Hatena::ブログ(Diary)

Essais d’herméneutique このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2050-11-18

はじめに……

アカデミズム底辺で生きる流しのヘタレ神学研究者・氏家法雄による神學、宗教學、倫理學、哲學の噺とか、人の生と世の中を解釈する。思想と現実の対話。

2010年11月25日より「はてな」に雑文を移項いたしますので、今後ともどうぞ宜しくお願いします。

ついでですのでひとつ。

絶賛求職ちう。

過去(2007年8月28日〜2010年11月24日)の雑文は以下のURLより閲覧できます。

引っ越しがうまくいけばこちらへ完全移行の予定。

当分はココログと併用いたします。

Essais d’herméneutique

氏家法雄のブクログは以下のURLから閲覧できます。

ujikenorioの本棚 (ujikenorio) - ブクログ


f:id:ujikenorio:20111229153022j:image

2016-07-28

覚え書:「文化の扉:猫と人間 『優しい伴侶』古代からつきあい」、『朝日新聞』2016年05月15日(日)付。

f:id:ujikenorio:20160724112952j:image

-----

文化の扉:猫と人間 「優しい伴侶」古代からつきあい

2016年5月15日

猫と人間<グラフィック・宗田真悠>

 今、空前の猫ブームなのだという。今年1月の発表によると、犬の飼育頭数約992万頭に対して猫が約987万頭と肉薄。No.1ペットの座を覆す勢いだ。そんな猫と私たちはどんなふうに関わってきたのだろう。

 猫と人間のつきあいは古代エジプトの時代に本格化した。イエネコ祖先リビアヤマネコとされ、早稲田大学教授の近藤二郎さん(エジプト学)によると、猫は鳴き声から「ミウ」と呼ばれたという。

 紀元前10世紀ごろ、猫は女神として崇拝されるようになる。大祭には70万人が集まったという記録も。「猫は聖なる動物でした。このため、ミイラにされ、専用の埋葬所に葬られたのです」と近藤さん。猫を飼う習慣は、やがてギリシャ人の手で世界へと広がる。

 日本最古のイエネコの骨は「魏志倭人伝」にも出てくる一支国の推定地、長崎県カラカミ遺跡出土の弥生中期(紀元前3世紀)のもの。国立歴史民俗博物館千葉県佐倉市)はこの骨を検討して親子猫の生体模型を製作。2018年に常設展示で公開する。模型は母猫が白黒ぶち、子猫キジ白。「当時は愛玩動物というよりネズミから穀物を守る益獣だったのでは」と同館副館長の藤尾慎一郎さん。

     *

 日本最古の猫の絵とされるのが平安時代の「信貴山(しぎさん)縁起絵巻 尼公巻(あまぎみのまき)」(22日まで奈良国立博物館で公開中)の黒白猫だ。一方、守護大名河野氏の居城だった湯築(ゆづき)城跡(松山市、国史跡)からは猫の足跡つきの16世紀の皿が出土した。「乾かしている時に猫が歩いたのでしょう」と愛媛県埋蔵文化財センター調査係長の柴田圭子さん。

 ただし猫は貴重だったせいか、基本的にはつないで飼われていたようだ。物語「猫のさうし」には、1602年に猫の綱を放つよう命じた高札が立てられた結果、ネズミが減った話が出てくる。

 江戸時代、猫は浮世絵にも登場する。「従来は牡丹(ぼたん)や蝶(ちょう)と一緒に長寿の象徴として描かれることが多かった」と東京大学准教授の藤原重雄さん(日本中世史)。それが猫単体で描くことが広がり、「鼠(ねずみ)よけの猫」の絵などとして売り出されるようになっていく。

     *

 猫は人間をどう思っているのか。武蔵野大学講師の斎藤慈子(あつこ)さん(比較認知科学発達心理学)によると、「みゃー」という鳴き声は猫同士では子が親に対してしか使われないことから、「飼い主を親のように思っている可能性が高い」という。「自分の名前も認識している。でも、無理に触るとストレスになるので気をつけてほしい」

 作家、画家などのクリエーターには猫を飼っている人が多い。

 その代表格が作家の大佛(おさらぎ)次郎(1897〜1973)だ。「大佛は猫を『生活になくてはならない優しい伴侶』と言っています。黙って猫をなで、心を通わせることで、執筆中険しくなりがちな心を和らげていたのでは」と大佛次郎記念館研究員の安川篤子さん。

 大佛は生涯に500匹以上の猫を世話した。その死後は、妻やお手伝いさんがかわって面倒をみたという。伴侶である以上、終生飼育は当然。猫ブームの今、あえて訴えたい。

 (編集委員宮代栄一)

 ■横で一緒に徹夜…うれしい 漫画家そにしけんじさん

 猫がラーメン屋の大将(店主)を務める「猫ラーメン」や、プロ野球で活躍する「猫ピッチャー」、猫が日本史上の様々な人物に扮する「ねこねこ日本史」などの作品を描いています。先月からは「〜日本史」のアニメ(NHKEテレ)も始まりました。

 子供の頃から大河ドラマや時代劇を多く見ていて歴史が大好きでした。一方、猫は子供の時からずっと飼っていたので、ある時、もし歴史上の人物が全員猫だったらおもしろいなと思いつきました。

 「〜日本史」には、ねこじゃらしで民をあやつる卑弥呼(ひみこ)や、文字通りの猿を従えた織田信長、ねこじゃらしで戦う新選組など、たくさんの猫が出てきます。猫の種類は、黒船を率いるペリーはアメリカ人なのでアメリカンショートヘア、鑑真などの僧は坊主頭っぽく見えるよう、折れ耳のスコティッシュフォールドなど、考えて決めています。

 猫を飼って後悔したことは一度もありません。徹夜の時には横に来て一緒に徹夜してくれました。意味はないけど、うれしかったです。ぼくは猫は人間と対等な存在ではないかと思っていますし、猫を飼ったことで多くの作品が描けたので、自分にとって、本当に猫さまさまです(笑)。

 ◆「文化の扉」は毎週日曜日に掲載します。次回は「腕時計」の予定です。ご意見、ご要望はbunka@asahi.comメールするへ。

    −−「文化の扉:猫と人間 『優しい伴侶』古代からつきあい」、『朝日新聞2016年05月15日(日)付。

-----

(文化の扉)猫と人間 「優しい伴侶」古代からつきあい:朝日新聞デジタル


Resize2480


Resize1966

覚え書:「求愛 [著]瀬戸内寂聴 [評者]原武史(放送大学教授・政治思想史)」、『朝日新聞』2016年06月19日(日)付。

f:id:ujikenorio:20160724112953j:image



-----

求愛 [著]瀬戸内寂聴

[評者]原武史(放送大学教授・政治思想史)  [掲載]2016年06月19日   [ジャンル]文芸 

 私が自ら女性になることはないし、90歳を超えて生き続けることもないと考えている。だから瀬戸内寂聴のように、90歳を超えても活躍し続ける女性というのは、自分から最も遠く離れたところにいるものと思い込んでいた。

 掌編小説を集めた本書を読み、その思い込みは半ば当たり、半ば外れた。若々しい文体とみずみずしい感性。迫りくる死の気配をはるかに上回る生の横溢(おういつ)——自分が描いていた90歳代の女性のイメージが音を立てて崩れてゆきながらも、やはり「遠さ」を感ぜずにはいられなかった。あまりにも遠すぎて、怖さすら覚えるほどだ。

 その怖さは、例えば「夜の電話」という小説に表れている。女学校時代の同級生が、出征してゆく先生との秘め事を、初めて著者とおぼしき旧友に打ち明ける。70年あまりを経てなお肉体に刻み込まれた記憶。戦争を記憶することの極北が、最後の数行に凝縮されている。

    −−「求愛 [著]瀬戸内寂聴 [評者]原武史(放送大学教授・政治思想史)」、『朝日新聞2016年06月19日(日)付。

-----






書評:求愛 [著]瀬戸内寂聴 - 原武史(放送大学教授・政治思想史) | BOOK.asahi.com:朝日新聞社の書評サイト



Resize1967


求愛
求愛
posted with amazlet at 16.07.24
瀬戸内 寂聴
集英社
売り上げランキング: 12,565

覚え書:「詩のトポス 人と場所をむすぶ漢詩の力 [著]齋藤希史 [評者]蜂飼耳(詩人・作家)」、『朝日新聞』2016年06月19日(日)付。

f:id:ujikenorio:20160724113513j:image


-----

詩のトポス 人と場所をむすぶ漢詩の力 [著]齋藤希史

[評者]蜂飼耳(詩人・作家)  [掲載]2016年06月19日   [ジャンル]文芸 

■土地と言葉をめぐる上質な旅

 現代日本語は、漢詩文を捨てることで出来てきた。齋藤希史はいくつかの著書においてそう指摘してきた。漢字・漢詩文を核として展開する言葉の世界を「漢文脈」と呼び、それを知ることは、素養や文化遺産というより、現代日本語をより深く考え相対化する視点なのだという。著者が重ねてきたこの主張の重要性は、いくら強調しても足りないほどだ。

 そんな著者による、漢詩の本だ。トポスという語の、二つの意味。「ある輪郭をもった特定の場所」と「定型として用いられることばの集積」が、詩歌の力と結びつけられる。洛陽成都・金陵・洞庭(どうてい)・西湖(せいこ)・廬山(ろざん)・涼州嶺南江戸長安。ある土地をめぐる詩が別の詩を呼び、積み重なって、主題を奏でる。

 たとえば、洛陽。「李白にとって洛陽は人生の結び目のような街だった」。李白は、杜甫ともここで出会う。人が集まる都市は、詩の集積地ともなった。

 西湖について。杭州知事として着任した白居易と、ともに官吏任用試験に受かった親友・元シン(げんしん)との交歓は、湖を取りまく情景の発見を浮かび上がらせて、興味深い。白居易の後、蘇軾(そしょく)が知事となる。西湖の治水を手掛け、詩を作る。

