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ミルトスの木かげで このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

ホーム日記ミルトスの木かげで(最新)

(旧「はちことぼぼるの日記」)
God Bless you!!

訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。
……すべての懲らしめ(discipline)は、そのときは喜ばしいものではなく、
かえって悲しく思われるものですが、後になると、
これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます
(ヘブル12章7、11節 写真はミルトスの花)


(ときどき、このブログの不具合でコメントが認証失敗ではじかれることがあります。お手数ですが、その場合にははちこにメールでコメントを送ってくだされば、私の方から投稿させていただきます。s.nakamura37アットgmail.com)

2012-02-04

Spiritual Direction2

| 09:12 | Spiritual Direction2を含むブックマーク

 水曜日は、霊的形成パスターとの2度めのSpiritual Directionのセッションだった。本当は2週間前のはずだったのだけれど、日本に行ってしまったため、今週に。(一回目のときの記事はこちら。)

 Spiritual Directionを始めるとき、正直に言うとちょっと懐疑的な思いもあった。「点つなぎ」のようなものと言っても、理屈はわかるけど、そんなにうまくいくのかな?みたいな… しかもこのパスター、こう言っては失礼ですが、まだお若い。子育てに関しても、結婚生活に関しても、私より全然経験が少ない。約35年前に私が救われたとき、この人はまだ生まれてもいなかった。

 でも、今回のセッションで感じたのは、それがいいのかもしれない、ということ。彼には「私の経験では…」と語れるような経験談などあまりなく(?)、ただ私の話を聴くだけ。聴きながら、質問したり、「さっきの話と、今の話には、共通のテーマが流れているようですね」と、私も気づいていなかったことを、指摘してくれたり。そして、そこで現されるものは、本当に主の導きによるものなのだと、私も素直に受け取ることができる。

 今回の指摘の中で出てきたことの一つは、私が「Outcome」を気にしているということ。アウチ!と思った。アウトカム(「結果」)を手放し、主に委ねることについては、実は数年前から語られているのに…(このブログを「アウトカム」で検索すると、過去記事がいくつか出てきます…)でも、話していて、アウトカムを手放すということに関して、私が誤解をしていた、あるいは理解が曖昧な部分があったことが分かった。アウトカムを手放すとは、自分の中で目標やビジョンを持たない、という意味ではなく、そのときの状況で、主に示されていること、導かれていることに忠実であることを優先させ、その結果については心配しない、ということだと指摘された。そのへん、私の中でちょっと誤解や混乱があったことに気づいた。結果はどうなってもいい、というところがポイントなのではなく、今、私は主の導き、主の教え、主の原則に従う、主が教えてくださっている「義の道」だと分かっていることを選ぶ、という、そっちにポイントがあるということ。

 多分、私の混乱は、コンセクエンス(consequence)の概念でアウトカムを考えていたことにあるかもしれない。これらは、日本語に訳せばどちらも「結果、結末、成り行き」というような意味だけれど、コンセクエンスには、原因に対する結果、という、論理的というか、A を行なったからBになった、という関係がはっきりしていて、しかも、Aを行なう時点で、結果的にBになるということが、あらかじめある程度予想される。一方アウトカムは、もちろんAとBの間に関係はあるのだけれど、Aを行なう時点で、その結果はBになるだろうという論理的な結果は導き出せない。言わば、やってみなくちゃわからない結果、と言えるかも。バウンダリーズの考え方では、コンセクエンスを念頭に入れて行動することの重要性が強調される部分があるので(そして、それは確かに重要なことだけれど)、ついそういう方向に思考が向いていたけれど、私の中で、微妙な軌道修正がなされた。

 自分の行動のもたらす結果(コンセクエンス)を考えずに行動するのは、愚かであり、何も考えずに行動しておいて、「結果(アウトカム)は主に委ねます!」というのは、聖書の教えることではないと思う。コンセクエンスを考慮するのは大切だけれど(それも「知恵」のうちだと思うから)、でも、私たちが想定するコンセクエンスが、そもそも神様のことをあまり考えたものではない可能性もある。

