男性サバイバーからのメッセージ

男性性被害者の、HEART様からメッセージを頂きました。
ご本人の許可をいただき、こちらに掲載させていただきます。


男性性被害は、実はとても身近なものです。女性だけが性被害にあうわけではありません。
性犯罪の被害者として認識されている女性も、依然として根強い世間の無理解と偏見により、被害を受けた後も、二次被害、三次被害と苦しむことになります。
男性は被害者として認識されてさえいません。
日本では、強かん罪は、男性には適用されないのです。
そのため、女性以上に、様々な偏見があります。
理解してもらうには、とても高いハードルがいくつもあります。


女性の性被害も「そんなに多いはずはない」と言う声をあちこちで聞きます。
ですが、そういう人に、あまりに辛すぎる思いを、誰が打ち明けようと思うでしょうか。
黙って横にいるだけです。サバイバーはとても敏感です。
実態を知らない、もしくは知りたくない、という思いは一瞬で見抜きます。
嘘だと断罪されかねない、信じてもらえないという強い不安と恐怖を覚えながら、
悲しい経験を語るのはとてもエネルギーがいることなのです。
とても多いという事実を知っていて、なお、知ろう、理解しよう、という姿勢を持ってくれている人にさえも、簡単には話せないのです。
恐る恐る様子を見ながら、探りながらしか、話せないのです。
口にするのもつらい事実を、簡単に話せるはずがない。孤独に抱え込みます。
たとえ話したいと思っても、あまりに苦しくて、つらすぎて、口にできないのです。


女性性被害はあるとされています。ですが少ないとされています。
男性性被害はまるで存在しないかのように扱われています。
そうではありません。ないのではない。
被害をないものとし、さらには被害者を不当に貶める世間が、結果的には覆い隠してしまっているのです。


また、性犯罪被害での二次被害とは「女らしさ」「男らしさ」の押し付けでしかありません。
参考:二次加害をするのはこんな人


こういった、社会が押し付ける勝手なイメージの抑圧がどれだけ苦しいものでしょうか。
理不尽な悲しい経験をすると、その意味を問わずにはいられない。
自分のされたことの意味を探してしまう。答えのない答えを求めてしまう。
いきばのない怒りと悲しみを抱え、自分を傷つける自傷的、自虐的な行為をしてしまったり、人やものへと怒りをぶつけてしまいそうになったりすることもあります。私も経験があります。
自尊心が破壊され、自分を大切と思えなくなるのです。自分のされたことの意味を求めてしまう、確かめたいとさえ思ってしまう。そうすれば何かが変わるのではないかと思ってしまう。
被害に遭うことで、失ってしまうものははかりしれません。被害はそのときの一瞬だけではなく、ずっと、人生を奪い続けます。
もちろん、回復は可能ですが、とても困難な道のりです。社会の理解が回復への大きな助けとなります。


以上のことをじゅうぶん踏まえた上で、お読み下さい。
なお、こちらのメッセージは、曽野綾子氏のコラムから発生した論争の前に書かれたものであり、論争に対する批判ではありませんので、ご承知おきください。

また、被害に遭われた方は、フラッシュバックにご注意ください。被害経験と、加害思想についても触れられています。


自分は男性性被害者です。
被害の詳細を書くつもりはありませんでした。
しかし余りに無知な人が特に男性に多いので、虐待、暴力、差別とはどういうものなのかも考えてもらえるきっかけになればいいです。


