Rocco's log ~プログレ好きの警備員 trader with 社労士~

社労士試験、投機関連(大阪金先物が中心)その他諸々。このブログのトレードに関する箇所は、僕の勝手な相場観を書いています。価格も僕の予測に過ぎません。内容の正確さに最善は尽くしていますが、一切の責任を負うものではありません。売買は必ずご自分の判断で行って下さい。また、記事中で氏名の敬称は原則として省略しています。ご了承ください。

05/01 4月の月間損益 +20.3万

4月は、終ってみれば何とか20万の月間利益は確保できた。金額的には今年に入ってからの水準だ。しかし今、売買履歴を確認しながら4月の過去ブログを見ていたが、特に月中以降がバタバタだった。しかもこの勝負、まだ決着がついていない。

少しおさらいすると、、、。

月の半ばに大きな両建を組み、その後、4/23に売玉を決済して若干の利益とした。結果、買玉だけが残る形となったが、4/27に内3枚を利食った。GWに入るが祝日取引も行われるので、利食い指値だけは入れておいた。

そして問題の4/29。朝少し遅く起き、洗い物をまとめてコインランドリーに運んで行った。ところがだ。同じようなことを考える人は多いんだな。いつもは閑散としているのに、この日は全機のドラムがフル回転。待っている人もいる。腹が減っていたので、洗い物だけ店内に残し、デニーズに行くことにした。店に入る直前にスマホを見ると、160円という数字が、いきなり飛び込んできた。「落ち着け」と自分に言い聞かせながら、建玉を確認。先限ベースでは指値を突抜けていたが、僕の持玉は既に5番限になっていた。確認すると、、、指値に届いていない。今思うと、この段階で成行に変えて仕切ってしまうべきだった。しかし「この勢いならじきに指値を食うだろう」と考え、様子を見ることにした。この判断が死を招いた。直後に日銀介入(?)があり、金価格はその後の60分で300円下げた。結局、利食うどころかナンピンを重ねることになってしまった。

店を出て、トボトボ歩いてコインランドリーに戻ると、僕の置いた洗い物を残し、中はガラガラ。操作していると変な外国人が話しかけてきた。どうやら使い方がわからないらしい。この野郎、オレがどういう状態かわかってねーのか?(わかっているはずはない)。しかもこの日はこれから警備の仕事に行くことになっていた。まったく大変な日だったよ。

 

これで今年も1/3が過ぎた。この間のトレード収益は月平均約20万。月収全体に占める割合で言うと約40%だ。でもこれでは、職業をきかれてトレーダーと名乗るにはちょっと恥ずかしい気がする。せめて月収(年収)に占めるトレード収入の割合を50%超にはしたい。それからもう一つは、勝ち方。今のように苦し紛れのナンピンや両建てであっても、勝ちは勝ちなのだが、きちんとしたデイトレード、あるいは2日程度にわたるスイングで勝ちたいね。

それから、これらの目標が達成出来たら、アーロンチェア(或いはこれに類する高機能チェア)を購入したい。僕はその昔、ある家具屋でこのチェアに座って、「これに座って仕事をすることを人生の目標にしよう」と考えたことがあった。それほどのチェアなのだ。僕はトレードを生涯の仕事と決めているので、納得の行くトレードができるようになったら、一度くらい自分に褒美を買っても良いだろう、と考えている。その対象物が、アーロンチェアだ。

もしこれを読んでいる若い読者がいたら、連休中にでも、どこか大きなデパートか家具屋に行って、アーロンチェアに座ってみるといい。良い仕事(トレード)がしたくなること請け合いだ。

『グレッグ・レイク自伝 ラッキー・マン』(シンコーミュージック・エンタテイメント刊)読了

プログレッシブ・ロック史上最高のボーカリストは誰だろう? ジョン・アンダーソン、ピーター・ガブリエル、ボズ・バレル、ジョン・ウェットン、イアン・アンダーソン、、、。女性ならアニー・ハズラム、ソーニャ・クリスティーナ、、、。

だが、今回の主人公であるグレッグ・レイクの名を挙げる人も多いのではないか(或いはジョン・アンダーソンと1,2を争うか、、、)。

 

