ナポレオンはバークシャー種

『動物農場』ことば・政治・歌 (理想の教室)

『動物農場』ことば・政治・歌 (理想の教室)

動物農場』を語るのは難しい。はっきりとスターリニズム批判として書かれたものについて、そのスターリニズムが意味をなくし、それどころか共産主義が批判するまでもなく負け犬になっている時代に、どう語ればいいのか。わたしはこの作品について「社会主義がいかに非人間的なものかよくわかった」というレポートを書いてきた学生に激怒したことがある。いま思えば大人気なかったし、その学生は中学・高校と法政だったから、たいがいの他の学生と違って、左翼について自分なりの体験から(もしかしてネガティヴな)イメージをもっていたのかもしれない、と後で気づいたが。ともかく教室では、川端さんも気を遣っているように、歴史を知らないからぴんとこないという学生に、ひとまず事情を教えないといけない。しかしその結果はかなりの確率で、「共産主義ってやっぱりだめなんですね」という、多くの学生が歴史を学ぶ前からもっている印象の強化にしかならない。じゃあどうすればいいか、というと、わたしにもわからないですよ。この本では、話はその後、「ブタが二本足で立つ」というイメージを絵本や民衆文化に探るところから入って、メタファー論が展開され、英語の授業としても構造主義的な文学理論の授業としてもためになる「理想の教室」が進む。この後半はすごく楽しいし、最後にはちゃんとユートピアへと開かれているのだが、前半の隠れた主題、イデオロギー批判について教えることの難しさについて、もっとしつこく正面から書くという選択肢はなかったのだろうか、それともそれは無い物ねだりだろうか。あまりやっちゃっても、学生の側を向いていない教師の自己満足となりかねないか……
衆院選bewaad さんのサイトで誰かがコメントしていたが、そりゃもう今回の自民党は、地盤で田舎の保守、増税なしで都市の中低所得者女性候補を増やして女性票、靖国行って民族派、ブッシュべったりで親米派、とあらゆるところに気を配った上で、改革路線でなんとなしのもやもや打破という、ナポレオン三世なみの総花とりを達成している。郵政民営化というのは実質的には(特定団体以外には)どうでもよい争点なので、空虚なシニフィアンとしてみごとに機能した。さて、あらゆる政治家は最後には負けるわけだが、小泉純一郎という天才は、どういう負け方をするのだろう。他に劇場政治を実現できる人がひょっこり現れるのか、それとも小泉の負け方によって、その後しばらく政党政治の枠組みができるのか……