POP2*5

過去にはてなダイヤリーで連載してた連載コラムのアーカイヴです。

サブカル世代=1965年生まれに潜む「エンタテインメント志向」について吐露してみた

萌えるアメリカ 米国人はいかにしてMANGAを読むようになったか

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エロの敵 今、アダルトメディアに起こりつつあること (NT2X)

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 しばらく所用があって田舎に帰ってきた。私の郷里は中国地方でもっとも過疎が進んでいるところで、日本一の老人県として知られる、文化不毛の地である。中学時代から上京することを夢見ていたサブカル少年の私は、東京に住むようになって22年も経つが、一度もホームシックになったことがないほどの愛郷心がない人間だ。同じころ上京した多くの友人がやがて郷愁から田舎に帰ってしまい、残ったのは私一人。そんな自分を、人間として情緒が欠落しているんじゃないのと思うこともある。8年近くも帰郷しなかったこともある私だったが(実に親不孝なヤツですいませぬ)、このところ実家の問題があって、今年に入って4度も帰郷している。
 さんざん散財しているから帰郷も金が続かないので、もっぱら帰りは深夜バスである。夕方に渋谷を出て朝方に郷里に着くのだが、時間にして12時間。飛行機なら2時間で済むのだが、住居から羽田までに1時間、着いた飛行場から実家まで1時間近くかかるので、正味は4時間になる。陸路の場合も、新幹線が通ってないので、東京から岡山まではのぞみに乗って、そこからJRで急行に乗り継いで行くと実家まで約8時間かかる。だから時間もそれほど変わらないし、乗り換えいらずだからお気楽だと、このところは深夜バスを愛用しているのだ。
 12時間の移動時間は、眠れないのでずっと本を読んでいた。田舎行きのバスの中で読んでいたのは、キネマ旬報社から出た映画監督の本広克行のインタビュー集『本広本』である。『踊る大捜査線』は第1話から観ていてずっとファンだったし、週刊誌編集者時代に「今、ドラマはディレクターで選ぶ時代だ」という名目の特集をでっち上げて、多忙な時期の本広監督を取材したこともある。監督は、本書で関係者が語っている通り、非常に人当たりがよく、研究肌の人であった。局員ではない下請け制作会社のディレクターがドラマで独り立ちするケースは珍しく、またそれが映画監督としても成功するというのも希有なケース。このへんはこの人の運命を司る類い希な能力に秘密があると思うが、基本的にバラエティのADからスタートした苦労人である。一言一言の発言の含みや謙虚さに、同感する部分が多い。なにしろ、私も同じ1965年生まれだ。以前紹介した、『日本沈没』で著名な映画監督の樋口真嗣氏も同じ。週刊誌時代にともに仕事をすることが多かった、『吹替映画大事典』の共同執筆者の一人である脚本家の新田隆男氏(テレビ版『エコエコアザラク』『うずまき』)らも同じ歳である。これら同世代に共通していると思うのは、いわゆるサブカルに洗礼を受けた世代でありながら、それを研究するだけで飽き足らない、強いエンタテインメント志向があるところである。
 映画『踊る大捜査線』の第1弾は、テレビ屋が映画と作るということへの反発もあって、映画業界からは相当冷たい仕打ちを受けた。硬派な『映画批評』などの雑誌では完全に黙殺され、日本アカデミー賞も主要部門は無冠で終わった。だが、真に黒澤的なエンタテインメントとしてまっとうしているのは、唯一これだけだと、当時私はあちこちで力説していた。映画版第2作については、私の評価も少し厳しくなるが、興業収益的にはこちらのほうが前作を上回った。本来なら第1作だけで卒業するつもりだったらしい本広監督。第2作を撮ることになった経緯には、いかにもエンタテインメント志向の作家らしい決断があったようだ。おそらく、一方の“作家”としての直感では、第2作は断ったほうが正解という意識はあったと思う。結局、人のよさで周りに押し切られたというのが、受けた理由のようだが、いくらお膳立てができていたといえ、引き受けたのには、やはり本広監督の中にある強いエンタテインメント志向が背中を押したんだと思う。もし劇場第2作がほかの人の手に渡っていたら、もっと酷いものになったのかも知れない。エンタテインメントに徹して「第2作は第1作と同じことをやる」という信念があったから、第2作はあれだけのヒットになったのだ。
