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God Bless you!!
(ミルトスの花)

Christian spiritual formation is the process of being conformed
to the image of Christ for the sake of others.
M. Robert Mulholland Jr.

ブログを移転しました。こちらにお越し下さい。よろしくお願いいたします。
http://rhythmsofgrace.blog.jp

2010-04-28

セミナーの準備

18:26 | セミナーの準備を含むブックマーク

 CCのセミナーの準備中。いただいているトピックは、「独身者向けの結婚講座」。つまり、クリスチャンデーティング、かな。人前で話すのは苦手だけど、若いみんなに伝えたいことがあるから。祈りを込めて準備しています。

Chicken Asparagus Roll-Ups

| 17:07 | Chicken Asparagus Roll-Upsを含むブックマーク

 今夜のおかずはこれ。

 これからオーブンに入れるところなので、どんな風にできあがるかわからないけれど。つけあわせはマッシュポテトとインゲン。

MEMO:本「Jesus and the Land」

07:28 | MEMO:本「Jesus and the Land」を含むブックマーク


Jesus and the Land: The New Testament Challenge to

Jesus and the Land: The New Testament Challenge to "Holy Land" Theology

 裏表紙の推薦の言葉より:

"Gary Burge has made a valuable contribution to the ongoing matter of the 'Holy Land' so contested by Israelis and Palestinians. He recognizes the powerful impulse to a territorial dimension in much of Judaism. But then he reflects on New Testament texts--notably those by Luke, John, and Paul--to see that Jesus and the early church distanced themselves from any territorial dimension of faith. This leads Burge to offer a powerful, compelling critique of 'Christian Zionism,' to which 'the NT(New Testament) says: No.' Clearly a faith that intends to reach Gentiles must, perforce, refuse any closed tribalism that makes exclusive territorial claims. Burge's reading of Scripture is persuasive and provides a fresh way to think about 'faith and land.'"--Walter Brueggemann, Columbia Theological Seminary (太字ははちこ)

JesusCreedの関連記事

 著者はウィートン大学のNT(新約聖書)学の教授。新約聖書に照らし合わせてクリスチャンシオニズムを再考しているらしい(新約聖書はクリスチャンシオニズムに「ノー」と言っている、とある)。ちょうどこのトピックについて、ちょこっと知りたいかなぁ〜という気がしていたところなので(消極的)、タイムリー。もっとも今は時間ないんだけど。とりあえずメモだけ。


 それにしても、揺れる波間ばかり見ていると船酔いしそうでもあるから、基本はピリピ4:8でいこう…

Finally, brothers, whatever is true, whatever is noble, whatever is right, whatever is pure, whatever is lovely, whatever is admirable―if anything is excellent or praiseworthy―think about such things.

あ、9節も!

Whatever you have learned or received or heard from me, or seen in me―put it into practice. And the God of peace will be with you.

piyopiyo 2010/04/28 19:09 >「独身者向けの結婚講座」
!!!!!
私の教会に、今必要なものの1つと、ちょうど祈り始めていたところです。
私が通う教会は、総勢でも10人。(+ウチの子の2人)
内、夫婦が私を含めて2組(主人は通ってませんが)。
残りの7人は独身者です。私より年上の男性もいたり…

少し前まで「夫婦や子どもが増えますように」と、私の勝手な思いで祈ってましたが、結婚体験者として独身者の為に祈る必要を、もう一組の夫婦の奥様から祈りの課題としてあげられていたところです。

セミナーに出られませんので(笑)、是非はちこさんの話されたこと等、教えていただけると感謝です。
(7人の内の3人は、以前、新大久保の淀橋教会で行なわれた、チア・にっぽん主催の結婚講座に出てはいるのですが…)

はちこはちこ 2010/04/29 21:13 piyoさん、
おおっ、そうでしたか!独身者のために祈るって、大切ですよね。
では、セミナーが終わりましたら、簡単なまとめのようなものをアップしますね!

2010-04-27

MEMO:目に留まったニュース

13:06 | MEMO:目に留まったニュースを含むブックマーク

 この隕石のニュースにはほのぼのした。^^

 あと、Leadership Journal.netの記事もメモ。

2010-04-25

ギヤチェンジ

18:27 | ギヤチェンジを含むブックマーク

 5月末のCCの準備と年度末のさまざまな行事が重なり、これから6月上旬までは忙しくなりそう。ギヤチャンジをして、生活の優先順位を一時的に変える。翻訳も、ペースを落としてこの一ヶ月はバックバーナーに。

 いろいろやるべきことがあるけれど、しっかり生活管理ができますように!

 

kanahakanaha 2010/04/26 07:21 はちこさん
エミちゃん急に大人っぽくなりましたね。
嬉しいのか嬉しく無いのか・・・複雑じゃないですか?
わたしは複雑、自分の娘じゃないのに(笑)

はちこはちこ 2010/04/26 07:39 kanahaさん、
あの写真は、大学のフォーマルダンスの時だったそうで、二人とも普段とはちがって気取った格好をしているので大人っぽく見えますが、実際は可愛いもんです。(笑)
春休みに二人でNYの近代美術館に行って、夜はGoGoカレーで食事をしたという日の写真も載せました。写真はロックフェラーセンター前です。^^

フィベフィベ 2010/04/28 07:47 なかなか素敵な爽やかカップル♪
お二人とも童顔なのかな。すれてなくて、いい感じです。
今、日本の若者で、ヤクザスピリットの人多くなったから寂しいなと思っています。
こういう好感が持てる青年っていいですね。

はちこはちこ 2010/04/28 07:57 フィベさん、ありがとう!
エミも彼も背が低いので、(エミは156センチくらいで彼は168センチくらい)、実物はこれに輪をかけて、幼いカップルに見えるかも。(笑)
一度スカイプで彼とも話したのですが、本当に好青年なんですよ。二人が、健全で、互いを高め合うようないいお付き合いをしてくれることを祈っています。

はちこはちこ 2010/04/28 07:59 二人の写真、もう一枚足しました。^^

veilchen23veilchen23 2010/04/29 02:34 heidiです。あっ、写真が増えてる。(笑)好青年だということは良くわかりますね。楽しそうですね♪(^_^)

はちこはちこ 2010/04/29 21:15 エミはここのコメントも見ているみたいです。^^

2010-04-23

ヘブライ語で聴く旧約聖書

21:31 | ヘブライ語で聴く旧約聖書を含むブックマーク

 ツイッターで、nkamanoさんに教えていただきました。ヘブライ語で旧約聖書が朗読されているのを聴けるサイトです。

 試しに申命記6章を聴いてみました。4節になったとおぼしきあたりで、「シェマー、イスラエール!」と言っているのが、はっきり聞き取れました。感激!

Marichel Jackson Fukusaku

20:57 | Marichel Jackson Fukusaku を含むブックマーク

 

D

 ビデオについている説明より。

マイケル・ジャクソンならぬ、マリケル・ジャクソン・福迫をバンクーバーで発見!牧師である彼女は、今度の韓国でのミッショントリップのため、自分にできることを全部(羞恥心もそっくりそのまま!)主にささげて、神さまの愛と平和を伝えたいと願ってこのダンスをむちゃくちゃ練習してます。

 このマリケル・ジャクソン氏のご主人である福迫てつや先生が、今年のCCの講師です! (しかし残念ながら、マリケル・ジャクソン氏は同行なさらないそうです。)

 それにしても、ほんとにそっくり! うまい!!

たしんたしん 2010/04/23 21:44 この声は「大阪弁講座」の人。

はちこはちこ 2010/04/23 21:52 たしんさん、よく覚えてますね〜!
確かに、声、似てます。私も似てると思った。でも、踊っているのは違う人です。このビデオを録画して、YouTubeにアップしたのが大阪弁講座の人です!

はちこはちこ 2010/04/23 22:30 たしんさん、私、あの大阪弁講座って、このブログに載せたんでしたっけ? 実は探しているのですが、自分でも見つけられなくなっちゃって…汗

veilchen23veilchen23 2010/04/23 22:49 heidiです。創世記1章からヘブライ語で聴いてみました。「エロヒーム」が「神」だということはわかりました。(笑)

何か初めて聴いた言葉には思えなかったので不思議に思ったのですが、異言の祈りでこう言う言葉で祈っている人達がいるのを思い出しました。御霊のなせるわざなので、自分でも知らないうちにヘブライ語で祈っていることもありえますね。私もベッドでうとうとしている時とか、体調が悪い時にこういう言葉で祈っている時があります。何か不思議です。

たしんたしん 2010/04/23 23:05 多分、クリック募金のリンクを貼って過去記事サーチのスペースが無くなったのですね。

2009年5月28日です。

山本直樹山本直樹 2010/04/23 23:23 heidiさんのところにも書き込んだのですが、、、
岩手県大船渡市の医師山浦玄嗣氏の心魂を傾けた努力によって、
新約聖書が「ケセン」語(東北地方の一方言)に翻訳出版
されています(2002~2004)。ケセン語訳新約聖書は、「ケセン語訳聖書」が
出版に至った経過は、NHK 教育テレビ「こころの時代/ケセン語で読む聖書」
(2002 年)で放映され、日本中に大きな反響と感動を呼び起こました。
山浦玄嗣氏のメッセージ
「生活感や現場感覚あふれる故郷の言葉で聴くみことば(神のことば)
は、複雑な頭の回路を素通りして、魂の奥底に響き、骨身を揺さぶります。
イエスもガリラヤ地方のナザレの田舎に生まれ、その土地の言葉
“ガリラヤ弁”をしゃべっていたのです。日本のあらゆる場所でこうした
翻訳が進められ、一人ひとりが“ふるさとのイエス”を発見で
きればと思います。」
イエスの声が聞こえるようです。

ヒソカヒソカ 2010/04/24 00:16 イエス時代の人々の言語環境は今の欧州の人々のそれに近かったそうです。「ガリラヤ弁」というのが何のことかわかりませんが、別にアラム語だけを話していたわけではない。

イエス様が生きていた時代の一般的な民衆の言語環境は以下のようでした。
1.自分の生育した地方の方言(ガリラヤ訛りのヘブライ語=ガリラヤ弁?)
2.自分の属する宗教に関する言語(ユダヤ人ならヘブライ語)
3.交易等で使用する世界言語(アラム語、ギリシャ語、ラテン語)

 新約聖書の写本はギリシャ語ですが、ギリシャ語だと意味が通らない個所がかなりあるそうです。ヘブライ的に考えれば不思議でもなんでもない聖句が、ギリシャ語で書いたら意味不明な言葉になったという聖句がたくさんあります。例えばルカ23:31の「生木」と「枯れ木」の言葉や大いに誤解されているマタイ5:39の「悪人に手向かうな」の聖句。

 そういうわけで、ヘブライ語を学んでみようと最近は考えるようになってきています。

はちこはちこ 2010/04/24 08:46 heidiさん、
エロヒームとかアドナイとか、はっきり聞き取れますよね。カタカナそのまんま!意外にも、日本語と音が近い部分もあるんだなと思いました。喉の奥から出す音は、むずかしそうですが。
異言で、あり得ますよね。もっとも、ヘブライ語で祈っているなら「アドナイ」とか出てきてもよさそうですが、それは聴いたことないなぁ。

たしんさん、
おお〜、よくぞ見つけてくださいました! 検索は、この画面の左上にあるのですが、ろくに説明書きもつけなかったので、「関西弁講座」で検索しても出てこなかったんですよ〜。見つけてくださってありがとう〜!

山本先生、
山浦玄嗣氏の本、私も読みました。目からウロコなことがたくさん書いてありましたよね。聖書を読む者としても、翻訳者としても、多くを教えられました。

ヒソカさん、
なるほど、興味深いですね。ヘブライ語は、時制も、私たちに馴染みのある現在、過去、未来ではなく、別の形だと聞いたことがあります。奥が深そうですね。私もいつか学んでみたいです。

2010-04-21

土の器と宝

11:32 | 土の器と宝を含むブックマーク

 昨日の記事にいろいろなコメントをいただき、どうもありがとうございます。私の方からも、コメント欄に次のように書かせていただきました。こちらにも転載します。

====

 私たちは永遠に変わらない真理である神の言葉を慕い求め、それを学ぼうとしているわけですが、私たちはあらゆる面において有限で、さまざまな制約を受けている。理解力という制約だったり、生きている時代や文化という制約だったり…


 逆に言えば、だからこそもっと柔軟であるべきだと思うのです。「聖書は神の言葉なのだから絶対だ」と言いますが、そしてそれはまったくそのとおりなのですが、それを受け取っている私たちの方は少しも「絶対」ではなく、さまざまな制約の中にあるということ。聖書は変わらないけれど、神学は、その時代に起きていることに反応したりプロテストしたりしながら、時代と共に変わっていくこと。

科学の知見が増えて、宇宙や人間の歴史について、以前は分からなかったことが分かってきたなら、それを考慮に入れつつ、神学が変わっていくとしても、なんら問題はないと思います。それは神の言葉が変化したのではなく、ましてや神の言葉を軽んじるのでもなく、神の言葉を理解しようとしている私たちの理解力が変化しただけなのですから。

 「神の言葉は絶対だ」と言いつつ私たちが固守しようとしているものは、実は「神の言葉」ではなく、自分の解釈だったり立場だったりプライドだったりすることも、時にはあるのではないでしょうか… そうなると、せっかく神様が私たちの理解力を助けるために新たに与えてくださったものを、そうとは知らずに拒絶してしまうことにもなりかねませんよね…

 2週間くらい前に、私は「"今はまだ成長過程にある自分"というコンセプトに、もっとcomfortableにならないといけないなと思った。もしかしたら、それが「謙遜」ということなのかもしれない」と書きましたが、ここにもそれが当てはまるのではと思わされました。神様は、私たちが個人としても、キリスト者の群れとしても、このような成長過程の中にあることをご存知で、この地上に生きている限り、何らかの制約の中でしか主の御言葉を理解できない存在であるのもご存知ですよね。パウロが第一コリント13章12節で言った言葉を思い出します。

「今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔とを合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。」

====

 いかに私たちが小さく、限られた存在であるのかを思います。と同時に、それにもかかわらず、神様は主を求める思いを私たちに与えてくださり、確かにご自身を現し、私たちと関係を持ってくださっていることに、深く感謝の念を覚えました。壊れやすくて、見た目も冴えず、それ自体では何の価値もないこの土の器に、尊い宝を入れてくださっている主の御名を、心から崇め讃えます。

「光が、やみの中から輝き出よ。」と言われた神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。 私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。 (2コリント4:6、7)

Soli deo gloria!

山本直樹山本直樹 2010/04/21 17:30 はちこさん
ヨハン・ゼバスティアン・バッハは、宗教曲の楽譜の冒頭に「JJ」
(ラテン語でJesu juva!=「神よ、助けたまえ」の略語)と、最後に「SDG」
(ラテン語でSoli Deo Gloria!=「神のみに栄光あれ」の略語)と書いて
いました。
バッハの受難曲は冒頭合唱から終末合唱まで、一分の隙も緩みもなく展開される
音楽ドラマです。そして何よりも受難に際して示した弟子グループの
弱さと卑劣さ、裏切りと自己弁護はすべて私たち自身の姿です。
イエスの受難に出会うことによって彼らが大きく人生を変えたように、
私たち自身もこの音楽を通して、自分の罪の問題を強く考えさせられます。
今年の岐阜バッハ合唱団の公演は「ヨハネ受難曲」に決定しました。
6月4日(金)です。どうかお祈りください。
個人的なお願いで申し訳ありません。

まきとまきと 2010/04/21 17:37 神の言葉を受ける側の理解が変わって行くと言うのは、僕もつくづく
骨身に染みて言えます。
CSから教会に集っていますが、教会で語られる内容も年齢に応じて
変わって行きました。
僕達が、成長したからでしょう。
ある時代は学術論文を読む訓練をしていましたから、厳格な聖書解釈も
馴染んでいましたが、律法的学者風でどうしても、初めの感動や愛、喜び
がありませんでした。知的な訓練が無いと理解できない種類の話があります。
僕は成長の段階、特に学生時代を過ごした教会から、自分の育った町の
教会に帰った時に、逆カルチャーショックを受けました。そういう意味から
普遍化して、教会の地域差を感じました。やはり、首都圏にある教会での
解釈と地方都市の教会で集う人の層が違います。受ける側と語る側の両輪
で教会は成り立つようです。僕が帰って来て数年で、恩師は千葉へ神学校
の設立のために辞任していきました。10年前に京都の教会に導かれました。
そこの、いい牧師も、高齢で引退されてしまいました。
今、新しい指導者を求めている段階にあります。
先日新宿のある教会に行きましたが、都心だけあって、皆さんハイテンション
でした。(都心と地方という括りも比較対象になるか難しいです。)
アメリカの教会と日本の教会という対比も成り立つかもしれませんね。
日本はアメリカの教会をモデルにしてきましたが、自分達の宗教性と文化
のなかからの解釈もありうると思われます。シンクレティズム(土着化)の
プロセスもありうるので、一概に聖書の一節を絶対視できないものを感じて
います。大きな構造の中の一部として解釈が求められると思います。

マックマック 2010/04/21 19:01 早く成長してしまうとなんだか心配です。野菜も果物も、そして人間も。

イエス様は30歳の成人としてこの世界にこられませんでした。じっくりと、成長なさって“その時”はやってきました。私達はその誕生に勇気づけられ、その人生の過程があったからこそ、イエス様の語られた言葉に私達は自らの人生も重ねあわせることができるのですね。

はちこはちこ 2010/04/21 20:03 山本先生、
前回、岐阜バッハ合唱団のお知らせをいただいたのは、いつでしたっけ。1年前? 今度はヨハネ受難曲なのですね。素晴らしい曲を歌えて、素敵ですね!合唱団自体はクリスチャンのクワイヤというわけではないのですよね?歌を通して、合唱団の皆さんに、主を知りたいという願いが与えられますように。そして祝された公演となりますように!

