説教「希望の原点を見つめつつ」

2017年4月9日、横浜本牧教会
「受難節第6主日」 棕櫚の主日

説教・「希望の原点を見つめつつ」、鈴木伸治牧師
聖書・哀歌5章15-22節、
    マタイによる福音書27章32-56節
賛美・(説教前)讃美歌21・298「ああ主は誰がため」
    (説教後)474「わが身の望みは」


 本日は棕櫚の主日であります。主イエス・キリストの十字架への道の最後の一週間であります。今朝のマタイによる福音書は十字架につけられ、死んで行く主イエス・キリストが示されています。棕櫚の主日は日曜日にイエス様が都エルサレムに入って行かれ、受難の道を歩まれることを記念しているのであります。マタイによる福音書は21章に記されています。都エルサレムに入られるにあたりがロバに乗って入って行かれました。イエス様は馬ではなくロバに乗ったのであります。馬は戦いをする者が乗るものであり、イエス様は戦いではなく、平和の象徴としてのロバに乗り、都エルサレムに入ったのでありました。イエス様が都エルサレムの門を入られると、大勢の人々が自分の服を道に敷き、また、他の人々は木の枝を切って道に敷いたのであります。つまり通られる道にじゅうたんを敷くかのごとくにして迎えたのでありました。木の枝とありますが、葉のついた木の枝であります。棕櫚の主日としているのは、前の口語訳聖書、ヨハネによる福音書で「棕櫚の枝」を道に敷いたと記されていましたので「棕櫚の主日」というようになりました。
 こうして人々はイエス様を歓呼して迎えました。「ダビデの子にホサナ。主の名によってこられる方に、祝福があるように、いと高きところにホサナ」と叫びつつイエス様をお迎えしました。「ホサナ」とはヘブライ語で「いま救いたまえ」との意味です。エルサレムに入ってきたイエス様に、「私たちをいまお救いください」と叫んでいるのであります。しかし、このように歓呼して迎えた主イエス・キリストでありますが、金曜日には裁判をしている総督ピラトに対し、「十字架につけろ」と叫ぶのでありました。人間の心の弱さを浮き彫りにしているのであります。この日曜日から始まる十字架への道を主イエス・キリストは確実に踏みしめていたのであります。私たちはこのイエス様の十字架への道をしっかりと受け止めつつ一週間を歩みたいのであります。
 スペインにいる娘の羊子がいまの状況を知らせてくれました。スペインはキリスト教の国であります。そのため受難週、復活祭の二週間は学校がお休みになるそうです。お休みなので教会に来るかといえば、旅行に行ったり、楽しく過ごすということです。しかし、棕櫚の主日には子ども達が椰子の葉の飾りを持って教会に来るのです。私達は、2011年の4月5月にバルセロナに滞在しました。娘の羊子がカトリック教会でミサの奏楽をしていますので、私達も一緒にミサに出かけたのです。まず、教会の庭に集まります。出席した人は胸に赤い布をつけます。その布には「平和への祈り」が記されているのです、そして、この日は多くの子ども達が椰子の葉で作った飾り物をもって集まっていました。まずそこで棕櫚の主日のお祈りが行われ、そこにいる人たちに、神父さんが聖水を振りかけるのです。そして皆で教会の中に入っていきます。そして、子どもたちは神父さんと共に聖壇に上がり、イエス様のエルサレム入城を待っています。ミサがある程度進みますと、いよいよイエス様が来られるのです。すると子どもたちはヤシの木で聖壇の床を叩き、喜びつつイエス様をお迎えするのでした。棕櫚の主日ですが、なんかお祭り騒ぎです。ミサが終わったときの感想は、日本の教会のように、棕櫚の日ですから、イエス様のご受難を偲びつつ礼拝をささげるという、そういう捉え方ではなく、皆さんは棕櫚の主日のミサを喜んでいるとの印象でした。
それ以来、私の棕櫚の主日の受け止め方が違うようになりました。イエス様は私達をお救いになるために十字架の道を歩まれるのでありますが、それは救いの道なのですから、喜ばなければならないのです。日本では40日間のレント、受難節はイエス様のご受難を偲びつつ歩んでいます。前任の大塚平安教会時代、厳格にイエス様のご受難を受け止めつつ歩まれておられる方がいました。レントの期間はビールを飲まない、甘いものは食べない姿勢でした。水曜日の夜に祈祷会が開かれ、終わるとお茶をいただくのですが、甘いものが出されても食べないのでした。皆さんは、その方に対して、わざと美味しそうに食べ、そして勧めたりしていました。
イエス・キリストが私達が真に希望を持ち、その原点が十字架であることを示されているのです。棕櫚の主日により、いよいよ希望の原点を見つめつつ歩みたいのであります。