本書の刊行は23年7月。図書館に入るのを待っていた。この歳になると、モノは増やしたくない。以前は欲しい本は間違いなく購入していたが、今では図書館の本は住民の共有財産(つまり僕もその一部を所有している)と素直に考えられるようになった。でも僕は、講師時代からのクセなのか、よく本のページを折ったり書き込みをするのだが、当然ながら借りた本にそんなことは出来ない。なので自分なりの代替案として、弱めの粘着の付箋にページとポイントを書いて貼っていたら、先日図書館の職員にそれもダメと言われた。どうやら、きれいに剝がせなかったり、破けてしまうことを危惧しているらしい。あれもダメこれもダメ、で子供時代を思い出したよ。小学校の教員曰く「食べながら道を歩いてはダメ」。これには違和感を持った。子供心に、一度に食べる行為と歩く行為をするのだから、効率がいいだろう、と思ったのだ。また別の教員曰く「一人で映画館に行ってはダメ」。映画(後に「コンサート」も)は観たいときに行くのが一番だ。なぜ禁止するのか。小学校中学年だった僕はこれらに明確に違反した。意味のない規制だと思ったからだ。

レイクの人となりについては、これまで様々な記事やインタビューで何となく人物像を作り上げてはいた。本書を読んでそれがそんなに外れてはいないことが分かった。楽観的で、合理主義者で、寛容で、人がいい。ふざけるなと言われそうだが、僕も同じだ。レイクとの違いは、音楽的才能と財産の額だな。

この自伝では幾つか知りたいことがあった。まず、キング・クリムゾンの結成に至るまで。レイクはロバート・フリップと一緒にギターを習っていたので、互いの実力は良く知っていた。しかし、フリップはギターを他の者に譲るつもりはなかったらしく、レイクにかけた誘いの電話では、リード・ボーカルとベースを依頼した(P62~)。この辺りを読むと、初期のクリムゾンを音楽的にまとめていたのはイアン・マクドナルドでも、メンバーを集めたり、という対人的な部分はフリップも一定の役割を担っていたことがわかる。クリムゾンは後年、フリップのバンド、という認識で捉えられることが多くなるが、その萌芽はこの頃からあったのかも知れない。

ファーストアルバム『クリムゾン・キングの宮殿』は最初、ムーディー・ブルースのプロデューサーであるトニー・クラークが担当するということで、クラークがムーディーズのメンバーとともにクリムゾンを聴きに来た時のことも書かれている(P69~)。別の本で、この時のフリップの言を読んだ。曰く「我々におそれをなした」。本書でレイクはそうは書いていないが、意味するところは大体同じだ。「(ムーディーズの面々は)私たちのバンドの激しさを受け入れる準備が出来ていなかった(P70)」とレイクは語っている。

まぁ、歴史にタラ・レバは無いが、この時点でムーディーズがもう一歩踏み出していてくれれば、メロトロンを駆使する2大バンドのかかわりはもっと深くなったのに、と思ってしまう。

結局クリムゾンのファーストアルバムは大成功したにもかかわらず、ツアーではなくスタジオでの仕事に専念したいと、イアン・マクドナルドとマイケル・ジャイルズは脱退してしまう。そんな中、レイクに会いたがっている人物がいた。キース・エマーソンだ(P95)。

ELPの章では1972年7月の初来日公演のことが詳しい。P180にハモンドオルガンに日本刀を突き刺すエマーソンのパフォーマンスの様子が載っている。レイクは「とても詩的な光景」と書いているが、僕も当時、「ミュージック・ライフ」誌(だったと思う)でこの時の紹介記事を読んだが、正直、ピンとこなかった。当時、ビートルズは聴いてはいたが、本格的にロックを聴くようになるのは、もう数か月後だ。

その後プログレを聴くようになって、クラシックの原曲をもとに、ELP風のアレンジを施していく、という彼らのアプローチが徐々に気になりだした。こういうアプローチは、僕はほとんど聴いたことは無かった。ムーディーズなど、他の多くのバンドは自作曲にオーケストラを被せる手法をとっていたが、ELPのアプローチは、それとは真逆。本書にもあるが、彼らが欧米のクラシック作曲家の作品を下敷きにして、自分たちの音楽を構築していることについて、作曲者が存命の場合、編曲について許可をとる必要があるようなのだが、その時のエピソードが書かれていて面白い(アルベルト・ヒナステラの「ピアノ協奏曲」についてP195、アーロン・コープランドの「市民のためのファンファーレ」についてP232~)。エマーソンの自伝は未読だが、この辺のことについて何か書いてあるのかな。読んでみたくなった。