 例えば、私たちが想定するコンセクエンスが「お金持ち」になる、ということであれば、「お金持ち」になれそうな行動を選び、なれそうにない行動は選ばないだろう。でも、神様が私たちに求めている行動は(例えば「正直であれ」とか)、必ずしも私たちが求めるコンセクエンスを生むものではないかもしれない。

 Courageousという映画で、ある男性が、上司から不正を行なうように求められる場面がある。命令に従って不正を行なうなら、昇進・昇給が待っているよ、と上司に言われる。その男性は貧しくて、やっと得られた職だったので(しかも神様の導きで得られた職だと思っていた)、それを失いたくはなかった。失ったら、家族をがっかりさせるのは分かっていた。それでも、彼は正直であることを選んだ。そのアウトカムは… なんとその上司は、正直な部下を求めていて、実はこれはテストだった。「おめでとう、私が求めていたのは君のような正直な男だ。ぜひ君にこのポジションについてもらいたい」と、結果的に彼は、昇進・昇給をもらった… この男性にとって、「正直である」ということは、「神の義が現される」というコンセクエンスを生むものだったので、人間的な目で見たときのアウトカムがどうなるかは分からなかったけれど、彼は「正直である」ことを選んだのだ。

 あーー、コンセクエンスを考えつつアウトカムを手放すって、そういうことなのかなぁーーと、セッションが終わったあとで、つらつらと考えたのでした。アウトカムを手放すと言うとき、そのときに付随するようなout of control感が、私にはなんとも抵抗があったのかな、と自分で気づいたけれど、こうやって考えてみると、そこには、「私は主の方法を選ぶ」という主体性は確固としてあり、決して「私は何でもいいです〜」というようなものではないのだ、と納得した。すみません、ひどくややこしくなってしまった。

 話をSpiritual Directionに戻すと、この日の会話は、本当に「点つなぎ」になっていたのに驚かされた。というのも、実はほんの10日前ほどだったか、私は、「Living in the Mess: The Problem With Outcome-Based Christianity」という記事を読んでいて、FBにもそれをリンクしていたのだ。この記事の内容が、今回パスターが指摘してくれたものと同じで、パスターに言われたとき、内心、「ああ〜、それ、ついこの前、私も語られていたばかりのことだった!何でちゃんと理解していなかったのか!」と思ったのですよ。

 アウトカムのこと以外にも、この日の会話でいくつか重要な示唆が与えられた。長くなるので詳しくは書かないが、メモしておくと、

  • 聖霊(Holy Spirit)」の働きのこと。
  • 結婚生活に関して、Boundaries in Marriageの翻訳で教えられていることとその実践について。

 日々の歩みの中で、また特に神様と祈りと御言葉を持って過ごす時間において、これらのことにさらにじっくり思いを巡らせ、主の御声に耳を傾けたいと思う。そして、語られることに対して、従順に、忠実に応答できますように。

 以下は、私のスピリチュアル・ディレクターであるパスターが、先週自分のブログで書いていたこと。


I had the privilege of spending time with my director yesterday and I find myself much more peaceful, focused, and balanced than I was prior to our meeting.

Why?

Because spiritual directors aren't there to tell you what to do, they're there to help you listen to the Holy Spirit.

Because spiritual directors are there to point out the obvious, which is obvious to everyone except you.

Because spiritual directors ask you the kind of questions that help you to risk where necessary in order to grow in the depth of your life with Christ.

Because spiritual directors and spiritual friends are invested in walking with you through the conversation, not just answering every question with definitive information.

Because spiritual directors engage the Scriptures with us in a way that compels us, challenges us, and enlivens us when we’re dead on our feet.

 主に感謝しつつ…

kanahakanaha 2012/02/05 01:47 はちこさん
凄く良く分かった。
心にすとんと落ちた感じ。
いつもありがとう。
わたしもはちこさんと同じなのだなあ〜とも思った。(良いところも悪いところも似ているのはちょっと嬉しいかも、笑)
今回のセッションのお分かち、本当にありがとう!

はちこはちこ 2012/02/07 07:19 ごちゃごちゃと書いたのに、分かってもらえて嬉しい!
こちらこそいつもありがとう!

