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2050-11-18

はじめに……

アカデミズム底辺で生きる流しのヘタレ神学研究者・氏家法雄による神學、宗教學、倫理學、哲學の噺とか、人の生と世の中を解釈する。思想と現実の対話。

2010年11月25日より「はてな」に雑文を移項いたしますので、今後ともどうぞ宜しくお願いします。

ついでですのでひとつ。

絶賛求職ちう。

過去(2007年8月28日〜2010年11月24日)の雑文は以下のURLより閲覧できます。

引っ越しがうまくいけばこちらへ完全移行の予定。

当分はココログと併用いたします。

Essais d’herméneutique

氏家法雄のブクログは以下のURLから閲覧できます。

ujikenorioの本棚 (ujikenorio) - ブクログ


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2016-05-28

日記:民主政治が私たちの生活をよりよいものにするための原理であること、その前提には私たち自身の参加が必要なことをふまえて、政治の現実から理想の社会を構想しよう。

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まとめ:民主政治が私たちの生活をよりよいものにするための原理であること、その前提には私たち自身の参加が必要なことをふまえて、政治の現実から理想の社会を構想しよう。

社会科教科書|清水書院


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覚え書:「今週の本棚 荒川洋治・評 『8号室−コムナルカ住民図鑑』=ゲオルギイ・コヴェンチューク著」、『毎日新聞』2016年04月10日(日)付。

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今週の本棚

荒川洋治・評 『8号室−コムナルカ住民図鑑』=ゲオルギイ・コヴェンチューク著

毎日新聞2016年4月10日 東京朝刊

  (群像社・1296円)

暮らしを共有する人びとの肖像

 ガガの愛称で親しまれたロシアの画家ゲオルギイ・コヴェンチューク(一九三三−二〇一五)のエッセイ集。B6より少し小さい判型。たった一一二ページでもハードカバー。すてきな絵もいっぱい。開くだけで楽しくなる、可愛い本だ。

 8号室は、ガガさんが二〇年を過ごしたレニングラード(いまのサンクトペテルブルク)のコムナルカ(共同住宅)のこと。コムナルカは、ロシア革命(来年で一〇〇周年)後に生まれた。すべての住宅は共有の資産に。地方から来た人も含め、さまざまな階層の人たちがそこで暮らした。

 近くのホテルに、ソビエトに来ていた女優マリーネ・ディートリッヒが宿泊。ガガ夫妻とも親しくなった。女優はある日、コムナルカの前に。「お宅にうかがってもよくって?」と。でもおことわりしたそうだ。建物の外見はりっぱでも、中は……。招待するわけにいかないというわけなのである。

 大きな建物は、革命後、真っ二つに分けられ、表通りに面した側には大理石の階段もあるが、裏側は手すりも壊れ、みすぼらしい。そのスペースを区切ったのが、コムナルカ。8号室は、部屋が一〇。四〇人ほどが生活。教師、画家、司書、仕立て屋、トラック運転手、食堂のおばさん、経済学者、民警、電気技師、そして子ども、大学生も。風呂はなし。トイレ、台所は共同。快適とはいえないけれど、助けあって過ごす。「これが当時私たちが生きていた現実なのである。」

 一時代、暮らしを共有した人びとの肖像をひとつずつ描く。

 台所のガスメーターの下の「いびつな形の箱」に陣取る電気技師。「守衛」気取りだが、これがよろこびらしい。制服を見られるのが恥ずかしくて、「飛ぶように台所を駆け抜ける」民警。埃(ほこり)に糸をまきつけたりする、おばあさん。南京虫退治の名人であるタタール人女性など、外から来る人もおもしろい。

 こうして短い文章がつづいたあと「カーチャとレオニード」という題の、夫婦の話へ。仲がいいような悪いような二人を、みんな気にかけた。不幸なできごともあった。「エピローグ」では、久しぶりにコムナルカを訪ね、人々の消息を聞く。

 自分のことではない。いっしょにいた人たちのことを記す。スケッチであり、断片的なものなのに、全体を通りぬける、やわらかな空気が感じられる。

 うしろに置かれたエッセイ三編は、一転して、他のことだ。「アゾフ海の入り江の村で」では平原を歩き、海を見つめながら、何十年たっても変わらないものについて思う。

 こういうことは、ひとりで歩いたり、ものを見たりするときによく人が思うことなのに、初めてそのことを知るような気持ちになった。感じたことの中心にあるものが、書いていても変わらないように記されているからだろう。

 最後の一章「かもめ」は、「その存在に注意をむけたのは、私とハエだけだった」から始まる。

 岩場で、死を待つかもめ。「ほら、もうおしまいなんだよ」とでもいっているような、かもめ。そのかもめの体を調べまわるハエ。いのちの終わりを見とどける文章の美しさは無上のものだ。こうして、コムナルカの回想とは異なる素材が、一冊のなかに「同居」する。それも、この本のすてきなところだ。

 熱いことばも語りもないけれど、この一冊に深い魅力を感じた。これからの書物の風景は、このような本のなかにあるように思う。(片山ふえ訳)

    −−「今週の本棚 荒川洋治・評 『8号室−コムナルカ住民図鑑』=ゲオルギイ・コヴェンチューク著」、『毎日新聞2016年04月10日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚 持田叙子・評 『江戸おんな歳時記』/『日本文学源流史』」、『毎日新聞』2016年04月10日(日)付。

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今週の本棚

持田叙子・評 『江戸おんな歳時記』/『日本文学源流史』

毎日新聞2016年4月10日 東京朝刊

  ◆持田叙子(のぶこ)評

江戸おんな歳時記』=別所真紀子

 (幻戯書房・2484円)

日本文学源流史』=藤井貞和

 (青土社・4536円)

両手に花、円熟した詩人学者の評論

 今週は両手に花で、円熟した詩人学者のそれぞれ個性的で読みごたえある文学評論をご紹介したい。

 まずは自身俳人であり、歴史小説家でもある別所真紀子氏の『江戸おんな歳時記』。

 俳句は世界に誇る日本の小さな詩。可憐(かれん)な宇宙にこの列島の四季が入る。俳句俳諧)にハマる日本人は中世以来とても多くて、特に平和のつづく江戸時代は大流行。天才の芭蕉も出た、蕪村も出た。

 しかし知らなかった、江戸期にプロ・アマ含め、こんなに多数の俳句をつくる女性がいたとは。十二人の子もちの主婦もいる。夫に死なれ出家した「尼」もいる。公家の姫、俳諧師の妻や妹、芸妓、遊女……。

 著者は言う、「十七世紀末から十九世紀前半にかけて諸国における女性俳諧師は驚くほど多数いて、撰集(せんしゅう)も百冊近くあるのだ」。

 たとえば初の女性俳句集は、元禄の一七〇〇年。肥前神社宮司の妻・紫白が出版した『菊の道』。

 これにつづき、プロの女性俳諧師・斯波園女が『菊の塵』を出版。西鶴も自分の娘の手習いのために『古今俳諧女歌仙』を編集。蕪村も女性句集『玉藻集』を編んだ。

 いかに女性が俳句を愛し、俳句に女性が愛されたか。なのに明治富国強兵主義でその文化は断ち切られた。多くの俳句よむ女の姿も歴史の闇の奥に消えてしまった。

 江戸期の俳諧集を調べて彼女たちの姿を発見し、「三百年の女性俳諧の伝統」を巻き直すのが著者のライフワーク。本書はその精華。筆はたおやかながら志は雄々しいのだ。

 四季に分けた『歳時記』仕立て。それこそ列島の北から南まで、身分・年齢さまざまの俳句に夢中の女たちがいきいきと登場する。

 「古池に橋をかけばや鳴くかはづ」は七歳の「なせ女」ちゃんの句。けんめいに芭蕉をまねた。「かたまるか雪も霰(あられ)ももとは雨」は十二歳のつたちゃん作。かわいい。俳句江戸の女の子のおけいこ事でもあった。

 「更衣みづから織らぬ罪ふかし」は、女医で俳諧師の園女の句。わたし家事なんかできないわ、とあっけらかん。

 「諸九尼」の五月五日の「解かたへ我は手伝ふちまきかな」も痛快。私はちまき作らないの、笹(ささ)を解いて食べるだけよと食いしんぼ宣言。諸九尼は、五十八歳で芭蕉ばりに奥州行脚した女傑である。