まきとさん、
そうなんですよね! 私たちの成長に合わせて、聖書の御言葉が語りかけてくるものも変わってきますよね。以前読んだときにはまったく気にも留まらなかったような箇所から、新たに目が開かれたり…
教会と一口にいっても、時代や場所によって、本当に大きな違いがあるし、あって当然だし、だからこそ、変化があってもいいはずの部分について、「これが絶対!」という強い態度を持つのは気をつけなければいけませんね。もちろん、それぞれに確信が与えられるのはよいことですが、自分の基準では他人の確信は測れないというか…

マック先生、
アーメンです! 野菜も果物も、変な化学飼料を与えられて成長を急がされた家畜も恐いです! 太陽のもとで、新鮮な空気をたっぷり吸って、真理と恵みをたっぷり注がれ、時間をかけて「その時」が来るまで、ゆっくりと成長させられたいですよね!「人生の過程」、自分のも、他者のも、大切にしたいと思わされます。

じんくんじんくん 2010/04/21 20:04 アメリカのキリスト教の状況が理解しにくいというのは、わたしも感じます。
なので、安易にアメリカの教会、キリスト教について評価は出来ないなと思っています。
でも、アメリカの状況を知らないのではと思われる人の批判はよく目にします。

あと、ハーベストタイムの中川先生が、興味深い文章書いていました。
この内容のもっと詳しいCDも販売されていますが。


http://blog.goo.ne.jp/harvesttime/e/38269bb3effaf8374f948bb6c835920d?fm=rss

はちこはちこ 2010/04/21 20:13 じんくんさん、
私は日本人クリスチャンとしてアメリカに25年余暮らしていますが、10年くらい前から、アメリカ人が持っている「聖書的世界観」が、日本人の目から見ると、ただの「アメリカ的」にしか見えないことが少なからずあることに気づき始めました。長くこちらに住んでいてもそうなのですから、日本の方にわかりにくいのは当然だと思います。だからこそ、私の立場から見えていることを発信したいと思ってきました。な〜んて、一主婦に過ぎない私には、大したことは言えないのですが。汗

中川先生の「欧米型(あるいは韓国型)のメガチャーチを成功モデルとすることから脱却する必要」というのは、本当にそうだと思います。

meekmeek 2010/04/22 00:15 こんにちは、ご無沙汰しておりました。
でも、いつも興味深く読ませていただいています。

最近読んだ本で、
「宗教から読むアメリカ」森孝一著
が面白かったです。


著書は同志社大学の教授だそうです。
ご自身の信仰の立場についてはあまりふれられてないようで
客観的にアメリカの状況を解説しているように感じました。

建国の理念からはじまり、なぜ創造論と進化論が他の国では
見られないまでの論争となったのか?といったことなどにも
ふれられていました。

信仰とはまた違った視点で、
書かれているところがわかりやすくて面白かったです。
(こういうのを社会学的というのでしょうか?

はちこはちこ 2010/04/22 07:38 meekさん、
お久しぶりです! 今回も有益そうな本のご紹介をありがとうございます! 
私の友人で、アメリカで学んだ日本人宣教師が、アメリカ人の神は「建国の父の神」だと言った人がいました。アメリカを知るのに、建国の理念を知ることは、どうも要のようです。
アメリカ人クリスチャンが進化論をあんなに毛嫌いする背後には、アメリカ人独特の精神構造があるのだと理解していただけたら、日本人のクリスチャンはもっと客観的にこの問題を見ることができますよね。

アマゾンでチェックしてみましたが、本当に面白そうな本ですね。日本に帰ったら買いたい本のリストに入れます!

meekmeek 2010/04/22 09:28 はちこさん、ご参考になれば感謝です。

森氏が論じるには、進化論を攻撃する人たちは、
科学としての進化論を攻撃しているというよりもスペンサーに
代表されるような社会進化思想に対してであって、
攻撃的なのは根本主義の人たちだけではなくて、
保守的な、古き良きアメリカといわれるような道徳性や価値観を
将来にも継承したいという心理と、それが、共通の過去を持たず、
多様な人種・宗教をもつ巨大な国を統合を、破壊されるのではないか?
という危機感が動機となっている???
ちょっと難しいですが、そんな風に理解しましたね。

それと、こういうのは社会学的とはいわないようですね。
アマゾンのレビューでもっと社会学的な視点もいれればみたいな意見が
ありましたね。

どちらにしろ、キリストにある信仰とは無関係な領域で
いろいろなことがあるようなのかな?
という気がいたしました。

はちこはちこ 2010/04/22 09:55 meekさん、
>科学としての進化論を攻撃しているというよりもスペンサーに
代表されるような社会進化思想に対してであって

まったくその通りだと思います。問題は、実際は「社会進化思想」を批判しているのでありながら、本人たちはその自覚がないのか、科学としての生物学的な進化論のことまで一緒に拒絶していることです。生物学的な進化論を受け入れると、社会が無神論的世界観に侵される、と言うのです。生物学的進化論は、それ自体では無神論でも有神論でもないのに。でもドーキンスのような人が「進化論=無神論」として大宣伝してくれちゃっているおかげで、ますますクリスチャンは防御的になってリアクトしてしまうのだと思います。まんまと相手の罠にはまっている感じですよね。
ケン・ハムという「若い地球」論者がいます。Answer in Genesisという団体の創設者で、2007年にはケンタッキー州に創造博物館というものを造りました。ググるといろいろ出てきます。ケン・ハムは、人種差別もテロリズムも、すべて進化論のせいだと言っています。

社会進化思想と生物学的進化論の混乱について、タイムリーにも、クレオパさんが最近のブログ記事で書いておられました。私もそれについて触れようと思っていたところです!
http://amendo.exblog.jp/12510846/

また、攻撃的なのが根本主義者だけでなく、保守的な一般のクリスチャンたちも…というのも、実にその通りだと、アメリカに暮らしていて感じます。彼らが、現在アメリカで論争になっている医療保険制度の改革に反対なのも、同様の理由と思われます。
いわば、建国理念に基づく『アメリカ教』とも言えるのでは?と思ってしまいます。

ヒソカヒソカ 2010/04/22 09:57 森孝一先生の本は存じませんが、進化論論争は、やはりアメリカのナショナル・アイデンティティが絡んでいるようですね。たぶん、そこが日本人が彼の地の進化論論争を眺めていて、いまいちよくわからないところなのだと思います。事は、進化論がどういう理説かにあるのではなく、アメリカ人としてのアイデンティティという幻想に属することなのでしょう(「幻想」といっても悪い意味ではないですよ)。コリンズの『ゲノムと聖書』に限らず、進化論がどういう理説かを客観的に述べた本がどれほど出ても、彼の地で進化論論争がやまない理由は、進化論の客観性という次元にはない。彼らは論争に明け暮れることによって、何かを得ているのかもしれません。それが何かは日本人の私にはわかりませんが、信仰や神学の次元の話ではないはずです。

 彼らの意識に主題化しないのは、「進化論と創造科学の論争に明け暮れることによって私は何をしたいのか」という問いでしょう。あるいは「なぜ自分は進化論(あるいは創造科学)を躍起になって攻撃するのか」という己の欲望のありかへの問いです。日本人は、彼らはそういう人々だと考えて、放置しておけばいいんじゃないかと思います。考えを変えさせるのは無理ですから。日本人がやっておくべきなのは、彼の地で進化論論争が起こることによってキリスト教にもたらされる不利益を最小化することです。

ヒソカヒソカ 2010/04/22 10:12 アメリカがそもそもどういう国なのかについては、Robert Bellahの「Civil Religion in America」という論文が参考になるかと思います。『beyond belief』という本に入っています。ベラーはアメリカの宗教社会学者です。

 進化論論争に明け暮れている人々も、そのうち余裕がなくなって、そんな論争をしている暇がなくなるんじゃないかと思っています。フランスの社会学者のエマニュエル・トッドが言っていることですが、世界はアメリカなしでもやっていけるようになりつつありますが、アメリカは経済的には世界に依存しないではやっていけなくなりつつあります。アメリカ覇権への敬意は薄れてきているので、そんな状況で進化論論争を続けても、「ああ、バカやってら」とますます冷笑を買うだけです。世界からの支援はいらないよと言っても、別に世界は困りませんが、アメリカは困るでしょう。こういう危機感はなかなか意識に上らないのでしょう。いや、危機感があるから、「いや、神が我々を創造したのだ」という物語にすがりつきたいのかもしれません。日本人クリスチャンが重大視する論件とは私には思えないのです。

はちこはちこ 2010/04/22 11:28 ヒソカさん、
>やはりアメリカのナショナル・アイデンティティが絡んでいるようですね

そう、そうだと思います。そして、彼らにとって、進化論がどういう理説であるかは実は関係ないのだろうというのも、その通りだろうと思います。

アメリカ人のアイデンティティーの問題は、確かに日本人である私たちがとやかく言うことではありませんが、現実問題として、ケン・ハムが日本に呼ばれて講演をしたり(そして、クリスチャンならばこれを信じるべき!といった論調が日本にも入ってきていたり)、日本でも進化論を道徳的諸悪の根源であるかのように攻撃している人たちがいるのです…

こうして皆さんとお話して、いくつかのヒントが見えてきました。ありがとうございます!

ヒソカヒソカ 2010/04/22 12:58 >はちこさん
 アイデンティティーの問題は他国人が云々しても、どうにもなりませんからね。日本人にできるのは、そのようなアイデンティティのもたらす不利益をいかに最小化するかを考えることだけです。

 ケン・ハムとやらが日本で講演して、「進化論は諸悪の根源である」と日本のクリスチャンが考えるようになるのは憂慮すべきことかもしれません。けれども、そういう話を聞いて「そうか、進化論は諸悪の根源なんだ」と納得してしまう人というのは、ケン・ハムの話を聞こうが聞くまいが、元々科学的知性の不調な人なのですから、「それは違うんです」といくら言っても警告するだけ無駄だと思います。

 そのような科学的知性の不調な人もいるでしょうが、それが日本のクリスチャンの大多数だとは私には思えないのです。そもそも、日本のクリスチャン人口が日本人口の1%未満という話が本当なら、ごくわずかの知性の不調なクリスチャンが「進化論は諸悪の根源」と大きな声を発しても、一般人は「クリスチャンはバカだね」と考えるだけで、何のいいこともない。その一方で、科学的知性のある人がおり、その人たちは各々の持ち場で務めをきちきち果たしている(職業的科学者に限らず)。そういう方たちの働きを広くアナウンスする方が、知性の不調な方たちに警告するよりコストパフォーマンス的にもいいのではないか、私はそう考えます。私ははちこさんのようにやさしくはないので(皮肉じゃないですよ)、そういうビジネスマインデッドな考え方をします。

 ついでに言うと、「進化論を信じてはならない」とか「進化論は諸悪の根源である」という非科学的なことを言うクリスチャンは嫌いなので、視界の端にとらえたらダッシュで逃げることにしています。話につきあっても、共通のコミュニケーション水準を確保しようという努力を相手がされないので、私にはいいことがちっともないのです。それよりはキリスト教のことに詳しいお坊さんとお話する方が何倍も楽しい。

はちこはちこ 2010/04/22 14:13 ヒソカさん、
ご意見ありがとうございます。ヒソカさんのお考えはだいたいわかりました。

私は、これは受け取る側の「知性」の問題ではないと思っています。日本でケン・ハム系の創造科学やID論を謳っている方たちには、とても知的な方たちも多くおられます。

お願いなのですが、進化論を受け入れない人たちに、「知性の不調な人」といったネガティブなレッテルを貼るのは、少なくとも私のブログのコメント欄においては、お控えいただけますか? 率直なところ、私が読んでも不快な気持ちになります。考え方や思想が違っても、主にある兄弟姉妹であることには変わらず、聖書にも、兄弟に向かって「ばか」と言うものは…という御言葉がありますよね。ヒソカさんがご自分のブログに書かれるのはヒソカさんのご自由ですし、そのリンクをこちらのコメント欄でご紹介くださることはかまいません。よろしくお願いします。

meekmeek 2010/04/23 10:37 >いわば、建国理念に基づく『アメリカ教』とも言えるのでは?と思ってしまいます。

アメリカに森氏のいうような「見えざる国教」があるなら、
日本には山本七平氏がいうような「日本教」があるのかもしれません。
山本氏は仏教であれ、キリスト教であれ、日本教仏教派、日本教キリスト教派と
変質した宗教になってしまうといいます。

はちこさんがエントリで引用された2コリント4:6、7の前の
3:16には「人が主にむくなら、そのおおいはとりのけられ」
とありますよね。

国の文化やその背景にある見えざる国教について知るのも、
それらと心が主にむくこととを区別することが
できるために役立つかなと思うんです。
わたしたちの心が、主にむけられますように。
主がわたしたちの心を照らしてくださいますように。

はちこはちこ 2010/04/23 18:38 meekさん、
「見えざる国教」…きっとどの国にもあるのでしょうね。歴史の流れの中で背負ってきたもの、その国民のメンタリティのバックボーンとなっているものかもしれませんね。
一人一人のクリスチャンが主によって個性的な存在として作られているように、一つ一つの国も、それぞれに特徴があるのは、主のご計画の範囲内なのかもしれない…とふと思いました。
「人が主にむく」とき、国が背負ってきた歴史も、その国民固有のメンタリティーも、主が私たちに触れてくださるためだったと言って、皆が主をあがめるようになるのかもしれませんね。

>わたしたちの心が、主にむけられますように。
>主がわたしたちの心を照らしてくださいますように。

アーメン!

meekmeek 2010/04/24 05:10 >その国民固有のメンタリティーも、主が私たちに触れてくださるためだったと言って、

なるほどです。
使徒17:26、27でパウロが、
「神は(中略)それぞれに決められた時代と、
その住まいの境界とをお定めになりました。
これは神を求めさせるためであって」
と書かれていたことを思いだしました。

そして創世記11章における言語の混乱も、
目的において共通するように感じました。

はちこはちこ 2010/04/24 21:01 meekさん、
おお、その使徒の箇所、今まで読み過ごしていました。指摘してくださってありがとう!とても励まされました!

山本直樹山本直樹 2010/06/05 22:39 先日、主の祝福のうちにヨハネ受難曲の公演が終了いたしました。
お祈り感謝いたします。
最終コラールには、輝かしく堂々と主の復活への希望がうたい上げられています。
受難曲の最後のテキストにも共通する精神をもつ「安らかに憩わせてください」
という呼びかけ、そして受難の物語とは異なる次元での、この物語への
「自分」へのかかわり、あるいは「われわれ」にとってのこの出来事の意義を、
大きな訴求力でわれわれに迫っています。まだ当日の録音はアップされていないので
有名なカールリヒターの演奏を添付させていただきます。

2010-04-20

「根本主義」と神のことば

| 14:01 | 「根本主義」と神のことばを含むブックマーク

 ここしばらく、アメリカの旧約学の神学者ブルース・ウォルトキー博士が、有神論的進化論を支持する発言をしたことがきっかけで、改革派神学校を辞任された件について何度か言及してきました。(こちらこちらなど。)この件は、英語圏の多くの個人ブログやクリスチャニティトゥデイ誌のようなキリスト教メディアはもちろん、USATodayABCニュースの一般メディアでも取り上げられています。

 日本から見ると、「欧米」は何かと一括りにされることが多いですが、進化論と聖書解釈を巡る論争に関しては、アメリカとアメリカ以外の英語圏では、ずいぶん事情が違うらしいことについて、このブログでも少し触れたことがあるとおりです。

 それにも関係して、先日、「のらくら者の日記」様が、なぜアメリカではこういう論争があるのか、背景の説明の一つとして、カナダ人神学者J.I.パッカーの『福音的キリスト教と聖書』(岡田稔訳 いのちのことば社)に言及しつつ、次のように述べておられました。

実は、アメリカ合衆国での「進化論論争」を考察する時、《リベラリズムとの戦い》という、「聖書論」をめぐる論争の歴史が(アメリカでの出来事の影響でイギリスでも)かつてあったことを知っておくことは大事であります(→http://www.youtube.com/watch?v=KDdO94K3TDs)。聖書も、自然(被造世界)も、神の言による「啓示の書物」であるからです。バード師も語るように、アメリカ以外の英語圏では、パッカー博士のこの本は「決定版」のような意味を持ちました。イギリスの福音主義では、聖書論の基本的かつ最重要な思想は本書で十全に語られていると一般的には理解されています。けれども、アメリカ合衆国では必ずしもそうではありませんでした。ですから、1970年代から1980年代にかけて、アメリカの福音派内で聖書の「無誤性(inerrancy)」と「不可謬性(infallibility)」をめぐって激しい論争が起こりました。一部の福音主義者たちは、故F. F. ブルース教授のような重鎮にすら「リベラル」のレッテルを貼ったほどでした。(のらくら者の日記

 さて、私は神学者でもなく、神学書にもまったく疎いのですが、昨日友人のうさたろうさんから、『福音的キリスト教と聖書』に関してとても興味深い(ショッキングな)情報をいただきました。うさたろうさんは、「のらくら者の日記」様の上述の部分に言及しつつ、日本における福音派の状況に関して、以下のようにおっしゃっておられました。転載許可をいただきましたので、以下にご紹介させていただきます。

==以下、引用==

 つまりイギリスの福音主義は、パッカーの同書によって学問的にバランスの取れた聖書論が発達したが、米国の事情は違い、いささかいびつな所のある聖書論が力を振るい、現在に至っているというわけである。(まあ、シカゴ宣言にはパッカーも名前を連ねており、そこまで事は単純ではないと思うけれども)

 ともかくウィルトーキー博士辞任の大きな理由が、米国におけるそういう聖書論の流れから派生している点に間違いはないだろう。

 翻って日本の福音派はどうかというと、イギリスよりも米国型福音主義の影響を色濃く受けてきた経緯により、米国の事情に近いものがあるのではないかと感じる。上のパッカーの『福音的キリスト教と聖書』が早々と翻訳刊行されていたにもかかわらず、事はイギリス的な方向には進まなかった。

 実はその一因は、同書の翻訳が不適切なものだったからではないかというのが、自分のひそかな疑いである。それは誤訳が多いとかいう水準ではなく、米国の根本主義に見られるような反知性主義に対してパッカーが批判的なことを書いている文章を、邦訳がばっさり削除しているからである。

 具体的には、原著p.30の3行目からp.34の9行目までが、2つの項目見出しのみ訳して後は何もかも訳出されていないのだ(邦訳p.39)。そして、その2つ目の項目見出しの内容が米国の根本主義に対する次のような批判の言葉なのである。(2つ目の項目の内容だけ削ったのでは不自然になるので、1つ目の項目の内容も巻き添えを食って削除されたのだろう。)

American Fundamentalism did not in every respect adorn its doctorine. ... Partly in self-defence, the movement developed a pronounced anti-intellectual bias; ... Its apologetics were makeshift, piecemeal and often unprinciples and unsound. Its adventures in the field fo the natural sciences, especially with reference to evolution, were most unfortunate. Here, where the Fundamentalists' confidence was greatest, their competence was least, and their performance broght ridicule and discredit on themselves. ... the movement lacked depth and stability, and showed itself unduly susceptible to eccentric influences originating from its own ranks.