2012-01-30

困難に召される

09:42 | 困難に召されるを含むブックマーク

 このところ…というか、一昨年くらいから示され、語られていることと関係があるのだけれど、御父は、ご自身に従う者たちを、あえて困難に召されることがあるように思える。

 例えば、最近のかきごおり先生のブログの中に、このようなくだりがあった。

そして、今日は「神の愛」の話。「『神が愛だ』った言うけど、私は自分の都合の良いように解釈しているんじゃないかと思う。いいことがあるとすぐ『神様が守ってくれた』って」・・・と。


なるほど、確かに、意外に多くの場所で「神様の愛」=「災いから守られる」「いいことがある」と思われているのかもしれません。だから、わたしたちは悲しいことがあると「神様が愛ならどうして?」となってしまいます。


でも、神様の愛は「困難の中でも共に歩もうとする愛」なんじゃないかと思います。(人間同士の愛もホントはそうだね。)そして、その神の愛の極致が十字架。どこまでも、わたしたちとともに歩もうとされた神の意志の結晶。そんな話をしました。

 何か良いことがあったり、「成功」したり、災いから守られたりすることを神様の「愛」と呼んだり、「祝福」とみなすこと、確かによくあると思う。実際、「良い」ことは神様からのものだと思うし、自分にとってありがたいことが起これば、感謝すべきだろうけれど、かきごおり先生がおっしゃるように、それだけが神様の愛や祝福ではないはず。

 シカゴのノースパーク大学という、神学校もあるクリスチャン大学の教授、スコット・マクナイト氏のブログをよく読んでいるのだけれど、今朝の記事に「預言的」であることと「慣習的」であることの違いについて書かれていた。

 新約聖書の時代から、宗教的指導者たちは、「慣習的」であることを良しとして、それを求めてきた。例えば、女性よりも男性、奴隷よりも自由、貧しいことよりも金持ちであること、弱者よりも強者、病人よりも健康であること、といった具合に…

 しかし、イエスさまのミニストリーは、そういった慣習をことごとく覆した。イエスさまのミニストリーは、慣習的には疎まれ、忌み嫌われる人々を受け入れ、抱き、言わば彼らの人間としての尊厳を回復することだった。(悪霊に憑かれていたり、病に冒されていることは、当時は社会的にもはじき出されることだった。)

 そして何より、人間にとって最大の災いと言えるであろう「十字架」を、ご自身の身に引き受けられた。これもまた、以前かきごおり先生が書いておられたことだけれど、「お前が神の子ならそこから降りて来い!」とあざけられ、ののしられ、唾を吐きかけられ、そんな忌み嫌われる場所に行くことを、良しとされたキリスト。そのキリストに倣うように召されている私たち。

 人の目には「災い」のように見えることがキリスト者の身にふりかかるとき、それは神様が私たちを、災いの中にいる人たちのところに行って、そこで神の愛を現す者となりなさいと、召しておられるのではないか… 最近、そんなことを考えている。

 3.11の震災後、福島第一バプテスト教会の佐藤彰先生も、「私たちの教会は、震災に遭遇するように神によって選ばれたのだと思う」というようなことをおっしゃっていた(こちらを参照)。災いが偶然ふりかかったのではなく、神様があえて福島第一バプテスト教会を選び、この状況を通ることによってしかできない方法で主の愛を世に証するために、召された…

 しばらく前に紹介したメジャーリーグの投手だったデイブ・ドラベッキーも、そんなふうに神様に召されたひとりだと思う。私は今、ドラベッキー夫妻がやっているEnduranceというミニストリーのメルマガを読んでいるが、苦しみを通った人だから語れる言葉の一つひとつに、とても励まされている。

 震災だとか、事故だとか、病だとか、そういういわゆる「災い」は、神様が目的を持って引き起こす、というわけではないだろうとは思う。むしろ、そういった「災い」自体はサタンの仕業だったり人間の罪の結果であったりするが、神様はそういうものさえもご自身の良い目的のために用いることができるのだろう。でも最近、「災い」のただ中におられる神様…みたいなことを考えている… つまり、災いが起こっちゃったあとから神様が介入されるのではなくて、災いが起こるとき、すでにそこに神様がおられるというか… だって、キリストは、災いや困難にすでに勝利しておられる方なのだもの。うまく表現できないのだけれど…

