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Sat 8-8-15 はてなブログを始めました

はてなブログを始めました

 詩・音楽・アイルランド関連の話題を扱うはてなブログを始めました。こちらはそのまま残します。こちらの記事ははてなブログにエクスポートします。

 以下はブログに関する覚書。

 ブログ(blog)がweblogの略として2003年頃から広まった当時から、ブログをやっています。種々の形式を試しました。

 いちばん自分として手をかけたのはサーバを借りてMT(Movable Type)をインストールし、一から構築したときです。サーバにもよりますが、ある程度プログラムができ、おもしろかったのです。元々、UNIXミニコン上でC言語で自然言語の処理をしていたので、書くことは好きです。

 しかし、プログラミングに時間がかけられなくなり、既成のブログ・サービスでよいものがないか探し始めました。

 結局、はてなブログで、考えていたことがほとんど出来ると分かったので、今後はそちらを主な更新場所にします。

Fri 7-8-15 武田邦彦『「メタボは怖い」は情報操作だった』

メタボとは本当に怖いのか

武田邦彦『「メタボは怖い」は情報操作だった』(日本文芸社、2014) [Kindle版]


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 刺激的なタイトルの本だ。もし、「メタボは怖い」は情報操作だったとすれば、本当の情報はちがうことになる。さらにいえば、「メタボは怖くない」と示唆しているようでもある。

 急いで説明しておかなければならないのは、著者は工学者であること。本書が問題にするのは、日本の特定健診(「メタボ検診」)の不可解さ、不合理さ(と著者が考えること)についてであること。さらに、本書は、元来は『新聞・テレビは「データ」でウソをつく――政府とメディアのデータ・トリックを見破る方法』(日本文芸社、2013)の第9章を元として電子書籍として分冊化したものであること。したがって、関連する「血圧」などに関しては、元の本にあたるか、同じように分冊化された『「高血圧は長生きできない」という医療のウソ』を読まないとわからない。

 メタボに関しては、特にその定義や診断基準に関して世界的に議論がおこっているが、そういうことは本書では問題にされていない。主に問題にされるのは、腹囲に関する日本の基準値(男性85cm、女性90cm)のことだ。これをもとに、ある一定期間にそれを下げないと自治体や健康保険組合にペナルティをかけるというやり方にひそむ矛盾した論理について問題にしている。

 鷗外と漱石がなぜ60歳以上生きられなかったのかとか、医師の職分とか、平均寿命の問題とか、いろいろと興味深い話題が取上げられている。

 評者が一番おもしろいと思ったのは、「他国より、痩せすぎ女性の多い日本」という文章で、そこに挙げられたデータには驚かされた。そのデータを下に掲げるので、ご関心の向きはご覧いただきたい。「痩せすぎ女性比率の国際比較」というデータで、世界の中の日本女性という観点から見ると興味深いグラフになっている。国際的な標準線が図では黒線でかかれているが、日本だけが別のところにある。つまり、日本は「GDPが3万ドルもあるのに、痩せすぎの女性が15%もいる」という状況がこのデータから読取れる。これは、おおよそ、女性の体は豊かであれば太り、貧乏なら痩せるという国際的傾向に反するデータだ。なぜ、こんなことになったのか。そこから興味深い問題がはじまる。


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〔痩せすぎ女性比率の国際比較〕



Thu 6-8-15 重松清『その日のまえに』

「その日」の前後のひとの歩み

重松 清『その日のまえに』(文春文庫、2008)


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 ばらばらの作品が集められているわけではない。ここに収められた順序でよむことに意義がある作品集。

 テーマは、どれも死別だ。突然おとずれる別れではなく、あらかじめわかっている別れ。あらかじめ別れがくるとわかっていても、悲しみはへるわけじゃない。むしろ、よりふかくなるかもしれない。ただ、その別れに向かいあうひとびとは、それぞれ考えをめぐらす。ひとつとしておなじ別れはないから、ひとつとしておなじ考えもない。おそらく、答えもない。

 おとなになってからの別れはまだ冷静によめる。が、子供時代の別れというのは、よむ側にうまくこころの準備ができない。

 さらに、夫婦のどちらかがさきに逝く場合はまだ冷静によめる。が、おやこの別れは頭で割切れない。

 本書におさめられたさまざまの別れをよんで、どうしてこれほど印象がちがうのだろうと思う。おそらく、自ら選びとった人間関係(夫婦など)と、そうでない人間関係の場合とでは、本質的にちがうのではないか。