 廬山もまた多くの詩人を魅了してきた土地。廬山をめぐって、陶淵明は他の詩人と異なる。「かれは登らない」のだ。詩「飲酒」の「悠然として南山を望む」の南山は、「あくまで自宅の南にある山」。つまり、廬山という語を使えば侵入するであろう神仙や仏教のイメージを、回避しているようにも見える、と著者は推測する。語の一つで、がらりと変わる世界。

 江戸については、近世から明治への変化を眺める。永井荷風が敬慕した漢詩人・大沼枕山(ちんざん)や、明治前半の漢詩の流行と衰退のことなど。最後に長安の章を置く構成が面白い。あとがきも詩に深く触れていて何度も読みたい。どこまでも続く、上質な言葉の旅だ。

    ◇

 さいとう・まれし 63年生まれ。東京大学大学院教授(中国文学)。『漢字世界の地平』『漢文脈と近代日本』など。

    −−「詩のトポス 人と場所をむすぶ漢詩の力 [著]齋藤希史 [評者]蜂飼耳(詩人・作家)」、『朝日新聞2016年06月19日(日)付。

-----







書評:詩のトポス 人と場所をむすぶ漢詩の力 [著]齋藤希史 - 蜂飼耳(詩人・作家) | BOOK.asahi.com:朝日新聞社の書評サイト








Resize1968




詩のトポス 人と場所をむすぶ漢詩の力
齋藤 希史
平凡社
売り上げランキング: 53,679

覚え書:「セネカ 哲学する政治家―ネロ帝宮廷の日々 [著]ジェイムズ・ロム [評者]柄谷行人(哲学者)」、『朝日新聞』2016年06月19日(日)付。

f:id:ujikenorio:20160724114407j:image


-----

セネカ 哲学する政治家―ネロ帝宮廷の日々 [著]ジェイムズ・ロム

[評者]柄谷行人(哲学者)  [掲載]2016年06月19日   [ジャンル]歴史 人文 

■暴君の暴走を許した賢者の悲劇

 セネカローマ時代のストア派哲学者の一人で、多くの著作を残した。とりわけ、怒りという情念を抑制することを説いた賢人として知られている。しかし、同時に、激情が解き放たれ、自他の破滅にいたるような悲劇を書いた作家としても知られている。それはギリシャ悲劇にはないものであり、ゆえに、近世シェークスピアらに甚大な影響を与えたのである。

 それだけではない。「哲学以外のあらゆることを放棄したまえ」と友人に書いたこの人物は、何よりも政治家であった。キリスト教弾圧した暴君として名高いローマ帝国第5代皇帝ネロの、教師であり指南役であった。ネロを帝位につかせようとした母アグリッピナの陰謀に加担し、さらには、ネロが皇帝となったのち母を殺した事件にも関与している。また、彼は執政官という高い地位を利用して、高利貸をおこない、ローマきっての大富豪となった。そして、最後は、ネロの命令で自殺した。

 もちろん、セネカのこのような両面性については生前から非難されていたのだが、彼はそれには触れず、「賢者の恒心について」を書いて平然としていた。どうしてこんなことが可能なのか。セネカとは誰なのか。本書は、それをあらためて問い直すもので、きわめて刺激的である。これを読んで、私はこう考えた。

 ローマシーザーなどによって領土が拡大され、もはや都市国家ではなくなっていたのに、共和政の形式を保持しようとした。「シーザー殺し」がそれを示す。その後に成立した帝政においても、皇帝元老院主席あるいは市民の第一人者にすぎない。つまり、現に皇帝が存在するのに、それが「否認」されたのだ。否認とは、苦痛・不安を避けるために現実を認めないという心理的防衛機制である。カリグラからネロにいたる初期皇帝の時期に、途轍(とてつ)もない暴君が出現したのは、あるいは激情が噴出したのは、そのためではないか。

    ◇

 James Romm 米バード大学教授(古典学)。複数のギリシャ古典の著書があるが、本書が初邦訳。

    −−「セネカ 哲学する政治家―ネロ帝宮廷の日々 [著]ジェイムズ・ロム [評者]柄谷行人(哲学者)」、『朝日新聞2016年06月19日(日)付。

-----







書評:セネカ 哲学する政治家―ネロ帝宮廷の日々 [著]ジェイムズ・ロム - 柄谷行人(哲学者) | BOOK.asahi.com:朝日新聞社の書評サイト


Resize1969


セネカ 哲学する政治家:ネロ帝宮廷の日々
ジェイムズ・ロム
白水社
売り上げランキング: 251,093

覚え書:「科学の扉:次世代太陽電池 発電量・コスト巡り競争激化」、『朝日新聞』2016年05月15日(日)付。

f:id:ujikenorio:20160724113514j:image


-----

科学の扉:次世代太陽電池 発電量・コスト巡り競争激化

2016年5月15日

次世代太陽電池<グラフィック・山本美雪>

 普及が進んだシリコン太陽電池は、発明からすでに60年たつ技術だ。いま、これとは全く異なる材料や構造を使った次世代の太陽電池の開発が進んでいる。さらに発電量を増やしたり、発電コストを安くしたりするのが狙いだ。

 革新的な環境技術の開発で地球温暖化対策を目指すとして、政府が先月まとめた「エネルギー・環境イノベーション戦略」。その中で、将来の実用化が期待される2種類の次世代太陽電池が挙げられた。

 一つは「ペロブスカイト太陽電池」。桐蔭横浜大の宮坂力教授らが2009年に発表した。米科学誌サイエンスが13年に10大科学成果に選ぶなど、太陽電池の世界でいま最も熱いテーマだ。

 名前の由来は、材料に使う特殊な結晶構造(ペロブスカイト構造)だ。太陽光エネルギーを電気に変える変換効率は、最初3・8%だったが、今年3月には韓国チームが22・1%を報告した。研究段階の数字とはいえ、シリコン太陽電池に近い値だ。

 主なシリコン太陽電池は、シリコン(ケイ素)の結晶を薄く切って作るが、あまり薄いと割れてしまう。0・1〜0・2ミリ程度の厚さが必要だ。

 一方、ペロブスカイト太陽電池は、薄さがその100分の1ほどのヨウ素や鉛などの結晶構造でできた膜で発電する。そのため、太陽電池をさらに軽くできる。宮坂さんは「軽いので、人工衛星や探査機の電源として宇宙に打ちあげるのにも有利だ」と話す。

 曲げたり半透明にしたりできるのも特徴だ。窓や壁に貼るなど、シリコン太陽電池とはすみ分けを目指せる。また、この太陽電池は基板の上に材料を塗るだけで作れ、低コスト化も期待される。

 ■極小で無駄なし

 次世代太陽電池の二つ目は「量子ドット太陽電池」。東京大の岡田至崇(よしたか)教授によると、半導体を10億分の1メートルレベルの極めて小さな構造にした「量子ドット」を材料に使う。

 これによって、従来のシリコン太陽電池では生かしきれていなかった太陽光エネルギーを電気に変え、2倍以上も効率が高くなると期待されるという。

 どういうことか。太陽光には目に見える可視光のほか、赤外線紫外線など様々なエネルギーを持った光が含まれる。だが、材料の性質上、シリコン太陽電池が電気に変えられるのは可視光など一部にとどまる。ほかは熱になったり通り抜けたりして無駄になる。

 そこで登場するのが量子ドット。電子を光の波長と同じぐらい狭い領域に閉じ込め、極めて小さな世界になるとあらわれる特殊な「量子効果」を利用する。これによって、これまで発電に使えなかった光を吸収できるようになる。光は「波」と「粒子」としての性質をあわせ持つと考える量子力学にもとづく効果だ。

 岡田さんたちの研究チームは量子ドットと、従来の光を吸収する化合物型の2種を重ねた太陽電池を作り、05年に当時世界最高の変換効率7・7%を発表。現在は29・6%まで高め、英仏のチームと共同研究している。

 小さな面積で高効率発電が見込めるほか、電気自動車の電源などへの応用も期待される。ただ、「年に1千本ほど論文が出て、競争が激しくなっている」と岡田さんは語る。

 ■従来型の改良も

 ただ、ペロブスカイト太陽電池は現状では耐久性が乏しい。有害な鉛を含み環境リスクも抱える。量子ドット太陽電池は材料に希少なインジウムを含むうえ、微小構造を低コストで作るのが難しい。

 東京都市大の小長井誠教授らは現在の太陽電池の材料と同じく、無害で豊富なシリコンに着目した。シリコン結晶で作るナノメートル級の極薄の壁を並べる「ナノウォール型太陽電池」にとりくむ。量子ドット太陽電池と仕組みが似ており、極薄の壁の中に電子を閉じ込めることで量子効果が生じ、効率よい発電に生かせるという。

 一方、現在市場の大半を占めるシリコン太陽電池の改良に取り組むのは、大阪大の小林光教授だ。酸やアルカリ性の液体に表面を浸すだけで、光を反射せず吸収できる加工技術を開発。反射防止膜が不要になり、低コスト化につながると期待する。

 政府太陽光発電コストの目標は、火力など基幹電源並み(1キロワット時あたり7円)以下だ。現在は約4倍程度。小林さんは「発電効率だけでなくコストの視点が重要だ」という。(小堀龍之)

