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2018-07-22

kohya_hibiki+spirituality2018-07-22

伊勢プリメリックエステート 〜 原始に戻る力 〜


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山の頂点には余計な装備を捨てれば捨てるほど到達し易い


人生においても余計な体験によるネガティブエネルギーという装備を棄てれば捨てるほど


Top of the Life に到達し易い


文明もまた余計な期間を捨て原始に戻れば戻るほど頂点に到達し易い


われわれ、東アジア歴史観は西洋のように決して直線的なものではない


円(縁)であり、丸(仏)であり、巡り(女神)でもある。


知性を捨て原始に戻ることによってわたしたち


Pre(以前)のmerry(陽気)な状態へと戻ることができる。


何かを得るのではなく、捨てることによって湧いてくる原始の感情



それが丸であり、女神でもあり、オモイカネの知性でもある。


トヨウケの保食(ウケモチ)とは


その捨つるエネルギーを受け止めてくれる偉大な存在



つまり



オモイカネとは私たちが心から重荷を降ろそうとした状態と意識のことを表しており



トヨウケとは



その重荷を受け止める場所も心の中に用意されているということを意味している。



なぜ外宮先拝なのか?ここにその理由がある。



つまり、宮川で禊、さらに二見興玉でも禊、をし神域の核に入る直前でも尚

外宮禊があるということである。



そこまでして到達したかった心の原子核、アマテラスとは一体どのような意識状態のことを意味しているのか?



荒御霊が瀬織津姫。これは祓戸の女神で出雲大社あるいは春日大社の入り口にも祀られている。



荒祭宮摂津廣田神社へと送られている。


これはつまり、兜(甲山)を脱いだ状態を神格化している。


これを表したのがカットリ(兜取り)→香取神社ということになる。

全国の香取神社を巡るとそのことがハッキリとわかるようになる。



つまり、兜を取り、劔を置く和平行為が日本の神社神道の目的なのである。



なぜわれわれの先祖が長い青銅器時代を続け、音(男・乙)の銅鐸を巨大化させていったのか


その理由は、全国の神社や伊勢の内宮にさえ散りばめられている。



武器を棄て、原始の純白な心(赤き心)で他民族と融和し大同団結する手段が示されている。



禊をして戦争に行く人はいない





赤ちゃん同士が戦争をするわけがない。


重い金(オモイカネ)を棄てることによってわたしたちは誰ひとり差別されることなく



和平へと向かえるのである。



身も心も軽くなれば私たちは平等に新たな知性を得る。



アダム(男)とイヴ(乙)の時代から


田 + 力 = 男 = タヂカラヲ = 音によって岩戸開き



心には50の鈴がある。



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2018-07-13

伊勢プリメリックエステートワークpre 〜 導光二人 〜


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今回は、参加者の方からオモイカネと豊受大神が重なるとの進言を頂いております。



何回目の伊勢か。毎年行っているような感じですが。



今回もまた違う大きな流れのボルテックス



これまで小さかった本質的な光が次々と有機的につながり大きなうねりになってきたことが実感できる巡り、そして導音、導光




知恵を司るオモイカネ命



私たちにとっての知性とは何か?



お金を稼いで裕福な生活をすることだろうか?



時間に追われないように裕福になることだろうか?



唯一の幸福論は不労所得を手に入れ、時間に余裕のある生活を実現することなのだろうか?



われわれの幸福論、もう一度考えてみる必要がある。



私たちが損得勘定を先鋭化させる中で失ってきた感覚。



本当は腹蔵なく本音で語らう友が欲しいだけなのに、なぜかその願いすら聞き入れられないむなしい社会



誰がこの社会を多様化し、人間関係を複雑化しているのか




画一化された価値観を信じられた時代は共有のスピードも範囲も広かった



しかし、今、私たちは多様な価値の世界へと投げ出された



何によって合意し、何によってアイデンティティを重ねるのか?