被害を詳細に書きますので、フラッシュバックにご注意下さい。
自分が言われた被害者を貶めるような発言や加害者思想に陥った事も書きます。


これから書くことは、男性同士の性犯罪・子供への性的虐待性的虐待を受けた子供・男性性被者への迫害です。


最初の被害は小学生でした。
相手は教師で学年単位で行っていた二者面接中に突然襲いかかってきて性的暴行を受けました。
性知識、同性愛の知識がない年で、何をされているのか理解できませんでした。
それから、何度も性的暴行を受けました。
トイレ掃除中に突然教師が入ってきて他の生徒を追い出し、力ずくで個室に入れられ暴行され、それでも抵抗しましたが「(暴行後の姿で)教室に裸で放り込むぞ」怒鳴られ、体が動きませんでした。
帰宅途中に先回りして待ち伏せされ、車に押し込められ暴行されました。脅迫され、レイプ以外の暴力も受けました。
性知識がないので理解できないながらも、相談所に助けを求めました。
被害内容を詳細に語りました。そこで「嘘をつくんじゃない」「ありえない話だ」「いたずらはよくない」と嘘つきよばわりで怒られました。
必死の思いで助けを求めたのですが、男だったからでしょう、まったく信じてもらえませんでした。


次に暴行された時にかなり抵抗しました。そして、殺されかけました。
このときは死んでもいい、むしろ死んでしまったほうがいいという気持ちで抵抗しました。
結局大人の力には叶わずにいつもより酷く暴行され、このときの傷が後遺症の原因になってしまいましたが。
病院に運ばれ治療を受け、そこで被害が発覚しました。
医師に説明を受け、病院ではじめて性的虐待、レイプという言葉を知りました。
警察を呼ぶことになりましたが、警察は、暴行の跡、診断書、証拠採取、医師の説明を聞いてなお、「男がそんな被害にあうわけがない」「まして子供じゃないか」と否定しました。医師のおかげでそれでも最後には認めてくれましたが。
現在は男性被害は普通に報道されていますが、当時は男性被害はまず認識されていない時代だったので。


数日後に警察に訴えたいと言ったら、驚いたような顔をして、「そんなに恥ずかしい思いをしたいのか」「男なのに恥ずかしくないのか」と言われました。
訴えるまでに相当の妨害を受けました。
被害届を受け取ってもらえるまで「しつこい」と言われ続けてもかなり粘りました。
被害届を受け取ってもらえたあとも、司法関係者には何度も「告訴取り下げを行いなさい」と言われました。
次は司法関係者の前で被害の説明を行うときです。
担当者がコロコロ変わり、同じ話を何度もしなければならないのも辛かったのですが、それより、司法関係者の言葉は今でもはっきり覚えています。
「やりかえさないお前が悪い」「無知な子供が悪い」「男ならやり返すべきだ」「本当の男はそんな事はされない」「男なのに情けない」「男なら平気だろう」
被害を語っているとき、苦しくなり言葉につまったり、涙が溢れました、そのときに言われた言葉です。
男なら〜のオンパレードでおかしくなりそうでした。
僕が関わった司法関係者、援助職は男性しかいませんでした。そしてテンプレのように「男なのに情けない」「男なら平気だろう」と繰り返す人しかいませんでした。


そして、学校、近隣の中高生や大人からの迫害がはじまります。
教師を訴えたので、当然学校中に知れ渡っています。学校内部での犯罪の場合隠せません。
全国ニュースにはなりませんでしたが、地方ニュースでは報道されました。東京のように大都市でもないので近隣にも分かります。


会話をした事もない同級生、名前も知らない先輩に取り囲まれリンチ、自宅の近くで待ち伏せされ10人以上の高校生から性暴力も含む集団暴行。
毎日のいたずら電話。内容はほとんど「レイプされた子供に興奮する」「オナニーしたいので被害の内容を詳しく教えて」というようなものと「このオカマ」と罵るようなものです。
郵便ポストや庭にゴミやアダルト雑誌の切り端が投げ込まれ、窓を割られました。
泥水をかけられたり、先輩に取り囲まれ「オカマ」「オカマ」と大合唱されたりもしました。一つ一つ書き出すときりがありません。
嫌がらせを行ったのは話をした事もない同級生、名前も知らない先輩、他校の生徒でした。仲良くしていた友人たちは態度を変えるようなことはしませんでした。
でも教師が出席で僕だけ名前を呼ばない、プリントを渡さない、存在を無視するということをやり僕の友人たちにも同じような事をやり、同級性、先輩のいじめの矛先も友人たちに向けられたので自分の方から縁を切りました。今でも友人たちには悔いています。
そんな感じで学校に無理をしてでも行っていたのですが、生命の危機を感じ、家から出られなくなりました。
なかでも特に酷く生命を危機を感じたのが、自宅近くで待ち伏せされ押さえ込まれ、近くの公園に引きずられるように連れて行かれ10人以上の高校生(制服でどこの学校か分かる)から集団暴行をうけたときです。まったく知らない相手です。
「おまえみたいな奴には何をしてもいいんだよ」と言われながら殴られ、蹴られ、性的行為を10人以上の男に押さえ込まれ強要され、裸にされ性器を傷つけられる。殺されることを覚悟しましたが、彼らは命までは取りませんでした。それでも死の恐怖は充分味わいました。暴行を受けながらここで死ぬんだと死を覚悟したので。
上の行為は全て訴えました。でも取り合ってもらえなかったです。「訴えるからそういうことになるんだ」と。
こういう経験をしているので、「いじめ」「不登校」に関しても思うところがあります。


