賠償なんてやめちゃえば?

上祐日記、オウムの反省に立ちつつ、新団体を立ち上げた理由について
(無駄に長いので飛ばして読んでも結構です)

 二つめは、被害者遺族の方々に対する賠償契約の履行です。2000年において、私自身が、一連の事件の被害者賠償を担当する破産管財人の方と話し合い、宗教法人オウム真理教の賠償債務を引き受けることにしました(2005年に更に3年間の更新の契約)。

 これは、管財人の方が、被害者遺族の方と話し合われた結果でありますから、その意味で、教団の解散を求める被害者遺族の方々の心情は当然のことと考える一方で、現実に賠償金の支払いを必要とする被害者遺族の方々がいらっしゃり、その意味で、苦渋の決断であった、と考えております。

 この賠償契約は、教団側では私が主導し、団体として締結したものですから、賠償契約の履行が終わるまでは、教団を解散するという選択をすることができる立場には、法的にありません。私どもとしては、賠償と解散という矛盾を苦しむ被害者遺族の方の葛藤をできるだけ理解し、できるだけの賠償に努めて参りたいと思います。

 なお、どうして、解散して、個々人が賠償をすることが出来ないか、という疑問をお持ちの方に対して、お答えしたいと思います。

 まず、現実として、これまでに教団を脱会した人たちの中には、当時の幹部信者も多く含まれていますが、教団時代の事件の謝罪・反省に立って、実際に個人的に賠償金の支払いを行なっている方は、皆無ではないにしても、額としては、非常に少ないという現実があります。

 脱会した人たちが賠償を行わない理由は、本来、一連の事件に刑事責任があり、民事上の賠償責任を負っている当人達と違って、一連の事件が発覚するまで何も知らず、ある意味で、教団に騙された、と主張し得る人たちの場合は、教団を脱会することで、それ以上は一切責任がない心境になると推察しております。

 個人的には、一般信者は別にしても、幹部信者については、脱会をもって、賠償する道徳的な責任もなくなるのかどうかは疑問です。中には、事件当時の教団の最高幹部であり、長期の服役に値する重大事件には関わっていなくとも、教団のヴァジラヤーナ活動の存在は熟知していた者達がいます。一方では、元から幹部でもなく、事件も全く知らないが、しかし、脱会せずに、賠償負担を背負っている者達がいます。

 なお、先ほど、宗教団アーレフが、「賠償債務を引き受けた」と表現しましたが、本来の民事上の賠償責任は事件の犯行者と、その者達が中心となった宗教法人オウム真理教にあるところ、彼らが拘留・服役中のために、全く賠償をすることができない状況の中で、事件に対する刑事責任はなく、民事上は賠償責任がない信者達で構成される、宗教団体アーレフが、自分たちと同じ信仰を共にした者達の犯行に対する責任や、事件自体が教団の組織的な犯行であったという点をふまえ、彼らの賠償債務を引き受ける新たな契約を締結した、ということを意味します。

 こうして、現実として、脱会した人たちは、一般信者から、教団の裏を元最高幹部に至るまで、自発的に個人的に賠償に協力する動機が乏しく、さらに、一部の人に、その動機はあったとしても、その財力は限られており、結果として、これまでに脱会者から破産管財人に届いた賠償金は、宗教団体アーレフが支払った額に比較すれば、残念ながら極めて少額である、という状況があります。

 そのため、仮に教団が解散し、これまでように、団体の目的・目標として賠償推進を掲げ、組織の力をもって信者から集金し、支払いを進めることがなくなった場合は、賠償は事実上全く進まなくなる、と思われます。

 三つ目は、教団の中の高齢者、障害者、病人の生活扶助の問題です。

 オウムに出家した人は、全ての財産をなげうって出家しました。それは、財産だけではなく、家族との関係や、友人知人といった、出家しなければ自分を助けてくれた人脈も切る、という意味がありました。

 個人的な能力が一定以上ある場合には、事件発覚後に、脱会してやっていくことはできますが、相対的に乏しい人たちの場合は、脱会しにくい状況もあると思います。

 そして、教団発足以来20年が経ち、事件発生以来12年が立った今、出家した信者も、かつての若者の集団のイメージはなくなり、平均年齢も40を超えて、就職するにも難しい年齢に到達してしまいました。そして、その中には、60、70を超えた老人や、重度の障害者や病人、そして、精神病理的な人たちが存在します。彼は、実質上、身寄りがなく、教団を解散すれば、彼らの生活を扶助する人たちは見あたりません。

 3月7日に私と共に集団脱会した者達は、集団生活の共同生活体を形成していますが、その中に、70代以上が4名、60代以上が5名、障害者が3名おります。そして、脱会しなかった者達の中には、それ以上の老人、病人、精神病患者がおります。将来的に、故言う人たちの受け皿となる組織がなければ、彼らが放り出されることになります。

