ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

だから?

「今回の決議は、核兵器保有国と非保有国の対立を助長し、亀裂を深める内容になっていて、『核兵器のない世界』を目指すために双方が協力して具体的で実践的な取り組みを重ねる必要があるという日本の立場には合致しなかった」

 だから「核兵器を法的に禁止する条約の制定に向けて来年から交渉を開始するという国連総会の決議」に日本は反対だってんである。
 なんだかんだと屁理屈をつけても、日本という世界で唯一の被爆国で、核兵器が人間にどれほどのダメージを与えるのかということを目の当たりにしてきた国が、交渉を開始することに反対だってんである。交渉しないッてんである。
 これほどバカな話はあるまい、というか、安倍晋三自公維政権はまさにバカなんである。米国に盲従していればお家は安泰だと思っているのである。

休日の優先席

 行きの電車。右から40代の女性、マニキュアなんかしている女子中学生、40代男性、50代後半の女性、というラインナップ。皆さん、周辺で吊革につかまっている何人もの人を見まいとしているというか、知らん顔。一番左の50代の女性が降りて、ほぼ同年代の女性が座ろうとして私に譲ってくれようとしたけれど、明らかに私の方が元気そうで、「どうぞ」とお譲りした。他の三人は見えない、聞こえない。
 帰りの電車で私は優先席に二つの空席を発見したので、座った。向かいの4人席の左二人は50代前半と覚しき夫婦でその前に小学校高学年らしき息子が立っていた。その右に20代後半の女性が座っていた。一番右端の人が降りた。20代後半の女性が気を利かせて右端へ移動した。立っていた男の子がそこへ座った。なんの挨拶もなかった。譲った方はどう思っただろう。その子どもの両親は何もいわなかったけれど、なんで「お礼を言いなさい」と教えないんだろうか。
 途中から幼児を抱えた30代のお父さんが乗ってきたので、私は席を譲り、普通の席に空席があったのでそっちへ移った。そのお父さん、結局座らなかった。

 みんなして周囲へは知らん顔が普通の状態になった、美しい国です。

ちょっとちがう

 戦争中の出来事を私たちは戦争だったんだからなぁ、国民全体が狂っていたんだ、という解釈で終わらせてきた。だけどどうもそうじゃないんじゃないかという気がしてきた。その証拠に「あの戦争は間違っていない」という解釈を展開する人たちがその論理本を出版していて、次から次に「あれは本当はそうじゃない」という主張をしている。
 それにふと気がついたのは、稲田朋美が弁護を担当した「百人斬り訴訟」というものだった。多分よく知られている事件だと思うけれど、南京へ向けて日本軍が進軍する途中で、今でいう毎日新聞がふたりの将校が「百人斬り競争」をしようということになり、その百人の達成時点で勝負が付かず延長戦だという一連の記事にした。戦意高揚であり、暴支膺懲であると。しかし、そのふたりの将校の遺族が名誉を回復したいとして、毎日新聞とこの件を著作で引用した本多勝一を訴えたものである。
 この事件を知ったときに、私は「戦争中のことであり、多分この新聞が伝えたのは「日本は連戦連勝、進軍ラッパ高々と!」という例の大本営発表だろうけれど、事実としてやっていたのかも知れないな」ということだった。というのはやっぱり731部隊とか、南京大虐殺が報じられていたからだろう。この南京事件だって、そんな事実はなかった、あれは中国の捏造だといっている人だっていて、その趣旨の本がいくらも出ている。
 沖縄のガマの中で「子どもを泣かすな!」といって乳飲み子を殺したとか、地元の人たちを「スパイになる恐れがある」といって殺してしまったという話を聴くと、そうした行為に及んだ人たちは確信を持って発言している、様に思える。彼らは自分が助かりたいからこそ沖縄や、南方の委託統治領の先住民を見捨ててきた。自分たちは地元の人間よりも優先されるべき存在だと思ってきたのだ。
 その意識は今でも全然変わっていない。太平洋の各地に暮らす人たち、東南アジアに暮らす人たちに対する意識は今でも、日本人は彼らよりも先進する国家の民なのだという意識がないのかといったら嘘になりそうな気がする。
 それが沖縄の北部訓練地を返還してくれてありがとう!辺野古の海は埋め立てて良いよ、高江の森はぶった切っても良いよと中央政府が米国に媚びる遠因にやっぱりあるといわなくてはならないだろう。
 誰だってもうわかっていて、平然と見ている「日本の文化は凄いな!世界のどこにいっても日本人は凄いな!」というテレビ番組の連発はやっぱり異常だ。他に凄い文化も人も国もいくらでもあるのはとっくにわかりきっているけれど、今この時点に来て、これだけ連発するのが、あの書店の店頭に平積みされている「あの戦争は正しかった」の類いの出版物にまったく重なっている。
 もう、わかっているのに、皆がそういっているからそっちに与するのが楽だということのようだけれど、それは卑劣な捏造行為ではないのか。

 今朝の夢はその人が誰だかわからないんだけれど、女性(多分うちの人)となんだかやっつけ仕事で作られたような、荒れ地の中の細々したゴルフ場でゴルフをやるかやらないかで思案投げ首になっているというものだった。荒れたフロントへ行くとバイトの兄ちゃんがいて「いくら?」と聞くと4千円だけれど、5ホールしかないからこれ以上お客さんを入れるのはどうかと思うっていうんだよね。それにしても、なんで5ホールしかないのか良くわからん。持ち主が自分の趣味で作った5ホールなんじゃないの?

やっかいな

 友人連の中にノロ・ウィルスにやられた、インフルエンザにやられたという人たちがあちこちにいて、忘年会で集まったら必ずその中に何人か、そんな人たちの欠席がありますね。今日もひとり、ノロ・ウィルスで来なかった。そのうちにどっとそんなお釣りが自分のところにやってきちゃいそうで恐ろしい。
 やっかいといえば、集合住宅にも厄介な人がいて、どうも部屋の中にドレッドミルを持ち込んで「どっどっどっ」と夜な夜な走っているらしいのだ。それで「ひょっとしてお宅でこんな機械を動かしていませんか、もしそうだったら音を低減するとか、使う時間にご配慮ください」という手紙を入れたら、管理人のところへ来て「一体誰がそういってんだ!そいつを教えろ!」と怒鳴り込んできたらしい。自分のところでそうしたものを使っているのか、いないのかにはまったく取り合わなかったらしい。一体どういうことなんだろう。そうじゃないのであれば、「うちじゃないよ!」といえば終わる話じゃ無いの?

2016年12月23日のツイート