セカンドレイプの原因は性的虐待を訴えた事です。
セカンドレイプをする連中は全員男性で集団でした。いじめもリンチしたのも性的に暴行したのも。


近所に知られたのはマスコミの取材のせいもありました、マスコミがどういう子なのかという聞き込みを近所の方に行いました。
取材がしつこかったようで近所の方に苦情を言われ、家への嫌がらせを間違って近所の家にする人もいたらしく迷惑なので出て行ってくださいとお願いされました。
「何でそんな事を訴えたりしたのだ」とも言われました。


本当はすぐにでも僕の事を誰も知らない場所に引っ越したい。でも家族の問題もある、金銭的な問題もある、裁判もあるので無理です。
全て片付いた後に遠くへ引越しました。あのままあの場所にいたらいずれ殺されていました。
家のローンがかなり残っている状態での引越しで、経済的に苦しくなりました。病院に通院し何度も検査をして、医療費もかかりました。
家族は職場を変えなくてはならなくなり、再就職を強いてしまいました。
母は心労と過労で入院し、一年経たないうちに亡くなりました。


自分が女児だったら教師の罪状は強かんだったでしょう。現在なら強かん致傷になるでしょうか。
でも男なので性的暴行も罪には問われましたが、強かん罪は適用されませんでした。
加害理由としてまず教師が述べたのは、「少年に性的な興味がありそういう目的で教師になった」でした。
つまり性的欲求を満たす目的で教師になっている。職業選択の時点で計画を立てているということです。
性犯罪とは本能でも衝動でもなく、計画的で相手と場所を選んで行っています。
被害はまだ終わりません。
引越し後にも、男性の援助職から性的関係を強要されました。
援助職のやり方は巧みで、「治療の為に必要」「男性被害者はみな受けているプログラム」と洗脳に近い行為でした。
援助職から性被害者への性暴力は問題視されています、特に男性サバイバーの間で。かなり多い被害です。


この被害の後、セクシャリティが揺らぎ、危険思想に陥りました。
自分が受けた被害を、自分が被害を受けたときと同じくらいの年の男児にやろうと思ったのです。
この時、どういう思想になっていたかと言うと、「性虐待を受けた自分は負け犬だ。勝つ為には加害者になるしかない」「自分よりも年が幼い者、子供には何をしてもいい」
「何をされても弱いやつが悪い」「ダメな人間だから被害に遭うんだ。強く立派な人間になるために自分も加害しよう」
被害を受けたときに学んだ価値観、学校、周囲の大人から教わった価値観です。
そして計画を立てました。地域行事の子供キャンプに上級生の指導係として参加し、1人1人部屋に呼び出し自分がされたことと同じことをしようと思いました。
呼び出し二人きりになりました、ただ何も出来ませんでした。
相手が可哀想とかでないのです、今から暴行すると考えると暴行をする自分に耐えられませんでした。
興奮しないし楽しくない、気持ちが悪いだけ。だから結局何もしませんでした。
自分を襲った加害者たちは笑いながらこんな事ができたのに、それに比べ僕は何て弱い人間だろう。
そんな自分が嫌で、はじめたばかりのネットで女性サバイバーを中傷して回りました。