 ぜんぶで七篇おさめられており、うち、五篇はつながりがある。残りの独立した話のうち、「ヒア・カムズ・ザ・サン」はどこか、余韻がほかの話とちがい、後日談もふくめて、もっと読んでみたい気にさせられた。とくに、ギターの弾きがたりでグレゴリオ聖歌をうたうカオルくんのことが気になる。

 もうひとり、気になる人物がいる。表題作三部作で登場する山本師長だ。妻を喪った主人公に対し、かたちだけ話を合わせるのでなく、深いところまで届く声をかける。死別の当事者ではない、いわば第三者のこうした声にはすくわれる。

 カオルくんといい、山本師長といい、印象にのこる脇役をかかせたら、重松清天下一品だ。

 本書のような別れに際し、寺山修司なら、たぶん、井伏鱒二の詩を口ずさんでのりこえることだろう。それはこんな詩だ。

  花に嵐のたとえもあるさ

  さよならだけが人生だ


Wed 5-8-15 「考える人」 2014年 05月号

物語は詩に、あるいは歌に近づく

「考える人」 2014年 05月号新潮社、2014)


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 「海外児童文学ふたたび」特集の号。

 看板になっている記事群は、残念ながら、ぼくにはおもしろいと思えず、この号を買ったのは失敗だったかと思い始めていた。

 ところが。藤津亮太の評論「テレビアニメが教えたくれた世界の名作」に、おやと、眼をひらかされた。

 だけど。そのあとは、また、ぼくにはおもしろいと思えない文章がつづく。

 ところがところが、最後に宝がかくれていた。小特集「石井桃子を読む」である。特に、「石井桃子のこの一冊」というちいさい字の記事群のなかの松浦寿輝『たのしい川べ』と水村美苗『幻の朱い実』の二本には、こころのそこからうならされた。

 松浦寿輝はケネス・グレーアムの『たのしい川べ』を、小学・中学・高校を通じて「繰り返し巻き返し再読し、ほとんどその全文を諳んじてしまうほど濃密に付き合」った。石井桃子の完全訳になってはじめて読めた7章と9章。その9章の、海ネズミの語りについて、「物語は詩に、あるいは歌に近づく」と書き、引用する。


そして、話は――すばらしい話は――流れるようにつづきました。しかし、それは、たしかに、話だったでしょうか。それとも、ときには、歌にうつっていったのではないでしょうか?


この箇所につづく分析は、児童文学に対するこんな深い分析はよんだことがないというくらい深い。話が歌にうつる、は原文では 'pass ... into song' となっている。

 松浦寿輝は文章のしめくくりに、「この現世に生きるのは、そんなに悪いことではないのかもしれない」と、こうした物語から囁きかけられたとしるす。そして、「子供のための物語が果たすべき唯一の使命とは、そう囁きかけることに尽きるのではないだろうか」とむすぶ。


Tue 4-8-15 高城剛『SOUL RESET 魂の再起動』

高城剛の提唱する魂の健康とは

高城 剛『SOUL RESET 魂の再起動 魂の声に耳を澄まし、未来を見通す方法』マガジンハウス、2012)


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 高城剛の『黒本』で、魂の捉え方に興味をいだき、同書で出てきた佐藤界飛の考えも、おもしろく思った。本書は、それらの要素をさらに深めたものではないかと期待して読んでみた。高城説と佐藤説の両方が含まれているからである。両者の対談もある。結論は、ある程度、期待に応えてくれる。が、構成が複雑で、必ずしも高城が提唱する内容が分かりやすいとはいえない。つまり、書物としては編集に難があると感じられるが、内容はおもしろく、かつ、おそらく、重要なことを含む。姉妹編の『身体の再起動』は未読なので、本書のみから、つかみだしたことを、以下に書く。

 本書は煎じつめれば、心のダイエット法を説く。

 そのために、構造の理解をうながす。本書では、人間の「身体━心━魂」のバランスをコンピュータに喩える。すなわち、「ハード━CPU━OS」の仕組みに置き換える。

 このバランスを整えるのが最終目標だが、本書では魂を賦活するために、心に、その役割を自覚させる。心は頭がつくり出す、というのが大事なポイントで、それゆえに、頭に入る経験、知識、情報の性質を解き明かす。