 旧約聖書は哀歌が今朝の示しになっています。哀歌は悲しみの歌でありますが、その悲しみは、バビロンに捕われの民となっていることと都エルサレムの荒廃を悲しんでいるのであります。哀歌の1章1節に「なにゆえ、一人で座っているのか。人に溢れていたこの都が」と歌われていますが、「なにゆえ」が本来の題名です。これは「エーカー」という言葉で、悲しみを表す言葉であり、ため息のような言葉でもあるのです。人々がバビロンに連れて行かれ、都は荒廃するばかりであります。「貧苦と重い苦役の末に国の人々は捕われになり、異国の民の中に座り、憩いは得られず、苦難のはざまに追い詰められてしまった」と悲しみの歌を歌っています。
 今朝の聖書は5章15節からです。「わたしたちの心は楽しむことを忘れ、踊りは喪の嘆きに変わった。冠は頭から落ちた。いかに災いなことか。わたしたちは罪を犯したのだ」と歌います。すなわち、哀歌はバロンに滅ぼされ、捕われの身となり、都は荒廃しているので、その悲しみを歌いつつ、この悲しみを招いたのは「私たちが罪を犯した」からであるとするのです。神様のお心に従わず、人間の知恵により、または人間の力により頼んだために、神様の審判として捕われの身となっていることを受け止めているのであります。「主よ、なぜ、いつまでもわたしたちを忘れ、果てしなく見捨てて置かれるのですか。主よ、御もとに立ち帰らせてください。わたしたちは立ち帰ります。わたしたちの日々を新しくして、昔のようにしてください」と絶望の声をあげています。しかし、絶望の声でありますが、この悲哀の現実を超えて、生きて行くことの希望でもあるのです。現実の苦しみ、悲しみをしっかりと受け止めること、そして生きて行かなければならないのです。「主よ、御もとに立ち帰らせてください。わたしたちは立ち帰ります」と叫んでいるのです。この希望を持ちながら現実を生きているのです。
 哀歌は嘆きの歌であります。悲痛の声をあげています。どうしてこのように苦しみと悲しみの現実を生きなければならないのか、と嘆いています。結局は自分達が神様のお心に従わなかったゆえに、このような悲しみの現実に生きているのでありますが、心を神様に向けるときに希望が与えられることを示しているのです。「わたしたちは立ち帰ります」というとき、神様への信仰があるのです。この現実の苦しみの中にこそ、神様に立ち帰ること、そこに生きる道であると示されたのであります。

 主イエス・キリストは十字架の道を歩みます。イエス様は時の指導者達に捕らえられる前にお弟子さん達と夕食をしました。これが名画になっている「最後の晩餐」であります。その時、お弟子さん達にパンを与えながら言われました。「取って食べなさい。これは私の体である」と示しました。次に杯を取り、感謝のお祈りを唱え、お弟子さん達に渡しながら、「皆、この杯から飲みなさい。これは罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である」と言われたのであります。このパンとぶどう酒をいただくこと、2千年の昔からいまに至るまで聖餐式として行われています。パンとぶどう酒をいただくこと、主イエス・キリストの十字架の救いが与えられるのであります。
 イエス様はお弟子さん達と最後の夕食をしますが、その後ゲッセマネという園に行きお祈りをささげます。「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに」と祈られたのであります。主イエス・キリストはクリスマスにマリアさんから生まれました。神の御子としてこの世に現れましたが、生れたときは一人の人間として生れているのです。喜怒哀楽を持つ一人の人間であります。従って、死んでいくということ、これは一人の人間として避けて通りたい人間の課題をそのまま持っているのです。時の指導者の妬みにより捕らえられること、十字架によって殺されることを示されていました。できればそのようなことにならないようにお願いしているのであります。そのようなお願いをしますが、「しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに」と神様に委ねているのであります。
 この祈りが終わったとき、時の指導者が差し向けた大勢の人々がイエス様を捕らえにやってきたのであります。イエス様を捕らえると、人々はイエス様を大祭司のところに連れて行きました。聖書の世界で裁判は最高法院という場で行われます。人々はイエス様の不利になる証言を行い、ローマから派遣されている総督ピラトの下に連れて行くのであります。ピラトは主イエス・キリストを調べますが、罪にあたることが認められないので赦そうとします。しかし、人々は十字架につけよと叫ぶのです。もし、赦すことになれば暴動が起きかねない状況になりました。ピラトは十字架につけることにしたのであります。
 そこで今朝の聖書になります。イエス様は十字架につけられました。十字架は悪いことをした人が処刑されるところなのです。主イエス・キリストは罪を犯したのではありません。時の指導者達の妬みによるものでした。神様はそのようにして御子であります主イエス・キリストが十字架で殺されていくことを承知していました。むしろ、イエス様が十字架で死ぬことにより、人間の奥深くにある自己満足、他者排除をイエス様の十字架の死と共に滅ぼされたのです。私たちが十字架を仰ぎ見るとき、私の罪をイエス様が赦すために死なれたということを信じるのです。まさに私達の明日へと生きる希望の原点なのです。
 金曜日の午後3時頃、イエス様は「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と言いつつ息を引き取られたのであります。神の子であるイエス様が、神様から見捨てられたと言いつつ息を引き取られたことに疑問が残ります。しかし、イエス様の十字架の救いはそんな安易なものではありません。神の子だからではなく、一人の人間なのです。そして、人間のさまざまな悪を一身に受けて死んでいくのですから、絶望の極みでありました。旧約聖書の哀歌では、苦難と悲惨な状況において、「主よ、御もとに立ち帰らせてください。わたしたちは立ち帰ります」と告白しています。この希望を持ちながら現実を生きて行くことが示されました。しかし、イエス様には希望がないのであります。完全な絶望でありました。この完全な絶望が十字架の救いを完成させたのでありました。主イエス・キリストの十字架の救いが完成されたのであります。神様の御心が実現されたのであります。私たちはイエス様の完全な絶望により、私の中にある自己満足と他者排除を滅ぼされた主イエス・キリストに希望を置くのであります。本日から始まる一週間、主イエス・キリストの十字架を仰ぎ見つつ歩むのです。