 さらに、今後、ますます高齢化が進むだけなく、麻原氏の死刑執行等によるショックがあれば、信者の心身の障害は加速すると思われ、現状以上に厳しい状態が予想されますが、この問題も、教団を解散する選択をしなかった理由の一つとしてあります。


 こうして、過去の一連の事件を見ると、団体の解散も一つの道である、ということは理解しつつも、信者が元代表信仰を脱却して真に事件を反省する上で抱える精神的な困難や、公の義務となった被害者遺族の方々に対する賠償の履行、そして高齢化・弱体化する出家信者達の事を考えると、現実として、解散せずに、団体組織を維持しながら、旧団体の反省を深めるために、新団体を立ち上げていくことが、唯一現実的な道であろうと考えたことをご理解いただければ幸いです。

 説明しますと、今の教団には、法的に裁判所と管財人と契約した賠償義務がありながら、実質上、ほとんど、事業はできない状態にあります。

というのは、事業をやれば、それが教団の収入となり、賠償に回らず、教勢が拡大して、別のことに使われるのではないか、という国民の不安から、治安当局は、教団の事業活動に様々な形で圧力を加えてきました。それはマスコミ報道による圧力から、教団でなければ恐らくは摘発されないような軽微な刑事事件の捜査などを行なうことも含めてです。

 99年までのパソコンショップは既に実質上解体して、10名規模の収益力の低い企業しか残っていません。ソフトウエアの会社も実質上つぶれ、その結果、プログラマーとしての個人の就労に切り替わりました。

 教団信者の中で、事業担当をしていた者は、今や、教団が社会に受け入れられ、当局の圧力がなくなるまで、事業をやってもまたつぶされて無駄になる、ということで、事業活動から皆退き、個人で仕事をしています。もうやっても無駄だと思っているのです。

 もちろん、これは、当局が悪いのではありません。これまでの団体の中では、麻原元代表とその時代の反省が、信者に根深い心理的な問題のために、なかなか鮮明に出来ないがために、教団が、いつまでも危険で怪しく見えてしまう、ということがあります。そして、その結果、賠償というものに対して、ある程度の額はやっているのですが、本当の意味で、真剣になることに、何らかの障害を作っています。

 この問題を緩和するために、麻原元代表の色を払拭した新団体を立ち上げ、社会に理解を求めると共に、自分たちの意識も切り替えて、賠償を含めた、贖罪と社会貢献に心を本当に向けていこうと考えています。

 もちろん、公安調査庁が、自分たちの組織維持=仕事の維持のために、教団を実際より悪く言っている部分がある、という見方もあります。しかし、それは教団側に様々な隙があり、変わりきっていないから起こる問題であることも間違いがありません。

 こうして、当局・社会は、教団の賠償に関して、ある意味で、矛盾を抱えています。

 教団が、事業などで、収益を上げる事態は防がなければならない。一方で、賠償をさせなければならない。だから、生かさぬよう、殺さぬよう、賠償をある程度させつつ、しかし、大きな収益をあげるようにはさせないで、ということです。

 実際は私は、治安当局の人たちと話したときがありますが、教団には圧力をかけなければならないが、かけ過ぎれば、賠償が全く出来なくなるから、そのさじ加減で苦労している、と言っていました。

 よって、私たちは、社会から、なぜ賠償をもっと出来ないのか、と言われつつ、多額の賠償ができるような資力を持ってもらっても困る、という団体なのです。そして、この矛盾を少しでも緩和しようとするのが、新団体です。

 ともかく、賠償のためでも、信者の生活扶助のためでも、事業を含めて、教団活動が本当の意味で認められるようになる前には、麻原元代表から脱却した新団体を作らないことには、その最低条件さえクリアーできません。

長い。もうちょっと短く書けないものか。
要約すると、「被害者への賠償の金を稼ぐためには宗教団体を維持しなくてはダメ」「出家信者の中には、外の社会では生きていけない人が沢山いるんです」
くらいであろうか。

突撃♪

naucica_c++
補償問題に困っておられるようですが、いっその事、補償なんてあきらめたらどうですか?
遺族の方にとって、一番頭に来ること、それは今日も上祐さんが、テレビやネットで殊勝ぶって「再出発」などと平気でおっしゃる、その光景ですよ。
あの上祐が、私の家族の命を奪った上祐が、今日もちゃんと寝て、飯を食って、テレビにまで元気な姿を出している。社会的にも再始動などと言っている。これほど頭に来る話はありません。

いくらお金を貰っても、死んだ人は帰ってこないんです。

そしてなにより、死んだ人に対しては、補償はもちろん謝罪も不可能です。

今後遺症や障害に苦しんでいる方に対してはお金は有用でしょうが、その補償費用を稼ぐために、あなたは宗教活動のあがりでやろうと思っておられる。これは殺した人に涙金を払うために追い剥ぎをやろう、という類の話だ。新たな被害者から搾り取った金をもらって、被害者はどんな気分になりますか?

