maukitiの日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2017-01-17

「外からの多様性」を認識しながら、しかし「内なる多様性」を認識しようとしない人たち

リアルに「サイレントマジョリティを考慮」したらこうなったよ。


メリル・ストリープ、ゴールデングローブ賞のスピーチでトランプ次期大統領を批判(全文)

話題になってたアレ。別にスピーチを否定したいわけでもないものの、まさにこうした態度こそが『分断』構図の象徴的事例に見える面白いお話かなぁと。

ハリウッドには部外者と外国人が大勢います。その人たちを全員追い出したら、フットボールとマーシャルアーツ(総合格闘技)以外に見るものがなくなります。しかしそれはアーツ(芸術)ではありません。

メリル・ストリープ、ゴールデングローブ賞のスピーチでトランプ次期大統領を批判(全文)

傲慢というか、無邪気な発言ではありますよね。そこに「そうは考えていない」人たちが居るなんてまったく想像していない。自ら語る正義を確信しその正義以外には正義などないと信じている。でもまぁ世界には、自らが信じる神以外に神など居ないと信じている人たちが、まったく同様にいっぱい居るからそんなものかもしれないね。


でもこれってある意味で、自分が同じ集団に属しているから、という身内での発言であるというエクスキューズがあるからこそ出来る発言じゃないかと思います。もし、こんなこと他所の文化集団に向かって言ったら炎上確定ですよ。

「しかしそれはアーツ(芸術)ではありません」なんて。

もちろんそうした配慮や認識というのはダブルスタンダードというよりは、自分たちの文化社会の外には全く異質のそれが存在しているという、多様性の自覚という点で適切な態度ではあるのでしょう。

しかしこうした無邪気な人たちは、自分の社会については「みんな誰もがわたしと同じことを考えているはずだ」と簡単に突っ走ってしまうことがしばしばあるんですよね。まさに自分の考えこそ自らの社会や文化を代表しているのだと。勝手に代表面する人たち。

――それが良いか悪いかはともかくとしても、ほんとは同じように考えていない人たちだって居るはずなのにね。サイレントな声として。

ちなみに、過激なイスラム原理主義な人たちに反発する「ふつうの」イスラムの人たちの反発って、こういう所にあったりするんですよね。イスラム過激派は、なぜか他の大多数のムスリムを差し置いて、自らこそがイスラム社会の声だとばかりに代表面をしているから。

勝手で傲慢な代弁者たち、というのはまぁ古今東西どこでも嫌われる特性ではありますよね。


異邦人たちとの多様性を認めながらも、同胞内部における多様性は認めようとはしなかった人たち。

「部外者と外国人」が居ることの多様性は認められても、自分と「違う考え方」を持つ人たちが内部に居るという多様性を認めることはできなかった。せめて認めることはできなくても、ちょっとだけ謙虚になれればよかったかもしれない。しかし彼らはその異端者たる人びとの存在価値はないものとして扱ってしまった。

一体どうしてそういう地平に辿り着いているのかちょっとだけ興味はあります。自身の『神』の無謬性を確信しているのか、自分と違う意見の人間には発言権はないと考えているのか、それとも本当に極々少数しか居ない=故に無視できる数だと考えているのか。

でもまぁ世界には、自らが信じる神以外に神など居ないと信じている人たちが、まったく同様にいっぱい居るからそんなものかもしれないね(二回目)。


そんな『善き』彼らが思ったよりも、同じように考えない『悪しき』人たちだけでなく、『お前の態度が気にくわない』な勝手な代表面に気に喰わないという人たちは、選挙で勝てる位にはいっぱい居たことが明らかになってしまった。サイレントな人たちは、決して無視できるほどのマイノリティなんかじゃなかった。

かくしてトランプは舞い降りた。

2017-01-15

スタンドバイミーアメリカ

でも未来に帰りつつあるアメリカ。


レックス・ティラーソン次期国務長官がもたらしうる暗い世界: 極東ブログ

面白いお話。

 問題はむしろ、相対的にこれまで世界の原油を支えてきた中近東なかでもサウジアラビアへの米国関与が弱体することだ。この地域の秩序がさらに崩壊する。これがオバマ政権下ですでに進行していたことだった。

 オバマ政権は、実質イランとサウジアラビアの代理戦争であるシリア内戦に無関心だった。関与については、ドローンによる殺戮を強化するくらいだった。映画『アイ・イン・ザ・スカイ 世界一安全な戦場』は英国映画だが、この主題が問われるのはオバマさんでしょう。

 いずれにせよ、この動向がさらに進展していくだろうし、むしろ現在のシリア情勢がロシアの関与によってもっとも悲惨な形で「安定化」させられていくように、ロシアによる地域秩序の分担が起こるかもしれない。