2016年3月にエマーソンが自殺したときのことについて、「ショックを受けたが、正直、青天の霹靂だったとは言えなかった」として、レイクなりの分析を加えている。それは「エマーソンの持つ、暗く臆病な面が、晩年彼に付きまとうようになってしまったのではないか」というものだ(P323~4)。そして驚くのは、同じ章で、自身が末期のすい臓がんに侵されているということを、ついでのように書いていることだ。そしてその直後、「私は恵まれていた」「私は幸運な男(ラッキー・マン)だった」と自作曲にかけて終っている。

 

好きなアーティストの自伝を読み、彼らの曲を聴きながらブログにまとめる。商品トレードの方は介入のおかげでメタメタだが、下げたものはいつかは上がるだろう。悪くない人生だ。

 

04/26  大阪金ミニ先物 +745.5円

  1   04/13  01:25  11718.0B  →  04/26  13:25  11724.5S     +     6.5 ×3

  2   04/13  01:57  11675.0B  →  04/26  13:25  11724.5S     +   49.5 ×3

  3   04/13  03:59  11532.0B  →  04/26  13:25  11724.5S     + 192.5 ×3

ここ最近、両建の話を書いてきたが、4/25の記事でこの両建玉の内、売玉を全て仕切り、差引で若干の利益を得た。そして今回(1~3)は、残った買い玉の一部を利食うことができた。この日は日銀会合の結果発表と総裁会見があることから、金価格も午前は大きな動きは無かったが、午後零時を過ぎて価格は上に動き出した。

実は夜間取引時に、ピボットを考慮して11728で指していたのだが、価格は3円及ばず下げに転じてしまった。そこで夜間高値より一文下(11724.5)に仕切注文を出し直したのだ。この値段にした理由は、

1 日中取引の値幅は、その前の夜間取引よりも狭い可能性があること 

2 マーケットプロファイル的にベルカーブで見ると、後の時間帯に移るにつれて、動く値幅が狭くなる傾向があること

この辺りだが、今回は午前中は前記のように日銀会合の結果待ちだったので、とりわけ動かなかった。

 

実はこの日も仕事で、利食い時刻の13:25には通勤電車の中だった。会合結果の第一報が入ったのか、価格は既に上に動き始めていた。スマホでも注文値段の変更は可能だが、ちょっと面倒だ。そのため、しばらく板を見ていたが、上記の時刻に僕の出した仕切注文が食われた。価格はその後も上伸し、11750近くまであった。自宅のPCで取引していれば指値を上に変更したかもしれないが、これは仕方ない。それよりも2週間保持し続けた買玉を一部とはいえ利食えた安ど感の方が強かったな。

 

現在、4/27の03:20だが、価格は11860を超えてきた。ドル円は157.75! この分だと週明けの祝日取引では全値戻しを達成し、12000円を狙うのか??? 残った買玉の指値はまだ入れていない。祝日取引の状況を見て決めようと思う。

マイク・ピンダー死去

ムーディー・ブルースムーディーズ)の創設メンバーで、ロックにいち早くメロトロンを導入したことで知られるマイク・ピンダーが、4/24に死去した。享年82。

この人については既に本欄でも書いたように、僕の音楽遍歴に大きな影響を与えた人だ。はてなのニックネームの「ピン」も、pinderから拝借した。もっとも、トレーダーとしては「ピン」(1枚)を大切に、ということを常に考えるようにしている、ということもあるが。

1967~72年の間に発表された、いわゆる"コア・セブン"といわれる7枚のアルバムで、ピンダーのメロトロンは大活躍する。僕がムーディーズの音楽を知ったのは1972年で、"コア・セブン"の最終期に少し被る程度、リアルタイムとしては言わばギリギリの時期だったが、彼らの音楽を聴けて本当に良かった。もちろん、これからも聴き続けるだろう。

それから、無いものねだりになるが、ピンダーがもし70年代後半にムーディーズを脱退していなかったら、以後のムーディーズサウンドはどんなものになっていただろう?

