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渋谷発、80年代サブカルチャーの源流


私はこれまでケラさんの話でしか知らなかった、ニューウェーブが生まれた渋谷のカフェ「ナイロン100%」について開店から閉店までが当時の関係者の証言により、詳細に書かれています。昔のロックやジャズ喫茶は暗くて格好を合わせないと怒られるみたいな感じだったそうだが、ナイロン100%は白を基調にした店内で明るく、入りやすかったのだそうです。78年から86年までありました。
初期からここに通っていた戸川純が見いだされてゲルニカが結成されたり、ヒカシューP-MODELがここでライブをしたそうです。またいくつものニューウェーブバンドがライブを行った。YMOがブレイクするのを横目で見ながらだったみたい。そのうちプラスティックスと「テクノポップ御三家」と言われるようになったあと、次第に収束していき初期に通ってた人からは、ニューウェーブはもう古いと思われていたそうです。そこにケラさんが出てきて、ニューウェーブ大好き、テクノポップは終わっちゃいないと、閉店後に忘れられていく中で看板を引き継ごうと、のちに劇団の名前を「ナイロン100℃」にしたのだそうです。
オーケンのインタビューでは、後期に空手バカボンが初ライブをした話(内田さんが法事で来られなかったってやつ)あと、店でのライブ写真はないが、資料として当時の写真提供が、本城さんだったという。わー。本城さんも行ったことがあるのかな?
なにしろオーケンがこの中では最も下の世代というから。ライブするのに宇宙戦艦ヤマトのサントラを飾ってたら店員にすごいイヤな顔をされたとか(笑)
だから、私からしたらだいぶ上の世代の話なんだよね。東京の若者が、親の出資でカフェ開いてそこに集まってきた人もほとんど東京の人だから、通えない地方の人には羨ましかったと思う。私が話聞いただけでもなんか憧れるなぁと思う。
今ならネット上ですぐに同じ趣味の仲間に出会えるし、こういう小さな空間のサロン的なものから、ムーブメントが生まれることはないだろうとオーケンは分析していた。戸川純さんについて話してたのも面白かった。当時のサブカル女子はみんな「戸川純病」で、戸川純になりきってたので、対応に困ったそうだ。


それなんかわかるなぁ(苦笑)こないだラジオのポッドキャストで聴いた吉田豪さんの話で「サブカル側の人」の特徴は、わざと変わったことをしたがったり、変わった人に見られたがったりすると言っていた。
私が戸川純さんを知ったのは、ソロでTVに出てた頃で、衝撃だったなぁーとともに憧れもあった。私は中学1年で、中2病みたいな、変わった人に見られたいけど、そうなれないのでコンプレックスがあった。
東京の学校に行ってたけど、ライブハウスは行ってないし、年上の人たちが集まる場所に出入りすることもなかった。そういう同級生もいたのかもしれないけど、知らなかった。女子校で、JUNEを回し読みしたりアニメの同人誌読んだり作ったり、音楽はTMネットワーク米米クラブと爆風スランプを聴いてたんだもん。当時インディーズブームがあったんだというのも、高校生になって、筋少ファンになって知ったことだった。だから何やってたんだろうなーとちょっと寂しく思った。