修羅場の中でも支えの一つ、恩師のことば

修羅場の中でも支えの一つ、恩師のことば

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 青梅キリスト教会牧会から神学教育に専念する道半ばで、後ろの橋を断ち切った身に、思いもよらない経緯で、他に行くところがなくなり沖縄へ。
 その沖縄で20年の歩みの山場を目指し、教派や神学校に捉われず、群れの規約も無視し、強引に忍耐深く後任牧師を招き比類のない成功と誇る。
 やはりその誇りは逆転。思いもよらない経過で、首里福音教会での一切の立場はなくなり、20代から慣れ親しんできた来た制度教会の組織や経済からも全く切り離される修羅場。
 しkしその逆転がさらなる逆転を導く。組織から離れ予算がなくとも、なお祈る道は開かれている。
 「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい」(Ⅱテモテ4:2)、主の呼びかけは変わらず、応答あるのみ。
沖縄の主にある方々の歓送に送られ、25年振りに杖を突きつき関東へ。

修羅場通過の中で支えの一つ、名著に記された、「主において愛する兄弟、宮村さんに」・恩師のことば、感謝。

ドラムで福音提示

ドラムで福音提示
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高校同窓の祈りの交わりペンケン祈祷会のメンバー・ドラム市原康兄からのプレゼント・全曲が、「驚くばかりの恵み」を土台とした賛美歌。
市原兄の曲解説は、明快なの福音提示、感謝。

「雀の神父、神父の雀」

「雀の神父、神父の雀」
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恩師ペテロ・ネメシェギ神父同様、イエズス会の著者から、度重なる著書の贈呈。私は、「雀の神父、神父の雀」と呼んでいます、感謝。

「台風の神学」の試み 再録

「台風の神学」の試み 再録

現在、クリスチャントゥデイを通して、「聖書をメガネに」の営みを喜びに満たされ続けることが出来、感謝しています。
「聖書をメガネに」の自覚的思索を、「台風の神学」として沖縄でなしていた事実を大切にしたいと今考えています。
伊江島中高生キャンプで台風の神学への一歩−
 1996年8月18日、首里福音教会の『首里福音』477号)に、
「・・・伊江島中高生キャンプが台風12号の影響で15日(木)−17日(土)に延期されたことをめぐり、幾つかのことを考えされ教えられました。以前青梅キリスト教会でもみの木幼児園の運動会と雨の関係で教えられたことと重なります。しかしさらに沖縄では台風(石島英,『台風学のすすめ』、副題「沖縄からみた,台風自然と風土」)とのかかわりでどのように歩むべきか、年ごとの課題としてより連続性のある課題です。」と記しました。
 