聴いてみたかったな。また、2010年代にキング・クリムゾンが新解釈による旧曲の演奏をライブで行っていたが、ムーディーズにも、こういうことをやって欲しかった。全く、無いものねだりが多くなってしまったが、それ程、このバンドのファンだったということだ。

レイ・トーマス、グレアム・エッジに続き、ピンダーも逝ってしまったことで、"コア・セブン"期のメンバーは、ジャスティン・ヘイワードとジョン・ロッジだけになってしまった。この二人は、まだ現役で活躍しているのは嬉しい。

 

メロトロンの開拓者よ、安らかに眠れ。

 

04/23 大阪金ミニ先物 +28.5円

  1   04/13  04:20  11522.0S  →  04/23  10:29  11587.0B     -   65.0 ×2

  2   04/13  04:20  11521.0S  →  04/23  10:29  11587.0B     -   66.0 ×1

  3   04/13  04:20  11521.5S  →  04/23  10:29  11587.0B     -   65.5 ×2

  4   04/13  04:20  11522.5S  →  04/23  10:29  11587.0B     -   64.5 ×2

  5   04/13  04:20  11523.5S  →  04/23  10:29  11587.0B     -   63.5 ×1

  6   04/13  04:20  11523.0S  →  04/23  10:29  11587.0B     -   64.0 ×1

  7   04/17  21:27  11791.0S  →  04/23  03:09  11587.0B     +204.0 ×3

平均売単価は11589.375。

最近ずっと両建玉の話を書いてきたが、04/23の03時台と10時台の2度に分けて、上記のように12枚の売玉を全て決済した。仕切値は全玉同値(11587.0)だが、7だけが03時台、他は10時台だ。

金価格は高値を付けてからはやや軟調に推移し、実体は僕の平均売単価と平均買単価の間で推移。なかなか仕切るチャンスが無かったが、価格は04/22の日中取引辺りから、ようやく軟調気味となってきた。この辺りではもう、売玉全ての利食いは難しいと考えていた。軟調気味と言っても、価格はまだ11800円台後半(04/22日中取引開始時)。早々に11500円どころまで、300円以上も下げるとは思えなかった。そこで上記平均売単価を目標値に設定。これをやや下回る位置(11587.0)に指値を置くことにした。日が変わり04/23に入るころには、価格は11620前後まで下落してきたので、高値で売った上記7だけをこの値段で指し、1~6は、この段階では指値を入れなかった。売玉なので仕切値は低ければ低いほど良い。この時はまだ下がありそうだったので、なるべく実体が売玉値段(11522前後)に近づくことを期待したのだ。

結局この日(04/22)も翌日も仕事だったので、この後すぐに眠ってしまった。04/23は8時頃目が覚めたが、スマホを見ると高値の売玉3枚は決済されていた。チャートを見ると価格はその後若干戻しているので、この後直ぐに始まる04/23日中取引ではあまり下がらないかも知れない、と思い、1~6の売玉も7と同値に利食い指値を置くことにした。日中取引は予想通り夜間終値より小高く始まったが、10時をまわって若干弱含み、指値の11587.0がヒットし、売玉は差引28.5円のプラスで終えることができた。しかし、問題はこの後すぐに発生した。この段階で僕の持ち玉は買玉のみ。すでにこの時点で高値から350円下げている。これ以上は下げて欲しくない。しかし相場がそんな思いを聞いてくれる訳もない。この10分後から怒涛の下げが始まった。価格は僕が仕切った後の30分で170円下げた。もう買玉しか保持していないので、損失はどんどん膨らむ。結局、口座資金が底をつき、追証の請求を頂くこととなった。

よりによって、何故僕が売りを仕切った直後に下げ始めたのか??? ニュースでは鈴木財務相の発言が流れていたが、理由は後付けで何とでも言える。それにしても、財務相や財務官とは折り合いが悪い。追加資金の入金は04/23の帰宅後に済ませた。

相場はその後、今(04/25 00:10)に至るまで緩やかに戻しているが、今週末は重要指標発表や日米のイベントが目白押しだ。もうすぐGWだが、祝日取引が出来るようになって良かった。この制度が無ければ、価格が逆行したときの対処方法が無く、ただ指をくわえて見ているだけだったからな。

 

 

