今日の一作〜映画『天地明察』(ネタバレあり)

天地明察
http://www.tenchi-meisatsu.jp/index.html


とても素敵な映画でした。


<あらすじ>
江戸時代中期に貞享暦を創った安井算哲(岡田准一)の物語。
幼い頃より、和算、天文などに熱中する会津藩に庇護される安井算哲は、会津藩主・保科正之松本幸四郎)にその才を認められ、北極星を日本全国から観測する旅に出るよう命令された。建部伝内(笹野高史)、伊藤重孝(岸部一徳)などの一行に加えられた安井算哲は、予定日程を大幅に超えながらも無事旅を終えた。その旅の最中、「日本で800年前から採用している宣明歴には誤差がある」という驚愕の事実を耳にした。そのことを知った保科正之が安井算哲に命じたことが、「正しい暦を作れ」ということだった。朝廷が専権を握る暦の領域に足を踏み入れることは、多くの困難が予想されることだった・・・。




あらすじを書くのは難しいですね。
橋本治さんがおっしゃってましたけど、物語のあらすじを書くことが一番大切なことだ、ということを胸に試してみるのですが難しい。


レイトショーで観たのですが、けっこう人が入っていました。
4,50人はいたでしょうか。けっこう多い印象。
年齢層は、40代以上が多かったように思えます。


実に清々しい映画でした。本当に清々しい。
観終わった後の気分の良さで言えば、今までの僕の映画歴の中でも上位ではないでしょうか。
何がそんなに清々しいのか。
数々の困難にあたりながらも貞享歴を完成させる、という成功譚なのですが、
僕の清々しさの要因はそこにはありません。
暦を創る話ですが、この映画には数学(和算)が大きな役割を演じています。
天文学と数学(和算)は密接な関係にあるわけで、当然のことなんでしょうが、
その数学(和算)にまつわる人々の姿が実に良い。


江戸時代の数学(和算)をとりまく状況は、実に興味深いものです。
以前NHKの「タイムスクープハンター」で見ましたが、江戸時代には数学(和算)の問題を作っては神社に奉納して、土地土地を歩く人たちがいたそうです。
神社だけあって、絵馬に問題を書いて壁に飾ったり、木にくくりつけたりするのです。そして、それを数学(和算)好きの庶民が解いて、正解を絵馬に書き込むのです。
(参考:http://www.nhk.or.jp/timescoop/archive.html 「タイムスクープハンター」)


もうね、ここにあるのは「俺の問題解いてみろ」「おうよ、解いてやるよ」、ただそれだけです。なんなんでしょう、この単純な相克は。
解いたら褒美があるわけでも、将来に便宜が図られるわけでもありません。ただ、問題創りたいから創る、解きたいから解く。それだけです。
とてもシンプルな欲求です。
そして、このシンプルな欲求こそが、「学問」の本質なのではないかと僕は思うのです。「学問」はその成果でお金がもうけられるから、名声を得られるからするものではない、と僕は考えています。なぜならその「学問」には、限界があるからです。お金が儲けられる段階になったらやめる、名声を得られる段階になったらやめる。
そんな有限性は「学問」にはそぐわないです。
「学問」は1つが分ければ、3つ4つの新たな疑問が浮かび上がり、それにより亢進された知的好奇心がますますの暴走をみせる、その無限性にあるのではないでしょうか。だから、永遠に終わらない。「学問」は永遠に終わらない。「終わらないものに時間を使うのはもったいない」という人は、残念ながら(?)「学問」には縁のない人かもしれません。永遠に埋没できる人こそ「学問」の人です。
そして、その源は、ご褒美とか出世とか名声とかのモノではなく、その人の中にある「知りたい!!」という極めて本能的な欲求以外にはありえないのです。知らないものを知りたい。ただそれだけです。子供がお母さんに「このお花は何??」と聞く。それと本質的には変わりません。その欲求に忠実に従うことができる人こそ「学問」の人です。そして諦めない人が「学問」の人です。
上記の江戸時代の数学(和算)をとりまく状況には、「学問」の人がうようよしていたことだろうと思います
。それは僕にとってとても、とてもワクワクする状況で、僕もその状況に溶け込みたいとすら思えます。数学はとても苦手ですが(笑)。


天地明察』には、そんな「学問」の人がわんさかでてきます。安井算哲をはじめ、200年近くも先の幕末の尊王攘夷運動に大きな影響を与えた山崎闇斎
北極星の旅で安井算哲を指導した建部伝内や伊藤重孝、副将軍水戸光圀、私塾の師・村瀬義益、そして、江戸時代最大の和算家・関孝和などなど。
そして無名ではあるが、北極星の旅に同行した人々、私塾に張り出されている和算の絵馬を一生懸命解く庶民たち。


(ちなみに関孝和さん、群馬県藤岡市の出身であるとの説もあります。群馬の子供が強制的に(?)参加させられる‘上毛かるた’というものがあります。お正月に大会があって、それに出るわけですが、当然のことながら群馬県大会がその最上位になり、全国大会はありません。よって、群馬県大会優勝者が世界一、という素敵な大会です。上毛かるたは、群馬の偉人や名所を題材にしたかるたですが、その「わ」の項が「和算の大家関孝和」というものなのです。だから、群馬県人には関孝和さんはおなじみの人で、実際映画館でも関孝和さんが出てきた時、ちょっとどよめきました(笑))


もちろん、実際には上記の人々が褒美も出世も名声も求めずに「学問」に打ち込んだわけではないでしょう。そもそも安井算哲は、新しい暦を作って朝廷に採用してもらう、という国事的事業に邁進していたわけで、そこに褒美、出世、名声などがなかった、とは思えません。山崎闇斎にしても、関孝和にしてもそういった面はあったでしょう。
しかし、この映画が(僕にとって)成功している点は、そういった面を描かずに「学問」に一直線に邁進する人々の姿を一心に描いていたことなのです。
その人々の姿が‘清々し’かったのです。もう観ていて、いいな、いいな、とにやけてしまう程に、出てくる人物、人物が「学問」に没入していました。その姿はとても清々しく、気分が良いものでした。そしてその清々しさの行き着く先は、「ああ、僕も学問をしたい!!」という新たな地平への一歩となりうる自分の中に眠っていた欲求のお目覚めです。こんなことを思わせてくれる映画は今まで僕は観たことがありません。その意味においてだけでも、この映画はとても素晴らしい。
何かはじめてみたいなあ、と思っている人に大きな力を与えてくれる作品ではないでしょうか。



「学問」万歳!!!!



武藤敬司さんが出演されていました。
言わずと知れた、全日本プロレスの取締役のプロレスラーです。北極星の旅に同行した1人だったのですが、歩いてばかりいるわけです。時に階段に登ったりするのです。
もうその度にハラハラしました。なぜなら、武藤さん、膝がかなり悪いのです!
日常生活にも支障が出る程のようで、「武藤さん、無理しないで!」と何度も心の中で叫んだことを一筆しておきます(笑)。