私たちはこの問いを左手に



そしてその解を右手に持ちまず伊勢へと向かうプロメテウス



答えの出ない旅路だからこそ共有できる価値がある



左手には知恵の神オモイカネを



右手にはウケモチの豊受を



アダムとイヴが禁断の果実を食べて”善悪の判断”を身に付けたというのなら





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2018-06-30

大和のキャプテンシー 〜 好むと好まざるとに関わらず 〜


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サッカーW杯での日本代表対ポーランド

残り10分間のパス回しが物議を醸している。




〆埜紊泙嚢兇瓩觧兩を崩さずに引き分けに持ち込む⇒正道



∈埜紊泙嚢兇瓩觧兩を崩さずに逆にカウンターで失点
もしくは警告をもらい僅差で決勝Tを逃す⇒華々しく散る



もし仮にパス回しをしなかった場合、上記2つのパターンが考えられるがFIFAランキング8位のポーランドと61位の日本が対等に戦えていること自体が不思議であるにも関わらず、残り10分で同点に追いつけるというのは、どう考えても過信ではないのかと考える。



つまり、日本には△硫據垢靴散るパターンかパス回しで狡猾に決勝Tに駒を進めるかの2つの選択肢しかなかったということである。



その2つの選択肢の中で△鯀択する人々は戦時中であれば”神風”を正当化していただろう。


外国人が日本代表に△魑瓩瓩襪里倭瓦異なるメンタリティーからである。当然、日本人に対する人種差別の意味合いがあるということは間違いがない。


それにプラス、日本人=サムライという認識も強い。その”サムライ”認識は、当然、《七人のサムライ》で描かれたサムライのことである。



つまり、外国人の日本人に対する評価はあまりあてにならないし、聞く必要がない。サムライには黒田官兵衛のような戦略家もいたし、織田信長のような残虐極まりない大陸の人物のような人間もいた。



サムライはフェアプレイをする、というのはあらかたステレオタイプでしかないことを認識する必要がある。



そして我々が、太平洋戦争の失敗の本質を知り、それを克服するとすれば”不用意な玉砕を抑制”するメンタリティを持つ必要がある。この点において、おおかた日本の論調は今のところ正しいかと思われる。


しかし、それが資本主義的損得勘定思考から出てきているのなら間違いである。


結果が全てだ、という考え方は、お金が全てだ、という考え方と同類項と思わなければならない。つまり、それは太平洋戦争の失敗の本質を克服してはいるが、戦後資本主義の限界からは脱却できていない。



この2つの点から、これからの日本人が持たなければならない認識というのは、結果もプロセスも重要だが、より重要な意味を持つのは結果である、という地点である。



これを資本主義に転写してみると、売り上げの拡大は重要だが、それがどのような拡大の構造を持っているかがもっと重要である、ということである。


ここにおける”拡大の構造”には、当然、地域への貢献や社会的意義も多分に含まれる。


これを端的に言ってしまえば『社会起業』という語に集約される。



日本人の不屈の闘志や長谷部に見えるキャプテンシーは、日本人にも気づかない究極の日本的真実である。


それを垣間見た外国人がポーランド戦で全く逆の日本人の狡猾さを見た時に必要以上に逆上するのは致し方ないことである。それは彼らが既に実質的な皇室と騎士道を失ってしまっている喪失感からくる羨望に似た眼差しを日本代表に照らし合わせていた事実をも物語る。



ポーランド戦のパス回しの賛否に一喜一憂している場合ではない。第二次世界大戦、戦後資本主義の亡霊を乗り越えるというのなら、少なくとも第一次世界大戦時、日英海軍が拠点を置いたマルタ島における日本人としてのキャプテンシーのようなものを取り戻さなくてはならない。




日本のサッカースタイルは欧州でも南米でも、ましてやアジアでもない。日本独自のものである。スタイルで言えば、日本は既に5大陸に属さない6大陸目のスタイルである。


明治近代国家成立以降、欧州・アメリカを踏襲してきたスタイルからも脱却しなければならない。既に働き方の革新、居住の仕方に関する革命、そして通貨や価値に対する変革。小さいながらも価値観の大地殻変動は起こっている。



あとはそれが蜘蛛の目のように広がり、一気に連鎖ドミノで裏返る。夜明けは近い。アンシャンレジームは一気に瓦解する。





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2018-06-23

kohya_hibiki+spirituality2018-06-23

AzutogaエナジェティックN酣係飢鶺 〜 われわれの中から戦争の原理を取り除く 〜


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前回のUPから震度5以上の地震を時系列に見ていくと



2018年5月25日 21時13分ごろ 2018年5月25日 21時19分 長野県北部 5.1 5強

2018年6月17日 15時27分ごろ 2018年6月17日 15時31分 群馬県南部 4.7 5弱

2018年6月18日 7時58分ごろ 2018年6月18日 8時07分 大阪府北部 5.9 6弱



その他、千葉東方沖のスロースリップが起こっている。




日本のどこに行ったら助かるだろうか?という質問があるとするならば、どこに行っても助からない、というのが結論。



以前から述べている通り、南海トラフ3連動地震は東日本大震災の十数倍から二十数倍の経済的ダメージを日本国に与える。その瞬間に日本経済は崩壊し、それにともなって食糧を家庭に供給しているサプライチェーンも崩壊する。


外国が助けてくれる、とか。日本人だったらすぐに復旧できる、とかの≪根拠のない希望的観測論≫、≪問題を直視できない優性思想≫ではなく神学的な意味合いを持ちだす。



今回の大阪北部地震の震源地は、今城塚古墳のすぐ近く。(2012年4月に継体天皇ワークをやった時にレポートしています



支配・抑圧的な大陸からの思想を前に私たち日本人は、どのように対処したか?




