Réalisation ॐ

永遠の相のもとに 〜 Sub specie aeternitatis 〜

社会はなぜ左と右にわかれるのか

 
“ リベラルはなぜ勝てないのか? ”
“ みんな「自分は正しい」と思っている ”
 こんな帯の文字に惹かれて、少し前に珍しく衝動買い(ジャケ買いw)した本。

 個人的には「象と乗り手」「まず直観、それから戦略的な思考」といった認知プロセスに関して、また「生得性と適応性格」という遺伝と発達心理に関する疑問(生まれか育ちか)に多くの示唆を与えてもらえた。そして、本書のテーマである道徳基盤のマトリックス道徳心理学)は新たな観点で世界を捉え直すことになり、「道徳は人を盲目にする」自戒の念を持つに至った。
 自分の中で、ちょっとした認識の地殻変動が起きた。(最初の感想文はこちら
 副産物として政治に関する知見も養われたので、先般の「国難解散総選挙をこれまでにない高い関心で見守ったが、右派と左派/保守とリベラルの定義、米国で制度疲労を起こしている二大政党制を日本が目指す意義など、日本の選挙制度にも改めて疑問を抱いた。
 著者は米国の考察をそのまま他国に適用できないと断っているが、それを差し引いても人間社会の普遍性は抑えられており、日本の問題とも重なる部分が大きい。何より、理想かもしれないけれど、異なる価値観に接する態度について、結論にまとめられた姿勢に深く賛同する。(それは自分が様々な社会経験を踏まえて持つに至った価値観にとても近い)読み返す度に新たな発見があり、自分は本当に買って良かったと感じている。

 五〇〇頁を越えるボリュームで気軽にお薦めするには重たいため、エッセンスをお伝えできればと 「第12章 もっと建設的な議論ができないものか?」 の前後を書き出してみました。興味を持たれた方は是非ご購入を。

 遺伝子は子宮内での脳の形成を導きはするが、それはいわば草稿にすぎず、幼少期の経験によって改訂される。人がいかにイデオロギーを獲得するかを知るには、遺伝子から始めたうえで、成人して特定の候補者に投票したり、抗議集会に参加したりするようになるまでの成長の過程を考慮に入れる必要がある。この過程には、以下の三つの主要なステップがある。(P428)

ステップ1 − 遺伝子が脳を形作る(気質的特徴)
 遺伝子は(集合的に)、人によって、脅威により強く(あるいは弱く)反応し、目新しい物、変化、初めての経験にさらされると快をより少なく(あるいは多く)感じる脳を生む。(P429)

ステップ2 − さまざまな特徴が子どもを異なる経路へと導く(適応性格)
 ここで二卵性双生児の兄妹を想像してみよう。兄は遺伝子の作用により、脅威に対する感受性が平均より高く、また、まったく新たな体験に快を感じる度合いが低い脳を持つようになったとする。妹はその逆だ。(中略)この双子が思春期に入って、厳格な学校に通うようになったとする。兄はその環境にうまく適応するのに対し、妹は先生と四六時中衝突して怒りっぽくなり、社会的に孤立する。さらにそれが彼女の人格の一部(適応性格)と化す。だが、逆に進歩的で規律が厳格ではない学校に通っていれば、彼女はそのような人格を形成しなかったはずだ。(P431)

ステップ3 − 人は人生の物語をつむぎ出す(人生の物語)
 必ずしも真実の物語である必要はなく、これまでの自分の経験が単純化され、取捨選択されたもの、あるいは理想化された未来に結びつけられたものであり得る。(P433)
 信仰や道徳観を身につけた経緯を尋ねられると、保守主義者は権威の尊重、自分が所属する集団への献身、自己の純粋さについて、またリベラルは、苦痛や社会的な公正について、深い感情を表した。「人生の物語」は、成長過程にある思春期の男女の自己と、大人の政治的アイデンティティを橋渡ししてくれる。(P434)

  • 道徳基盤理論

 道徳はさまざまな点で味覚に似ている。(P209)

 雑食動物は、新奇好み(ネオフィリア)と新奇恐怖(ネオフィビア)という二つの対立する衝動を抱えて生きている。(中略)リベラルはネオフィリアの度合いが高く、それは食べ物ばかりでなく、人間関係、音楽、ものの見方などにも当てはまる。対して保守主義者はネオフォビアの度合いが高く、確実にわかっていることにこだわる傾向があり、境界や伝統の遵守に大きな関心を持つ。(P238)