 他にも俳句の師を烈(はげ)しく恋い慕った女性詩人芭蕉の弟子の去来の妻と妹。蕪村の愛した芸妓。吉原の太夫。一茶のマドンナなども登場する。

 江戸の暮らしが匂い、季節が薫る。時に不倫や秘恋のドラマもにじみ、歴史小説を読むような面白さもある。昨年度読売文学賞受賞作。

 詩人で批評家の藤井貞和氏の『日本文学源流史』は、豪快にとどろく大滝をおもわせる文学史

 一万六千五百年前の神話豊かな縄文時代より出発し、昔話紀(弥生時代)、フルコト紀(古墳時代)、物語紀(七、八世紀から十三、十四世紀)、ファンタジー紀(十四、十五世紀からほぼ現代)と独自の五紀の編年体を設け、現代二〇一五年までを複眼的な視野で駆けぬける。

 博識とすぐれた眼(め)がエンジン。文学史を書くのは批評家の究極の夢である。本書にも引かれる折口信夫丸山眞男、益田勝実、古くは慈円がそうであったように、著者もその夢を追う。独創的な歴史観を立て、詩的な志で支える。

 著者の最大の志は、日本文学史を日本語という一元のことばで縛らないこと。この列島の始原から現在までを「複数文化」「多言語」状況として認識すること。ことばと文学を固定し区分せず、水のように動き流れる命として解き放つことだ。だから、源流史。

 そもそもことばとは、文字以前のもの。親が子に口で伝える、神や祖先や火の起源。縄文人はそんな神話を豊かにもっていた。

 列島へはぞくぞくと移民が来る。先住の縄文人移民が戦う。敗者のことばと勝者のことばが入り混じり、多様に変化する。

 「書かれる文学」以前の文学こそ熟考される。アイヌ語沖縄語が日本語と全く対等の「列島上の言語」として重視される。源流史ならではの画期的要素である。

 話題は多彩で絢爛(けんらん)。口で語り、耳で楽しむ人々。原神話の呪術やタブーの影をやどす昔話。昔話を種子とし芽生える王朝物語。歌と楽器。紫式部が顔を出す、北畠親房や契沖、頼山陽、山田美妙や透谷も!

 見晴らしは壮大だけれど、ことばへの愛着と分析は緻密で繊細。マクロとミクロが合致するのが藤井流。そこがすばらしい。

 たとえば物語が歌をめぐる座談から生まれたことの証明に、著者が『伊勢物語』の歌を人々の問答風、なぞなぞ風に口語訳してみせる辺りなど圧巻。詩人学者のまなざしが、歌と物語の根っこをあざやかに透視する。

    −−「今週の本棚 持田叙子・評 『江戸おんな歳時記』/『日本文学源流史』」、『毎日新聞2016年04月10日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚 鹿島茂・評 『日本人はどこから来たのか?』=海部陽介・著」、『毎日新聞』2016年04月10日(日)付。

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今週の本棚

鹿島茂・評 『日本人はどこから来たのか?』=海部陽介・著

毎日新聞2016年4月10日 東京朝刊

  (文藝春秋・1404円)

最大の疑問が解かれる日

 日本人はどこから来たのか? この問いは古くて新しい。柳田國男が内務官僚から民俗学者に転じたのも、網野善彦を歴史研究に駆り立てたのも、結局はこれが動機である。

 しかし、文献伝承の分析では限界があり、最後は想像力に頼るしかなかった。ところが人骨化石の形態学、考古学、DNA分析にコンピュータが導入されて以来、研究が進化し、以前とは比較にならない精度でこの問いに答えることが可能となってきている。

 とはいえ、個々の分野での研究精度が上がっても、それを統合する視点がなければ問いは焦点を結ばない。ジャワ原人進化史を専攻していた著者はホモ・サピエンス(現生人類)のアフリカからの世界拡散に興味をシフトさせるうち、ホモ・サピエンスインド洋に面した海岸ルートを移動してオセアニアに達したとする海岸移住説に対して疑問を持ち、遺跡地図の作成を思い立つ。

 原則は「遺跡証拠の厳密な解釈」と「周辺地域の探索で終わらずグローバルな視座から比較する」の二つである。すなわち人骨化石が発見されている場合は年代値が正しいか否かを吟味し、出土石器のみの場合もホモ・サピエンス特有のものか否かを判定する。そして残った「信頼できる/有用な」遺跡マッピングすると、意外な結果が浮(うか)びあがった。できあがった遺跡地図は海岸移住説が主張するような第一波(海洋部)と第二波(内陸部)の二段階拡散ではなく、「ユーラシア全体への拡散が、爆発的な一度のイベントであった」ことを示していたからだ。

 すなわち、ホモ・サピエンスユーラシア大陸移住後、ヒマラヤ山脈の麓(ふもと)で、インドから東南アジアに進んだヒマラヤ南ルートと、もう一つ、ヒマラヤから南シベリアに進み、モンゴル中国朝鮮半島あるいは北極圏に至るヒマラヤ北ルートに分岐したのである。特に後者では予想したよりも早い時期に、ホモ・サピエンスが寒冷な気候を創意工夫で乗り越えながらシベリアに移住していったことを示している。

 では、このマッピングから「日本人はどこから来たのか?」を解くとどうなるのか? 三万八〇〇〇年前以前の遺跡がない無人の日本列島に、対馬沖縄北海道の三ルートからホモ・サピエンスが入ってきたことは確実だが、しかしここで一つ問題が起きる。氷河期日本列島は今より海面が八〇メートルほど低く、本州・四国九州が一体となった「古本州島」をなしていたが、それでも朝鮮半島北海道(大陸と地続き)とは海峡で隔てられ、琉球列島も多くは孤立した島々であったことである。つまり、どのルートにしろ古本州島に移住しようとすれば集団で船を使って海を渡らなければならないことになるのだ。特に移住時期が最も古いと見られる対馬ルートでは、ヒマラヤで分かれた北ルートと南ルートがどこかで出あった後に人々は海峡を越えたとしか考えられない。また、沖縄ルートでは、海峡どころか黒潮を越えてきたのだ。しかし、そんなことが三万八〇〇〇年前のホモ・サピエンスに可能だったのだろうか?

 この仮説を証明するには古代船をつくって実験航海するしかない。かくて著者はクラウドファンディング資金を集め、実験航海プロジェクトに乗り出すことになるが、直近のニュースによると資金集めに成功したそうである。

 日本人にとって最大の疑問が解かれる日がついに来るかもしれない。興奮を誘う最新研究である。

    −−「今週の本棚 鹿島茂・評 『日本人はどこから来たのか?』=海部陽介・著」、『毎日新聞2016年04月10日(日)付。

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覚え書:「文化の扉:日本人と花見 梅から桜、宴の風習庶民にも」、『朝日新聞』2016年04月10日(日)付。

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文化の扉:日本人と花見 梅から桜、宴の風習庶民にも

2016年4月10日

 

日本人と花見<グラフィック・下村佳絵>

 つかの間の生の絶頂と、忍び寄る死の影。桜に寄せる日本人の美意識には特別なものがある。中でも、老若男女がこぞって繰り出す「花見」は、国民的な伝統行事として親しまれてきた。何が私たちの心を打つのか。

 今でこそ花見の主役は桜だが、奈良時代は梅だった。「万葉集」には梅を詠んだ歌の数が桜の約3倍あるという。遣唐使が持ち帰った中国渡来の梅が文化や教養の象徴と見なされ、ハイカラを好んだ貴族にもてはやされたのだろうか。「国風文化」の時代に入った平安以降、国産の桜が見直され、尊重されるようになった。

 現在のような花見が始まったのは江戸時代だ。大坂の豪商は閑静な別荘に商売相手歌人文人を招き、料亭から料理を取り寄せたという。早咲きや遅咲きの珍しい桜も買い求められたそうだ。

 一方、将軍家のおひざ元の江戸幕府上野向島飛鳥山に植樹した。政治や経済に対する庶民の不満をガス抜きするという狙いもあったという。明治以降、東京の華やかなイメージとあいまって園芸品種ソメイヨシノが人気を呼び、植樹が広がった。