 YMOについてもそうだ。私の世代は中学〜高校の6年間がそのまま6年の活動期に当たるという、もろリアルタイム世代に属する。しかしYMOにもっとも入れあげ、ジャケ違いやグッズ集めに奔走しているのは、むしろ少し下の世代である。サブカルチャーに関する理論武装も、理屈っぽさも、シリアスさも、下の世代のほうに顕著だと思う。『クイック・ジャパン』的なサブカルのとらえ方もそんな感じ。YMOも『BGM』『テクノデリック』のみを取り出して神格化する風潮に私はどうしてもなじめず、好きなアルバムを聴かれると『パブリック・プレッシャー』や『増殖』を挙げてしまう。殿堂入りした伝説のバンドとしてより、まだ3人が謎の存在だったころの、何かしでかしそうな危うさにこそYMOの魅力があったのだ。
 以前、ソニー・マガジンズから1965年生まれのミュージシャンのインタビューを集めた、その名もズバリ『1965』という本も出ていた。それほどクリエイターの多い世代でもある。奥田民生田島貴男THE BOOM宮沢和史プリンセス・プリンセス奥居香などが同じ歳。語られている青春も田舎の風景も同じで、語られる「音楽に目覚めたきっかけ」も、たいていがYMORCサクセションである。小学生を音楽に目覚めさせた衝撃として語られるのは、もっぱらYMOのほう。ところが、このリアルタイムYMO世代は、YMOからの濃い影響を受けながら、作っている作品はというと、YMOと同じようなサウンドスタイルを選んでいないというところに、共通する特徴がある。機材がまだ高価だったからとか、いろいろ理由はあるのだが、実のところもっと謙虚で、「あの3人を見ちゃったら打ち込みで何やっても追いつけない」というような、自身を客体化して見ているようなところがあるのだ。世間と相対化して、自らの指針を決めていくというような冷めたところが、この世代の特徴なんだろう。「何を作りたいか」という強烈なエゴよりも、どんなものだったら自分に見合うのかというクールな選択眼があるのだ。
 『本広本』で何度も本人が口にしているのが、横浜映画学校時代の天才肌の同級生との出会いなどを通して、とても叶わないと感じていた劣等感の話。それが未だに、彼のサクセス・ストーリーの裏側にべったりと貼り付いているというのが可笑しい。これは私も同様で、『ふぞろいの林檎たち』で描かれるような強いコンプレックスが原動力になっている世代だと思う。後輩や部下をむやみに怒っちゃだめと戒められ、「褒めると伸びる」ことを強要されたり、すっかり「自己愛」が肯定化されて蔓延している、今の若い世代とは対称的だ。少し下の世代である石野卓球氏が以前、「ネガティブなパワーを肥やしにしてエンタテインメントなんてできない」と言っていたけれど、少なくとも我々の世代はそうなのだ。地方から上京したってことだけで、未だに十字架を背負っているような意識がある。私など、リアルタイム世代と言いながら、YMOのライヴだって一度も観たことがないし(……お恥ずかしい。再結成ライヴも観ていない)。
 帰郷の途中に『本広本』を読んだというのも運命的だが、そんな劣等感のマイナス地点からキャリアを築いていくというストーリーに、田舎時代の自分をダブらせて、強く励まされた。また、コツコツと地味にキャリアを進めていくことに迷いがないのは、最終的なゴールはエンタテインメントにしかないと思っているから。少し上の世代のような、ハッタリで生き抜くような度胸はないし。もっと下の“自己愛”世代のように、脱構築や壮大なマスターベーションに陶酔することにも、どっか居心地の悪さを感じてしまうのである。良い意味か悪い意味かは別として、社会的評価、社会的成功でしか自己規定できないところがあるのだ。
 一時期、私も聴いてきた音楽の影響から、DIY精神を発揮してデモ・テープをたくさん作っていたころがある。影響を受けたミュージシャンも高級だから、それなりに聴けるものになっていたとは思うが、ある時期からパッタリ創作意欲がなくなった。自ら湧き出るアイデアが枯渇したとか、そういうんじゃない。いわゆる打ち込みで、テクノ・ミュージックのようなものを作るのは、実に簡単なのだ。DJにしても、実は高度なテクニックが使われていると言われても、ゼロから音楽を作る演奏者には永遠に叶わない。エレクトロニカの世界の住人として、尊敬するミュージシャンといっしょにライヴをやったり、コンピを作ったりすることにも憧れを感じない。作ったものにマス・アピールがなければ、創作する価値もないという意識がどっかにあるのだ、大それたことに(笑)。