 ◇「科学の扉」は毎週日曜日に掲載します。次回は「動く遺伝子」の予定です。ご意見、ご要望はkagaku@asahi.comメールするへ。

    −−「科学の扉:次世代太陽電池 発電量・コスト巡り競争激化」、『朝日新聞2016年05月15日(日)付。

-----




(科学の扉)次世代太陽電池 発電量・コスト巡り競争激化:朝日新聞デジタル





Resize2481

Resize1970

2016-07-27

日記:ある種の人々にとっては、歴史修正主義やレイシズムなんて「何それおいしいの」(手でゲロ)って感覚が実際なのじゃないのかな


f:id:ujikenorio:20160724091824j:image


しかし、ある種の人々にとっては、歴史修正主義レイシズムなんて「何それおいしいの」(手でゲロ)って感覚が実際なのじゃないのかなと最近は推察するようになりました。

※私の批判のスタイルに反発を覚えるフシもあるでしょうけど、ソクラテスは市民に対してアブたるべきが哲学者の務めと認め、対話篇もそのとおりなので、まあ、許してくださいな、というか……。

学者じゃなくても、フツーに考えれば、歴史修正主義レイシズムその他有象無象ありますけど、持ち上げることに「吝か」になってしまうものを、たやすく持ち上げてしまう。

何度も指摘してしも、同じことの繰り返し。それって、私の言及していることが、実際のところ「よく知らない」(スマソ)みたいな感覚なのかなあ。

それでよくはないのだけど、知性と倫理のハードルを落としすぎやろうというのが僕の認識です。

二乗の傲慢とか言われそうですが、「学会」(学ぶ会)な訳ですから……。バカで何が悪いって居直りは文脈が違うわけです。

最近キーワードになっているのが「反知性主義」。アメリカ由来の言葉ですが、これは、権力といった1%のひとびとが、知性を都合よく独占することに「それは、おかしいぜ」という宗教的良心の発露だった訳ですよ。

丸め込まれて連動されて……。まあ、いいか。いや、よくないわーーー。

ちなみにこのポストでは専門用語は使っておりませんので念のため。

ちなみに言説の相互批判における「お前、馬鹿か!」はレイシズムではありませんので念のため。



Resize1941

覚え書:「ウナギと人間 [著]ジェイムズ・プロセック [評者]円城 塔 (作家)」、『朝日新聞』2016年06月19日(日)付。

f:id:ujikenorio:20160724091825j:image



-----

ウナギと人間 [著]ジェイムズ・プロセック

[評者]円城 塔 (作家)  [掲載]2016年06月19日   [ジャンル]科学・生物 

■日本人の知らない多彩な横顔

 世界で一番ウナギを食べているのは日本人である。

 だから、ウナギのことを一番知っているのも日本人だとつい考えてしまいたくなる。

 世界ではじめてウナギの産卵場所を特定したのも日本の研究者だし、季節になると、みんな天然ウナギの激減を心配している。世界一のウナギ好きな国であっても不思議はない。

 しかし、好きだという気持ちと、相手を理解できているかどうかはまた別の話でもある。

 ウナギのおいしい食べ方を知っているのは日本人だけ、と思いがちだが、本書にでてくる各国の料理をみていると、どうもそういうことはなさそうだ。

 ウナギが川を下ってはるか海のかなたで卵を産むことは周知のとおり。

 でも、そのウナギが何千匹という巨大な群れをなして川を遡(さかのぼ)ってくる地域があることはあまり知られていない。しかも、その移動はほんの数日の間に限られるという。

 重箱や丼にのったウナギを眺めて、このウナギは何歳だったのか、どこまで大きくなるものなのかと考えることもまずない。水路でウナギをみかけたことがある人はいても、家で飼ったことがあるという人は少ないのではないか。

 著者がニュージーランドで出会ったウナギは、ふくらはぎほどの太さがあり、頭部だけで十数センチ。池の中に飼われており、ステーキ肉にさそわれて、五、六匹が顔を出す。

 漁に挑戦した著者がつかまえた体重五キロをこえるウナギは「だいたい六〇歳」だと教えられる。「私は今まで、自分より年寄りのものを殺したことがない」と著者は記す。

 世界には、ウナギを自分たちの祖先としたり、土地の守護者とみなす人々がおり、畏敬(いけい)の念を抱いている。

 そうした人々にとって、ウナギに関する知識は個々人のプライベートなものであり、むやみに人に話すことがらではない。共に生きる相手であって、生まれ故郷や死に場所を詮索(せんさく)するべき対象ではない。

 世界中をとびまわり、ウナギと実地につきあっていく著者は、日本人の知らないウナギの姿を次々と描きだしていく。仲間としてのウナギと、食べ物としてのウナギ、どちらかの見方ではなく、どうしても相反してしまう考えを事実として確認していこうとする。

 アメリカ人である著者の視点は時に、オセアニアに対する幻想色を帯びてしまうが、これは異文化に対するときに常に起こることである。なじんだ文化にとじこもらずに、外からの視点を導入するきっかけとしてもウナギはとても有用である。

    ◇

 James Prosek 75年米国生まれ。自然とのかかわりをテーマにした著書を出版するかたわら、美術作品を通して自然保護へのメッセージを発信するアーティストとしても知られる。

    −−「ウナギと人間 [著]ジェイムズ・プロセック [評者]円城 塔 (作家)」、『朝日新聞2016年06月19日(日)付。

-----






書評:ウナギと人間 [著]ジェイムズ・プロセック - 円城 塔 (作家) | BOOK.asahi.com:朝日新聞社の書評サイト



Resize1942


ウナギと人間
ウナギと人間
posted with amazlet at 16.07.24
ジェイムズ プロセック
築地書館
売り上げランキング: 138,815

覚え書:「尻尾と心臓 [著]伊井直行 [評者]市田隆(本社編集委員)」、『朝日新聞』2016年06月19日(日)付。

f:id:ujikenorio:20160724091826j:image


-----

尻尾と心臓 [著]伊井直行

[評者]市田隆(本社編集委員)  [掲載]2016年06月19日   [ジャンル]文芸 


■会社員それぞれの生き方に共感

 「企業小説」とも「経済小説」とも違う「会社員小説」だ。仕事での試行錯誤を通じて変容していく会社員の内面にじっと目をこらす本書を読んでいると、「平凡なサラリーマン」ではない姿が浮かび上がる。

 九州が本社の食品問屋・商社「柿谷忠実堂」の東京にある子会社「カキヤ」が小説の舞台。九州本社から出向してきた乾紀実彦、外資系経営コンサル会社から柿谷グループの別会社に転職してきた笹島彩夏が、親会社肝いりの新規事業開発でタッグを組む。GPSを利用した営業補助システム「セルアシ」の商品化が目標だ。ところが、親会社を敵視するカキヤ社内で様々な抵抗に遭い……と紹介すると、「なんだ、普通の企業小説じゃないか」と思うかもしれないが、かなり違う。苦労した末のサクセスストーリーの経過ではなく、主人公二人が仕事、会社、家族について思い悩む描写が濃厚に展開される。

 乾は開発責任者のプレッシャーから、あらゆる仕事相手が自分をどう思うか常に気に病む。仕事ができる笹島も、目標達成への不安、乾への嫌悪感でストレスを抱え込む。しかし、二人はちょっとした仕事の進展で元気を取り戻す。

 こうした遅々たる歩みに会社員として共感してしまう。事業開発の苦境で「一発逆転」のような派手な場面はないが、会社員のありのままを映しているのだ。

 カキヤの気難しいワンマン社長、新技術導入を断固拒否する古参社員、企業小説では敵役にあたる登場人物だが、それぞれ紆余曲折(うよきょくせつ)してきた会社員の生き方が示され、存在感がある。

 「平凡とか灰色とか、そういうイメージで見られがちな会社員も、実はそれぞれの人生を背負った上で働いている」

 笹島がもらすこの言葉は、都会の雑踏に紛れてしまいがちな会社員がアイデンティティーを得た実感だ。当たり前のような言葉だが、本書を読むとじわっとしみる感動を覚えた。

    ◇

 いい・なおゆき 53年生まれ。83年に群像新人文学賞。01年『濁った激流にかかる橋』で読売文学賞

    −−「尻尾と心臓 [著]伊井直行 [評者]市田隆(本社編集委員)」、『朝日新聞2016年06月19日(日)付。

-----







書評:尻尾と心臓 [著]伊井直行 - 市田隆(本社編集委員) | BOOK.asahi.com:朝日新聞社の書評サイト








Resize1943



尻尾と心臓
尻尾と心臓
posted with amazlet at 16.07.24
伊井 直行
講談社
売り上げランキング: 33,250

覚え書:「ニセモノの妻 [著]三崎亜記 [評者]五十嵐太郎(建築批評家・東北大学教授)」、『朝日新聞』2016年06月19日(日)付。

f:id:ujikenorio:20160724091827j:image


-----

ニセモノの妻 [著]三崎亜記

[評者]五十嵐太郎(建築批評家・東北大学教授)  [掲載]2016年06月19日   [ジャンル]文芸 

 日常の風景がかすかにズレたとき、世界のあり方がおそろしく変容する夫婦の物語を4編収録している。

 例えば、引っ越ししたばかりの高層マンションを夜にふと見上げたとき、自分の部屋だけが明るく、ほかは真っ暗だったという「終(つい)の筈(はず)の住処(すみか)」。突如、家の前の坂道が坂愛好家によってバリケードで封鎖される「坂」。同じ家に暮らしながら時間の断層によって夫婦が引き裂かれていく「断層」(夫は非日常と格闘し、妻だけに日常が続くために余計に切ない)。そしてある日、妻が自分はニセモノになったのではないかと疑いだす表題作。

 三崎のデビュー作『となり町戦争』も戦争のスペクタクルではなく、戦争の概念と日常のあいだに生じる違和感を巧みに描いていたが、本書でもその路線を踏襲している。そして日常の不条理が突きつけるのは、妻の固有性とは何か、「坂」や「マンション」とは何かといった形而上(けいじじょう)学的な問いにほかならない。

