memoを30本くらいノック

2/24 03:46 箱物 文化的
2/24 12:09 性善説 性悪説 環境
2/24 12:18 漫画などの物語 残酷な手段は返ってくる 聖書のあれ
2/24 18:02 萌え 感性 署名 認証
2/25 06:30 人が集まる 承認 楽しそう
2/25 22:07 筋肉 根性 セックス 恋愛
2/25 22:07 催眠術 ギアス 暴く 幻想
2/29 08:34 街路樹カップ
2/29 08:35 メタ 主体 自我
2/29 08:35 門脇
2/29 08:38 r r' 林檎の例 操作
2/29 08:52 環境 適応 四万十
3/1 12:15 最低限の機能 記憶 検索 自我のように振る舞う
3/2 03:47 ペンギン 動物園 雄同士 平和 不均衡 萌え
3/3 13:49 経験 無駄 持続  アクエリ 排出 無駄か 生物学
3/3 13:55 子ども 天使 悪魔 現実界
3/4 15:50 リアクション 承認
3/5 04:03 自慰 パブロフ的 反射  間開くとあれなのはそのせいじゃね?
3/5 07:00 ぱちゅこん 幻聴 周波数 再生 認識
3/5 13:37 薄線 点線 文字を覚える時間ゲージバー 覚えたら最初からで一番左からまた順々に
3/5 18:06 ショウガ焼き 菜箸
3/6 07:11 世の中後悔ばっかりだ 即断即決どころか即行で そこに後悔の隙が生まれるから 即行で叶わぬのなら実力不足か運不足 その時点では無理だったんだから運不足にまとめられることも That's too badで済ませられる トイレ
3/7 04:35 暴力 義憤よりスルー
3/8 20:01 マルチタスク ルーチン ハード
3/15 20:38 子ども
3/17 14:59 人工無能 ボキャブラリー
3/17 15:00 作業ゲー

キリがないから今日中に全部書いちまおう。一行で済むのも多いだろうし。

2/24 03:46 箱物 文化的

とある田舎の図書館に行った。周り一面田んぼなのに無駄に立派な箱があったので、これが箱物ってやつなのかなって思いながら入ってみると、その中身に驚いた。充実した施設や蔵書にもそうだけど、もっと驚いたのはその活気。老若男女がひしめいてる。席は全て埋まり、埋まった席では疲れた顔の人やホームレスの人が寝てるなんてことはなく、皆真剣に本を読んでいる。席がそんな調子だから棚の前にも人が多く、本を選ぶ人でひしめいていた。何これすげー文化的なんじゃね?っと。まあ見渡す限り田んぼで娯楽と言えばパチンコくらいなド田舎だからこそなんだろうけど、一見文化的である都会よりも、こういった田舎でこそ実現されているってのがちょっと面白いなあって思った。

2/24 12:09 性善説 性悪説 環境

例えば内線地域で荒みまくった子を眠くなるくらい平和な国へ連れてきて性格が穏やかになったとする。その時、その子の本当の性格は悪か善か、なんて問いはあまり意味がないと思う。人を信じるよりも裏切る方が効果が高い環境に於いては裏切るという選択して、人を裏切るより信じる方が効果が高い環境に於いては信じるという選択をしているだけなんだから。
例えばこの前スーパーで食材とか調味料買った後に本屋に寄りたくて本屋へ行ったけど荷物が重くて持つのだるいから自転車の篭に入れっぱなしにして小一時間ほど本屋にいたけど、当然のようにパクられなかった。いやいや、みりんに細切れ肉にピーマンに…ってそんなもんパクってもしょうがないやん?って感じもするけど、例えばそこがスラム的な場所であったらパクれるものは何でもパクるだろう。でもわざわざパクらなくても自分で十分に物を買える金があり、パクったのがバレると警察がちゃんと働いたりする環境では、普通はパクらない。パクる必要がないから。スリル求める人は違うんだろうけどさ。でも物を買う金が十分になく、警察は腐ってて仕事を全然しない国であったなら、問答無用とパクるかもしれない。その場合、前者の国の人が善良であり、後者の国の人が悪辣というわけではなく、二つの国の人をわけているのは性質というより環境じゃないのかなっと。
何かわかりにくい気がするから似たような例をもう一つ。以前日本に働きにきてるNOV A的な外人さんが財布を落として諦めてたんだけど、日本人に警察に行ってみたら?と言われ、あるわけないやーんって渋々行ったら、本当に誰かが届けてくれており戻ってきたことに感動したとか、なんやかんやと日本人が自分に親切にしてくれることとかにいたく感激していた。でもそれは、日本人が善良であるわけじゃなく、現在の日本という環境は住んでる人にそれくらいの善良さを持たせるだけの余裕があるってことなんじゃないかなっと。例えば戦後の物不足の時期や、もっと言えば江戸の大飢饉の時代に、日本人がそれだけの善良さを保持できるかと言ったら甚だ疑問であるように。
だから衣食足りて礼節を知る的に、環境なんじゃないかなっと。いやいや、そこを差っ引いたところの、例えば劣悪な環境でも善良であり続けるような、本質的なものが善であるか悪であるかっていう話だぜ?ってことなら、そもそもそんな変わらぬものなんかないんじゃね?って立場。人間に期待持ちすぎだろ。

