今日は休日
テレビにやっと DVD player を接続した。
X.org の upgrade の続き
諸般の事情で upgrade 途中で強制終了してしまい、 再起動すると(予定通り) X なし環境へ直行してしまった。
全 upgrade はやめにして、 X だけまず上げようと予定変更。 入ったと思って startx するも module がないと文句を言われる。 新しい置き場所は /usr/local/lib/xorg/modules になってた。 (単純に X11R6->local ではダメ。) そうしても、何故か i810 はもちろん kbd や mouse まで無い。 おかしいと思ったら top level の meta-port である x11/xorg が入っていなかった。
これを入れたらとりあえず X が戻って来た。 とりあえず、必要そうなものは全部動くようなので、 以後の upgrade はボチボチ行こう。
「気象観測用気球:風に強い翼形開発 京大チーム」@mainichi
yahoo newsから。
「だから何だ」という人もきっと居るんだろうけれど、 実際にブツを作ってしまう所がすごいと思う、酒井さん。 遥か昔、京大の人環に居たころのセミナーで、 地球気象のモデルとして回転系の流動挙動を実際に「見る」ために、 回転台に実験系を乗せて回して観測したビデオが記憶に残っている。
8/14/2008: ニュースに取り上げられる研究について、あれこれ。
シュレーディンガーに引っかかる
ふと本棚に並んでた岩波文庫を手にして、朝永振一郎の以下のフレーズに目が止まる。シュレーディンガーは個性の強い学者である。 マトリックス力学の大うずにまき込まれずにこの人一人がドゥ・ブロイの仕事に深く注目した。 そして、物質波に対する波動方程式を作り上げ、それを解くことによって量子の問題に 答えが与えられることを示した。
「量子力学と私」の中の「物理学界四半世紀の素描」から。 (cf.10/11/2000)
その後、しばらくして、別の場所に常備してある文庫本を手にして、 松岡正剛の以下のフレーズに、やっぱりそうなのかと思う。シュレーディンガーはこのほぼ中間にあって、ほとんどその姿勢をくずさなかった 稀有の科学者だった。
えっと、それだけ。
サマリー:「遊学」
「帰りのバスで「グーグル八分とは何か」(吉本敏洋著)を読了。」@fujimoto
google八分の話。繰り返されるこの辺りのネタに、 「じゃあどうするか」という部分の話は何故かあまり目にしない。 これも繰り返しだが、自衛手段としてはやっぱり、 自分が大切だと思うことには 自分でリンクを張っておく ことが一番確実な手だろう。 世間はどうも、その手間を掛けられないみたいだけど。
皆が、与えられたフレームワークの中でどうするかばかり言ってることに、 どうなってんだと思う。(中身読んでないけど、 チーズが消えたっていうタイトルの本のことをいつも連想する。) 無自覚に手足を縛られているってことなのだろうか。 自分も気づかない思考停止は沢山あるし、 岡本太郎の「自由に描くことが一番難しい」という話もそうだなと思ったし、 誰だったっけ(hiram bullock?)ジャズ奏者が学校で生徒にアドリブを教えるとき 一番大変なのは「イド・ロック」(だったっけ?うろ覚え…… 無意識に自分を縛る道徳的観念という感じかな) を解くことだと言ってた。 村上春樹の話だったか、学校(高校?)で制服を止めようという機会に対して、 やっぱり制服も良いとか言い出して、結局、目の前にやってきた自由を(自分以外の周囲が) 取ることをしないかったという話もあったな。 不自由は、ある人達にとっては居心地がいいものなのかもしれない。 何もやりたいことを持っていない、あるいはまだ見つけていない、 というよりも選択することが出来ない、そういう人達。
7/27/2008: 訃報: hiram bullock.
ネット・サービスを開発しようとする企業は、便利さを売ろうとしてるけど、 なんというか便利さってのは、やっぱりある部分の根源的な能力を損なっているという 要素があると思う。自転車に乗る人なら分かるだろうけど、 雨だからと2、3日バス通にしたり、車買って車通勤したりすると、 もう戻れなくなるって話。