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2016-08-10

再びスポーツは国際政治の舞台となるのか?

今回はどちらが「熱心」かと考えると色々と面白いお話になりそう。


ロシアをパラリンピック参加停止に ドーピング問題で - BBCニュース

そういえばオリンピックが開幕しましたけども、ドーピング云々でまぁ愉快なことになっているそうで。

一方で、国際オリンピック委員会(IOC)は先月、リオ五輪へのロシア選手団の参加を認める判断を下している。

IPCは、「ロシア・パラリンピック委員会は、IPCの反ドーピング規定や世界の反ドーピング規定の順守と執行を、彼らの管轄下において保証することができない。またIPCのメンバーとして基本的な義務を果たすことができない」とし、「その結果、ロシア・パラリンピック委員会の資格を即時停止する」と述べた。

ロシアをパラリンピック参加停止に ドーピング問題で - BBCニュース

おそらく政治力を発揮できたIOCでは出場全面禁止を回避できたものの、しかしIPCの方ではそうではなかったのだろうなぁと。身も蓋もない委員会内の政治バランスの結果が、こうして両者の解答の違いとして出たのでしょうね。

――面白いのと同時にまた悲劇的でもあるのが、「ドーピングしてまで」の国威発揚=メダル獲得競争に熱心でなかっただろうパラリンピックだからこそ、その構図故の身の潔白がそのまま政治資源の乏しさに繋がり、結果追い出されたっていうのはホントかわいそうなお話ではあります。


声明の中では「今我々は、スポーツへの政治介入の危険な繰り返しを目にしている。最近の出来事、国際的なスポーツとオリンピックムーブメントを取り囲むふつうではない雰囲気は、1980年代初頭と似たものをひとりでに呼び起こす。このような介入の形は変化したが、本質は以前と同じで、スポーツを地政学的圧力、国や民族のネガティブなイメージづくりの手段としている」と述べられている。

プーチン大統領 ドーピングについて:ロシアは国際的な義務を果たしている

そもそも論を言えば、プーチンさん自身も言っているように冷戦時代といえばまぁスポーツも両陣営の争いの最前線の一つでもあったわけで。だからこそ(ナチスから続く)自身の優位性を示すために彼らはドーピングに手を染めるし、更には国際的なスポーツ連盟の多くの各委員会では代表者間の勢力バランスを保つことに神経戦が行われていた。


冷戦が終わりロシアに経済的余裕がなくなるとそうした政治は表向き徐々に後退していていったものの、ところが時代は変化しつつある現在、再びスポーツナショナリズムも復活し、ドーピング(今回のようにそれへの「批判」も含む)や、国際スポーツ委員会を舞台にしたパワーゲームも帰ってくるのかなぁと。

その意味で、今回はかなり不利な決着を押し付けられたロシアではありますが、単純に今後も不利なまま続くのかっていうとそうともあんまり思えないんですよね。だって、ロシアや中国が尚もそうした国威発揚を重視する一方で、欧米を筆頭に(招致反対も少なくなかった私たち日本なども同様)ぶっちゃけそんなもの飽きつつあるから。

――となると、スポーツ委員会の政治ゲームの様相もこのまま行くとは思えないよね。中国っていう大スポンサーもいるのだし。


あるいは、もしかしたら、この21世紀、所謂西側な私たちも再びオリンピックとそこに潜むナショナリズム的感情に熱中する時がくるかもしれない。まぁそれはそれで地獄感ありますけど、でも、世の中どんなことだってありうるしね。


がんばれオリンピック・パラリンピック。

2016-08-07

通常日記

手抜き日記。というかたぶん今月一杯はほぼ手抜きペースなのでごめんなさい。


  • なぜ人は大量殺人を犯すのか  - BBCニュース
    • 結構言われていますけど、イスラム教義の暴力性云々というよりは、そうした大義の存在自体が越えちゃいけないラインを超える最後の一押しになっているという面は大きいのでしょうね。それは何も宗教だけじゃなくて、極右極左といったイデオロギーでも同様なのは、本邦を見ていてもちょっと解ってしまいますけど。
  • クリント・イーストウッドがトランプ氏支持 「軟弱な時代だ。誰もが発言に細心の注意を払う」
    • 言いたいことも言えないこんな世の中じゃ、ポイズンするしかないよね。
    • ともあれ、まぁでもやっぱり反PC運動ってあちらではそこそこ歴史があって(といってもせいぜい数十年)長年の鬱憤が溜まりまくった結果が現状の一端としてあるのは確かなのでしょうね。それこそ日本みたいに一度圧力抜けば=大統領にはならないにしてもトランプさんでこうして大騒ぎすれば、その後は急速に萎むんじゃないかな。

