仲井崇洋よりアメリカ留学のお知らせ

こんにちは。京都大学仲井崇洋です。
今日も、海外の名所巡りについてお話させていただきます。
今回お話するのはロマンティック街道について。
ロマンティック街道(ロマンティックかいどう、Romantische Straße、ロマンチック街道とも)は、ドイツのヴュルツブルクからフュッセンまでの366kmの街道ルートのことですね。ドイツでは、「観光街道」(ドイツ語表記では、Ferienstraße - 休暇街道。ドイツでは150以上のこうした観光コースが指定されている)として指定されているものの一つだそうです。ここでの街道とは、そのような1本の道があるというのではなく、ほぼ直線状に連なったドイツの観光名所を地図の上でつなげ、続けて観光するのに便利なように案内した順路のようなものとのこと。ロマンティック街道は街道沿いに点在する中世都市(ローテンブルク、ディンケルスビュールなど)や美しい城(ノイシュヴァンシュタイン城、ハールベルク城など)、宗教建築(ヴィュルツブルクの大司教館やヴィースの教会など)、工芸品(クレクリンゲンのマリア昇天の祭壇など)が点在し、フランケン・ワインやドナウ川のます料理など観光資源が豊富なルートで、最も人気の高い観光街道の一つとされているようですね。ロマンティック街道はローテンブルクでやはり人気の観光街道古城街道と交差するそうです。
移動には自転車、バス、マイカーなど多くの異なる可能性がこのルートにはあるそうですが、町々を観光する時間を取りながら運転される定期観光バスも運行されているようですね。一方、鉄道での移動はあまり便利ではないとのこと。
因みに「ロマンティック街道」という名称は、「ローマへの巡礼の道」の意味だそうです。もともとはローマ人たちによって作られた街道で、ローマへの道路網の一環として整備されたものとのこと。恋人たちの語らいのような「ロマンチック」からではないようですが、第二次大戦後、アメリカの将兵たちが家族とこの地方で盛んにバカンスを過ごしていたので、観光地として開発するために、この名でコースが設定されたんだとか。
ロマンティック街道、いいですね。
最後に皆さんにお知らせを。
今秋より、アメリカの大学に留学することになりました。
そのため本日を持ってこのブログは終了させていただきます。
今までありがとうございました。
それでは。京都大学の仲井崇洋でした。

エーランド島について!

こんにちは。京都大学仲井崇洋です。
今日は、エーランド島について調べてきました。
エーランド島(またはウーランドなど:Öland)は面積1,342km²のバルト海にあるスウェーデン領の島ですね。 スウェーデンで二番目に大きい島でもあるそうですが(一番目はゴットランド島)、スウェーデンの最も小さい地方でもあるそうです。島の住民の2万4628人の主な収入源は観光と農業だそう。主な都市は、ボリホルムというらしいですね。
エーランドでは、ステップとよく似ているアルヴァールという樹木のない大草原と砂浜が有名だそう。エーランド島南部の農業地は、世界遺産文化遺産)に登録されているみたいです。
スウェーデン本土とは、北欧で二番目に長い橋梁(6070m)を持つエーランド橋で対岸のカルマル市と通じているとのこと。
エーランド島、綺麗なところなのでいつかは行ってみたいんですよね。
では今日はこのへんで。京都大学の仲井崇洋でした。