【将来の不安】



これを


個人レベルで分解すると⇒不安だから自分ではない他の誰かを変えたり、肩書や金銭という武器を持って将来の不安を消そうとする。⇒最も平和とされる日本人



国家レベルで分解すると⇒アメリカに侵略される不安があるから核を開発して攻撃するふりをしてアメリカから平和条約の譲歩を引き出す。⇒最も危険とされる北朝鮮



階層が異なっても、普通の日本人と北朝鮮のやってることは同じ《戦争》です。



日本人は、日本は平和だから、とか、日本人は平和ボケだから、とか言いますが、日本人ほど支配とか抑圧に対して無頓着な民族はいない。平和を標榜しているサラリーマンほど上記の”戦争”の原理を内部に秘めて、弱い人間を支配・抑圧している。



それが、いじめブラック企業社畜などの意味のない構造を生み出している。



スイスフランスでは、スカーフを巻いたイスラム教徒の友達を抑圧するようなことがない仕組みがある。それは20歳そこそこの若者が自分の言葉で”自由と民主主義がわれわれ祖国のルールだから”と語り、それがなぜなのかも語ります。)



つまり、日本国は本当の意味で戦争のない平和な国などではなく、戦争に巻き込まれれば、あっという間に普通の人が平気で殺人を犯してしまう殺人鬼に豹変してしまう国なのです。



それを辞めるたったひとつの方法は、嫌なことはしない、です。



我慢する、というメンタルに”一生懸命”という考え方が結合したら最悪です。一生懸命我慢する中で、支配・抑圧を受けますから、その抑圧から解放されれば、今度は自分が抑圧をする方に回ります。


これが「DVの連鎖」であり、戦争の原理の継承です。



薩摩長州が国家を作っていく前の日本はこういう日本ではありませんでした。


薩摩と長州の抑圧的な藩の内部構造とカトリックの女性蔑視などの差別的抑圧構造が明治国家の裏の構造となって日本の近代国家は造られてきました。



この構造を変えなければいけない。



これがこの大地殻変動に対する神学的メッセージです。



大企業に勤めなければいけない、国に奉仕しなければいけない、真面目に一生懸命に働かなければいけない、、、



これらは全て間違っているのです。


大企業というのは東京電力を筆頭に不正や不正義、言い訳の巣窟です。本当の日本人の大企業というのは、小さいながらも古き良き日本人のメンタルを守り続けている企業を指します。


そして


国に奉仕するというのはヒノモトの国に奉仕しなければいけません。古来より”水”を守り自然を尊崇してきた日本の国土をいとも簡単に破壊してきた政府が、日本人であるわけがありません。異国、異形のものたちです。支配・抑圧の戦争の原理を積極的に放出し、日本国を内部的に崩壊させようとしています。自然の中に身をおけば、如何に支配すること自体が馬鹿らしいかに気付きます。


そして


真面目に一生懸命に、というのは自分の才能に忠実に生きる、ということです。必要以上にお金を稼いだり、分不相応の地位を夢見たりするのは無意味です。

自分の天賦の才というものを直視し、過信もしなければ過小評価もしない。難しいことですが、戦前の日本人は普通にそういうことができていました。




そういうところに日本人が回帰しなければ日本人に明日はないどころか世界に明日はない、ということなのです。



現代日本が外国から尊敬の目で見られるのは、私たちの先祖が打建てたメンタルがあまりにも繊細で芸術的かつ強固であるからです。現代日本人はその恩恵に預かっているだけに過ぎません。先祖の偉業を取り除けば、現代日本人は本当に恥ずかしいメンタル状態です。



水を守るNPO活動を見て、”お金にならないくだらない活動”と馬鹿にしていた人間が、外国人が”その活動は素晴らしい”と言うと、手のひらを返したように”俺も仲間に加えてくれ”と言う。