 田舎では、今取り組んでいる仕事のための薬事関係の本をどっさり持ち帰って、主にそれを通読していたのだが、もう一つのテーマとして「アメリカの出版流通」について研究する必要があり、『萌えるアメリカ』という本を人から勧められて読んだ。これは実に興味深い本である。サマー・オブ・ラヴの時代にサンフランシスコに渡った元ヒッピーで、小学館集英社などの一ツ橋系のコミックスをアメリカで翻訳出版しているビズ・メディアという会社の創立者が描いた出世伝。キャリアが始まったのが80年代中盤ということで、当時『ニュータイプ』でアニメ雑誌の編集者をやっていた私にとってシンクロする事柄も多く、同時代に起こっていたアメリカのコミック革命のダイナミックな動きに驚嘆させられた。日本の出版界は委託販売が中心で、東販、日販という二大会社が牛耳っているが、アメリカは国土が広いために、流通会社はエリアごとに分散していること。なるほど、amazonが急成長したのは。そういうアメリカの旧態依然とした複雑な流通が関係しているのだ。ほか、一般書籍は日本と同じ委託販売が中心で、別の流通で扱っているコミックスだけが買い取りで売られてきたこと。そしてなにより、今アメリカで話題の“MANGA(日本産を含む、和風スタイルのマンガ)”が、僅か十数年前に産声を上げたばかりで、今まさに急成長を遂げていることなどに、胸を熱くさせられた。
 日本では出版不況と言われていて、出版社に務めていると日々やりきれなさを感じることのほうが多い。かつてアメリカでは「不況になると新聞が売れる」という定説があったそうだが、文化不毛の日本では、台所事情が厳しくなるとまず、生活必需品の衣食などが優先されて文化財が切り捨てられてしまう。とても「不況時代の消費者に雑誌がエール」なんて言ってらんないマーケット事情があるのだ。同じように「マンガも不況」と言われてはいるが、いまだに大衆に絶大に支持されているし、多くの優秀な作家を輩出している。テレビドラマや映画が、これほどマンガに原作を求めるようになったのも、その成熟の表れだろう。カートゥーン先進国のアメリカ人が驚嘆するほど“MANGA”が芸術として進化しているという事実を、その本で改めて知らされたわけだ。と同時に「まだ始まったばかり」の米国MANGAの歴史の序章にいて、フロンティア精神を発揮している実業家の著者をうらやましく思った。いや、元気をいただいたと言ったほうがいいな。
 このところの私のブログを読み返してみると、ネガティヴなものが多い。出版界は確実に、端境期に差し掛かっている。現在の雑誌の規範となったと言われている、平凡社の『メイド・インUSA』が創刊されたのが77年。それまでのように『暮らしの手帖』方式で販売収入で雑誌を運営していくのではなく、広告売り上げて雑誌運営をしていくスタイルは、その雑誌から歴史が始まったと言われている。『R25』(リクルート)が無料で出せているのも、印刷、編集代を軽くまかなえてしまうほどの広告収入のおかげだ。チョイ悪親父御用達の『LEON』などは、あえて部数は10万部を超えないように上限を設定して質の高い読者を集め、その分訴求力が高まることをウリにして、高い広告料をせしめるというスタイルである。しかもPRで他のメディアに露出するときは、編集者にもスタイリストが着くという徹底したイメージ操作があり、これはもう「雑誌経営」というべきもの。「人は見た目が7割」。ITベンチャーのように株価の変動が売り上げを作るという虚業の世界なのだ。そこまでして雑誌を作りたいのかと自問自答して、私は意を決して、20年目にして他の部署に移った。むろん、そこには「やりたくないものはやりたくない」という子供っぽい気持ちも多分にあるのだが、「広告依存スタイルの雑誌の時代はもう終わりだ」という気持ちが決断させた部分が大きい。『メイド・インUSA』から30年目にして、雑誌文化は終焉を迎えつつあると思う。先日読んだ、友人の安田理央氏が書いた『エロの敵』という本にも、大衆娯楽としてのエロ雑誌の時代がすでに終わりに近づく中で、各出版社がDVDなどの付加価値を付けながらもがいている現状が描かれていた。いずれソフトバンク角川書店みたいに、コンテンツや権利ビジネスを中心に据えて、メインだった出版事業を縮小化しなければ、どんな出版業も生き残りはできないだろう。