 高城は、頭が喜ぶこと(ラクすることや欲望)をするのではなく、魂が喜ぶこと(感動できること、それにつながること)をすればいいと説く。このメカニズムについて、本書ではいろいろな例を挙げて説明するが、必ずしも分かりやすくない。喩えのほうが難しいかもしれない。しかし、分かるひとには分かるのではないかと思う。



Mon 3-8-15 Collins Gem Irish to English Dictionary [Kindle ed.]

Kindle用のアイルランド語辞書

Collins Dictionaries, Collins Gem Irish to English (One Way) Dictionary [Kindle版]


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 Kindle用のおそらく初のアイルランド語ー英語辞書。辞書本体の内容は紙冊体の Collins Irish Dictionary (近年のPocket などを含む)と同様である。

 結論から言えば、Kindleでアイルランド語の書籍を読む人は文句なしに買いだ。競合するものにCollins Pocket Irish DictionaryのKindle版があり、附録と価格に違いがある(Pocketの方は値段が倍)。辞書本体の内容は同じと思われる。

 気をつけないといけないのは、アイルランド語の書籍を読んでいるその場でこの辞書を既定の辞書としてポップアップさせて引くためには、Kindleの第2世代以降の機種でないといけない。具体的には次の機種と説明にある。

  • Kindle Paperwhite
  • Kindle (第4世代)
  • Kindle Touch
  • Kindle Keyboard (第3世代)
  • Kindle (第2世代)
  • Kindle DX

ここには書いていないが、Kindle Voyage でも問題なく動作する。iOS 版のKindleでは辞書を単体として使うか、引くたびに辞書を指定してやれば使える。なお、上記の機種ではもちろん辞書を単体として使うことは可能。Kindle Fireでは辞書を単体として使うことのみ可能。

 本辞書の最大の特徴はアイルランド語の実際に使われる形(種々の文法的変化、活用の形)でも(ほぼ)問題なく辞書の見出し語にたどり着くことだ。つまり、気になる単語を長押ししてハイライトさせるとすぐに語義や用例が出てくる。

 これはどういう仕組みでやっているのだろう。英辞郎Kindle版のように活用形をすべてリスト化しているのか、それとも文法的規則をアルゴリズム化しているのか。もちろん、後者の方がエレガントだが、実際には大変な作業となるだろう。なにしろ、アイルランド語の文法規則は英語のそれの7倍あるといわれており、語末だけでなく語頭も語中も変化する。

 そういうプログラマだけが知る苦労はさておき、読者としてはこんな辞書は大変ありがたい。もし、この辞書で不足であれば、FGB(アイルランド語の標準辞書)のオンライン版などを使えばよい。

 附録は軟音化と暗音化、文法、フレーズファインダ。文法は各種の活用表(前置詞的代名詞、形容詞、名詞、動詞)がまとめてある。残念ながら各種の数を表す表は附いていない(アマゾンでの商品説明には時間、月日、数に関する情報があると記載されているが)。フレーズファインダは基本会話表現を場面ごとにまとめたもの。挨拶、乗り物、スポーツ、音楽、買い物、電話、インターネット、薬局、病院など。

 なお、同じ辞書内容を収めた iOS 用のアプリケーションもあり、それは単独で使うには便利だが、もし読む本がほとんどKindleのみという人には絶対にこちらの方が使いやすい。Kindleの最大の利点は辞書と検索と可搬性にあるので、アイルランド語書籍についても辞書が登場したことは大変ありがたい。

 今のところ、たった一つ欠点がある。というより、Kindleの仕様が原因と思うけれど。章の頭の語が検索できない(ことがある)。頭の字が大きい字体になっていて、その後の文字とは別の属性におそらく扱われているため、そこが一語として認識されないのだ。これを回避するには別の語(例えば次の語)で取敢えず辞書を引いてから辞書本体を開き、あらためて冒頭の語(句)を引けばよい。面倒だけど、現状、これしか方法がない。

 実際にこの辞書で引くとどうなるのか、具体例を一つ。次の文。

I gCinn Mhara a bhíos nuair a chuireas aithne ar m’asal beag dubh i dtosach.

