久能山東照宮

一条真也です。
日本平ロープウェイに乗って、久能山東照宮を訪れました。
江戸幕府を開いた徳川家康ゆかりの史跡で、国宝です。


ロープウェイを降りた場所に全景図が・・・

「史蹟 久能山」の石碑

司馬温公の甕割り

久能山東照宮の入口で



久能山東照宮の公式HPのトップには、以下のように書かれています。
「ご幼少の頃からのあらゆる艱難辛苦を払いのけ、遂には天下を統一し征夷大将軍の座に就かれた徳川家康公は、日本史上最も平和な時代を築かれたお方です。晩年を静岡で過ごされた家康公は遺命として久能山に眠ることを家臣に託し、元和2年(1616年)4月17日に神々の世界へと旅立たれました。徳川家康公を祀った最初の神社、それが久能山東照宮です。当時の最高の技術と芸術をもってして造営された社殿は、平成22年12月に国宝指定されました」


楼門も見事でした

寒桜と家康梅

なんと、色彩感覚の豊かなこと!

もちろん、国宝です!



御祭神は徳川家康公、相殿は豊臣秀吉公、織田信長公です。
この戦国の三大英雄が勢揃いというところが凄いですね!
戦国時代といえば、ブログ「清州会議」で紹介した映画が現在ヒット上映中です。あの映画では、織田信長の死後に柴田勝家豊臣秀吉の心理戦を繰り広げる様子がユーモラスに描かれていましたが、結局のところ天下を制したのは、徳川家康でした。そういえば、昨夜、静岡で全国の互助会経営者が一同に集って次代のリーダーを誰にするかについて話し合われましたが、各地の大手互助会オーナーの面々は戦国時代の諸侯のようでした。いや、ちょっと「清州会議」みたいでしたね。「駿河会議」とでもいいますか?(笑)


神社を参拝しました

素晴らしい芸術に目を奪われました



公式HPによれば、久能山東照宮の「由来」は次の通りです。
東照宮の御祭神である徳川家康公は天文11年(西暦1542年)12月26日、三河国(現在の愛知県)の岡崎城でお生まれになりました。時は戦国時代、ご幼少のころより人質のご身分であった家康公はあらゆる艱難辛苦を跳ね除け、遂には天下を統一し征夷大将軍の座に就かれました。
戦国時代の混乱は家康公の治世によってたちまち回復し、あるゆる産業、学問、文化が花開いた『太平の世』が始まったのです。
晩年を駿河国(現在の静岡県)駿府城で過ごされた家康公は、元和2年(1616年)4月17日に75年の生涯を結ばれました。
亡くなる直前、余命いくばくもないことを悟られた家康公は家臣たちに『遺骸は久能山に埋葬すること』を遺命として託されました。ご遺命の通りに遺骸はただちに久能山に遷され、二代将軍徳川秀忠公は久能山徳川家康公を祀る神社を造営することを命じました。大工棟梁には中井正清が選ばれ同年5月に着工、1年7ヶ月の期間で建てられたのが久能山東照宮です。
社殿は当時最高の建築技術・芸術が結集された『権現造』の様式で、日光東照宮を始め全国に多数造営された東照宮久能山東照宮が原型とされました。また、棟梁を担当した中井正清はその生涯で名古屋城(国指定特別史跡)・仁和寺重要文化財)・二条城(国宝、世界文化遺産)など現在にも残る重要な建造物を手がけましたが、久能山東照宮は中井正清の晩年の傑作であるという評価から、平成22年に国宝に指定されることが決まりました」


家康公の墓所にて

家康公の御魂に手を合わせました

東照宮遺訓」が掲げられていました



久能山東照宮の壮麗な建築に目を奪われた後、わたしは家康の墓所に赴き、墓前で手を合わせました。賽銭箱の前に、有名な「東照宮遺訓」が掲げられていました。ちょうどそのとき、「出版界の青年将校」こと三五館の中野長武さんから電話がかかってきました。もうすぐ刊行される新刊『慈を求めて』の帯のデザインについての相談でした。わたしは中野さんに「いま、家康公の墓参りをしていたところですよ」と告げると、「こんなに朝早くからですか!」と驚いていました。


家康公御手形がありました

もちろん、手形を合わせましたとも!

「和婚」のポスターが目にとまりました

ロープウェイ乗り場に向かう



墓所から境内に降りると、「家康公御手形」というものがありました。
こういうの大好きなわたしは、もちろん手形を合わせてみました。
さらに社務所にまで降りると、「和婚」というポスターが目にとまりました。白無垢姿の花嫁さんの写真をながめながら、わたしは「やっぱり、ニッポン人には和が似合うなあ」と思いました。それからロープウェイ乗り場に向かい、豊かな自然を楽しみながら、ゴンドラで下界へと降りていきました。



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2013年11月22日 一条真也

日本平

一条真也です。
昨夜は、業界の仲間たちと遅くまで静岡の夜を堪能しました。
今朝は二日酔い気味でしたが、早起きしました。ホテルのレストランでサンドイッチとクラムチャウダーの朝食を済ませ、静岡の観光名所である日本平に向いました。ここから、富士山と駿河湾がきれいに見えると聞いていたからです。


日本平にて

駿河湾越しに富士山が見えます



タクシー(静岡第一タクシーです!)に乗って、運転手さんおススメの写真スポットである日本平ホテルの近くの茶畑まで行きました。
そこから駿河湾越しに見える富士山は、まさに絶景! 
まるで絵葉書を見ているようで、扇子を拡げて「天晴れ!」とか「良きかな!」と叫びたい気分でした。眼下には清水区の街並みと清水港が広がり、北には赤石山脈も望めます。夜景のスポットにもなっているそうです。


まさに絶景! 

陽光に輝く駿河湾



日本平は、静岡県静岡市駿河区清水区の境界にある景勝地です。
駿河湾沿いにある有度山の山頂及び附近一帯をいうそうです。
その山頂は、日本観光地百選で1位に選ばれたこともある名勝です。
日本平」という名称ですが、日本武尊ヤマトタケル)伝説に由来します。


日本平ロープウェイに乗ることに・・・

ロープウェイで山頂に向います

全長1065mの空中遊覧を楽しみました



わたしは、日本平ロープウェイに乗ることにしました。日本平の山頂と徳川家康ゆかりの史跡「久能山東照宮」を5分間で結ぶ索道です。
ゴンドラから四季折々姿を変える屏風谷、駿河湾から遠く伊豆半島御前崎を望めます。全長1065mの空中遊覧を心ゆくまで楽しむことができました。


*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2013年11月22日 一条真也