 明らかにパッカーは、米国の根本主義者たちとは一定の距離を置こうとしている。そして、その原因の一つが、根本主義に見られる非知性的な態度であり、自然科学分野、特に進化論関係の論説に見られるおそまつさなのである。

 原書刊行は1958年、邦訳は1963年に出ている。しかし、当時の福音派において、上のような言葉は公にするわけにはいかなかったのかもしれない。リベラリズムは悪、根本主義は善、という単純な二項対立の図式の中には、こうした中間的な是々非々の論議はなじまなかったと十分に想像できる。

 この数ページを削除したのが翻訳者なのか出版社なのかは定かではないが、いかにも全訳したかのようなよそおいの、このJ・I・パッカーの聖書論に関する「決定版」が、意図的に大きく削られていたことは事実である。しかも訳者あとがきを読んでも、その間の事情は何も物語られていないのだ。これは著者にとっても、何も知らない日本の読者たちにとっても不幸なことだったと思うし、翻訳書の出版としてあるべきではない姿だと思うがどうだろうか。

 このパッカーの本は、原題を『'Fundamentalism' and the Word of God』という。直訳すれば、『「根本主義」と神のことば』である。いわゆる「根本主義」と神のことばがいかなる関係にあるかを、パッカーは根本主義者のひとりとしてではなく、真の福音主義者として冷静に論じているわけだが、当時の日本においては福音主義も根本主義も同義として受け入れたい、受け入れなくてはならない事情があり、上のような削除も行ない、邦訳名をあえて「福音的キリスト教と聖書」としたのではないか。

 だがそういうことでは、底の浅い福音理解、聖書理解にしかならないだろう。返す返すも残念なことである。

==引用終わり(文中、赤文字ははちこによります)==

 翻訳書において、都合の悪い箇所(?)が黙ってばっさり削られているというのは、非常に残念なことですが、私もいくつか例を見聞きしたことがあります。一般の出版社が、売れ筋の本から日本の読者になじまなさそうな箇所を削るというならともかく、キリスト教書において、著者や読者に断りなく削るというのは、本当に残念なことだと思います。(翻訳者として、ポカミスによって一行、あるいは一段落スポッと抜かしてしまうことが起こり得るのはわかるのですが、今回の場合は、ポカミスではなさそうですよね。)

 科学(とくに進化論)と聖書理解について、アメリカではようやく、少しずつ、ほんの少しずつですが、対話が始まりつつあります。その流れが日本に入ってくるにはきっとまだまだ時間がかかるでしょうが、いずれはそうなってくると信じています。(アメリカから入って来るのを待つ必要は全然ないのですが!国内でそういう議論が出てくるならなお素晴らしいと思います!)もちろん、科学が聖書と同じくらい大事だと言っているのではありません。ただ、被造物に関して、曲解とも思える解釈がクリスチャンの間でまかり通ることは、創造主である神のご栄光を表すことにならないと思うのです…

追記:この件に関するディスカッションの続きが21日の記事のコメント欄にもありますので、興味のある方はそちらもご覧ください。

hk-_-zzhk-_-zz 2010/04/20 17:44 福音派の背景を持ち、米国で改革派神学を学ぶ学生として一言コメントを(´・ω・`) 私見ですが、多くの人が、根本主義/福音主義/新福音主義/宗教改革正統主義(改革派/ルター派)の正確な定義が出来ないまま議論に首を突っ込んでいるので、非常に混乱している印象を受けます。ちなみに、福音主義と新福音主義はどの年代について語るかによって、またどの視点からこの言葉を用いるかによって意味が変わる融通無碍な言葉でもあります。

また欧州神学の特徴が学際性であることは事実ですが、米国とは学問の方法論が違うこと、また弁証学的前提(組織神学的意味での)が違うということも鑑みた上で、発言されるべき事柄だと思います(´・ω・`)

まあ発言と思想の自由はそれぞれですし、さらに、そのマナーもまたそれぞれですし。難しいですねw

ロンロン 2010/04/20 17:58 お久しぶりです。
進化論を巡る最近のアメリカでの動きは、私みたいなド素人には何が何だか分からないままです(^^;
そうは言いつつ、素人なりに刺激を受けている今日この頃です。
訳出の際の削除について別の書物に関して「のらくろ者の日記」に御座いましたので、それをご紹介させてください。
W.H.ウィリモン著「教会を必要としない人への福音」
http://seikouudoku-no-hibi.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-a456.html
==========引用開始==========
翻訳者たちは意図的に、原文にある
'Jehovah's Witnesses(エホバの証人)' を削除しています。
キリスト教諸教派と並列して、エホバの証人も神の恵みの
証し者として紹介しているウィリモンのキリスト論理解を
私は疑問視するのです。(それにしても、邦訳者たちがこの
部分を削除するのは、著者の立場を不鮮明にするという意味で、
クリスチャン読者に対する不誠実だと私は思います。
「訳者あとがき」でも特に触れていないですし。)
==========引用終了==========

ちょっと悩みます。

はちこはちこ 2010/04/20 21:45 hk-_-zzさん、
コメントありがとう! そういう背景を持たれる方からのコメント、感謝します。
改革派と一口に言っても幅は広いと聞いています。私にとっては、ウォルトキー博士の事件がたまたま改革派の神学校で起きたことだった、ということで、特に改革派を批判しているわけではないので、それはご理解くださいね。

念のため、今日の記事の登場人物を説明いたします。「のらくら者」さんは、元KGK主事で、オックスフォード大学で学ばれ、現在日本の神学校(どちらだか存じ上げないのですが)で教鞭を取られている方です。
う さたろうさんは、キリスト教書(特に古典)の翻訳者で、最近ではロイドジョンズの「ローマ書講解」をいのちのことば社さんより出版なさいました。ですの で、翻訳者の観点から、『福音的キリスト教と聖書』には翻訳が削られている箇所があるという指摘をしてくださり、私もそのことに驚いたので、転載させてい ただきました。

でも、そうですね、私は神学的なことは無知なので、自分にわからない部分まで転載するのでなく、私が注目した部分だけご紹 介させていただいた方がよかったかもしれないですね。さらなる混乱を招くのはこの記事の意図するところではなかったので、不快な思いをさせてしまったなら ごめんなさいね。

神学のことは知らない一般信徒として、他にちょっと思うところがあるので、時間があればあとでメールするかもしれません。しないかもしれませんが。

ロンさん、
おひさしぶりです! お元気でしたか?
引用くださった箇所、どこかで読んだ覚えがあると思ったら、以前、うさたろうさんも同じ箇所に言及していらしたことがありました!
翻 訳者は、読者の理解を助けるために、言い換えるとか、少し説明を加えた訳にするとか、時には、文化に根ざしたジョークなど、そのまま訳しても日本人読者に は伝わらないだろうという箇所は削り、大意を別の表現であらわすなど、確かにそういうことをする場合もあります。しかし翻訳者の考えに合わない箇所だから といって勝手に削るのは問題ですよね。翻訳者の考えと合わなくて、どうしても気になるなら、原文どおりに訳した上で、訳注をつける方が誠実な対処の仕方だ と思います。私も以前、これは著者が間違っているのでは?と思われる箇所があり、でも著者に連絡して確認する時間がなかったため、原文どおりに訳した上 で、訳注をつけてそのように記したことがあります。

でも、ほとんどの翻訳書は、ちゃんと訳されていると思います(思いたいです)。そうでないと、読者としては悩んでしまいますよね!

じんくんじんくん 2010/04/21 04:39 自分は、ことば社の本では意図的な削除は結構なされていると思っています。
ことば社は福音派の背景があるので、カリスマ派やリベラル的な部分は、以前は尾法度だったように思っています。 最近は多少変わってきたでしょうが。
あと今回のような話題は、覚悟をして書かないといけない部類の話題でしょうね。

かわむかいかわむかい 2010/04/21 06:22 ブログ、復活されたんですね。
余裕が出てこられたのは、何よりです。ちょっと心配して祈っていました。

いのちのことば社の翻訳ものは、ときどき、断りなくばっさりやります。私も、Rick WarrenのPurpose Driven Churchを読んでいて、あれ、どこかで読んだけど、と思って、いのちのことば社の翻訳を見直したんですけど、2章分くらいごっそり抜けていました。一応、後で抜けた部分も(完全ではないですけど)こっそり別の本として出していましたけど。
原文に近いほうが、「健康な教会へのかぎ 」後からこっそり出したものが「魅力的な礼拝へのかぎ」。これ、詐欺じゃないの?と思いました。 「魅力的な礼拝へのかぎ」では、なぜ翻訳しなかったについて、少し弁解していたと思います。でも、原文を読んで、あれ、どっかで読んだぞ、と思ったものの、別の本になっていましたね。

この経験以来、Amazonさんのお世話になっていることが多くなりました。

フィベフィベ 2010/04/21 08:40 私は、いのちのことば社に18年間、勤務していたけれど、
20年前からみると柔らかくなっている。
新聞の広告に聖霊派の広告を掲載できなかったのが掲載できるようになり
記事にはできなかったけれど、できるようになったけれど制限があり
出版物ものにも福音派以外のものは、削除されたり掲載拒否もありました。
聖霊派出身の社員は、自分の信仰が拒否されて
いたたまれなくて辞めた人もいます。
たくさん信仰に制限があって、削除もあって、
神さまの働きを人間が止めていいのかなぁと思ったこともあります。
本が売れない、いつも赤字になってしまうのは、わかるように思う。
みなの献金でまかなわれているとこが大だから。

でも、こういう問題は、永遠に続くでしょうね。
平行線なの。いつまでも。
天国に行ったら、イエスさまに直接聞きたいです。
どう思う? と。

ヒソカヒソカ 2010/04/21 09:10 ウィリモンの『教会を必要としない人への福音』に削られた箇所があるのは知っています。翻訳者の一人平野牧師とは面識があり、もう一人も間接的につながりがあります。単に日本人クリスチャンにとって不都合だから削除したという方ではありません。特に平野先生はウィリモンの指導を受けた方なので、片付かない思いがあったと推察しております。
 
 翻訳という人間の仕事の是非は人間が判断すべきであって、神様という上位審級に判定してもらうことではないと思います。そういうのは、隣家のラジオの音がうるさいといって、自分で話し合いをしようとせず、総理大臣に「おかしいですよね?」と直訴するようなものです。


 ところで、なぜアメリカのクリスチャンはこういうことを殊更論じるのかは、リチャード・ホーフスタッターの『アメリカの反知性主義(“Anti-Intellectualism in American Life”)』がもしかすると参考になるかもしれません。この本の第2部・第三章「福音主義の歴史」の概略だけ、18日にブログに書きましたので、お時間のある時にでもご参照くだされば幸いです。本体がとても分厚いので。

はちこはちこ 2010/04/21 09:14 じんくんさん、
今回のこの記事は、二つの問題が絡んでしまって、ちょっと論点がわかりにくくなってしまったかもしれないですね。
問題の一つは、なぜアメリカで科学(特に進化論)と聖書理解をめぐる論争が起きているのか、という背景が、日本の方にはわかりにくいだろうということ(そしてその背景も知らないままに、アメリカ型のキリスト教思想が日本に入ってきているらしいこと)、もう一つは、日本のキリスト教の翻訳書で、読者に断りなく原書の一部が削除されている場合があること。
覚悟して書かないといけない話題とは、一つめの問題ですか、それとも二つめの問題ですか? う〜ん、これで私もブラックリスト(誰の?)に載って、今後キリスト教書の翻訳はさせてもらえなくなっちゃうのかな?(笑)

かわむかいさん、
お祈りいただいていて、ありがとうございます。感謝です!

Purpose Driven Churchの件は、今や結構有名ですよね。50年前ならいざ知らず、今時、原書を読める日本人読者は大勢いるのですから、著名な本から2章もごっそり削って邦訳出版したら、すぐに気づかれるのは当然でしょうにね。

フィベさん、
貴重なコメント、どうもありがとう。フィベさんの真摯な葛藤に、胸がキュンとなりました。
「こういう問題は、永遠に続く」、そのとおりなのだろうと思います。私たちは永遠に変わらない真理である神の言葉を慕い求め、それを学ぼうとしているわけですが、私たちはあらゆる面において有限で、さまざまな制約を受けている。理解力という制約だったり、生きている時代や文化という制約だったり…


逆に言えば、だからこそもっと柔軟であるべきだと思うのです。「聖書は神の言葉なのだから絶対だ」と言いますが、そしてそれはまったくそのとおりなのですが、それを受け取っている私たちの方は少しも「絶対」ではなく、さまざまな制約の中にあるということ。聖書は変わらないけれど、神学は、その時代に起きていることに反応したりプロテストしたりしながら、時代と共に変わっていくこと。
科学の知見が増えて、宇宙や人間の歴史について、以前は分からなかったことが分かってきたなら、それを考慮に入れつつ、神学が変わっていくとしても、なんら問題はないと思います。それは神の言葉が変化したのではなく、ましてや神の言葉を軽んじるのでもなく、神の言葉を理解しようとしている私たちの理解力が変化しただけなのですから。
「神の言葉は絶対だ」と言いつつ私たちが固守しようとしているものは、実は「神の言葉」ではなく、自分の解釈だったり立場だったりプライドだったりすることも、時にはあるのではないでしょうか… そうなると、せっかく神様が私たちの理解力を助けるために新たに与えてくださったものを、そうとは知らずに拒絶してしまうことにもなりかねませんよね…

2週間くらい前に、私は「"今はまだ成長過程にある自分"というコンセプトに、もっとcomfortableにならないといけないなと思った。もしかしたら、それが「謙遜」ということなのかもしれない」と書きましたが、ここにもそれが当てはまるかもしれないと思わされました。神様は、私たちが個人としても、キリスト者の群れとしても、このような成長過程の中にあることをご存知で、この地上に生きている限り、何らかの制約の中でしか主の御言葉を理解できない存在であるのもご存知ですよね。パウロが第一コリント13章12節で言った言葉を思い出します。「今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔とを合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。」

はちこはちこ 2010/04/21 09:18 ヒソカさん、
ちょうど入れ違いでした!
ウィリモンの本の件、お知らせくださってありがとう。
またホフスタッターの『アメリカの反知性主義』のこともありがとうございます。18日に書いておられたとは!あとで読みに伺いますね。感謝します。

hk-_-zzhk-_-zz 2010/04/21 09:30 あ、批判的意図はなかったんです。ただ、難しいよなぁ(´・ω・`)と思ったことを書いてしまって。あの、何か益になればと思うので、質問があればご連絡ください。僕からもメールします。どうも、お騒がせしますた(´・ω・`)

はちこはちこ 2010/04/21 09:38 hk-_-zzさん、
こちらこそお騒がせしてすみません! hk-_-zzさんにはいつも真摯にいろんなこと教えていただいていて、嬉しいです!
先日は、別の神学生のお友達から、改革派の「TULIP」について教えてもらいました。でも、チューリップだけが記憶に残り、それが何を表すのだったかは、もう忘れてしまいましたが!(汗)
これからもどうぞよろしくお願いします。hk-_-zzさんの神学校での学びが祝されますように!

たしんたしん 2010/04/21 09:52 私は難しいことは分かりませんが1987年には、↙こういうこともありました。

http://tashin.sanbi.us/2009/10/post-f046.html

はちこはちこ 2010/04/21 10:33 つけたしです。ことば社さんのお名前が何度か上がっていますが、私はとしては、特定の出版社さんを批判するつもりは毛頭ないので、そのことは明確に記したいと思います。その時代の中で、福音派の出版社として当然と思われることをなさっていたのだと思うし、それは読者もみな、ある意味了解、あるいは期待していたことですよね、きっと。

ただ、翻訳者として、また一読者として考えたときに、やはり原文通りに訳した上で、気になる箇所があるなら訳注や訳者あとがきで言及し、そのあとの判断は読者にまかせるというのが、望ましいやり方だと思ったので、それを言いたかったのです。


たしんさん、
その自主規制事件、笑えますね!「罪」とか「殺す」とか、ヤバそうな表現に思えたのでしょうかね。

じんくんじんくん 2010/04/21 19:15 覚悟が必要だと書いたのは、どちらかといえば1つ目の方ですね。 
ブログがコメントの嵐になる可能性が高いという意味です。

ことば社の事をわたしは否定的には思っていません。
キリ新や昔のリバ新系とかみな同じようなものだと思っています。
これは人間の限界のように思っています。
正反合しながら、行く。

神学の歴史を学んでも、その時代の価値観などにすごく影響されているように思います。
その時代の価値観に乗ってしまうのと、極端に反発するのと両方の現れ方があると思いますが、影響されているという面では同じだと思います。
リベラルに対する福音派。
福音派に対する聖霊派。
昔は福音派はリベラルからさんざん叩かれたといいます。
少し前までは、その福音派が聖霊派をさんざん叩いてましたよね。
日本では。

はちこはちこ 2010/04/21 19:53 じんくんさん、
お返事ありがとうございます!
覚悟の件、なるほど、そういう意味でしたか。納得です。
そうですよね、上にも書いたように、二つめの方は私もじんくんさんと同じ思いです。(ところで、「じんくんさん」って、ちょっと変ですね。「じんくん」と呼ばせていただくのは申し訳ないような気がして、つい遠慮してこういう呼び方になってしまって…汗)

1番目の方は、海外のブログで進化論と聖書解釈の問題や、ウォルトキー博士事件について取り上げているところは、確かにコメントの嵐になっています。

じんくんじんくん 2010/04/22 00:55 はちこさん。 どうも。 2つ目の方はすでにはちこさん自身が書かれていたことでしたね。 失礼しました。
呼び方は、じんくんが難しければ、じんさんでもいいですよ。
でもじーさんはだめです。

覚悟のことは、ちょっとおどかすような書き方にも取れましたね。
失礼しました。

はちこはちこ 2010/04/22 07:40 じんさん、
ではこれからは、「じんさん」と呼ばせていただきます!
(「じーさん」はだめ、というのに笑ってしまいました。^^)

はちこはちこ 2010/04/22 12:12 この件に関するディスカッションの続きが21日の記事のコメント欄にもありますので、興味のある方はそちらもご覧ください。
-http://d.hatena.ne.jp/mmesachi/20100421

2010-04-19

mmesachi2010-04-19

工作メモ

09:21 | 工作メモを含むブックマーク

 先日も書いたように、私は今年のCCでチャイルドケアを担当することになっている。聖書のお話ももちろんするけど、楽しいアクティビティーもいろいろ用意したいと考えている。それで、4歳ぐらいから小学生の子どもに適したゲームや工作を探していたら、今朝、こんな素敵なのを見つけた!

 アルカセルツァーというのは、アメリカの胃腸薬で、水に溶かすとブクブク泡がでる。これを、35mmのフィルムケースに入れて蓋をすると、そのうち二酸化炭素がたくさんでて、圧力でケースが飛ぶらしい。ケースにあらかじめロケットに見立てた装飾をつけておくと、アルカセルツァーロケットの出来上がり!ということらしい。これは簡単そうだし、楽しそうだし、ピッタリの工作だぞ〜! 興奮しちゃう。

 問題は、ちょうどいいフィルムケースを人数分ゲットできるか、ということ。今時、写真はみんなデジタルだから、35mmのフィルムケースなんて写真屋さんに行ってもあるかどうか… と思っていたら、ちゃんとロケット用のフィルムケースが売られているのも発見。これはいい!!