    −−「ニセモノの妻 [著]三崎亜記 [評者]五十嵐太郎(建築批評家・東北大学教授)」、『朝日新聞2016年06月19日(日)付。

-----







書評:ニセモノの妻 [著]三崎亜記 - 五十嵐太郎(建築批評家・東北大学教授) | BOOK.asahi.com:朝日新聞社の書評サイト


Resize1944




ニセモノの妻
ニセモノの妻
posted with amazlet at 16.07.24
三崎 亜記
新潮社
売り上げランキング: 167,351

覚え書:「キリスト教主義、維持に腐心 大規模化する大学、薄れる宗教色」、『朝日新聞』2016年05月14日(土)付。

f:id:ujikenorio:20160724091828j:image


-----

キリスト教主義、維持に腐心 大規模化する大学、薄れる宗教

2016年5月14日

関西学院大文学部のチャペルアワーで、聖歌隊の指導で賛美歌練習する学生ら=兵庫県西宮市

 日本ではキリスト教の信徒数と比べてキリスト教系大学が多く、受験生の人気を集める有名大学も少なくない。大規模校になり宗教色が薄まるなかで、大学は創立の原点であるキリスト教主義の維持に腐心する。

 ■毎日30分、講話・礼拝 関学

 兵庫県西宮市関西学院大は毎日午前の30分間、各学部のチャペルで宗教講話や音楽礼拝といった学生向けの集会を開く。4月下旬、文学部のチャペルには約150人の学生が集まり、大学の聖歌隊から賛美歌の指導を受けていた。

 1年の女子学生(18)は「初めは驚いたけど、知らない世界に触れるいい経験」と言う。出席義務はないが、必修科目「キリスト教学」の評価に反映する学部もある。学年が上がるにつれて出席が減るのが課題という。

 関学大は1889年、米国プロテスタント宣教師が開いた塾生19人の私塾が起源。現在は11学部、約2万3千人を擁する関西屈指の私大だ。舟木譲・大学宗教主事は「キリスト教主義をどう体現し続けるかが課題。国際社会宗教の影響は至る所にあり、大学で基礎知識を学ぶ意義を伝えている」と話す。

 神学部では伝道者を育成し、毎年数人が輩出。以前は主に信徒のみを受け入れていたが、志願者が減り、2004年に思想・文化コース設立して対象を広げた。土井健司・神学部長は「4年間を通して伝道者を目指す学生を一人でも増やしたい」と話す。

 ■文化・倫理学ぶ新コース設置 上智/小中高、教員養成プログラム 青学

 大規模校へと成長した大学は、キリスト教主義の維持に知恵を絞る。

 カトリック系で国内唯一の神学部がある上智大(東京)は09年、聖職者宗教科教員養成のコースに加えキリスト教文化・倫理を学ぶ2コースを新設。それまで定員は25人程度で、学部の維持が難しかったという。光延一郎・神学部長は「神学部は大学の心臓。キリスト教的価値観を広める使命がある」と話す。

 1977年に文学部神学科を廃止した青山学院大東京)は09年、キリスト教系小・中・高校の教員養成プログラムを創設した。「団塊世代の教員の大量退職で、キリスト教理念を学ぶ機会のない若い教員が増えた」と伊藤悟・大学宗教部長。毎年十数人が指定の宗教科目を履修し、キリスト教系学校の全国組織と連携して就職も支援する。

 国際基督教大東京)は創立以来、教授・准教授は信徒であることを原則とする。学内には「教員が確保できない」との議論もあったが、海外に人材を求め、外国籍教員が35%を占める。森本あんり学務副学長は「国内でキリスト教は少数派。大学のアイデンティティーを明確にし、日本の教育に多様性を確保する意義がある」と話す。(玉置太郎)

 ■120校、全私学の1割超 信者数は人口の1.5%

 文化庁宗教統計調査では、国内のキリスト教系の信者は約200万人とされ、人口の1.5%という少数派だ。一方、公益財団法人国際宗教研究所の調査では、キリスト教系大学・短大は全国に少なくとも約120校あり、全私学の1割超を占める。

 「宗教と学校」の著書がある橘木俊詔としあき)・京都女子大客員教授によると、明治期に来日した宣教師が布教のため設立した私学校を起源とする大学が多い。「日本が先進国を目指すなか、西洋の象徴としてキリスト教文化へのあこがれは強く、各大学が人気を集めていったのではないか」とみる。

 ■主なキリスト教系大学と設立

プロテスタント系>

 明治学院東京)  1863年

 青山学院東京)  1874年

 同志社京都)   1875年

 関東学院神奈川) 1884年

 関西学院兵庫)  1889年

 西南学院福岡)  1916年

カトリック系>

 上智東京)    1913年

 南山(愛知)    1946年

聖公会系>

 立教(東京)    1874年

<超教派>

 国際基督教(東京) 1949年

 (前身の私立学校私塾を含む)

    −−「キリスト教主義、維持に腐心 大規模化する大学、薄れる宗教色」、『朝日新聞2016年05月14日(土)付。

-----




キリスト教主義、維持に腐心 大規模化する大学、薄れる宗教色:朝日新聞デジタル





Resize2479

Resize1945

2016-07-26

覚え書:「高橋源一郎の『歩きながら、考える』:沖縄が声一つに、求め続けた憲法」、『朝日新聞』2016年05月14日(土)付。

f:id:ujikenorio:20160724090126j:image


-----

高橋源一郎の「歩きながら、考える」:沖縄が声一つに、求め続けた憲法

2016年5月14日

米軍の新しい飛行場建設が計画される沖縄辺野古の周辺を歩く。重低音を響かせて、頭上にヘリコプターが飛来した=沖縄県名護市

 3月まで「論壇時評」を連載していた作家の高橋源一郎さんが、憲法記念日に合わせて沖縄県を訪れました。米軍基地と向き合ってきた人々の歴史、日本国憲法の意味を問う市民の声。沖縄憲法を考える旅から見えたものは……。寄稿をお届けします。

 天気予報ははずれて、抜けるような青空が広がっていた。

 憲法集会に出席した翌日、世界遺産にもなった、古琉球のグスク(城)の遺跡の一つ、勝連城跡に登った。13世紀前後に作られた城の壁は、優雅な曲面を描き、目にしみるほど赤い花に彩られたその姿は、どこか異国の建物を思わせて、息を呑(の)むほど美しかった。

 城の頂上に登ると、遙(はる)か遠くまで海が見えた。太古の時代、その海を通り「やまと」まで北上していった人たちがいたのだろうか。

 柳田国男は晩年、日本人の祖先は、遠い南方から、沖縄の島づたいにやって来たのではないかと書いた。その中で、島に残った人たちは、そこで生き、やがて日本本土とは異なる歴史と文化を持つ一つの王国を作り上げた……その仮説は、いまも不思議な魅力をたたえて存在している。

 わたしが出席したのは、毎年、憲法記念日に開かれる大きな集会だった。その中で、一場の寸劇が演じられた。途中、役者たちは、日本国憲法について論じ合う。

 「『憲法第43条 両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する』。けれども、憲法制定を議論した国会沖縄の代表はいなかった。米軍の統治下にあった沖縄は、議員を送ることができなかったからだ」

 あるいは、こういうことばも。

 「もし、日本が憲法9条を捨てるなら、沖縄はその9条を掲げて独立したほうがいい!」

 こんなセリフが役者の口から出るたびに、場内から、大きな拍手や口笛が、あるいは、ためらいがちな拍手が起きた。

 沖縄について考えるとき、たとえば、基地問題保守と革新で対立しているのだ、というように思われがちだ。

 だが、実際には、保守が基地依存派で革新は基地反対派、と単純に分類することはできない。そして、ときに、政治的な立場を超えて、沖縄は一つの声になろうとする。

 2007年、沖縄戦における「集団自決の強制」という記述が、高等学校歴史教科書から、「日本軍の命令があったか明らかではない」として削除・修正させられた。この検定結果を撤回するよう求める決議は、沖縄のすべての市町村で可決された。

 あるいは、沖縄本土「復帰」を目指した「沖縄県祖国復帰協議会」にも、初期には、保守的な性格の団体も加わっていた。

 当時の記録を読むと、敗戦で日本から切り離された彼らが共に目指したのは、なにより、本土に「復帰」し、日本国憲法が自分たちにも適用されること、そのことで、奪われていた平和と人権を獲得することだったことがわかる。沖縄の人たちが、党派を超えて戻ろうと願ったのは、単なる祖国日本ではなく、「日本国憲法のある日本」だったのだ。

 1972年の本土復帰の数年前、突然、うるま市昆布という地域の土地を接収する、と米軍が通告した。数年にわたる反対闘争が起こり、やがて米軍は土地の使用を諦めた。当時まだ二十歳(はたち)そこそこだったある女性は、忘れられないこんな光景を話してくれた。

 あるとき、アメリカ兵たちが行軍してきて、反対派の小屋に向かって、石を投げ始めたのだ。その頃、沖縄は「ベトナム戦争」への米軍の出撃拠点だった。まるで、その「戦争」が、直接、持ちこまれたかのようだった。

     *

 いま、米軍普天間飛行場辺野古移設をめぐって、大がかりな反対運動が起こっている。辺野古のゲート前で座りこみを続けるある男性は、こんなことをいった。

 「米軍は表には出てきません。わたしたちが反対のために座りこむと、機動隊が排除のために出てきます。当初は沖縄県警の機動隊でした。最近では、東京警視庁から来た機動隊がその役目を担っています」

 なにより印象的なのは、東京から来た機動隊は、ときに「笑いながら」、反対派を排除してゆくことだ、と男性はわたしに呟(つぶや)いた。それは沖縄の機動隊員には見られない表情だった。

 「アメリカ」の代わりに、自分たちの前に立ちはだかる「日本」。その「日本」は、戻りたいと切望した「日本国憲法のある日本」なのだろうか。

 鶴見俊輔アメリカに留学中、日本とアメリカの間で戦争が始まった。鶴見は、敵性外国人として捕虜収容所に入れられていたが、そこで、日本に戻るか、と問われ、「戻る」と答えた。鶴見は、戦争を遂行しようとしている祖国日本に反対していた。それでも戻ろうとした理由について、こう書いている。