 五つの道徳基盤:<ケア/危害><公正/欺瞞><忠誠/背信><権威/転覆><神聖/堕落>(のちに<自由/抑圧>を加えて、六つの道徳基盤となる)について、データ収集と分析を行いながら仮説を立てて検証していく。

 左派はおもに<ケア><公正>基盤に、また右派は五つの基盤すべてに依存している。だとすると、左派の道徳は「真の味覚レストラン」のメニューのようなものなのか? 左派の道徳は、一種類か二種類の受容器を活性化するだけなのに対し、右派の道徳は、忠誠、権威、神聖を含む、より多種類の受容器に訴えるのか? もしそうなら、保守主義の政治家は、有権者に訴える、より多くの手段を持っていることになるのだろうか?(P247)

  • リベラルの盲点 − 道徳資本

 私のチーム(民主党)は、何としてでも相手チーム(共和党)に勝ってほしかった。事実、私が政治を研究し始めた理由は、ジョン・ケリーの、効果がさっぱり上がらない選挙キャンペーンにフラストレーションを感じたからである。そのとき私は、アメリカのリベラルが、保守主義者の真意や道徳観を単に「理解」していないのだという確信を得た。かくして、道徳心理学の研究をうまく活用することで、リベラルの勝利に貢献したいと考えるに至ったのだ。(P442)

 社会関係資本とは、個人間の社会的な絆、相互依存の規範、それらに由来する信用など、経済学者が大きく見落としていたタイプの資本を指す。(P446)
 保守主義者は一般に、人間の本性に関してかなり違う見解を持つ。つまり彼らは、人々が正しく行動し、協力し合い、繁栄するには、法、公共機関、慣習、伝統、国家、宗教などの組織や制度による抑制が必要だと考えている。この「抑制が必要」とする見方をとる人々は、これらの「心の外部にある」調整装置の健全性や完全性に関心を抱いている。それがなければ、人々はだまし合いを始め、利己的に振る舞うようになるので、社会関係資本は急速に失われていくと考えるのだ。(P447)

 小さく閉鎖的で、かつ道徳的に均質な環境は、共同体の道徳資本を増加させる条件の一つである。しかしそれは必ずしも、小さな町や島が快適に住める場所であることを意味するわけではない。多くの人々にとって、多様性と喧騒に満ちた大都市は、より創造的で魅力的な場所でもある。それは一種の交換条件なのだ。多様性と創造性のために道徳資本をいくらかでも犠牲にするかどうかは、経験への開放性、脅威への度合いなど、その人の性格に関する脳の設定にも依存する。通常大都市には、田舎よりもはるかに多くのリベラルが住む理由の一つも、ここにある。(P448)

 道徳資本とは、進化のプロセスを通して獲得された諸々の心理的なメカニズムとうまく調和し、利己主義を抑制もしくは統制して協力関係の構築を可能にする、一連の価値観、美徳、規範、実践、アイデンティティ、制度、テクノロジーの組み合わせを、一つの共同体が保持する程度のことである。(P448)

 社会や組織を変革する際、その変化が道徳資本にもたらす影響を考慮に入れなければ、やがてさまざまな問題が生じるのは明らかだ。これこそまさに、リベラルの抱える根本的な盲点だと私は考えている。(中略)自由と機会均等の実現に大きな役割を果たしてきたリベラリズムが、統治の哲学としては不十分な理由を説明する。つまりリベラリズムは、ときに行き過ぎてあまりにも性急に多くのものごとを変えようとし、気づかぬうちに道徳資本の蓄えを食いつぶしてしまうのだ。それに対し、保守主義者は道徳資本の維持には長けているが、ある種の犠牲者の存在に気づかず、大企業や権力者による搾取に歯止めをかけようとしない。また、制度は時の経過につれて更新する必要があることに気づかない場合が多い。(P450)

 健全な政治を行うためには、秩序や安定性を標榜する政党と、進歩や改革を説く政党の両方が必要だ。(中略)いかなる共同体も、一方では厳しすぎる規律や、伝統に対する過剰な尊重によって生じる硬直化の可能性、他方では相互協力を阻害する利己主義や個人主義の発達によって起こる社会の解体や、侵略主義的な他国への服従の可能性という二つの相反する危険にさらされている。(中略)公共政策は両陣営から洞察を引き出してこそ真の改善が図れる。(P452)