 私、本当は、工作なんて子どもの頃から苦手だし、今も苦手だし、子ども用ゲームを考えるなんていうのも、実は苦手。だけどこの奉仕をするにあたって、神様が私に子どもたちと一緒に楽しむヴィジョンを与えてくださり、それを楽しみにし、準備する喜びやエキサイトメントも与えてくださっているのを感じる。神様、ありがとう!!

親ばか写真

15:22 | 親ばか写真を含むブックマーク

f:id:mmesachi:20100419151954j:image

 先月末、NJのエミの大学に遊びに行ったときのみんです(左)。右にいるのは、数年前にNJに引っ越してしまったみんの友達。わざわざ会いに来てくれたらしい。二人とも楽しそうでカワイイ♪

 みんは6月で16歳になるので、日本にいたら、高校1年生かぁ…

ぼぼるぼぼる 2010/04/20 03:15 昔このアルカセルツァーを、水に溶かして飲む薬とは知らずにそのまま呑み込んでのどにつかえさせ、えれえ目にあったのであったなあ。

hirohiro 2010/04/20 08:32 入浴剤のバブで、同じようなロケットを飛ばしてみたことがありますよ〜
こういうの→ http://www.ybnet.jp/~tori-chu/kyouka/2senri/babu.htm

はちこはちこ 2010/04/20 09:06 ぼぼるパパ、
あれは、結婚前だったよね。あんなことで窒息して婚約者を失ってたら、悲劇だか喜劇だかわかんなかったよね。

hiroさん、
うぉー、これこれ!発泡性入浴剤でもできるんだ。ご紹介のページのおかげで、どんな具合に飛ぶのかイメージがつかめました。英語のサイトでもフィルムケースはコダックは固すぎて、フジがちょうどいいとあったのですが、このページにもやっぱりフジがいいと書いてありますね。偉いぞ、フジフィルム!

2010-04-18

嬉しかったこと

17:07 | 嬉しかったことを含むブックマーク

 今日、久しぶりに教会でジェシー(仮名)に会った。ジェシーは同じ教会に集う台湾人の友人で、以前にもこのブログに書いたように、11歳の娘と二人で女性専用シェルターに入っていて、仕事を探していた。

 廊下を歩いていたら、遠くから彼女が私を見つけて駆け寄ってきて、「仕事が見つかったの!」と。(感涙)裁縫師としての仕事らしい。彼女はセンスがよくて手先が器用だから、ぴったりの仕事だと思う。ちゃんと医療保険にも入らせてもらえたそうだ。本当によかった。次なる課題は、シェルターを出るための、アパート探しだと言う。良い場所に、手頃な値段の良いアパートが与えられますように!!

 ジェシーの嬉しい報告を聞いて、今日はとっても励まされた。God is good!

ともよともよ 2010/04/18 21:05 ハレルヤ!!とても嬉しいニュースをありがとうございます。私もとても励まされました。アパート探しの件を覚えてお祈りします。良い場所と手頃なお家賃のアパートが与えられますように!Good is good!!!

2010-04-17

Unspoken request

21:15 | Unspoken requestを含むブックマーク

 今、あることで強い祈りの必要を感じています。この一ヶ月ほどのうちに持ち上がってきたことで、霊的戦いだと思います。具体的なことは書けず申し訳ないのですが、主はすべての事情を(私に見えていないことまで)ご存知なので、「はちこの言葉にできない祈りの必要」のために、ひとことお祈りいただけたら感謝です。

 与えられている御言葉は、第一ヨハネ4:4です。よろしくお願いします。感謝します。

Pinewood Derby

19:02 | Pinewood Derbyを含むブックマーク

 今日は、教会でパインウッドダービーがあった。パインウッドダービーとは、50年以上前にアメリカのボーイスカウトが始めた、木片を自分の好きな形に削って、車輪をつけて、そのスピードを競うレースのこと。こんな感じ。(パパがビデオを撮り忘れたので、YouTubeから探してきた動画です。)

D

 男の子やパパにはたまらないイベントでしょうね。(子どもだけでなく大人の参加者も多くて、彼らの盛り上がりもすごいらしい。笑)

 参加者は一ヶ月くらい前に、規定のキット(木片と車輪)を与えられる。こんなの。f:id:mmesachi:20100417183203j:image:right

 これをもとに、思い思いのデザインのレースカーを作るのだけれど、スピードが出るようにするためには、いろいろ工夫が必要。重量制限以内なら重りをつけることも許されている。というか、重りの付け方が早さを出すポイント。

 ケンは今回の参加は3回目くらいなんだけど、過去レースは惨敗で、今年こそはトロフィーが欲しいと、パパと相談して、スピードの出る車を作るためにリサーチをし、かなり気合いを入れて準備した。木片を低温のオーブンで二時間焼いて、水分を飛ばして重量を軽くする、とか。

 例年はデザインにも結構凝っていたけれど、今年はスピードに勝負をかけ、デザインはごくシンプルなものにした。(実際には、キットを入手したのが2週間前だったので、デザインにまで時間をかけるゆとりがなかった…?)

 まぁとにかく、今年こそはリベンジだ!と朝から張り切ってパパと二人で出かけていきました。

 結果は…

 3年生から8年生までの部で1位総合でも並みいる大人を押しのけて、2位! 3回レースをやって、各タイムの平均値で順位が決まるそうで、ケンのは3回ともコンスタントにいいタイムを出したため、総合2位の快挙をなしとげたらしい。

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 こちらは他の車たち。デザイン、みんなすごいよね。私のお気に入りはWiiのリモコンそっくりの車。すごいです。

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 なんてみんなクリエイティブで、しかも器用に作るんだろう! ぼぼるパパ、来年は自分の車を作って参加したいと、今から考え始めている様子。(笑)

 日本語で「パインウッドダービー」と検索してみると、海外在住者や日本のボーイスカウトでパインウッドダービーに参加している人たちの熱い記録が出てきて、なかなか燃えます。(笑)いやぁ、皆さん、本当に気合いが入っている!!

MEMO:ABCニュースで…

19:02 | MEMO:ABCニュースで…を含むブックマーク

 ウォルトキー博士の件が、ABCニュースでも取り上げられていました。

 追記:今さらですが、自分用にこれもメモしておきます。マイケル・バード博士のブログより。

I can't agree more with him.です。そして、この件は感情的になりやすい問題なので、気をつけなくてはいけないなぁと自戒させられます。また、バード博士にdisagreeするコメントの中にも、確かにもっともだ、というものもありました。それにしてもこの騒ぎの渦中で、ウォルトキー博士がいかにgraciousであり続けたか… 本当に素晴らしい。

F子F子 2010/04/17 22:35 主は良い方で、全ての領域において、愛するはちこさんを守られています、お祈りしていますね。

たいたい 2010/04/18 00:53 祈ったよー☆

たしんたしん 2010/04/18 02:04 なんか、バットモービルの装飾を全て削り落としたかのような質実剛健のスピード重視デザインですね。
それでもバッチリ、ヤスリがかかっている流線型デザインも速さの秘訣でしょうか。
とにかく、おめでとう!

はちこさんの試練も、後で「いやはや、あん時ぁ、勉強になったわさ」と笑えるような解決が導かれますよう!

ともよともよ 2010/04/18 03:51 お祈りしました!これからも勝利者であるイエス様の御名によってお祈りを続けます。

谷川馬夫谷川馬夫 2010/04/18 06:39 う〜ん、車のスピードは、タイヤと路面との摩擦係数と、車体とのタイヤ軸との摩擦係数に大きく依存すると思います。タイヤを板のように薄くした子は賢いなおと思いました。私ならタイヤの表面に潤滑油を塗って、タイヤを回転させないで路面を滑らせるような反則?まがいの事を考えちゃいます。

真実。真実。 2010/04/18 07:20 いまお祈りしました。アーメン。

それにしても、本格的ですね。車の造形が。驚きました。

たしんたしん 2010/04/18 08:17 谷川馬夫さん、失礼します。
その作戦は格闘技界では、かつて「ヌルヌル事件」として世界中で叩かれた反則ですね(笑)。

ぼぼるぼぼる 2010/04/18 12:22 接地面や車軸周辺の摩擦がパフォーマンスに多大な影響を与えるのは、まさにその通りで、競技場では車をエントリーする前に、車軸周辺をグラファイトの粉末で丹念に潤滑します。また、プロは4輪のうち、同時に3つだけが接地するよう、微妙に車軸を調節しているようです。ビデオでは車輪幅の異なるクルマが並んでいますが、通常は規格制限があって、同じクラスのクルマでは指定のタイヤと車軸の使用が義務づけられています。ただ、コンピュータ計時なので、異なるクラスのクルマの同時走行もありということのようです。

スピード向上の手段としては、流線型のボディーもさることながら、
(1)制限重量(うちの場合、5.5オンス)内で、重心を後輪車軸の1インチ前方くらいまで、なるべく後ろに移す。これにより有効位置エネルギーが増えるため、平坦部に来てからの差が歴然と出ます。
(2)車軸(木ねじ)に細い溝を掘って車輪との接触面積を減らし、摩擦を軽減。
(3)キットについてくる車輪は、そのままではわずかに非対称だったり、接地面にバリが残っていたりするので、専用のカミソリとサンドペーパーで削りこんで車輪の外径をそろえる。
等々、いろいろと細かいワザを使います。

なお、位置エネルギー、運動エネルギーとともに、滑り摩擦やころがり摩擦も質量に比例するので、車両の重量はパフォーマンスに関係ないようにも思えますが(重い車はエネルギーが大きい分、摩擦も大きい)、実際にはある程度の重量がないとコースをフィニッシュすることもできません。これは、接地面や車軸の摩擦のほかに、車輪がガイドレールに接触することによる横からの摩擦および空気抵抗が質量と関係なく働くためで(接触面積に比例する)、この横からの摩擦をどれだけ押さえることができるかによって、成績が変わってきます。そのためにはクルマが横ぶれすることなくまっすぐ走ることが肝心で、車軸の正確な装填と上記(3)が肝要になってきます。

はちこはちこ 2010/04/18 15:08 皆さん、お祈りどうもありがとうございます。本当に感謝します! 詳細を書けなくてごめんなさい。私個人のことではないので、私がここに書いているのを本人が見たら嫌がるだろうなと思うことは、書きたくないので… お祈り、心から感謝します。


ぼぼるパパ、「プロは」って、これにプロがいるの!?(笑)

かきごおりかきごおり 2010/04/18 22:45 昨日から今日にかけてお伺いできなかったので、今、はじめて読んで、遅ればせながら、祈らせていただいています。勝手な人間なのでいろいろ想像しながら、でも、そういうことは途中でやめて、主はご存知だからと信頼して。主が問題を取り扱って下さり、またはちこさんの心にも平安を与えてくださいますように。

そして、ぼぼるせんせいの詳説には脱帽しながら、熱く準備して素晴らしい成績を取った、父子がどんなに嬉しかっただろうかと、想像しながら、ああ、10年前にもどって、ハジとやりたい!と思ってしまいました。でも、「こういうヤツが相手だとぜってえ勝てねえ」とも・・・。ほんと、ここまで熱くなってくれる人を親父に持つなんて、ケンくんはなんて幸せなんだろう!そして、ここまで熱くなれるぼぼるパパはなんて幸せなんだろう!

はちこはちこ 2010/04/19 08:02 かきごおり先生、
お祈りありがとうございます! きっと先生のご想像どおりかも。(?)私にとっても、最終的には、すべてをご存知の主にお委ねするしかなく、こうして皆さんが一緒に祈ってくださること、とても心強いです。

パインウッドダービーは、熱いお父さんがうようよいるんですよ。(笑)たとえばこのお父さんとか!http://shiori357.com/pinewood.html
このお父さんが、息子に勝たせてやりたい、でも本人のやりたいようにもやらせてあげたい、と葛藤している姿に、とても共感してしまいました。
父子でこうして一緒に燃えられるのは、素敵なことですよね!

谷川馬夫谷川馬夫 2010/04/21 07:41 >たしんさん そういえばそういう話を聞いたことがあります。結局、反則と見做されたのでしょうか? ルールブックにそんな事は書いてないだろうと思いますが(笑)

>ぼぼる先生 やはり本物のレースのように細かいレギュレーションがあるんですね。スター地点と水平走行部の高さの違いによる位置エネルギーが水平走行部の前進力に変換されない分のエネルギー損失って、タイヤの空回りとか車自体の回転とかに使われちゃうのでしょうかね? とすると車体を路面に押しつける効果の空力特性のあるエア・スポイラーなんかもつけた方が有利でしょうか。
しかし、ぼぼる先生の前でこういう事を書いてしまうのも神をも恐れぬ行為ですね(笑
ご寛容さに感謝いたします。

ぼぼるぼぼる 2010/04/22 01:43 馬夫さん、
>しかし、ぼぼる先生の前でこういう事を書いてしまうのも神をも恐れぬ行為ですね
いえいえ、わたしも3週間ほど前に息子に頼まれて本気になるまでは、まったくのド素人でしたから。理屈はいくらでもこねられるのですが、実践となると難しい。ヨーロッパのF1レースの余興でF1チームごとにパインウッドダービーをやって、コンピューターソフトや風洞実験をして臨んだフェラーリチームが優勝しましたが、2位に入ったのは招待選手のボーイスカウトの小学生だったそうです。
http://www.f1-well.com/2008/2008/04/post.html
まさに、大人も子供も熱くなれる競技のようです。

フィベフィベ 2010/04/23 06:31 いくらキットがあるといっても、木を削ってって、大変だと思う。
スピードを出すって。
ぼぼるパパとケンくんさすがですね!!

私もやってみたいけれど、これって、物理の世界??
物理と数学は、苦手だったぁぁぁぁ〜〜

私は、日本の手作り凧揚げに挑戦します。
自分で作った凧を大空に飛ばすのが夢です!!

はちこはちこ 2010/04/23 20:22 フィベさん、
そういえば私、小学生の頃、学校で手作りのたこを作りました。 細い竹の棒を好きな形を作って、それに障子紙みたいなのを張って… 楽しかったなぁ〜! 日本なら、手作り凧のコンテストで決まりですね!

2010-04-16

Cleanse Me, Lord

11:07 | Cleanse Me, Lordを含むブックマーク

 今朝、カリフォルニア大学(UCSC)時代の友人からメールが来た。当時私たちが行っていた教会と、その牧師さんに関するメール。メールにあったリンクから、牧師さんの個人的なウェブサイトに飛び、そこにあった彼の現在に至るまでの話を読んで、ひっくり返るほど驚いた。そして主を畏れ、崇めた。

 これについてはまた、もっと心が落ち着いたら書くかもしれないが、今は、当時(80年代半ば)、その教会で歌われていたオリジナル曲をリンクしたい。これも、その牧師さんのサイトにあったもの。よく歌っていて大好きな歌だったのだが、今あらためて歌詞を見て、これまた仰天。よくこんな歌歌っていたなぁ…と。今ならとても歌えないかもしれない。でも、歌いたい、この歌を、心からの祈りとして告白しつつ歌える者になりたいと、祈らされた。



Cleanse Me, Lord

(Written by Barney Wiget and Jeff Jaquess)


Cleanse me Lord; make me more like You

I need your grace just to seek your face

Create in me a desire after Thee

Make me more like You in every way

Make me more like You in every way


Break me Lord, set my spirit free

Come break me so your nature can be released from me

Slay me Jesus, crucify my flesh I pray

I bow before your throne today

I bow before your throne today


Fill me Lord; plunge me in your power

I need the Dove, to tell them of your love

Anoint me Father with the oil from above

Fill me to overflowing now

Fill me to overflowing now

ここから、パスターが自分で歌っているのを聴くことができます。パスター自身による解説をよく読んだら、2番の歌詞は、後にパスターが苦しみの中にあるときに与えられたものらしい…

2010-04-15

MEMO:The End of Reformed Old Testament Scholars?

| 09:32 | MEMO:The End of Reformed Old Testament Scholars?を含むブックマーク

 13日の記事に、以下の追記をしました。 多分このブログを読んでくださっている大多数の方には、あまり興味のない話題かと思いますが、私としてはとても大切なことだと思うので、自分のための記録としてメモしています。

 この追記の情報元は、JesusCreedのこの記事です。

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4月13日 ウォルトキー博士の件、アップデート

追記:このブログ記事も同じ問題について触れているのでリンクしておきます。

 このブログの主はマイケル・バードというオーストラリア人の神学者です。このブログでは、Peter Enns師が旧約聖書の解釈の問題でウェストミンスター神学校から解雇された件や、Tremper Longman師がアダムが実在した歴史的な人間ではなかったのではと発言したこと(そのビデオはこちら)で、改革派の神学校をクビになった件についても言及されています。さらに、このブログではおなじみの(?)、ジョン・ウォルトン師の本に、改革派の神学者から痛烈な批判が出ている件も。

 私は神学者ではないので、これらの流れについてまとまった発言をすることはとうていできませんが、アメリカのキリスト教神学界で今、起こるべきことがようやく起こり始めているような気がします。以前から私もこのブログなどで何度か触れてきていますが、進化論の問題ほか、アメリカのキリスト教で「当然」「聖書的」と思われていることには、実は「聖書的」というより、アメリカ文化に根ざしたアメリカ独特のものがいくらかまざっているようです。北米以外の神学者から、その指摘がされているのを最近よく目にします。

 フランシス・コリンズ博士のような、神学者ではなく科学者が、こういった発言をしているうちはまだ米キリスト教界もそれほど揺るがなかったようですが、今や、著名な神学者たち(特に旧約学)の間から、有神論的進化論を支持する発言や、アダムが歴史上に存在した人間だったかを疑問視するような声が上がり始め、様相が変わってきたようです。

 これらの論争は、すぐには決着はつかないでしょうし、多くの痛みも伴うでしょう。しかしミシガン大学のRJS博士がJesusCreedの記事で言っていたように、成長には痛みがつきもの。このプロセスを主が助けてくださることを祈っています。

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 「のらくら者の日記」でも、バード師の同じブログ記事について言及されているようです。

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追記:上で言及した「のらくら者の日記」様より、この記事にリンクバックをいただきました。嬉しいことに、4月16日の記事で、大谷順彦先生の『進化をめぐる科学と信仰』を紹介しておられます。大谷先生のこの本も、このブログで何度か言及してきました。もっとも、実はこの本は私には難しくて、最後まで読み終えられなかったのですが…汗 (夫の方は、ちゃんと読んで、励まされていたようです。)『ゲノムと聖書』が出たときも、大谷先生に献本したくて、出版社さんから連絡先を探していただいたのですが、今どこにおられるのかわからなくて…

 「のらくら者の日記」の著者の方は(すみません、お名前も存じ上げず…)、元KGKの主事で、現在は神学校で教鞭を取られる牧師さんらしいです。同じ問題意識を持っていらっしゃる方が日本にもおられることを知り、とても嬉しいです。

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4/16追記

2010-04-14

Spiritual growth is hand-crafted, not mass-produced

| 09:26 | Spiritual growth is hand-crafted, not mass-producedを含むブックマーク

 今読んでいる最中のジョン・オートバーグの新刊、"The Me I Want To Be"の中に、Spiritual growth is hand-crafted, not mass-producedという言葉があった。神様が、私たち一人ひとりを成長させる方法は、工場の大量生産のようなものではなく、それぞれに異なるものであり、匠によって一つ一つ丁寧に作られるようなものだ、と。他の人の成長に役立った方法が、自分にも役立つとは限らない。

 それなのに、たとえば「霊的成長のためには日々のデボーション!」と言われると、デボーションをしないと成長できないと思い、一生懸命やろうとする。しかも、たとえば朝早起きして、15分、できれば30分した方が良いと思い、一生懸命努力する。しかし、それが自分に合わない方法だとそのうち疲れてくる。そして挫折してしまう。止めてしまうと、今度は罪悪感を覚える。そのうち、罪悪感がどんどん大きくなり、耐えきれなくなる。耐えきれなくなると、「なんとかしなくては!」と心機一転をはかり、再びデボーションなり何なりを始める。しかしやっぱり続かなくて、また止めてしまう。そして罪悪感を覚え… オートバーグ師は、私たちの歩みは、こういったサイクルの繰り返しが多いのではないか、と指摘した。(もちろん著者は、デボーションに意味がないと言っているのではないけれど。)

 私たちは霊的成長を測るのに、しばしば「'霊的な活動'をどれだけしているか」という尺度を用いようとする。どれだけ聖書を読み、祈っているか。どれだけ教会に行っているか。どれだけ奉仕しているか。どれだけ信仰書を読んでいるか。どれだけ…

 オートバーグはあるときダラス・ウィラードに尋ねたらしい。霊的成長をどのように測りますか、と。するとダラスは、すぐにこう答えたのだそうだ。「自分の霊的状態を測るのに、私はこのように自問します。『私はこのごろ、苛立ちやすくなっていないだろうか、気落ちしやすくなっていないだろうか』」

 なるほど、たとえ毎朝がっつりデボーションを持っていても、もし日常の些細なことにすぐにイラッときたり、かんたんに落ち込んでいるなら、「霊的な活動」はしているかもしれないけれど、神様のいのちによって生かされてはいないのかもしれない。だとしたら、私が神様のいのちによって生かされるためには、どうすればいいのだろう?