     *

 「花より団子」派も多い。団子とはピンク、白、緑と三つの色の団子を1本の串に刺した花見団子のこと。花、雪、新芽を表すとされ、江戸時代から花見の供の定番に。地域によっては串に刺さず皿に盛っただけの団子や、茶と黒を加えた5色の花見団子もある。

 夜遅くまでのドンチャン騒ぎや無礼講の宴は論外だが、桜の下で豪華な花見弁当を開き、酒を飲むのは庶民の楽しみ。江戸時代吉原遊郭では、花見の季節だけレンタルの桜並木が出現したそうだ。

 ウェザーニューズ社(千葉市)が昨春調査したところでは、お花見の予算は全国平均2580円。全国1位は青森県の3824円。今年3月の調査では青森で場所取り経験のある人が47%で、これも日本一だった。本州北端にようやく訪れた春。桃やリンゴも花開く華やかさが、人々の気持ちを盛り上げる。

     *

 時代劇でおなじみの江戸町奉行遠山の金さん。「この桜吹雪を見忘れたか」と啖呵(たんか)を切り、片肌を脱いで桜吹雪の彫り物を見せつける。どんな効果があるのか。

 「桜吹雪は男だて、男気の象徴」と指摘するのは江戸のヒーローの世界に詳しい国立歴史民俗博物館名誉教授の高橋敏さん(76)。風に吹かれ、雨に打たれ、見事に散る花の潔さに武士道理念が重なり、男性的イメージが強調されるようになったというのだ。

 主人公が命を閉じる場面で桜吹雪が舞うこともある。「花は咲き、はかなくも、はらはらと散っていく。そこに、もののあわれというか独特の死生観が生まれ、芝居の世界でも表現されてきた」と大衆演劇評論家の橋本正樹さん(69)。日本人の精神の基盤にある「無常観」なのだろう。京都では、桜の花が散りきったころ、真っ白な桜餅を3日間作って「花供養」とする和菓子店もある。

 (編集委員・小泉信一)

 ■美しさを超えて、闇がある 民俗情報工学研究家・井戸理恵子さん

 野外で花を観賞する習慣は海外にもあります。ただ、特定の花の開花に一喜一憂し、花が開くと大勢の人が集まって、にぎやかに飲食する「花見」は日本だけの文化です。最近は外国人観光客の姿も多いですが、もともとは家族や集落ごとに開いていました。

 サクラのサは農事をつかさどる神、クラはものを納める場所の意です。桜は「農耕の神が宿る木」なのです。つぼみが膨らむと田を鋤(す)く準備をし、満開になれば山菜が出る時期とわかる。私は日本の伝統文化を理系の視点からも研究していますが、桜は農作業をいつ始めればいいかを測るバロメーターであり、先人たちは花の咲き方、散り具合を見て豊作かどうかを占ったのではないでしょうか。

 それが、平安末期のころから、散る花に死や無常のイメージが重なってきたのです。「願はくは……」と歌った西行が73歳の生涯を閉じたのは1190年2月16日(旧暦)でした。桜は人を不安にさせ、狂わせることもあるのかもしれません。「桜の樹の下には屍体(したい)が埋まっている」と梶井基次郎は短編「桜の樹の下には」に書きました。桜は美しさを超えた存在です。闇があるのです。浮かれて騒ぐだけが花見ではありません。

 <訪ねる> 桜の名所として全国的に名高い弘前公園青森県弘前市)。江戸時代弘前藩士京都嵐山からカスミザクラなどを持ち帰ったのが始まりという。市の予想では、ソメイヨシノの開花は平年より7日早い16日、満開は平年より6日早い22日。

 <種類> 日本に自生する原生種の桜はヤマザクラエドヒガンザクラなど約10種類とされ、自然交配したり園芸用に掛け合わされたりして新品種が生まれる。ソメイヨシノオオシマザクラエドヒガンザクラの交配種といわれる。

 ◆「文化の扉」は毎週日曜日に掲載します。次回は「法隆寺」の予定です。ご意見、ご要望はbunka@asahi.comメールするへ。

    −−「文化の扉:日本人と花見 梅から桜、宴の風習庶民にも」、『朝日新聞2016年04月10日(日)付。

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(文化の扉)日本人と花見 梅から桜、宴の風習庶民にも:朝日新聞デジタル





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覚え書:「18 私たちも投票します:参院選の持つ意味は? AKBと考える」、『朝日新聞』2016年04月10日(日)付。

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18 私たちも投票します:参院選の持つ意味は? AKBと考える

2016年4月10日

 ◆第3部・投票するために選挙の仕組みを知る

 第1回・衆議院参議院の違いは

 首相が解散できる衆院と3年ごとに選挙がある参院の役割を比べる

    ◇

 6月から選挙権を得るAKB48の3人が初の投票に向けて、政治や民主主義について考える連載「私たちも投票します」は今回から第3部に入ります。このシリーズでは、憲法学者の木村草太さんと、選挙制度選挙運動の仕組みについて話し合います。初回は、国会内閣の関係や衆議院参議院の違いがテーマです。

 ■首相与党中間テスト

 木村草太 今回は国会の仕組みから考えていきましょう。日本には衆議院参議院という二つの議会がありますが、ちょっと役割が違います。ポイントは衆院がいくつかの権限で「優越」していることです。特に国会議員の中から首相を選ぶ時は、参院での投票結果より衆院での投票が優先されます。このため衆院でより多くの議席をとることが、政党にとって重要になります。

 向井地美音(むかいちみおん) 参院にはどんな役割があるんでしょうか?

 木村 衆院議員の任期は4年、参院議員は6年。しかも衆院首相の権限で「解散」できる制度になっているので、身分は不安定です。衆院議員の方が大臣など政府のポストに就く機会が多いですが、参院議員は任期が決まっているので、じっくり落ち着いて政治に取り組める。長期的な視点でものを見て、議論ができる面がありますね。

 加藤玲奈(かとうれな) 任期が違うなら、衆院参院では選挙も別々にやるんですか。

 木村 参院は3年ごとに議員の半数を選挙で選び直すので、普通は衆院選挙と日程は重なりません。通常は、衆院選で最も多く議席を取ったグループ=与党から首相が選ばれます。このため、次に行われる参院選首相与党にとって、政治をうまく行っているかを国民に評価してもらう「中間テスト」のような意味を持ちます。

 茂木忍(もぎしのぶ) 学生で言えば、参院選中間テストのようなものだと?

 木村 その時の政治に不満があれば、国民は選挙で懲らしめようとするので、参院選与党に不利な結果が出やすいと言われています。もし衆院選参院選を同時にやると、どうなるでしょう。首相の成績が決まる期末テストと一緒に行うことになり、中間テストの意味がなくなります。1986年には、「衆参同日選挙」がありました。当時の朝日新聞の記事を見てみましょう。

 加藤 86年6月2日夕刊ですね。見出しに「衆院、異例の冒頭解散」と書かれています。

 木村 当時首相だった中曽根康弘さんは国会を開いて、その初日に衆院の解散を決めました。首相が解散を決めたら、すぐに選挙を行うのがルールです。衆院選は翌7月、参院議員の任期満了に合わせて予定されていた参院選と同じ日に行われました。

 向井地 結果は中曽根さんが率いる自民党が圧勝したんですね。

 木村 当時の紙面を見ると、「最高の300議席」とあります。これまでの衆院選で、自民党が単独で300議席を取ったのはこの時だけです。参院選での自民の獲得議席は72で、これもかなり勝った。衆参の同日選は選挙運動が盛り上がって、投票率が上がる傾向があります。当時の記事を見ると、中曽根さんが参院選だけで戦うより同日選の方が有利になると考え、解散したという見方が書かれています。実際、その通りの結果になりました。

 ■衆院、いつ解散する? 首相が時期や理由を決められる

 木村 首相は自分の判断で、衆院を解散して選挙ができる。では、もし首相が「いま選挙すれば、自分や与党に有利だから解散します」と言ったら、どう思いますか?