  • よりよい政治のために

 リバタリアンは、ときに社会的な面ではリベラルで(セックスや麻薬などのプライベートな領域に関しては個人の自由を強調する)、経済的な面においては保守的(自由市場を擁護する)と言われているが、そんな状況からも、アメリカでのこれらの用語の使用が、いかに混乱しているかがわかる。(P460)

 マニ教(この世は光:絶対善と闇:絶対悪のせめぎ合いと説き、一神教の西洋思想に大きな影響を及ぼした)の観点から政治をとらえれば、妥協は罪になる。神と悪魔は超党派的宣言などしないし、私たちもそうしてはならないとされている。(P475)

 この傾向を逆転させる可能性を持ついくつかの要因も学んだ。(中略)一九九五年に始まった変化に関する次のような話だ。(中略)ワシントンに集まる大勢の共和党議員に、家族を地元に残してくるよう促した。それ以前は、両党の議員は週末には同じイベントに参加し、配偶者たちは友人同士になり、子どもたちは同じスポーツチームに所属していた。(中略)つまり両党間の交流はなくなり、マニ教的な二極化と焦土作戦のような政治が蔓延し始めたのだ。(P476)

 あなたがよその集団を理解したいのなら、彼らが神聖視しているものを追うとよい。まずは六つの道徳基盤を考慮し、議論のなかでどの基盤が大きなウエイトを占めているかを考えてみよう。(中略)他集団のメンバーと、少なくとも何か一つのものごとに関して交流を持てば、彼らの意見にもっと耳を傾けられるようになり、もしかすると集団間の争点を新たな光のもとで見られるようになるかもしれない。(P478)

  • よりよい政治のために・まとめ

 ひとたび何らかの政治グループに参加すると(中略)自グループの道徳マトリックスの外側から議論を仕掛けられても、自分の間違いを認めることはまずない。
 リベラルは<忠誠><権威><神聖>の三つの基盤がなぜ道徳と関係し得るのかを理解していないことが多く、したがって彼らが保守主義者を理解するのは、その逆のケースより難しい。(P479)

 リベラルと保守主義は陰と陽の関係にある。(中略)両者とも「健全な政治に必要な要素」だ。リベラルはケアの専門家であり、既存の社会システムのゆがみのゆえに生まれた犠牲者を巧みに見分け、状況の改善を求めてたゆまず私たちに働きかける。(中略)この道徳マトリックスは、健全な社会にとって何よりも大切な次の二点の理解へとリベラルを導く。

1)政府は企業という超個体を抑制する能力を持つ。そして実際に企業の暴走に歯止めをかけるべきである。
2)大きな問題には、規制によって解決できるものもある。

 その一方、(自由を神聖視する)リバタリアンと(特定の制度や伝統を神聖視する)社会保守主義者は、二〇世紀前半以来欧米で大きな影響力を持ってきたリベラルの改革運動に対し、釣り合いをとる役割を果たしている。また、(少なくとも「外部性:当該の取引を承認していない第三者が、それによって受ける損失(や利益)」の押しつけなどの問題が解決されれば)市場は奇跡的な仕組みであると主張するリバタリアンと、コロニーの破壊によってミツバチを手助けすることはできないと考える社会保守主義者は正しい。(P479)

  • 結論

 本書では、なぜ人々は政治や宗教をめぐって対立するのかを考察してきた。その答えは、「善人と悪人がいるから」というマニ教的なものではなく、「私たちの心は、自集団に資する正義を志向するよう設計されているから」である。直観が戦略的な思考を衝き動かす。これが私たち人間の本性だ。この事実は、自分たちと異なる道徳マトリックス(それは通常六つの道徳基盤の異なる組み合わせで構成される)のもとで生きている人々と理解し合うことを、不可能とは言わずとも恐ろしく困難にしている。
 したがって、異なる道徳マトリックスを持つ人と出会ったなら、次のことを心がけるようにしよう。即断してはならない。いくつかの共通点を見つけるか、あるいはそれ以外の方法でわずかでも信頼関係を築けるまでは、道徳の話を持ち出さないようにしよう。また、持ち出すときには、相手に対する称賛の気持ちや誠実な関心の表明を忘れないようにしよう。(P485)

道徳基盤理論:モラル・ファンデーションについては、こちらの本に日本語での詳しい説明がありますので、ご興味があれば合わせてどうぞ。

脳に刻まれたモラルの起源――人はなぜ善を求めるのか (岩波科学ライブラリー)

脳に刻まれたモラルの起源――人はなぜ善を求めるのか (岩波科学ライブラリー)