倫理学者と哲学者

 哲生はトルストイの『戦争と平和』をファンタジーノベル『まわる神話』に書き変えようとしていた。哲生は学生の身でありながら小説家としてデビューし、長編小説を書くことを得意としていた。哲生は6畳間の安アパートで小説を書き、哲学者のジャック・バロンと友人であった。哲生は倫理学の博士号をとっており、倫理学者としても知られていた。『戦争と平和』は登場人物が多く、『まわる神話』として書くには多くの創作ノートを必要としていた。

 哲生にはトミコさんという編集者がおり、いつも難しいことをしゃべる哲生にトミコさんは困っていた。ジャック・バロンはフランス哲学とドイツ哲学を学びながら、哲生と同様に小説を書いていたので善きライバルでもあった。ジャック・バロンとはフランスのパリに暮らしていたために哲生は文通でやり取りをしていた。

 哲生はトミコさんと一緒に散歩することが多かった。しゃべりながら並木道を歩いていくのだった。ビジネスライクな話をする時もありながら、くだけたお笑いの話をしながら歩くこともあった。トミコさんは大学で英米文学を専攻して英米文学の翻訳の仕事をしながら日本の小説家を発掘するための編集の仕事をすることもあった。散歩中の話題のなかでその話がでてくることもあった。哲生は小説の創作の話はいっさいせずによもやま話や小説家になるまえのねじ工場での話をすることが多かった。ねじ工場ではねじがゆるまないようにチェックする機械の話をぽつり、ぽつりとはなしながら歩いていった。小説の中にその話をミステリーとして取り組むことも一度や二度ではなかった。ジャック・バロンとの出逢いはフランスのパリに哲生が遊学しているときに、
「きみは小話が好きか」
とジャック・バロンがCaféの席のとなりで勝手に小話をしはじめ哲学の話になってから交流を持つきっかけとなっていった。そのこともトミコさんと話をすることがあった。

 哲生が書く話には必ず龍が登場する。それは哲生自身が辰年であった、ということと無縁ではない。哲生が書く龍はつのが生えており、天空を自由自在にとびまわることができた。ジャック・バロンはその龍が大好きでイラストを書くこともあった。日常を淡々と描きながら龍を登場させること難しいことで高校生や中学生が龍に変身することもあった。龍は正義の象徴で激しい戦争を治めた。一見して無鉄砲な哲生の小説はフランスやロシアやドイツなど世界中で読み伝えられ、口承文学としても親しまれるようになっていった。

 しかし、『まわる神話』はなかなか完成のメドがたたなかった。

待たされる時間と待つ時間

 精神科の診察に又らされる3時間があっという間と感じる人は少ないと思う。
 そして、長い時間≪待った≫としてもそこから恵まれた時間はなかなか得られない。そこではみかけない人ばかりとみかける人がちらほら・・・・・。
待つ時間を愉しくすごすことによって≪待たされる時間≫を自己の意志で≪待つ時間≫にかえていけたらな、と思う。

語るって何だろう

 私は語ることが下手だ。そのために無意識下のしずさを大切にするようになっていった。人として持っているペンや腕時計はいったい何のための暗示なのだろうか、とか人がてくてくと歩いている靴音はいったい誰の靴音で誰が登場してくる暗示なのだろうかと首をかしげざるおえない。
 現在、私の持っている腕時計は壊れてしまい他者に時を問う日々が続いている。いや、そうではない、「語ること」が難しいほど伝えることが生易しいことではなくなる。そのために仲間やつれの何気ないひとこと、ひとことが重くなったり、人間関係に溝がうまれてくるのではあるまいか。

アリストテレスのpolitike について

 和辻哲郎は『人間の学としての倫理学』のなかで

 倫理学は単純にEthicsの同義語として通用している。人は倫理学の語義を問うに当たって、平然とethike,ethos,ehosというごときギリシア語の意味を取り扱い、何ら怪しむところがない。しかし我々の倫理学の概念は果たしてEthicsと相覆うものであろうか。我々はそれをEthicsという言葉の出場所であるギリシアにさかのぼって考えたいみたいと思う。
 アリストテレスは体系的なEthicsを書いた最初の人と言われている。Ethica Nicomacheaがそれである。しかしこのEthicaと呼ばれている著書はアリストテレス自身によってそのように命名せられたわけではない。彼がこの著書において取り扱うのはpolitikeなのである。バーネットによればpolitikeと区別してethikeを一つの学として立てるというような考えを立てるというような考えは、彼の著書には一つもない。アリストテレスはただ一つpolitikeを書いた。それを後の人がEthicaとpoliticaとの二つの書に分けたのである。もっとも、かく分けたこともゆえなきではない。Ethicaと呼ばれる部分とPoliticaと呼ばれる部分とは著作の年代を異にしており、外見上同一の著作の部分とは見られぬ。しかも内容から見れば、Ethicaはあらゆる点においてpoliticaを待望し、politicaはあらゆる点においてEthicaを前提としている。Ethicaは人にとっての善(よきこと)がいかにして実現せらるかを問う。その答えは統治によって性格が作り出され、性格によって人の善をなす活動が可能になる、ということである。Politicaはこれを受けて統治や国家の制度のことを議論する。両者を通じて一つのmethodosが形作られている。この全体がアリストテレスにとってはpolitikeなのである。だから著者自身は、前半をethikeと呼ばないと同様に後半をもpolitikeと呼んではいない。それは大きい包括的なpolitikeの一部分たるperi politiasである。すなわちポリス的人間、もしくはポリス的組織に関する部分、にほかならないのである。
  
  
  和辻哲郎は政治と倫理を完全にべつものであるとは考えてはいない。なぜならばアリストテレス自身がそう考えているとギリシア語のなりたちから考察しているためである。倫理があって政治があり統治があると和辻哲郎アリストテレスを通して我々につたえようとしている。また、重要な文脈として以下の部分をあげる。