バスティーユ牢獄について

京都大学仲井崇洋です。こんにちは。
今日もよろしくお願いします。
今回お話するのは、バスティーユ牢獄について。バスティーユ牢獄は、もともとは要塞で、シャルル5世の治世下に建てられ、フランス革命前には政治犯精神病者を収容した牢獄として使われていた旧体制(アンシャン・レジーム)支配の象徴とされた建物だそうです。バスチーユの牢獄やバスティーユ監獄とも言うんだとか。またバスティーユ要塞とも日本では言われるそうですが、フランス語では「バスティーユ」だけで要塞の意味があるんだそう。
フランス革命が勃発したときに民衆の暴動により襲撃されたが、このときは武器を得る目的で襲撃したとも、レヴェイヨン事件の報復だったとも言われているそう。
ただし解放された囚人は7人(精神障害者2人、文書偽造犯4人、非行貴族1人)で、政治犯はいなかったそうです。
フランス国内に3箇所あった国立刑務所の一つで、パリの東側を守る要塞として1370年に建設されたとのこと。サン=タントワーヌ地区という場所にあるので、バスティーユ・サン=タントワーヌ(サン=タントワーヌ要塞の意味)とも言うんだそう。
中世のパリ市は全周を城壁で囲まれた城郭都市であり、バスティーユはその内郭の一つにあたるみたいですね。約30mの垂直の城壁と8基の塔を有し、周囲を堀で囲まれ、入口は2箇所の跳ね橋だけだったようです。その後、パリは人口が増加して城壁の外にも市街地が広がったことと、中世の構造物のためにバスティーユそのものが大砲の時代には軍事的価値を持たなくなったそうですが、この侵入が困難で出入口が制限される構造が刑務所に向いていると判断されたんだとか。
ここを国事犯の収容所としたのはルイ13世の宰相リシュリューで、これ以降バスティーユには国王が自由に発行できる「勅命逮捕状」によって捕らえられた者(主に謀反を起こそうとした高官たち)が収容されるようになったんだとか。
ルイ14世の時代に王政を批判した学者なども収容されるようになり、またこの頃から収容者の名前を公表しなくなったため、市民たちにいろいろと邪推されるようになったそう。
囚人がバスティーユに連行される際、馬車の窓にはカーテンがかけられ外から覗くことは不可能で、さらに出所する際には監獄内でのことは一切しゃべらないと宣誓させられたんだとか。また牢獄内では名を名乗ることは禁じられ「○○号室の囚人」と呼ばれていたみたいですね。
バスティーユは人間だけを収容するわけではなく、危険視された物は勅命逮捕状によっていかなる物でも収容されたそう。有名な例としては「百科全書」が押収保管された事があるみたいです。
1776年から最後の要塞の司令官はド・ローネー侯爵ベルナール・ルネ・ジュールダン・ド・ローネーだったそう。バスティーユ襲撃後、要塞は解体処分されたそうです。
では今日はこのへんで。京都大学の仲井崇洋でした!

メテオラ

みなさんこんにちは。
京都大学の仲井崇洋です!

今回はギリシャ世界遺産
メテオラをご紹介させていただこうと思います。


【メテオラ】
メテオラは、ギリシア北西部、セサリア(テッサリア)地方北端の奇岩群とその上に建設された修道院共同体、いわゆるメテオラ修道院群の総称である。その地形及びギリシア正教修道院文化の価値からユネスコ世界遺産(文化・自然複合遺産)に指定されている。その名はギリシア語で「中空の」を意味する「メテオロス」という言葉に由来している。
メテオラの険しい地形は、俗世との関わりを断ち祈りと瞑想に生きるキリスト教の修道士にとっては理想の環境と見なされ、9世紀には既に、この奇岩群に穿たれた洞穴や岩の裂け目に修道士が住み着いていた。この時代の修道士は現在のような修道院共同体を形成することはなく、単独で修行する隠修士が主流であった。

メテオラに修道院共同体が成立したのは、14世紀、セルビア王国がセサリア地方に勢力を拡大してくる時代であるといわれる。それまで東ローマ帝国修道院活動の中心を担っていたアトス山は、1346年にはセルビア領の中に組み込まれた。セルビア王ステファン・ウロシュ4世ドゥシャンはアソスの修道院に多大な保護を与え、その活動を奨励したが、当時の戦乱を避けて多くの修道士がアソスを出て南下し、メテオラに住み着いた。その一人が修道士アサナシオスで、彼はメテオラに主の変容(メタモルフォシス)修道院を創立した。アサナシオスはアトスに於ける修道院共同体の様式、いわゆるキノヴィオン(共住)を導入して修道院共同体の確立に努めた。これらに前後して、聖ニコラオス、聖ステファノスなどの修道院も創立されている。


