ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

クリスマス

 日本中のテレビやラジオの番組が「メリー・クリスマス!」と叫んでいますよね。歴史上はイエス・キリストの誕生日なんてどの日だなんて特定できていない、なんてことをいいながら、クリスマスをお祝いする言葉をあっちこっちで叫んでいますよ。素晴らしい!地元のスーパーマーケットでもローストチキンを山盛りにして売っています。あれ、売れ残ったらどうするんですかね?子どもの夢のために買うんでしょうか。チキンである理由もよくわかりませんけれど。
 うちも子どもが小さい頃はサンタクロースがやってくるといっていました。お父さん、苦労してサンタクロースのプレゼントを調達し、英語の手紙を書き、クッキーとミルクを用意して子どもを寝かせつけたものでした。それでも子どもはふたりともクリスチャンにはなりませんでしたねぇ。そりゃそうです、日本の人口の1%しかクリスチャンはいないんですから。
 だから日本ではこの日が過ぎるとあっという間にイエス・キリストのことなんてすっ飛んでしまいますね。結婚前に妻マリアのおなかに幼子が宿ったことに驚いたであろうヨセフのことなんて知りゃしないですよね。
 アイスランドにはサンタクロースじゃないかといわれるのが何人もいて、多分トロールのことでしょうけれど、12月12日からひとりずつやってきます。25日からひとりずつ帰って行きます。で、とうとうみんな帰っちゃうのが1月6日ですよ。この日を顕現日といっていますね。だから、クリスマス・ツリーもこの日まで飾っておかなきゃならないんですね。明日の朝眼が覚めたら、もう、クリスマスの「ク」の字もどこかに雲散霧消しているんでしょうねぇ。

 「クリスマスが物質主義に乗っ取られている(Christmas had been "taken hostage" by materialism, and that the season needed more humility.)」 by ローマ法王 こちら

降誕日

 昨日のイブ礼拝は満員の人出で、とうとうモニター参列しか許されない状態だったのでなくなく帰って来ちゃったので、今日はどうしても聖餐式に与ろうと行ってきました。時によってこの日が週末になることはありますけれど、日曜日に重なったのはいつ以来だったのだろうなぁ。いつもこの日が平日だと、築地木村屋というパン屋さんがあいていて、必ず、いろいろ種類があるあんパンの各種詰め合わせ5箇という奴を買ってきますが、これが銀座木村屋と違って、驚くくらいの種類の上にあんこがズッシリ。それを昨日参列できなかった代わりに買ってきちゃいました。こしあんに栗が入っているもの、白あんにリンゴが入っているもの、なんて凝ったものが入っているんです。その代わりに今日はもう閉まっていました。
 今日のお話は私の母校の学部長だった先生でした。世の中の「正しいこと」というのは現実には必ずしも正しいと人が思わぬことかも知れないし、「正しい」といっていることであることはほとんど難しいんじゃないですか、という話だったんです。「1+1=2で必ずしもあるわけじゃない」という話だった。あっ!そうか!そうだよなぁ!そんなうまいこと行くことが世の中に普遍的にあることじゃないし、1+1=1.02だってことなんていくらでもあるだろう。ハッとした。
 来週もあの先生がお話になるそうだからいってみたいなぁ、今日は終わった後でゆっくりお話しする余裕がなかったからなぁ。

担任

 私が入学した頃の母校には1・2年の間は一般教養といっていました。ま、いってみれば昔の予科のようなもので、それは今でいったらリベラル・アーツのまねごとのようなものだったのでしょう。その証拠に、経済学部だというのに、人類学や、生物、英語、独語、はたまた数学までありました。ま、今から考えてみれば、在籍している学生たちはまったくそんなことを考えちゃいないのに、如何にも経済学の研究者として育つための広い見識を学ばんとするものだったわけですが、表面的だったなぁと思いますな。
 で、その間には固定教室といって、日頃の語学系の授業を行う教室が指定されていて、そこには各学生の出席率を示す表示がされていました。つまり毎授業出欠をとっていました。しかも、驚くべきことに、担任の教授が指定されていたのです。学期の始まりにはちゃんとホームルームなんぞを開いておりました。その私たちのクラスの担任が今でもご健在のバロックの先生だった。その分野の研究者としては群を抜いた知名度で、NHKの番組にも未だに登場しているが、とうとう来年には90歳になるそうだ。
 先生は当時40代半ばで研究者としては脂の載った頃だから、そんな年端もいかない生意気な男ばかりのクラスにかまっている場合ではなかったのだろう、年に一二度しかお目にかからない担任だった。そのくせ「私はコンパは大好きだからいつでも声をかけたまえ」といっていたけれど、一度としてご光臨を賜ったことはない。挙げ句に、参加したサークルの顧問をしてくださっていたのだけれど、グリークラブは指揮し続けておられたけれど、こっちの活動にはこれまた、一度もご光臨いただけなかった。
 その割には学校からお帰りのお姿はよく拝見したものだけれど、その節は必ずといって良いほど、煌びやかな女子学生たちを周りに纏わせながらお帰りだったことを思い出す。お元気なお声をラジオでお伺いする度に、そんなことを思い出す日曜日の朝だ。

起きたね

 昨夜はVikings対Packersの生放送があったので、午前3時くらいからテレビの前にいて、Green Bayが二つ目のTDを奪うまで見ていた。そのあとすぐに寝たのだけれど、午前8時過ぎには眼が覚めた。つうことは5時間も寝ていないのに、眼が覚めたことになる。よく目が覚めたものだと不思議。しかし、このまま築地にいって眠くならないものかと心配だ。

2016年12月24日のツイート