ハル・フォスター編 『視覚論』 榑沼範久訳、平凡社ライブラリー、2007




文庫本だけあって電車のなかでも読める。ニューヨーク・ディアアートセンターでの1987年のシンポジウムでのペーパーと討議の翻訳。
全体はロザリンド・クラウスのペーパーを折返点として、前半にマーティン・ジェイの「近代性における複数の「視の制度」」、ジョナサン・クレーリーの「近代化する視覚」、後半にノーマン・ブライソンの「拡張された場における〈眼差し〉」、ジャクリン・ローズの「セクシュアリティと視覚」が並ぶ。
マーティン・ジェイの「複数の・・・」という巻頭論文では、「複数」というより実際にはイタリアとオランダ、クラシックとバロック、美と崇高、ついでに言えばモダンとポストモダンといったお馴染みの対概念装置が並び、また「ナントカ中心主義を解体して複数のカントカへ・・・」といったミシェル・フーコー以降よく使われ今日ではクリシェと化している謂いが述べられているところで、1987年という時代を感じさせるとともに、いささか粗いマニフェストに見えなくもない。
ジョナサン・クレーリーの「近代化する視覚」はのちの彼の著作『観察者の諸手法(邦訳は観察者の系譜)』のスケッチでもある。
個人的な話をさせていただくと、15年前、コロンビア大学のエイブリー図書館の地下2階にあるキャレルと呼ばれる机で一日の大半を過ごしていたころ、私の左隣ではオーストラリアからのアートヒストリーの客員研究員が毎朝わたしより早くやってきては毎晩わたしより早く帰っていき、そしてわれわれの席の後ろでは『オクトーバー』誌の編集委員で当時売出中だったジョナサン・クレーリーがたまに行ったり来たりしており、出版されて間もなかった『観察者の諸手法』を読んだとき、私の後ろをたまに行き来するあのヲッサン、あのヲッサンの書いたこの本はなかなか凄んじゃないか、と興奮したものだ。
大雑把に言って同書は、カメラ・オブスクラにモデル化される静的な視覚性が、ソーマトロープ等の登場によって動的な近代的な視覚性へと移行していくという見取図を提出し、この視覚性の変容に際して網膜残像などの生理学的な知見の変容があったことを裏付け、なおかつ一般に考えられているように近代性の変容は1870年頃に起こったのではなく、1820年代という早い時期にすでに起こっていたとする説を、鮮やかに記述したものだったと思う。ソーマトロープとはカメラ・オブスクラから発展した視覚的娯楽装置で、のちに登場する映画はこれらの装置をさらに発展させたものとも言える。
視覚と視覚性は異なる。視覚性は構成されたものである。人間の視覚神経伝達の秒速約27.5mという「予想外の遅さ」は人間が見ている対象と実際の対象にはずれがあること、その対象視覚が視覚性となるには何かが介在し、視覚性が構成されていることを示している。
「視覚を真正な対象から切り離し、身体において構成されるものとみなしたからこそ、モダニズムの芸術表現にしても、フーコーが「個人についてのテクノロジー」と呼んだ新しい支配形態ににしても、可能になったのである。19世紀後半から20世紀にかけての支配やスペクタクルのテクノロジーと分かちがたいのは、もちろん映画と写真である。逆説的なことに、映画と写真が覇権を拡大していくにつれて、視覚は非肉体的で、真正な対象を持ち、「現実」を映し出すという神話が、ふたたび力を持つようになった」(74頁)。
ノーマン・ブライソンのペーパーはこの視覚性が文化によることを、西谷啓治サルトル批判をジャック・ラカン読解に効果的に用いることで示そうとする。
ベンヤミンの論考に「対象が見返す眼差し」といったものがあったが、ラカンはこれを「染み」「眼差し」と呼ぶ。「共有しうる視覚的経験を人々が織り上げていくためには、一人ひとりが自分の網膜上の経験を、社会的に含意された了解可能な世界の記述にしたがわせなければならない。こうして視覚は社会化され、社会的に構成された視覚的現実から逸脱したものは、幻覚、誤認、あるいは「視覚障害」という烙印を押される。主体と世界のあいだには、ありとあらゆる言説の総体が挿入されている。それによって、文化的構築物としての視覚性が形成され、視覚性は視覚(つまり、媒介されていない視覚経験)と異なるものになる。網膜と世界のあいだには、無数の記号のスクリーン(すなわち、社会的領域に組み込まれた、視覚に関する多種多様な言説の総体)が挿入されているのである。
このスクリーンは影を投げかける(ラカンはこの影を暗点と呼んだり、染みと呼んだりしている)。なぜなら、われわれがスクリーンを通して見るとき、われわれに見えるものは、外部から与えられるネットワークに引っかかったものなのだから。そのネットワークが意味作用の可動的モザイク、動的テッセラである。それは、個人のおよぼせる力を超えたところにある審級である」(134-135頁)。
「見る主体は知覚の地平の中心に立っておらず、視覚の領域を横切るシニフィアンの連鎖や系列を支配することはできない。視覚は他者のわきで、その場に接してくりひろげられる。このような視覚のあり方に、ラカンは名を与える。他者の場に接しながら見ること、〈眼差し〉のもとで見ること、と」(138頁)。
この視覚/主体の脱中心化を例示するものとしてラカンが上げるのは、ハンス・ホルバインの絵画『大使たち』である。ブライソンはしかし、こうしたラカンの言説と例示になにか否定的なものを嗅ぎ取り、ラカン(とホルバイン)を相対化するにあたって西谷の言説と雪舟村田珠光の禅画(水墨画)を持ってくる。西谷の言説にはラカンと共通なものがあり、なおかつラカンともども主体の脱中心化を扱っているからであって、変なオリエンタリズムから西谷や禅画が引かれるわけではない。
西谷啓治の『宗教と無』はジャン・ポール・サルトルの『存在と無』批判であったという。西谷/ブライソンによれば、サルトルニヒリズムは中途半端なものであり、対象世界の虚無化はかえって主体の強化を結果しているという。西谷/ブライソンがここで持ち出すのがいわずもがな「空」であり、「無」であり、そして「場」の論理である。「場」の論理はサルトルにはまだ残っていたいわば「〈象徴形式としての〉遠近法」を完全に抹消するものとしてあり、「空」はこの場における二重否定としてある。西谷の二重否定はもともとヘーゲルからきているが、禅的な「非ず非ず」の論理とも言える。
ブライソンによればラカンの「眼差し」はパラノイア的であり、「主体が視覚性という社会的領域に入ることを破滅的な出来事とみなしている」という。しかし個人がこの構築物のどこに立たされるかによって「恐怖の度合い」も変わってくるのではないかと、西谷を引きながら最終的にブライソンは問題提起をする。


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視覚論 (平凡社ライブラリー)

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