2/24 12:18 漫画などの物語 残酷な手段は返ってくる 聖書のあれ

漫画の世界観にはあるルールみたいなのがあるよね。ライトな世界観であれば復讐はライトな方法で為され、ヘビーな世界観であれば復讐はヘビーな方法で為されるみたいな。例えばギャグ的な世界観では拷問の末に惨殺されるなんてカウンターは返ってこないように。まあ返ってくる場合もなくはないんだけど、それはどちらかがそういった手段を取った時に始まる。そして相手方がそれを受け取った時に了承される。いや、まあ、受け取らなくても相手により一方的な惨殺もあるっちゃあるか。
だから、まあ、主人公サイドとしては敵に残酷な手段を取るのは最善であるとは言えない。ヘビーな方法を許容してしまうとそういったカウンターが返ってくる、例えば拷問陵辱の末に惨殺された恋人であった物体が箱に詰められて送り返されてくる、かもしれないんだから。と、まあ、そんなことを考えてたら、聖書にそんな文句あったよねっと思い出す。何だっけ。剣を取る者は皆剣で滅びるとかだっけ?紳士協定というか、暗黙のルールというか、そんなもんがあるよねっと。まあ敵を残酷な手段で殺すということは、逆に敵も味方を残酷な手段で殺すという、第一歩なんだから、そう考えたらお互いがお互いに牽制しあい、第一歩を踏み出さないってのは道理ではあるのかな。

2/24 18:02 萌え 感性 署名 認証

萌えの定義化が進まないのは元来そういうものだからなのかなっとふと思う。例えばAさんとBさんの萌えは厳密に言えば違う。細部だけじゃなく異性愛と父性愛くらいの根本からして違う。でも特定のキャラに対する愛情という指向性だけは同じであると言ったように、そもそもからして萌えは使われ方が千差万別であるが故に厳密に定義することは無理な気がする。
じゃあ、何故こんなにも広く使われるのかと言ったら、それは合い言葉のようなものなんじゃないかなっと。好意というベクトルが同じということは、同好の士という確認になる。異性愛と父性愛、お互いの萌えは異なっても、特定のキャラクターに対して好意を持っていますよという意思表示は、お互いが仲間であるという、萌えを感じるという感性をお互いに保有している仲間ですよ、という認証装置的なものなんじゃないのかなっと。そんなことをふと思う。実際は知らん。ていうか、これ、1ヶ月も前のことなのかよ。先月の自分に聞いとくれ。

2/25 06:30 人が集まる 承認 楽しそう

人は自分を承認してくれる人のもとに集うって話があるけど、とある配信を見ててその話を思い出した。その配信者は無駄にリアクションが良く、どんなレスにも楽しそうなリアクションをする。ええ?それは、いじりがいがあるだけじゃないの?って気がしなくもないけど、大きなリアクションを、喜ばれるということに、承認を求めてるっと考えられると思う。例えば昔、やたらと自分の話に笑う友人がいた。そして自分もそこが居心地が良かったので、よくつるんでいた。それもやはり、承認を求めて、より大きな承認を与えてくれるところを心地よく感じるが故に、集っていたってことなんだろう。だから仰々しく承認、なんてえのを目指さなくとも、そういう風に楽しそうにするだけで人は自然と集まってくる。そんなこともあるよね、って話。