 そして、それと同時に、人間が災いや困難の中を通るのがどれほど辛く苦しく孤独なことであるのかは、誰よりもイエスさまご自身がご存知だから、いくら選ばれ、召されたとはいえ、その中を通るときの私たちのことは、神様は格別にケアしてくださる。格別に私たちに寄り添ってくださる。シャデラク、メシャク、アベデネゴたちと一緒に、燃える炉の中でキリストが共に輪になって歩いてくださったように。

 

3"You're blessed when you're at the end of your rope. With less of you there is more of God and his rule.

4"You're blessed when you feel you've lost what is most dear to you. Only then can you be embraced by the One most dear to you.

5"You're blessed when you're content with just who you are―no more, no less. That's the moment you find yourselves proud owners of everything that can't be bought.

6"You're blessed when you've worked up a good appetite for God. He's food and drink in the best meal you'll ever eat.

7"You're blessed when you care. At the moment of being 'care-full,' you find yourselves cared for.

8"You're blessed when you get your inside world―your mind and heart―put right. Then you can see God in the outside world.

9"You're blessed when you can show people how to cooperate instead of compete or fight. That's when you discover who you really are, and your place in God's family.

10"You're blessed when your commitment to God provokes persecution. The persecution drives you even deeper into God's kingdom.

11-12"Not only that―count yourselves blessed every time people put you down or throw you out or speak lies about you to discredit me. What it means is that the truth is too close for comfort and they are uncomfortable. You can be glad when that happens―give a cheer, even!―for though they don't like it, I do! And all heaven applauds. And know that you are in good company. My prophets and witnesses have always gotten into this kind of trouble. (マタイによる福音書5章3〜12節 メッセージバイブル訳)

♪Sunny♪Sunny 2012/01/30 10:47 わたしも最近、似たようなことを教えられています。
神様は、弱くされている者、小さくされている者と共にいて下さる、むしろそちら側にいて下さる方なのだと。
もちろん、困難の中にいないならば、神様が共にいて下さらないということではないけれど、「フットプリント」の詩のように、人生の最もつらい時にこそ、イエス様は最も近いところにいて下さるのではないかと、そんな風に感じています。

うーん、なんだか言葉にするのが難しいです。
思っていることがうまく伝えられないのがもどかしいです。
自分の文才のなさを痛感しているこの頃です・・・。

はちこはちこ 2012/01/31 17:18 ♪Sunnyさん
共感ありがとうございます!
主は弱い者と共にいてくださるお方であり、キリストを知る者たちが困難の中に招き入れられるとき、それによってキリストを知らないで困難の中にいる人たちに深く届いていけるように私たちに力を与えてくださるのかもしれないですね!

ぼく人参ですぼく人参です 2012/02/01 08:50 詩篇の66にこんなのが、、、
10 For you, O God, tested us;
you refined us like silver.
11 You brought us into prison
and laid burdens on our backs.
12 You let men ride over our heads;
we went through fire and water,
but you brought us to a place of abundance.
ヤコブも言葉を変えて同じことを。
Consider it pure joy, my brothers, whenever you face trials of many kinds, because you know that the testing of your faith develops perseverance. Perseverance must finish its work so that you may be mature and complete, not lacking anything.
でも辛いlessonではありますです

はちこはちこ 2012/02/04 07:29 人参、
アーメン!

2012-01-24

今度は伯母が

22:00 | 今度は伯母がを含むブックマーク

 今朝、母から電話があり、びっくりするような知らせが入った。

 母のすぐ上の姉(私の伯母が)、日本時間の昨日の早朝、心筋梗塞で亡くなったそうだ。

 母は、私が帰ったあと、「心筋梗塞で入院してたのよ〜、はちこがアメリカから来て、毎日病院で付き添ってくれて楽しい入院生活だったわ〜」と言おうと思って(母談)姉の携帯に電話したのに、姉が出ない。そこで、姉が現在ステイしている姪の家に電話をしたら、姪が泣きながらでて、訃報を伝えてくれたらしい。