2016-08-04

欧米社会で『宗教』が戦う最終防衛ラインの今

「信じるが、そのまま従うとは言っていない」な人たちへの最後の砦。



「各宗教の教徒が『倫理的に許容される』としていること」海外の反応|暇は無味無臭の劇薬

この調査結果って面白いなぁと。

Comment by [deleted] 3 ポイント

注目すべきはそれぞれの教義が倫理的に許容されると信者に語っていることよりも、自分の意見を通している信者が多いって事

「神のことは信じている。ただ神は俺がどうこうするべきとは言うな」って感じか。

宗教の興味深い側面。

「各宗教の教徒が『倫理的に許容される』としていること」海外の反応|暇は無味無臭の劇薬

つまり、これってある意味で典型的な欧米世俗社会の姿だと思うんですよね。宗教教義は個人の実際の行動を束縛するものではないと少なくない人たちが考えていて、むしろ宗教教義を実生活にまで持ち込む人は「熱心な」信仰者であり決してそれが標準だとは決して言えない、のだと。

欧米的価値観における世俗主義の根幹について。


レスプブリカ・クリスティアーナは衰退しました - maukitiの日記

セックスはだれのもの? - maukitiの日記

この辺は以前からちょくちょく書いてきたお話ではありますが、上記アンケートの質問内容なんかを見ると解るように、宗教規範は今、現代社会の人びとへの影響力競争において、文字通り「最後の戦い」をしているんだと思うんですよね。現代社会において「保守的」とされるバチカンの中の人たちなんかが『世俗』と戦っているのって、政治権力じゃなくてこうした人々の価値観への影響力だったりするわけで。

――おはようからおやすみまで、人びとは神の教えに従って生きるべきである。

イスラムと違って政治的に去勢されたキリスト教の大多数において、最早、食事について等の生活規範はほぼ個人の自由として切り離されている。人生哲学・倫理に深く踏み込むような重要なテーマ=生死についてはまだギリギリその限りではないが、それ以外の生活に関わる宗教規範を守るのが自由であるのと同様に、守らないのも等しく「個人の」自由である、ことになってしまった。


欧米社会にある反イスラム的な感情がタテマエとは裏腹に事実上許容されているように見えるのって、むしろこうした『非世俗』な人たちへの奇異の目、という要因が実は半分くらい占めているのではないかなぁと思ったりします。もちろんそれは例えばアメリカで言えば宗教規範と実生活を結び付けるモルモンな人たちにも同様に向けられていて、しかしだからこそ、その奇異な人たちへの視線がごく当たり前の感情として欧米の世俗社会に内包されることになる。

どちらがより優れているかとかはまぁともかくとして、しかしこの根本価値観の隔絶って色々と根が深い問題ではないかなぁと。そしてヨーロッパではそうした基本的な立ち位置(=世俗主義と非世俗主義のような)ギャップを解決できないからこそ、多文化主義は行き詰ったわけで。



宗教教義は、現代人の実際の行動をどこまで制約しても許されるのか。

みなさんはいかがお考えでしょうか?

2016-07-30

戦争が社会的協調を促進した結果生まれる地獄、の一例

「敵と味方」の論理が生む天国と地獄。


フランシスコ法王 「世界は戦争状態」 - BBCニュース

あちらが(準)戦争状態というのは万人ではないにしろ、宗教原因ではないというエクスキューズは結構ポジショントークしているとは思いますけども、それ自体は少なくない人たちが同意してしまう認識だろうなぁと。

本邦もいつのまにか民主主義を無視したどくさいせいけんが出来ているらしいので、せかいはたいへんだ。

欧州でイスラム聖戦主義者による攻撃が相次ぐなか、ローマ・カトリック教会のフランシスコ法王は27日、世界が戦争状態にあると述べた。しかし、フランシスコ法王は起きているのは宗教戦争でないと強調し、「利益やお金、資源」をめぐる闘争だと指摘した。ポーランド訪問を前に、フランス北部で26日に起きたカトリック教会での人質事件で司祭が殺害されたことについての記者団からの質問に答えた。

フランシスコ法王 「世界は戦争状態」 - BBCニュース

ここで悲劇的というか端から見ている分には面白いというか自業自得というか、よりタチの悪い構図が生まれているのは、これが「ただの戦争」ではないという所かなぁと。批判的に言われることも多いですが、女性進出から人種差別緩和まで、技術進歩だけでなく戦争が(リベラルな方にも)社会改革をもたらしてきたのって概ね事実と言っていいでしょう。

――では今回も、現在あるヨーロッパの事態が、そんな風に更なる社会融和を生む土壌となるのか?