2/25 22:07 筋肉 根性 セックス 恋愛

セックスはセックスで技術なんだからそれ磨いちゃいな。愛があれば感じるっつーか、気持ち良い技術を習得すれば気持ち良いんだから、別物でしょ、的な話を聞いて*1、筋トレを連想したっていう話。精神論唱えるより、筋トレした方が良くね、って感じで。
http://d.hatena.ne.jp/snyd/20080308#1204970724

*1:なんか違う気がするな。原文は凄い良かったのに、かなり忘れちゃってるのが悲しい。

2/25 22:07 催眠術 ギアス 暴く 幻想

催眠術使ってエロいことした人間の話、っていうか、まあエロゲー。ポップに狂ってて面白かった。行動だけじゃなく趣味や嗜好、果ては人格までも変える力を手に入れた人間はどうしようもなく孤独になる。だって自分の思いのままに変えられる他者は、他者たり得ないんだから、と、そんな話が作中の一つにあった。ギアスにもそんな話あったけど、考え方によってはギアスよりも深刻。だって超常の力ではなく日常的な力、言葉によって、脳をハックしているだけで、人を操れてしまうんだから。だからそれは彼岸の出来事じゃなく、此岸の出来事。売春が恋愛の幻想を暴くように、この話も日常の幻想を暴いてるだけなのでは?とか思ったっていう話。

2/29 08:34 街路樹カップル

自分が住んでるとこらへんは、歩道の真ん中に街路樹とか垣を植える用の園芸スペースみたいなのが飛び飛びに、園芸スペースが10m、20m間隔が開いて、また園芸スペースが10m、って感じになっている。この前そこを自転車でだらだら走ってた時のこと。前から中学生なカッポーが手を繋いで歩いてきた。そして二人が街路樹に差し掛かったとき、一瞬手を離し、そしてまたすぎ垣の上で手を繋いだ…って何か違う気がするな。何だっけか。仲良さそうなカッポーが街路樹挟んで何かちょっと変わった手の繋ぎ方をしてたのは覚えてるんだけど、それ以上は思い出せないな。まあ3週間も前のことなんて覚えてまへんわ。

2/29 08:52 環境 適応 四万十

これもまあさっきの環境話とほとんど一緒。とある漫画家が描いたヒロインがいきなり敵側の性奴隷。調教済みなんだけど、ちょっと変わってるのが、嫌がりながらも感じちゃう的なヒロインではなく、自分は性奴隷ですってことを受け入れてるヒロイン。だから敵側の親分もしゃぶらせながら何かローテンション。いや、調教してくれとは頼んだけど、こうも従順だと何だかなーって。お前昔反骨精神たっぷりだったじゃん?ってヒロインに聞いても、逆らうなんて昔の私はバカでした。受け入れたらこんなにも気持ちが良いのにって感じで受け入れてる。前作のヒロインの子孫であるヒロインを見て、こいつも環境が違えば全然違ってたんだろうなーっと敵側の親分が感慨に耽る。
周りが優しい世界に育ってたら優しく凛とした子に育っただろう子が、捕らえられ調教されるという環境では性奴隷に堕する。これをどっちがその子の本性であるだなんて言えないだろうっと。そもそも直面してる現実が全然違うんだし。
だから、自分ってのは積み重ねた経験や思考が回路になってて、電球に繋がってる装置だとする。すると、スイッチを入れるにしても、その時々のパラメータ、回路によって、灯る光は異なるって感じの。環境ってのもそんな感じの回路だとする。まあ、どっちかっていうと環境っと回路を通して、自分って回路に通すスイッチが変わるって感じだろうけど、仮に。前者の箱にヒロインを置き、スイッチを押すと優しく凜としたヒロインが灯る。後者の箱にヒロインを置き、スイッチを押すと性奴隷なヒロインが灯る。そんな感じで、どっちが本当ってんじゃなく、どっちも本当なんじゃねーかなっと。
http://d.hatena.ne.jp/snyd/20080320#1205988742

3/1 12:15 最低限の機能 記憶 検索 自我のように振る舞う

これも微妙だな。ある程度の記憶機能、少なくとも現在と比較し過去という概念を作れるくらいに以前の現在を記憶できるだけの、と検索機能があれば自我があるかのように振る舞うんじゃない?って感じかな?3週間前の自分を問いつめたい。適当なこと言いやがって。