A spiritual discipline is simply an activity you engage in to be made more fully alive by the Spirit of Life. 霊的修練とは、いのちの御霊によってより豊かに活き活きと生きるようになるために行なう活動のことである。 (John Ortberg)

 イエスは、「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる」(ヨハネ7:37、38)と言われた。イエスのもとに行って飲むこと。生ける水の川のように流れ出る、イエスのいのちの中に浸りその流れの中で生きること… To live by Grace. 「恵み」によって、生きること。

 ウィラードの自問リストの中に、「私はこのごろ、他者に対して批判的になりやすくなっていないだろうか(相手をbuild up するのでなく、tear downしがちになっていないだろうか)」をつけたしたいと思った。そういう時の私は、絶対「恵み」の中にいないと思うから… 

 

 ここしばらく、「プロセスを通して働かれる神」「時間をかけて成長させてくださる神」、そういったことをずっと語られている。神様が私たちに関わり、導いてくださる方法の多様さ、深さをしみじみと思う。そこには最短距離とか、効率の良さといったものは関係ない。「公式」もない。(神様のご性質からくる「原則」はあるかと思うけど。)私たち一人一人に合わせて、最適な方法で介入し、導いてくださる。誰か他の人の人生の中で働いておられる神様のやり方が、私の人生の中で働いている神様のやり方と違うからといって、不安になったり批判的になる必要はない。

神はアロンには祭壇を、ミリアムには歌を、ギデオンには羊毛を、ペテロには名前を、エリシャには外套をお与えになった… 神は誰のことも、同じ方法で成長させることはない。神は手作りされるお方。大量生産をするお方ではないのだ。(John Ortberg, "The Me I Want To Be")

追記:クリスチャニティ・トゥデイのリーダーシップジャーナルに、オートバーグ師がこのトピックについて語っている記事を見つけました。7ページにもわたる英語の記事ですが、興味のある方はぜひどうぞ!

 この記事の中では、上述のウィラードの件について、このように述べられていました。

When I realized that devotional practices were not the best measure, I once asked Dallas Willard how he monitored the condition of his soul. His immediate response was that he regularly asks himself two questions:

―Am I growing more or less easily irritated these days?

―Am I growing more or less easily discouraged these days?

Gauging peoples' involvement in activities like small groups and serving is surely a good thing. But we need to give them a deeper way of looking at the well-being of their souls.

 実は私はオートバーグ師の講演のCDも聴いていて、そこではHow do you measure spiritual growth?と尋ねたらこういう返事がきた、と言ってたのですが、「how he monitored the condition of his soul(自分の魂の状態をどのようにモニターするか)」の方が、しっくりきますね。

のこちゃんのこちゃん 2010/04/14 11:34 はちこさん、すごくいい日記だね!
ありがとう。これから寝るんだけど、頭の中がすっきりしたよ。
また読み返しにきまあす。

はちこはちこ 2010/04/14 11:45 のこちゃん、
ありがと! 主の祝福の中でゆっくり休まれますように!

つとむつとむ 2010/04/14 19:56 はちこさん、
すっごくタイムリーでした。
響きました。
しびれました。

何か“信仰成熟”の最短プロセスを、うまくいくフレームワークをつくってそれをクッキーカッター的に他の誰でもうまくいくようにって方法を模索していたような気がします。そんなのまったく神様ウェイじゃないですよね。神様は一人一人個別にゆっくり時間かけてそれぞれの方法で交わり、育ててくれるんですね。
「霊的活動」で霊性を計ろうとする誘惑も本当に自分の中にありまくります。
ついつい律法にしばられようとしてしまいます。
恵み恵み恵み!恵みに拠り頼み、イエスに安らぎ進む人生行きたい。
本当にそう願います。

ありがとうございました!

ぶんぶん 2010/04/15 02:30 はちこさん、こんにちは(^^)。
いつも、恵みのシェアに感謝しています。

ここ数日の日記に書かれていたこと、
いろいろタイムリーな話題だったので、
思わされることが多かったです(子育てのこととか。。。(汗)

ダラス・ウィラード氏の霊的成長を測る指針というのは、
とてもシンプルで、わかりやすいですね。
むしろディボーションの基本なのかも、と思いました。

ところで、アンジェラ・アキさんの『手紙』、
去年のうちの長男の愛唱歌でした〜(^^)。
男の子はあんまりキモチを話してくれませんが、
きっと、触れるところがあったのでしょうね〜。
その長男も4月から中学生です。
いよいよ、ティーンの仲間入りかと思うと、親の私の方が、
ヘンに気負ってしまいそうです(^^;)。
いずれにしろ、祈ることがいっぱいですね。

ともよともよ 2010/04/15 03:46 はちこさん、貴重なメッセージをシェアして下さりありがとうございます。そういえば先週パスターがオートバーグの「Love Beyond Reason」から引用してメッセージを語られました。何だかとてもタイムリーでPraise God!です。最近がっかりし、イラッとすることがあったのですが、それって神様の恵みのなかに身を委ねていなかったんだな〜と思いました。本当に主との関係のなかで成長したいと願う時、いろいろと振り返ることがありますね!ありがとうございました!

はちこはちこ 2010/04/15 08:29 つとむくん、
コメントありがとう!つとむくんのブログも拝見させていただきました。心に響きました。こちらこそ、いつもつとむくんの言葉に励まされています。
恵みの中で、神様ウェイによって生かされていきたいね!
いよいよ残り少なくなってきたアメリカ生活、最後まで守られ導かれるよう祈っています。そしてつとむくんの日本での生活も!これからもkeep in touchしていこうね!

ぶんさん、
ご長男、もう中学生なんですねー! 幼稚園児だったのが、昨日のことのようなのに! 女の子だけでなく、小学生の男の子の心にも届くなんて、この歌はやはりスゴイですね!
ほんと、祈ることがいっぱいです。そして、神様に祈れること、ほんとに感謝ですよね! もし祈ることを知らないで子育てしてたら、私なんて今頃、神経症になってブレイクダウンしてたかも…

ともよさん、
お久しぶりです!お元気ですか?
ウィラード師の言葉は、英語でいうと、Am I growing more or less easily irritated these days? で、単発でそういうことがあったか、というよりも、自分の中の全体的傾向として、最近そういう方向を向いていないか、ということのようです。
ほんと、振り返ることたくさんありますね。皆さんとシェアし合えて嬉しいです!

ヒソカヒソカ 2010/04/15 21:13 霊的成長に限らず、「成長」といった時に、どうして「私はこれだけ成長しました」という自己宣言の考え方に陥ってしまうのか、そこが私にはわかりません(だから教えてください)。いろいろな人が私のふるまいを見て、「ヒソカさん、成長したね」という評価を経由して、事後的に「ああ、成長したんだ」と実感することはあるでしょうが、「昨日よりも15分祈った、聖書を読んだ。今日は更に30分やろう」という形での実感の仕方は、筋トレで「昨日よりも重い負荷でトレーニングできた。自分も成長したね」というのと構造的には同型の思考です。質問に答えたウィラードの言葉遣いも、そのピットフォールからは抜け出ていない。「自分の霊的状態を測るのに、私はこのように自問します」というところが。なぜ他者(神様を含む)や隣人が勘定に入らないのか、そこが私にはよくわかりません。

 そもそも「これこれのことをすれば霊的に成長する」と話を簡単にし、レディメイドのやり方で安心してしまうのは、その人が何歳であろうと「子供」です。人が「成熟」を目指すのは、それまでの自分の手持ちの道具では対処できない物事に対処できる人間になるためです(「成長」という単線的な変化を含意する言葉ではなく、「成熟」という言葉を私が使うのは、「昨日よりどれだけ進んだのか」という考え方ではとらえられない幅を表現したいためです。「成熟」した人は「成長しない」ことも受容できますが、「成長」を追い求めている人は「成長しない」ことを受容できるのでしょうか)。

 なぜヨブではなくアブラハムが信仰の父とされているのか御存知でしょうか?いろいろ理由はありますが、「アブラハムよ」と招きを受けて、アブラハムが「はい、私はここにおります」と己を主の証人として奉献したからであって、「私は霊的にどれだけ成長しただろうか」と「自問」したからではありません。なぜまず「招き」があることが見落とされてしまうのか、それは一考に値すると思います。

たしんたしん 2010/04/15 22:19 成長ってのは、宗教に関わらず、不特定多数の人々に不快感以外の何物も与えない、重箱の隅を突っつきまわして絡み倒す屁理屈をこね回すことを止めるこったな。

真実。真実。 2010/04/16 00:07 はちこさん、はじめまして。
真実。と申します。
巡り巡ってこちらのブログに伺いました。

ちょうど直面していたことだったので、タイムリーというか、
大きなチャレンジを頂いたように思います。

また遊びに伺いますね。

はちこはちこ 2010/04/16 09:30 ヒソカさん、
コメントありがとうございます。「成熟」と「成長」の違い、興味深いですね。成長というと、質的なものも含まれるものの、量的な増加をまず連想しますよね。小さな子どもが大きくなっていくことを「成長」と言いますが、「成熟」とは言わないように。一方成熟と言うと、量的なものはstabilizeしているけれど、質的に変化していくことを連想しますね。「熟成」「醸造」といったことも思い浮かびました。成熟と成長は重なる部分も多いかと思いますが、ヒソカさんが「成熟」を好むというの、なるほどです。^^

また、まず「招き」があるというのも、そうですね。大切なことですね。「自問」という言葉を使いましたが、実際には、内なる御霊が私たちに語っておられることに耳を傾けることでもあり、他者(神や隣人)が勘定に入らないという意味ではないと思います。御霊が照らしてくださる光の中で自己(日々の自分の言動も含めて)を振り返ることは、とても大切だと思います。それは、招いておられる神様の御声を確認し、それに対する自分の応答を吟味することとも言えるのではないでしょうか。ヒソカさんは今、主にどんな「招き」を受け、どう応答されているのかな、とちょっと思いました。


真実。さん、
はじめまして! そちらのブログも早速拝見させていただきました。googleリーダーに登録しましたので、今後私からも読ませていただきますね。よろしくお願いします。^^

はちこはちこ 2010/04/16 10:04 たしんさん、
いつもありがとね。夫が、「小山田真の件は、からぶりだったよ」と苦笑していました。(笑)

zumzumzumzum 2013/04/16 18:47 アーメン、アーメンです!今準備しているカンファレンスもこれストライクって感じなんです。もう、マスプロダクションはうんざりになってきている私・・・あれ、霊的成熟が必要かな(笑)

はちこはちこ 2013/04/16 18:51 3月にミシガンで日本人クリスチャンのリトリートがあって、そこで私がお話させていただいたのですが、まさにこれについて話しました! そちらのカンファレンスも行きたかったな〜!

2010-04-13

手紙 by Angela Aki

12:11 | 手紙 by Angela Akiを含むブックマーク

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 アンジェラ・アキさん、名前は聞いたことがありましたが、今日初めて彼女の歌を聴きました。感動しました。

 特にこの歌、聴いている中学生たちの涙に、私も一緒に涙しました。大人として、私も子どもたちを、若い人たちを、応援したい、応援しなくちゃと思いました。

 アンジェラ・アキさん、とっても素敵ですね。(あちこち検索してみたら、彼女、クリスチャンらしいですね…^^)

ウォルトキー博士の件、アップデート

| 09:31 | ウォルトキー博士の件、アップデートを含むブックマーク

 11日の記事に追記しましたが、こちらにもアップ。

 クリスチャニティ・トゥデイに、今回のウォルトキー博士の件の流れを追った簡潔な記事と、その後の展開についてやはり簡潔に記された記事があったので、それらをリンクします。

 二つめのリンク先には、ウォルトキー博士がRTSの人々宛に出し、クリスチャニティ・トゥデイにも提出した手紙の全文が出ています。彼の敬虔で、誠実な態度に深く心打たれました。彼の言葉に一切の苦みが感じられず、自己弁明ではなく、ただキリストの体に混乱をもたらさないように、明確にすべき点は明確にしている姿に、とても教えられました。この一件が起きた背後に、主の御手を感じます。渦中の人になってしまったウォルトキー博士は辛い思いもされただろうけれど、主が、ウォルトキー博士なら耐えられると思って彼を選んだに違いないと思ってしまいました。博士の次の職場も、すぐに備えられたようだし… 今回のことが、キリスト教界のanother scandalになるのでなく、主の御体を建て上げるために、愛と謙遜をもって建設的に用いられることを祈ってやみません。私もそのような者に変えられたいと、切に願います。

追記:このブログ記事も同じ問題について触れているのでリンクしておきます。

 このブログの主はマイケル・バードというオーストラリア人の神学者です。このブログでは、Peter Enns師が旧約聖書の解釈の問題でウェストミンスター神学校から解雇された件や、Tremper Longman師がアダムが実在した歴史的な人間ではなかったのではと発言したこと(そのビデオはこちら)で、改革派の神学校をクビになった件についても言及されています。さらに、このブログではおなじみの、ジョン・ウォルトン師の本に改革派の神学者から痛烈な批判が出ている件も。

 私は神学者ではないので、これらの流れについてまとまった発言をすることはとうていできませんが、アメリカのキリスト教神学界で今、起こるべきことがようやく起こり始めているような気がします。以前から私もこのブログなどで何度か触れてきていますが、進化論の問題ほか、アメリカのキリスト教で「当然」「聖書的」と思われていることには、実は「聖書的」というより、アメリカ文化に根ざしたアメリカ独特のものがいくらかまざっているようです。北米以外の神学者から、その指摘がされているのを最近よく目にします。

 フランシス・コリンズ博士のような、神学者ではなく、科学者がこういった発言をしているうちは、まだ米キリスト教界もそれほど揺るがなかったようですが、今や、著名な神学者たち(特に旧約学)の間から、有神論的進化論を支持する発言や、アダムが歴史上に存在した人間だったかを疑問視するような声が上がり始め、様相が変わってきたようです。

 これらの論争は、すぐには決着はつかないでしょうし、多くの痛みも伴うでしょう。しかしミシガン大学のRJS博士がJesusCreedの記事で言っていたように、成長には痛みがつきもの。このプロセスを主が助けてくださることを祈っています。

ViviVivi 2010/04/13 20:00 数日前にNHKで「こころの遺伝子」という番組にアンジェラ・アキさんが出演していました。残念ながら終わりのほうしか見られなかったのですが、彼女を応援してくれたボブさんは牧師さん(当時は彼女の働く会社の上司)だと聞いて、クリスチャンだったらいいなぁと思っていました。
嬉しいですね、やっぱり。^^
彼女がデビューした頃から彼女の作る歌の歌詞に胸を打つものを感じていました。
http://www.nhk.or.jp/idenshi/special/index.html(NHKこころの遺伝子)

まきとまきと 2010/04/13 20:55 アンジェラ・アキさん僕も好きです。何年前かの紅白歌合戦で初めて歌を聴きましたが。「home」という曲でしたが、とても良かったです。
どこか、徳島の訛りが会話の中にあって親しみを覚えました。ハーフという立場での苦労を乗り越えて、生きておられるのが勇気を与えられます。

kanahakanaha 2010/04/13 22:24 Viviさんが書かれた通り、わたしもNHKの番組を観ました。
元々好きだったので久しぶりにTVを観たのです。
ボブさんはボルチモアにお住まいだそうで、娘と関わりのある教会だったら良いのに、なんて勝手に思っていました。
この手紙と言う曲大好きです。
15歳じゃないけど泣きそうになります。

ヒソカヒソカ 2010/04/14 03:26 素朴な疑問なのですが、アンジェラ・アキがたとえクリスチャンでなかったとしても、彼女の歌のすばらしさが減じるものではないでしょう。はちこさんにしてもViviさんにしても「クリスチャン」であることを喜ぶことに他意はないと思います。

 けれども、もし彼女が「ノンクリスチャン」だったら、「早く彼女が救われますように」というコメントをなされたのではないか、と考えると少し憂鬱になります。

 とある日本のプロテスタント系大学の先生を私は尊敬していますが、その方は洗礼は受けていないので「クリスチャン」ではないし、「救われて」いません。けれども、この世界に少しでも善きものをもたらそうと願って、教師の務めを果たし、本を書き、翻訳をしておられます。それにもかかわらず、「クリスチャン」でないから、その先生の多くの業績はゼロ査定されてしまうのでしょうか?それこそ「勝ち誇ったクリスチャン」の傲慢ですよ。

 この記事もふつうに言祝げればいいのでしょうが、どうしても無自覚になされる発言が看過できず、厳しいことを言ってしまいました。すみません。

はちこはちこ 2010/04/14 10:39 Viviさん、
おお、そうでしたか!リンクありがとうございます! これを読んで、ボブさんのことまでググってしまいました。(笑)
こういう、人を生かす出会いって、素敵ですね!
アンジェラさんは、歌も素晴らしいけど、歌い終わったあとの「ありがとう」の言い方とかにも、すっごく心がこもっていて、見ているだけで心が洗われる気がしますね。すっかり大ファンになりました。^^

まきとさん、
「home」という歌も、さっそくYouTubeで探してみました。本当に素敵な曲ですね。昨日は、YouTubeでアンジェラ・アキ三昧してしまいました。徳島生まれというのも嬉しいです。私の母が徳島出身なので。

kanahaさん、
この曲、本当にいいですよね!私も何度も聴きながら、ウルウルしっぱなしです。彼女の歌い方にも、若い人たち励ましたい!という思いがにじみ出ていて、とてもインスパイアリングです。歌にこれだけ人格がにじみ出ている人もめずらしいんじゃないかしら。本当に素敵な人ですよね!

