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kom’s log


- きみ、そこはきみの家ではないのだよ - ミラン・クンデラ


24-01-2007

本日のお仕事 本日のお仕事を含むブックマーク 本日のお仕事のブックマークコメント

  • 粒子物理で宇宙線のモンテカルロ・シミュレーションをやっているひととディスカッション。実は隣のマックスプランクにいる彼の専門のことはこれまで知らなかったのだが、たまたま最近判明してもりあがった。モンテカルロの並列化についていろいろおしえてみらう。今後お世話になるなあ。フォートランの方がCより速い、とかいっていた。ほんとかよ。
  • 所内報のエディターと打ち合わせ。昨晩ながながと書いた牛涎な文章を「エディットしたらOKね」とのことでありがたがってくれた。ほっとひといき。
  • 来月のミーティングのことで、パリ・エコール・デ・ミンの数理形態学センターのひとたちとメールやりとり。ヴィデオコンファレンスにしようということで、ビデオ参加したいというオックスフォードの支所に連絡。うちの部門のヘッドがゲストのメンツになんか妙にびびっているので、エコール・デ・ミンってなんじゃね、とフランス人ジェローム君に聴いたら、パリ・エコール・デ・ミン(パリ国立高等鉱業学校)はエコール・デ・ポン・ゼ・ショセ(パリ国立高等土木学校)とならんで、ポリテクニーク出身者の進学先なのだそうである。ということはフレンチのエスタブリッシュメントを形成するひとたち。なるほど。なんでまた鉱山に橋に道路なのか、ミンにポンかよと思ってさらにジェローム君にきいたらナポレオン以来の伝統で名前を変えていないそうである。以下参照。

 グラン・ゼコールとは、バカロレア(大学入学資格試験)を受けた受験者のうち、成績優秀者が準備学級で特別の教育を受けた後に進む高等教育機関のことをいう。つまり、パリ大学などの総合大学とは別に、少数精鋭のエリート教育をするところであり、社会ニーズに対応した実践的学問を学ぶ場所である。その教育の特徴はその淵源にある。

 最も古いグラン・ゼコールは、1747年に創設されたエコール・デ・ポン・ゼ・ショセ(土木学校)、次にナポレオンが学んだとされるエコール・ポリテクニーク(理工系大学校)、そして、1783年創立のエコール・サントラルがある。この学校からは、エッフェル塔の設計者であるギュスターブ・エッフェルやタイヤ・メーカーのミシュラン社の創設者ミシュランなどが出ている。

 これらの大学はフランスの工学教育の草分けとして創設され、科学技術の啓蒙と実践を結び付け、その後フランスを支える有数の工業人を輩出することになる。

古市文庫について

  • 大学の方から解析のことで質問。時間がないみたいなので、最低限なレベルで回答お返事。
  • 来月の講義のことでドラフトを書き始める。

・・・って、またぜんぜん自分の仕事がすすまなかった。この半年こんなのばっかりだから胃潰瘍になるのも不思議ではない。ヨノタメ、ヒトノタメ・・・・昨晩から抗生物質を飲みはじめた。経験上調子がわるくなるのは3日目あたりから。

戦争をしない国  戦争をしない国を含むブックマーク  戦争をしない国のブックマークコメント

インド人のポスドクと雑談をしていて、日本の改憲の話になった。憲法9条の武力を放棄、平和を希求ってのが今の総理大臣は気に食わないらしくてね、というのが私の簡単な説明だったのだが、そのインド人は第二次世界大戦を最後に日本は戦争をしない、って決めたっておもってたけどそれが変わるわけか、とこれまた簡単な感想を述べていた。日本が戦争をしないと決めている、という事実はおそらく日本人が思っているよりも世界的には結構有名な話である。タクシーでイラン人やパキスタン人の運転手と日本車の話をしていても(おそるべきことに車を持たぬ目下の生活だと週に5回はタクシーを使う)、戦争しないでいい車作って、日本は実にいい国だ、といわれたりする。外国人の日本の外交政策に関する印象はこの程度であるのだが、この単純さは実に明快でだからだれの頭にでも残るのだろう。”日本は戦争をしない”。実に明瞭な宣伝である。すくなくとも”美しい国”とは次元の違うレベルの訴求力だ。