(初めて私の小さな黒いロバを知ったのはキンヴァラでのことだった。)

 ポーリク・オコナレ (Pádraic Ó Conaire) の短編小説「私の小さな黒いロバ」 'M’asal Beag Dubh' の書出しである。i は in に当たる前置詞。次に来る単語の語頭を暗音化する。Cinn Mhara はアイルランド西部ゴールウェー県の海辺の村キンヴァラ。この地名の後ろの要素 Mhara の意味を知りたくなったとする。その語の上に指をのせて長押しする。すると、すぐに本辞書の画面がポップアップし、見出し語 muir 「海」の項が表示される。すなわち、この語の原形は muir なのである。その属格が mara という形であることが分かる(ここではさらに軟音化し mhara となっている)。

 という風に、この文を読むためにある程度は助けになる。それは確かである。だけど、例えばその後の bhíos について知りたいと思ってこの辞書をいくら引いても出てこない(bhíos は bí 「ある」の過去1人称単数形だけど、この辞書や普通の辞書には出ていない)。それどころか、この文の基本構造を支える、文頭のコピュラ(繋辞)が省略されていることも、辞書だけではまったく分からない。

 つまり、この辞書が助けになるのは、そういう基本的語彙の部分までであって、文法知識に基づいて読み解かねばならない部分は辞書では普通はカバーしきれない。いくら巻末の活用表を見ても無理である。しかし、語彙だけでもずいぶん助けになる。



Fri 31-7-15 原田マハ『小説 星守る犬』

「星守る犬」と人間とのかかわりをえがく

原田 マハ(原作 村上 たかし)『小説 星守る犬』双葉文庫、2014)


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 村上たかしのマンガ『星守る犬』を原田マハが小説化した作品。執筆は2011年の初めで、6月には双葉社から単行本として刊行された。ここで取上げるのは2014年6月に同社から出た文庫版。マンガの英訳版の題 Stargazing Dog は、英語の 'stargazer' (「星を見つめる人」以外に「空想家」「夢想家」の意がある)を連想させる。

 原田マハが本書執筆中に東日本大震災が起こったのは偶然のこととは思えない。福祉事務所につとめる奥津京介の飼い犬は原作では名がなかった。東日本大震災で三週間ぶりに救出され飼い主のもとへ戻った犬の名「バン」が本書で採用されることになる。

 人の死を描く文学は少なくない。本書も人の死がえがかれるが、その人に最後まで寄り添った犬の死までえがく文学はめずらしい。本書を読んだ人は、どちらかというと、犬の視点でこの物語を受取るのではないか。といっても、犬はそれほど目がよくないらしい。それでも、そんな目で見つめる星空の美しさが、なぜかくっきりと心のなかに浮かぶ。星空を共に見つめる人と犬の情景が印象に残る。犬の視点から星がどう見えるかについて、こう語られる。


ぼくたち犬は、視力が弱いから、細かい光は見えない。だけど、ぼくたちは感じることができる。星の輝きを。その遠さを。ぼくたちに降り注ぐ静かな光を。


 かりに本作品が人間の側からだけえがかれていたら、単なる感傷的小説に終わっていたかもしれない。けれど、人間の感傷が犬の一途な「思い」と混ぜ合わされることによって、忘れがたい作品になった。


Thu 30-7-15 池澤夏樹『スティル・ライフ』

ミニマリストの宇宙観

池澤 夏樹『スティル・ライフ』(中公文庫、1991)


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 小説として現時点で考えると、前半と後半が別の物語のようにも見える。前半が語り手「ぼく」を中心とする物語、後半が「ぼく」の友人、「佐々井」と名乗る男を中心とする物語。だけど、読み返せば、或いはこの二つはつながるのかもしれない。実際、「ぼく」と「佐々井」とは友人同士だから接点はある。あるどころか、この小説は二人の対話から成るともいえる。