金より大事な事はこの世にあります。

いっそのこと、残党引き連れ、どこかで農業でもおやりになったら?ひたいに汗して雑根を取り除き、新たな耕地を開拓して、商品価値の高い作物を栽培する。
最低限の生活費を除いた金を補償にまわす。被害者が受け取って納得する金というのはそういう金です。

naucica_c++
とはいえ、後遺症で苦しむ人にとってはお金は必要です。
教団に支払い能力がないなら、国がたてかえておくべきではないか、とどこかの識者がおっしゃっていました。
私も賛成です。

ace:

賠償金40億は国の負担で言うと戦闘機一機分にもならない。

上祐よ、サリンで死ぬって世界で一番苦しい死に方らしいぞ。
今も寝たきりの被害者たちがいる。解脱したくてもできない人らだ。


フロイトは表層から内面の心理状態を覗く方法を教えてくれる。オウム時代から上祐は清潔感(ヘンな服)と知性と謙虚さとハッタリがウリだった。変わってないね。イメージ戦略とゲーム感覚。


オウムが日本を牛耳ることに失敗したことを反省しているだけで、テロについては反省してないんだろ?幼稚な『罪と罰ごっこもいい加減にしたまえ。ラスコーリニコフを気取ってるんだろうが、君たちにはソーニャなどいない。

みほ:

61、63のnaucica_c++さんの意見に賛成です。
新しい宗教団体を作っても、世間から不審の目で見られるだけです。
前にもどこかに書いたと思いますが、新団体を作るより、解散に向けて動いた方が、世間が納得すると思います。
もちろん、すぐには無理だろうし、大変なことだろうけど。

不審の目で見られることのない、オープンなものなら良いかもしれません。
ですが、どれほど自由でオープンな団体を作っても、過去にしてきたことが人殺しにテロ、そして被害者の家族や、いまだに後遺症に苦しんでいる被害者たちのことを思いやるのなら、解散して、naucica_c++さんの言われるとおり、賠償金は「国にたてかえてもらう」ほうが良いのではないでしょうか。

この、国がたてかえる、というのは私だか誰だかの思いつきではなくて、そういう法案を通そうとしている人がちゃんといます。

オウム被害者救済のための法律を!

「求めている二法案」

上祐氏が自分で働いて賠償せよ、という事をおっしゃる方は多数いる。

むじな
順番が間違ってる気がするんですが
ほかのトピックでも書きましたが、MIXIで遊んでる間に自分で働いて被害者に保障するという意思はありませんか?
MIXIで得た新しい信者にそれを求めるのは・・・

参考資料
http://info.aleph.to/index.html
あれだけの事件で38億とは。
めちゃ安いような気もするのだが・・・
ここには書かれていないけど松本サリンとかも入れるともう少し多くはなるのかな?
しかもここ最近ほとんど払われてないやん
普通の企業で取締役4〜5人分ほどの給与ですね

今のペースだと60年はかかりますよ
被害者どころか上祐氏ももう死んでいる時期です。

これらの保障をすべて終えてから新しい団体ということを考えるべきでは?
新団体立ち上げにいくらかかるのでしょう、その分そちらにまわしてください。

賠償のためにお布施を稼ぐのはおかしい、というのは色々な人が指摘している。

UM@外神田:

宗旨があり、教義があって人が集まるのが宗教なのであって、金を集めやすいのが宗教だからってのが第一義じゃ、麻原と何が違うのか理解に苦しむところですね。

守るべき信仰のために教義を多少軌道修正してでも新団体を新設しようというのであれば意義があるけれど、賠償金を払うために抱えている集団を繋ぎ止め、新しい金づるを引き込むために宗教団体の体裁を作るってんじゃ本末転倒もいいところ。

心のよりどころを求めて入ってくる新しい信者に賠償責任を少しでも転嫁しようという考えはね、卑怯ですな。卑怯。

出家信者の身の振り方については、極めてシャープな指摘をした方がいた。

精神的弱者・障害者・高齢者・就職難の問題、私から言わせてもらうと「甘えるな」の一言に尽きると思いますけど。
実際、内外を問わず共通の問題ですよ。何も、教団に入ってるからじゃなくて、外部だって同じ。
厳しさ辛さ、様々あって、それから自殺者・殺人・心中、そんな事件がいくつも発生している。
皆苦しい中でも必死になって生きている。
大体、入ってる人達が教団に入ったのも、いつづけたのも自分の意思では無いわけ?自分の人生を自ら選択して生きてきたのではないのかしら?

確かにその通りである。だが、マインドコントロールされた信者にはこの言葉はやや酷であるかも知れない。

さらに、後になって驚愕の事実が判明した。
麻原氏の妻子に、教団が年1500万の援助をしていて、彼女らはその金で海外旅行まで楽しんだという。

麻原妻子に年間1500万円 オウムや元信者、生活費など支援

もうお分かりだろう。「被害者への賠償責任」は、教団を維持し、金を稼ぐための方便なのだ。
すべては金だ。