ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

寶籤屋


 浅草の伝法院の通りを通りかかったら、見知らぬ店ができておりました。ここが以前何やさんだったのか、どうも全く覚えておりません。こういう見慣れない店ができたときは、一年間は昔ここはどんな店だったのか表示しないといけないとでもいう条例でも作ってくれないってぇと不便でしょうがないですなぁ。必ず横を歩いている奴に「おう、ここはなんだっけな?」「さぁなぁ・・なんだっけなぁ・・・」と終わろうというものでございますよ。
 で、何やかと思ったらなんと宝くじ売り場だてんです。年末ジャンボの最終日ですから今日はあっちでもこっちでも声をからしての大宣伝で、行く先、行く先の宝くじ売り場はどこもかしこも人の列ができておりましたです、はい。
 それにしてもこんなところに宝くじなのかぁ、と伝法院の皆さんに文句のひとつもいいたくなったんだけれど、よぉ〜くみると店の上の方にこんな札が三枚乗っかっているんです。これ、三枚とも落語に出てくる富くじのあたり番号なんですな、これで。
 右から「御慶(ぎょけい)」という落語に出てくる屋根屋の八五郎があてた「鶴の千五百四十八番」。そして真ん中が「富久」で「たいこの久蔵」が危うく火事でもしちまいそうになった「松の百十番」てんですが、これが噺家によって番号が違っております。志ん生だと「鶴の千五百番」ですね。小さんだと「鶴の千八百八十八番」だというわけで、ここでは文楽黒門町を採用したようでございますよ。左の「宿屋の富」は馬喰町の宿に来て大尽の振りをしてなけなしの一分で富をかっちまった男が当てたのが「鶴の千三百五十八番」だってえのを示しているわけでございましょうねぇ。これも志ん朝さんだと「子の千三百六十五番」てぇことになります。こんな札がついているんならこちらで購入と行けば良かったですねぇ。わたくしはもうどこで買ったのか、全く覚えておりません。皆様のご幸運をお祈り申し上げておきます。

商売は難しいねぇ。

 先日知ったのだけれど、アナログレコードの輸入販売会社が11億円の負債を抱えて自己破産手続きに入ったというニュースが先月初めに流れていたそうだ。今時アナログレコードを輸入している会社があったとは知らなかったけれど、例のいわゆる「DJ」といわれている人たちが回しては手でいじくったりして変わったリズムをたたき出したりしていた音源として使われていたんだそうだ。私がそんなものを知るわけもない。年に一度お会いしたりしなかったりという方がその会社の方だったのだそうで、びっくりした。
 そんなところで使われていたアナログレコードも今やデジタル化されて来ちゃっていたので、頭打ち傾向だったのだそうだ。私たちが普通に聴く音源ではそれでなくても今や通販でもがんがん買えるし、しまいには一曲だけダウンロードして買うことすらできる。がらっと変わってしまったのだけれど、これからはあっという間に置いてきぼりにされてしまう業界というのがいくらでもできてきてしまうような気がする。
 やっぱり最後までパソコンでどうにもならなさそうなのは、匂いのダウンロードだろうか。これができると「このオードトワレは2秒間押し300円でご提供!」なんてことになって、ボタンをクリックするとパソコンにUSBで接続したノズルから(全く非科学的で呆れるけれど)フワァ〜ンと2秒間噴霧される。で、明日は今度はこっちの香りを280円でふりまいて出かける、ってのはどうかなぁ。NINTENDOがWiiかなんかでやりそうだな。その節にはアイディア料を払ってね。

たまには

 寒い寒いと天気予報がいったけれど、昨日の暖かさが残っているのかそれ程寒さを感じない。たまにはなにか外で昼食にしたいなぁと思っていたものだから出かけてみた。
 浅草は今日まで「羽子板市」なんだそうで仲見世は横切るのがちょっと面倒なくらいに人は出ていたけれど、食べ物屋さんにはさすがに週末のように並んでいるわけではなさそうだった。尤も天麩羅の大黒家の前はいつものように人が並んでいる。別館に行ったら多分並んでいなかっただろうけれど、皆さんどうせなら角の店で食べたいらしくて、そっちに並んでいる。オレンジ通りにはなんだか変わったデコレーションができている。よく見ると大黒家の前に出ている提灯に「雷門 大黒家」と書いてある。あそこは普通雷門とは呼ばないけれど、なんかいわれがあるのかも知れないと思ってウェブサイトを見たけれど、それは書いてない。なんだか最近の浅草の中心部は人手に週末と平日の区別がないなぁ、と思ったら週末だったら必ず外に人が立っているラーメンの「よろゐや(今はなき実家のテーラーが鎧屋という名前だった)」には人は立っていない。
 食い物を決めて出たものだから銀座に到達しても地下から上がったらまっしぐらなんだけれど、あまりの人手にびっくりした。平日だというのに。多分外国からの観光客も結構いるんだろうとは思うけれど、平日の昼とは思えないほどだ。