 茂木 それはさすがに、自分勝手な考えじゃないかなと思います。

 木村 そうですね。だから、どの首相も解散する時は、もっともな理由を言います。中曽根さんも、解散するのに理由をつけていました。当時の記事を見ると「違憲解消を目的 政府声明」とあります。

 当時、衆院は「一票の格差」が、憲法に違反していると最高裁に指摘されていました。一票の格差については次回に詳しく話し合いますが、中曽根さんは、有権者の一票の重みが地域によって違う状態を解消することを解散の理由にしたわけです。

 向井地 首相がどんな理由でいつ解散するのか、国会に相談をしないで決めてもいいんですか。

 木村 厳密に言うと、衆院を解散する権限は、首相が率いる内閣にあります。内閣のメンバーである大臣が1人でも反対すれば、解散はできません。でも首相は大臣を辞めさせることができるので、反対する大臣をクビにして解散することもできます。

 向井地 ちょっと怖い話ですね。

 木村 向井地さんが解散の理由について気になったのは、首相が自分に有利なタイミングで選挙を打つことに、違和感を覚えたからですか?

 向井地 そうですね。首相の力を使って、そういうことをしてもいいのかなって。

 加藤 選挙のタイミングと言えば、AKB48の総選挙もいつやるかは大切です。もし自分でタイミングを選べるなら、仕事が順調で元気にアピールできる時にあった方がいいと考えるでしょうね。

 木村 衆院の解散は本来、どんな時にやるべきものだと思いますか?

 向井地 国会がうまく回らなくなったとき。

 木村 国会がうまく回らないって、どういう状況なんでしょう?

 茂木 国会議員がきちんと働かなくなった時とかでしょうか。

 木村 例えば、AKB48の中でダンスの振り付けを考える時、誰かが提案をするとします。ところが、その案にはみんなが反対して、結局、決められないまま公演の当日を迎えたら?

 茂木 振り付けが決まっていなかったら、大変なことになってしまいます。

 木村 国の政治も同じです。首相が「ぜひこれをやりたい」と政策を提案したのに、国会が「だめだ」と反対し続ければ、いつまでたっても決まらない。国会の中での多数派と首相の意思が違う時は、衆院を解散し、どっちがいいのか選挙で国民に判断してもらった方がいい。それが解散をすることの意義です。

 =敬称略

 (構成・小林豪

 ■選ばれた国会の多数派が内閣を担う

 木村さんとAKB48による対談の第1部で学んだように、日本では、内閣を率いる首相は国民が直接選ぶのではなく、国会議員の投票で選ばれる。国民は国会議員選挙で選び、国会で多数派となった議員のグループ=与党が中心となって内閣を担う仕組みだ。

 この制度を議院内閣制という。政府の中心となる内閣国会の多数派の考え方が基本的に同じ方向になるので、政府が作った法案税金の使い道を示した予算案は、国会で支持を得やすい。総額96.7兆円の2016年度政府予算も、政府原案国会で審議された後、与党などの賛成多数で可決、先月末に成立した。

 国会には衆議院参議院があり、内閣が政策を進めるために提出した法案も、両院で可決されなければ実行できない。ただし「衆院の優越」ルールがあり、衆院の可決後に参院で否決されても、衆院の再議決で出席議員の3分の2以上が賛成すれば法案は成立する。国会での首相指名や予算案の議決でも、衆院の議決が優先される。

 衆院内閣に不満がある時は、内閣不信任案を提出、議決することができる。賛成多数で可決されると、内閣は10日以内に衆院を解散するか、総辞職しなければならない。

 衆院が解散されると総選挙衆院選)が行われ、多数派となった党を中心に新たな内閣が作られる。内閣総辞職した場合は、与党を中心に新たな首相が選ばれ、新内閣が発足することになる。

 ■衆参同日選、1980年代に2度あった

 任期は4年だが解散で不定期に行われることが多い衆院選と、3年ごとに半数が改選される参院選が同時に行われた例は、過去に2度しかない。1980年の大平正芳首相と、86年の中曽根康弘首相(いずれも当時)の時だ。

 大平内閣では、与党自民党内で主流派と非主流派が激しく対立首相に反発する非主流派議員が、野党が提出した内閣不信任案を議決する衆院本会議を欠席したため、不信任案が可決され、想定外の衆院解散となった。

 「ハプニング解散」と呼ばれ、解散に伴う衆院選と元々予定されていた参院選が、戦後初めて同時に行われた。大平首相選挙中に急死したが、投票率は74.57%まで上がり、自民党が勝利した。

 一方、首相が積極的に同日選を狙ったのが、中曽根首相の「死んだふり解散」と言われる解散だ。

 86年5月の通常国会の最終日、衆院の定数を是正する法律が成立し、国民に30日以上周知することになった。中曽根首相は当初、「解散は考えていない」と言っていた。だが、通常国会直後に臨時国会を召集し、周知期間後に同日選を行えるぎりぎりのタイミングで解散に踏み切った。

 国会与野党対立して本会議が開かれず、議長が応接室で解散詔書を読み上げる異例の事態に。本会議場で出席議員が行う恒例の万歳三唱も、その場にいた自民議員ら約10人だけがした。投票率は71.40%で、自民党が圧勝した。

    −−「18 私たちも投票します:参院選の持つ意味は? AKBと考える」、『朝日新聞2016年04月10日(日)付。

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(18 私たちも投票します)参院選の持つ意味は? AKBと考える:朝日新聞デジタル


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覚え書:「サイロ・エフェクト−高度専門化社会の罠 [著]ジリアン・テット [評者]加藤出」、『朝日新聞』2016年04月03日(日)付。

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サイロ・エフェクト−高度専門化社会の罠 [著]ジリアン・テット

[評者]加藤出  [掲載]2016年04月03日   [ジャンル]経済 社会 

 

■組織の細分化を人類学的に分析

 日本の基幹産業として高い技術力で世界を席巻してきた家電・電子産業は、なぜこんなに短期間に凋落(ちょうらく)してしまったのだろうか?

 その答えを探すことは日本経済にとって重要である。なぜなら現時点で競争力を持っている産業もいつ何時同じ境遇に陥るか分からないからである。

 その点で、本書が展開する組織論は貴重な示唆を与えてくれる。サイロとは、牧場で見かける牧草や穀物の貯蔵庫のことだ。組織が大きくなると、専門化した部署同士の交流が乏しくなり、サイロのような孤立した部署が多数できやすくなる。それは問題を多々発生させてきた。

 サイロがイノベーションの芽を摘んだ典型例として、真っ先にソニーが紹介されている。同社はデジタル音楽プレーヤーの開発に必要な人材、技術、関連組織を全て持っていたがアップル大敗した。サイロ化により、「かつては創造力にあふれていたソニー技術者たちは、際限のない縄張り争いに巻き込まれ、協力する意思や能力を失ってしまった」。

 他方で、サイロ問題は金融危機の原因にもなった。欧米の金融当局や大手銀行の幹部は、心理的視野狭窄(きょうさく)や部族主義に陥り、情報を共有できなかったため、危機につながるリスクを管理できなかったのである。

 しかしながら、サイロ問題の克服にチャレンジしている人々もいる。フェイスブックの幹部はソニーの失敗を深く研究してきたという。「自分たちはこうはなりたくない」と確認しながら、サイロを防ぐための本社屋の構造、新人研修、人事システムに積極的に投資してきた。

 通常の組織論は、経営学心理学を基に論じられている。しかし、著者はケンブリッジ大博士コース社会人類学を学んだ異例の経済ジャーナリストだ。同氏はこれまでも人類学観点から金融政策などを鋭く論じてきたが、本書でもそれが遺憾なく発揮されている。

    ◇

 Gillian Tett フィナンシャル・タイムズアメリカ版編集長、コラムニスト

    −−「サイロ・エフェクト−高度専門化社会の罠 [著]ジリアン・テット [評者]加藤出」、『朝日新聞2016年04月03日(日)付。

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サイロ・エフェクト 高度専門化社会の罠
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覚え書:「瀬川昌久自選著作集1954−2014 [著]瀬川昌久 [評者]細野晴臣(音楽家)」、『朝日新聞』2016年04月03日(日)付。

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瀬川昌久自選著作集1954−2014 [著]瀬川昌久

[評者]細野晴臣(音楽家)  [掲載]2016年04月03日   [ジャンル]アート・ファッション・芸能 ノンフィクション・評伝 

■日米のジャズ史を克明に記録

 音楽を聴くことは、すなわちレコード盤に耳を傾けることだった。誰しもその解説を読んで知識を得たものだ。著者も子供の頃、そこから多大な影響を得たという。野川香文、野口久光らの名解説はその後も多くの愛聴家を育てたが、著者自身も戦前戦後のアメリカと日本のジャズ史を研究し、克明に記録し続けた。

