カラスの名付け親(?)

 選挙運動について多少、知っている人なら「カラス」とは、候補者以外で、選挙カーでの街宣や辻立ちの際にマイクを持ってしゃべる男のことを指す言葉だということをご存知だと思う。

 以前、この「カラス」という言葉が生まれた由来について、偶然、ある政治家の日記をインターネットで読んでいたら自分が名付けたと書いていてびっくりした。以下は、該当部分を引用する。

相沢英之公式サイト −活動報告− 地声寸言
地声寸言『ウグイスとカラス』
http://aizawahideyuki.jp/kiji236.html

選挙カーを走らせる場合、町の人々に呼びかけるのにマイクを使うが、しゃべる人が要る。選挙期間中は運動員として登録し、法定内の賃金を支払う。女性を使うことが多いが、よくウグイスと呼ばれている。そこで私は、男性の場合はカラスと命名した。対照を狙ったのである。」

 カラスの名付け親は、相沢氏だったのか。この文章のみで判断し名付け親と言うのは、無理があるかもしれないが、興味深い話だったので、書き残しておきたい。

 選挙は、民俗学的なアプローチからも研究する価値がある対象だと、素人ながら思う。土地々々で選挙運動の手法や慣習も大きく違うことが多い。原因は地域の風土の違いはもちろんだが、公職選挙法が選挙運動の自由を限定し、取れる手段を極端に縛るものであるために、様々な裏技や秘儀(?)のようなものが各地で生まれたのではないかと勝手に仮説を立てている。

 また、例えば現在では一般化し大多数の候補が使用する選挙カー街宣車)もかっては、全ての候補者が利用したわけではなかった。いつから今のような形が生まれたのか、選挙運動の歴史を一般の人にもわかりやすく体系的に記録する研究者がいるといいのだが、残念ながらそうした人物については心当たりがあまりない。個別の選挙体験の記録や、選挙手法を解説した書は少なからずあるが、もう一歩俯瞰した視点から選挙運動を捉えた著作や論文があればぜひ読んでみたいと思う。


予算は夜つくられる―相沢英之、半生を語る

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選挙の民俗誌―日本的政治風土の基層

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これは、映画ではない(笑)

 池上永一さんの小説を映画化するのは、相当に難しい。正直、15か18禁アニメなら何とか可能かって感じだから、「これは、映画ではない」という感想が、出るのは無理もないと思う。

 出演者、監督、NHK、作者等々、誰も得をしてない気がするが、なんで作ってしまったのか・・・

TBS RADIO 放送後記 第253回(2012年2月11日) (ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル) TBS RADIO 放送後記 第253回(2012年2月11日) (ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル)

 しかし、今回の放送、ここ1年くらいのシネマハスラーの中で一番笑ったな。その意味では、僕は得したけど(笑) 

●劇場版『テンペスト3D』オフィシャルサイト
http://tempest-3d.jp/index.html
※僕は、予告編を観ただけでお腹が一杯になりました。


テンペスト  上 若夏の巻

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テンペスト 下 花風の巻

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テンペスト DVD BOX

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沈むのが分かっていても止めなかった

 東電、長銀といったスーパーエリートの経験とは、とても比較にはならないが、自分にも船からいつ降りるかの判断が必要だったことがある。

 船が沈むとき、自分が下した判断は船が沈む原因がわかっているのに、原因を取り除かず沈むのを止めないというものだった。そして、自分も船に残った。Chikirinさんが、長銀の例を引いて書いているように、船が沈むプロセスはなかなか興味深、さらにその後の自分の人生にふりかかった様々な出来事は、ちょっとしたドラマのように思い返すと感じる。

 しかし、後悔というか、心の中に残り火のようなものがずっとひっかりとして残っている。あの時、自分が積極的に動いていたら流れは変わり自分の人生も変わったかもしれないと。ひょっとしたら、若気の至りで自らの力量を読み違えていて当時の自分にはそんな力はとてもなかったのかもしれないが。

 あれからずいぶん時が流れたが、その後の人生は、ずっと漂流しているような感覚が残るものだった。何に取り組むにもいい加減になってしまい、さらに色んなものを失った。それでも幸いなことに全てを失ったわけでなく本当に大事なものが一つだけ手元に残っている。

