祭りばやしが聞こえる

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力の抜けすぎた寅次郎のシリーズをみてしまった直後九州のテキ屋さんたちに密着したこの番組を観て、なんたる差となってしまった。終始退屈させないし、その上詩情。木村栄文さんの名前は聞いたことがあったが、はじめての体験。

もちろん口調は渥美清のあの調子と似ていて、渥美清の勉強っぷりに感心もしたのだが。また、途上のテキ屋さんの口上への兄貴分のダメだし、「間が悪いからお客の心をつかまない」というのをきいて、確かに客が冷静になってしまう何か変な間があったな、あそこにうまいサクラでもおれば・・と思った瞬間、寅次郎のシリーズで彼の精神的支えになっている妹の名前がサクラであることにはっとなった。そういうことか・・

やくざ稼業との境界線がなんとなくあいまいで素人にはわかりにくい業種っていくつかあると思うんだけど、テキ屋もそのひとつであり、それについても触れられていた。

そして、どうも怪しい商売だぞ、みたいなのも怪しさがわかる感じでの紹介。普段みているNHKの「よみがえる新日本紀行」ではここまでの踏み込みはないな・・なかなかみさせる番組。

公式チャンネルによる公開がありがたい。

寅次郎と殿様

 

 

大好きなアラカンが殿様役で出演、その執事に三木のり平。ここまでは嬉しかった。ちょっと出て来る青戸の商店街もいい。しかし脚本が荒っぽい。いくらなんでもあんなんだとお話にのれない。もうちょっとこういうことあるだろうなあくらいの展開にしてほしい。ヒロインとのいつもの展開でさくらが感極まるくだりもなんでここまで?という感じで定型の上にあぐらをかいているような流れ。アラカンの長男平田昭彦(目を引く風貌)からの横槍でとらやに持ち込まれるお金の行方も中途半端。演技陣や撮影はちゃんとしてる。前半はまあまあ面白かったのに後半は定型をこなしてるだけみたいに。脚本と監督の責任だろうな。

その昔*1内子に行った時旅館にこの映画の撮影のためにメンバーが泊まった写真をみた。帰ってすぐ観ようと思っていたが、同行した家族と一緒に観たほうがいいなと思い途中で止めた。そこからずいぶん時間がかかった。泊まった旅館 松之屋もその間に閉業したらしい。今回家族と一緒に観たら、最後の方まで既視感。最後の方まで観ていたのか?それともそういうものなのか・・

無法松の一生(1958)

 

バンツマ版(1943)*1ははるか昔にみたことがあったが三船版ははじめて。

バンツマ版の時の宮川一夫カメラマンの仕事が素晴らしかったもので、ちょっとそれが頭の中でがっちり伝説状態にもなって、少し懐かしんでしまうようなモードにもなったが、三船敏郎高峰秀子の魅力は十分。

三船敏郎、大きな体の躍動感、そしてかわいらしさ、愛嬌というものがあると思う。

戦前版は松五郎の、吉岡未亡人へのほのかな想いの部分が、軍人の妻への想いなんて不謹慎なとカットされたときいていたもので、今回観る前からそこの部分はどんな感じになってるのか、あんまりそこがはっきり描かれていない方かいいなと警戒したが、そこはほんとに仄かで済んでいてよかった。

戦後版はキャストも知った顔が多く豪華。芝居小屋の受付多々良純、芝居小屋の胴元笠智衆、飲み屋の親父左卜全、松五郎の住む木賃宿的なところの管理人飯田蝶子

戦後版は戦前版でカットのエピソードが前述の想い以外も増えていたと思う。監督としては得心がいったのでは。悪くはないのだけど、自分は今のところは戦前版の方を推すかな。

かづゑ的

www.beingkazue.com

長島のハンセン病療養所で老境を迎えるかづゑさん夫妻

読書と書くことに支えられた知的でユーモアのあるかづゑさんの言葉で映画が支えられ、全く構えずに鑑賞できる。

なくなってしまった指先をことごとしく取り上げるのでなく、そこまでどんなにこの指が働いてくれたかを語るかづゑさん、そこからどう暮らしをしていくのか誠実に追っていくカメラ。

「小島の春」*1の物語のあと着いた先ではこんなことがあったのかと思うような話も出てくる。

障害や社会問題が背景にある作品、観ている人たちと対象がどう違ってどう偉いか、観客も敬してる風で遠ざける、そんな古くて重い悪いイメージで構えてしまうこともあるかもだが、そんな心配とは対極にある作品。自分や周りのものの老いてからの時間とすっかり重ね、笑いそしてぐっときながら鑑賞。良い時間を過ごせた。

構えなしで観られ自分に向けられた作品と感じた。

夜明けのすべて

www.audible.co.jp

 

これもオーディブルで。

三宅唱監督による映画化がとても評判のいいこの作品、映画は未見だが、パニック障害になる登場人物が出てくるとのこと。自分も近しい大切な人が複数かかったものでどんなものか聴いてみたくなる。

