1960年生まれ。キーボード奏者。
つのだひろのバンド「ジャップスギャップ」にて若干19歳でデビュー。
1980年頃に井上陽水のバックバンドに起用され、以降、主にKITTY系の星勝や矢野誠セッションに数多く参加する。(上田正樹など)
また、板倉文やPINKのメンバーと、太田裕美などのアレンジや作曲を行うほか、越美晴や南佳孝、ちわきまゆみのユニットMenuのレコーデイングやライブに参加。
土屋昌己のレコーデイングに参加し、後に小比類巻かおるやGLAYの1STにも参加する事になる.
スタジオミュージシャンとしても引っ張りだこで安全地帯のサポートメンバーとなる。
1983年、京都のデイスコ、「クラブモダン」のスタッフを中心に結成されたニューウエーブバンド「EP-4」に加入。
独特な世界を持つシンガー、原マスミの1st&2ndアルバムをプロデユースし、「くじら」の1STアルバムに全面参加したほか、ニューウエーブ集団であったPINKやちわきまゆみのレコーデイングに参加。
1986年にはオムニバスアルバム『別天地』にピンクやキリングタイムのメンバーを迎え 自身のユニットUPLMで2曲参加。
PINKの矢壁アツノブとユニット”ドラムトラックス”を結成する。
手塚眞のプロデュースアルバム「ファンシイダンス」に参加。小川美潮のライブバンド”エウロパ”に約1年参加する。
板倉文、メッケン、青山純、矢壁アツノブとバンド”シンクロヘヴン”を結成、彼がドラマ『お茶の間』の音楽の一部を担当し、1曲、シンクロヘヴンの曲が収録される。
その他、参加レコーデング作品としては、中崎英也、倉本ひとみ、Dr.Tommy、白竜、窪田晴男、ZELDA、THE東西南北、谷山浩子、大沢誉志幸、三上博史、HALO、喜納友子、アマゾンズ、三波春夫、高橋洋子、ゴンチチ、溝口肇、戸田誠司、福岡ユタカ、玉置浩二などがある。
長年、井上陽水のレコーデイング、星勝セッションや板倉文の音楽制作に参加し続けるほか、織田哲郎らの「Don’t Look Back」や布袋寅泰、ウヨンタナのサポートを中心に活動。