本日のお仕事

  • 粒子物理で宇宙線モンテカルロ・シミュレーションをやっているひととディスカッション。実は隣のマックスプランクにいる彼の専門のことはこれまで知らなかったのだが、たまたま最近判明してもりあがった。モンテカルロの並列化についていろいろおしえてみらう。今後お世話になるなあ。フォートランの方がCより速い、とかいっていた。ほんとかよ。
  • 所内報のエディターと打ち合わせ。昨晩ながながと書いた牛涎な文章を「エディットしたらOKね」とのことでありがたがってくれた。ほっとひといき。
  • 来月のミーティングのことで、パリ・エコール・デ・ミンの数理形態学センターのひとたちとメールやりとり。ヴィデオコンファレンスにしようということで、ビデオ参加したいというオックスフォードの支所に連絡。うちの部門のヘッドがゲストのメンツになんか妙にびびっているので、エコール・デ・ミンってなんじゃね、とフランス人ジェローム君に聴いたら、パリ・エコール・デ・ミン(パリ国立高等鉱業学校)はエコール・デ・ポン・ゼ・ショセ(パリ国立高等土木学校)とならんで、ポリテクニーク出身者の進学先なのだそうである。ということはフレンチのエスタブリッシュメントを形成するひとたち。なるほど。なんでまた鉱山に橋に道路なのか、ミンにポンかよと思ってさらにジェローム君にきいたらナポレオン以来の伝統で名前を変えていないそうである。以下参照。

 グラン・ゼコールとは、バカロレア(大学入学資格試験)を受けた受験者のうち、成績優秀者が準備学級で特別の教育を受けた後に進む高等教育機関のことをいう。つまり、パリ大学などの総合大学とは別に、少数精鋭のエリート教育をするところであり、社会ニーズに対応した実践的学問を学ぶ場所である。その教育の特徴はその淵源にある。
 最も古いグラン・ゼコールは、1747年に創設されたエコール・デ・ポン・ゼ・ショセ(土木学校)、次にナポレオンが学んだとされるエコール・ポリテクニーク(理工系大学校)、そして、1783年創立のエコール・サントラルがある。この学校からは、エッフェル塔の設計者であるギュスターブ・エッフェルやタイヤ・メーカーのミシュラン社の創設者ミシュランなどが出ている。
 これらの大学はフランスの工学教育の草分けとして創設され、科学技術の啓蒙と実践を結び付け、その後フランスを支える有数の工業人を輩出することになる。
古市文庫について

  • 大学の方から解析のことで質問。時間がないみたいなので、最低限なレベルで回答お返事。
  • 来月の講義のことでドラフトを書き始める。

・・・って、またぜんぜん自分の仕事がすすまなかった。この半年こんなのばっかりだから胃潰瘍になるのも不思議ではない。ヨノタメ、ヒトノタメ・・・・昨晩から抗生物質を飲みはじめた。経験上調子がわるくなるのは3日目あたりから。

戦争をしない国

インド人のポスドクと雑談をしていて、日本の改憲の話になった。憲法9条の武力を放棄、平和を希求ってのが今の総理大臣は気に食わないらしくてね、というのが私の簡単な説明だったのだが、そのインド人は第二次世界大戦を最後に日本は戦争をしない、って決めたっておもってたけどそれが変わるわけか、とこれまた簡単な感想を述べていた。日本が戦争をしないと決めている、という事実はおそらく日本人が思っているよりも世界的には結構有名な話である。タクシーでイラン人やパキスタン人の運転手と日本車の話をしていても(おそるべきことに車を持たぬ目下の生活だと週に5回はタクシーを使う)、戦争しないでいい車作って、日本は実にいい国だ、といわれたりする。外国人の日本の外交政策に関する印象はこの程度であるのだが、この単純さは実に明快でだからだれの頭にでも残るのだろう。”日本は戦争をしない”。実に明瞭な宣伝である。すくなくとも”美しい国”とは次元の違うレベルの訴求力だ。
たとえば、どこかの国で日本を説明しようとする。「日本は戦争をしない、戦争をしないと憲法で決めたんです」ということと「日本は美しい国です。四季があるんです」。どちらのほうが共感を得るだろうか。前者ならば「ああ、それはすばらしい。」と単純に共感してもらえるだろう。もうすこし複雑な反応があるとしても「難しいことですが、よいことですね」。となる。でも後者であれば「そうでしょうね。」でスルーだ。お世辞がつけば「一度いってみたいといつも思っています」。日本は美しいです、という説明はまさに人畜無害、対外的には意味がないし、メッセージもないからである。「戦争をしない」というのは私とあなたが国家の対立のもとで、殺しあうことはないという実に直裁で現実的なものすごいメッセージなのである。別の角度から言えば、「戦争をしない国」というのは国旗や国歌よりもはるかに具体的で強力な日本という国家のアイデンティティとして実効しているのだ。
私は護憲派ではない。改善するべきはさっさと変えればいいと思う。しかし一方で戦力を持たぬなんて机上の空論にすぎない、お子様の理想論だ、実際のところ米国の武力で代用していたではないか、なんてマッチョな議論がさかんな昨今である*1。でもこの内側で吹き上がっているマッチョとは逆に、日常レベルでの私の経験に照らせば「戦争をしない」という日本のイメージは実に有効なのだ。と常々思っているのだが*2アフガニスタンで井戸を掘っている医師中村さんもつい最近同じことを言っている。Sight30号のインタビューを読めば分かるだろう(一部はこちらに引用されている)。また、今日見かけた記事でも、イラクに派遣されていた自衛隊士官が同じことを言っている。「戦争をしない国」というスローガンや、少なくともこの60年日本の兵士が海外にでかけて人を殺していないという事実はにこれまでの日本の実に強力な安全保障になってきた。付け加えればその経済効果がどれほどであったか、測定することができるならばどうにか示せないかとさえ思う。「役立たずの九条、理想論の九条」という考え方は妄想である。改憲するならばそのまえに甚大なるこの60年間の九条の対外効果を公正に判断する必要があまりにある。

*1:若者が自分のアパートの鏡のまえでいろいろポーズをとったり、服をとっかえひっかえためして「うーん、もうちょっとアグレッシブな雰囲気のほうがいいかな」なんてひとりごちながら髪を立てたり延々と試している様子を私は思い浮かべる。その前に街にでよ。ナンパのひとつでもせよ。でもなければ正しい自分を把握することは難しい。

*2:このことはかつてイラク戦争自衛隊が派遣されたときにさんざん書いた