六本木ヒルズ事故:回転ドア「二度と使わない」 森ビル社長

 このドアの安全設計に欠陥があったのは間違いないから、メーカーと採用した施工主が責任を問われるのは至極当然なんだけど、それはそれとして、というかむしろ、この亡くなった子供が事故に遭う直前に親は何をしていたのかということのほうが非常に気になる。もちろん、ほんの少し目を離した間の悲劇だったのかもしれないけど。

山形浩生訳「資本論」(PDF)

すげえ 久しぶりに山形浩生ページみたら「資本論」(カール・マルクスだ)の翻訳やってる!すげえ!!
岩波文庫で苦労しながら読んだのはなんだったのか。あの、言ってることは面白いけど理解に時間にかかるのはなんだったのか。
(例によって)山形氏のライトな誤訳があるのかもしれないけど、明らかにこっち読んでから岩波読み返すほうがいいじゃんか。しかもアダム・スミス「国富論」(PDF)までやってる!
涙が出そうです。プリントアウトして電車で読もう。ドネーション募ってるならやっちゃいそうだ。
リヴァイアサン」もぜひお願いします。勿論オースターじゃなくてホッブズの。
こんな時間にすごい興奮してしまった。

↑政治的言い訳

 念のため。僕は左の人でも、右の人でもないです。政治的にいうとリベラルに入るんだと思います。それから、「資本論」は"そんなに"赤い内容でもなくて、かなり真摯に「お金ってなんなんだろう」に(マルクスなりに)迫ったすごくよい本です。経済学がどうしたこうした、以前の/より上位の訳さえよければ誰もが読んでいいような種類の本です。
 それから、アサヒコムの記事をばしばしリンクひいてるのはたまたま国内新聞社のサイトで朝日新聞が初期にWWWに記事配信を始めて、僕がそれを見るようになったからであって、別にXX支持とか逆にアンチ朝日とかいうわけではありません。具体的な僕の政治姿勢は聞かれれば答えますが、別にどうでもいいだろうから細かくは書きません。

僕のおもうトラックバック お昼の怒りの長文

id:deos氏も言うようにトラックバックというのが何だわからない。
 最近うすうす見当がつきはじめたので、その僕のおもったトラックバックを書いておく。
 (下の方にいくほどどうでもいい内容になっていくので、途中で読むのを切り上げるのが望ましい)
 まずトラックバックは、web日記だのweblogだの(以下便宜的にblogと呼ぶ)を書いている者同士が、「あんたがあんたのblogに書いた記事を、おれのblogで紹介したよ」というのを、「あんたのblog」に通知する機能だ。たぶん。
 そしてあるblogの記事のコメント欄に「私の日記でコメントしました、URLはこれこれです」と書くのと本質的には同じだ。たぶん。
 こういう機能がなぜあるかというと、自分がblogに書いたものを、誰かがどっかで紹介したり批判したりしたことがわかるようになるからだ。または、どっかのだれかのblogでおもしろい記事を見つけたときに、その記事から派生した別の人の記事を簡単に読める(というかどこに書かれてるか知ることができる)からだ。たぶん。
 ここまでで明らかなように、はてなダイアリー内にはこのトラックバック機能「のようなもの」がすでに組み込まれている。それが、記事中にほかのユーザーの名前を"id:だれそれ"と書いたりある日記記事にリンクを張ると、そのユーザーの日記編集画面に"refer:リンク元ユーザーの記事URL"と表示されるリファー機能だ。たぶん。
 トラックバック機能は、いろいろな種類のblogサービス(MovableTypeココログgoo blogそしてはてなダイアリーなどなど)を「またいで」使うことが出来る。それによって、全く違うblogの記事に(そしてその記事を書いたユーザに)「あなたの記事に言及しましたよ」と通知することができるところが、はてなダイアリー内のリファ機能と最も違う点だ。たぶん。
 どうしていろいろな種類のblogで共通したサービスなのかといえば、さまざまなblogのソフトウェア/サービス開発者がしめしあわせているからだ。だから(かつてのはてなダイアリーのように)しめしあわせに参加しなかったサービスにはその機能はないし、あるいはあとからその機能を実装したサービスもある。たぶん。
 以上のように、トラックバック機能というのは、誰かよそでblogを書いている人に言及を通知する気がさらさらなければ一生関係ないしくみだ。やや手間もかかるかったるいものにも関わらずこういう機能が多くのblogサービスに実装されているのは、主にblog/ユーザ間をまたいでの議論をすすめやすくするためだろう。たぶん。
 たとえばココログのあるユーザが書いた記事に対して、はてなダイアリーユーザの僕が反論を示すには第一にそのココログの記事のところでコメントをつける方法がある。でもそれよりも、自分の日記内に書いたほうが編集や削除も容易だし、コメント欄に比べて読みやすい。そして、「あなたの記事について私の日記内で反論しましたよ」というお知らせを、トラックバック機能で送るわけだ。そして、言及されたココログユーザがさらに反論を書いてみたり、MTやgoo blogのユーザがそれぞれに意見を述べる際に、僕の日記に対してトラックバックを送ることで、議論に参加している人間を明確にしたり、一連の議論を追いやすくすることができる。たぶん。
 はっきりいって、そのココログユーザの記事のコメント欄に「私の日記でコメントしました、URLはこれこれです」と書くのと何が違うかというものだ。たぶん。
 だから、コメント欄に書けばいいものをわざわざ技術的に解決しようとするのは、ソフトウェア開発者の自己満足と、「言及しました」の一言もろくに言えないのを補うためにあるのだろう。こう考えるのは、「トラックバック機能」などというなんだかわからない名前、素人を寄せ付ける気のない(あるいは能力のない)さまざまなところにある解説、説明をみれば明らかだろう。たぶん。
 というか、なんでこんなにぐだぐだ書いたかというと、ずーーーーーっとトラックバック機能とかリファとかが何を言ってるかさっぱりわからず、ひがみから怒りを覚えていたからで、何でも人のせいにしたがる僕の性格をさっぴいても、ソフトウェアの開発に携わる人々というのはものすごく「説明」がへたくそだ。マニュアル/リファレンスを書くことはできても、下のほうに降りていって「わかってもらう」という行為ができる人は非常に少ない(僕の知り合いにはいないし、googleの検索結果上位にかからないだけかもしれないけど)。間違いなく。
 はてなダイアリーにしたって、その便利さや気の利いた機能、誠実で熱心な保守と改良にはただただ感心するばかりだけど、最初の入り口(ユーザ登録して、さあweb日記というものをはじめるか、あたり)や、マニュアルはお世辞にも良く出来ているとは言えない。「わかっている人」がまず始めて、「まあまあわかる人」を取り込むことはできても、ふらっと立ち寄った、誰かに聞くこともできないライトユーザがどうやってユーザ登録を終え設定を済ませて、携帯電話から画像を送ったりできるというのか。「ほかのひとみたいに」日記のよこにリンク集(アンテナモジュールのことだ)をつけたりするのかについての考慮は皆無だろう。たぶん。
 愚痴っぽいと思われたくないので手遅れかもしれないけどここでやめる。