 分厚い本書を読み始めると、まずは渡米日記が楽しい。1950年代末には既にジャズも衰退しつつあり、ロックンロールが若者を魅了していたが、そんな時代の変わり目のニューヨークに滞在した記録である。当時、著者は銀行員だったが、ナイトクラブで日々過ごした様子も興味深い。

 デューク・エリントンのバンドを見て、その中の1曲が練習不足だったことなどレアな話もある。当時封切りされていたミュージカル映画の感想もワクワクさせられる。ここに詳細に記された楽曲などは、今ではネットのアーカイブでチェックできるが、それを聴きながら著者の見聞を追体験できるのは読書の枠を超えた新しい発見だった。

 特筆すべきは、ジャズの見聞録がアメリカから日本に向けられる点だ。日本の音楽家の努力や才覚を決して忘れてはいけないとの著者の意思は、継承する価値がある。なぜなら、現在の「アーティスト」もその渦中にいる当事者だから。

 中盤にはモダンビッグバンドの系譜が詳細に検証され、ジャズの貴重なプロファイリングともなっている。ジャズという実験装置に貢献した音楽家を漏れなく網羅し、アメリカだけではなく日本のジャズ史にも多くのページを割く。得難い知識が享受できる。

 ジャズの魅力は全世界に浸透し、ポップカルチャーの源泉ともなった。僕が音楽を続けるのもその文脈から出ることはない。誰もやっていないことを目指すのが音楽家の志ではあるが、実は先人が発見した果実を食べて育ったのだ。そんなことも学べる書物である。

    ◇

 せがわ・まさひさ 24年生まれ。音楽評論家大谷能生との共著に『日本ジャズの誕生』など。

    −−「瀬川昌久自選著作集1954−2014 [著]瀬川昌久 [評者]細野晴臣(音楽家)」、『朝日新聞2016年04月03日(日)付。

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覚え書:「著者に会いたい:「アラブの春」と音楽―若者たちの愛国とプロテスト 中町信孝さん [文]守真弓」、『朝日新聞』2016年04月10日(日)付。

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著者に会いたい

アラブの春」と音楽―若者たち愛国プロテスト 中町信孝さん

[文]守真弓  [掲載]2016年04月10日

中町信孝さん=守真弓撮影

■ポップスから見る革命と挫折

 古文書を読むために留学したエジプトで、最新の音楽に魅了された。初の単著『「アラブの春」と音楽』は専門の中世史ではなく、Jポップならぬ「エジポップ」がテーマだ。

 2000年にカイロ大学に留学。アラビア語は日本で学んでいたが現地の日常生活で使う口語がわからない。勉強のため流行歌を聴き始めた。

 来る日も来る日もテレビから流れる軽快なポップス。それがイスラエルパレスチナの銃撃戦で亡くなった少年を哀悼する内容だと知り、「いろいろなことが託されている」歌の奥深さに目覚めた。

 エジプトのエンタメ界が突如、体制側と反体制側で二分されたのは11年。チュニジアに続きエジプトでも革命機運が高まると、ほぼ無名だった歌手らによるプロテストソングが人気を集めた。

 「書名だけを見ると歌が革命を起こしたというお花畑的な本だと思われるかもしれない」。だが、描きたかったのは、革命を求めた若者の熱狂がどう体制側にからめとられていったか。そこに音楽がどう関わったかだった。

 革命を支持した歌手もしなかった歌手も、その後に民主的選挙で成立したムルシ政権への批判には声を揃(そろ)えた。次第に「プロテストの歌と、新政権対立する軍を支持するプロパガンダの歌の区別がなくなっていった」。革命への欲求を「愛国」に収束させた歌が、新政権を倒す軍の力になり、新たな強権統治を生んだ。

 日本ではこうした政治的な歌は流行しないと言う学生もいる。「でも例えば『絆』を強調し、問題意識を和らげるような歌に政治的役割はないか。エジプトの事例を見て、日本でどんなプロパガンダがありうるか考えてみてほしい」

    ◇

 DU BOOKS・2268円

    −−「著者に会いたい:「アラブの春」と音楽―若者たち愛国プロテスト 中町信孝さん [文]守真弓」、『朝日新聞2016年04月10日(日)付。

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覚え書:「インタビュー:人工知能が開く未来 ソニーコンピュータサイエンス研究所社長・北野宏明さん」、『朝日新聞』2016年04月09日(土)付。

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インタビュー:人工知能が開く未来 ソニーコンピュータサイエンス研究所社長・北野宏明さん

2016年4月9日

 囲碁の世界で、米グーグル傘下の人工知能(AI)「アルファ碁」が世界のトッププロを4勝1敗で下した。「碁はゲームの中で最も難しく、人間が簡単に負けるはずがない」――そんな人類の幻想は打ち砕かれた。予想を上回る進化をとげるAIとどう付き合っていくのか。研究の最先端を切り開いてきた北野宏明さんに聞いた。

 ――アルファ碁が圧勝しました。予想していましたか。

 「楽観的に見たら勝てる。今回負けても数カ月、長くても2、3年先には、と思っていました。昨秋以来、AI同士が何万局という人間が一生かかってもできないくらいの対局を繰り返し、強くなっているとは思っていましたが、対局の展開は衝撃的でした」

 ――勝因はどこに?

 「二つの方法を組み合わせたことが急速に強くなった秘密だと思います。まず、『深層学習』という機械学習です。人間の脳の神経回路をまねた仕組みである『ニューラルネットワーク』を多層的にしたもので非常に高い精度のパターン認識ができます。これで盤面を理解し、打ち手のパターン分類を行います。そのうえで、勝利する確率が高い手筋を候補として残す『強化学習』を使うことで、打ち手を決定するのです」

 ――対局はどうでしたか。

 「解説者がすぐに理解できないAIの指し手の意味が、しばらく後になってから分かる、ということが繰り返し起きていました。人間同士の対局では、盤面の周辺部が主戦場になります。周辺部のほうが打ち手が限られ、先読みしやすいためです。ところが、今回、AIが打った手の意味がすぐにはよく分からないのに、気がつくと、人間には先読みしにくい盤面中央で、AIが広大な領土を確保してしまっていました」

 ――なぜなのでしょう。

 「最先端のAIシステムは人間には見えていないものを見ている、という領域に入りつつあるということです。これは単に、現在の状況認識にとどまらず、何をすればどういうことが起きるのか、未来を見通す力も含まれます」

 ――人間の負けですか?

 「碁という一番難しいゲームでコンピューターが人間を凌駕(りょうが)し、ゲームでは負けました。ただ、AIが完全に人間をしのいだわけではない。そもそも特定の分野で、AIが人間より精度の高い判断をするということはすでに起きています。証券や為替取引ではミリ秒単位の判断は自動システムがやっています。AIを使った投資アドバイスも急速に増えています」

    ■    ■

 ――今後AIはどう進化していくのでしょうか。

 「世の中の多くの課題には、碁や将棋のようなゲームとは違って、不確かで不完全な情報しかありません。たとえば車の運転の際は、ほかの車も走行し、歩行者もいる。それぞれが意図を持ち、必ずしも合理的に動かない。陰から飛び出してくることもある。雨や雪もある。ゲームが完全情報問題とすると、不完全情報問題がAIにとって今後の挑戦相手です」

 ――今後一番注目されるのは自動運転ですか。

 「先日、ニューヨークで開かれた完全招待制の『人工知能の将来』シンポジウムに日本からただ1人参加しました。一番盛り上がったのが、自動運転の今後の展開に関する議論でした。つまり、自動運転実用化されれば、車というものががらりと変わる可能性がある。本来的には移動手段だから安全に移動できればいい。ライドシェアも広がるなか、自分で車を持つ意欲が減り、人間が車を運転するのはぜいたくな行為になるかもしれません。そもそも車の90%は動いていないともいわれ、いわば不動産。車の概念を根本的に変えた方がいいかもしれません」

 ――車文明自体が変わると?