ヒソカさん、
大丈夫ですよ、憂鬱にならないでくださいな。そんなコメント、することも考えませんでした。ヒソカさんはきっと、正義感の強い方なのでしょうね。他意はないだろうと思いつつも、いろいろ想像して憤ってしまわれたのでしょうか。「どうしても見過ごせない」とのことですが、それでは疲れてしまうでしょう。こういう時は軽くスルーする方が、ご自分のためにも、周囲の人のためにも、精神衛生上いいと思いますよ。「正しすぎてはならない〜Let it be〜」(高橋秀典著)という本があるのを思い出しました。

hirohiro 2010/04/14 18:56 「手紙」娘が中学生の時、車の中で聞きながら、よく一緒に歌ったな〜〜〜

ヒソカヒソカ 2010/04/14 21:29 >はちこさん
 「見過ごせない」のは、たぶん、「第二次世界大戦以降の時代のクリスチャンである」という自己認識を私が持っているためでしょう。そういう「排他的な」語り口は、「あの時代に死んだ」死者が許さない、そう考えるからこそ、スルーできない。私が「見過ごせない」のは、コンテンツそのものではなく、それを差し出す時の言葉遣いです。

 もちろん、どの弔い方が正しいのか生者は確言できないからこそ、弔いの豊かさは担保される。けれども、そういう言葉遣いに傷つく人はいないかのようにふるまうことはやはり私にはできない。だから、見過ごせないのです。

はちこはちこ 2010/04/15 08:31 ヒソカさん、
ごめんなさい、アンジェラ・アキさんの話から、どうしてこういう流れになるのか、私にはさっぱりわからなくて… ヒソカさんの世界は私には難しすぎるようです。

piyopiyo 2010/04/15 09:35 私は『手紙』の歌詞の♪自分の声(?言葉でしたっけ?)を信じ歩けばいいの♪というところが、ど〜〜〜しても受け入れられなくて…f^_^;;;

でも、これから要チェック('-^*)/してみます!!

はちこはちこ 2010/04/15 09:51 piyoさん、
わかります! 実は私も、その部分は引っかかっていました。でも、そこが「神の声」になっていたとしても、それはそれで怪しげな雰囲気になりそうですしね…汗
まだイエス様を知らない若者たち、宗教には興味がないかもしれない若者たちの心に届き、励ますためには、どういう表現を使えばいいのか… チャレンジですね。

はちこはちこ 2010/04/15 18:46 hiroさん、
hiro家でも「手紙」が歌われていましたか!^^

はちごろー@マリサポはちごろー@マリサポ 2010/04/16 00:28 アンジェラ・アキ、いいっすよー。一人で武道館ライブしましたしね… でも、ダイアナ・クラールと比べられたら… でも、ちょくちょく聴いています。

はちこはちこ 2010/04/16 08:23 やっぱりいいですよね!YouTubeでライブの動画などを観ていますが、歌い終わったあとのお礼の言い方とかも、すごく心がこもっていて、謙遜で、素晴らしいと思いました!

ヒソカヒソカ 2010/04/16 11:14 >はちこさん
 私こそすみません。決して他人にわからないむずかしい言い回しをして、煙に巻くという趣味はないことだけは御理解ください。

 私が気になったのは、ある人がクリスチャンであることを言祝ぐ時の言葉遣いです。言祝ぐこと自体をどうこう言っているのではありません。その人がノンクリスチャンだったら、そうは言わないのではないかということが気になりました。つまり、言葉をどう差し出すか、どう相手に言葉を届けるのか、ということです。例えば、何か仕事を頼む際、「おい、これやっとけ」と言うのと「忙しいのは承知していますが、すみませんが、これをやっていただけませんか?」と言うのは、言っている中身は同じですが、言葉を受け取った側の相手についての印象は異なりますよね?

 たぶん、私が気にしすぎなんだと思います。気になってしまったのは、その人がクリスチャンであるかどうかで人への態度をコロコロ変えるクリスチャンに何度も出会ったためでしょう。片付かない思いにさせて、すみません。

はちこはちこ 2010/04/16 18:09 ヒソカさん、
お返事ありがとう。^^

>言葉をどう差し出すか、どう相手に言葉を届けるのか
これは本当に大切だと思います。同じことを言うのでも、言い方次第で相手の反応、受け取り方は変わってきますよね。
ものを頼む時もそうだし、人とは異なる意見を述べる時なども、受け取る相手の心をdefensive にしないような、配慮のある言い方をしたいものです。私はよく失敗してしまうのですが。(^^);

2010-04-12

the beauty of grace is...

11:45 | the beauty of grace is...を含むブックマーク

But the beauty of grace is that it makes life not fair (by Reliant K)

リライアントKというアメリカのクリスチャンバンドの歌に、上記のような一節がある。日本語に訳すなら、「恵みの素晴らしいところは、そのおかげで、人生がアンフェアになること」だろうか。

 私たちは、この世の中は不公平なことだらけだと言って嘆き、神様の公正がなされることを求める。しかし、本当にこの地上で神様の公正がなされるならば、私たちはすべて、その御怒りを逃れることはできない。でも、神様の「恵み」のおかげでこの世はアンフェアになって、私たちもまた、日々こうして生かされることが可能になった… そう思ったら、世の中の不公平に見えるいろんなことも、違った思いで受け入れられるなぁ…と、夕べ、思わされていた。

(おまけ:4月6日の日記でシェアさせていただいたAさんが、コメントを下さいました。とても心に響いたので、よろしければ皆さんも是非ご覧になってください。こちら。)

kanahakanaha 2010/04/12 18:59 Aさんのコメントとはちこさんのコメントが心に沁みました。
本当にそうだったなあ、いやまたいつ同じ気持ちになってしまうかもしれないからいつも気をつけなくっちゃと。
「わたしの面目を潰さないで」のくだりは痛かった。
娘の事でまったく同じことを感じました。今思うとわたしの面目・・・って何?
なんですよね。
Aさんの正直なお分かちにも感動です。
わたしたちクリスチャンは共に励まし合い、祈り合って行きたい、そう強く感じました。
いつも本当にこのブログで励まされています、ありがとう!

はちこはちこ 2010/04/12 19:13 あっ、kanahaさん、今回はちゃんとコメント入りましたね!よかった!
kanahaさんも私と同じと聞いて、すごくホッとしたというか、正直に書いて良かったと思いました。ほんと、私の面目って、何?ですよね。(苦笑)
ほんとに、励まし合って、祈り合っていきたいですよね。来年の夏、絶対に会いましょうね!実家の母が藤沢に引っ越したので、私はそこが拠点になりますが、藤沢だったら横浜まで出やすいですよね。クックパッドのkanahaさんのページをみて、作ってもらいたいもの今からピックアップしておこうかな。(なんちゃってw 図々しい私。)今日はエミとスカイプで話して、話してる途中で、なぜか宿題をやり始めるんですよ。そういえば、kanahaさんのお嬢さんも以前そんなことがあったっけ、と思いつつ、宿題をするエミの横顔を見ながら、そっとkanahaさんとお嬢さんのためにも祝福を祈りました。

テストテスト 2010/04/12 20:08 テスト

ヒソカヒソカ 2010/04/13 10:07  私が言うまでもなく、どんな仕事もオーバーアチーブする人がアンダーアチーブする人を支える構造になっています。「あいつら働いていないんだから、あいつらが不当に取った分を俺らにくれよ」とは「合理的」な考えです。でも、それは自分が過去(幼児)と未来(老人)において他者の支援を必要とする人間であることを忘れている考えです。

 また、公正さが完全貫徹された世界は、粛清か強制収容所、あるいはその両方という非人間的なものを生み出すことを歴史は示しています。「不公平は恵みだ」という言明にはためらいを覚えますが(この言明はその態度を他人に強制しない限りは信仰の表明とうけとられうる考えです。そうでないと不遇さに忍耐しろという非倫理的な帰結を引き出しかねません)、不公平な仕組みになっているからこそ、人が倫理的にふるまえる余地があることには同意します。

はちこはちこ 2010/04/13 10:19 ヒソカさん、
今度はちゃんと投稿できたようで、よかったです!

なんだかいつも、私の舌足らずな言葉を、論理的に解説してくださって、恐縮&感謝です。

>この言明はその態度を他人に強制しない限りは信仰の表明とうけとられうる考えです。そうでないと不遇さに忍耐しろという非倫理的な帰結を引き出しかねません
この部分も、そうなんですよね。自分で納得する分には良いですが、それを他者に強要して「だから我慢せよ」となってしまっては、いけませんね。

2010-04-11

豚の唐揚げ

| 15:47 | 豚の唐揚げを含むブックマーク

 今日送られてきたレシピ。美味しそうなのでメモ。「コツ」の欄に、「肉が薄すぎると、パリパリの違う食べ物になってしまいます。注意してください」とあったのにウケタ。

Cpicon 大好きな母のお弁当レシピ♥豚の唐揚げ by さくらのキッチン

MEMO:ウォルトキー博士のRTS辞任の件

| 13:53 | MEMO:ウォルトキー博士のRTS辞任の件を含むブックマーク

 先月末、Reformed Theological Seminary(RTS)のブルース・ウォルトキー博士のビデオを紹介した。その中で博士は、有神論的進化論を受け入れる発言をしていた。ところがその後、神学校側からクレームがつき(ビデオは削除された)、4月6日付けでウォルトキー博士はRTSを正式に辞任なさった。

 思うことがありすぎて、とてもまとめられないので、とりあえず関連記事のメモだけ。

 あちこちで炎上しそうなセンシティブな話題だけれど、これが主の御手の中にあって、キリストのからだに善いものをもたらすために用いられることを祈る。

 ちなみに、このUSA Todayの記事は、決してセンセーショナルではなく、とてもよくまとまっていると思った。この記事中に引用されていたノースパーク神学校(シカゴ)のスコット・マクナイト教授のコメントが心に染みる。私自身の中にも、この一連の問題に関して、defensiveな部分(そしてoffensiveな部分も)あったと思うので、反省させられた。(厳密には、ここでマクナイト博士の言葉として引用されているものは、JesusCreedの寄稿者、「RJS」こと、Roseanne J.Sension博士によるもの。)

McKnight wrote that "we do not preserve the church by drawing lines and building walls." Such a philosophy, he added, will not be easy, but may be essential. "Unfortunately growth causes growing pains ― and growth brings uncertainty. People get defensive and people get hurt. We see this today and are poorer for it. It is also ― my opinion, not from Waltke's comments ― our spiritual death in witness to the world when we backstab, fight, condemn, and censor amongst ourselves. We are our own worst enemy," wrote McKnight.

4/13付 追記 :ウォルトキー博士は、Knox Theological Seminaryで教鞭を取ることになったそうです。

また、このサイトに、この件の流れを追った記事と、その後ウォルトキー博士とRTSのそれぞれが出した声明が出ています。

 ウォルトキー博士の声明(手紙)を読んで、Godly manとはこういう人のことを言うんだなぁと思った… 

 クリスチャニティ・トゥデイの記事もリンクしておきます。

イタリアン・マフィアと神様のパズル

13:53 | イタリアン・マフィアと神様のパズルを含むブックマーク

 今週末は、うちの教会にマイケル・フランジースと奥さんのカミールが来た。マイケルは、アメリカの五大犯罪組織の一つ、コロンボ・ファミリーに属していた元イタリアン・マフィア。父親のジョン・ソニー・フランジースはコロンボファミリーのナンバー2だった.

 マイケルは、1980年代半ばまでに違法なガソリン取引で大金持ちになり、フォーチュン誌の「もっとも裕福で力のあるマフィアのボス、トップ50」というランキングで、18位についていたらしい。(いろんなランキングがあるのね…)

D

 マイケルが31歳のとき、ビジネスの一貫として作っていた映画に、その他大勢のダンサー役として出演していた20歳の女性に一目惚れ。何度もデートに誘いつつもすっぽかされ、ようやく直接話せたと思ったら「私はクリスチャンだから」とあっさりふられた。それでも、「クリスチャン? 俺、カトリックだよ。共通点あるじゃん!」と強引に押して、翌年結婚。

 ありがちな(と言ってはなんですが)、妻の信仰によってワルの夫が救われました、みたいな話かなと思っていたら、そうじゃなかった。そうとも言えるんだけど、でもそうじゃないと思った。

 マイケルが救われた直接のきっかけは、確かに妻の信仰だったかもしれない。けれど、その妻が信仰を持つに至るまでの証(アル中でDVの父親のいる機能不全家族の中で、まず母親が友人を通して救われ、次に母を通してカミールも救われた)や、マイケルの子ども時代の父親との関係の話(父子の絆は固く、深く愛されて育った)を聞きながら、何と言うか、壮大な神様のパズルの一角を見させていただいた気がした。いろんな人がいろんな場所に配置され、神様が絶妙のタイミングと方法でそれらの人を結びつけ、用い、主の指揮するドラマが織りなされていく… 

 マイケルはこう言っていた。「私がまだ神様を知らなかった頃も、実は私の人生は神から遠く離れていたのではなく、神の道と平行していたのです。平行していたから私は神を知らなかったけれど、でも神は、私の道にさまざまな布石を敷いて、私を準備してくださっていた。そして神の時が満ちたとき、私の人生は神の道と交差しました…」

 神様は大きい。本当に大きい。そして、He is GOOD.

 追記: マイケルの父親のソニーは、93歳にして今なお服役中。マイケルは、父の救いの日が来ることを信じて祈っている。イエスの十字架の隣につけられていた犯罪人が、最後の最後でイエスを信じたように、父親も必ず、イエスを受け入れるときが来ることを信じて。私たちにも、祈ってくださいと頼んでいた。

山本直樹山本直樹 2010/04/13 03:51 はちこさん
World Net Dailyとはどのような団体なのでしょうか。
いわゆるネオコンと呼ばれる人々ですか。
Government welfare? Not in my Bible
という記事を見て驚いてしまいました。
Despite what Barack Obama, John McCain or George Bush and their
supporters think, in none of the Bible passages just cited does God
cite the government as the means by which the poor, needy, widowed and
orphaned are housed, clothed and fed!
World Net Dailyによれば、聖書は政府による貧窮者・貧者・未亡人・
孤児の救援を認めていないそうです。
World Net Dailyによれば、キリスト教は政府による福祉を神に対する
反逆とみなす宗教だということになります。
http://www.wnd.com/index.php?fa=PAGE.view&pageId=71564

はちこはちこ 2010/04/13 07:30 山本先生、
私も詳しく知らないのでウィキペディアを見てみました。保守的なニュースメディアのようです。

出版社あめんどうのクレオパさんが、全米福音派同盟(NAE)の元副会長だったリチャード・サイジック氏が朝日新聞のGloveに寄稿した記事に関する興味深い考察をされています。そこでクレオパさんも言及されていますが、一口にアメリカの「福音派」と言っても、政治的には右から左まで、かなり幅があるんですよね。(神学的にも、必ずしも一致していないみたいだし。)今回山本先生がご指摘されている記事のように、日本人クリスチャンの目から見たら、アメリカの保守的なクリスチャンはこんなこと言うの?と驚かされる発言も少なからず目にします。
http://amendo.exblog.jp/12412638/
http://amendo.exblog.jp/12445873/
http://amendo.exblog.jp/12473039/

山本直樹山本直樹 2010/04/13 07:53 御説明ありがとうございました。

ヒソカヒソカ 2010/04/13 20:26 アメリカ人が福祉政策を国家のなすことと認めていないのは、アメリカのナショナル・アイデンティティに起因する理由があって、「聖書と整合性はない」と考えているのは単なるポーズだと思います。当のアメリカ人も「福祉政策」になぜ自分が反対するのかうまく説明できないはずです。
 
 クリスチャンだと思うから驚くのであって、冷戦時代、アメリカが資本主義陣営を代表していたことや自分の力で国を作ってきた自負のあることを考慮に入れればそう驚く話でもありません。むしろ驚いたことを奇貨として、「なぜ自分はこのことに驚いたのか。そう思わせたのは私がアメリカのクリスチャンをどうとらえていたためか」と考究したらいろいろわかるでしょう。あまりそういう方はおられませんが。

2010-04-09

夫婦の会話

19:25 | 夫婦の会話を含むブックマーク

 仕事から帰宅し、夕食までの間ラップトップに向かうぼぼるパパに、ちょっとシェアしたいことがあって話しかけた私。

は「今日はね、私、〜〜で、ほんとに嬉しかったんだぁ。ホッとしちゃった」

ぼ「…」振り返りもせず無言でキーボードを叩くぼぼるパパ。

は「あなた?」

ぼ「…」カチャカチャカチャ…

はちこ、口がみるみるうちにとがり、3センチくらい前方に突き出る。ぼぼるパパは相変わらず、振り向きもせず、キーボードに向かっている。

はちこ、そのままの表情でじっとすること約30秒。ぼぼるパパはなおも無反応。はちこ、夫のアテンションがほしくて、その顔のままでぼぼるパパの方に少し移動。

すると、ぼぼるパパはついに顔を上げ、はちこを見て、困ったようにニッコリ笑った。

ぼ「なんだ、チューか。ごめんね、気がつかなくて」 立ち上がるぼぼるパパ。

は「違うっ!!」 一歩後ずさるはちこ。

は「チューじゃない! これは、ブーの口なのっ!!」

ぼ「なんだ、そうか」すごすごと引き下がり、またラップトップに向かうぼぼるパパ。

ぼ「ごめんね、今、ちょっと大事なメール書いてるところなんでさ」

いいけど。赦すけど。

恵みと真理と時間

16:39 | 恵みと真理と時間を含むブックマーク

 今、思うところあって、クラウド&タウンゼント著の『クリスチャンの成長を阻む12の誤解 〜"聖書的"思い込みからの解放〜』を読み直している。自分で翻訳しておいて言うのもナンですが、この本はやっぱりすごい。

 著者は、成長には「恵み」と「真理」と「時間」の三つの要素が不可欠だという。今あらためて、この言葉の真実を思う。

クリスチャンの成長を阻む12の誤解

クリスチャンの成長を阻む12の誤解

veilchen23veilchen23 2010/04/09 20:48 heidiです。ふふふ、ぼぼるパパの「チュー」に笑っちゃいました。(笑)はちこさんのとんがった口がビジュアルで浮かんで来ました。可愛いね。(^_^)

めぐんちゃんめぐんちゃん 2010/04/09 22:07 ぼぼるさんとはちこさん、どっちも可愛い〜。ぼぼるさんの反応に受けました。気づいてあげてくださいー。

たいたい 2010/04/10 07:51 ごめんちゃい、めちゃ笑ったー゜(≧▽≦)゜

たしんたしん 2010/04/10 08:28 保険会社や家電などのCMに、そのまま使えそうですね(笑)。

私の友人女子は同じ状況の時、ボーイフレンドにrear naked choke(裸絞め)をかけますよ。

はちこはちこ 2010/04/10 08:42 いや〜、皆さん、お恥ずかしい。*^^*
たしんさん、夫が私に相撲の技(内掛けとか)をかけることはあるんですけどね。(笑)

erinaerina 2010/04/10 09:09 あああ。我が家でも似たようなことが繰り広げられています。おっとは言い訳として『男は2つのことが同時にできないんだよ』と言いますが。。。マルチタスクが同時にできるようにしてほしいと結婚して切実に思います。

たしんたしん 2010/04/10 12:30 今、日本の土曜の晩の二時過ぎにUFCのアブダビ大会をライブで観始まったところですが、セミ前では(これから始まる試合の次の試合)マット・ヒューズが復帰戦を行います。(別に一度、引退したという訳ではありませんが)。

YoYo 2010/04/10 21:58 先月ANRC10の会場で購入致しました。これから読みます。

はちこはちこ 2010/04/11 11:47 erinaちゃん、
おお、erina家でも!マルチタスクができないんじゃなくて、意図的に片方のスイッチ消してるんじゃないの?と勘ぐりたくなることもあります。(笑)

たしんさん、
お、マット・ヒューズですね! 今思い出しても、マットにたしんさんのTシャツを渡せなかったのが残念!