3/2 03:47 ペンギン 動物園 雄同士 平和 不均衡 萌え

動物園のペンギンは雌の数が足りなくても雄同士で仲良く平和に暮らすらしい。性の不均衡があっても、命懸けで限られた雌というパイを奪い合うのではなく、余っている雄を嗜好することで平和に。だから子孫を残す本能なんてさほどない、というか、自分が生き残る本能>子孫を残したい本能って感じなんじゃないのかな、っと。つーことは、不均衡が生じてる中、萌え萌え言うのもそれの一種であって、割とベタな現象なんじゃねーかなーっと。

書き終わっては百合漫画を読み、書き終わっては百合小説を読み

の割には3時間半で14/27で、半分消化。なんだよ案外楽勝じゃね。後半は長いのなさそうだしすでに書いたのあるし何か重複してるのあるし。って、何だかこれは油断したところを失敗フラグな気がしてならないけど、まあ適当に頑張ろう。

3/3 13:55 子ども 天使 悪魔 現実界

子どもは天使だ、子どもは悪魔だ、ってどちらにも言われたりするけど、結局は同じことで子どもってのは大人の常識がまだ身に付いてないから、フィルターを通してない、ありのままの世界をそこに映す。だからそこに善悪という概念はなく、常識に凝り固まった大人がその無邪気な行いを見て、天使だ、悪魔だ、と評価を下して常識の中に取り入れようと、常識で咀嚼しようとする。理解できないものは怖いから。     
天使な例はぱっと思いつかないけど悪魔な例なら一つ程。まあ悪魔っていうにはちゃちすぎるけど。ガキの頃カマキリを飼っていた。友人達も皆飼うくらいに流行っていたし、それに何より凄い格好良かったから。でも虫かごの中に入れてただけじゃ死んでしまう。餌がないから。餌はペットショップなんかじゃ売ってないから、そこらへんの原っぱや河原で取ってくる。近所の河原にはトンボが腐る程いたので、トンボを網で捕まえて虫かごの中に放り込んだ。食べるかな、食べるかなっと興味津々に見ていたのだけど、カマキリはなかなかトンボを食べない。夕食の時間だったので虫かごを見るのをやめてその日はそのまま寝た。翌日になったので見てみると、まだトンボは生きていた。おいおい、全然食わないじゃん。昼になり友人達と遊んでたときに2つ年上の子に聞いてみた。仲間の中でカマキリを最初に飼った子だった。カマキリがトンボを食べないんだけど。するとその子は言った。ああ、羽ちょんぱするんだよ、トンボは。羽ちょんぱ?初めて聞く言葉に首を傾げると、ああ知らないのか、教えてやるよと河原に網を持って連れてかれた。河原につきその子は簡単にトンボを捕ると、右羽を右手で左羽を左手で持って自分に見せた。ほら、よく見てろよ。そしてその子は慣れた手つきで両手を引っ張りトンボを引き裂いた。え?何々?初めて見る行為に驚く自分。その子は身が大きくついてる方を自分に見せて教えてくれる。ほら、肉が出てるだろ?こうすると食べやすいんだよ。それに飛べないしな。にやりと笑う彼を見て、自分はおー!あったまいいー!さすが○○ちゃん!とやたらと感心した。両方を綺麗に裂くのが難しいんだよと言うので、その後一緒に沢山練習して、沢山捨てた。初めは羽しか取れないくらい下手くそだった自分も綺麗に半分に裂けるようになった。そしてその後はカマキリに羽ちょんぱしたトンボを与えるようになった。
って、長い!トンボの羽ちぎってカマキリの餌にしてた、って一行で済むのに!まあ、今考えると、ないわーって行為だけど、ガキの頃はそもそもそんな思考回路、トンボも生き物だとか無駄な殺生はするべきじゃないとか残酷だとか、なんてなく、ただのトンボ、トンボと呼ばれるもの、ってだけだったから、カマキリの餌になる→よーし、パパいっぱい羽ちょんぱしちゃうぞー!ってシンプル思考になるんだろうな。
ていうか、今書いてて思い出したんだけど、コオロギ相手にも似たようなことやってた気がする。首ちょんぱって。チャレンジャーっていうか凄いな昔の自分。今じゃ真似しようとしてもちょっとできないぞ、それ。そして母親がえらい顔をしかめてた気がする。子どもの頃は不思議でならなかったけど、今考えるとわかりすぎるくらいにわかるな。そりゃ顔もしかめるわ。ていうか止めなかったのがちょっとすごいな。いや、止められたっけか?やめなさいよ、可哀想じゃないって。何で?って聞き返したな、そういえば。

