見され、報告された。さらに「ダーター」の雷撃で旗艦でもある重巡洋艦「愛宕」が沈没、「高雄」も戦線離脱した。さらに潜水艦「デース」が重巡洋艦「摩耶」を雷撃、沈没した。これにより栗田中将は旗艦を戦艦「大和」に移した。しかし、日本軍は本格的戦闘の前に重巡洋艦を3隻も一挙に失ってしまった。

24日、シブヤン海を進撃中の第一遊撃部隊第一、第二部隊が米機動部隊の偵察機によって発見され、機動部隊の攻撃を受ける。(シブヤン海海戦)
第一次攻撃で戦艦「武蔵」、重巡「妙高」に魚雷が1本ずつ命中、重巡「妙高」は戦線離脱する。
第二次攻撃で戦艦「武蔵」に攻撃が集中、魚雷3本、爆弾2発が命中し、速力が低下する。
第三次攻撃で戦艦「武蔵」に魚雷5本、爆弾4発が命中し、速力がますます落ちてしまった。さらに戦艦「大和」にも爆弾1発が命中している。
第四次攻撃で戦艦「大和」に爆弾1発が命中した。
第五次攻撃でまたも戦艦「武蔵」に攻撃が集中、魚雷11本、爆弾10発を受けた。さらに戦艦「長門」に爆弾2発、重巡「利根」にも爆弾2発、さらに駆逐艦1隻にも爆弾1発が命中している。
魚雷をシブヤン海で21本も受けた戦艦「武蔵」は、四時間後に沈没した。この攻撃のあと、艦隊は反転した。
艦隊が攻撃を受けている中、支援に陸上基地から航空攻撃を行い、軽空母「プリンストン」を炎上させ、自沈させている。
さらに、第三艦隊も攻撃隊を出撃させ、攻撃を行ったが特に大きな戦果はなかった。ちなみにこの攻撃隊はそれぞれの母艦に戻らず、フィリピンの基地に帰還している。
米艦隊は第一遊撃部隊殲滅のため戦艦4を中核とした艦隊を編成したが、攻撃で壊滅と判断し、間髪おかず囮である第三艦隊を発見、主力と判断して空母攻撃隊をそちらに向けた。
第一遊撃部隊第一、第二部隊は再反転、再びレイテを目指した。
しかし、ハルゼー中将は全艦損傷した(と思っている)艦隊がサンベルナルジノ海峡に迫っても残存艦隊で対処できると思ったため、第三艦隊攻撃に向かった。

25日、第一、第二部隊が一時反転したため、ほぼ同時に突入する予定だった第三部隊が単独で突入することになった。しかし未明に第三部隊接近を米艦隊は探知、大艦隊(戦艦6、重巡4、軽巡4、駆逐艦26、魚雷艇39)を迎撃に向けた。(スリガオ海峡海戦)
第三部隊は駆逐艦の襲撃を受け、早々に戦艦「扶桑」が魚雷4本を受け弾薬個に引火、真っ二つに折れて爆沈した。生存者は1人もいなかった。さらに、駆逐艦1隻も轟沈、他に2隻が被雷、航行不能となり、その後2隻とも轟沈した。
この攻撃で一気に第三部隊は3隻(戦艦山城、重巡最上、駆逐艦時雨)になってしまったがなおも進撃した。
その後、米戦艦、巡洋艦群から砲撃を受け、戦艦「山城」、重巡「最上」が大破、炎上してしまう。その後「山城」は駆逐艦から魚雷を受け沈没。最後尾の駆逐艦「時雨」は反転した。
その後第二遊撃部隊が到着した。しかし、魚雷艇の攻撃で軽巡「阿武隈」が小破する。
第二遊撃部隊は味方の惨状を見て、突入を断念した。しかしこの時、やられたとばかり思っていた第三部隊の重巡「最上」が実は微速で動いており、第二遊撃部隊の「那智」と衝突してしまう。
「最上」はその後空襲を受け、最終的に第二遊撃部隊の駆逐艦により処分された。
第三部隊は生存者がほとんどなかった。(米軍の救助を拒み、自決したり、島の現地民に殺害された)

同日、第三艦隊も発見され、米機動部隊の攻撃を受けた。(エンガノ岬沖海戦)
攻撃前に、艦隊直衛機以外を陸上基地に向け発進させた。
第一次攻撃で改造空母「千歳」と駆逐艦一隻が爆弾を被弾し沈没、軽巡「多摩」も魚雷1本被雷し大破、旗艦で唯一の大型空母でもある「瑞鶴」も被雷、速度低下し、さらに電文が発信できなくなった。
第二次攻撃で改造空母「千代田」が被爆、航行不能となった。さらにこの攻撃の後、空母「瑞鶴」から軽巡「大淀」に旗艦を変更し、「囮任務成功、艦隊に被害発生」と第一遊撃部隊と連合艦隊司令部に発信している。
第三次攻撃で正規空母「瑞鶴」と改造空母「瑞鳳」が被爆、被雷。ついに真珠湾以来の歴戦艦「瑞鶴」も沈没する。
第四次攻撃で改造空母「瑞鳳」も沈没した。
その後航行不能になっていた改造空母「千代田」も敵巡洋艦の攻撃を受け、沈没し、遂に第三艦隊は空母4隻が全滅してしまう。
その後、「千代田」の捜索を行っていた駆逐艦一隻が砲撃を受け沈んでいる。
大破した軽巡「多摩」はその後潜水艦「ジャラオ」によって沈められている。
空母沈没後は攻撃隊の空襲は航空戦艦「伊勢」、「日向」に集中したが特に被害はなかった。

同日、主力の第一遊撃部隊第一部隊、第二部隊が米護衛空母群を発見、これを米主力部隊と誤認し、総攻撃を仕掛けた。ちなみに戦艦「大和」「長門」「金剛」「榛名」が唯一敵艦に主砲を撃ったのはここである。(サマール島沖海戦)
しかし、護衛空母隊全力の抵抗により、戦果は空母1、駆逐艦3に留まった。逆に、日本の巡洋艦群が攻撃を受け、重巡「鈴谷」「筑摩」が沈没、「鳥海」が航行不能(のちに駆逐艦によって処分)、「羽黒」は2番主砲が吹き飛び、「熊野」も落伍した。
その後、再びレイテ湾に向かうが、なぜか突入を断念、敵機動部隊(誤報だった)に向け進撃してしまう。
その後、空襲で軽巡「能代」と駆逐艦3をうしなった。

28日、第一遊撃部隊第一、第二部隊はブルネイに入港した。

日本側の沈没艦

  • 戦艦

武蔵(24日、シブヤン海海戦)、山城(25日、スリガオ海峡海戦)、扶桑(25日、スリガオ海峡海戦)

  • 航空母艦

正規空母 瑞鶴(25日、エンガノ岬沖海戦)
改造空母 瑞鳳(25日、エンガノ岬沖海戦)、千歳(25日、エンガノ岬沖海戦)、千代田(25日、エンガノ岬沖海戦)

  • 重巡洋艦

愛宕(23日、パラワン水道)、摩耶(23日、パラワン水道)、最上(25日、スリガオ海峡海戦、自沈)、鈴谷(25日、サマール沖海戦)、筑摩(25日、サマール沖海戦)、鳥海(25日、サマール沖海戦、自沈)

  • 軽巡洋艦

多摩(25日、撤退中)、能代(25日、撤退中)

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