 「ぼく」のほうは、ある意味、常識的な人間だ。ふつうに働いて━━アルバイト中心だけど━━ふつうに暮らしている。数年前、地図で見つけた海辺の土地「雨崎」(あめざき)にガールフレンドと一緒に行って以来、毎年おなじ三月に雨崎に通う。あるとき、一人で行った。地名にもかかわらず雨が降ったことは一度もなかったのに、そのときは雪になった。海岸の高い岩の上に坐りこんで海の方を見ていると、皮膚が次第にゆっくりと雪の温度に近づいてゆく。〈この岩の一部になったら、一日は一秒のように感じられ、一年が一時間のように思われるのだろうか〉と「ぼく」は考える。このあとに、有名な雪の降る描写がある。


雪が降るのではない。雪片に満たされた宇宙を、ぼくを乗せたこの世界の方が上へ上へと昇っているのだ。


これは、ジョイスの「死者たち」の雪の場面とは別の意味で、しかし同じく、詩的で宇宙的な雪の感覚だ。もう一歩すすめると、天動説が地動説に変わるくらいのコペルニクス的転回が起きるところだが、そうはならない。

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 そのような認識の跳躍が起きるのが、「佐々井」が語り出す後半だ。「佐々井」は〈最小限の原則〉で生きており、持ち物が極端に少ない。みずから〈透明人間〉になったと、〈人間関係のネットワークの中に立って、その一つの結び目として機能して、それに見合う報酬を得るということをやめてしまった〉と、語る。社会内存在を消しているかのような男である。彼は始めから二つの視点を持っており、〈心が星に直結していて、そういう遠い世界と目前の狩猟的現実が精神の中で併存していた〉一万年前の人間と同じだという。地球に生きていることを、そのエッセンスのレベルで捉え、そういう自分を高い軌道の上に置いた心の一部で俯瞰する。〔文庫版裏表紙→〕

 ここまできて、小説冒頭の〈大事なのは全体についての真理だ。部分的な真理ならばいつでも手に入る〉という言葉の意味がやっと腑に落ちる。ひょっとすると、円環的な小説なのかもしれない。読み終えたら始めから読み返したくなり、その度に新しい意味が発見されるような。

 迷える「ぼく」と、見つけてしまった「佐々井」。これが「佐々井」しか登場しないと恐らく読者は置いてきぼりにされる。読者の疑問を代弁する「ぼく」がいてくれてよかった。


〔選評〕

 本作品は1987年下半期の芥川賞を受賞している。選考委員十名のうち積極的賛成を表明したのが黒井千次吉行淳之介日野啓三の三名。このうち、本作が影響を受けた『リビング・ゼロ』(1987)を書いた日野啓三の意見は興味深い。〈これまでの文学と新しい世代の文学をつなぐ貴重な作品、と思える〉というのは今ふりかえると卓見だった。具体的には〈旧世代から端正な文章を高く評価されると同時に、二十代の人たちからも、この感受性は親しく読まれる要素をもっている。〉と敷衍している。さらに、〈また日ましに理科っぽくなってゆくわれわれの現実を、旧来の文学はとりこめなくなっている。この断絶にも、池澤氏の作品は橋を架けるものである。〉との指摘も貴重だ。

 賛成か反対か態度不明もまた三名いる。開高健古井由吉大庭みな子。選評は否定的意見の方が後から考えて参考になることもある。開高健の〈冒頭にたいそう突ッ張った文体の宣言文があり、つづく本文に水と油みたいな効果をあたえている。この部分は私にはまったく余計なものと感じられる。しかし、しいてそれに目をつむるなら久しぶりに作文ではなくて作品を読まされる愉しさがある。〉はどう見てもあまり褒めてはいない。〈一種、童話に近い味である。そううまくいきますかな、という疑問が終始つきまとうけれど、文体の背後にある詩人肌がストーリーを救っている。〉という指摘は池澤夏樹の本質を掬い取っている。古井由吉の〈ひとつの透明な歌として私は読んでその純度に満足させられたが、しかし宇宙からの無限の目は、救いとなる前にまず、往来を歩くことすら困難にさせるものなのではないか。〉には笑わせられた。


Wed 29-7-15 Alan Bradley, ’The Dead in Their Vaulted Arches’

All about Harriet (少女探偵フレーヴィア・シリーズ第六弾)

Alan Bradley, The Dead in Their Vaulted Arches: A Flavia de Luce Novel (Delacorte P, 2014)


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 前作(『春にはすべての謎が解ける』)の最後の一行から本作は始まる。