というと、まぁこちらも少なくない人たちが懐疑的になってしまうのが、あちらの民主主義で示されている現状であるわけで。彼らと更なる融和を図るのではなく、もう来ないで欲しい、なんて。


つまり、戦争状態だからこそ促進する社会内協調がむしろ逆方向に働いている、という現実が今のヨーロッパにある。


とんとんとんからりんと隣組の経済学 - himaginaryの日記

ここら辺は、少し前のhimaginary先生の日記にもほとんどそのままなお話があって、

過去10年間、20近くの研究が、40ヶ国以上での調査や行動実験において持続的な強いパターンを発見した:個人が戦争の暴力に晒されると、住民参加や向社会的行動といった地域レベルでの社会的協調性は高まる。従って、戦争は個人や社会に負の遺産を数多く残すが、地域の協力や市民参加という点ではプラスの遺産をもたらすように思われる。我々は一連の実証結果を検討、総合、再分析し、別の説明を比較考察する。

とんとんとんからりんと隣組の経済学 - himaginaryの日記

これはまぁ世間知としても良く言われるお話で、多くの人が納得する構図ではないかと思います。敵の敵は味方、危機に際して(否応なく)協力関係へ。戦争に限らず災害や、よりカジュアルに言えばスポーツなんかでも。


そもそも何故『戦争』で社会的協調が生まれるかって、そりゃ「共通の目的」が生まれることで未来を見つめ、過去を一時的にでも忘れさせてくれるから、という身も蓋もない理由なわけですよ。勝利という共通の目標の為に、過去どころではなくなり、自然と人びとは目的の為に連帯するようになる。本邦でもしばしば戦中日本の「欲しがりません」なんかが批判や揶揄の対象とされますけども、あんなの人間社会ほとんどどこでも見られる光景であるわけで。ちなみに同じ構図から大目標が見つかることで、個人で自殺率も下がったりするそうで。戦争ってすごい!

私たちは危機や緊急事態に際することで、対立する人や集団は共通の目標を見出すことができる。いいないいな人間っていいな。

戦争の暴力はとりわけ仲間内の、ないし、「偏狭な」規範や嗜好を増幅させる、という兆候がある。もしその発見が本当ならば、それが意味するのは、我々が取り上げた社会的一体性の高まりは、必ずしも広範な平和を促進するものではない、ということである。

とんとんとんからりんと隣組の経済学 - himaginaryの日記

ところがぎっちょん、そうした団結や社会的協調ってあくまで「敵と味方」に分けることで生まれるモノでもあるわけで。かくして社会内部にある亀裂は下手をすると、戦争や災害など緊急状態になると従来あった「そのラインに沿って」敵と味方として分断し固定化させてしまうことになる。

――まぁ本邦にも色々と思い出したくない過去があるように、こちらも同様に世界中ほとんどどこでも見られる光景でしょう。

この前提から考えると、今のヨーロッパでも元々多文化共生を実現できていれば今回のような危機において、更なる社会的協調を生み出すことができた未来だってあったはずなんですよ。

「我々は等しく同じ欧州市民であり、イスラム過激派とは一線を画すのだ」

今でも諦めていない人がそんな風に叫んだりしてしますけど、しかしそうした理想論とは裏腹に、現実はこれまで見ないフリをしていた亀裂に沿って『敵と味方』を分断しつつある。彼らの言う多文化共生は、実の所「相手のことに関わらない」複数単一文化主義でしかなかったから。今の欧州はその意味で、団結ドーピングとなるだけの『危機』に遭いながら、しかしそれはまったく逆に作用している。

そりゃ戦争状態と言われても不思議はないよね。。


いや、それでも元々ある「地元住民」「移民(難民)社会」のそれぞれ内部同士では高まっている言えるかもしれない。まぁそれってつまり更なる地獄への道でもあるんですが。

まさに彼らは緊急状態にあるからこそ生まれる「敵と味方」の論理で結束しつつある。果たしてその論理は彼らの社会的協調を助けるか、あるいは亀裂を更に深くしてしまうのか?


みなさんはいかがお考えでしょうか?

2016-07-28

通常日記

手抜き日記。


  • 容疑者宅を家宅捜索 相模原襲撃 - BBCニュース
    • あーもうめちゃくちゃだよ。でも誰かが予言してたのと似た展開だよね。「近い将来、介護(養護)の奴隷労働に絶望した若者が一線越えちゃう」のって。ここに限らず職場でキレるのは、少し前にアメリカでそんな構図の銃撃事件がありましたけど、まぁグローバル世界で生きる私たちにとって避けられないのかなぁと。報道見る限りちょっとこの人はガチ過ぎなので構図はズレてるけど、でもこんな思想の人が働いてるって時点でもう。