 そんな田舎での日々の中で、箸休めにむさぼるように読んでいたのが、東京で買って鞄に入れていたコミックス『のだめカンタービレ』だった。今回のツライ帰郷は、ほとんどのだめちゃんに救われたと言っていい。
 今さら読み始めた私などに語る資格はないが、一応私のようなマンガをあまり読まない人に説明しておくと、『のだめカンタービレ』は音大で学ぶぐーたら少女、野田恵(のだめ)が、生まれついての天才性でまわりの人々を啓発しながら、ピアニストとして成長していくという、古典的とも言える成長マンガもの。これが、すご〜く面白い。笑えて、泣ける。女性作家の作品なんだけど、ストーリー運びもすごく骨太でしっかりしている。キャラクターの設定も絶妙だから、明日から月9枠で始まる連ドラや、来年1月からのアニメも大ヒットするだろう。そういえば『本広本』に書いてあったが、マンガ好きの本広監督が『サマー・タイムマシン・ブルース』の主演で起用した上野樹里を、「まるで『のだめカンタービレ』ののだめみたいだなあ」と思って、撮影現場で「のだめちゃん」と読んでいたんだそうだ。本広監督、慧眼である。
 出世した友人にマンガ関係の人が多いこともあって、けっしてマンガ読みではないものの、いつもマンガの流行のことを気にかけていた。自分の専門である、サブカルだの音楽だのは、マーケットサイズが小さすぎて商売になんない。本当に損なジャンルを選んでしまったものだ。なんか「俺は凄いかも」みたいな人種が多くてウンザリするし(笑)。だから、いつもマンガ家という職業の方々に、尊敬と羨望の眼差しを送っていた。ある知り合いのマンガ家は、売れっ子としては中堅に属する人だが、3ヶ月に一回コミックスが増刷される度に、銀行の口座に200〜300万がポンと振り込まれるという。別のマンガ家は、パチンコマンガ誌という、頭からお尻まで全部パチンコマンガという専門雑誌で連載を持っている人で、アシスタントなしで書けるために、週3日働くだけで普通のサラリーマンの倍近くの収入を得ている。専門マンガ誌は客の好みがハッキリしているために、人気マンガにはテーゼ(方法論)があって、編集者からの依頼通りに描けば、それほど創作に行き詰まるということもないらしい。ああ、いいなあ、創作意欲も発揮できて、人間的なストレスから距離を持てる生活がうらやますい。
 『のだめカンタービレ』のことを知ったのは最近である。去年の暮れから今年にかけて『クイック・ジャパン』『ガーリィ』『スタジオ・ボイス』などのサブカル雑誌で続けてマンガ特集が組まれた時、すごく面白そうだと思ったから。先に『ハチミツとクローバー』を手にとって読んだけど、これも『めぞん一刻』のような小宇宙で展開される結構熱い青春テイストがあるマンガで、懐かしい気持ちで読んだ。いやあ、面白い描き手が次々と登場してるんだなあ。しかも、私が感心するのは女性作家ばかり。昔から、なぜか高橋留美子柴門ふみ石坂啓など、興味を持つのが(男性ヤング誌で活躍している)女性作家ばかりだった。男性作家は、絵に技巧を凝らすなどに秀でていることはあっても、秀逸なギャグで笑わせてくれるのはなぜか女性マンガ家の作品ばかりだった。なぜ男のマンガ家のものが面白く感じないかは謎だが、案外、カワイコちゃんのセクシーシーンを描いて満足するような描き手ばかりなのが原因じゃないかという気もする。
 久々のマンガ体験ということもあるが、『のだめカンタービレ』を読んで、創作のダイナミズムを久々に感じた。題材である音大やクラシックの世界も、丁寧に取材しながら素材を投げ出さず、巧妙にストーリーに組み込まれている。それに絵柄がけっこう好き。いわゆる女性マンガ家的な細い線でチマチマ書かれた絵じゃなくて、線はまっすぐ、構図もどっしりとしている。今どきは、男性作家のほうが少女マンガみたいな絵を描く人多いと思うし。最初見た時は「あまり色っぽくないなあ」(すいません……)と思いながらも、読んでいて段々主人公が可愛いなあと思うようになって、最後には主人公ののだめちゃんの魅力にハマってしまった。こういう媚びたヤラシイ感じがないのが、やはり女性作家の作品がしっくりくる理由なんだろう。主人公ののだめちゃんが自らの才能には無自覚で、それが周りの天才肌の人々によって発見されていくプロセスは、私の敬愛する『あしたのジョー』や『エースをねらえ!』に少し似てるかも知れぬ。まだ9巻までしか進んでないのだが、残りを読むのがもったいないぐらい。今日、出たばかりの16巻を買ってきたばかりだが、後半は丁寧に読み込むつもりである。