 この伯母は、1年くらい前だったか脳梗塞をやり、つい最近は腎臓ガンで手術したばかりだった(母は、手術のことは知らなかったそうだ)。伯母は、亡くなった日は、そのほんの2時間前まで家族で談笑していたという。ひとりぼっちでの死ではなく、愛する家族に囲まれての最期だったのが、せめてもの慰めだろうか…

 母の心筋梗塞は、肩こりのような前兆が数日前からあり、肩もみさんに行ったりしてだましだまし様子を見ていたものの、肩から背中にかけて痛みが激しくなったので、これはもしや?と思って自分で救急車を呼んだ。救急隊員がすぐにマンションまで駆けつけたものの、痛みで力が入らず、マンションの中に入ってもらうためのドアの解錠に手間取ったらしい。もし救急車を呼んだあと、そのまま倒れて意識不明にでもなっていたら、と思ったらぞっとした。せっかく呼んでも中に入ってもらえなかったら意味がない。

 救急車で運ばれながら、胸は痛いし頭は痛いし、寒気がして苦しいしで、母はこのまま死ぬのかと思ったそうだ。でもその時にはもう病院に着いて、看護士さんたちやドクターが処置を始めてくれたので、「もう病院にいるんだから大丈夫」と心の中で自分に言い聞かせていたと言う。そして、苦しくて仕方がなかったのが、ある時点でフッと楽になったのだそうだ。きっと、それがバルーンで血管を広げ、ステントを挿入したときだったのだろう。

 処置がうまくいった後は、母はケロッとしていたので、後遺症もないし、心筋梗塞って案外楽なものなのね、なんて思ってしまったけど、その直後に伯母が心筋梗塞で亡くなり、とても厳粛な思いだ。何かあったからといって毎回すぐに飛んで行けるとは限らないし、今回は行くことができて本当によかったと思う。

 そして、「おばあちゃんが倒れた!」と言ったら、何の躊躇もなく「すぐに日本に帰りなさい」と言ってくれたぼぼるパパにも感謝。今学期は忙しいのは分かっていたから、それは無理でしょうと思ったのに、パパは「俺たちは何とでもなるから、すぐに帰りなさい」と。1週間くらいなら何の心配もなく家を開けることができるのは、一重にぼぼるパパと子どもたちのおかげ。心から感謝しています。(しかも、私が帰宅した日には、パパの得意料理、牛タンのシチューで迎えてくれたし!)

 それにしても、暮れにはこちらでの知人(高齢のクリスチャン)二人が続けざまに亡くなり、大晦日には映画「おくりびと」を観たりして、改めてキリスト者としての死生観に思いを巡らせたりしている。

 NTライトのSurprised by Hopeによると、「クリスチャンは死んだら天国に行く」というのは間違いで(正しくは、「パラダイス」に行く)、クリスチャンの間にも非聖書的な死生観が蔓延しているらしいことなどが書かれていて、初めて読んだとき、かなり動揺した。(あまりに動揺して、それをブログに書くことさえ恐れた。)クリスチャンの本当の希望は「死後に(どこか別の場所にある)天国に行くこと」ではなく、肉体のよみがえりであり、王なるキリストによる被造物の贖い(新天新地)と統治であり、その再創造に向けて、現在の私たちも共に働くよう招かれている、とライトは言う…と書くと、大雑把で、不正確かもしれないけれど…  うーん、Surprised by Hopeは、もう一度読み返す必要がありそうだ。

Surprised by Hope: Rethinking Heaven, the Resurrection, and the Mission of the Church

Surprised by Hope: Rethinking Heaven, the Resurrection, and the Mission of the Church

旧ジャージー旧ジャージー 2012/01/25 08:12 はちこさんのお母さんが、後遺症もなく元気になられ嬉しいです
一方で、同じ病気でおばさまがお亡くなりになられたんですね
主のお慰めがありますように
私の母は、細菌感染で急死でした
目には見えぬどこにでもいる細菌が人の命を奪う怖さと不思議さを感じました
主は与え主は取られる
「死んだら天の御国」は、ごく当たり前に信じている感じなので
はちこさんの読まれたNTライトの本興味津々です
また、内容をはちこさんの言葉で是非是非ご紹介ください