もう一人出てくるのがPMS月経前症候群)の登場人物。PMSのときに怒りの発作が出る人で、怒られ耐性の低い自分にはこの場で怒られていたら堪らないなあと思うようなエピソードが綴られ怖気づく。が、二人の登場人物を行き来するこの作品、パニック障害の男性の項になるとぐんと理解しやすく引き込まれる。

全く対照的な二人、自分はパニック障害の人物のいうことにもっともと思い続けたのだけど、PMSの女性の、自分には驚くような行動がなければ何も結実しなかった。PMSといえど出方はそれぞれで、ここに書かれているのはこの登場人物の個性をベースにした行動で、つまり、病気を描くことがメインではなく、自分とはまるで違う他者と交差すること、がテーマだろうな。

だけどやはりパニック障害についてじっくり描かれているところは身近に生きるものとして寄り添えたり頷いたりもし、基本ユーモア含みで進む逞しさがある小説だからずっと聴いて寄り添っていたくなる良い時間を過ごせた。

青べか物語

 

山本周五郎原作 新藤兼人脚色 川島雄三監督 1962年

山本周五郎、「樅の木は残った*1や「いのちぼうにふろう」などの時代読み物のイメージをベースに持っていたのだけど、一方ではこの作品や「季節のない街」などの庶民ものの書き手という色彩も持っているのかな。「季節のない街」、クドカン*2は現代風のアレンジが見やすかったが、黒澤版の「どですかでん*3は生々しいキツさもあった。そして、これは、川島雄三監督新藤兼人脚色ということも相乗効果になっているのかさらに猥雑な仕上がり。構造的には街にやってきたよそ者がはじめはびっくりしつつ段々なじんでいくところを手記にしている「季節のない街」風。

モテモテ現役の市原悦子、周りとの相対評価でいつになく品が良くみえる森繁などは珍しくみえたし、どの映画でも登場するなり場をさらう左幸子はこの映画でも安泰。中村是好の出番が多いのも嬉しい。中村メイ子は奇妙な役だったが、子役あるいは近年の姿しか思い浮かばない自分には若者姿が新鮮。しかし出てくる人たちのエピソードがひどくアク強く、パワーに押されっぱなしの映画であった。エピソードだけとったらしっとりしそうなものもあったのでこれは監督や脚本家の色彩なのかな。池内淳子はかわいくて清涼感。池内さん、川島監督の「花影」でも魅力を引き出されているな。

今は埋め立てられてしまった浦安の風景が生きているところはとても良い。

 

新潮社のサイトで冒頭ためし読みができるので読んでみたら、映画よりずっと落ち着いていた。

www.shinchosha.co.jp

冒頭からイメージする主人公は、森繁と言うより田村高廣。。でも巻き込まれ滑稽味のある演技もしなきゃいけないし誰がいいんだろうな。。映画会社のしばりなんか全く無視して・・宮口精二とかどうだろうか?あまり滑稽なの観たことないけど。聖俗いろんなものをこなす森雅之とかいいかも?

橋の欄干でぼんやり佇む森繫の姿は1955年の永井荷風原作 久松静児監督「『春情鳩の街』より 渡り鳥いつ帰る」も連想。

eiga.com

「喜びも悲しみも幾歳月」「名もなく貧しく美しく」

高峰秀子✕苦労する夫婦もの、ということでタイトルの二つの映画を混同していた自分。はっきりさせるために両方を鑑賞。

 

まず「喜びも悲しみも幾歳月」

テーマソングが有名な作品

佐田啓二演じる灯台守のところに見合い結婚で高峰秀子が嫁いでくるところから始まり、二人が全国各地の灯台に転勤になって赴任するのに沿って家族にも日本のあり方にも変化が生まれるさまを描いている。

良いと思ったのは

各地の風景 特に北海道の雪景色と瀬戸内海の男木島

戦時下の灯台を迷彩で覆った姿

田村高廣の愛嬌

嫁いできた日から子どもの結婚の日までの長い年月をナチュラルに演じた高峰秀子

 

最後のまとめ方は良かったと思うが、後半駆け足になっているところがあり、映画のテンションに自分が追いつかない。あれ以上長くなっても良くないが。息子に関するところはもう少し丁寧に描いたほうがいいのではないかな。

 

次に「名もなく貧しく美しく

聾唖の夫婦の物語。私は断然こっちの方が楽しめた。まじめ一辺倒でなくユーモラスなシーンや辛辣で面白いセリフなども飛び交い観ていてしんどくない。

主演の高峰秀子小林桂樹はもちろん母親役の原泉、珍しく世の中でうまくやってる組になってる藤原釜足、仕立ての仕事を回す、普段よりはアク少なめの多々良純など名優の名演技揃い。

夫婦の子ども役の鋭敏さ利発さがまたいい。

続編「父と子」も俄然みたくなったが、続編の方は「衝撃的」と書いてあるブログをちら見し、ちょいと緊張。この正篇も十分衝撃的なところはあったけれど。