  そこで彼(アリストテレス)は人間の存在からその共同態の側面を捨象し、ただ動植物との区別においてのみあらわになるような人としての存在を問題とした。「人」の存在が「自然」の有と異なるのは、ロゴスによる実践としての人の働き(ergon)、あるいは活動(praxis)のゆえである。道徳はちょうどここに存する。人の善は「徳に合える心の働き」(pskhes energeia kat’areten)である。すなわち人が万物の霊として「秀でていること」(徳)に合うような心の働きである。Ethicsがその名を負うているethikeという形容詞も、人を自然物から区別する卓越性すなわち「徳」を形容するために用いれられている。ロゴスにもとづく徳は一方では知的(dianoetika)であり、他方では道徳的(ethika)であるが、人を自然から区別するのはまさにこのethikaという特性なのである。というのはethikaはethos(習慣)から導出せられた言葉であり、そうしてこの習慣なるものが自然物に欠けているちょうどそのものなのである。自然物は習慣によってその本性を変えはしない。石を幾千回投げても上へ動く習慣はつかぬ。しかるに人は習慣によってその本性を変える。習慣の結果として習性的(すなわち道徳的)の卓越性(すなわち徳)を作り出す。これが人の動物(たとえばチンパンジーや犬)と異なるゆえんであり、そうして道徳の領域なのである。

  習慣は人間としての徳をつくりあげると和辻哲郎アリストテレスの考えをとおしてのべている。動物と人間の違いは仲間をつくりあげる過程にあり、習慣にもとづいてその徳あるいは卓越性がかわっていくということである。
     石を幾千回投げても上へ動く習慣はつかぬ。
という言葉は習慣と徳が密接にむすびついている言葉だといえる。
 人間関係の場面でも習慣は人の徳をあらわしている。たばこを吸うことで人間関係が円滑になる人もいれば、お酒やコーヒーを飲むことで人間関係が円滑になる場合もある。コミュニケーションに関しては著者としては長きにわたって考察していきたいと思う。

小説を書くということはどういうことか

われわれはいつも神話を求めている。なぜならば、つぎからつぎへと繰り返される日常が、たいくつでツマンネー時をすごしているためだ。そうでない場合も多いが、ここでは省略することにする。「物語り」を書くときに一番難しいのは<自然な会話>と<自然描写>だとなにかの本に書いてあった。
 
 神話を個人で書くことはやさしいことではない。小説には世界観が確立しているものほど読者を惹きつける魅力がある。その世界観は作家自身の生きざまがにじみでていると善いと思われる。パウロイエス・キリストから口承伝承(口伝え)によって「福音書」を書いたのであるし、ソクラテスソクラテス自身著者はひとつものこしておらず、その言動をいわば口述筆記したのがプラトンの作品として今日までのこされている。

 しかし、今日の作家では一行目をかくことはとても難しい仕事であり、締め切りに書きあげるまでの精神的プレッシャーは筆舌に尽くしがたいことだろう。徹底したリアリズムで最後までおしきるか、あるいは綿密なプロットをもとに鉄鋼場の工事のように組み立てていくか作家の持ち味にわかれるが「期限までにしあげる」ことが作家の力量が問われるところである。

 そして、書く道具も問題になってくる。えんぴつかあるいは青ペンかそれともパソコンのワードで直接打ち込んでいくかタイプによって様々だろう。

 私は主として青ペンを使い、青ペンが無かったらえんぴつを使う。それら2つの道具がなければ私はなにも書かない。ここにも作家と呼ばれるひとびとのこだわりがありそうである。

語学ってなんだろう

東京の神田近くにある語学学校に行くと古典ギリシア語やラテン語やフランス語や英語を学ぶことができる。そのなかでもメジャーな古典ギリシア語に何回か通うことができると自然と仲間意識が生まれてくる。私は生来の怠け者なので必ず欠席をしてしまう。そして、本が好きなので古本屋街にいってお金と相談をしながら好きな本を買うのである。

 しかし、その本が自らの読解力と合っているとは思えない。半分見栄で本をどんどん買ってしまうので家族に大きな負担をかけていることは間違いないであろう。読解力の助けとなるように音読したら妹から罵声が飛んできたので私はいぶかしむしかなかった。世間では音読学習が脳に効果があり、妹自身も化学の勉強で「意味ずけ学習」でしゃべりまくっているのに、とよく考えたら夜眠る前だったのでしかたがない。
 
神田には古本屋街があり、それぞれの得意分野があるらしい。店のおやじやおねいさんに教えてもらって哲学・思想の専門の古本屋を歩いて探していく。これには想像を絶するほどの精神のエネルギーを使う。その精神のエネルギーが無駄ではないと神に祈り、仏に念じている。

 ちなみに今日は『存在と時間』の原書である“Sein und Zeit”を買いました。『独和中辞典』では歯がたたないので『独和大辞典』と首っ引きで読むことになりそうです。

日常

山田明又は小説家であったが、なかなかヒット作品を生み出すことができなかった。明又はショートショートを書くことを得意としていた。明又は哲学の教授をしており、生徒からささやかながらしたわれていた。

 しかし、山田明又には肺がんがありもう手遅れの状態で「書くことが生きること」をモットーにしていた明又は病院にいてもミステリや純文学まで幅広いジャンルの作品を書き続けていた。

 妻は大変心配していた。身体のことをかんがえると・・・・・・。いてもたってもいられない様子だった。それでも明又は書き続けた。
「ぼくは読者のためにかいているんだ」
それが病院での口癖だった。

 しかし書いても書いてもなかなか上手くいかないことが多かったのでイライラすることもあった。

(つづく)