はちこはちこ 2012/01/26 07:58 旧ジャージーさん
ありがとうございます。脳梗塞だと後遺症があって大変でしょうが、心臓だったので、基本的にもとの生活(食事に気をつけ適度な運動をするなどの、成人なら誰でも気をつけるべきことはありますが)に戻れたので、本当に感謝です。伯母は、脳梗塞の軽い後遺症もあったし、ガンで闘病中でもあったので、あまり苦しまずに済んだのは幸いだったのかもしれないとも思いますが、家族や母は、今はやはりショックで寂しいことと思います。お祈り感謝します。
旧ジャージーさんのお母様は細菌感染で急死なさったのですね… 旧ジャージーさんのお母様なら、まだお若かったのではないかと想像します。本人も周囲も、心の準備のないままに突然いのちが取られるというのは、やはり辛いですよね… 主の良い御手にゆだねること以外に、慰めはないですね…

NTライトの件は、もう一度読み直して、追々書いていきたいと思います。

春菜春菜 2012/01/27 01:20 さちさん、御無事のお帰りホッとしました。きっと今、怒涛の日々で深い疲労があると思いますがどうかゆっくりと回復されますようにあまり頑張り過ぎないで下さいね。お母様も再会が叶ってどんなに喜ばれたでしょうね。親孝行娘さちさん♪私は同じ日本に暮らしながらなかなか出来ないので見習わなくてはっ(^^;;叔母さまが天に召されたこと、あまりに突然でショックでしたね。地上での限られた時間で日々今しか出来ないことを行いにしなければ。。と深く考えさせられました。
天国での平安を心からお祈り致します。御家族の上に主の慰めがありますように!
ps。NTライトの御紹介、私も楽しみにしています♪

まきとまきと 2012/01/28 06:26 お母様が大丈夫だったと安心した矢先に、伯母様が亡くなられたとはショックですね。
お気持ち察します。
僕の母も、数年前、父が入院していた時期に、不調を感じ救急車で国立循環器病研究センターに
行き、検査です。と言われながら、バルーンを入れて、ステントを残す処置を受けました。
僕の記憶がおぼろげですが、血管の細くなったところを、術後に医師から説明を受けました。
母は2度、ステントを入れる処置をします。
急性の狭心症と言う診断だったと思います。
父より先に母が亡くなったらどうしようと不安に思いました。現在は、回復して、担当してくださった
医師が京都の国立病院に異動になり、恩人に会いに、定期診断に大阪から京都まで通院しています。
だいぶん元気になった証拠ですね。でも、高齢です。85歳です。仕事を続ける気力があり、
私は圧倒されています。いつまでも元気でいてもらいたいものですね。でも、覚悟しなくてはいけない
のでしょう。
訃報に接せられた折に、母の健康を感謝するコメントはいささか的外れかもしれません。お母様の
ご健康をお祈りします。

はちこはちこ 2012/01/28 06:32 春菜さん
どうもありがとう! 日本では、母が思ったより元気だったので、毎日病院に行きつつも、暗い雰囲気にはならず、逆に短いながらも日本滞在を楽しむことができました。
伯母のことは確かにショックで、私もいろいろ考えさせられました。この伯母は母といちばん近い関係だったので、母は私以上のショックだろうと思います。お祈りありがとうございます!

まきとさん、
まきとさんのお母様もステントをいれておられるのですね。でも今も85才でお元気と伺い、励まされます。かつてなら到底助からないような病状でも、現在ではこのように助かるようになったのだから、すごいことだなぁと思います。母のためのお祈り感謝します。まきとさんのお母様も、主の許される限り、お元気で、長寿をまっとうされますように!

2012-01-23

戻りました

20:38 | 戻りましたを含むブックマーク

 今日の夕方、無事シカゴに戻りました。皆様のお祈り、励まし、心から感謝いたします!

 取り急ぎ、ご報告まで!

