ゆとり世代のゆくえ

子供達の著しい学力低下により、ゆとり教育が全面的に見直されるそうですが、それではこの数年の間「ゆとり教育」を受けてきた子供達はどうなるのでしょうか?
きっと何年か後には、「ゆとり世代」と「それ以前・それ以後」と、一種の差別のようなものが出てくるような気がしてなりません。
それによって「ゆとり世代」は就職などに悪影響があるのは間違いないでしょう。
依然、現在の日本は欧米宜しく資本主義の競争社会ですが、その厳しい現実を子供等に教えずに、何故に義務教育の間だけ平等主義・共産主義的なシステムをとったのでしょうか?若者の引篭もりや働かないニート等社会不適格者が増えたのも、現実社会を教えてこなっかた学校教育が問題だと私は思っています。
一体、この誰もが「失敗する・後悔する」と予想していた「ゆとり教育」を立案まで持ち込んだ責任者は誰だったんでしょうか?

寺脇研」と答えるのが妥当だと思います。
『現代のエスプリ』11月号に、その寺脇研氏の文章が載っています。

つまりこの映画*1では、社会規範に忠実な生き方より、人生にゆとりや猶予を持ち込む生き方の方が肯定的に扱われているのである。高校二年生だったわたしは、親や教師といった大人達から当然のように示されていた高校→大学→就職の人生行程が絶対ではないことを知らされた気がした。ただ、ゆとりや猶予を持ち込む選択肢があり得るのを見て、まだそれを、自分にとってプラスになる変化だとは感じることができず、なにやら落ち着かぬ思いを抱いたことを憶えている。
「映画の中のモラトリアム青年」 寺脇研 『現代のエスプリ 460』2005

この、「自身のラ・サール時代のストイックな生活の中で見た映画に感動した」という超個人的な「なにやら落ち着かぬ思い」がのちに、

多くの子供達のとってそうであるように、私にとっても、父親は大きな<壁>でした。とにかく勉強しろ、の一点張りで共生され、自由な行動を許してもらえなかったのです。医者が世の中で一番偉い、という考え方や、そこから生まれる差別意識に、激しく反発を覚えたものです。
「結びにかえて―動き始めた教育改革の中で」寺脇研『動き始めた教育改革』1996

といった超個人的な「父親への反発」と相まって

ただ、父をそのような人間にしたのは、その時代の教育だったのです。昭和初期に九州の片田舎で育った父は、当時の教育システムにおける最優等生だったのだと思います。その意味で、過去の日本人が抱いていた考え方の典型なのかも知れません。学歴偏重主義をはじめとするあらゆる差別の根は、そこにこそあると思います。
同上

時流を見誤っているとしか言いようのない「教育改革」を志すキッカケとなり

今、私たちは、過去の考え方を乗り越えて教育改革をしようとしています。それは、ひとえに、時代を生きる子供達に、明るい展望をもってもらいたい、父の世代とは違う戦後の教育を受けた現・大人世代のつとめとして、自分たちの少年時代よりももっと楽しく心豊かな体験をしてもらいたい、と願っているからに他なりません。しかし、今の大人もつい、父の世代同様に子供を勉強に駆り立てていないでしょうか。
同上

それが広島県教育長〜文部省官僚といったキャリアの中で「ゆとり教育政策」として具体的に実践されていったというわけです。

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この人が広島県教育長だった時期、まさにその場で教育を受けてきた自分にとって、この『動き始めた教育改革』は今読むと本当に胸くそが悪くなります。*2「私は教育現場をこの目で見てきました!」とかいうことが自画自賛気味に書いてあるのがすげーイヤです。現状とは全く乖離してます。
何より腹が立つのは『現代のエスプリ』のクレジットで

てらわき・けん 映画評論家/日本大学芸術学部研究所教授[非常勤]

などという「ゆとり教育政策についてはもう清算したしー」といわんばかりの肩書きをつかっているということです。

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*1:『二人の恋人』

*2:当時から胸くそが悪かった私は半ば本気で「なんでこんな人が教育政策やってるんだよ!俺が行って駆逐してやる!」と教育学部(教員養成系ではないよ)を一時期目指したりしたものの、まぁ勉強もろくにしなかったので大学様に来るなと言われてしまって結局受かった文学部(の中でももっともモラトリアム色の強い学科)でくだらない考え事をしつつコンピュータを弄っているのが今、というのは余談。