私と夫は日本からアーニーのいるインドへ行った

私と夫は日本からアーニーのいるインドへ行った

{アーニーはパリでバスキングをしているとき、フ
 ランス人の女性から声を掛けられ、彼女に誘われ
 て彼女の家へ行った。彼女はアンヌマリーといっ
 てパリで成功したインテリア・デザイナーだった}

高尾慶子著『外国の男と結婚した日本の女たちの話』(67)

◆◇◆立ち読み◆◇◆

鈴木智彦『ヤクザと原発 福島第一潜入記』文藝春秋刊(98)

▼△第三章 フクシマ50が明かす「3・11」の死闘(4)△▼ ・1F(東京電力福島第一原発)行きを告げる電話・(その1)
「決まったって……原発行けるんですか?」
◆◇◆立ち読みのはしご◆◇◆

高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』(集英社新書)☆(63)

▼△第ニ章 犧牲のシステムとしての原発、再論 〈37〉△▼ ・原発は「核の潜在的抑止力・(その2)
原発の存在自体が「核の潜在的抑止力」になっていると石破氏

高尾慶子著『外国の男と結婚した日本の女たちの話』(67)

◇日本嫌いが日本のビジネスウーマンになった広子さん(54)◇ ・アーニーのが十七歳年上のアンヌマリーと結婚(その1)
私と夫は日本からアーニーのいるインドへ行った
《「 ◇Simon Richardson lighting the cauldron in Cardiff (Double gold-winning cyclist Simon Richardson lighting the cauldron at the lighting ceremony in front of the Paralympic Agitos outside Cardiff City Hall.) ◇ロンドン2012パラリンピック日本代表Official Site 私と夫は日本からインドへ行った。夫が話し てくれたには、アーニーはパリでバスキング をしているとき、フランス人の女性から声を 掛けられ、彼女に誘われて彼女の家へ行った。 彼女はアンヌマリーといって、パリで成功し たインテリア・デザイナーだった。当時で四 十五歳、アンヌマリーは離婚していて二十歳 になる娘が一人いた。 アーニーはパリでロンドンのときと同様、上 下のジーンズに肩までの髪を伸ばし、外観は うす汚いヒッピーに見えたが、なかなかきれ いな顔をしていた。黒に近い濃い茶色の髪、 とても暗いけど青い瞳、鼻の形も悪くなく、 どちらかというと美男であった。 アンヌマリーは、アーニーがアメリカ人とい うことに、多分、興味か関心があったのでは ないか。このとても暗い表情の若い男に、魅 かれるものがあったのだろう。二人は一緒に 暮らし始めた。 アーニーは長い広子さんとの暮らしの間に、 「結婚」ということを考えなかった。いや、 考えていたのかもしれないが、そういう話は 具体的に二人の間で一度もしていなかったよ うだ。 私は、でも、知っていた。アーニーが広子さ んに「結婚しよう」と正式に言ってくれるの を、広子さんは待っていたことを。 でもアーニーは言わなかった。そして、パリ で十七歳も年上の女性との「結婚」を実行し たアーニーに驚いた。 何がアーニーに「結婚」しようと決断させた のか。パリでの安住のためのヴィザのためか。 「結婚」したいほどアンヌマリーを愛したの か。とにかく、アーニーは十七歳年上の女性 と正式に「結婚」したのだ。 そして、アーニーの希望で、二人はインドは カルカッタに来て立派な高級の一軒家を借り て住んでいた。 」》 ◎俚諺で、「縁は異なもの味なもの」といい ますように、男女の仲は一筋縄ではいきませ ん。ここで、筆者は、“何がアーニーに「結 婚」しようと決断させたのか”と、やきもき と思案をめぐらしています。 