Yoさん、
ANRC10でご購入くださったのですね。ありがとうございます。私は、翻訳しながら目からウロコがおちまくりでした。

2010-04-07

セントラルカンファレンス10

11:34 | セントラルカンファレンス10を含むブックマーク

 中西部JCFN主催のセントラルカンファレンスが、今年も5月最後の週末(29〜31日)に持たれます!

 講師はバンクーバー日系人福音教会の福迫徹也先生です。

 詳しくはこちらをご覧ください。

 私は今年もチャイルドケアを担当し、子供たちと楽しく(激しく?)過ごす予定。去年は30人ほどの子供たちがいて、なかなかやりがいがありました。子供向け(幼稚園&小学生)の工作やゲーム、メッセージをいろいろ模索中。子供賛美はすでにいろいろラインアップを考えています。好きだから〜♪

 昨日はかきごおり先生に「大型オセロ」というゲームを教えていただきました。これは面白そうです。感謝。

 今のところ(直前になるまで)、参加する子供たちの人数も年齢層もわからないので、事前の準備がやりにくいものがありますが、結構ワクワクといろいろ調べています。主の祝福が子供たちの上にも注がれますように!

 あと、独身者向けセミナーもする予定なので、そちらも守られますように… これから準備で忙しくなりそうです。

2010-04-06

無条件の愛と「支配」という名の暴力

09:54 | 無条件の愛と「支配」という名の暴力を含むブックマーク

 最近、ある姉妹から、次のようなメールをいただきました。許可をいただいたので、お分ちさせていただきます。(プライバシー保護のため、一部伏せ字にしました。)


先日メールをいただいた日に、このような記事を見つけました。

http://rihabirikoara.jugem.jp/?eid=1328

…うすうす感じていましたが...「あ!!」という感じでした。「ぎょ!!」かな〜

私の献身的な行いによって、無条件の愛で、夫を救いに導きました、と、どこかで言いたい私がいたのです。

だけど、心の中には夫に対する怒りが隠れているのです。そして、私は夫に「私を満足させて欲しい!私がうれしい方法で私を愛して欲しい!」という思い。そこには夫のやり方での愛し方は、受け取らないよ!という気持ち。

柔らかいようで、相手を支配しようとする思い。

すべての口が主を救い主として告白すること、は、主の願いでしょうが、そこには人の自由意志も与えられている。

私が無理やり夫に、キリストを信じさせようとすることも、ある意味暴力、ということ。

 無条件の愛ということ、実は私も最近繰り返し思わされていたことだったので、あまりのタイムリーさにびっくりしました。先日の「配偶者に満足できない」の記事でも言及したように、「聖書的な夫婦関係こそ神様の御心なのだから、それを求めるのは当然」と思う気持ちの背後には、本当に、誠実に、主の御心・主のご計画を求めるだけでなく、「聖書的な結婚生活をおくる自分に対する満足」と言うか、とても巧妙な自己中心が隠れているのではないかと… 聖書的なものを求めているのだから、私は正しい、という思い。そうなると、「私はせっかく主の御心を求めているのに、あなたがその足を引っ張っている」という目で配偶者を見てしまうかもしれない… そんなことを思わされ、ぞっとしていました。人間って、どこまでとことん、自己中心的なのでしょうね… 神様が私たちに差し出してくださった本物の「無条件の愛」には、「操作」の入る余地など一切なかったのに、私たちの「愛」は、なんと多くの操作的な思いに満ちていることか…

 そしてこれは、育児においても言えること。子どもに信仰を継承させたいという願いが、本当に子どもの魂のために願っていることなのか、それとも「ちゃんと子育てしている自分」の勲章とするために願っているのか… 「クリスチャンホーム」というものも、私たちの心の在り方次第では、一つの偶像になりかねない… 知らず知らずの間に、子どもに対して、「クリスチャンホームの子どもらしく振る舞わないと、愛さないよ」という無言のメッセージを送っていないか、親(私)は絶えず自分を振り返る必要があるかもしれない…

 実は、私自身の子育ては、ブログを始めたりさまざまなミニストリーに関わるようになって以来、「立派なクリスチャンホームを築く」という誘惑(つまり、「理想のクリスチャンホーム」という偶像)との戦いだったとも言えます。(このあたりは、話し始めると長くなるので、また別の機会に…)


 とにかく、上のリンク先の記事、お時間のある方は、ぜひお読みください。その中に、

そういう意味では、「家族の為に」って言いながら、

実は私自身が「支配」という暴力を行っていたのかもしれません。

支配とは、あらゆる手段を使って、人を自分の思い通りに動かす事。

それは暴力。

 という一節があり、これはまさに、先日私も思わされていたことでした。でも、ここまではっきり認めることはできなかった。認めたくなかったから。でも、そう、それは「支配」という暴力だったのですね…

 夫に、「あなたのためでしょ!」と言いながら、実は夫の行動を支配しようとしていた。「家族のため」と言いながら、自分で勝手に思い描いた理想像に家族をはめこもうとして、うまくいかなくて私が怒り出した、なんてことは、今まで数えきれないほどあった… (そういえば、新婚の頃に「クリームコロッケ事件」というのがあって、まさにそういう出来事だった。それについてはまた今度。)


証しの為にといいながら、実は、神様ご自身の介入の邪魔をしていたのかもしれません。

 というくだりも、本当に深い洞察だと思いました。

 それにしても、感謝だなぁと思うのは、主から与えられる気づきは、むやみに自分を責めたり自己嫌悪に陥らせるものではなく(自己嫌悪は確かに感じるんだけど…汗)、むしろそれまで自分を縛っていた見えざる鎖から解き放ってくれるものだということ。そして、ますます私たちに主を求める切望を与えてくれること。自分がボタンを掛け違えていたと気づくことには悲しみや痛みも伴うけれど、気づいたなら、主の憐れみと恵みの中で、やり直すことができるから… 主の「恵み」が、ただただありがたい… ひたすらそこにすがるのみ。

神様に期待しています。(コアラさんのブログより)


 お分ちくださったAさん、どうもありがとう。そしてリンク先のブログ記事を書いておられるコアラさんにも、心から感謝します。

ヒソカヒソカ 2010/04/06 12:18 「主の御心にかなっている」「聖書的である」「家族の為に」、そういう大義名分によってなされることで、世界に善きものが生み出されるという予想に私は与することができません。多くのクリスチャンは、自分が暴力を振るう側になりうるということから出発するのではなく、「自分は暴力とは無縁である」という前提から出発する、それが私にはよくわかりません。なぜ自分は加害者にはならないと無根拠に思えるのか。「私もまた暴力の加害者になりうる」というところから出発しないと、同じことを繰り返すだけではないでしょうか。

 「私が○○を救いに導いた」。これほど神を蔑する考えもないと思います。

ヤンキー牧師ヤンキー牧師 2010/04/06 19:58  信仰という大義名分によって巧妙に隠された自己中心、当人も自覚できない自己中心。問題に感じていたことが、見事に言語化されている記事なので、拙ブログにてご紹介申し上げたいと願います。真面目で熱心なクリスチャン家庭人、特に姉妹たちに必読の記事だと思います。感謝!

kanahakanaha 2010/04/06 20:12 はちこさん
本当に良くわかりました。その通りですね。
【実は私自身が「支配」という暴力を行っていたのかもしれません。】
これはわたしに当てはまりした。
夫の救いの為と言いながら知らず知らずに・・・
教会の姉妹が「ご主人の転職は救われてからなのじゃないの?」と言ったことがどうにも気になってしまい、わたし自身が囚われてしまいました。
夫の救いが転職より先とわたしが預言したと言うのですが、まったく記憶に無いのです。
そのことで夫にpushしてしまいました。
神様のご計画はわたしたちの想像を超えているのに、神様の時を待つと決心したのにです。
深く悔い改めました。

はちこはちこ 2010/04/06 21:16 ヒソカさん、
暴力には、いろいろな形がありますよね。自分が知らず知らずのうちに暴力を振るう側になっていないか、絶えず自己吟味が必要かもしれませんね。

kanahaさん、
友人が記事中のメールをくれたとき、具体的な状況は違っても、私自身が直面している問題と本質的に同じだ、と思ったのです。友達同士で「あなたのために祈る ね」と言うときは、ほんとに純粋に相手のために祈れるのに、配偶者や子供のために祈るとなると、意識的にではないものの、相手に自分の願いどおりになって欲しいという思いがすべり込むのを感じていました。私自身は、今は特に子供たちのことについて、その思いで葛藤しています。いろいろやきもきすることがあって、我ながら疲れてしまって、こんな思いになるのは、やっぱり自分の境界線の外のものに対して自分が支配権を握ろうとしているからなんだろうなって…  でも、成長には時間がかかるのだと神様が忍耐強く語りかけてくださっているし(しかも成長させてくださるのは神様なんだし!)、毎日、深呼吸しながら心 を落ち着かせるようにしています。(苦笑)
自分のことばかり書いてしまってごめんなさい。お互いに、いろいろ抱えているものがありますね。ご主人転職のこともありましたね。私たちは、早く結果が見たくて、ついついあせってしまうようです。主が素晴らしいものをご用意してくださっていると思えばこそ (救いも含めて!)、なおさら早くそれを見たくなってしまうのですよね。神の時を待つ…言うは易く行うは難しですが、主が私たちに忍耐と、主を待ち望むことの希望を与えてくださいますように… お祈りしています。私のためにもお祈りいただけると嬉しいです。

ヤンキー先生、
自分の問題を書いたものなので恥ずかしいですが… ある姉妹に主がお語りになったことが、別の姉妹の心に響き、それが私の心にも共鳴し、主の静かで力強い語りかけとなって私の心に響いています。もしこの響き が、他の方たちの励ましにもなるのなら、嬉しいです。家庭内でのこういった巧妙な支配は、女性が陥りやすい罠なのかもしれません。特に女性たちのためにお祈りいただけると感謝です。

かきごおりかきごおり 2010/04/06 21:26 はちこさん、
親子のこと、深く考えさせられます。
牧師の子として、期待を感じて、期待に応えてきて、でも、そのことに痛みを感じてきた自分が、自分ではもう乗り越えたというか、受け入れたというか、そんなつもりでありながら、また自分の子供達が、牧師の子どもが育っていくのを見ていくのは、ずっと大きな課題でした。そこにはやっぱり子どもたちに対する期待があって、はちこさんの言う「立派なクリスチャンホームを築く」みたいな誘惑があって、「我が家に問題があったら、教会はどうなるんだろうか?」みたいな、たぶん勘違いなんでしょうが、そんなプレッシャーがあって、3月5日に書いておられたD先生のような生き方ができるだろうかという不安があって、まだまだ課題だなあと思わされます。

フィベフィベ 2010/04/07 00:45 的をついていますね。

私も相手への外的コントロールが強いなあと思う時があります。
相手のことより、私が満足する愛しかたで愛してみたいな。
反省します。
マザー・テレサが言ったことばの中に・・・
「本当に愛しているのは、相手そのものではなくて、
相手の中の自分だった」みたいなのがありました。
相手らしさじゃなくて、こうあってほしいという
自分を満足させてくれるもの、自己中心的な愛だったというのがありました。

主の御心といいながら、やっぱり、主の御心を信じきれてないのかも。
あと、自分らしさを大切にできない人、劣等感を持っている人って
孤独感が強くて、相手らしさを大切にできないのかも。

ままとままと 2010/04/07 09:12 私の通っている教会の婦人会での夫婦についての学びで用いられた良書を紹介します。
Nancy Wilsonの「The fruit of her Hands」という本です。
日本語版があるかどうかは不明です。

はちこはちこ 2010/04/07 12:20 かきごおり先生、
やっぱり、その誘惑やプレッシャーありますよね。子供にも自由意志があって、特に大人になる過程ではいろんなことを自分で決めて判断していきますから、時にはとんでもないことをやらかす可能性もある…それを受け入れて、なおかつ私たちの側(親や子供)の失敗を越えて、導いてくださる神様に信頼しようと、自分に言い聞かせているのですが、あまり手痛い失敗はしないでくれますようにとつい祈っちゃいますよね…(汗)
何の非の打ち所も失敗もない家庭よりも、D先生のような姿を見せていただく方が、実際には私たちにとってもっと大きな励みになりますよね。先生のcandidなブログには、いつもとっても励まされています!「日々のみことば」だけでなく、生活感がある方が、私には教えられるところがより大きいです!

フィベさん、
マザーテレサの言葉、うならされます。イサクとリベカの、エサウとヤコブの偏愛を思い出しました。自分を満足させてくれるものを愛するというのが、人間の愛のありのままの姿なのでしょうね… 聖書が「自分を愛するように隣人を愛しなさい」と言っているのも、人間の愛が自己中心に根ざしたものであることを見越してのことなのでしょうね。劣等感が支配につながるというのも、確かにあると思います!

ままとさん、
本のご紹介ありがとうございます!アマゾンで今見てみました。これも夫をrespectせよという本なのですね。スペインの教会でもこの本が学びに用いられているとは、スペインの男性も妻からのrespectを求めていて、一方妻はそれをすることに困難を覚えているのでしょうか。アメリカでも日本でもスペインでも、国籍を越えて、やはり人間共通の課題なんですね。日本では、エマソン・エグリッチの Love and Respectがついに邦訳され、『愛されたい妻と尊敬されたい夫』というタイトルで出版されました。
http://blogs.yahoo.co.jp/maejima_tsuneo/35625546.html

kanahaさん、
付け足しですが、言った覚えのないことを、あなたが預言した、と言われても、困りますよね… しかも、「預言」と言われると…

ヒソカヒソカ 2010/04/08 09:37 >はちこさん
 私の言ったことがうまく伝わらなかったように思います。
 私が言いたかったのは、どういう条件がそろった時に、「私」は暴力の加害者になりうるのかをリアルかつクールに考究しない限りは、「知らず知らずのうちに他人にふるう暴力」を抑止できない、ということです。

 私は人を殺したことはないけれど、それは別に私がクリスチャンだからでも「善人」だからでもありません。せいぜい「悪人でない」というだけです。条件が整ったら私は人を殺すかもしれない。そういう病識は持っています。よって、私にできることはそういう状況が決して訪れないようにするにはどうするかを知的に徹底的に考究することです。自分の中にある邪悪さや愚鈍さを観察し、折り合うことなしには(屈服ではない)、暴力的なふるまいの表出を止められない、そう考えています。

A 2010/04/12 10:24 今、記事を読みました。不思議ですね。神様はいろいろな方法を使って語ってくださる・・・神様は、それぞれの必要を本当にご存知だから、ぴったりのタイミングで語ってくださる。感謝です。

はちこさんのご家庭がある意味理想的に見えたりしましたが、(こういう発言もきっとプレッシャーですよね、ごめんなさい)はちこさんが正直な分かち合いをしてくださったことで、何か(誰か)を特別視してしまう罠からも、守られているなあと思いました。いつも、ありがとうございます。

みこころがなりますように、と祈りつつも「イエス様のみ名によって祈る、私の願いが叶えられますように!」と無意識に祈って来た(祈っている)ことの多さを、私も最近語られています。

だからこそ、心の動機を吟味することが大切なんだ、と最近思わされてます。
コアラさんが、家族が救われたらどんなにいいだろうと思った気持ちが良く分かります。私も夫が家庭を顧みてくれたらどんなにいいだろう、と願っていました。他の女性ではなく、私や子供達を見て!と。
それはある意味、願って当たり前のことでもあるんですよね。
あの頃は、私がいっしょうけんめい祈ったり、仕えていれば
夫が救われて、きっと家族に優しい夫になって、私たちは(正確に言えば『私は』)幸せになれるはず!!!と、信じていました。
でも、そう思っていなければ耐えられない時期でもありました。だから、きっとあの時間も必要だったのです。

でも今、神様が優しく「それは違うよ」と語ってくださっている。

家庭を顧みない夫を変えることはできない。
でも家庭をやり直そうとしている夫ならば、一緒に作り直していくことが出来る。
だから、最近、平静の祈りが心に浮かびます。
変えることのできないものを受けいれる勇気と、
変えることの出来るものを変えていく勇気、そしてそれらを見分ける知恵を与えてください・・・と。

