『新聞社襲撃 テロリズムと対峙した15年』朝日新聞社116号事件取材班(編) 岩波書店

新聞社襲撃―テロリズムと対峙した15年

新聞社襲撃―テロリズムと対峙した15年

警察庁広域重要指定116号事件」とは1987年1月24日より始まった朝日新聞社を標的とした一連のテロを指す。いずれのテロも「赤報隊」と名乗る者からの犯行声明が送りつけられたが、声明文作成に用いられたワープロと用紙の分析から全て同一の人物またはグループによる犯行と断定されている。事件は未解決だが、声明文の内容から日本の戦後を全否定する思想の持ち主が犯人像として想定される。赤報隊は声明文で「反日」という言葉を多用した。「事件前には右翼もほとんど使わない言葉だった」(鈴木邦男 p59)ものが広く使われはじめるきっかけになった事件ともいえる。
この本は、事件の当事者でもある朝日新聞の116号事件取材班が15年間独自に事件を追い続けた報告をもとにまとめたもの。事件の周辺、捜査状況、取材現場の内情など興味深い記事がいっぱいである。

事件前夜
朝日新聞への一連の襲撃は87年に始まる。国内は、「戦後政治の総決算」を掲げてひた走った首相の下で大きく揺れていた。
85年夏、中曽根康弘は戦後の首相として初めて靖国神社公式参拝し、近隣諸国の反発の中で翌年に取りやめた。復古調の高校用教科書『新編日本史』の検定をめぐって激しい論争も起きた。首相は、いったん廃案になった国家秘密法案(スパイ防止法案)の再提出にも意欲を見せ、推進派と反対派が対立。反対決議に加わった東京の区議宅にいやがらせの電話が集中したこともあった。87年には、法案について自局の報道姿勢を批判していたNHKの元社会部長神戸四郎が、「国民を無謀な戦争にかりたてた誤りを繰り返してはならない」と、遺稿を残して自殺している。「南京大虐殺」をめぐる論争も再燃した。雑誌『週刊金曜日編集委員本多勝一(70)は当時、朝日新聞編集委員として、週刊誌『朝日ジャーナル』に被害者の証言を集めた現地ルポを連載していた。
(『新聞社襲撃』 p95)

中曽根康弘小泉純一郎は戦後の歴代首相の中で国家主義者として際立つ点が共通していると指摘されている。しかし中曽根首相にはイデオロギーへのこだわりと、だからこそそれを大切にするために政治家として近隣諸国への配慮も見せる姿勢があった。対して小泉首相イデオロギーというものへの執着は感じられず、同時に近隣諸国からの反応にも関心が薄いように見える。20年前とは変質した世の中の風潮も関係しているのだろうか。最近の中曽根は一部若手議員の好戦的姿勢を憂慮する発言をしている。国家主義者を自認する者として何かがおかしいと感じているようだ。
赤報隊のテロも、従来の右翼のテロとは異質な印象がある。反日として標的にした対象への敵意のほかに声明文から伝わってくるものがない。天皇が全然でてこない。ロマンチックな右翼的心情の吐露もない。右翼活動家としての自己顕示欲も感じられない。匿名の日本人からの透明な敵意が「反日」朝日に対して向けられる、それだけなのだ。これはこれまでの右翼の主張とは異なった、どちらかといえばインターネットの掲示板での朝日叩きに似たものなのではないだろうか。順序からいえば赤報隊の影響がネット上にあらわれるようになったということなのか。

2001年春、「新しい歴史教科書をつくる会」の中学校用教科書をめぐる議論で再び、朝日新聞社が右翼などの抗議対象となった。私は、右翼団体幹部から大阪府公安委員会に申請されたデモを取材し、その様変わりぶりに驚いた。いわゆる街宣車は一台も現れず、高齢の男性から若い女性、親子連れまで約300人の隊列がプラカードを手に整然と行進してくる。デモの世話役だという50歳代の中学校教師が「草の根の民族主義、愛国派が着実に増えている。今はまだ少数派だが、やがて朝日新聞を蹴散らす日が必ず来る」と話した。
(『新聞社襲撃』 p150)

私も2ちゃんねるに朝日の悪口を書き込んだことがあるので、朝日に反発したくなる気持ちはよくわかる。だけど一日24時間ずーっと反朝日気分が持続する状態というのは、よくわからない。私自身の中に朝日的なものと反朝日的なものがあって、ある場面ではどちらかが優勢になったりもするのだが、時間がたつと気分が落ち着いてまた中和された状態に戻る。中和された状態というのは何も考えていない日常ということになるのだろうが、自分はそういうものでしかないなと思っている。そういうものでしかないから、そんな自分の日常を取り巻く世界に朝日:反朝日=1:9みたいにはなってもらいたくないのだ。仮にそうなったら自分には抵抗のしようもないだろう。
反産経、反読売と言われても何のイメージも浮かばないが、反朝日と言われるとあるイメージが浮かぶ。それは朝日が他紙とちがって何かを象徴するアイコンになっているからだ。そのアイコンが意味を失うと、朝日以外の新聞も同時に不能になってしまうのではないだろうか。マスコミの力というものが送り手と受け手が連動することで発揮されるということを考えると、新聞が不能になるということは受け手が力を失うということでもある。
ネット上では例の「ことばを信じる……」という朝日のコマーシャルを冷笑する記事をいくつか目にした。しかし私はそういう気分にはなれなかった。いまや、また反発したくなるくらい強くなってよと応援したいような気持ちになっている。それくらいやばい状況になってると思うのだ。
政治家がテレビで2ちゃんねるでのマスコミ叩きのようなことを言うようになってしまっているのだから。