(309)世界の官僚奉仕を求めて第19回官僚奉仕の切札は太陽(14)官僚支配モンスター克服への途 後編(私の見た動画11『市民としての官僚や裁判官たち』)

上の動画を見ればドイツの戦後は戦前の官僚支配を封印し、国民のための官僚奉仕に徹し、官僚や裁判官たち自らも市民としての行動の自由を求めて来たことがわかるでしょう。
動画前半では、2009年ドイツでメルケル政権が原発運転期間延長を求めた時、政治家の安全で電力料金が安くなるという主張に対して、原発に責任ある官僚たちは自ら公共放送ZDFに出演し、危険であり基本法に違反し、過去の検証から電力料金が安くならないことを明言しています。
動画後半冒頭では(ドイツの最高裁判所長官の解説を通して)、ナチズム(国家社会主義)を容認した反省から司法を行政から完全に独立させ、(ナチズムの再来を二度と許さないために)改正できない基本法基本的人権言論の自由と人間の尊厳)を違憲立法審査権行使で厳守し、市民のサービス機関として市民に開かれて機能している裁判所が語られます。
そしてクラマー元裁判官が語るように、60年代に始まった民主化の運動が80年代になると司法の封建的で権威的構造を打ち破り、裁判官たちが自ら政治的発言の制限を克服して行きました。
それは映像で見るように、裁判官たちの市民としての自由な意思表示であり、裁判所を市民のサービス機関とするだけでなく、裁判官との交流対話を通して市民に開放することでした。
そのようなドイツ官僚や裁判官の市民性は私自身も体験したことであり、妙高の自宅にも泊まったことのある農業省の官僚Uさんに(ドイツの環境農業補償政策の取材やシェーナウの市民電力会社訪問でお世話になり、彼が能をはじめとして日本の古典文化に関心が高いことから私的交流へと発展しました)、それを強く感じました。
そしてそのような官僚や裁判官の市民性創出こそが、再び戦争へと導く大本営を構築し始めた日本の官僚支配モンスター克服への途にほかなりません。
そのためには既に述べて来たように、ドイツのように司法を完全に独立させ、行政の責任や違憲立法審査権を厳しく問える仕組みに変えることが必要です。
そのような大きな枠組みの転換なくしては、前回述べたように国民の財が将来世代に渡って喰い尽くされて行く国民の怒りが、ハシズムのような国家社会主義に飲み込まれて行き、逆に異なるものを排斥する全体主義独裁国家を産みだしかねません(都民のための見える化政治責任を唱える小池知事には大いに期待していますが、大きな枠組みを変えて行く目標なしには、国家社会主義に飲み込まれる危惧も感じずにはいられません)。