 始まるその日に早くも殺人事件がおこる。それもフレーヴィア(主人公の少女探偵)の目の前で。もっと奇っ怪なことに、殺される人は、その寸前にフレーヴィアだけに、ある伝言をしていた。さらにもっと奇っ怪なことに、その後、そんな事件などなかったかのように、予定された行事が粛々と進行される。

 いったい、どうなっているのか、と読者は思わざるを得ないが、話はどんどんその行事の細部に入ってゆく。一方で、先週から、フレーヴィアは、忘れられたある過去を化学的に蘇らせる実験をしていた。打ち捨てられた映写機に残るフィルムを現像するのである。そこに映っていた映像は、いま進行中の行事とどんな関係があるのか。

 殺人事件の日に、フレーヴィアは、もう一人の人物から不思議なことを言われる。それは、こんな言葉だ。

"And have you, also, acquired a taste for pheasant sandwiches, young lady?"

 この "pheasant sandwiches" は実は映写機の中のフィルムでも重要な場面で出てきていた。それを思い出したフレーヴィアの毛は逆立つ。だが、いったい、この言葉はどういう意味なのか。それよりなにより、この言葉をフレーヴィアに語ったのは、前首相ウィンストン・チャーチルその人であったのである。

 という具合に、初めから謎は謎をよぶ。とまらない面白さである。だが、最大の謎は十年前にチベットの山中で消息を絶った母ハリエットのことである。失踪時、フレーヴィアは一歳だったので、記憶はない。この謎解きは、フレーヴィアのルーツを探る謎解きでもある。

 おまけ。チャーチルの「お嬢さんも雉子サンドがお好きですかな?」を不審に思われた向きは、騙されたと思って "WWII pheasant sandwiches" で検索していただきたい。

 もうひとつおまけ。フレーヴィアに実験室と詳細な実験記録を残した叔父は、なんと、アルバート・セント=ジェルジにアドバイスを与えていた! 小説の中とはいえ、これには本当におどろいた。〔ノーベル生理学医学賞をうけたハンガリーの生理学者セント=ジェルジ・アルベルト博士については松岡圭祐『万能鑑定士Qの事件簿 II』にも出てくる。〕

 本書に関して 読者からの質問に著者が答えるページ がある。

http://news.nationalpost.com/arts/books/the-afterword-reading-society-the-dead-in-their-vaulted-arches-by-alan-bradley

本書はほぼすべてハリエットの謎に収斂するけれども、そのハリエットの話は本シリーズの第一巻から念頭にあったのかとの質問には、第一巻の第一章からハリエットの話の結末は分かっていたと答えている。その秘密を漏らさないようにするのは大変だったとも。


Tue 28-7-15 アラン・ブラッドリー『春にはすべての謎が解ける』

'Geronimo!' と11歳の聡明な少女探偵は叫んだ

アラン・ブラッドリー、古賀 弥生 訳『春にはすべての謎が解ける』創元推理文庫、2014)


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 「ジェロニモ!」とはやったぜ、という意味だと本訳書は記す(237頁)。この軽快さは、少女のひらめきをよく反映する。勉強部屋が本格的な化学実験室である、おませな少女フレーヴィア。そこで日夜、試料の分析をするかと思えば愛車(自転車だけど)を駆ってどこまでも調査行を敢行する。いうならば、(ラボで実験する)科学捜査班と(足で稼ぐ)現場の刑事とが合体したようなものだ。そこに11歳の少女の(とまらない)感性が加わる。(危ない場面では)「村の馬鹿娘」のふりもできる。会話は機知に富むが、相手を思いやる繊細さもある。その真の姿を知っているひと(大人が多い)とは、話がツーカーである。

 舞台は1951年のイングランドのとある村。当時は教会が中心の世の中である。村の教会の聖人の遺骨を掘出すことになるが、なんとその現場で教会のオルガン奏者の遺体が発見される。この殺人事件は聖人の遺骨とどんな関係があるのか。その発見の当初から事件に巻込まれたフレーヴィアの縦横無尽の活躍が始まる。

 一つだけ断言できることがある。最後まで読んだファンは次作(第6巻、2014年初めに刊行済、訳書はまだ)が待ちきれないことだ。また、未読の人は間違っても最後の一行は読んではいけない。