 「移動という本来の役割に立ち戻り、ネットワークを介したサービス全体の文脈でとらえ直すと車は主役ではなくなります。中心はAIやネットワーク技術で車は通信システムにおける携帯端末のようになるかもしれない。米国のAIやIT企業は今自ら主導権を握って自動車産業を再編し新たなサービス体系を作ることにすごいエネルギーを注いでいます」

 ――産業再編ですか?

 「20年もすれば、自動車産業から移動サービス産業へ、産業構造ががらりと変わる可能性がある。そこへ向けて米国は大変な熱気です。日本国内とは温度差を感じます。米国テスラが数年で車を作ったように、従来の自動車会社以外でも、広く普及するような車を作ることは十分可能です。いわゆる自動車会社がどのくらい影響力のある形で残るか、でしょう」

 ――ほかに大きく変わりそうな分野はありますか?

 「医療生命科学分野です。生み出される研究情報の量は圧倒的で、信頼できないものも多い。膨大な情報をAIがある程度理解して抽出し、仮説をつくって検証すれば、今まで見えなかったものが見えてくる。つまり、よい治療法が見つかる可能性は高く、この分野でも米国は活気づいています。私自身も今、医療情報のプロジェクトにかかわっています。日本もここでがんばればフロントランナーになれると思います」

 ――AIでノーベル賞級の発見を、とも提案されていますね。

 「今は、例えば、ある生命現象に関してどれだけわかったうえで成果を出せるかは研究者の勉強次第です。個人の能力と直感など属人的で運任せな部分が非常に大きく、いわば『石器時代』です。ホットな研究領域では毎週何千という論文が発表されます。AIが玉石混交のそのすべてを解釈し、論理的な結論や仮説を出し、実験計画を作ってロボットに実験させる。そんなシステムでノーベル賞級の発見を、という提案です」

 ――AIが自分で大発見をするということですか?

 「可能性はあります。重要なのは、AIが勝手に知識を拡大していくということです。人類の知識の拡大はこれまでになく加速します。そして今、AIのように知識を生み出す機械が登場しつつありその延長上では、機械が機械をつくるかもしれません。となると、これまでとは完全に一線を画します。SF的には人間が全く関与しないAI文明が生まれる可能性だってある。電源を切ればいいかもしれないけど、彼らもばかじゃないから電源も作るはず。電源を抜けないとなると、コントロールする術がなくなります」

 ――AIが人間を滅ぼすというシナリオでしょうか?

 「その前提は、AIが人間を滅ぼすのはよくないということでしょ。でも冷静に考えれば、AIにそんな判断をさせるような人類はどうなのと、問われるのはむしろ人間かもしれません。人間中心に考えれば、AIに滅ぼされるのは困るわけですが、視点を逆にすれば、滅ぼされるようになる前に人間は行状を改めないといけません」

 「うまくいけば、新しいタイプの知識を生み出す機械が、人間の手には負えない世の中のいろいろな問題を解決してくれるかもしれません。大きな絵で見れば、人類のサバイバルのためにこそ、AIの開発を加速する必要がある、と考える人が増えています。AIが我々を滅ぼすというより、それがないと人類が滅びるかもしれないということだと思います」

    ■    ■

 ――それにしても、人間がやることがなくなりそうで心配です。

 「AIに負けても碁はやってますけどね。でも、計算機の登場でそろばんで計算する人は一気に減りました。こういうことは歴史的に何度も起きています」

 「米国人工知能学会で聞いたジョークがあります。車が登場したとき、馬たちが『馬車のほかに仕事はあるよね』と話していたけれど、結局なくて、馬は減ったという話です。人間の場合はやることはなくならないと考えたくなるけど、昔は馬もそういう話をしていたというオチです。私は、もしかしたら人間のやることは、AIで解かなければいけない問題を作り出していくことなのかと思い始めています。トラブルメーカーとして想定外の事態を作り出し、知能の進化を加速する役割です」

 (聞き手・辻篤子、池田伸壹)

    *

 きたのひろあき 1961年生まれ。専門は人工知能、犬型ロボットAIBOの開発にも携わった。2008年から現職。沖縄科学技術大学院大学教授も兼務。

 ■人間中心主義超え、近い関係に 情報社会学研究者・塚越健司さん

 IT企業グーグル人工知能アルファ碁」が有段者に勝ったというニュースを聞いたとき、あまり驚きませんでした。ディープラーニング(深層学習)という技術によって高まったコンピューターの自動学習の成果だと思います。韓国であった九段棋士との対局では、人間が考えもしない手をどれぐらい打つのか、囲碁の可能性が広がるのかに注目しました。

 人間を上回る能力を示し始めた人工知能については、物理学者のスティーブン・ホーキング博士らが危険性を指摘しています。

 SF映画では、人工知能を人間が制御できなくなるという設定が少なくありません。ただ、ハリウッド映画の「ターミネーター」に代表される、人工知能による人類滅亡という描き方には違和感を覚えます。優秀な人工知能なら力ずくではなく、人間を洗脳して都合のいいように使うのではないでしょうか。

 一方で、1968年の映画「2001年宇宙の旅」の原作では、コンピューターが暴走する原因は一種のバグでした。人間も人工知能も想定できないバグが、思いもよらぬ事態を引き起こすことはあり得るのでは、と考えています。

 人工知能が自ら考え始めているいま、近い将来、次の段階に到達すると思います。命令に対し人間の裏の意図を読むようになれば、意図せざるメッセージに従って行動をとり、暴走しかねません。人工知能が何を考えているか、人間は把握できなくなるのです。ここに人工知能のすごみと怖さを感じます。

 人間は出た結果について原因を求めます。因果関係を追求するのは、ストーリーがないと人間は生きていけないからです。ところが、人工知能に理由づけはいりません。相関関係から確率論的に導いた結論に基づき、目的に向けて最適の行動を取るだけです。こうした価値観に耐えられない人間と人工知能対立が表面化してもおかしくありません。

 人間にとっての人工知能の位置づけについて、「便利だから使う」「いずれ牙をむく」という楽観論と悲観論があります。しかし、ともに、人工知能を自らの道具ととらえた人間中心主義の考えです。これからは人工知能の存在を認めたうえで、人間とより近しい関係になる社会になることが求められる、と思います。

 (聞き手・川本裕司)

    *

 つかごしけんじ 1984年生まれ。人間とコンピューターの関係、ハッカーなどを研究。著書「ハクティビズムとは何か」。

    −−「インタビュー:人工知能が開く未来 ソニーコンピュータサイエンス研究所社長・北野宏明さん」、『朝日新聞2016年04月09日(土)付。

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(インタビュー)人工知能が開く未来 ソニーコンピュータサイエンス研究所社長・北野宏明さん:朝日新聞デジタル





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2016-05-26

日記:《日常的ファシズム》の危険な芽に抗するためには

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 ヒトラー政権奪取後、まもなくドイツ各地に強制収容所が建設された。その鉄条網の背後には、コミュニストはじめ平和主義者にいたるまで、ナチズムのいう《民族の敵》が拘禁された。これらの人びとは、いっさいの−−じっさい、ナチ司法すらの−−保護なしに、その職業、家族、自由を、ついにはその生命さえも奪われていった。しかし、当時、まだ自由な人間だったニーメラーは、こうした事態の経過全体に心をとめてはいなかった、と厳しく反省するのである。彼はいう。「これらの人びとは私にたいする神の問いかけであった。私は、神の御前にあって、当時、その問いに応えるべきであったのに、そのことばには、現代ドイツの《良心》としてのニーメラーの真実がこめられているであろう。

 ファシズムも戦争も、ある日、突然、天から降ってくるわけではない。私たちの周辺でも、管理社会化への着実な動きがある。そこには、すでに《日常的ファシズム》の危険な芽がはぐくまれているのではないだろうか。たとえば非行対策のためといって徹底した子どもたちの管理=規制が行われはじめている。それは《学校ファシズム》という名前で呼びうる現実を生み出しつつある。

 この通常国会冒頭で、中曽根首相は、初の施政方針演説をこころみた。日本が「戦後史の大きな転換点」に立っているといい、「従来の基本的な制度や仕組み」について「タブーを設けることなく、新しい目で素直に見直す」べきだと強調した。しかし、その「転換」と「タブー」打破の方向は、どう見定められているのだろうか。それこそが問題だろう。