2012-01-21

退院しました

15:42 | 退院しましたを含むブックマーク

 お祈りくださった皆様、本当にどうもありがとうございます!昨日、無事に退院しました。こんなにすぐに退院できるとは思わなかったので、びっくりです。

 三本ある心臓の血管のうち、一本が完全に詰まっていたそうです。(お医者さんが、母の心臓の動画を見せてくれました。)手首からカテーテルをいれ、バルーンで詰まっていた箇所を広げ、ステントを入れたそうです。心臓の手術なのに、開胸も必要なく、手首にちょっとあざができただけ。手術中も局部麻酔だけだったそうです。医学の進歩にびっくりです。

 術後の経過も良好で、術後まもなくからかなり普通に話すこともでき、数日後にはうろうろ歩けるほどになっていました。動脈硬化が起こっているので今後も注意は必要なものの、血管はほかに詰まりかかっている箇所はないため、とりあえず心配はいらないようです。本当に感謝です。今度、外来で脳の血管の方も調べてもらうそうです。執刀医は素敵な若い女医さんでした。

 新築の病院だったため、明るく快適で、1階にはドトールとローソンも入っていて、付き添った私も何一つ不自由なく(コンビニスイーツも堪能しました)、それもまた感謝でした。

 一人暮らしの高齢者のため、手術や入院代もびっくりするほど安く、アメリカで目の玉の飛び出るような医療費に慣れている私は、アメリカなら血液検査一回分くらいの料金ですべてがまかなわれたことに、驚愕しました。

 去年の3月に今いるマンションに引っ越してきたのですが、去年の秋には腎臓、今回は心臓と、二度の手術、入院。このマンションは妹家族の家から近(車で15分くらい)、一つひとつが「不幸中の幸い」と思えることばかりで、こういったタイミングもすべて主の御手の中にあることを思いました。

 とにかく、皆さんのお祈りが注がれ、主がそれに応えてくださったことを、ひしひしと感じます。本当に本当にありがとうございます。

 シカゴの家族も元気にやっているようです。

 23日に戻ります。皆さま、本当にありがとうございました。皆様の上にも主の豊かな祝福がありますことを、心よりお祈りいたします。

nao-LKnao-LK 2012/01/22 03:01 一つひとつのこと、主に感謝します!
はちこさんもお疲れのことと思います。
ゆっくり休まれてくださいね:)

♪Sunny♪Sunny 2012/01/22 03:52 はちこさんの日本滞在予定の期間内に、こんなにも早く回復されて退院されたことに驚きつつ、感謝し、主の御名を賛美いたします。
姉が東京で骨折した時も、本当にびっくりするアクシデントでしたが、その中に、神様の驚くべき配剤があり、そのすべてが、主の御手の内にあることを実感しました。
ない方が良いようなアクシデントですが、その中で教えられること、覚えさせていただくことがたくさんあり、感謝しました。
この記事を拝見しながら、改めてそのことを思わされました。
続けて、はちこさんのお母様の上に、主の守りがありますよう、お祈りします!

はちこはちこ 2012/01/23 20:36 nao-LKさん、Sunnyさん、
ありがとうございます! 今日、シカゴに戻りました。
蓋を開けてみれば、そんなに慌てて行くほどでもなかったのかな、という気もしますが、それは結果論で、やっぱり行ってきて良かったとつくづく思います。
本当に、主の御手の守りを感じました。皆さんのお祈りのおかげです。ありがとうございます!
改めて、この地上での限られた人生の中で、何を優先的に大切にするのか、そんなことも考えさせられました。

お祈りくださった皆様の上にも、主の祝福が豊かにありますように!

マッシュマッシュ 2012/01/24 05:01 よかったですね、本当によかった。
これからも主の温かい御手が守ってくださいますように。
はちこさんもお疲れが出ませんように。

2012-01-16

日本に行きます。

09:25 | 日本に行きます。を含むブックマーク

 母が心筋梗塞で倒れ、手術をし、今ICUにいるという連絡が、今朝、妹から入りました。ぼぼるパパがすぐに日本に行きなさいというので、今日の午後にシカゴを発って日本に行きます。滞在は一週間。母の状態は、最後に入った連絡によると、良好のようです。お祈りに覚えていただけると感謝です。

谷川馬夫谷川馬夫 2012/01/16 10:37 ご心配ですね。大事にならずに治癒されることを、名前は無いけれど私の私だけの”神”にお祈りいたします。

はちこはちこ 2012/01/16 14:19 谷川馬夫さん、
ありがとうございます!!