嫉妬と羨望です。そしてネットで女性被害者相手なら勝てるという安心感。男性に攻撃され続けていたので女性相手なら安心。女性と被害者という底辺にいるのだから。
男性は被害にあっても男だからと抑え付けられるのに比べ、女性は延び延びと被害者の主張が出来て恵まれているように見えた。それも許せない。甘えているんじゃない。
だけど、そこで救いがありました。攻撃した女性サバイバーが男性被害についての理解がある方で男性被害者の方では?と見抜かれて親身に相談に乗ってくれました。
男性サバイバーのサイトを紹介され、そこではじめて自分の他に男性の被害者がいる、男性被害者も苦しんでいる事を知る事ができました。
男性でも性被害(広い意味では性被害じゃなくてもいいです、暴力、人権侵害でも)をうけたら傷ついていいのだ、苦しむ権利があるのだ、と理解するのに数年かかりました。これが分かった時憑き物が落ちた感じでした。性被害に対して苦しいと認められたとき、楽になりました。
男性サバイバーや女性サバイバーと話をするようになり、関わりを持つようになり、呪縛から抜け出せました。(女性サバイバーの方には不快な表現をいたしました。過去の自分の醜い感情を話す事で加害の戒めになればと思い書きました)


性犯罪では、加害者と被害者を入れ替えて被害者の方を悪に仕立てる人が多いですが、加害者が被害者たる部分があるとすれば、間違いを犯してもそれが間違いだと教わらずに大人になってしまったことです。誰にも間違いを指摘されないことです。
果たして加害を容認する事が加害者の為になるのでしょうか、間違いを指摘して、訴える方が加害者本人の為になるのではないですか。


自分の経験は多くの男性サバイバーも体験していることで、ぜひ読んで頂きたい資料があります。出来れば男性に読んで欲しいですが。


http://www.biwa.ne.jp/~genbu/suiren1.html
すいれん創刊号


引用「性的虐待の男性サバイバーは実際には多くいる。サバイバーの25%が男性であるという調査もあり、しかしサバイバーは被害を報告しないため認識されないともいわれている。
一般的に社会では男性の性的役割として、男性は強くて弱みを見せず、自分をコントロールでき自分の感情は内に秘めていることが期待されている。男性が表現することが許されている唯一の感情は怒りである。
また、性の問題についても自分でコントロールし、攻撃的であることが期待される。例えば、デートは男が誘い、性的なことについては男性が主導権をとり女性は待つ側であることが期待される。
文化的にはこのような役割期待は改善されてきているが、意識下ではこのような考え方に支配されている。
そのため男性サバイバーは、被害は自分で防げたはずだと思ってしまい、性的虐待の被害を語ることは自分で自分をコントロールできなく、本当の男でないことを認めることになってしまう。


自分をサバイバー=弱いものとして認めたがらず、被害体験を思い出すことはそれにまつわる心地よくない感情が起こってくるので、男性サバイバーは虐待被害の記憶そのものを抑圧し、被害体験を大人になるまで隠し続ける。
記憶を抑圧するための対処方法としてアルコールや薬物を使用する人も多く、摂食障害、性的逸脱行動などを生じていることもあり、男性サバイバーが被害体験と向き合い治療を受けるのは、皮肉にもアルコールや薬物中毒などになってからである。」引用終わり


もう一つ、書籍「虐待という迷宮」(著・信田さよこ、シャナ・キャンベル、上岡陽江)より。


引用「一部には被害者=敗北者と考える人がいる。そこに漂う負のイメージを嫌悪するからだ。この人たちは被害者にもなれず、負けを認めたくないという一心で人生をひたすら歩み続けることになるだろう。たとえば父から殴られて育った男性は、しばしば父を嫌悪しつつも自分は虐待の被害者などではないと強固に主張する。そしてみずからの被害を認めないひとはときとして無自覚に暴力をふるうに至るのだ。」引用終わり


