私にはすべてのキリスト者が、自分は新しく生まれた者であるとの信仰に生きて欲しいという願いがあります。それは言い換えると神の子にされていると信じることにつながります。キリスト者が神を天の父と仰ぎ、神の子として生きて欲しいです。 それを信じることを困難にさせるのが、実感です。自分が信仰を得て新しい人に生まれたという実感がないので、信じることにためらいを感じるのです。自分の心の有り様を思うとき、神の子にされているとは到底思えないのです。信仰を持つ以前の自分と今の自分がそんなに変わっているようにも思えないし、自分が新生したとは信じられない、そういうことがあります。 そこで私は思います。キリスト者は神を…