Sig’s Book Diary

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『日本史の誕生』

original: http://blog.goo.ne.jp/sig_s/e/812bc1db7aa223d99709a9b4f5185792

岡田 英弘、2008、『日本史の誕生』、筑摩書房 (ちくま文庫 お 30-2)

本書の第13章「歴史の見方について」から抜き書きしてみよう。

* 歴史は、我々の意識の中だけに存在する、世界の見方、ものの見方の体系である。しかも、歴史という角度から世界をみ、物事をみるというやり方は、人類すべてに普遍的なやり方ではなくある種の文明にだけみられる、特殊な文化である。
* 歴史とは、『人間の住む世界の、時間軸と空間軸の両方にそった、しかも一個人の直接、経験できる範囲を超えた、言葉による説明』である。
* 記録に残る歴史的事実は、記録者の主観を通して形を与えられたものばかりである。
* 歴史は、天然自然に初めから存在するものではなく、歴史家が書いて作り出すものである。
* 歴史には、よい歴史と悪い歴史とがある。よい歴史は、論理の筋がすみずみまで通った、どこにも破綻や矛盾のない説明である。よい歴史を書くには、まず資料の一つ一つがどういう環境で、どういう立場で、どういう意図を持って書かれたかを見極めて、その奥にある、記録者の主観が働く前の情報の原形を読み取らなければならない。こうして読み取った情報を総合して、歴史家がその場に居合わせたとしたら、物事はこう見えただろうと決める。
* 古代も現代も人間の世である以上、現代にあり得ないことは古代にもありそうもないという原則に頼って判断するしかない。いくら古代だといっても、神話の神々の時代でもなければ、おとぎ話の魔法の世界でもなかったはずである。
* 資料から引き出せる情報の量には限度がある。情報の欠落している部分は、合理的な判断で補うしかない。
* 論理に矛盾を来さずにつく説明がよい説明であり、そうしたよい説明を、俗に『歴史的事実』と呼ぶのである。そうした歴史的事実を、時間軸と空間軸にそって並べて、因果関係でつなげてまとめて、作り上げた世界の全体像を言葉で語る。それが歴史である。

中学か高校の頃、何を思ったか、漢文のできない息子を見かねてか、母親が『魏志倭人伝』を一緒に読もうといった。歴史が好きな息子にあわせたものだろう。しかし、残念ながら、この試みは続かなかった。単に読むだけでなく、ほかに疑問が広がったのである。読みよりも何よりもはなしが脱線して、漢文の勉強にもならなかった。今となっては、いい思い出ではある。当時よりすこしまえ、松本清張やら古田敦、高木彬光やら、邪馬台国がどこにあったかで小説やら歴史書やらをだし、邪馬台国ブームではあった。
また、自分の歴史好きは、子供の頃に与えられた全巻何巻だったのか、相当な冊数の「日本の歴史」の本を与えられ、歴史好きになったのだが、今思えば、日本書紀古事記の物語がそのまま、歴史的事実として書かれているような本だったような記憶がある。親が選択したのかどうか、戦後15年ほどした頃であったから、当時の唯物史観とはかけ離れた歴史を読まされていたわけだ。しかし、その一方、ルイセンコ学説も主要な章として取り上げられている、少年少女ノンフィクション全集(だとおもう)もまた与えられて読んでいて、ファンになっていたのだから、いまかんがえると、よくわからない趣向ではあったようだ。

ともかく、しばらくぶりに邪馬台国関連の本書を読んで、ちょっとすっきりした。もちろん、それが主題ではない。本書は、日本はいつ始まったか、つまりは、日本史はいつ始まったのかということが主眼に書かれている。天智天皇が「日本天皇」として即位したことが日本の起原であるという。それ以前の天皇については、古くは単に創作の人物であり、日本が中国(この名前を使うことは、望ましくないかもしれないが、慣用的にこのように書いておく)とは無関係の独自性を強調するために作り上げられたという。逆に、このことは、中国の存在がきわめて大きかったことを意味していて、天智の「日本天皇」としての即位は、白村江の敗戦によって、孤立した状況に追いつめられた列島の各政治勢力の対中国についての政治意識の現れである。当然、列島の人々や様々な事物は、大陸とは無関係ではあり得ない。邪馬台国を記す「魏志倭人伝」に名を残すいくつかの倭国の国々は華僑の築いた交易地であったというのが、本書の日本史の前史の主たるモチーフである。
さらに、日本で書かれた日本史は、反中国、つまりは、中国を過剰に意識しなければ自己のアイデンティティを確立し得なかった周辺国の反動として、成立したというのである。近代以降の様々な局面に登場する中国を蔑視し、貶めようという言説は、まさに、こうした伝統の中にある。昨今の航空幕僚長の論文もまた、そうしたシナリオに従ったものであろう。おそらくは、麻生総理もまた、立場上明かしてはいないが、かれもまた、同様の論者であることは想像に難くない。実際、航空幕僚長の罷免に関してのインタビューで、そうした内容の発言があったと聞く。

東アジアにおける4000年以上の歴史は、よくも悪くも「中国」の鏡映であったといえるだろう。その意味で、もう少し、理性的に中国と日本、いや、東アジアにおける日本を、さらには、世界史の中の日本を理性的に考えた歴史観を構築しなければならないのではないか。本書を読んで、痛感した次第。

日本史の誕生―千三百年前の外圧が日本を作った (ちくま文庫)

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