岸田秀『史的唯幻論で読む世界史』

岸田秀『史的唯幻論で読む世界史』

            精神分析学の岸田秀氏は、フロイドの考え方を、歴史学に普遍して日本史、世界史を論じている。人間は本能が壊れ、幻想で歴史を作り、自分とその集団を物語化する。人間の歴史は、経済、政治、軍事、など社会条件よりも、幻想で動くといい「史的唯幻史観」という。
            この本も白人中心主義、西欧中心主義の世界史を、「幻想の世界史」として暴いていく。そのとき岸田秀氏が使うのは、1987年出版されたマーティン・バナール氏の『黒いアテナ』(藤原書店)である。西欧の原点であるギリシャ文明は、黒人文明であるエジプト文明の傘下で作られたというショキングな歴史書である。
            白人中心の人種差別史観を、ギリシャが黒人やユダヤ文明のエジプトやフェニキアにより形成されたというバナール説は、現在まで激しい論争を考古学者、古典学者、世界史学者の間で起こしている。
            岸田氏は、この論争を忠実になぞりながら、西欧中心史観の世界史を唯幻論で補強しながら、論じていて面白い。古代インド文明を築いたヨーロッパ系の「アーリア人」重視史観も、アーリア人は存在が不確かと否定されていく。
            古代エジプト文明は、黒人文明でアフリカ中心史観という点も議論されている。またギリシャ文明が、メソピタニア文明よりもエジプト文明から学んだという点も議論になる。白人はアフリカ黒人起源だが、「白子」という特異な人種であり、ヨーロッパは近代まで貧しい貧地で、大航海時代からの世界進出は「難民」としての進出だったと岸田氏は見ている。
            人種差別主義や反ユダヤ主義による「幻想」として、劣等感と優越感の二重性、屈辱の歴史の復讐など、心理面重視の歴史が繰り広げられている。たしかにそういう面もあるだろう。7世紀の白村江の大和朝廷の唐・新羅連合軍の敗北が、誇大妄想の天孫降臨神話を作成させたとか、アメリカ・ペルリ艦隊の強制開国の屈辱が、日米戦争までいくとか、屈辱感の自我の危機が、歴史にあるともいう。
            多文化主義の見方を強調すれば、古代中国・朝鮮・日本の文化浸透や、古代エジプトと古典ギリシャの文明浸透も納得できる。だが、生物的人種は果たして「幻想」なのだろうか。言語、宗教と人種との関係は「共同幻想」だとしても、人種一元論で世界史はとけるのだろうか。(講談社学術文庫