男性らしさの抑え付けです。男性らしさの抑圧、呪縛を行っているのは他でもない男性自身です。
成人男性が学校に侵入し児童殺傷、パチンコに夢中の親が子供を車中で死なす、乳幼児を床にたたきつけて死に至らしめる、このようなケースでは犯人許すまじ!と叫び、男性が被害者になる冤罪事件では被害女性を貶めてまで人権を説く男性がなぜ性犯罪、子供への性的虐待になると感覚が180°変わるのか。
性被害者だけを目の敵にして性被害者だけを攻撃する男性がなぜ多いのかも。
性犯罪、子供への性虐待を根絶に導くためには男性の意識改革が必要不可欠と考えます。


男性自身のためにも。まず己の弱さを認められないものですかね。苦しさを素直に苦しいと言葉に出来ないのでしょうかね。


自覚的であれ無自覚であれセカンドレイパーは劣等感のかたまりです。
まだ子供の性被害者の落ち度を責め、その無知ぶりに批判をうけていたジャナーリストは「批判された」という事実をいつまでも根にもちエントリをあげていました。
バカの一つ覚えのように防犯、防犯と繰り返す無自覚な高慢さを持つ連中も「自分は男なので弱さを見せられない。泣き言をいえない」と言っていました。
セカンドレイパーは無知を補おうとしない、現実の事件に目を向けない。
不都合な真実に向きあう勇気がないのでは。男性被害者という存在です。つまり自分自身です。男性被害者を認めると当事者性を無視できなくなってしまいます。
性犯罪において、男性は法律で差別されている。僕は男性被害者にも強かん罪を適用してもらう活動を行っていますが、当の男性自身が無関心です。
同じ被害を受けても男性と女性で罪の重さが違うという、分かりやすい男性差別に関心がない。ネットで男性差別と騒ぐわりに、です。
多面体さんもakiraさんも男性被害者に強かん罪が適用されないことを問題視していますよね。(日本の強かん発生率は低いでしょう。一方の性別には強かん罪は適用されないのだから)
男性の問題を女性サバイバーや女性の方が熱心に語り、法の不備を真剣に考え、男性サバイバーに寄り添ってくれる。
そういう男性の理解者ほど、男性(セカンドレイパー)に攻撃される。
そんなに男性自身が男性差別を助長したいのか。
多面体さんが男性被害者に強かん罪が適用されない問題を指摘した時もその問題に言及する男性は皆無でした。
当事者の男性の意識が低すぎるので、男性の強かん罪は適用されることはないでしょう。活動をしてはいるのですが、諦めています。
法律的な問題、理解のなさでも男性が性被害にあった時には偏見や迫害、訴えるのも非常に困難でそれは結局自分に返ってくるのですが、全部男性自身が招いている事です。


もう少し続きます。性犯罪とはどういうものなのか確信が持てた出来事なので。
高校で、学校の健康診断で男性医師にわいせつ被害を受けました。密室で二人きりです。


性被害には敏感になっていました。学校でも(学校だからこそ)完全武装していましたし、教師と二者面談で二人きりになる時は、逃走ルートを確認し防犯ブザーを胸ポケットに忍ばせ、右手はポケットの中の武器を握りながらという具合に。強制なので面談そのものを回避する事は不可能でしたが。(余談ですが男性と二人きりにならないという防犯を説いている人に参考のために二者面談と健康診断の回避の方法を聞いても教えてくれませんでしたね)
それだけ気をつけていても被害には遭いました。健康診断で様々な検査をするので武装は無理です。ジャージ(Tシャツ一枚、ハーフパンツ)と服装が決まっていました。
その被害ですが、すぐにおかしいと思ったので早く切り上げたのですが、
半年以上たって「あの医者の行為、おかしくなかったか?」言い出したクラスメイトをきっかけにクラスの男子全員、被害を受けてたことが発覚しました。
話し合いが持たれ、医師の件は時間が経っていたし問題にもならなかったのですが、言い出したクラスメイトも他の男子もひどく辛そうだったという事です。
普段バカ騒ぎをして、エロ雑誌を貸し借りして盛り上がっているようなやつらですよ。レイプではないです、わいせつです。
それでもすぐには誰も言わなかった、言い出すのには勇気がいるし、はじめに言い出したクラスメイトも「こんな事を言ったら変に思われるんじゃないか」「でもずっと引っかかっていた」と言っていました。平気な顔したやつは誰もいませんでした。
話し合いの最中に具合が悪くなり保健室に行った男子もいました。
パニック状態で「そんなわけない。何かの間違いだ。だって男だし」と繰り返している男子も。


