古い友達と、本と。
読了。
荻原魚雷『古本暮らし』(晶文社)
実に、実に幸福な時間でした。
ありがとう、魚雷さん。
エッセイの、最後の一行、もしくは数行に、
思い入れがあるんじゃないかな、と思った。
なんども、笑ったし、ため息をついた。
そしてその一行が、どこにも行かない、
あきらめのような一行であることが多い。
逡巡まるなげ、煙草を一服、みたいな。
読んでいて、ほっとする。
「お金と時間」という文章で書かれている、
お金と時間と、どっちを節約するかについて、
はぁはぁと読んだ。僕が外食してしまうのも、
「食べたい」と思ったときは餓死寸前、みたいな、
そういう生理を持ち合わせているからで、
お金を節約しようと食材を買ってきても、
料理していては間に合わないのである。
時間を節約タイプ?
先日書いた、中田英寿に対する焦り(?)みたいな部分が、
この本を読んでいると、癒される。魚雷さんよりも、
ななつやっつ下なので、「あと7年あるな」なぞと思ってしまう。
しかし、アルバイト週四日って優雅だよなぁ。
僕、六日ですよ。もっと本屋に行きたいですよ。
「第三部」(実際はローマ数字の3)の文章が、
とりわけ笑えた。生活に関するエッセイみたいの。
料理のこととか、生理整頓のこととか、歩くこととか。
『古本暮らし』を読んでいて、読みたくなった本。
小島政二郎『眼中の人 (岩波文庫)』(岩波文庫)*1
鮎川信夫『一人のオフィス―単独者の思想 (1968年)』(思潮社)*2
色川武大『うらおもて人生録 (新潮文庫)』(新潮文庫)*3
関川夏央、山口文憲『東京的日常 (ちくま文庫)』(ちくま文庫)*4
p.183-184に荒川洋治の「行間です」というエッセイが引用されている。
(『詩論のバリエーション』(學藝書林)所収)
それは荒川洋治の、若者に対するいささかきびしい言葉であった。
読みながら、自分が叱られたような気持ちになって、
でもなんというか、嬉しくもあった。
実際はそんなことも無いのだろうが、僕は、
両親から甘やかされて育てられたように感じていて、
あんまり叱られた記憶が無い。幼少のころは別だが、
いい年になってからは、放っておかれているようで、
たまに寂しいと思ったりする。(これがもう、甘えだな)
で、怒られるのは苦手だが、叱られるのはちょっと嬉しいのだ。
かわいがってもらってるんじゃないか、と錯覚する。
これを父親が読むことを想像したら、しかし、
「おいおい、俺はちゃんとお前を叱ってきたぞ」
と、訂正を迫られそうだ。確かに、そう言われると、
叱られた、叱られたんだけど、なんというか、
身にしみないというか、なんだ、無いものねだり?
うーむ。
ついつい、言葉を重ねてしまうね。
面白かったんです。
あ、そう、もうひとつ、
挟まってた「晶文社の読書案内」にはなんと、
「『古本暮らし』の読者のために」と書き添えてある!
専用!
気になる新刊(既刊もあるデヨ)。
梶本博司『デザインサーカス』(ラトルズ)
レーモンクノー、Raymond Queneau、朝比奈弘治『文体練習』(朝日出版社)
荒木経惟『写真への旅 (光文社文庫)』(光文社文庫)
内田樹、平川克美『東京ファイティングキッズ (朝日文庫 う 15-1)』(朝日文庫)
笠智衆『小津安二郎先生の思い出 (朝日文庫 り 2-2)』(朝日文庫)
谷川俊太郎、長谷川宏『魂のみなもとへ―詩と哲学のデュオ (朝日文庫 た 46-1)』(朝日文庫)
『新版 京都音楽空間―音に出会える店案内』(青幻舎)
熊木裕高『吠えない犬』(PLACE M)
熊木裕高『晴天』(蒼穹舎)
『歌謡曲だよ、人生は 完全ガイド』(ウルトラ・ヴァイヴ)
エドガー・アラン・ポー、西崎憲『エドガー・アラン・ポー短篇集 (ちくま文庫)』(ちくま文庫)
内田樹と平川克美とは小学校の同級生だという。
『東京ファイティングキッズ』、文庫になって初めてパラパラしたようだ。
へー。知らなかったよ。ちょっと面白そうよ。
そして同級生といえば、連れがいつのまにか購入していた、
松浦弥太郎『本業失格 (集英社文庫)』(集英社文庫)を、
これまたパラパラしていたら発覚した驚愕の同級生関係。
ヌマ伯父さんこと沼田元氣(Genqui)と松浦弥太郎が!?
『文体練習』本家のほうを、初めて手にした。
パラパラ。6まで読んだ。思ったより、面白い。
でもこれ、コミック版よりも、翻訳に拠るところが、
大きいんだろな。