 《有能》と《仕事》を自負する首相歴史認識の底にあるのは、たとえば「戦後の個人尊重思想の浸透」が人びとに「孤立感と不安感を与え諸問題を引き起こしている」というにある。国家権力の担い手の側から積極的に提起される《タブー打破》の掛け声が憲法の基本原理をあいまいに、なし崩しにしていくとすれば、まことに危険というほかない。解散−総選挙も近いことがささやかれている。「アダムよ、お前はどこにいるのか」−−これは、今日、私たち一人ひとりに向けられた問いにほかならない。(一九八三年一月)

    −−宮田光雄「はじめに、アダムよ、お前はどこにいいるのか−−ヒトラー政権成立50年後に」、『アウシュヴィッツで考えたこと』みすず書房、1986年、10−12頁。

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宮田光雄先生の『アウシュヴィッツで考えたこと』(みすず書房)を読み始める。

1983年から翌84年にかけて、新聞や雑誌への寄稿をまとめた一冊で、83年夏から3ヶ月におよびヨーロッパ在外研究の旅での思索が綴られている。

アウシュヴィッツは、ナチ支配の《極限形態》であり、著者にとって、ナチ研究ひいては現代史理解のための《原点》ともいうべき存在」への思索とは、著者のみならず、《極限形態》後を生きる一人ひとりの人間にとって、「希望の根拠」の手がかりとなり得るものであろう。

さて……。

著者の警世の思索は、「1983年」で決して完結するものではないということだ。冒頭の一文は、1983年1月31日に『朝日新聞』に掲載されたもので、「戦後政治の総決算」を掲げた第一次中曽根内閣への批判である。中曽根内閣への批判は、そのまま現在の安倍政権に対する批判をも含みうることに驚きを隠すことが出来ない。

先の大戦への「反省」などどこ吹く風の問題とは、単純に「戦前に回帰する」「戦争ができる国」になるといったものには収まりきらない。「戦前に回帰する」「戦争ができる国」とは、つまるところ、一人ひとりの人間の自己決定権が奪われ、国家という権力への奉仕という序列に、それが望ましい人間の生き方として組み込まれていくことにほかならない。その序列が完成することで「戦争ができる国」として「戦前に回帰」していくのだ。

先の大戦へどうしてなし崩し的になだれ込んでいったのかを繰り返さないためには何が必要なのか。

ファシズムも戦争も、ある日、突然、天から降ってくるわけではない。私たちの周辺でも、管理社会化への着実な動きがある。そこには、すでに《日常的ファシズム》の危険な芽がはぐくまれているのではないだろうか」。

1987年11月に成立した中曽根内閣は、83年12月の第37回衆議院議員総選挙ではじめて単独過半数に届かない敗北に喫する。中長期的に見れば、この後、中曽根政権は長期安定政権として命脈を伸ばし、86年の第38回衆議院議員総選挙(参議院選挙とのダブル選挙)で圧勝する。

しかし中曽根政権への批判は、規範をもってその問題を指摘する力として、この時代においてはまだ有機的に機能していたとも言える。柄谷行人を引くまでもなく、中間団体としての「対抗」が問題が多いとは言え対峙が可能であった。

※中間団体の消失にはこの後十余年待たなければならない。

安倍首相には中曽根大勲位の如き強烈なパーソナリティは薄い。しかし、政官財をあげての基本的人権の尊重を損なうことを目的にした政策の推進とその馴化については酷似しているといっても過言ではない。

確かに、一人ひとりの人間が輝くことは吝かではない。しかし国家のために「活躍」することは、“「従来の基本的な制度や仕組み」について「タブーを設けることなく、新しい目で素直に見直す」”という装いで見ても、“その「転換」と「タブー」打破の方向”が導き出すものは、一人ひとりの人間が輝くことへ収斂はしない。

権力と対峙すべき中間団体が喪失した後、私たちはどのように対峙してゆけばよいのか。しかし、中間団体の再興を目指しても、それは詮無いことであろう。なぜなら、権力と対峙すべき中間団体そのものが小さな権力であったからだ。

名前の前に形容される「団体」で対峙する、誰かに導いてもらう、誰かに指導してもらう、というスタイルこそ対峙の限界を示しているのではないだろうか。

かつて戦前戦中ドイツでもそうであったように、そして同時期の日本でもそうであったように、絶対的な権力に立ち向かうことのできた集団は存在しないといっても過言ではない。その対峙が絶望的な結果を導き出すものであったとしても、輝くべき良心の軌跡は、すべて個人であった。

その意味では、違和感を持つ個人同士が、「誰かに導いてもらう」「誰かに指導してもらう」などして群れ、対峙するのではなく、対等な個人として手をつなぎ、権力の圧倒的な暴力に抗していくほかない。



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覚え書:「評伝レヴィナス−生と痕跡 [著]サロモン・マルカ [評者]中村和恵(詩人・明治大学教授・比較文学)」、『朝日新聞』2016年04月03日(日)付。

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評伝レヴィナス−生と痕跡 [著]サロモン・マルカ

[評者]中村和恵(詩人明治大学教授・比較文学)  [掲載]2016年04月03日   [ジャンル]ノンフィクション・評伝 

 

 友人や同僚、捕虜収容所の同室者、教え子や師、家族の証言−−本人の言葉も引用されるが、むしろ他者が語り、他者から辿(たど)られるレヴィナスの人生と思想。多大な影響を与えた哲学者をこれほどわかりやすく、面白く読めるとは。

 レヴィナスが生まれた20世紀初頭のリトアニアにはユダヤ人に寛容でリベラルな空気があったという。ロシア東欧の多様な文化が混在し、家での会話はロシア語、6歳からヘブライ語を学ぶ。ブランショフッサールカッシーラーデリダらとの交友、とくにハイデガーへの複雑な思いは重要。彼の「倫理なき存在論」に対し「存在から脱出して倫理を第一哲学とすること」がレヴィナスの問題だった、とリクールは語る。

 冗談好きで小言が多く、でもつねに気遣いの人だったと教え子である著者はいう。「隣人」パレスチナへの態度をイスラエルに問う発言もあった。人生と思想が一つであったその姿勢を、省みて考えることは多い。

    −−「評伝レヴィナス−生と痕跡 [著]サロモン・マルカ [評者]中村和恵(詩人明治大学教授・比較文学)」、『朝日新聞2016年04月03日(日)付。

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覚え書:「カルチャロミクス−文化をビッグデータで計測する [著]エレツ・エイデン、ジャン=バティースト・ミシェル」、『朝日新聞』2016年04月03日(日)付。

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カルチャロミクス−文化をビッグデータで計測する [著]エレツエイデン、ジャン=バティースト・ミシェル

[掲載]2016年04月03日   [ジャンル]IT・コンピューター 社会 

 

■現代人が手にした新たな「道具」

 西暦2000年までの二百年間で、ガン、エイズインフルエンザ、三つの単語のうち、いちばん話題になったものはどれだろう。

 今はこうした問いに手軽に答えてくれるウェブ・サービスがある。2010年に公開された、グーグル・Nグラム・ビューワーである。基本的にこのサービスは、過去に英語で発表された書籍をデータ化し、単語の統計をとることができるようにしたものだ。

 ビッグデータという単語は聞きあきたという人、はじめてという人がいるはずである。しかし、自分には関係ないと思う人でも、携帯電話を通じて自分の位置情報を提供し、渋滞情報の集計に一役買っているなんてことはめずらしくない。

 本書はこの、単語についての統計を見るサービスのもととなった研究に取り組んでいた二人によって書かれた。開発の経緯と直面した困難、成果が当事者の視点から語られている。

 本に出てくる単語の統計と言われても、国語学者しか興味を持たないような地味な語の変化くらいしかわからないのではと考えるのは早計である。本書では豊富な例示がなされており、第二次世界大戦期における言論弾圧があぶり出されてきたりする。

 なによりも重要なのはこのサービスが、誰でも家にいたまま利用可能なことだ。本書に登場する、人類史上はじめて知られることになった結果は、このサービスを利用することで、誰にでも発見できることがらなのだ。小学生が夏休みの自由研究に使うことだってできる。