実は、『台風学のすすめ』の著者石島英先生に著者紹介の欄に載せられていた現住所に、感謝の意を現したく以下の手紙を差し上げました。
 「拝啓.
   突然,お手紙いたします失礼をお許し下さい.
  私は,西原幸地に位置します首里福音教会の牧師です。
先週の主日礼拝において,貴書『台風学のすすめ』に言及、紹介させて頂きました。
天と地の創造者を信じる者として、沖縄で台風をどのように理解し日常生活で受けとめるかの課題について貴重な基礎的、実証的知識を与えてくださり心より感謝いたします。
感謝のしるしとして、幼児教育の責任を持っていた頃、雨の日の運動会をめぐり書きました一文を含む拙編書(『存在の喜び』)を同封いたします。ご笑納いただければ嬉しいです。
 ご研究の上に祝福がありますように.
      1996年8月23日 宮村 武夫
 石島 英先生 」 
ところが石島先生から、お忙しい中以下のお便りを頂きました。
「宮村武夫様
 先日は、御書『存在の喜び』をいただき感謝しております。福音教会の牧師をされつつ幼児園の責任者としても永く尽くされた御経験の上に書かれたようで、宮村さんの人間論、教育論が伝わってくるのを感じます。
 拙書『台風学のすすめ』を読まれ、ご利用下さり有難うございました。台風を沖縄特有の自然環境の一つとして真剣に位置づけてみたいと思い取り組んでみました。当本が御目にとまり御紹介いただいたこと光栄に存じます。
貴殿の御多幸,御活躍を祈ります.
平成8年8月31日
石島 英 」
 このお便りを頂き、台風についてさらに考えを重ねている中で、F,B.マイアー原著、小畑進編著、『きょうの祈り』の9月5日の祈りとして、
ナホム1章3節、「主の道はつむじ風とあらしの中にある」を引用して、以下のようにあるのに導かれ同じことばで祈りました。
「万軍の主なる神さま。
 嵐は乾いた大地と人々に、待望の水をたっぷりともたらし、木々か らは不要,無用の枝葉を取り去り、季節を移り変わらせます。
 嵐は一見、恐ろしく、災難のかたまりのように見えながら、その反面、他のまねすることのできない役割を果たしているのです。
 ナホムは、復讐の神、怒りの神、憤りの神を人々に指し示した雄偉(ゆうい)な預言者ですが、彼は、主は怒られるが、怒るのに遅いお方、それも、つむじ風と嵐の中にも道を用意しておられるお方と、誤つことなく神を見ていました。
いつも、そよ風の中で眠りこけ、順風に舵(かじ)をまかせている者に、旋風を見舞い、烈風を送って、ご自身をおそれさせるのはあなたです。このことで気づく幾つかのことを思い出して祈ります」。
 