たとえば、どこかの国で日本を説明しようとする。「日本は戦争をしない、戦争をしないと憲法で決めたんです」ということと「日本は美しい国です。四季があるんです」。どちらのほうが共感を得るだろうか。前者ならば「ああ、それはすばらしい。」と単純に共感してもらえるだろう。もうすこし複雑な反応があるとしても「難しいことですが、よいことですね」。となる。でも後者であれば「そうでしょうね。」でスルーだ。お世辞がつけば「一度いってみたいといつも思っています」。日本は美しいです、という説明はまさに人畜無害、対外的には意味がないし、メッセージもないからである。「戦争をしない」というのは私とあなたが国家の対立のもとで、殺しあうことはないという実に直裁で現実的なものすごいメッセージなのである。別の角度から言えば、「戦争をしない国」というのは国旗や国歌よりもはるかに具体的で強力な日本という国家のアイデンティティとして実効しているのだ。

私は護憲派ではない。改善するべきはさっさと変えればいいと思う。しかし一方で戦力を持たぬなんて机上の空論にすぎない、お子様の理想論だ、実際のところ米国の武力で代用していたではないか、なんてマッチョな議論がさかんな昨今である*1。でもこの内側で吹き上がっているマッチョとは逆に、日常レベルでの私の経験に照らせば「戦争をしない」という日本のイメージは実に有効なのだ。と常々思っているのだが*2、アフガニスタンで井戸を掘っている医師中村さんもつい最近同じことを言っている。Sight30号のインタビューを読めば分かるだろう(一部はこちらに引用されている)。また、今日見かけた記事でも、イラクに派遣されていた自衛隊士官が同じことを言っている。「戦争をしない国」というスローガンや、少なくともこの60年日本の兵士が海外にでかけて人を殺していないという事実はにこれまでの日本の実に強力な安全保障になってきた。付け加えればその経済効果がどれほどであったか、測定することができるならばどうにか示せないかとさえ思う。「役立たずの九条、理想論の九条」という考え方は妄想である。改憲するならばそのまえに甚大なるこの60年間の九条の対外効果を公正に判断する必要があまりにある。

*1:若者が自分のアパートの鏡のまえでいろいろポーズをとったり、服をとっかえひっかえためして「うーん、もうちょっとアグレッシブな雰囲気のほうがいいかな」なんてひとりごちながら髪を立てたり延々と試している様子を私は思い浮かべる。その前に街にでよ。ナンパのひとつでもせよ。でもなければ正しい自分を把握することは難しい。

*2:このことはかつてイラク戦争に自衛隊が派遣されたときにさんざん書いた

あんどれあんどれ 2007/01/24 12:56 細かい部分では差異はあるかもしれませんが、あなたの書かれていることに、同感します。60年もの間、よその国の人を殺すことも、殺されることも無かったという事実。この意味の大きさを、もっともっとたくさんの人に考えてほしいなと思います。

這いずる辞書這いずる辞書 2007/01/24 17:14 過剰な右傾化への歯止めとなる良いテキストでした。
美しい的な消極的ナルシズムよりも、こういった積極的なナルシズムに訴えかけて行くのが、間違いを起こさないための妙案かと思いました。

