2・26に思う…永井和による筒井清忠『昭和期日本の構造』(有斐閣1984年)の書評(『富山大学教養部紀要』19-1、1986)


 2012年になる今年も、2月26日が近づいてきた。2・26事件の日である。「昭和維新断行」を呼号する素朴な青年将校たちが兵を率いて首相官邸などを包囲攻撃し、斎藤内大臣、高橋蔵相、及び渡辺教育総監を殺害 鈴木貫太郎侍従長に瀕死の重傷を負わせ(首相岡田啓介については、岡田の義弟で総理秘書官兼身辺警護役をつとめていた予備役陸軍大佐松尾伝蔵を殺害したのを、岡田を殺害したと誤認した)、霞ヶ関を制圧し、日本全体を震撼させた事件である。
 橋下徹たちが、「船中八策」などと言っているらしい、それを小沢がおだてているらしい。「維新の会」など、この昭和維新の「維新」あるいは、朴正煕の「維新」体制なのだが、明治維新に仮託しようというのであろうか。
 筒井の著書『昭和期日本の構造』は1984年の作品で、永井和によるの書評も1986年に富山大学教養部紀要に掲載されたものである。その書評は、永井和のホームページに今もアップしてあるものである。筒井著と同様に、永井の書評も25年ほど前のものである。
 永井の書評は、20頁に及ぶ論文なみの長さである。筒井の著書が如何に刺激的であったかということである。実際、永井は、「優れた研究者の、才気溢れた書物を読むことは、ある種の快楽にも似た経験を読者に与えてくれるものである」と書き始めている。
 永井によれば、筒井が分析の対象においているのは、相異なる二種類の政治集団・勢力(いわゆる「統制派」と「皇道派」)であるとする。その考察をするのに、定説としての丸山ファシズム論の検討からはじまっていることを永井は紹介する。
 永井は、筒井の著書に厳密な検討を加えながら、決起したグループの分析の具体的な戦術分析や皇道派ひとからげではなく、より政治意識の強い「改造派」と呼べるグループの析出を評価した上での、クーデターの分析や意義の考察を評価している。さらに永井は、筒井の幕僚エリート論に〈中国通〉あるいは〈中国派〉、〈在外(中)軍部〉というファクターを入れることを提案している。
 筒井の著書は、今なお筒井の代表作である。しかし、今は、永井の書評を対象としてコメントしておく。


 永井の叙述(筒井著にもあること)で、変なのは、統制派、皇道派と呼ばれるグループを「二種類の政治集団・勢力」としていることである。統制派にしろ皇道派にしろ現役軍人である。それを政治集団と把握し、その動きをもって、昭和初期の政治史の主要な局面として考察している。軍人が大臣や首相になることはあるが、それは政治家としての立場に立つことである。しかし、現役あるいは、現場の任務をうけることになる軍人のグループが、注目すべき政治集団であったということ自体が異常なのである。実際にそうだったのだから、などと言ってはいけない。どうして、そのような異常なことが成り立ったのかを解明しなければ、現代の異常さも分かり得ないではないか。
 大正末期から昭和にかけて、政治指導が行われなくなった。象徴的な事件が田中義一の辞任である。政府も軍中央も、軍隊をコントロールできなくったということなのである。コントロールできないから、戦争に突入したのである。統制派にしろ皇道派にしろ、政治的思考や発想など無きに等しい。これらを、政治史的考察の主要焦点に置かざるを得ない状況の深刻さ、というより、研究者の政治史的考察ができない貧弱さの深刻さを考えるべきである。
 研究者というよりはジャーナリストである半藤一利の視点は、「研究者たち」より現実的で示唆的である。海軍と海軍省との対立やジャーナリズムの変化と民衆反応の動向を描いた著書は、極めて現代的である。

 
 決起した青年将校たちは、純粋で、東北農村の疲弊に自重できなかった一途な人たちだったと今なお心酔する人たちがいる。膨張する軍事費をいかに抑制するかは、本当に、人々の生活や国を憂う人々の課題で、軍縮条約や不戦条約は、極めて重要な国策でもあったのである。ゾルゲは、軍事費が国家予算の6割を越し7割にせまりかねない日本の危機的状況を公開論文で報告している。ゾルゲは、何も秘密情報を得て書いたわけではない。幣原はじめ、「政局」にあたっていた人たちは、日本の、それこそ難局の打開に苦慮していたのである。現実には、青年将校たちをはじめとする「軍」の存在自体が、農村の疲弊の根拠でもあり得たのである。


 筒井清忠は、「改造派」というものを考え、政治史あるいは精神史の叙述軸においたそうである。それは、『日本改造法案』の北一輝が革命思想の持ち主だったということになる。この認識は、滝村隆一や永井にも共通する情けない認識である。その内容など、中国律令社会を想起するような専制支配の社会を想起できるだけである。「尊王斬奸」を叫ぶだけで、小隊長等の軍秩序に依拠した命令だけで、徴兵農民兵を動員する「素朴な」軍人が、どうして革命を推進などできるのか。北一輝本人が、革命思想家であるとは思ってはいないだろう。なにやら呪文を唱えて、霊告を告げる革命思想家など、想像すらできない。
 滝村たちが、このとんでもない誤想にはまり込んだ一つのきっかけは、吉本隆明の、権力奪取のリアリティを持てたのは、唯一、北一輝の戦略だけだったといった言辞だろう。
 レーニン指導のロシア革命との相違がどこにあるのかといった趣旨が、永井の書評にある(筒井の叙述は知らない)。レーニンスターリンの区別がないのにも恐れ入る。レーニンは、事前に『帝国主義論』のような世界分析や綱領的な諸文献を大量に著している。革命後、ただちに戦争をやめ、農民に土地の保証をする宣言を行っているが、それを実行できる力が備えられていたのである。戦争をする国家づくりを提唱したのではなくて、戦争を実際にやめるために革命を起こし、戦争をやめたのである。
 ロシア革命武装蜂起が、何ヶ月にもなる二重権力状況、しかも日に日に強化されていくソヴィエト権力という状況の結果行われ、その後、反革命との間で内戦になったということが少しでも念頭にあれば、かかる著書も書評もなかったと思うのである。
 丸山真男批判など、してはいけないことはないが、筒井や永井がするには100年早いと言わざるを得ない。


 問題は、筒井も永井もいまなお同じような見解を維持しているであろうということである。半藤一利の活動などは、確かに立派なものであるのだが、それでも状況の思想的貧相さは、ますます進行していることである。
 そのことが、橋下徹などの言述は、いかがわしいどころではないが、しかし、着実に、社会や国を破壊しかけているのである。