この祈りは台風の神学に大切な方向を指し示すもので、ナホム書の学びを促すものです。
9月5日に先立ち、四国香川県の小畑先生からお便りを頂いたばかりでした。
「頌主.
  どこまでもどこまで行っても蝉しぐれ
  宮村先生!おくさま.思いがけない、ご丁重なおたより感謝します。
  渕上先生は心より敬愛し、お世話になりっぱなしです。またF一家のこと有難うございます.
  週報,首里福音で御教会のことを伺い,開成キリスト者では,『ああ,開成に行けばよかった』と,今になってうらやんでいます。伊江島は、戦争の惨劇のあとかたもなく、
なんと主僕高校の候補地ですか!五十一年たったのですね。
 当方,たった独りという重圧でおしつぶされそうですが、両目の手術を終えて、よく見えるようになりましたので、今度は危険も少なく、自転車をのりまわして、未踏の奥地まで入りこんでいます。
 人っ子一人見ぬ、山の道、川の道の中を走りながら、夢のようです。 ただ無用な活動でなく、結実を、結実を、と願っています.
  池戸(いけのべ)のしんぶんをお贈りします.
  よい秋の戦を!
1996年8月22日(木) 」 」 
沖縄の地での台風の神学は、各地のそれぞれの持ち場、立場で主なる神の恵みに応答すべく歩みを重ねている方々との主にある連帯の中で進められるのだと悟るのです。
上記の小畑先生のお便りは,以下のようなこちらからの手紙に対する間髪を入れない返信でした.
 「頌主.
  三月には、懐かしいお葉書を頂きました。直ちに返事を書くことができず、失礼しました。J.B.フィリプスが彼の自伝、『聖書翻訳者の成功と挫折』の中で明らかにしている病との、勿論、フィリプス先生と比較することなどできないのですが、それなりの戦いの中でした。  
小畑先生が四国の地で「激忙」の生活を送られている様子が目に浮かぶようです。四月に、丸亀聖書教会の渕上先生にお会いした際、小畑先生から電話を頂くのが楽しみなのだと話しておられました。小畑先生の激忙の内容が、一人ひとりに対する深いご配慮に根差すものであると教えられます。
私ども沖縄で十一度目の夏を迎えたことになります。この数年来、伊江島について祈らされ、考えさせられております。その小さな一歩として、伊江島でテントを張ってのキャンプを継続しています。将来は、独立学園、愛農高校、愛真高校の流れを継承しながら、それなりの歩みをなす伊江島主僕高校の幻を抱きながらです。
  高校生時代、主イエスとの出会いを経験し、主にある交わりを継続、さらにその広がりを味わうことを許された者として、中高生に主イエスの福音を伝えたいとの願いです。地域の牧師たちと一つ心になって働くことができる事を感謝しています。お祈りくださる小畑先生への感謝として、幾つか資料を同封させて頂きます.・・・
  小畑先生の尊いお働きが益々祝されますように。
    1996年8月20日 宮村武夫
小畑 進先生 」
8月15ー17日に延期した伊江島中高生キャンプに参加して驚いたのは、豪雪を思わせる一帯に積もる、浜辺から吹き寄せられた砂の量です。ダンプカーを先頭に懸命に清掃がなされる中、いつもに増してさっぱりとした海水の美しさに気がつきました。F牧師の話しでは、海辺の自然の力による海底の清掃は、台風がもたらす幾つかの恵みの一つとのこと。  
台風の神学は伊江島の現場で進められるべきと覚悟させられます。そしてその基盤は、1910年誕生の恩師渡邊公平が不自由の指先でお打ちになったワープロの手紙にと共にお送りくださった、『現代に生きるクリスチャンーカルウァンの思考に従ってー』にあることを感謝します。
「敬愛する友、宮村先生。
  この度は、お心尽くしの贈り物を頂き恐縮に存じます。去る15日入手し、18日礼拝後立ち寄った子供達に分け喜ばれました。それにもまして、長くお会いできないで忘れられてよいこの私に、このようにまでなさった先生のお心には感謝の思いで一杯でございます。
  常夏のような地におられる先生の前には、笑い話のようですが、内地の夏はこの数年、私には最も過ごし難い季節となってしまって何もできない調子になっているので先生には失礼していました。お許し下さい。
 けれども幸い調度ここに一冊の書(むしろパンフレットと言った方がいいかもしれません)で大会文書委員会の手によるものがあります ので、送らせて頂きます。実は長年の成果として神の「三一論性」に従っての啓示理解の『方法論』を打ち立てる試みをしたまでのことで恥ずかしいものです。お側に置いてくだされば幸いです。
   感謝して、主にある友へ
       1996年8月20日 渡邊公平 」
★渡邊公平先生からの学恩
 1961年4月、渡邊公平先生は、神戸改革派神学校から、日本クリスチャンカレッジへご転任。私どものクラスはそのとき4年生になったところで、1年間渡邊公平先生から組織神学と「神学と哲学」の授業を受ける恵みに預かりました。
最初の一年、渡邊先生はご家族を神戸に残られ単身赴任、学生寮の一室で生活なさいました。そのため毎晩のように先生を私は訪問、幼稚なしかしその当時の自分なりには真剣な課題をめぐり質問をなし、先生からも真剣なお答を受け、こうして生涯を貫く神学的基盤が据えられました。卒業後1年間は、週に一度埼玉の寄居から浜田山まで通い、ベルクワーのGeneral Revelationの通読を中心にご指導を受けたのです。
1963年から1967年の留学時代、渡邊先生が書き送ってくださった手紙の内7通が手元にあります。一通一通を味読し、生涯の恩師を偲びます。また様々な場での説教と講義、何よりも目の前のお一人お一人お一人との対話において、聖霊ご自身の導きによるしなやかな喜びを注ぎ続け、渡邊先生からの学恩に報いたいのです。

9月17日(日)ヨハネ8章の味い、その4 グレース宣教会東京チャペル主日礼拝宣教担当

9月17日(日)ヨハネ8章の味い、その4
グレース宣教会東京チャペル主日礼拝宣教担当

https://youtu.be/PaDcIB3q9wk
    ヨハネ8:6