このような無思想・無哲学・無教養な日本人がたくさんまわりにいます。こういう人間がまわりにたくさんいるということは日本全体として社会のレベルが非常に低いということです。これは一朝一夕に落ちぶれたわけではないですし、一朝一夕で成熟していくわけでもありません。



時間をかけて衰退してきて、時間をかけて活性化していきます。




本当の日本人というのは、支配・抑圧に対して非常に敏感であったと思います。なぜならば、自然の中に身をおけばそのような解釈はあまりにも馬鹿げているからです。自然に対して驚異的な洞察力を持っていた弥生時代の日本人。



古墳時代の日本人が支配・抑圧の帝国主義の国家を創ろうとしたはずはありません。



クニとは六合と書き、東西南北天地の6方向の重なる場所を意味しました。これはおそらく中国の思想であると思いますが、弥生・古墳時代を通してわれわれ日本人の中にもそのような思想があったと思います。


自分の立っている足元からクニ(六合)を開いていく、という。



どこに行っても地震から逃れられないのであれば、地震後の祖国、どういうものにしていきたいのか、を考えて現代社会に囚われずに今から行動していくのが、普通の理性的な行動であると思います。



縄文前期・中期の大地殻変動期を経ても我々日本人はこの地に脈々と生きているわけですから、日本人がこの地からいなくなるというのは考えにくい。ですから、われわれが祖国を失うというようなユダヤ人のような事態になるような不安は持たなくとも良い。


自分が死ぬかもしれない、という不安に対しても、結局、今生きている人間は遅かれ早かれ、いくら医療が発達したとしても150年後には皆、死んでいるわけですから、その不安も意味がない。



だとするならば、地震に対する不安の根拠というのはどこにも存在しないんですね。


不安があるとするならば、子供たちにこんなクソみたい国と日本人を残したくない、という不安だけです。



それに対する解はたったひとつ







祖国を創る




足元から




ヒノモトの原理で








D



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2018-05-13

kohya_hibiki+spirituality2018-05-13

Azutogaエナジェティック大山鳴動 〜 ササ・トト・カカ 〜


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5月12日10時36分震度5弱 
長野県北部 マグニチュード5.2 震源の深さ11km


大山鳴動 九頭竜動く


フォッサマグナと中央構造線の北限が重なる場所


それが戸隠安曇野



50Hzと60Hzを分かつのも糸魚川静岡構造線


周波数が異なれば熱量のタイミングと大きさも違う



我々を分けてきたものは周波数



信州はそのわれわれの周波数の違いをリセットしてくれるグラウンドゼロ地点



右と左に大きく羽根を広げた九頭竜大神は私たちの原始神





九頭竜⇒崩る⇒崩れる




崩れることは決して悪いことではない。



破壊と再生の神は、インドにおいてはシヴァ神という最高神を生み出し



日本ではククリ姫⇒11面観音という女神を生み出した。




九頭=葛=国津=国栖=土蜘蛛であり



私たちの本当の先祖



崩れることを敬い、再生を願った



熊野本宮「大斎原(おおゆのはら)」が3河川の合流地点にあったように



水の力が社殿を流すことを神の力の顕現と我々の先祖は認識した。



これと同じように地震の力も台風の風の力も水の力と同様に最高神の1柱として崇めた。



長野県松本市にもそのような川の合流地点がある。



そのすぐ近くには、八面大王のわさび農場がある。



ヤツラ(八面)やクズ(国津)などという蔑称をつけられたが本来は私たちの先祖である。



『 記・紀 』には、ヤマタノオロチや土蜘蛛、珍彦、ニシキトベなどの名前で登場する。



高知の斗賀野でも理解されるように戸隠のtogaは”尖る”という意味のようである。


そして戸隠のkushiは”串”であり、貫く、崩れるという意味のようである。



つまり、戸隠は奥社のご神体の岩場がその語源である可能性がかなり高い。



クシナダ姫などの女神もいるので同じ宗教意識から出てきた語である。



岩戸神話は後に持ち込まれ、”尖串”を屏風のような岩に見立て岩戸神話を付加したようである。いずれにしても私たちの先祖には違いはないが時系列的にはそうである。


しかし尖串を戸隠にしてしまう宗教意識には驚かされる。



戸をトと読ませるようになったのは、おそらく矢的ya-matoを山戸yama-toのような後ろ切りにして意味を変えるといったことをした時代のことであろうと思う。



ここで問題になってくるのは、ヤマト・トトヒ・モモソヒメの読み方である。



それと土方(ひじかた)に代表されるように土・泥をひじと発音していたこと


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