レックス・ティラーソン次期国務長官がもたらしうる暗い世界: 極東ブログ

この辺はシェール革命なんかが騒がれていた当時から言われていたお話でもありますよね。元々カータードクトリンなんかにあるように、彼らは石油価格への致命的影響を避けるためにこそかの地の安定を願ってきたわけですよ。東アジアにおける日本と同様に、サウジは地域での重要な同盟相手として役割を果たしてきた。


ここで更に面白い――あるいはfinalvent先生が言う所の「暗い世界」が見えてしまうのは、アメリカにおけるタカ派の「親イスラエル」の抑止力の一つとなってきたのも同様に、こうした中東騒乱=石油危機への恐怖でもあったんですよね。

ずっと反アメリカ言説としてあった、アメリカの「イスラエル擁護」のポジションは、同時進行で「サウジとの友好関係」でもあったわけで。本来であれば矛盾するはずの両者を両立させてきた(=中東の安定化)のが、これまでのアメリカ外交の現実主義でもあった。ちなみにイスラエルの核兵器問題もこの文脈にあって、イスラエルが核を持ってると明言してしまうこと自体が中東世界の致命的な不安定化要因になりかねない。故にあの国の核は誰もが知っていながら「ないことになって」責めることも庇うこともしない均衡状態として存在してきた。


ところがぎっちょん、オバマさんは両輪の片方(サウジ関係)を捨てつつあり、次のトランプさんはそれだけでなくもう一方(イスラエル関係)を強化するとまで言っている。もうアメリカはそばに居てくれそうにない。

いやぁ「暗い世界」というのも無理ないよね。


石油が沸いたおかげで欧米列強の草刈り場となり、石油が沸いたおかげで既存秩序が崩壊しつつある中東。

何もかも石油が沸いたのが悪いんや!(100年ぶり2度目)



中東の火薬庫への導火線はあと何マイル?

2017-01-14

誰もが犠牲者でいたがるすばらしきこの世界

先ず殴るより、先ずは殴られたいマジで。


「少女像」問題、米が日韓関係改善促す 米韓外相会談:朝日新聞デジタル

そういえば最近また日韓合意が面白おかしいことになっているそうで。

毎度のことながらこの辺の話題は、やる気スイッチ君のはどこにあるんだろう〜のもう押され過ぎて壊れかけたBボタン並の危険ネタではあるのでタクシー運転手の野球ネタの如くあるいはビアンカvsフローラネタの如く、出来る限り避けて生きていくのが適切ではあるんですが、折角の個人ブログだし記念カキコ。

過去の歴史の被害者である私たちが犠牲者なのか、それとも現在の合意を無視されようとしている私たちこそが犠牲者なのか。



以下、それとはあまり関係ないお話。





良いか悪いかはともかくとして、特に現代における国際社会という自然状態で重要な戦略目標の一つとして、如何にして犠牲者であるかを演出するという点があるんですよね。アメリカやロシアや中国やイスラエルのような唯我独尊な国家ですら一応は取り繕う大義名分。

「我々は犠牲者である(故に正義は我々にある)」

特にテロ戦争や非対称戦争が言われるようになった『9・11』からは、元々は強者と弱者という文脈で語られがちだった構図が――なまじテロ攻撃で派手な成果が上がることが証明されたおかげもあって――「加害者」か「犠牲者」という形で一層語られるようになった。敵方こそがテロリストであるという烙印を押すために。

これは多分に広告戦略(こちらは特にはユーゴスラビア以降)の発展と進歩が関わるお話でもありますが、速報性の高いニュースの登場によって象徴的・表面的なイメージを私たち大衆に認識させ感情を動かすようになったことの帰結なんですよね。現代世界において(仮に演出の成果であろうが)犠牲者ポジションであることの政治的利得はずっと大きくなっている。挙句には犠牲者になることが『陰謀』とすら言われるようなる始末。

犠牲者であれば倫理面で優位に立てる。倫理面で優位に立てるという事は、国内外で自身の正当性をアピールできる。


昔から個人の非暴力あるいは無抵抗主義的な善性を表す言葉として「殴るより殴られた方がいい」「殺すより殺された方がいい」なんていうとてもうつくしい言葉があったりしましたけど、現代においては犠牲者のポジションを得ることは政治的な利得がとても大きく、むしろ合理的な行動ともなっている。右の頬を殴られたら、更に左も殴らせればより一層犠牲者としてのポジションは盤石となるのだ。聖書は良いこと言ってるね。


かくしてテロや事故が起きると、まるで神の恵みのようにそれを喜び、従来の政治的資源に結びつけようとする人たちが生まれることになる。

しばしば見られる死ぬほど醜い光景ではありますが、でも犠牲者であることが「美味しい」のだから仕方ないよね。


がんばれ人間。

2017-01-11

オバマへの失望はトランプへの希望かもしれない

『核なき世界』の失敗はオバマがわるかったんやない、世界がわるかったんや!