山本直樹山本直樹 2012/01/16 17:10 PCIを行われたのでしょうか。御心配なことと存じます。
主の導きをお祈りいたします。
医学的なご質問はn.yamamoto@newlife.or.jpまでどうぞ。

westyccwestycc 2012/01/16 17:27 お祈りしております。

nao-LKnao-LK 2012/01/17 01:38 お母様のことお祈りします。
はちこさんの道中も守られますように。

みちこみちこ 2012/01/17 01:52 お祈りしています!

遠山遠山 2012/01/17 05:09 神様の最強の御手の業を信じつつ、
祈っております。

マッシュマッシュ 2012/01/17 05:57 お祈りしてますね。

BlessingsBlessings 2012/01/17 07:46 お祈りします。うちの父も明朝手術です。はちこさんのご心境、身にしみます。共に乗り越えさせていただきましょう。

春菜春菜 2012/01/20 01:43 衝撃でした。どうか御無事でお母様の元へ駆けつけることが出来ますように。お母様の御回復と神様の格別な癒しとお守りがありますように家族でお祈りしています。
アメリカに残してきた御家族の上にも神様のお支えがありますように。

春菜春菜 2012/01/20 01:51 再び失礼致します!
私達もミシガン時代同じ経験をしました。
良作さんの母が突然倒れ、翌日日本へ
緊急帰国しました。
幸い礼拝中だったのですぐに救急車を
呼んでいただきましたが
ひとりだったら間違いなく天国へ召されて
いたそうです。
あらゆる意味で神様に守られました。
五年前のお話です。
だからはちこさんのお母様も絶対に大丈夫!
お元気になられたらいつかお目にかかって
みたいです。はちこさんのお母様ですから
きっと素敵で素晴らしい方でしょうね。
御家族みなさまの上に主の平安を祈りつつ。。

たみこたみこ 2012/01/21 14:42 お祈りしてますね。お母様のことも、ご家族のことも。

はちこはちこ 2012/01/21 15:21 皆さん、お祈りありがとうございます!
昨日、無事に退院しました。
もう、自分のマンションに戻ってきています。
皆さんのお祈りに支えられたことをひしひしと思います。

遠山さん、お久しぶりです!ご家族の皆様はお元気ですか? どうぞよろしくお伝えください!

はちこはちこ 2012/01/21 16:37 山本先生、
ありがとうございます。とっても心強いです!

westycc先生、なおさん、みちこさん、マッシュさん、たみちゃん、
お祈りありがとうございます!!

Blessingsさん
お父様の手術、いかがでしたでしょうか。主の守りと御臨在が共にありますことを、祈っています。

春菜さん、
海外にいると、こういうとき、慌てますよね。お祈り、励まし、本当に感謝です。こちらも、本当に、あらゆる意味で守られたと思います。ただただ感謝です。
春菜さん、赤ちゃんお元気ですか?またたくさん写真アップしてくださいね!

2012-01-15

雪かき

20:34 | 雪かきを含むブックマーク

 二日前の雪の日の朝。みんとま〜やは高校の期末試験が終わった翌日で、学校が休みだった。朝起きるとかなり雪が積もっていて、雪かきをしなくてはいけなかったので、二人にお願いすると、二人共、こころよく引き受けてくれた。年老いてきた(?)親に代わって、ティーンの娘たちが力仕事をしてくれるなんて、何と嬉しいことよ、と思い、私は二人の好物のエビとアボカドのサラダを朝食に用意した。

 二人の作業が終わり、中に入ってきて、サラダとトーストと紅茶の朝食。なんだかとっても幸せだった。

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たしんたしん 2012/01/16 13:41 ひしひしと伝わってくる幸福感です。

その昔、村上春樹が紹介した造語、「小確幸」(小さくとも確かな幸せ)はまさしくこの朝、はちこさんが感じたままを表すのではないでしょうか。

はちこはちこ 2012/01/16 14:20 たしんさん、
こういう幸せの積み重ねが、何よりですよね。^^