 しかし、決断すべき時に決断できなかったという経験は、喪失感を常に心に抱かせる素となって、いつまでも心を蝕む。

市長の座

 2011年の名古屋市長選に敗れて、政界を引退したと思っていた石田芳弘衆議院議員(元犬山市長)が、岐阜県下呂市の市長選に出馬を表明した。

http://www.gifu-np.co.jp/news/kennai/20120221/201202210958_16313.shtml
下呂市長選、石田氏が正式出馬表明 「地方から国変える」
2012年02月21日09:58

写真:下呂市長選、石田氏が正式出馬表明 「地方から国変える」
下呂市政運営についての考え方を語る石田芳弘16 件氏=20日午後、同市森、同市民会館

 任期満了に伴う下呂市長選(4月8日告示、同15日投開票)に出馬の意向を示していた元衆院議員の石田芳弘16 件氏(66)=犬山市=が20日、下呂市内で会見を開き出馬を正式に表明。「下呂の情勢を知り、市長をやってみたいと政治的な情熱をかきたてられた。地方から国を変えたい」と意欲を語った。

 石田氏は「経済の高度成長ばかりでなく精神的な豊かさを下呂市の新しい価値観としたい」と基本理念を示し、「議員内閣制のように市議にも行政運営に関わってもらう」などとの考えを示した。

 観光政策については「長期滞在型の欧州の温泉地のような世界的温泉保養地を目指す。御岳山を観光資源として生かしたい」と持論を展開、そのほか農林業振興、教育方針などについても語った。

 石田氏は愛知県犬山市長を経て、2007(平成19)年の愛知県知事選に出馬し落選。09年衆院選では愛知6区に民主党から出馬し当選したが、辞職して挑んだ名古屋市長選では河村たかし市長に敗れた。

 下呂市長選には現職の野村誠氏(63)も再選を目指し出馬を表明している。

 下呂市の事情は深くは知らないが、新聞等を読む限りでは、前回の市長選に関連したごたごたで、下呂の地方政界にはきな臭い空気が漂っているようだ。個人的には、石田氏の政治的手腕は評価しているし、たまたま若い頃、何度か多少直接話をしたことがあり、その際の印象も悪くなかったので好感を持っている。

地域主権 石田芳弘民主党衆議院議員犬山市長 政治家 USTREAM動画配信
http://www.16lc.jp/ishidayoshihiro2/

 特定の地方でキャリアを積んだ政治家が、他県に転身して成功した例は、あまり聞かないが、経験と一定の手腕を持つことを証明した人物の力を地元に縁がないということだけで活かさないというのはもったいないと思う。

 いずれも東京都知事への転身を図った事例だが、東国原英夫浅野史郎、古くは阪本勝などがいるが、皆、落選している。基礎自治体レベルでは、元愛知県議の谷口守行(自民党から衆院選出馬(愛知2区)、落選経験あり)が、三重県大紀町長選挙に出馬し落選した事例は記憶にあるが、国会議員経験者が、国会議員時代の地盤を離れて首長選挙に出馬した事例は聞いたことがない。政治家が、固有の選挙区で継続して出馬することを前提とし、慣れてきた日本の有権者に今回の石田氏の挑戦がどう受け止められるか、非常に興味深い。

 さて、石田氏の件とは別に、今日ふと気づいたことを忘れないうちに書いておきたい。

 日本の、国会議員の人数は衆参合わせて722名。市長の数は、810名(内23名は特別区の区長)。市長会のウェブサイトで確認し、平成の大合併を経て、いつの間にか市の数はこんなに減っていたのかと驚かされた。つい10年ほど前には、市町村は3,000以上あり、市も1,000以上はあったと記憶しているのだが。

 絶対数だけで見ると、国会議員も市長もその地位の希少性という意味ではあまり変わらなくなっているとも考えられる。権力者としてどちらが、優位な地位にあるのかは、個々の国会議員の地位や市の実力によって一概に論じることはできないが、多い場合は数万人の職員の頂点に立ち、大統領的存在である市長の座に一兵卒の議員であるより魅力を感じる国会議員や元国会議員が多くいることは容易に理解できる。今後も市長の座に挑戦するものは、出てくるだろう。しかし、その市長の座は国会の議席数とあまり変わらなくなっていることを挑戦者は、考慮しておいた方が良いと思う。


証言・まちづくり

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市町村合併 (ちくま新書)

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村が消えた―平成大合併とは何だったのか (祥伝社新書 (026))

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●消えたマチ 生まれたマチ〜平成の大合併に揺れた市区町村の本音〜
http://www.hokkaido-jichiken.jp/pdf/2010/sakuraba.pdf