 右の写真は浅草・大黒屋の天丼ではなく、銀座天一の天丼。松坂屋の地下一階に鮨屋、トンカツ屋なんかと並んでいる「天一」に入って天丼を頼む。ここはカウンターに10席ほどあるだけでいつもせいぜい二人連れ、殆どの人がひとりで暖簾をくぐってくる。だから原則として話し声はほとんどないし、皆さん、黙々とお食べになるからいつも静かだ。人の気配が消えてしまって静かになっているわけではなくて、ひょっとすると聞き耳だけは立てていそうである。先着のお客さんは4人だけれど、一番奥に2歳になるくらいの子どもを抱えたとても若い夫婦が天丼を食べている。その夫婦はここにこのメンバーで入ったのは多分初めてかも知れない。ひょっとすると結婚前に昼飯を良くここで食べたので知っているのかも知れない。この二人連れはどちらかが食べるとぺちゃくちゃと音を立てる。普通の店だったら気がつかないかも知れないけれど、ここではあまりにも静かなのですぐにわかってしまう。食べ終わったときの器や箸を見ると本当に今の人なんだなぁと思う。
 この二人も殆ど喋らないし、ひょっとすると外国人のカップルかと思ったらお代を払う段になったら日本語だった。この頃は東アジア人の皆さんは区別がつかない。私が舌鼓を打っているところに中年のご夫婦が入ってきた。ようやく静寂が乱れた。
 松坂屋の地下一階にはいつ行っても待っているお客の足が途切れない、「キッチン・スギモト」がある。とにかくいつ行っても人が待っている。通常私はここに入ってくるときは腹ぺこだから待てない。いつになったらあそこで飯が食えるだろう。「黒毛和牛すき重:税込525円」はやっぱり魅力だもの。帰りに階段から覗いたら「万惣フルーツパーラー」で窓際に座っておられた二組三人の女性が三人とも「万惣フルーツパフェ 税込1,050円」を抱え込んで楽しそうだった。私にはとても手が出ない。
 一気にブックセンターに行こうと思ったけれど、教文館に入ってみたら目的の本が見つかった。

東京裁判における通訳

東京裁判における通訳

  • 東京裁判における通訳」著者がスペインの大学で書いた博士論文を基に書き起こしたという面白い視点から見た東京裁判関連書。通訳に関しては疑問に思っていたところだったから読んでみたいと思っていた。それにしても戸谷由麻の大書「東京裁判」(みすず書房 2008.08)もそうだけれど若い研究者がこの分野を掘っているのが目立つ。山崎豊子の「二つの祖国」でも取り上げられた伊丹明もこの本の中で言及されている。

岸信介―権勢の政治家 (岩波新書 新赤版 (368))

岸信介―権勢の政治家 (岩波新書 新赤版 (368))

  • 岸信介」この著者は同じく岩波新書から「吉田茂」を出している東京国際大の先生である。ずっと前に出ていたのは知っている。しかし、著者のスタンスがいまいちわからなくて、手にしなかった。しかし、今回どんな切り口でも良いからざっと読んでみたくなった。岸も同じく獄中日記を残しているのだそうだ。

歴史和解と泰緬鉄道 英国人捕虜が描いた収容所の真実 (朝日選書)

歴史和解と泰緬鉄道 英国人捕虜が描いた収容所の真実 (朝日選書)

  • 「歴史和解と泰緬鉄道」中公新書から第27回石橋湛山賞を受けた「戦後和解」を出した小菅信子が加わっていることが興味をひいて手にした。日本軍の捕虜として泰緬鉄道での強制労働に従事させられたイギリス人が残した芸術性の高い、それでいて題材は悲惨な何枚もの絵を含んだ手記の翻訳である。翻訳はICU出身の翻訳家・根本尚美。最後に小菅と慶応大出身韓国世宋大・朴裕河ICU出身上智大の根本敬の三人による鼎談「泰緬鉄道とアジア」が収録されている。小菅は上智大出身で現山梨学院大