ほんとに凄いところにある修道院です・・!
こちらの修道院も凄いのですが、周りの切り立った岩山がこちらの修道院の岩山よりも更に大きく小高くなっています・・・。日本では見られそうもない光景です。それらの風景も含めて圧巻です。


京都大学 仲井崇洋

タイについての話

京都大学の仲井崇洋です。

タイ王国、通称タイは、東南アジアに位置する立憲君主制国家です。
東にカンボジア、北にラオス、西にミャンマーアンダマン海があり、南はタイランド湾があります。
国土はインドシナ半島の中央部とマレー半島の北部に位置していて、首都はバンコクです。
京都大学仲井崇洋もいつか行ってみたいなぁ。
タイの民族国家成立以前、中国華南に住んでいたタイ民族は、インドシナ半島を南下して現在のタイの位置に定住するようになりました。
当時、タイには、モン族、クメール人が先住していたそうです。
タイ族による最初の国家とされるスコータイ王朝(1238年 - 1350年)は、インタラーティット王がモン族やアンコール王朝の支配を退け成立したとか。
タイ語のアルファベットであるタイ文字が完成したのは、3代目ラームカムヘーン大王の時代であると言われているそうです。



イグアスの滝

京都大学仲井崇洋です。こんにちは。
今回も海外の名所についてお話させていただきます。
今日お話するのはイグアスの滝について。イグアスの滝とは、南米大陸のアルゼンチンとブラジルの二国にまたがる、世界最大の滝ですね。イグアス(Iguazu)とは先住民のグアラニ族の言葉で大いなる水(Y Guazú)という意味だそうです。
イグアス滝は、イグアス川下流にあるようですね。この滝を含むブラジルのイグアス国立公園とアルゼンチンのイグアス国立公園は、ともにユネスコ世界遺産に登録されているとのこと。最大落差は80メートル以上。「悪魔の喉笛」(Garganta del Diablo)が有名な観光名所とされています。歩いても、船でも、ヘリコプターでも観光できるとのこと。
アメリカのルーズベルト大統領が夫妻で訪れた際、イグアスの滝を見た夫人が「かわいそうな私のナイアガラよ」と言った話は有名ですね。
イグアスの滝、写真で見るだけでも凄い迫力ですから、是非実際に見てみたいものです。
では今日はこのへんで。京都大学の仲井崇洋でした。

カナダのモントリオール・ノートルダム聖堂

今回京都大学の仲井崇洋が紹介するのは、カナダの観光地です。
特に気になるのがカナダのモントリオールですね。
よく名前は聞きますよね。
ノートルダム教会がやはり有名ですね。
同じ名前の教会は各地にあるようですが…
モントリオールノートルダム聖堂はカナダ、ケベック州モントリオールの歴史的地区にあるバシリカ式聖堂の名称です。
特に聖堂は、アルム広場に面し、モントリオール旧市街聖スルピス通りの一角にあり、ノートルダム通り西116番地に位置しています。
聖堂内部の教会は世界でも最も印象的なものの一つで、内観は壮大且つ色とりどりであり、天井部は濃い青色と金色の星で装飾され、その他の神聖な場所は青、空色、赤、紫、銀、金色といった多色の彩飾で施されているそうです。
更に、何百という入り組んだ木製の彫刻作品や複数の宗教的な彫像で埋め尽くされています。
教会には稀であるが、内陣の壁に沿って作られているステンドグラスの窓は聖書からではなく、モントリオールの宗教的歴史からの場面を描写したものだそうですよ。
京都大学仲井崇洋も見てみたいです。
また、内部にはカナダにあるカサバン・フレール社のカナダ製パイプ・オルガンは、7000本ものパイプを使用しているそうです。