 本書のファンなら聞き逃せない著者のインタビューがある(YWTB! Alan Bradley)。

http://bookbasedbanter.co.uk/youwrotethebook/ywtb-alan-bradley/

「フレーヴィアというキャラクタはどうやって創作したのか」の質問に「創作した」(created)というのは正しくなくて、出てきたんだという。それ以来、自分の作者としての考えを押しつけるようなことはせず、もっぱら聞き役にまわっているらしい。ゆえに、本作を書き始めた時点では、自分は場面設定を与えただけで、誰が容疑者なのかも、まして誰が犯人かも知らなかったという。次から次へと続く、驚くべき展開の秘密が垣間見えるような話だ。






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 目次(一部)

はてなブログを始めました
メタボとは本当に怖いのか
「その日」の前後のひとの歩み
物語は詩に、あるいは歌に近づく
高城剛の提唱する魂の健康とは
Kindle用のアイルランド語辞書
「星守る犬」と人間とのかかわりをえがく
ミニマリストの宇宙観
All about Harriet (少女探偵フレーヴィア・シリーズ第六弾)
’Geronimo!’ と11歳の聡明な少女探偵は叫んだ
「命がけの実験」(梨木香歩)を読む
笑いの神話化 Mythologie de rire
ルピナス探偵団の記念碑
二十世紀の黄昏を生きる少年少女たちの推理とは
創作の背後にあるもの
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どんな歴史書にも書いていない常民の生活史
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2006年度T・S・エリオット賞を受賞したヒーニの第12詩集
イェーツ以来最高の詩人といわれるヒーニの第1〜第8詩集
日本に対して真の独立国としての自覚をうながす
創作の苦しみが断章に
梨木香歩のイングランド体験
月と闇と海と━━ある写本師の物語
横山秀夫、入魂の一作
デンマークのフェミクリミの旗手によるミステリ・シリーズ第一作
池澤夏樹がなぜ民俗学の著作を入れたか
1950年代と60年代のSFを雑誌を通じて描く労作
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明快な英文を書くために
シャンプーが毛髪の健康を阻害する
記紀神話に隠された女神の来歴
進化の「あがり」をめぐるスリリングな短篇
棋士はいつも内なる火と闘っている。外の火など……
想像の本質を数学的に解き明かす
地球は人類の揺り籠だが、我々が永遠に揺り籠に留まることは無いであろう
人間は知らないものを見ることはできない
コーモラン・ストライク・シリーズの第2弾は文芸業界ミステリ
ひょっとすると Harry Potter シリーズより面白いかも
中国詩歌における対偶性
するどくディキンスンにせまる訳詩集
イェーツの幻の物語(1897年版『秘密の薔薇』)
ケルトの死生観に関する論集
「オレンジ色の猫」って何色の猫?
半世紀前の自分に追いつき『かもめのジョナサン』の真の姿が世に出ることに
文字と音声との不思議な呼応を詠む笹井宏之の歌百首
本に鴉色の光を注ぎ、言語を植物と共に空へ持ち上げる管啓次郎の詩「シアトル」
持ちやすく愛着がわく本(池澤夏樹訳『古事記』)
Maile Meloy の ’The Proxy Marriage’ を読む
欽定訳聖書に関する最も詳細な註釈書
Google が evil になった日を描いた ’Scroogled’
小笠原豊樹の新訳によるマヤコフスキーの代表作
日本の歯科医療を問う
雪が降り、積もるような夢枕獏の文体
ミツバチが騒ぐ谷間で
対訳形式でイェーツの詩54篇を収録(附記 「自己の燃焼」について)
17人の訳者による饗宴
イェーツの複雑な諸相
アヴァロンと「政治家休業日」
iPS細胞の医学応用を実現させるために
すきとほった風ばかり
バランスのとれたディキンスン訳詩集
宇宙から光線は絶え間なく地表に注ぎ、
A=B に二種類あるアイルランド語って?――コピュラに関する最上の説明の書
現代詩の愉悦、ここにあり
現代詩の極北はロックする
本とわたしの関係は、深い井戸をめぐるように
本物の辞書を作るには百年かかる
アメリカ文学を読む際の必携辞書
プラトーノフ『ジャン』


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