性犯罪は防ごうと思って防げるような甘いものではないということと、わいせつだろうと男性が傷つくのは自然だということです。
防犯をバカの一つ覚えのように唱える無知者は性犯罪者は職業選択の時点から計画的であり、回避できない場所と相手を選び立場を利用して行われる理性的なものであり、性犯罪は男女の問題ではなく人間対人間の問題だと理解すべきだし、被害者に責任をおしつけ、たいした事がないと被害を矮小化する言葉を女性を傷つける目的で言っているセカンドレイパーは同時に男性サバイバーも傷つけて、己の首を絞めている事を理解すべきです。


それから、性行為と性虐待・暴力との違いが理解できていない男性が多いのも暗澹たる気持ちになります。
付きあった事がある、パートナーと性行為をした事があれば、性行為と性虐待・暴力の違いが分からないほうが不思議なのですが。普段どういうセックスをしているんだ、という話です。
強引で一方的な性行為、道具や生き物を使われることもあります。成人でも体に負担がかかりますが、子供の体には非常に負担です。怪我をしますし病気にもなります。
感染症HIV、病気になる、無理な行為で傷がつき障害をおう、後遺症が残る。僕も後遺症が残っています。女性の場合は妊娠のリスク、中絶、ピルの副作用。
精神的な辛さや精神疾患もありますが、それ以前に身体的な障害や病気や体の負担を理解していません。
それに性虐待には性的に痛みを与える行為といえるものも含みます。特に男児に対しての方が陰惨です。
たとえばこういうものです。性器にガラスのコップをかぶせられ思いっきり叩き割られる。
男性はレイプが想像できない恐怖でも、上のようなものなら身体的な痛み、恐怖の想像はつくのでは。
こういう事をされたいですか?


性虐待を訴えた後のセカンドレイプは子供の想像力では想定外で、守ったはずの多くの同性から恨まれるとは思いもしませんでした。
よく「レイプは男の本能だ」と言う男性がいますが、本能ではなく環境と教育がレイパーを育てているのではと思います。
性犯罪に嫌悪感を持ち、「これ以上辛い思いをする被害者を出したくない」という思いで訴えた自分も加害者になりかけました。
ネットで女性サバイバー、男性サバイバーに会わなかったらどうなっていたか?自殺したか死刑になるようなことをしたかもしれません。


性被害の呪縛から抜け出すには自分が加害者になるか自殺するしか世間は許さないので。
それでも男性は加害者になる選択肢があるだけまだマシで、女性被害者の選択肢は更に苛酷で自殺するしかないです、女性サバイバーと話をした経験から強く感じました。
レイプされたことが辛くて自殺するのではなく、迫害、セカンドレイプによって死を選ばざるを得なくなる。
加害者を許せというくせに、被害者が幸せになることは許さない、生きていることを責める。
「被害をうけたあとに学校に行っていたのだから同意だったのでは?」「なぜ死ぬまで抵抗しなかったのか」「自殺しないのだからその程度だったという事では」(カウンセラーに女性と付き合っていることを伝えると)「そんな被害を受けているのになぜ恋愛ができるのか」「罪悪感はないのか」
僕が話をしたサバイバーは男女問わずやはり同じ事を言われていました。
幼少期に性虐待の過去があり、経験を元に被虐待児を支援されていた女性は、結婚した当初、「なぜそんな経験をしているくせに結婚なんてできるのだ」「旦那さんが可哀想」という批判をもらったそうです。