 「日本語……を生まれてから使い、仲間と会ってきた。同じ土地、同じ風景の中で暮らしてきた家族、友だち。それが『くに』で、今、戦争をしている政府に私が反対であろうとも、その『くに』が自分のもとであることにかわりはない。法律上その国籍をもっているからといって、どうして……国家の権力の言うままに人を殺さなくてはならないのか。……この国家は正しくもないし、かならず負ける。負けは『くに』を踏みにじる。そのときに『くに』とともに自分も負ける側にいたい、と思った」

 鶴見は、「国(家)」と「くに」をわける自分のこの考えは、なかなか理解されにくいだろうと書いている。鶴見が戻った戦争中も、そして、現在でもなお。

 だが、沖縄にいると、鶴見の、そのことばが、わかるような気がする。

 沖縄の人たちが守ろうとしてきたのは、そこで生きてきた、自分たちの土地、そこで紡がれてきた文化だろう。それは、彼らにとって「くに」と呼ぶべきものなのかもしれない。けれど、彼らが「くに」を守ろうと立ち上がると、その前に立ちはだかるのは、「アメリカ」という「国」、そして、彼らを守るべきはずの「日本」という「国」だったのだ。

 沖縄で見せる、この「国」の冷たい顔は、わたしたちに、「国」とは何か、ということを突きつけているように思えるのである。

 ベトナム戦争が続いていた60年代半ば、合衆国憲法で保障されているはずの黒人の権利、とりわけ参政権を求めて戦っていたアメリカ公民権運動活動家、フェザーストーンは日本中を講演して回った。アメリカ軍政下にあった沖縄にも渡った。旅の感想を訊(き)かれた彼は、簡潔にこう答えた。

 「日本は、沖縄沖縄以外の部分と、その二つにわかれている。それだけだ」

 彼は、遠い異国を歩き、考えたのだ。アメリカの黒人たちと同じように、抑圧される人たちがここにいる、と。それから半世紀、いま生きて、彼が沖縄を再訪したなら、どんな感想を抱くだろう。

     ◇

 「沖縄が日本の一部でなかった時代も想像したい」という高橋さんの発案で訪ねた古城。この地は誰のものか、考えさせられました。シリーズ「歩きながら、考える」(随時掲載)は、高橋さんが現場を訪ねつつ時代を考察する寄稿企画です。(編集委員塩倉裕

    −−「高橋源一郎の『歩きながら、考える』:沖縄が声一つに、求め続けた憲法」、『朝日新聞2016年05月14日(土)付。

-----


(高橋源一郎の「歩きながら、考える」)沖縄が声一つに、求め続けた憲法 - 沖縄:朝日新聞デジタル


Resize2477


Resize1936

覚え書:「書評:日本会議の研究 菅野完 著」、『東京新聞』2016年06月19日(日)付。

f:id:ujikenorio:20160724090127j:image



-----

日本会議の研究 菅野完 著

2016年6月19日


◆「反憲」団体の内幕 丹念に

[評者]沼田良=政治学者

 なぜ政権は反動化し、街角でヘイトスピーチが多発するのか。単に社会が右傾したせいか。本書はこうした通念を排して、これが「一群の人々」による執拗(しつよう)な運動の成果であることを実証しようとしたノンフィクション・リポートである。渦中にある話題の書だ。一群の人々とは「日本会議」を中心とした特異な保守系集団である。本書はその実態に迫る。内幕を広く可視化した意義は小さくない。

 分析される側には歓迎できない本のようで、刊行の直前に当事者から差し止め要求があったという。ただし、著者は対象と冷静に向き合い、丹念に取材を重ねて記述している。

 彼らは安倍内閣に強い影響力を持っており、現に閣僚の多くが関係団体「日本会議国会議員懇談会」に属している。人権を制限して首相に権限を集中させる緊急事態条項など、自民党改憲案の骨子はこの集団の主張と符合している、という。そうであれば、得心の行くことが多い。

 現行憲法を否定し骨抜きにする「反憲」によって、明治憲法への「復憲」をめざす。結果として、この復古的なナショナリズムと、TPPなど現下のグローバルな新自由主義とが政権内で混在する。無定見さが危うい。本書によれば、彼らの多くは「生長の家」の関係者だった。同教団が一九八三年に路線変更した後、本体から離脱した古参の政治グループという。反民主的な諸政策を、署名集めや地方議会の意見書など一見民主的な手法で推進する。

 社会現象としての日本会議の背景は何か。それは、この国の未成熟さだと思えてならない。憲法理念どおりの生活を経験していない戦後が産み落とした異形だと言えるだろう。

 日本会議が問題なのは、現政権に密着した巨大な圧力団体だからだ。なぜ生長の家の旧政治グループが安倍首相と結びついたのか。日本会議はどのように安倍内閣を「上部工作」したのか。さらなる解明が待たれる。

 (扶桑社新書・864円)

 <すがの・たもつ> 1974年生まれ。著述家。著書『保守の本分』(noiehoie名義)。

◆もう1冊

 上杉聰著『日本会議とは何か』(合同ブックレット)。安倍政権を支え、改憲運動を推進する巨大組織の論理と手法を紹介する。

    −−「書評日本会議の研究 菅野完 著」、『東京新聞2016年06月19日(日)付。

-----






東京新聞:日本会議の研究 菅野完 著:Chunichi/Tokyo Bookweb(TOKYO Web)



Resize1937




日本会議の研究 (扶桑社新書)
菅野 完
扶桑社 (2016-04-30)
売り上げランキング: 74

覚え書:「書評:【書く人】元気をもらえる魅力 『子規庵・千客万来』国文学者・復本一郎さん(72)」、『東京新聞』2016年06月26日(日)付。

f:id:ujikenorio:20160724090506j:image


-----

【書く人】

元気をもらえる魅力 『子規庵・千客万来』国文学者・復本一郎さん(72)

2016年6月26日

 わずか三十四年の生涯で、俳句短歌の革新、さらには写生文による文章革新という大事業をやってのけた正岡子規(一八六七〜一九〇二年)とは、どのような人物だったのか。本書は交流のあった多数の門人や友人らが雑誌などに残した文章から、子規の人となりや人間的な魅力を生きいきと伝える。

 エピソード満載の楽しい本だ。例えば、子規門の歌人・伊藤左千夫は「最も敬服に堪えないのは常に反省心を有して居られた点である」と述べ、他界する三カ月前に子規が「自分の俳句は、自分の思つたよりも、下等であつた」と語ったと記している。十六歳のとき東京・根岸の子規庵を訪ねた岩動炎天(いするぎえんてん)という俳人は、「頭ばかり大きく、御顔は痩せ衰へ、腕は箸の如く細り給ひし御容態」と最晩年の子規の様子を描写したあと、その病苦のなかで初対面の少年が「よく来てくれた」と迎えられ、「御話を伺ひつゝ時間を過ごした」と回想している。

 「左千夫が言うように、自分を客観視できること、それが一流の文学者の資質だと思う。子規は無名の若い人でも目上の人でも分け隔てをしなかった。時代というものに対する関心が非常に強く、訪ねてくる人たちから世間の動向を聞きたかったのでしょう。当時は死の病といわれた結核患者ですから、普通は忌み嫌われるはずなのにみんなが集まってくる。元気づけるのではなく、子規から元気をもらっている。そこが子規の不思議な魅力ですね」

 日清戦争で従軍記者となった子規は明治二十八(一八九五)年に帰国の船中で喀血(かっけつ)。子規庵に戻ってからほとんど寝たきりとなる。そして明治三十五年九月十八日、画板に<糸瓜(へちま)咲て痰(たん)のつまりし佛(ほとけ)かな>など三句を書きつけ、翌日死去した。

 脊椎カリエスによる「病床六尺」の生活のなかで、なぜ俳句短歌、文章の革新が成し遂げられたのか。その理由を問うと、復本さんはこう答えた。「病を前向きに受け止め、病を愉(たの)しむ境地です。だから句も文章も明るく、ユーモアがあってじめじめしていない。それは今、病で苦しんでいる方に対する応援歌になるのではないでしょうか」

 復本さんは芭蕉や鬼貫(おにつら)、俳諧史・俳論史の研究を経て、子規の世界に開眼。現在は評伝を書く準備中で、「来年は生誕百五十年なのでぜひ出したい」と話す。

 コールサック社・一六二〇円。 (後藤喜一

    −−「書評:【書く人】元気をもらえる魅力 『子規庵・千客万来』国文学者・復本一郎さん(72)」、『東京新聞2016年06月26日(日)付。

-----







東京新聞:元気をもらえる魅力 『子規庵・千客万来』国文学者・復本一郎さん(72):Chunichi/Tokyo Bookweb(TOKYO Web)








Resize1938




子規庵・千客万来
子規庵・千客万来
posted with amazlet at 16.07.23
復本 一郎
コールサック社 (2016-05-13)
売り上げランキング: 379,930

覚え書:「【書く人】謎解き通じ伝える体験『残照 アリスの国の墓誌』 作家・辻真先さん(84)」、『東京新聞』2016年07月03日(日)付。

f:id:ujikenorio:20160724090507j:image


-----

【書く人】

謎解き通じ伝える体験『残照 アリスの国の墓誌』 作家・辻真先さん(84)

2016年7月3日


 アニメ界でレジェンド(伝説)と呼ばれる人だ。一九六九年、国民的アニメサザエさん』の初回放送の脚本を担当。八十歳を過ぎた今も『名探偵コナン』や『コンクリート・レボルティオ』の脚本を手掛けている。そんな辻さんが「大人の世界に切り込もう」と発表したのが、八二年に日本推理作家協会賞を受賞した『アリスの国の殺人』。五月に発刊した『残照−アリスの国の墓誌』は、同シリーズの最終作にあたる。