 クラシック界のエリートの姿を、まるでスポ根の世界のように描いたというアイデアがまず見事。選曲やそれに付随するエピソード選びも秀逸で、てっきり作者は元音楽学校出身とか、この分野に詳しい人なんだろうと思っていたら、そうじゃないらしい。少し前に『封印作品の謎』の著者、安藤健二氏に勧められて読んだ『デトロイト・メタル・シティ』というマンガもそうだった。これは、渋谷系のようなお洒落な音楽が好きな主人公が、生活のよすがのためにヘビーメタルのバンドとして日々を送るというバンドもので、その落差が笑いを呼ぶというストーリー。こっちも、作者はてっきり『クイック・ジャパン』の編集者みたいな(失敬!)渋谷系ネオアコ好きなお洒落な人なのかと思ったら、実際はそうじゃなく、あくまでアイデアとして着想して取材して情報を詰め込んでいったのだそうだ。渋谷系、ヘビメタ双方と距離があるので、その両方がきちんとカリカチュアの対象になっている。だから、誰が読んでも面白いし、音楽嫌いでも楽しめるマンガになっている。『のだめカンタービレ』も、アイデアは作者の運営するサイトの常連さんだった、ぐーたら音大生(リアルのだめ)の生活を作者が知って、ゼロから着想したものだそうだ。度量あるなあ。
 ずっと週刊誌の編集者などをやっていると、日々ニュースをチェックすることばかりで、その分析も極めてコモンセンスなところに落ち着く。創作力はずいぶん落ちてしまったのではないかと思う。このところブログも、世相に振り回されて、シニカルなものが多くなってしまった。読み手の人にも楽しんでもらいたい思いはあるから、ここで一つ、ネガティヴな発想というものに距離を持たねばならないかもしれない。
 拙著『電子音楽 in JAPAN』関連の出版アイデアで、実はひとつ形になっていないものがある。あそこで扱っているあるエピソードに特化して、フィクションとノンフィクションがないまぜになったようなパスティーシュを書きたいという構想があったのだ。たぶんルイス・シャイナー『グリンプス』を読んだ影響だろう。『グリンプス』は、テープに音を転写する能力を授かった電気店を営む中年の主人公が、ビーチ・ボーイズ『スマイル』などロック史の「完成されなかったアルバム」をテーマに、タイムリープ(ちょっと違うかも)して大物ミュージシャンの運命に主人公が関わることで完成させていくという、ロック好きにとって夢のようなSF小説。これと、ロバート・ゼメキス監督の映画『抱きしめたい』と小林信彦ミート・ザ・ビートルズ』をミックスしたような、史実を元にした空想小説のアイデアだ。小説を書いてみたいという意識は昔から強かったが、自らが抱える要素からしか、物語を紡げない小心なところがある。本広監督が映画10作目に、生まれ故郷の香川を舞台にしたうどんブームを扱った『UDON』という小品を選んだのと、ちょっと似ているところがあるかも知れない。けれど、『のだめカンタービレ』などを読んで、普遍の物語さえ紡げれば、自分にないものであってもいくらでも取り入れられる大胆さを持つべきだと感じた。このへん、あまりにプライベートな感情をさらけ出している話だから、普通の人が読んだらちんぷんかんぷんかもしれないけど(笑)。
 田舎に帰って昔の勉強机で作業しながら、YMOに憧れていた中学時代を思い出し、インタビュー集『イエロー・マジック・オーケストラ』に書き手として関われたことに感慨深い思いを感じた。が、これが世に出ることは、自分にとって一つの節目なのかも知れない。最初の『電子音楽 in JAPAN』が出てから、もうすぐ10年。今年の後半は、自らに課せられた「エンタテインメント志向」に回帰して、なにか新しいことへの足がかりになるようなことに、一歩でも踏み出せるといいなと思っている。