学校セクハラ被害者の支援を昔やっていました。教師から性虐待を受けた子供への中傷は性被害者の中でも一番酷いのではないでしょうか。
子供はセカンドレイプの標的にされないと思っている方もいるようですが、子供の方が成人より攻撃されます。
教師から性虐待被害を受けたある子は被害届は出さなかったのですが報道はされて(被害届を受理してもらうのがどんなに大変か、どんな嫌がらせを受けるのか、被害届に保護者の許可が必要である事など知らないのでしょうが)「訴えない子供が馬鹿」「訴えない子供はゆとり教育の弊害」と酷いバッシングに晒されていました。
それに子供が被害者の場合は成人以上に性的侮辱を受けます、自分も経験していますが、「教師がうらやましい」「やりたい」「どんなプレイなのか興味がある」このような言葉を浴びせられます。
訴えたら訴えたで周囲からは迫害されます。警察・司法関係者も含めてです。支援職に立場を利用されわいせつ行為を受けます。
そのような言動に対して被害者が異議を唱えようものなら、更なる攻撃がはじまります。


性虐待を受けた子供が自分を責めてしまうのも当然なのでは。自殺を選んだり、加害者になってしまうのは自然の流れでは。救いがないのです。
加害者はそのような世論を分かった上で行動を起こす。レイプ肯定派の方が多いのに何が悪い。と言うレイパーの言を何度聞いたか。
だから性暴力をセカンドレイプを許せないと思っている人がいるなら、それを言葉に出して欲しい。被害者にはかなりの救いになりますし気付きになる。


被害者の落ち度は「行動」ではなく、被害者の「生死」「年齢」「性別」「職業」によって決まります。
無防備な行動をとっても、被害者が20代前半の清楚な美人で力の限り抵抗して殺された場合、落ち度はあまり言われません。
貞操観念を持ちつつ男性の力にはかなわない。そういう女性が一般的な男性の理想像で、最終的には男性の力に負けているので劣等感を刺激されないからだと思いますが。
被害者が小中高生(子供蔑視)、30代以上(年齢差別)、抵抗したのに生きている(生意気)、抵抗せずに生き延びる事を選択した(貞操観念がないように見える)、泣き寝入りせず訴える力がある、そのような被害者は行動など関係なく落ち度を言われます。
直接被害とは無関係な年齢を責め、生きている事を責め、抵抗しなかった事を責め、泣き寝入りしない事を責めます。
性犯罪以外の成人男性の犯罪被害は、呼び出しに応じホテルにノコノコ出かけて女と「二人きり」になろうが落ち度は帳消しになっている。
加害者・被害者両者男性だった繁華街深夜のひき逃げも、加害者の職業が「ホスト」だと報道された途端、異常な加害者バッシングが起きました。繁華街深夜を一人歩きの被害男性の落ち度は聞かれなかった。
落ち度は被害者の行動に付随していない。落ち度を言う人の差別意識が現れているだけです。
落ち度を言いたがるセカンドレイパーは、性被害者には死んでいてほしいという願望から言っているとしか思えない。


「少年に性的な興味がありそういう目的で教師になった」自分が訴えなければ、違う男児がまた狙われていたでしょう。加害者はそれが簡単に出来る立場にいました。
だから訴えました。二度と被害者を出したくない、こんな辛い思いは自分で終わらせよう、これ以上傷つく人を増やしたくない、という子供の純粋な思いから。
加害者は免職にはなったのですから、訴えた事で守ることができた児童もいたと思います。
自己責任論者やセカンドレイパーが今まで被害を受けずに来れたのは、被害者が被害を訴え加害をそこで止めたから。男性も当事者です。
それが分からない人に何を言っても、言葉は通じないでしょう。
そんなに性的虐待を受けたかったのですか?男性差別を助長したいのですか?と聞きたくなる男性があまりに多いので、経験を語りました。