私が想像するには、アンヌマリーの側に、い わゆる、芸術家の支援者としてのパトロン意 識がはたらいてたのではないかと思うます。 アーニーは「結婚」したのではなく「結婚」 させられたたのではないでしょうか。 西洋には、もともと、芸術家を支援するパト ロンという伝統があります。パトロン意識と 愛情のダブルパンチをくらったら、たいてい の男はイチコロでしょう。 パトロンは、ラテン語のパテル(pater、父) から派生した同じくラテン語のパトロヌス (patronus) に由来する言葉です。 パトロヌスとは、古代ローマで普及していた 私的な庇護関係(クリエンテラ、パトロキニ ウム)における保護者を指し、被保護者であ るクリエンテスとの関係は、一種の親子関係 にも擬せられた。パトロヌスはクリエンテス に対して法的、財政的、政治的援助を与える 存在であり、こうした役割からもっと一般的 に保護者を意味してパトロンが使われるよう になりました。 なーんて、綺麗事ではないかもしれません。 男の打算です。自分の芸の上達のためなら、 経済的援助を、愛情を装って、だまって受け 入れる、ということもありますね。 世間によくあることですが、無名時代の女性 の経済的サポートのお蔭で、世の出た芸術家 は少なくありせん。 以上、余計なお世話でした。 ☆ポンパドゥール夫人(モーリス・カンタン・ ド・ラ・トゥール、1755年、ルーヴル美術館蔵) ・ポンパドゥール夫人は、ルイ15世の公妾。 ポンパドゥール夫人は美貌ばかりでなく学芸 的な才能に恵まれ、サロンを開いてヴォルテ ールやディドロなどの啓蒙思想家と親交を結 び、芸術の熱心な愛好家、パトロンでもあり、 様々な芸術家とも交流しました。ポンパドゥ ール夫人の時代はフランスを中心に優雅なロ ココ様式の発達した時代でした。 (つづく) (1115dys-745ent) **『外国の男と結婚した日本の女たちの話』 単行本:222ページ 出版社:展望社 (2012/02) 《――英国から万感の思いを込めてレポートする―― Inter Marriage と 日本女性のメンタリティ。異国に あってこそわかる……「日本」のこころ。〈東日本大 震災〉をとおしていっそう深まった母国への「愛」。 東日本大震災福島原発事故の現状を知って以来、私 は自分自身ががいかに「日本人」として母国に愛着が あるか改めて思い起こし、「日本」を書こうと決意し た。もう経済大国でも何でもない母国日本が、今は愛 しいと感じるようになった》 〔表紙帯から〕 〔目次〕 ・マルキストエジプト人と結婚した明子さんの場合 ・ロンドン生まれの英国人と結婚した三千代さんの場合 ・日本嫌いが日本のビジネスウーマンになった広子さん   の場合 ・ジャマイカ人の男と結婚した友子さんの場合 〔著者〕 ☆高尾 慶子(たかお けいこ)☆ 1942年姫路市生まれ。私立播磨高校から調理師専門学校に 進む。カトリック系病院の調理師、カトリック系身体障害 児施設の職員を経て、1972年に英国へ。イギリス人音楽家 と結婚。1976年二人で帰国し京都で暮らす。1982年離婚。 1988年に再び英国へ。ロンドンの日本レストランのウェイ トレス、映画監督リドリー・スコット氏邸のハウスキーパ ーなどを経て、1998年『イギリス人はおかしい』を発表し、 注目を浴びる。現在は、英国政府から年金の給付を受けつ つ執筆活動に専念している 著書は『イギリス人はおかしい』『イギリス人はかなしい』 『イギリス人はしたたか』『まだまだ言うぞイギリス・ニ ッポン』『書かずに我慢できないイギリス・ニッポン』『イ ギリス・ニッポンの政治の品格』ほか。 外国の男と結婚した日本の女たちの話 参照: ・2009-11-30『まだまだ言うぞ イギリス・ニッポン』を読む2011-06-24『イギリス・ニッポン政治の品格 』(1)