 京橋から友人に電話をしてみるとエクセルの住所録からのラベル印刷の方法がわからないというので、そのまま上がり込み、1000件のラベルを印刷完了して辞する。帰り道で馬生師匠と行き会い、今月29日の鈴本での鹿芝居、年明け11日の国立博物館での一門落語会のちらしを戴く。国立演芸場での鹿芝居はやっぱり来年も2月の由。今度の演し物はなんだろう。

まずい展開に

 参議院は本会議を開いて雇用対策4法案を野党の賛成多数で可決したそうだ。自公改革クラブは退席したと朝日新聞が報じている。与党はこれを衆議院で否決するという。衛藤晟一氏(自民)が「与党は法案にでなく、拙速な採決に反対だ。野党にも反対の声があるのに強行された」と発言したと同じく朝日が報じた。野党はどんどん次の手を打っていくつもりだ。こうなると益々与党は頑なになる。しかし、頑なになっている場合じゃない。世界恐慌に公式に対抗する議論が必要なんじゃないのか。といっても彼らは多分現場がどうにかすると思っているんじゃないのだろうか。このチャンスに倒す相手を倒すという局面を極めようとしているんだろうか。
 今この時点でやることの順位を考えたらそれは最初じゃないでしょ、といわなくてはならない。

史実

 「こっちにちがいない」という方向性を持った解釈傾向をもって歴史的事実を見ようとするのではなくて、歴史的事実を捉えたら、そこから解釈を公正に引き出さなくてはなりません、といわれてから読むようになるとどこに推測が入っているのか、どこから曲がったのかが多少見えるような気がしてきた。
 同じ史実を同じように捉えていてもそこから先が問題なんだなぁと。それでもその史実を取り上げている人がたったひとりしかいなかったり、それを取り上げている人をたったひとりしか見つけられなかったりすると、今度はその人がそれまで取り上げていた内容を傾向的に見定めてみる必要が生じるわけだけれど、この辺から私は推測を交える傾向にあるようだ。しかも、その人の他の場面での解釈傾向を捉えることができれば良いが、全くそんなものも見つけることができなかったとするとその先は推測すら出来ない。
 この命題はとても重要なのだけれど、人は往々にして書かれているペースにはまってどんどん通り過ぎていく。その解釈が右に行っていようと左に行っていようとそれが史実に基づくかどうか、という部分がとても重要だ。
 
 こういう観点で日本の昭和前期を眺め回すと、その史実すら客観的に検証する資料が払底しているようだ。そもそも私たちの国には近代に入ってからも国家的資料保全がなされるという概念がない。その上、戦争に負けたときに大量の国家的資料を廃棄焼却してしまった。戦争に負けて敵が上陸するという予想が立ったときに書類を焼却しろという発想はいったいどこから出て、どのように命令が伝えられたのだろうか。敵に見られるとどんなことが起きるかわからないからとその焼却が発想されるのだろうか。戦争というものは負けたら何をされるかわからないから何でもかんでも廃棄してしまえという発想なんだろうか。多分こういうことをいうと、戦争というものを根本的にわかっていないといって戦争を根本的に理解している人(いったいどんな人なんだろうか)から罵倒されるのだろう。
 今語られている戦前、戦中のわが国の仕組み、動きを伝える多くの資料の出所は圧倒的に米国の国立公文書館、あるいは各地の資料館である。しかし、それでも東京裁判の大量な尋問調書はあくまでも調書であって、誇張、あるいは故意に貶められた表現になっている可能性は充分にある。木戸公一日記にしても尋問にしても、田中隆吉の尋問にしても、どこまでが客観的事実なのかという点については賛否両論だ。
 最も面白いのは笹川良一巣鴨に捕らわれていた間の状況だろう。尤も彼は自ら掴まりたがったという話だ。尋問調書を調べた人の話によればべらべらと良くしゃべり、良く訴えの手紙を書いたらしいが、彼のために書かれた伝記とはその内容は大違いのようだ。妖怪三人、岸信介児玉誉士夫笹川良一は不起訴のまま釈放され、後に様々な場面で繋がる。もっと他にも同様に釈放された人間はいることを書いておかなくてはならないし、彼らは無罪が確定して釈放されたのではなく、簡単にいえば米国がもうそんなことに頓着していられないから裁判に熱がなくなって沙汰やみになったというのが史実だ。