私が子供や夫について、ある意味自分勝手な動機も踏まえて祈ってしまうことは、決していいことではないけど、
相手を大切に思う気持ちも勿論あって、祈っている。
だから、自分の祈りの動機が純粋じゃない、という理由で自分を「責めすぎる」のは止めなさいね・・・とある方に言われました。「そういう自分」もひっくるめて、神様はあなたを愛しているんだよ、と。恵み、ということについても考えさせられています。(自分を責めて、出来ない自分を自己憐憫する傾向があるので・・・苦笑)


「正しすぎてはいけない」というタイトルがあったのは、はちこさんのブログだったでしょうか?
全く純粋に祈って下さるのはイエス様。そのお方に似て行きたいけど、自分がそうなれると勘違いしてはいけないというか・・・

子育て中のはちこさんの心が、守られますように、私も祈ります。いつも祈ってくださって本当にありがとうございます。
長いコメントになっちゃってごめんなさい〜

はちこはちこ 2010/04/12 12:50 Aさん、
私こそ、いつも本当にどうもありがとう。
育児において、子どもの最善を願っているつもりの中に、実は「私の面目を潰さないで」という気持ちが忍び寄ってくる、そのことを最近ずっと、主に語られていました。それをこうして言葉にして認めることすら、最初は私のプライドが許さなかった。でも、Aさんのお分ちのおかげで、私はそれを告白することができました。本当にありがとう。

そしてね、口に出して告白することができたら、私はもっと子どもたちを自由に愛し、自由に指導し、自由にとりなしの祈りをすることができるようになってきたように感じるのです。

ヨ ハネ3:17の御言葉に「神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである」とあるように、神様が私たちにいろいろな気づきを与えてくださるのも、私たちを裁き、責めるためでなく、自分を縛っていたものから解かれ、必要に応じて方向転換し、ますます神様の恵みに気づかされ、ますます主を求めるようになるため、なのだなぁと…
自分を責めちゃったら、サタンの思うつぼだしね。それに、自分を責めることの罠は、自分だけではなく、自分と同じような他の人を責めることにもつながるかもしれない。それも恐いですよね。それよりもむしろ、互いに赦されている者同士、恵みによって生かされている者同士、手を差し伸べ合い、励まし合い、祈り合っていきたいですよね。もちろん、時には愛ある訓戒を与え合うことも…

おととい…だったかな、友人が、「今日の礼拝説教の中 で、夫への配慮(遠慮ではなく)から日曜礼拝に集わず、その時間一人静かに聖書を開き祈っていたご夫人のお話があった。60歳前にガンで闘病し昇天。夫はずっと体調不良で欠席だと思っていたそうだが、自分への配慮と知り、その思いやりに深く心探られ、求道。受洗されたそうだ」という話を分かち合ってくれま した。

このご婦人は、夫がその後、そういう経緯を経て救われることになるのを見ないままに亡くなられたということに、とてもへりくだらさ れる気がしました。私たちには見えていないことがいかに多くあることか… だけど主はすべてご存知で、御手の中ですべてを善いようになさってくださる… そのプロセスには、私たちが自分であれこれ方策を練って考えて入っていく余地などなく、ただ主だけを見上げ、主に導かれながら、今日、今、示されていることに忠実でありたい…そんなことを思わされました。

「ただ主のしもべモーセが、あなたがたに命じた命令と律法をよく守り行い、あなたがたの神、主を愛し、そのすべての道に歩み、その命令を守って、主にすがり、心を尽くし、精神を尽くして、主に仕えなさい」(ヨシュア22:5)


Aさんの存在は、私にとって、神様からのプレゼントです。Aさんのご家族のために、祈らせていただけるのも私にとって特権です。いつ、どういう形になるかわからないけれど、主はご家族全員のために最善をなさってくださること、そして*今*このとき、そのためにさまざまなことを用いておられることを信じていま す。そして、私たちの目にはその全貌がまだ見えていない今も、神様がAさんの歩みを通してご自身を現しておられ、それは私たちに見せてくださっていることに、ただただ感謝し、主の御名を崇めます。

はちこはちこ 2010/04/12 18:58 そういえば、この日の記事についてメールをくださった別の友人も、「やっぱり平静の祈りだよね」と言っていました。^^ いろんなこと、あれこれあれこれ悩むけど、行きつくところは平静の祈りだなぁと、私もいつも思わされます。

erinalinabankerinalinabank 2010/04/13 06:23 もう色々思い、考え。でも一言。この記事に揺さぶられました。

AA 2010/04/14 05:05 このブログを通して、はちこさんを通して、たくさんの気づきをいただいてます。本当に感謝です♪
癌で昇天された女性のことも・・・考えさせられました。

2010-04-05

「時間」と忍耐

| 11:07 | 「時間」と忍耐を含むブックマーク

 ナンシー・オートバーグのメッセージの中で、「優れたリーダーシップの80%は忍耐(perseverance)である」という言葉が紹介されていた。なぜヴィジョンでも創造性でも革新的方法でもなく、「忍耐」なのか… それは、成長とはプロセスであり、したがって当然「時間」のかかるものだから。

 自分自身に対してももっと忍耐を持って、神さまと信仰共同体から差し出される「恵み」の中に身を置き、"今はまだ成長過程にある自分"というコンセプトに、もっとcomfortableにならないといけないなと思った。もしかしたら、それが「謙遜」ということなのかもしれない。

 子供たちに対してもそう。親としてできること、なすべきことはたくさんあるけれど、それが実際に子供たちの人生で花を咲かせ実を結ぶようになるには時間がかかるのだと、よく覚えておかなくては。

 

hk-_-zzhk-_-zz 2010/04/05 12:11 忍耐と謙遜に関する適切な考察だなぁと思いました。良いシェアを感謝ですヾ(´・∀・`)ノ

はちこはちこ 2010/04/05 21:56 こんな断片的なことに反応してくださってありがとう!例の件、祈っていますよ!

ヒソカヒソカ 2010/04/05 23:11 効率よく成果を出せという今のご時世は、言ってみれば「無時間モデル」です。時間をかけるなということなのですから。けれども、人間の関わる多くの事柄は「時間」のかかるものです。適切な時間感覚を育てることを怠ってきたために、効率性重視の考えが生まれた、とも言えます(それだけが理由ではないけれど)。

 人が成熟(成長ではなく)への径庭を歩みだすのは、「私はまだ成熟に達していない」という不能を覚えるからです。「私はこれこれのことを知らない」からこそ人は「学び」、「私は成熟していない」と覚知するからこそ「成熟しよう」とする。そして、自分は何を知らず何をできないかを適切に言語化できないと、節度あるふるまいはできない。節度がないと、とっとと成果出せよという無茶ぶりをしてしまう。けれども、それだといいことがないんです。

まきとまきと 2010/04/06 08:28 学生時代の友人達と集まろうって言い出したら、いろんな声が出て、今のところ来年
の6月の土曜日になってしまった。具体的に日程が決まりそうなのが、来年の4月。
えらく長期計画になってしまった。しかし、しばらく会ってないメンバーが集まるには、忍耐が必要のようです。

はちこはちこ 2010/04/06 11:17 ヒソカさん、
そうですよね。「効率のいい成長・成熟」なんて、いわばオキシモーロンですよね。

まきとさん、
何度も認証エラーが出ているようで、ごめんなさいね。どうしてだろう…

国内で集まるのでも、予定が来年の6月ですか!本当に長期計画ですね。でもその分、会いたいお友達に会える、楽しい集まりになりますように!

2010-04-04 復活祭おめでとうございます!

御父の忍耐

22:16 | 御父の忍耐を含むブックマーク

 エミを訪問していたみん、無事帰宅。今日はシカゴの天候が悪かったので、フライトに遅れが出るのではと心配したけれど、予定より早く到着した。すべて守られて感謝!

 さて、今回の機会はoverall、エミにとってもみんにとっても、とてもよい経験になったことと思う。

 予想どおりのことが起こり、祈らされましたが…(今も。)

 今回のことを通して、御父の愛と忍耐を改めて思わされた。娘たちに対してもそうだし、「ああ、私のこともこんなふうに忍耐し、成長するのを待ってくださっているのだな」というのを痛切に感じている。

 話は全然変わって、どうやら洗濯機を買い替えないとダメみたいなんだけど、今は心がほかのことで一杯で、洗濯機のことを調べて判断する精神的ゆとりがない… これはと思うモデルがあさってまでセールになっているんだけど、あさってまでに決断できそうにない。このセールはパスして、次に主が良いディールに出会わせてくださるのを待つか…

 Jesus! I need You so badly in every area of my life!

コメント認証エラー

21:43 | コメント認証エラーを含むブックマーク

 最近、複数の方から「コメント認証エラー」が出て、コメント投稿がうまくできなかったという声を聞きました。はてなさん、どうしたんだろう? もしコメントがうまく投稿できないことがありましたら、私にメールで送ってくださったら私から投稿しておきますので、ご遠慮なくお知らせください!

2010-04-03

無力だけれど強い

20:56 | 無力だけれど強いを含むブックマーク

 実は今日の午後、想定内ではあったけれど、非常にがっくりくるようなことが起きた。

 考えれば考えるほどため息が出るけれど、それでも、このことも善い御父の愛の御手の中に完全に守られていることには微塵の疑いもない。主に守られている、主に導かれている、主に愛されている人生とは、決してトラブルフリーの人生ではなく、むしろ愛されているからこそ、子として扱われているからこそ、さまざまな困難も起こる。

 無力な自分、ただただ祈って主の恵みにすがるしかない自分。でも、この完全な無力感の中にあるときにこそ、主の愛と御力とご計画に信頼して、すべてを預けることができる。そして主の大能の御業が現されることを期待して待ち望むことができる。ため息をつきつつも、私の霊は、主に期待して大いに喜んでいる。

なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。 (2コリント12:10)

パスター・マックより

19:09 | パスター・マックよりを含むブックマーク

 パスター・マックのブログより無断で転載させていただきます。(ユルシテ)

今なら、もれなく生TASHINを見学できます。

拝啓 皆様

よくこのブログにコメントを残してくれる宇都宮の盟友、TASHINが、日本時間4日の午後10時、ラジオの動画番組に生出演します。米国西海岸では朝の6時で、明日はイースターのサンライズ礼拝もありますゆえに、難しい方もいるかと思いますが、もしよろしかったら、「へぇーこれがTASHINか」と、画面の中で動く本人を観察してくださいませ。

実はこの出演は先週に引き続くもので、先週、あまりにも アクセス数が多かったために今週も出演になったとのことです。先週のものも、4日のものもアーカーブで後になって見れますので、お楽しみください。前回に関しては「藤波の呼吸」が、絶妙でプロレスのコアファンなら鳥肌が立つのではないかと思います。

たしん、出演おめでとう。花輪でも送ってあげたいが、無理なようだ。楽しんでくれ!ちなみにあのオープニングの歌を朝から聞くと目が覚めるよ。そして、耳から離れんな、あの曲(笑)。

マック

追伸:「那須WAVE」の「コロコロ・トーキング」、時間がくるとサイト内にある動画が始まります。

 パスターマックもおっしゃっているように、*この*ブログにもよくコメントを残してくださる「たしん」さんの生出演です。

 私は今回は「小林克也大先生」を期待しています。(^^)

ケンの誕生日パーティー

19:12 | ケンの誕生日パーティーを含むブックマーク

 今日は、ケンの9歳の誕生日パーティーを、近くのボーリング場で開いた。去年は我が家でお泊まりパーティーして、ケンは最初は今年もお泊まりがいいと言ったのだけれど、私がお願いして外の会場でやるパーティーにさせてもらった。(苦笑)

 仲良しのお友達10人を招いて、ボーリングとレーザータッグに興じたパーティーでした。楽しかったね!

 …それにしても、子供の誕生日パーティーを終えるたびに、大きな仕事が一つ終わって、ものすごくホッとする。今回は外でやったから、私はほんとに楽だったんだけど(その分のコストはかかったが…)、それでもやっぱり、事故のないように、みんなが楽しめるようにと、気疲れした。実は苦手なのよ、こういうイベントやるのは…(汗) ごめんね、パーティー苦手なお母さんで。

マックマック 2010/04/03 20:33 「ユルシテ」ナドトハ トンデモアリマセン。コチラコソ マイド オサワガセシマス。

はちこはちこ 2010/04/03 20:42 アリガトウゴザイマス! キョウシュクデス! アス、パスターノブンマデ コロコロデ チャットシマス。

たしんたしん 2010/04/03 20:58 ケン君の誕生日、おめでとうございます。
そして、日本では既に、アントニオ猪木引退の日のエミちゃんの誕生日もおめでとうございます。

さらに動画ラジオの告知もありがとうございます。なんか、エラい大事になってきた気がするんですけど(笑)。
今のところ、三つのホームページとTwitterひとつで告知していただいちゃっているので、前回のアクセス数でDJが驚いてた回数は軽く上回るでしょう。

とりあえず、一般人には何のことか分からない藤波の呼吸、またやります(笑)。

はちこはちこ 2010/04/03 21:05 あの藤波の呼吸は、何のことか分からなくても、それでも面白かったですよ!(笑)
そのうち、常設でたしんさんコーナーができるかもしれないですね!

たしんたしん 2010/04/04 20:02 ご夫婦でのチャット生出演、ありがとうございました。
1、2、3の、4か5♪

はちこはちこ 2010/04/04 23:23 楽しませていただきました!
また来週…があるといいなぁ! せめて、月一とか、レギュラーになるといいなぁと、勝手に期待。(笑)

コロナ店長コロナ店長 2010/04/07 01:34 インターネットラジオ放送局 Nasu−Wave
FM567の「コロコロ★トーキング!」を聴いて頂きまして、
そして、チャットへの参加も、ありがとうございました。
おまけに、ブログでの宣伝等も、大変うれしく思います。

これからも、もし時間があれば聴いてみてください。
とばちゃんの「はちこの歌」が聴けるかも知れない?

日本時間 毎週日曜日の夜10時〜です。(延長版11時10分〜)
よかったら、これからもよろしくお願いします。

はちこはちこ 2010/04/07 12:22 おお〜、コロナ店長、ようこそおいでくださいました〜!
店長の中学時代の「かわいチョ〜」の話、たしんさんはスルーしてましたけど(笑)、私には受けましたよ!

これからも頑張ってください。うまく時間があえば、また聞かせていただきたいと思います!

2010-04-01

MEMO:安藤(元)主事のブログより

13:43 | MEMO:安藤(元)主事のブログよりを含むブックマーク

 KGKの安藤(元)主事が20年間のご奉仕を終えられ、退任された。

 ご奉仕を終えられるにあたって、安藤主事が振り返って書いておられたブログ記事に心打たれたので、メモ。


この20年間を振り返って、主から教えられたことは…

1.神は十分に与えてくださる方であること

心が満たされることも、健康も、経済的なことも、人との関係も、人への愛もゆるす心も、いつも確かな出所は神ご自身でした。人に求めたり自分を追い込むのではなくて、主を見上げれば恵みはいつも十分でした。

2.宣教は主の働きであること

私もそれなりにがんばって働いてきたという事実はあるのですが、実感としては大してがんばってきたような気がしません。主が語るべきこととやるべきことを教えてくださって、私にできることを配分してくださってきた感じです。そして、私がいかに適切に賢く立ち回ったとしても、それで宣教が前進するわけではありませんでした。救いは主のもの、宣教は主の業なのです。ですから、どこまでもキリストと心をひとつにすることを求めながら、謙遜を学ぶことがもっとも大切なことです。

3.ありのままの自分で主の前にい続けるべきこと。

正直に自分の姿を自覚すれば、大した自分ではないこと、今日も神と人にゆるされるしかない自分であることを、認めることができます。その透明さが、神との交わりにおいても、人への共感のためにも、土台となる自己認識です。その位置に立つためには、自己吟味をみことばの前でしつづける訓練が必要です。そして主は、その訓練に私たちを招き続け、とどまり続けることを促すのです。

安藤主事ブログ「こぎだせ」イミタチオ・クリスチより

無題

12:40 | 無題を含むブックマーク

 Then he went down to Nazareth with them and was obedient to them. But his mother treasured all these things in her heart. And Jesus grew in wisdom and stature, and in favor with God and men. (Luke 2:41-52)

I've got something that I want to treasure in my heart. It's about one of my children's spiritual growth, for which I am utterly grateful to God. (I won't mention the details here, because I'm treasuring them in my heart!)

For each of my children, I've always prayed Isaiah 54:13, "All your sons will be taught by the LORD, and great will be your children's peace." I feel in my spirit that this is exactly what God is doing in one of my children's life right now. He Himself is teaching her... Well, her peace may be yet to come, but I KNOW that it will come. Because of this conviction, I also feel such peace about my other children's spiritual growth. How faithful our God is! Thank you, Lord Jesus...

ひみつのあっこちゃんひみつのあっこちゃん 2010/04/01 17:30 どちらの記事にも涙が出ました。今の私に本当に必要なメッセージでした。
子供の霊的成長のこと、また自分のこれからの働きこと・・。ハッとしました。
自分を追い込んだりせず、もっと肩の力を抜いて、
ただ主を見上げ、主を信頼し、主にとどまり続けていきたいと思います。
分かち合いをありがとうございました。

はちこはちこ 2010/04/01 18:56 ひみつのあっこちゃん、
主に感謝します! 主はいろんなところから、その時その時に必要なことを語ってくださいますよね。私も、安藤主事の記事にとても心触れられるものがありました。20年間の働きの中で得られた、経験に裏付けられた知恵の言葉だなと思いました。Glory to God!!

めぐんちゃんめぐんちゃん 2010/04/02 10:49 安藤主事、退任されたのですね。ecでお目にかかっただけでしたが、強くて優しくて魅力に溢れる、「こんな風に主に仕えられたら素晴しい」と思わせるクリスチャン女性ロールモデルの一人です。メモを読んで、なるほど、この信念と思いがあっての安藤主事のミニストリーだったんだなと納得しました。

無題の記事ですが、英語ではあの箇所でtreasuredという表現が使われていたのですね。聖書のマリアとイエス様の描写が、より肉付きを増した感じがします。シェアありがとうございました!

はちこはちこ 2010/04/03 08:41 めぐんちゃん、
私は安藤主事には直接お目にかかったことが一度もないのですが、彼女のお働きの話をいろいろなところから聞き、いつもかげながら敬意を払っていました。安藤主事は、本当に多くの女性たちにとって、クリスチャン女性のロールモデルだったでしょうし、これからもそうあり続けることと思います! 安藤主事の4月からの新しい歩みの上に、主の祝福がありますように!!

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