 店じまいする新宿ゴールデン街のスナック「蟻巣(ありす)」に、なじみ客が集う。亡くなった漫画界の巨匠、那珂一兵をめぐる思い出話で浮上したのが、二階の密室でおばあさんが墓石の下敷きになったり、若い女性が腹を切り裂かれたりした異様な事件。その謎を解きほぐす本格ミステリーの体裁を取りながら、昭和期の漫画家やテレビマンの奮闘ぶりを生き生きと描く。

 サブカルチャーの黎明(れいめい)期を知る辻さんは「昔は漫画やアニメが低く見られ、ずっとひがんできた」という。しかし両者は今や日本が世界に誇る文化に成長した。本作について「これでひがみ納め」と笑う。

 『アリスの国の殺人』には、赤塚不二夫さんが生んだキャラクターのニャロメや鉄人28号が出演。自由奔放な言葉遊びもちりばめた。「書きぶりが大人になった」という本作は、より社会派の内容に。それでも藤子・F・不二雄さんのSF作品『ノスタル爺(じい)』が印象的に登場し、同じページの上下で別の場面が進むユニークな仕掛けもある。

 テレビ脚本、マンガ原作、SF小説…希代のストーリーテラーとして、三千本近い「お話」を生み出した。しかし数年前に足を痛め、晩年を意識するようになった。「途中で終わると読者に申し訳ないから」と、次々シリーズを“店じまい”している。

 少年時代に命からがら生き延びた名古屋大空襲の光景が、今も脳裏に焼き付いているという。「ひどい体験こそ伝えなければいけない」。太平洋戦争から復員した那珂が帰郷するシーンで始まる本作も、反戦のメッセージが読み取れる。

 今も最新の漫画やアニメのチェックに余念がない。戦争の実体験と、現代の若者に届く言葉を併せ持つ、希有(けう)な書き手だ。「若い人は、過去と未来をそれぞれ五十年ずつ考える視野を持って」と呼び掛ける。

 東京創元社・一九四四円。 (岡村淳司)

    −−「【書く人】謎解き通じ伝える体験『残照 アリスの国の墓誌』 作家・辻真先さん(84)」、『東京新聞2016年07月03日(日)付。

-----







東京新聞:謎解き通じ伝える体験『残照 アリスの国の墓誌』 作家・辻真先さん(84):Chunichi/Tokyo Bookweb(TOKYO Web)


Resize1939



残照 (アリスの国の墓誌)
辻 真先
東京創元社
売り上げランキング: 266,278

覚え書:「be report:広まる「子ども食堂」 大人含めた居場所に」、『朝日新聞』2016年05月14日(土)付土曜版be。

f:id:ujikenorio:20160724090508j:image


-----

be report:広まる「子ども食堂」 大人含めた居場所に

2016年5月14日

子ども食堂」がつくる動き/子ども食堂の広がり/先進20カ国子ども貧困率/日本の相対的貧困率の移り変わり<グラフィック・上村伸也>

 温かいごはんをみんなでわいわい食べよう——。経済的な事情で食事が十分にとれなかったり、独りで夕食をとっていたりする子どもたちに、無料か格安食事を提供する「子ども食堂」が全国で急速に広まっている。子どもだけでなく、大人も含めた地域の居場所を作ろうとする新たな動きも出てきた。

 「給食が1日の栄養源」「親が夜も働き、夕飯は1人でコンビニ弁当」。「子ども食堂」は、そんな子どもたちに食事を提供する場所だ。首都圏を中心とする「こども食堂ネットワーク」に参加する食堂は、昨年4月の7カ所から今年4月には63カ所に急増。全国では100以上あるとみられる。

 多くはNPOやボランティアが運営している。週1回、あるいは月に1、2回開かれ、子どもは無料か200〜300円、20〜30食ほどが提供される場合が多い。場所は寺や教会、個人宅や休業日の飲食店、公民館などの公共施設など。寄付を募ったり、地元から食材を提供してもらったりする。担い手には、これまで市民活動に関わってこなかった人も多い。

 こども食堂ネットワーク事務局の釜池雄高さん(39)は急増の背景をこうみる。「子ども貧困メディアで報じられ何かをしたいと思う人が増える中、ごはんづくりは気軽にできる」。ネットワークは昨夏以降、「つくり方講座」を何度か開き、先輩食堂が体験談や運営方法を説明してきた。

 ■貧困率に衝撃

 2014年に厚生労働省が発表した国民生活基礎調査のデータは多くの人に衝撃を与えた。国民全体の真ん中の人所得の半分に満たない人の割合を示す相対的貧困率が日本の子どもは12年に16・3%に達したからだ。ユニセフの同年の報告書によると、日本の子ども相対的貧困率は先進35カ国中高いほうから9番目で、今年4月の発表では、下から10%の子どもと真ん中の子ども所得格差は先進41カ国中ワースト8位。OECDによると、日本のひとり親世帯の相対的貧困率(09年)は50・8%で加盟34カ国中最悪だ。

 昨年4月から東京都練馬区で月2回「ねりまこども食堂」を開くフリーアナウンサーの金子よしえさんも、そんな貧困実態に驚き、食堂を始めた。最初は利用者は少なかったが、メディアで紹介されると、用意した食事を大幅に上回る人が訪れた。本当に必要とする人に来てもらいたいと気持ちを伝える手紙を利用者に送ると人数は落ち着き、現在は約30食を準備している。運営ボランティアは20人弱。野菜は区内の農園や農業体験農園からの提供。「試行錯誤しつつ、いい形になってきた」と金子さんは言う。「どういう食堂にしたいかをきちんと決めることが大事。地域の人々を巻き込み、力を借りながら運営することが重要です」

 ■地域との接点

 支援を必要とする子どもたちに食堂へ足を運んでもらえるかどうかは、多くの運営者が抱える悩みだ。「貧困」が強調されると、利用者にレッテルが貼られてしまうと心配する声もある。

 そこで食事の提供だけでなく、地域の子どもたちの居場所を、さらには大人も含めた地域のつながりの場所を作ろうとする動きも出てきている。4月25日に東京都府中市で食堂を開いた「子どもの居場所づくり@府中」があえて名前に「食堂」を入れていないのは、そのためだ。

 代表で作業療法士の南澤かおりさん(53)は昨夏、地元に虫歯が治療できず食事のとれない幼児がいると知り、ショックを受けた。市役所に通い、府中子ども貧困実態を調べるうちに見えてきたのは、貧困不登校などが理由で、社会とのつながりが持てない孤独な子どもたちの姿だった。何かできないかとSNSで仲間を募ると、いろいろな職業の見知らぬ20人ほどが集まった。ワークショップを重ね、「あたたかい場所」としての食堂を開くことにした。「子育て中の疲れたお母さんや孤独なおじさんが立ち寄ってもいい、地域の、緩やかなつながりを保てる場所にしたい」

 行政も関心を示している。堺市は7月に子ども食堂のモデル開設を、北九州市は9月の開始を目指す。子ども貧困率が悪化するなか、子ども食堂への行政の支援を望む声は高まっている。「こども食堂ネットワーク」では、とくに地域や民間の拠点をつなぐ役割に期待するという。(林るみ)

    −−「be report:広まる「子ども食堂」 大人含めた居場所に」、『朝日新聞2016年05月14日(土)付土曜版be。

-----




(be report)広まる「子ども食堂」 大人含めた居場所に:朝日新聞デジタル





Resize2478

Resize1940

2016-07-25

日記:「小さな声」など全く聞かない嘘つき議員(公明党・遠山清彦衆議院議員)、高江での強制排除を横に、那覇市で「琉球料理。最高です。」で大顰蹙の巻。大勝利コメスケ?

f:id:ujikenorio:20160724075822j:image





-----

【号外】国、高江の着工強行 機動隊、市民を排除 

2016年7月22日 07:16

 【東・国頭】東村と国頭村に広がる米軍北部訓練場のヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)建設工事で、沖縄防衛局は22日午前6時ごろ、新たなヘリパッドの建設工事に着手したと発表した。予定されている工事現場周辺で資材を積んだ車両が到着するなど工事着手に向けた動きが始まった。新たなヘリパッドの建設が予定されている3地区のうち、H地区とG地区のそれぞれのゲートに続く道路を防衛局関係者が封鎖し、工事車両20台以上が次々と入っていった。また工事に反対する市民が数人しかいない通称N1裏ゲートには車両3台が到着し、ゲート前に鉄板や鉄パイプなどを積み下ろした。

 N1地区ゲート前に市民らが止めている車両の撤去作業も6時42分に始まった。市民らが同ゲートを中心に南北で座り込みと車両の駐車によって県道70号を封鎖していた。午前5時半ごろ、北側から機動隊員ら数十人が車両から降りてゲート前に進入している。座り込み現場では市民らと機動隊員がもみ合った。

 市民らは午前2時すぎから同ゲートを中心に南北2カ所でそれぞれ60人程度が県道70号に広がるように座り込みを始めた。N1地区ゲート付近では県道の左右の路側帯に市民らが約100台の車を駐車した。道路中央にも数十台の車が道路の中央線をまたぐようにハの字形に駐車し、完全に道路を封鎖していた。

 県警の機動隊車両は午前5時ごろ、N1地区ゲートを挟むように東村側と国頭村側に大量に待機を始めた。うち国頭村安波の安波ダム構内では午前3時すぎ、機動隊車両約30台以上と沖縄防衛局の車両20台程度が待機しているのが確認された。機動隊員20数人程度が複数の場所で図面を手に話し合いをしていた。【琉球新報電子版】

    −−「【号外】国、高江の着工強行 機動隊、市民を排除」、『琉球新報2016年07月22日(金)付。

-----

【号外】国、高江の着工強行 機動隊、市民を排除  - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース


Resize1931

覚え書:「書評:半席 青山文平 著」、『東京新聞』2016年06月19日(日)付。

f:id:ujikenorio:20160724082500j:image



-----

半席 青山文平 著

2016年6月19日

武家の窮迫 見つめる

[評者]木村行伸=文芸評論家

 太平の世を彷徨(さまよ)う、武家の男女の奥深い絆を捉えた短篇集『つまをめとらば』で今年、直木賞を受賞した青山文平。本書は氏の受賞第一作にあたる。

 主人公は江戸幕府で徒目付(かちめつけ)を務める二十六歳の御家人・片岡直人。彼の父はかつて一度だけ旗本に昇進し、将軍に御目見(おめみえ)を許されたことがあった。よって、現在片岡家は一代御目見の「半席(はんせき)」の立場にある。もし直人が上級職に就ければ「永々御目見以上(えいえいおめみえいじょう)」の家筋となり、子の代も旗本と認められるようになるのだ。

 無役の辛(つら)さが忘れられない直人は、子孫のためにも一日も早い勘定所への身上がりを望んでいた。そんな彼に、上司の内藤雅之は次々と、出世に結びつかない不可解な事件の真相究明を依頼する。

 物語は、直人の切迫した状況と高齢の武士の不審死の謎を追う表題作「半席」(作品集『約定(やくじょう)』収録作を改稿)をはじめ六つの短篇連作で紡がれている。戦のない文化年間(一八〇四〜一八年)を舞台に、武家の貧富の格差や転換期の封建制の歪(ゆが)みによる悲劇等を、広範な江戸知識と推理小説的作風で言及している。時代の変化に心身が窮迫し、罪を犯す侍たち。彼らの苦しい胸中を、度量と寛容性で汲(く)み取る直人。この懲罰と救済の併存こそが本書の見所であり、あるいはそこに現代の無闇に攻撃的な風潮への否定的主張(アンチテーゼ)が込められているのかも知れない。

 (新潮社・1728円)

 <あおやま・ぶんぺい> 1948年生まれ。作家。著書『かけおちる』など。

◆もう1冊

 青山文平著『白樫(しらかし)の樹の下で』(文春文庫)。天明期の江戸を舞台に、無役の貧乏御家人を主人公にした時代小説

    −−「書評:半席 青山文平 著」、『東京新聞2016年06月19日(日)付。

-----






東京新聞:半席 青山文平 著:Chunichi/Tokyo Bookweb(TOKYO Web)



Resize1932




半席
半席
posted with amazlet at 16.07.23
青山 文平
新潮社
売り上げランキング: 65,426

覚え書:「書評:江戸諸國四十七景 鈴木健一 著」、『東京新聞』2016年06月19日(日)付。

f:id:ujikenorio:20160724082501j:image


-----

江戸諸國四十七景 鈴木健一 著

2016年6月19日

◆雅・俗の落差を楽しむ

[評者]岡村民夫=法政大教授

 「松島」「赤穂の塩」など一都道府県につき一つの名所ないし名物が立項され、それにまつわる江戸時代の絵と詞書(ことばがき)が名所図会(ずえ)や浮世絵などから豊富に引用される。鈴木春信、葛飾北斎、谷文晁といったビッグネームも登場する。ただし焦点は、美術でも地理でもなく、土地とものごとを特定の構図に収めた<型>の戯れにある。

 そうした<型>の多くは中世に形成されていたが、江戸時代になると、庶民層における出版文化や旅の隆盛を背景に<型>のカタログ化が進み、<型>を踏まえたずらしが楽しまれるようになったのだという。再三語られる「俗」へのずらしから、田山敬儀注『百人一首図絵』の竜田川奈良県生駒郡)の表象を紹介しておこう。

 早瀬を衣紋(えもん)さながらに流れる紅葉(もみじ)が『古今和歌集』に基づく王朝風の「雅(みやび)」に属することを著者は押さえたうえで、手を伸ばして川面の紅葉を取ろうとする腕白(わんぱく)坊主という「俗」が岸辺にいきいきと描き込まれている点に着目し、「<雅><俗>の落差を知的に楽しむというのが、庶民に文化が浸透した江戸時代的な思考法なのである」と説いている。

 引用資料の選択が、じつに卓抜だ。簡潔でわかりやすい案内にしたがって絵図から絵図へと遊覧しながら、江戸時代のまなざしを幾度も追体験させてくれる。碩学(せきがく)でなければ書けない啓蒙書(けいもうしょ)である。

 (講談社選書メチエ・1890円)

 <すずき・けんいち> 1960年生まれ。学習院大教授。著書『古典注釈入門』など。

◆もう1冊

 佐藤要人監修『浮世絵に見る江戸の旅』(河出書房新社)。伊勢参宮などで活況を呈する江戸期のさまざまな旅を解説。

    −−「書評江戸諸國四十七景 鈴木健一 著」、『東京新聞2016年06月19日(日)付。

-----







東京新聞:江戸諸國四十七景 鈴木健一 著:Chunichi/Tokyo Bookweb(TOKYO Web)








Resize1933





覚え書:「書評:科学の発見 スティーヴン・ワインバーグ 著」、『東京新聞』2016年06月19日(日)付。

f:id:ujikenorio:20160724082502j:image


-----

科学の発見 スティーヴン・ワインバーグ 著

2016年6月19日

◆世界を解く理論の単純さ

[評者]金子務=科学史

 現代科学の第一人者による道場破りの、周到な科学史本である。物理中心主義還元論万歳の確信犯によるだけに、一読して痛快、科学者志望の若者には、巻末の手厚いテクニカルノートともども刺激的な教科書になろう。

 曲者(くせもの)の著者曰(いわ)く。歴史的コンテキストの理解など知ったことか、いつの時代であれ大事なことは、世界を理解し説明すること、何を問題にしどう迫るかその方法を見つけること。科学的理論なら検証可能な命題を出し、観測実験で立証されたし。歴史家から見て無理難題、無体な要請が本書の宝刀だ。

 科学の発展を妨げた思考法には手厳しい。神話神学哲学に染まったデカルト(虹理論はよい)、ベーコンにも遠慮はない。世界の根源は水だ、火だと唱えた古代ギリシアの哲人らは単なる詩人、と一蹴。五種の正多面体で宇宙を説明したプラトンでさえ、科学と数学を区別せず証明を省く無頓着さが斬られる。アリストテレス地球が丸いと見たのは卓見だが、その「愚かな」運動論は斜面の実験(現代加速器の元祖!)でガリレオに反駁(はんばく)されるまで、二千年支配した。

 逆にアルキメデスら、ムセイオンを中心とするヘレニズム科学の評価は高い。全てを説明しようとする万物理論から撤収し、理論がうまく機能する喜びに浸ったためだ。この古代ギリシアエジプトの関係は後の西欧と米国の関係を思わせる、との指摘が面白い。

 プラトンの問いに発したアポロニウスら弟子たちの奮闘で、複雑な円を組み合わせて語るプトレマイオス天動説に対して、幾何学的には同等なコペルニクス地動説が選ばれたのは、現代科学に通用する「シンプル・イズ・ベスト」という美的判断による。大統一理論を目指す現代の弦理論も確かめようがないが、同じく美的判断で支持されている。ニュートン理論はいまの素粒子論でいう「標準理論」にあたるという。暗黒物質などの難問を前に思案に暮れる現代科学者、迂回(うかい)の一書である。

 (赤根洋子訳、文芸春秋・2106円)

 <Steven Weinberg> 1933年生まれ。ノーベル賞を受賞した米国物理学者

◆もう1冊

 D・ジャカール著『アラビア科学の歴史』(遠藤ゆかり訳・創元社)。中世の七百年間に高水準の科学を実現したイスラムの科学を解説。

    −−「書評:科学の発見 スティーヴン・ワインバーグ 著」、『東京新聞2016年06月19日(日)付。

-----







東京新聞:科学の発見 スティーヴン・ワインバーグ 著:Chunichi/Tokyo Bookweb(TOKYO Web)


Resize1934





科学の発見
科学の発見
posted with amazlet at 16.07.23
スティーヴン ワインバーグ 大栗 博司
文藝春秋
売り上げランキング: 2,515

覚え書:「非核、世界へ読み継ぐ 吉永小百合・坂本龍一、朗読会 核といのちを考える」、『朝日新聞』2016年05月13日(金)付。

f:id:ujikenorio:20160724082503j:image


-----

非核、世界へ読み継ぐ 吉永小百合坂本龍一朗読会 核といのちを考える

2016年5月13日

詩を朗読する吉永小百合さん

 平和を願う小さな集会。初めて読み上げた原爆の詩に胸打たれ、「読み続けていかねば」と思った。それから30年。俳優の吉永小百合さんが3日(日本時間4日)、カナダ西部のバンクーバー原爆の詩や原発事故に見舞われた福島の人々の詩12編を朗読した。吉永さんとピアノ伴奏した音楽家の坂本龍一さんが次世代へ伝えたのは、「核なき世界」への願いだった。

坂本龍一さん「核と人類、共存できぬ」共感

特集:核といのちを考える

 朗読会は「The Second Movement in Canada」(カナダにおける「第二楽章」)と題し、ブリティッシュコロンビア大学(UBC)で開かれた。核兵器原発による「核」の被害を受けた日本から発せられたメッセージ。聴き入った学生ら約200人は様々な思いで受け止めた。