うりかねぐんうりかねぐん 2007/01/24 18:56 九条は基本的には変えなくていいと思ってます。
ただ、今のままでは自衛隊の人たちが宙ぶらりんでかわいそうです。憲法を変えるとすればそれ以外に動機はないです。自衛隊を救助隊に変更すれば九条は今のままでもいいのでは、なんてのは今時ナイーブすぎますか。

kmiurakmiura 2007/01/24 22:07 あんどれさん

賛同していただいてうれしいです。ただ、付け加えると上みたいにボールドに日本人はよその国の人間を殺していない、と書くと「間接的にころしている血にまみれた日本人であることを忘却するな」といった意見がでてきたりします。

這いずる辞書さん

フランスでいえば「自由・平等・博愛」にあたるようなアイデンティティとして日本は「戦争しない」でいけばいいと思います。ナルシズムというよりもアイデンティティのおとしどころ、ということではないでしょうか。

おれカネ先生

前首相が主張したように「戦地ではない」戦場にいくのだから軍と呼んではすくなくともだめですね。加えれば自衛隊の海外派遣というのは語義矛盾だし。私も名称をかえて役割を明確にしたらどうかと思う。世界を縦横に移動して災害地や戦場で被災民や難民の保護やサポートをする、というのはこりゃすごいですね。いわば国家レベルでの赤十字。この国を滅ぼすことは国際世論がゆるさん、ということになる。
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ついでにつけくわえると、目下の自民党プランの改憲案はかならずしも戦争をすることになるわけではない、というコメントがあるのですが、私はあくまでも対外的なイメージの話をしています。実際にするかどうか、ではない。「戦争をしない国」から「戦争ができる国」というイメージに変わる、ということが問題なのです。日本には電通のような優秀なマーケティング、イメージ戦略の会社があるけれど、ほぼ完全に内向きです。対外的な広告戦略をもうすこしまじめに考えたら「戦争をしない国」というメッセージの有効性をもっと明らかにできるのではないか。

coutrecoutre 2007/01/25 01:15 はじめまして。アイデンティティのおとしどころとしての「戦争をしない」というアイデア。これは本当に有効ですね。おじいさんやおばあさん世代に起こった、北東をはじめとするアジアでのことを「しっかりと引き受けつつ」、しっかりと生きたいところです。

ikeotoikeoto 2007/01/25 08:42 武器輸出3原則、久間防衛相が「緩和」を提唱(読売新聞)
このニュースだけでも悲しい。

うりかねぐんうりかねぐん 2007/01/25 11:45 たまたま読んだ今週のSPA!に掲載されていた漫画で、元防衛庁長官の石破茂(自民)が主張する「日本が核を持っても何のメリットもない」が、物凄く説得力がありました。主張のコアはkom氏と同じく「核を持つと対外イメージへの悪影響が大きすぎる」です。

hizzzhizzz 2007/01/25 13:29 「戦争放棄」経済効果は、朝鮮〜ベトナム特需で敗戦国としてはどこよりもいち早く戦後復興を遂げ、対米追随と戦後賠償代わりのバラマキODA外交のセットで礎を築いたということで明確でしょう。尚、インドや中近東や中央アジア等でイメージが良いのは「戦争しない」ではなく、日露戦争=西洋列強をやぶった非西洋文明人というイメージだったりします。事情を知らない他国の人の素朴な印象はどうであれ、その歴史が身にしみていれば「日本は戦争をしないから美しい国」とは東アジアで日本国民に属されるワタクシとしては口が裂けても申せませぬ。なんであれ、制度としての国が美学やアイデンティティを制定するのは、国家主義を助長する窮屈なものでしかないと思うのです。

kmiurakmiura 2007/01/26 01:15 coutreさん

はじめまして。私は過去の歴史はクールに受け入れる、一方で未来はオープン、という考え方です。たとえば中国人と日本人を両親に持つ人間はなにを「引き受ける」のか?そうした観点からすれば、歴史は人類の履歴としてうけいれる、ということになります。しっかりと生きる、の部分はまさに未来ですね。

iketoさん

あちゃ。これに乗じて、というまさに尻馬。ひでえな。

おれかね先生とhizzzさんには項をあらためてお返事します。

win-winwin-win 2007/01/26 16:40 憲法九条には1項と2項があり、おおまかにいって前者は不戦、後者は戦力の不保持を謳っています。
今議論されている改憲論では憲法九条のうち、2項についてのみ論じられており、1項をも改正すべきという政治家は与党野党共にいないはずです。