「イエス・ウィー・ディド」、オバマ米大統領が任期最後の演説 写真8枚 国際ニュース:AFPBB News

ということでオバマさんの最後の演説だったそうで。個人的には最初の印象よりもずっと思ったよりは努力はしていた大統領だなぁと思うと同時に、思った以上に『負の遺産』残しまくった大統領かなぁと。前任者が子ブッシュさんでもあったし、まぁ多少はね。

【1月11日 AFP】米国のバラク・オバマ(Barack Obama)大統領は10日、任期最後となる国民向け演説を地元シカゴ(Chicago)で行った。大統領に初選出された際に用いられたスローガン「イエス・ウィー・キャン(Yes We Can、わたしたちはできる)」を「イエス・ウィー・ディド(Yes We Did、わたしたちはやり遂げた)」に変え、ホワイトハウス(White House)での8年間を締めくくった。

「イエス・ウィー・ディド」、オバマ米大統領が任期最後の演説 写真8枚 国際ニュース:AFPBB News

もちろんアメリカ及びロシア両国の核兵器が減ったことで地球上に存在する核兵器総量そのものが減ったのは間違いないものの、一方でそれ以外の(現状維持の英仏除いた)核保有国のほとんどはむしろ増えているわけで。「総量では減ってるからセーフ」か「それでも核は減ってない」のか。

もちろん核なき世界=ゼロというのは言葉のあやではありますが、これで「やり遂げた」というのもちょっと無理があるよね。



ただオバマさんを擁護すれば別に彼だけに限った話ではなく、トルーマンから子ブッシュまで歴代米大統領の核戦略のほとんど全てが同様に、そのタイミングでの国際関係のトレンドや国内政治趨勢(よりぶっちゃければ議会勢力)によって左右されてきたわけで。まぁ最初から言われてたお話ではありますけど、問題が複雑で大き過ぎて個人の努力どうこうでどうにかなる話ではないんですよね。

――結果として見れば、オバマさんはそのどちらにも裏切られた。あるいは根本的にやる気が見られなかった。

当たり前の話ながら米ロの核兵器を一緒に減らすには相手との協調関係が重要なわけですよ。両国の核削減合意が進んできたのはほとんどその両国関係の良し悪しと一致してきた。それなのにロシアとの関係は、ほとんど冷戦後最低と言う所にまで行き着いてしまっている。これなら次のトランプさんの方がまだ望みはあるとさえ言えてしまうレベル。他を見ても、自身も成果の一つとして挙げているイランはどうにか成功と言えるかもしれないけれど、北朝鮮や印パそして中国の核兵器を減らすことは絶望的であります。広島訪問は、うん、まぁ、演出としてはよかったよね。

両輪のもう一つである国内政治勢力も、オバマさん誕生の瞬間を除けば議会の「ねじれ」現状はほぼ常態としてあり続けた。『核』に関する予算承認や、各種条約批准も議会の協力が無ければ進まないのにね。『核なき世界』を目指すにあたって最も重要なメルクマールの一つであった包括的核実験禁止条約=CTBTも批准できなかったように、減らすどころか増やすことへのハードルを上げることさえ無理だった。正しい(と考えている)ことをやるにあたって、独裁政権なら無視できる民意も、良くも悪くも民主主義国家では選挙で勝たなければなにも進まないのだから。



掲げた理想へ向けて本人のやる気こそあったものの、しかし結局は現実で動くべきだった外交も議会運営もまったくそうした方向へ進められなかったのを見ると、そらこうなるよねという印象ではあります。「口ばっかり」というのはオバマ批判の良く聞かれるフレーズではありますが、少なくとも『核なき世界』に関してはまったくその通りだったよねぇ。

彼は外交においても、議会運営においても、『核なき世界』という理想に失敗した。


個人のポジションはあっても、結局は国内にしろ国外にしろ現実のパワーバランスの限界でしか動けなかったオバマさん。

逆説的に、同じく個人のポジションを声高に鮮明にしているトランプ政権への慰めにはなるかもしれないね。オバマさんがあれだけ「言っても」結果はご覧の有様だったように。そうした現実の力関係を変えられるほどトランプさんが有能だったら困ってしまいますけど。


なにはともあれ、オバマ大統領おつかれさまでした。

2017-01-10

通常日記

手抜き日記。



  • ソ連崩壊から25年 ロシア国民の過半が「帝国」消滅悔やむ - BBCニュース
    • プーチンさんの有名な「20世紀最大の地政学的悲劇」なセリフもあるように、まぁそう考える人たちは多いのだろうなぁと。それこそ少し前にトランプさんが言いまくった「Make America Great Again」なんてのもあるわけだし。やっぱ二人は似ているね。
    • この前提の上で考えるべきなのは、そうした文句に同意するのは何もアレな国だけの例外ではなく、ほとんどどこでも同意する国民は決して少数派というわけではないという点だよねぇ。