 ■若い世代へ、原爆福島も 吉永小百合さん、心に染みるように

 新緑がまぶしいバンクーバー。世界から学生が集うUBCの円形ホール「チャン・センター」の舞台に、白いジャケットに身を包んだ吉永小百合さんが現れた。

 《ちちをかえせ ははをかえせ》

 原爆詩人峠三吉の「原爆詩集 序」を読み始めた吉永さんの声が、静かに、そして、ゆっくりと広がっていく。

 Give me back my fa−ther

 Give me back my mo−ther

 日本語に続いて、英語でも朗読した。一つ一つの言葉が学生らの心に刻まれるように、その声は会場に響きわたり、染み込んでいった。

 吉永さんと原爆詩との出会いは1986年だった。東京渋谷の山手教会で開かれた平和を願う集会に招かれた。「読めるものを読んでください」。そう言われ、被爆した人たちがつむいだ詩の中から峠三吉の詩を選んだ。読みながら自らが感動した。「読み続けていかなきゃいけない」。俳優の仕事の合間をぬい、朗読会に足を運んできた。

 UBCでは「序」のほかに、学生からのリクエストを受けた原民喜の「永遠(とわ)のみどり」を語りかけるように読んだ。原爆詩人の作品を読むこと、そして読み続けることは、つらく、身を削られるようにも感じる。

 「(原爆を)体験していないけれど、(読む)自分の身も尋常ではなくなってしまいそうな気がすることがあるのです」。朗読会のあとのインタビューで語った。

     *

 《かなしみの国に雪が降りつむ かなしみを糧として生きよと雪が降りつむ 失いつくしたものの上に雪が降りつむ》

 吉永さんは、終戦から3年後に詩人の永瀬清子が発表した「降りつむ」も読んだ。復興に動き始めた時期。戦争で多くを失い、つらい思いをしている人々に心を寄せ、励ます詩とされる。平和を願い、皇后美智子さまが手がけた英訳はUBCの女子学生が朗読した。

 2011年3月に東京電力福島第一原発で事故が起き、日本は再び「核」の被害にさらされた。被爆地で原爆詩が生まれたように、福島でも詩人や主婦、子どもが新たに詩をうみだしている。

 広島長崎福島はつながっている——。吉永さんは、福島のいまと未来をつづる詩に共感した。子どもたちと詩をつくる和合亮一さん、故郷からの避難を強いられた佐藤紫華子(しげこ)さん……。忘れない、伝えたい。バンクーバーで若い世代に託した。

 「戦後70年をこえた今年が大事。私たちができる小さなことがつながり、希望が出てくるのではないでしょうか」

 ■吉永小百合さんが朗読した詩

峠三吉  「原爆詩集 序」(日本語と英語で)

栗原貞子 「生ましめんかな」(英語で)

原民喜  「永遠のみどり」(英語と日本語で)

・永瀬清子 「降りつむ」(日本語で。英訳はブリティッシュコロンビア大=UBC=生が朗読)

和合亮一 「詩ノ黙礼」より3編(同)

・佐藤紫華子「ふるさと」(同)

・吉田桃子 「あなたの手と私の手を」(同)

・小原隆史 「福島」(同)

和合亮一 「五年」(同)

和合亮一 「かえろう」(同)

 〈※朗読前にUBC生が英訳詩(佐藤紫華子)を読み上げ、坂本龍一さんもスピーチ。「降りつむ」の後に坂本さんのソロ演奏〉

 ■無念感じた/言葉分からなくても

 会場にいた人たちに感想を尋ねた。

 ◆ブリティッシュコロンビア大(UBC)生でカナダ人のブラット・ヌグマノフさん(24) 言葉にならないほど心が揺さぶられました。朗読と坂本さんの奏でるはかない音色に(核の)犠牲者の無念が感じられました。「生ましめんかな」は原爆で多くの命が終わっていく中、母親は生もうとし、産婆さんは生ませようとする。命をつくろうとすることが印象的。この詩と福島の詩を聞き、3・11の後、日本が立ち上がろうとする姿と重なりました。

 ◆UBC生のアリーナ・ソールハイムさん(25) 詩と音楽のコンビネーションが胸にじんときて、「非核」のメッセージが伝わってきました。「かえせ」「かえせ」と短いフレーズが繰り返される「序」に心がふるえました。

 ◆UBCに通う中国人留学生の蘇玉さん(22) 「福島」という詩は子どもの視点だから正直でよかった。朗読会に取り組む人たちの誠実さが心に届きました。

 ◆UBC講師の米国人、ベン・ウェーリーさん(32) 吉永さんの声が楽器のよう。被爆者の傷を感じることが、体験していない人間にとって大切。今回の朗読と音楽は、日本の言葉が分からなくても伝わってきました。

 ◆広島被爆し、カナダに住むランメル幸(さち)さん(78) 父も犠牲になりました。原爆が語られることは少なく、手記もあまり出ていないカナダで開かれてうれしい。犠牲者の魂が飛んでいるようでした。

 <第二楽章(The Second Movement)> 吉永小百合さんが1986年から朗読してきた広島長崎沖縄福島の詩などを収録したCDや書籍のタイトル。第一楽章のアレグロ(快速に)ではなく、柔らかい口調で人の心に染み入るアンダンテ(歩くような速さ)で次世代に伝えたいとの思いが込められ、企画、構成、朗読のすべてを吉永さん自身が務める。このシリーズには、スタジオジブリ美術監督を務めた男鹿和雄さんの風景画が添えられている。

 (19面に続く)

    −−「非核、世界へ読み継ぐ 吉永小百合坂本龍一朗読会 核といのちを考える」、『朝日新聞2016年05月13日(金)付。

-----

非核、世界へ読み継ぐ 吉永小百合・坂本龍一、朗読会 核といのちを考える:朝日新聞デジタル

-----

坂本龍一さん「核と人類、共存できぬ」共感 核といのちを考える

2016年5月13日

ピアノ伴奏する坂本龍一さん

 (18面から続く)

非核、世界へ読み継ぐ 吉永小百合さん

特集:核といのちを考える

 「核と人類は共存できない、という吉永さんの強い信念に共感します。将来、人々が核兵器原発に苦しまないことを願います」。坂本龍一さんは吉永さんを迎える舞台で、学生らに英語で語りかけた。

 坂本さんは約50曲の譜面を携えてバンクーバーへ。ところが「リハーサル中、(吉永さんが朗読会の前半に読む)原爆詩のところで即興をしようという曲が浮かんで」。それは譜面を持ってきていなかったバッハの「コラール」だった。これをもとに急きょ譜面を書き、厳粛な旋律を奏でた。

 後半の福島の詩の朗読では子どもたちの顔が浮かんだ。5年前の震災で楽器が壊されたり、津波で流されたり……。つらい経験を持つ東北子どもたち103人による「東北ユースオーケストラ」を立ち上げ、指導にあたってきたからだ。

 原発事故のあと、放射線との因果関係については見方が分かれているが、福島県では甲状腺がん、あるいはその疑いがあると診断された子どもは167人(福島県民健康調査)。オーケストラメンバーの7割も福島子どもたちだ。

 「『遠い所に避難したほうがいい』と言いたい気持ちはありますが、安易には言えない」。中咽頭(いんとう)がんの闘病を経て3月に子どもたちとの公演を果たした坂本さんは、朗読会のあとに吉永さんと共に応じたインタビューで心境を明かした。

 原発事故が起きた2011年に英国で吉永さんと朗読会を開いたが、事故後にあった「日本社会が変わる兆し」が見えなくなったと感じる坂本さん。今回はより切実な気持ちで臨んだという。吉永さんからは「次もご一緒できれば」とお願いされた。「とても大事なことをされている。呼ばれれば、いつでもどこでも馳(は)せ参じます」

 ■被災者の詩の思い、ともに考えた 津田塾大×UBC

 今回の朗読会に先立つ4月26日、津田塾大(東京)の英文学科などの11人とUBC生ら10人が衛星回線で結んだテレビ会議システムで交流授業をした。津田塾大は早川敦子教授と木村朗子教授、UBCはクリスティーナ・ラフィン准教授が担当した。

 教材は東日本大震災を経験した55人の短歌をまとめた「変わらない空 泣きながら、笑いながら」(講談社)。津田塾大は被災地出身の学生や福島の詩の英訳に取り組む翻訳コースの学生らが参加し、UBC生と短歌や詩にこめられた意味を語りあった。

 《ほだげんちょ、ふくしまの米、桃、りんご、梨、柿、野菜、人も生ぎでる》

 この短歌を取りあげた加藤沙織さん(18)=福島市出身=は原発事故時、中学生。出身地を言えば原発が話題になるから隠すようになった。進学で郷里を離れて福島が好きな自分に気がついた。「ほだげんちょ」は福島弁で「そうだけれども」を意味する。「頑張って生きていることは、自ら発信しないと理解してもらえない」。そう思い、交流授業に加わった。

 UBC生は原発事故で被災した佐藤紫華子さんの詩を英訳した。フランス人留学生のエルザ・シャネズさん(27)は「翻訳していると『数』ではなく、人々の声が聞こえてくるようでした」と話していた。

 朗読会の当日、会場には「第二楽章」の風景画を手がけた男鹿和雄さんの作品が展示された。翌日にはバンクーバー市内で長崎原爆の映画「母と暮(くら)せば」が上映され、主演の吉永さんと音楽を担当した坂本さんがあいさつした。

 <主催> ブリティッシュコロンビア大学、サイモンズ財団、朝日新聞社

 <協力> 全日本空輸、リステルカナダヤマハカナダ・ミュージック、スタジオジブリ松竹

 ◆取材は「核と人類取材センター」の副島英樹と田井中雅人、大阪社会部の高木智子、撮影は内田光、グラフィックは竹田明日香、編集は三輪千尋が担当しました。朗読会の後の吉永さんと坂本さんのインタビュー、津田塾大生とUBC生の交流授業については、デジタル版で後日詳報します。

    −−「坂本龍一さん「核と人類、共存できぬ」共感 核といのちを考える」、『朝日新聞2016年05月13日(金)付。

-----




坂本龍一さん「核と人類、共存できぬ」共感 核といのちを考える:朝日新聞デジタル



Resize2475

Resize2476

Resize1935