3/5 07:00 ぱちゅこん 幻聴 周波数 再生 認識

とあるゲームを何日もやってたときのこと。そのゲームで使われてる効果音がやたらと耳に残った。そして翌日。ゲームを起動してないのにその効果音が聞こえる。ん?ん?っとモニタを見てもゲームは起動してないし、ミュートにしても音が聞こえる。なんじゃこりゃっとしばらくじっとしているとまた聞こえる。そしてしばらくしてようやく気付く。とある周波数、っていうかまあゲームの効果音に似た高さの音が鳴ると、自動的に脳内でゲームの効果音に変換されて認識されていたんだってことに。それがなんとなく面白かった。音を聞いて認識するんじゃなく、検索してから認識する。まあ言語と似たようなもんか。言葉のように意味ある音として登録された、って感じなのかなっと。

3/6 07:11 世の中後悔ばっかりだ 即断即決どころか即行で そこに後悔の隙が生まれるから 即行で叶わぬのなら実力不足か運不足 その時点では無理だったんだから運不足にまとめられることも That's too badで済ませられる トイレ

これはそのまんま。世の中後悔ばっかりだ。でも何で後悔ばっかりなのかって言ったら、即断即決しないから。もしも即断即決したのならば後悔は生まれない。その時点でのベストを尽くしたんだから、実力不足であり運不足であり、自分はトライしたが無理だったってのがわかるだけだから。でも、決断を躊躇してる間に誰かに先を越されたりで失敗したのならばそこに後悔の隙が生まれる。もしも自分がトライしていたのならばもしかして成功していたんではないか?あの時決断していたのなら、って。だからそこに甘えちゃう。実力不足ならば研鑽するしかないが、そういった後悔による甘えは機会があれば自分も行けたのではないかという幻想を生む。だから素直に研鑽を積むことを厭う。自分にも機会があればできてたかもしれないんだからと。そんなことをトイレに行くのをギリギリまで我慢していて、他の人に先にトイレに入られたときに、ふと思う。あそこで即断即決していれば、もしトイレに入れなかったとしても、後悔はなかっただろうに。糞!っていうか糞が、やばい、いや、マジで…って感じで。

3/8 20:01 マルチタスク ルーチン ハード

人間は基本的にマルチタスクができるようにはできてない。でも極めて効率的に、まるでマルチタスク対応かのように、処理している人がいる。どうしてか。それは極めて効率的な予定の上で、最大限の効用を発揮する、シングルタスクを行っているから…って、これであってんのかな?「ルーチン ハード」って言葉にまるで関係ない気がする。でもこれ以外に特に思い浮かばないしな。ま、いっか。

3/17 15:00 作業ゲー

面白いゲームがあるとする。うひょー、たのすぃー!でも、段々面倒になってきて攻略サイトを見る。うひょー!べんりー!でも、しばらくすると自分から進んで攻略しているんではなくて、何だか攻略という作業をさせられてる気がしてくる。えーっと、この選択肢はもう選んだから、次はこれ。で、この次は…ってだる!なんでこんなんやらされないかんねん!そんな感じに作業になる。
後、もう一個くらい間に挟む、何かいい例あったんだけど忘れた。と、まあ、そんな感じで生きることが目的になるような環境下では必死に生きる。生き生き生きる。でも生きられるのが当たり前になるとそこに喜びは生まれない。食料を獲得した喜びはそこにはない。自然と出てくるものだから。生き延びられた喜びはそこにはない。生きられるのは当たり前だから。そんな感じで作業ゲーに堕しやすい気がするなあっていう、ふとした発想。真ん中に挟む例を忘れたからひどいgdgd。

おー、終わったー

27本ノック。まあ内訳は(文15、以前に書いたからURL9、忘れた3)で実質15本だけど。でもまあ文字数は9000弱で原稿用紙25枚くらいか?前に3時間書いたら原稿用紙20枚分くらいだったから実質作業時間もそんな感じかな。あの時はちゃんと真面目にやったからえらい疲れたけど、今回はてきとーにやったから楽々だったな。まあそもそも質からして違うけど、こんくらいのノリでアウトプットできれば、割と楽に量は書けるんだなってのが分かったからそれが収穫っちゃ収穫。まあ、あれだ。暇人乙ってことだな。