すなわち、改憲してもしなくても、「戦争をしない」という条文自体は変化ありません。

にもかかわらず『改憲することにより「戦争をしない国」でなくなる』と主張する事はミスリードではありませんか。
むしろ、日本が「戦争をしない国」であり続けるにもかかわらず、そうでないような印象を諸外国に与えてしまうような論調は、「この60年間の九条の対外効果」を自ずから損なう自殺行為になりはしないかと不安を覚えます。

改憲に反対するのであれば、「戦力を保持する」という点についてのみ論ずるべきではないでしょうか

kmiurakmiura 2007/01/26 19:18 他人はそんなフクザツに考えてくれないのです。

win-winwin-win 2007/01/27 00:40 どうせほっておいてもみんな誤解するんだから、先回りして積極的に誤解を振りまく行為は正当化されるとおっしゃりたいのでしょうか。

誤解があるのなら説得と実績によってそれを解くべきではありませんか。積極的に嘘をついてまで誤解を広めてどうするんですか。
好戦論者でもないのにわざわざ九条の「戦争をしない」という条文を貶めることに血道をあげて何がしたいんですか。本当は「戦争をしない」という一項の条文なんかどうでもよくて、二項の「戦力不保持」だけが大切だとでもおっしゃりたいのですか。

まったく理解に苦しみます。

kmiurakmiura 2007/01/27 01:32 win-winさん

ぶっきらぼうなお返事でお気にさわったようでもうしわけありませんでした。

>にもかかわらず『改憲することにより「戦争をしない国」でなくなる』
>と主張する事はミスリードではありませんか。

ミスリードというのは、発言するがわが聞いている側をミスリードする、ということなのですが、私が書いたのは、日本の改憲をどのようにうけとるか、ということです。これはミスリードではありません。説明が到達する不可能性、とでもいいましょうか。憲法学者なら詳しいことがきになるでしょうけれど、他国の改憲なんて、単純な形で受け取るのが通常の人間です。

>どうせほっておいてもみんな誤解するんだから、先回りして積極的に誤解を振りまく行為
>は正当化されるとおっしゃりたいのでしょうか。

たとえばwin-winさんはアメリカ合衆国の憲法で戦争に関してどのような規定があるか知っていますか?あるいはフランス、ドイツはどうでしょう。憲法がどうであるか、ということよりも実際になにをしているか、で判断をするのが他国の人間だと思ってください。しかしながら、海外のマスメディアは、改憲はこのところ著しい日本の右傾化が、改憲という形式にもあらわれた、戦争をする国になった、と解釈するでしょう。それを回避するには、国会での議論がまともであること、その結論の説明を明確に短いことばで政府が発信することが必要です。でも、「核武装論」がぶちあげられたり、というマッチョは目立ちますが、まともな議論は私はみかけない。つけくわえれば、日本の海外派兵はすでに起こりました。昨日はなしたフランス人の友人はこのことから「日本は戦争をするようになった」とこれまた単純に、日本がなにをしているか、という点から思っていた、といっていました。誤解を振りまくつもりは毛頭ありません。win-winさんの言う”誤解”はすでに流布しているのです。

>誤解があるのなら説得と実績によってそれを解くべきではありませんか。
>積極的に嘘をついてまで誤解を広めてどうするんですか。

海外派兵は明らかに違憲です。海外派兵できるように憲法を変える、あるいは集団的先制自衛権(=私にはそれは単に侵略としか思えません。)というのが自民党の改憲案です。これをもって「国を守るために武力を行使しているのだ」と説得するのは夜郎自大だと私は思います。