日本人の勤勉さの系譜

儒教国家神道


教育勅語儒教的で、国家神道の教育装置と機能した。主にあるのは、天皇を中心とした日本人のナショナリズムの想起である。富国強兵体制を推進するには、国民へ強いることが多々あるが、邁進するために国家神道という印籠が必要とされた。かつて植民地主義キリスト教正義の布教として正当化されたように。この緊張感を生み出しているのは、日本人の系譜である。太古より連続する系譜をあなたも紡いでいる。この幹の芯が天皇である。

神的起源をもつ天皇と国民の間には通常の国家とは異なる深い神聖な絆があり、古来、この絆に基づき王朝交代のない国家体制が守られてきた。これを「万世一系の国体」とよび無比の尊い伝統だ。
国民は皇室祭祀に参与し国体思想に基づく道徳を身につけ、天皇への崇敬心(すいけいしん)を育んでいくべきだ。−−国家神道の正統的な表現を想定するとすれば、このような信念の体系になる。P58-59

国家神道と日本人 島薗進 岩波新書 ISBN:4004312590

教育勅語 現代訳

私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。そして、国民は忠孝両全の道を全うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、見事な成果をあげて参りましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。 
国民の皆さんは、子は親に孝養を尽くし、兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲睦まじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じ合い、そして自分の言動を慎み、全ての人々に愛の手を差し伸べ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格を磨き、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また、法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。そして、これらのことは、善良な国民としての当然の努めであるばかりでなく、また、私達の祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、さらにいっそう明らかにすることでもあります。
このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私達子孫の守らなければならないところであると共に、この教えは、昔も今も変わらぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国で行っても、間違いのない道でありますから、私もまた国民の皆さんと共に、祖父の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように、心から念願するものであります。




近代の格差社会と勤勉さ


明治初期、庶民はほとんどが農民だった。明治維新になっても本質は変わらない。土地が自らのものになったのはアメである。代わり始めるのは、地租税の改訂である。財政難の政府は、産業推進もあり、農民への税の負担を上げる。多くの農民が土地を持っている故に税を払えず、手放す。地主層と、雇われ農民の格差が生まれる。また金を持つ物は事業を始め、貧しい人々を雇うが、その労働条件は過酷だった、近代化の格差が、日本を変えていった。江戸時代の藩主の徳政は失われ、ドライな近代国家システムがあるだけだ。抵抗運動として、自由民権、労働運動、社会主義。西洋と同じ構図が生まれる。

その中で、儒教国家神道は大きな歯止めになる。革命へ向かわなかった一つは、国家神道によるナショナリズムがあったからだ。そのためには、国家高揚としての戦争は必要だった。そしてさらに大きな役割をしたのが、資本主義化の中、職が流動化するなかでも、与えられた仕事を全うしようとする勤勉さである。この庶民の勤勉さがベースとなり、激動の資本主義化、そして富国強兵を推進できた。

明治末期、革命思想まで行き着いた中で、会社、そして国家は家族主義へ取り入れる。経営家族主義は儒教的である。経営者は父、従業員は子。しかしそこに従業員の生活を保障することの経済的な効果がなければ、困難である。従業員を子として雇うことで、代替が利く単なる労働機械ではなく、自主的な改善が行える労働者として、継続する雇用にメリットがある。そこにあるのは、費用対効果を超えて職を全うする勤勉さである。家族主義は国家運営にも活用されて、日本人の躍進の基礎となる。

それは、通俗道徳的生活規律は封建思想・前近代思想一般に解消すべきものではなく、近代社会成立過程にあらわれた特有の意識形態であること、この意識形態は、支配階級のイデオロギーである儒教道徳を通俗化しつつ村落支配者層を通じて一般民衆にまで下降せしめたものという規定性をもちながら、しかもじつは民俗的習慣を変革させて広汎な民衆をあらたな生活規範−自己鍛錬へとかりたてる具体的な形態であったことなどである(49-50頁)。

日本の近代化と民衆思想 安丸良夫 平凡社ライブラリー ISBN:4582763065




日本人の勤勉さの起源


このような勤勉さは、誰から教わったのか。国家神道教育勅語以前だろう。江戸時代の経済発展の中で、すでに育まれていた職分論がある。

もう一つは、仏教から来る職分論である。みながそれぞれ世の中にために職分を全うすることで世の中が栄える。そして武士もまた一つの職である。将軍も天皇に与えられた征夷大将軍という職である。武士は将軍から下りてきた家職を与えられて、全うする。これは士農工商を水平な関係として捉える。

特に江戸時代の平安は、人口増加、経済成長という新たな状況を生み出す。元禄期には特権的な商人達が豊かになり経済が成長し、さらに農民たちも生産効率が向上して豊かになり、農地に負荷される年貢とは別に商品経済に参入していく。享保以降の幕府の倹約を中心とした経済政策は、主導権を武士に取り戻る目的があった。しかし結局は経済成長の波は武士の統治を越えていく。石田梅岩の心学による勤勉、職分主義が広がるのは、武士の統治による名分という縦関係に対して、勤勉により豊かになれるという職分による横の関係が強まっていることを表す。


武士道とはなのか - 第三の波平ブログ
http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20161212#p1