 4月と共に新しい歩みが始まりました。前週の5日は小学校の入学式で、早苗幼稚園の近くにあります大鳥小学校の入学式に出席しました。私は前任の幼稚園で30年間も園長を担っていましたが、一度も入学式には出席しませんでした。祝電はそれぞれの小学校に送っていたので、それでよいと思っていました。ところが、こちらではすぐ近くの小学校でもあり、出席することにしたのです。大鳥小学校は98名の一年生であり、一年生の子供達も元気に返事をしていました。講堂の正面には日本の国旗、横浜市の旗、また大鳥小学校の旗が掲げられており、校長先生を始め、前に進み出でお話しする人は、皆一様に、その旗に向かって一礼をしていました。私は、ここで「君が代」を歌うとか、国旗に一礼をすることを問題にしているのではありません。小学校は日本の国の、横浜市の設立であり、基本の母体に対して一礼をする姿勢を示されたのでした。次々に挨拶する人が一礼をする姿を示されながら、教会で正面に飾られている十字架に対して一礼することは聞いたこともなく、見たこともありません。私も十字架に対して一礼したことはありません。十字架を示されて、まさに十字架が希望の原点でありますことは示されながらも、十字架に向かって一礼すること、深く示されています。前任の大塚平安教会に赴任してまもなく、大塚平安教会で新年合同礼拝がささげられました。その時、説教および聖餐式を司式しました。その時、配餐をされたのが相模原教会牧師の伊藤忠利先生でした。先生は皆さんに配餐を終え、最後にご自分がパンとぶどう酒をいただいたのですが、そこに跪き、パンをおしいただいて聖餐に与ったのでした。私はその姿勢が忘れられません。聖餐式への思いが変えられたのです。私達は十字架に一礼する習慣はありませんが、十字架が希望の原点でありますから、信仰を形で現さなければならないと示されているのです。
 今朝は2017年度の幼稚園教職員の任職式がおこなわれます。教会は人生の希望の原点を示すために、伝道していますが、幼児教育からその原点を示しているのです。そのため幼稚園を設置し、希望の原点を示して健やかな成長を励ますのであります。教会はその業を幼稚園の教職員に委ねているのであります。教会が幼稚園の教職員を選び、その職務を委嘱しているということです。今週からいよいよ幼稚園が始まりますが、教会は常に幼稚園の教職員をお祈りしていただきたい。教職員の皆さんは、教会の皆さんのお祈りに支えられているとの使命を深めていただきたい。そして子ども達に、人生の原点、十字架が希望の原点であることを示しつつ、職務を担いたいと示されているのであります。
 棕櫚の主日から始まるイエス様のご苦難は、十字架の御救いであることを喜びつつ歩む事を示されたのであります。
<祈祷>
聖なる御神様。十字架の御救いを感謝いたします。十字架が私達の希望の原点であることを常に示してください。主イエス・キリストのみ名によってお祈りいたします。アーメン。