高尾慶子著『外国の男と結婚した日本の女たちの話』(67)

◆◇◆立ち読み・坐り読み◆◇◆

鈴木智彦『ヤクザと原発 福島第一潜入記』文藝春秋刊(98)

《「原発はタブーの宝庫。だからオレらが儲かる!」   某地方の暴力団組長   −暴力団専門ライターが実際に動いたからこそ    書ける原発という巨大なシノギ−    「原発は儲かる。どでかいシノギだな。電力会社と交渉して、   ゼネコンと話付けて、地元の土建屋に仕事を振る。代紋な   しではとても捌ききれん。原発はタブーの宝庫。裏社会の   俺たちには、打ち出の小槌となるんだよ」。ヤクザが語る   衝撃の事実。日本最大のタブーがいま明かされる!   ―誰も書けなかった 命懸けの衝撃ノンフィクション―》   【表紙帯から】  ▼△第三章 フクシマ50が明かす「3・11」の死闘(4)△▼ ・1F(東京電力福島第一原発)行きを告げる電話・(その1)
「決まったって……原発行けるんですか?」
《「――この2社から内定を取り付ければ、すでに内定をくれたG社 を加え、三重の保険をかけたことになる。安堵してトイレに向かった。 用を足し終え、一服しようと思っていたら、タイミングよく携帯電話 が鳴った。G社への就職の世話してくれた紹介者からだ。 「決まったよ、1Fの責任者の携帯、メモできる?」 「決まったって……原発行けるんですか?」 「なに言ってんの? 仕事したいんでしょう。日本のために。一作業 員なんでしょう」。給料なんて要らないんでしょう?」 「そうです。今回は傍観者としてはなく、東京電力の顧客だった責任 をとるためにも……」 「けっこう無理して鈴木さん入れてもらうんだよね。働くの? 働か ないの? どっち?」 「働きます!」 「とにかく、俺じゃわかんないから、電話してくれる。番号は……」 ――」》 ヤクザと原発 福島第一潜入記文藝春秋 (2011/12/15) ・〈目次〉・ 序 章 ヤクザの告白「原発はどでかいシノギ」 →第1章 私はなぜ原発作業員となったのか 第2章 放射能vs.暴力団専門ライター 第3章 フクシマ50が明かす「3・11」の死闘 第4章 ついに潜入!1Fという修羅場 第5章 原発稼業の懲りない面々 終 章 「ヤクザと原発」の落とし前 ◎きょうの毎日新聞朝刊によれば、27日に出版された『証言 細野 豪志』(講談社)のなかで、細野豪志原発事故担当相が、使用済み核 燃料を再利用する核燃料サイクルに関して「技術は残し、世界に貢献 できる道を探るべきだ」と述べ、国が関与して技術を維持すべきだと の考えを示しているそうです。 まことに、ご立派なご意見ですが、その前にお尋ねしたい。  使用済み核燃料の処理法で、「直接処分」か「再処理」かの基本中の 基本の問題を先送りしておいて、世界に貢献したいなんて、日本国民 をバカにしていませんか。 お忘れではないでしょうが、使用済み核燃料を一時保管する全国各地 の使用済み燃料プールは、容量2万トンのうち1万2000トンまで 埋まっています(昨年月末時点)。 青森県六ケ所村の再処理工場にある燃料も貯蔵プールよい容量の9割 を超えています。 直近の問題さえも、解決しないで(“出来ず”ではありません、しな いだけです)、よくもまあ、世界貢献を云々できますね。呆れるぅー。 ◆◇◆立ち読みのはしご◆◇◆

高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』(集英社新書)☆(63)

《経済成長も安全保障も「犠牲」の上に成り立っている。  『靖国問題』以来、6年ぶりの書き下ろし新書!  本書のテーマは、犠牲のシステムとしての福島と沖縄  である。それは、一九四五年の敗戦以後、今日までの  日本を「戦後日本」と呼ぶなら、これら二つの地名が、  戦後日本の国家体制に組み込まれた二つの犠牲のシス  テムを表しているからだ。》【表紙帯から】 ▼△第ニ章 犧牲のシステムとしての原発、再論 〈37〉△▼ ・原発は「核の潜在的抑止力・(その2)
原発の存在自体が「核の潜在的抑止力」になっていると石破氏
《「――石破茂自民党政調会長は、フクシマ以後の脱原発の動き を牽制し、「原発を維持するということは、核兵器を作ろう思えば 一定期間のうちに作れるという「核の潜在的抑止力」になっている と思っています。 逆に言えば、原発をなくすということはその潜在的抑止力をも放棄 することになる、という点を問いたい」と明言した(『SAPIO』 二〇一一年一〇月五日号)。 原発の存在自体が「核の潜在的抑止力」になっていると、どのよう にして証明できるのか、「一定期間」の前に原発自体を核攻撃され たら何の「抑止力」にもならないではないか、等々、すぐにいくつ もの疑問が湧いてくるが、ここではその議論には立ち入らない。 確認したいのは、日本の原発を推進してきた政治勢力の中に、「核 の軍事利用」への絶ちがたい欲望が存在するということである。 ヒロシマの犧牲、ナガサキの犧牲、そして、フクシマの犧牲の後に、 日本の核武装など、とうてい認めるわけにはいかないと私は考えて いる。 ――」》