04/16~19 大阪金ミニ先物 +20.5円

  1   04/16  03:22  11743.5B  →  04/16  03:36  11750.5S     +     7.0 ×2

  2   04/16  03:22  11744.0B  →  04/16  03:36  11750.5S     +     6.5 ×1

この時、相場は短期的には11650円どころから11800円レベルへの強い上げ道中。なのにこの程度で引上げてしまったのは、仕事帰りで疲れていたのと、両建のバランスが崩れてしまうことに対する心配があったからだ。万一、この後に何らかの対処をせまられた場合、睡眠時間に食い込んでしまう。しかし、この時の相場の趨勢を考えれば、むしろ買いを多めにしておく方が良かった。こういうことが全く考えられなかった訳ではないが、既に両建て玉が多かったので、買い玉を増やすことによる平均買単価・損益分岐点の変動の計算をなおざりにしてしまった。恥ずかしい限り。

まぁ、1回でも相場に入って、勝って終りたい、という気が強かったのだろう。そういう意味では、あまり意味のないトレードだった。

 

今週完結した取引は、何とこれだけだ。理由は二つ。まず、最近ずっと書いているように、結構な枚数の両建て玉を保持しており、その処理がまだできていないこと。もう一つは、仕事のため、平日の日中から夜間までのまとまった取引時間がほとんど取れていないこと。ただ、これら二つに対し、自分なりに対策は取る積もり。時間はかかるかも知れないが。

 

『87歳、現役トレーダー シゲルさんの教え』(藤本茂 著 ダイヤモンド社)読了

多くの書店で平積みになっていた話題の本。昨日も書いたが自分の相場は現在、動くのを待っている状態なので、昨日今日でこの爺さんの著書を読んだ。株式トレードの本で、商品先物ではないのだが、テクニカルや資金管理など重なる部分も多い。一気に読めたね。

まず、87歳で現役、というのが凄い。個人的には、90歳までFXを取引していた女性トレーダー(残念ながらもう亡くなられた)を知ってはいたが、年齢的にはその人の次くらいに高齢だ。でも、表に出てこないだけで、高齢トレーダーは結構いるのではないか、と読後に思った。

冒頭に著者の一日のスケジュール表が載っている。何と、2時に起床、20時に就寝。その間ほぼ、相場づけの生活だ。

Part 1 では、著者の生い立ちからバブルの生成とその崩壊、ネット取引との出会いまで。ペットショップ勤務時代に株を知り、その後、雀荘の経営で成功、この雀荘を売り、専業投資家になったのが1986年。バブルの前夜だ。バブルの波に乗って資産を10億まで増やしたが、崩壊でそれが2億に減ったと書いてある(P41~)。しかし「2億もあれば仕事をしなくても生活できる」と書いてある通り、奥さんと旅行したり、とても資産を激減させた人とは思えない行動をするのだ(P43)。この辺のメンタルの強さはトレードには必須なんだろうな。

Part 2 では、著者のトレードづけの一日が、詳細に紹介される。特にP104以降では「全部見せます! ある日の取引」として、銘柄・株数・損益が一覧で示される(この日の実現益は47万円超!)。更に、使っている証券会社とパソコンの詳細が明かされるが、スマホを持っていないのには驚いた。

Part 3 では、著者独自の売買ルール(P136~)、よく使うテクニカルの解説(P155~)が書いてあるが、後者については特殊なことは何も書いてない。RSIなど、特徴的な使い方をしているのか、と思っていたが、全然普通である。ということは、この人は売買センスが良いのだろうな、などと考えてしまった。

Part 4 では、株式売買について、心理面・技術面から考察している(P200~)。「見せ板」や「IPOセカンダリー」などの話も出てくるので、今現在トレードしている人向けのところかもな。

Part 5 では、健康面も含めた本人の日常が書かれている。ここで、02年に著者が関西のローカルテレビに出演したとき、ある学者に「不労所得で儲けようとせずに、ちゃんと働け」と言われた話が出てくる。あるあるだね、この手の話は。それでいて日本人は、ウォーレン・バフェットの話には無批判に飛びつく。欧米の投資家が日常的に利用している先物市場やローソク足が日本人の発案であることも知らずに(多くの日本人は未だに知らないだろう。教育の機会もほとんどないしな)。

ところで、本書には「コラム」が幾つか挿入されているが、「ラルフ・ビンスの実験」がP200に出てくる。このエピソードは僕もどこかで読んだことがあるが、著者も知っていたのだ。いや~、勉強してる、負けられないな~。