福島県 3・11 から1年5ヶ月後も県内外に16万人が避難生活

◇◇◇福島からの声に耳を傾けてください(福島民報)◇◇◇ ◎この動かしがたい現実に、大人は為す術がない。 →5104人減少、10万3324人 本県小学生     学校基本調査速報 震災、原発で県外に 福島県は27日、学校基本調査速報(5月1日現在)を発表した。 本県の小学生は10万3324人で前年同期より5104人減少し、 過去最少を更新した。前年度の調査でも9240人減少しており、 2年続けて大幅に減った。東日本大震災東京電力福島第一原発事 故に伴う県外への避難者が多かったためとみられる。 (2012/08/28 09:19 福島民報☆記事全文へ福島民報社のニュースサイト 犠牲のシステム 福島・沖縄 (集英社新書)集英社 (2012/1/17) ・〈目次〉・ 第一部 福島 ・第一章 原発という犠牲のシステム ・第ニ章 犠牲のシステムとしての原発、再論 ・第三章 原発事故と震災の思想論 第ニ部 沖縄 ・第四章 「植民地」としての沖縄 ・第五章 沖縄に照射される福島 ★★★本書のテーマは、犧牲のシステムとしての福島と沖縄である。 なぜ、福島と沖縄のか。それれは、一九四五年の敗戦以後、今日ま での日本を「敗戦日本」と呼ぶなら、これら二つの地名が、戦後日 本の国家体制に組み込まれた二つの犧牲のシステムを表しているか らだ。 沖縄が戦後日本の犧牲でったこと。それは、沖縄戦という史上稀に 見る過酷な戦闘の戦場にされた沖縄に米軍が居座り、サンフランシ スコ講和条約第三条によって、沖縄がその米軍の施政下に置かれ、 一九七二年に日本に復帰して以後も、今なお全国の米軍専用施設の 約七四パーセントが沖縄に集中しているという、このことをさして いる。

≪都会歳時記≫

[都市・現代の視座1000句]句集 古家 元「文學の森」刊]
〔秋〕 天文  小児科の窓マンボウの秋の雲
http://shop.bungak.com/products/detail.php?product_id=143

≫平成万葉集

読売新聞社 (編集)、「万葉のこころを未来へ」推進委員会 (編集)
水無月の青き地下水流れきて噴き上ぐるかにあぢさゐの花
宮原恵子(64歳)東京都 ◆◇◆◇『侏儒の言葉西方の人』◆◇◆◇ 《芥川龍之介著 新潮文庫版》 侏儒の言葉・西方の人 (新潮文庫) ・小児・  軍人は小児に近いものである。英雄らしい身振を喜ん だり、所謂光栄を好んだりするのは今更此処に云う必要 はない。  機械的訓練を貴んだり、動物的勇気を重んじたりする のも小学校にのみ見得る現象である。殺戮(さつりく) を何とも思わぬなどは一層小児と選ぶところはない。殊 に小児と似ているのは喇叭(らっぱ)や軍歌に皷舞され れば、何の為に戦うかも問わず、欣然(きんぜん)と敵 に当ることである。    この故に軍人の誇りとするものは必ず小児の玩具に似 ている。緋縅(ひおどし)の鎧(よろい)や鍬形(くわ がた)の兜(かぶと)は成人の趣味にかなった者ではな い。勲章も――わたしには実際不思議である。なぜ軍人 は酒にも酔わずに、勲章を下げて歩かれるのであろう? 〈17〉

☆★☆言えそうで言えない英会話表現☆★☆

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<NHKラジオ 「英語5分間トレーニング」岩村圭南 - 講師> ※この番組の放送は4月1日で終了しています。 Wikipedia:岩村圭南

◎◆◎アートのたのしみ《英国篇》◎◆◎

エドモンド・ブレア-レイトン“お隣さん”
(My Next-Door) (1894年・個人蔵)   ◆エドモンド・ブレア-レイトン (Edmund Blair Leighton〈21/09/1853〜01/09/1922〉) ・イギリス ラファエル前派・ エドモンド・ブレア・レイトンはイギリスの画家。 ヴィクトリア朝特有の甘美な画風が特徴。中世の 騎士物語などの文学作品をモチーフにした作品も 多い。父は肖像画家のチャールズ・ブレア‐レイ トン。ロイヤルアカデミーに学び、1878年から、 40年にわたって毎年アカデミーに出展。高完成 度の高い装飾的な画風はこだわりの職人技といえ る。生涯、アンチ・アカデミーを通す。 ☆Edmund Blair Leighton - painter of the old virtues☆ (MaroCR さんが 2012/07/18 に公開) 【This is my tribute to Edmund Blair Leighton,  victorian artist and one of my most favorite  painters. Enjoy beautiful art with music by  Daniel Landa and Loreena McKennitt】