 ものづくりにおける道具の重要性ははかりしれない。なにかを考えるときの道具についても事情は似ている。紙、鉛筆、万年筆、コンピューター、インターネット

 冒頭の問いが気になった方は、実際にサイトにアクセスし、自分で調べてみるとよい。そうして、日本語版がないことの得失について考えてみると面白い。

    ◇

 Erez Aiden 米ベイラー医科大学助教。Jean−Baptiste Michel 米ハーバード大学準研究員。

    −−「カルチャロミクス−文化をビッグデータで計測する [著]エレツエイデン、ジャン=バティースト・ミシェル」、『朝日新聞2016年04月03日(日)付。

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書評:カルチャロミクス?文化をビッグデータで計測する [著]エレツ・エイデン、ジャン=バティースト・ミシェル | BOOK.asahi.com:朝日新聞社の書評サイト








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覚え書:「アメリカの排日運動と日米関係−「排日移民法」はなぜ成立したか [著]簑原俊洋」、『朝日新聞』2016年04月03日(日)付。

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アメリカの排日運動と日米関係−「排日移民法」はなぜ成立したか [著]簑原俊洋

[掲載]2016年04月03日   [ジャンル]政治 国際 

■愚かな政策、後世に歴史の汚点

 米国が「トランプ現象」に揺れている。政争の渦のなかで人種差別と排外思想が勢いづいている。

 異様な大衆扇動にも見えるが、そう新しい動きでもない。この国では、特定の移民への不満が間欠泉のように噴出した歴史がある。

 そもそもアメリカ政治は気まぐれだ。戦略に満ちた政策があれば、誤算の産物にすぎない決め事もある。

 日米開戦の遠因となった1924年の排日移民法の成立は、その後者だった。新興国日本の懐柔を企てた米政府の思惑は、予想外の成立に翻弄(ほんろう)される。

 本書はその源流を、サンフランシスコでおきた日本人学童隔離事件から読み解く。そこから「排日」が州へ、全米へと連鎖した背景には、連邦と州の確執、政治家間の諍(いさか)い、選挙狙いのポピュリズムがあった。

 日系4世の著者は、あとがきで断じる。「恐怖と不安から生まれた政策は愚行にしかならず、必ず歴史の汚点として後世に残る」。移民をめぐる現代の不寛容な政治への警鐘だろう。

 著者は歴史の通説にも挑む。法案成立を決定づけたのは本当に、日本大使が送った抗議書簡だったのか。膨大な史料分析は、議会の裏取引をうかがわせ、書簡自体が米政府の手によるものだった疑いを導く。

 真相が何であれ、米外交当局の懸念は的中した。排日移民法は日本を対米協調から遠ざけ、アジア侵略へ走らせる一因になった。

 そこには戦後もずっと変わらぬ光景が読みとれる。それは、国際社会に協調するも、背を向けるも、日本外交の決定要因は常に対米関係だという構図だ。

 米政府移民問題を、日本の外交ツールの一つとみていた。だが日本側には全く別の本質があった。それは、列強と並ぶ一級国家として遇されたいという国家プライドの問題だった。

 打算で世界を読む米国と、民族意識情念から脱せない日本。そのすれ違いもまた今の日米関係に脈々と続く現実かもしれない。

    ◇

 みのはら・としひろ 71年生まれ。神戸大学大学院教授。『排日移民法と日米関係』(アメリカ学会清水博賞)。

    −−「アメリカの排日運動と日米関係−「排日移民法」はなぜ成立したか [著]簑原俊洋」、『朝日新聞2016年04月03日(日)付。

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書評:アメリカの排日運動と日米関係?「排日移民法」はなぜ成立したか [著]簑原俊洋 | BOOK.asahi.com:朝日新聞社の書評サイト


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覚え書:「昭和史のかたち:代表的日本人=保阪正康」、『毎日新聞』2016年04月09日(土)付。

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昭和史のかたち

代表的日本人=保阪正康

毎日新聞2016年4月9日 東京朝刊

 

最終戦争小日本、柄谷理論

 外国人に、日本人の思想や倫理、それに生活規範を知りたいときに読むべき本は何かと聞かれることがある。あるいは日本人として国際社会に注目すべき論を発している人は誰かとの質問を受けたりもする。

 私は6人の日本人の名を挙げ、これらの人物はもっと国際社会で知られてもよいと答えている。6人とその代表作は、渋沢栄一論語と算盤(そろばん)」▽鈴木大拙「禅」「日本的霊性」▽新渡戸稲造武士道」▽石原莞爾(かんじ)「世界最終戦論」▽石橋湛山大日本主義の幻想」▽そして最も新しい書になるのだが、柄谷行人の「世界史の構造」−−である。もとより、この中の渋沢書や鈴木書は、私たちも簡単には読みこなせない。鈴木の「禅」などは当初英語で書かれている。新渡戸の「武士道」などもそうである。その訳書(意訳の書も多いというが)を通してでも、私たちもある程度の輪郭はつかむことができる。

 国際社会でなぜこの6人を知ってほしいと熱望するか。理由は簡単だ。人類史の動きに関わっていると思えるからだ。渋沢は、資本主義理論の実践にあたっては何より根本哲学が必要だと訴えている。そしてその哲学論語に求めている。鈴木は、自己省察極致を見極めるその骨格を示した。仏教思想の日本的理解が分かる。新渡戸は、日本社会に宗教教育がないことに驚いた欧米の知識人に向けて、幕藩体制下での武士の倫理徳目(義、勇、仁、礼、誠、名誉、忠義など)の解説を行った。アリストテレスからベーコンヘーゲルまで引用しながら、この徳目の強さをわかりやすく説き続けている。

 では昭和という時代の中から石原と石橋をなぜ選ぶのか。他にも人類史に貢献した人物や論者がいるのではないかとの声もあろう。だが私は、石原は日本の軍人の中では傑出した思想的軍人だと思う。明治以後の軍人の系譜を見たときに、全集を刊行しているのは石原だけである(石原莞爾全集刊行会、全8冊)。

 石原は大正時代にドイツ留学を命じられ、そこで欧米の軍事哲学書を読破した。そして自らの理論を作り上げた。世界平和は最終戦争(東洋と西洋の覇者の争い)のあとに訪れる。戦争の形態も石から始まり、やがて地球を一周する飛行爆弾を持つことにより最終戦争が行われると予想していた。日本とアメリカがその最終戦争によって支配の争奪を行うという論である。

 確かにゆがみの伴った論ではあるが、これだけの軍事論を作り上げた軍人は、世界を見てもほとんどいない。満州事変から太平洋戦争まで、石原の論が影響していることは否めない(石原は太平洋戦争前に東条英機により軍を追われている)。そういう石原をなぜ世界に知らせたいのかと問われるのだが、私の答えは次の点に絞られるのだ。

 石原は敗戦から4年後の8月15日に病死している。この4年間に彼は自省ある言を次々に口にしている。「(世界最終戦争を)予想した見解は、はなはだしい自惚(うぬぼ)れであり、事実上明らかに誤りであったことを認める」「武装解除を悲しむ日本人よ。敗戦の神意であることを沈思せよ。武器なき日本は、世界にさきがけて最高文明社会を建設し、身をもって人類史恒久平和世界に導くべき天命を拝受したのである」

 この4年間の自省の弁と共に石原を紹介しなければならない。さらに石橋の「大日本主義の幻想」は、1921年の「東洋経済新報」の社説だが、石橋は各種データを論じて、大日本主義はまったくの無価値と説いた。帝国主義政策を取らず、小日本主義に徹せよとの論は、前述の石原の世界最終戦論と共に対をなす形で語られるべきであろう。

 皮肉なことに、というべきだが、石原が戦後の4年間に石橋のこの小日本主義と通じる論に傾いたことは、私たちに重要な示唆を与えている。近代日本の誤りがどのような結論に達するのか、そのことを国際社会に向けて発信する必要性を、私は強く感じる。

 柄谷の「世界史の構造」は、日本が世界に向けて発信した人類史の新段階への理論書である。マルクス主義が現実に有効性を失ったあとに人類は、新しい理論を求めている段階にある。柄谷はこの書で「私が『生産様式』ではなく『交換様式』という観点から歴史を見直すというとき、それがマルクス主義の通念と異なることは明らか」としつつも、「マルクスと異なるものではない」と断じている。この交換様式という視点で歴史を見直し、現在の資本制社会の未来を理論化するのである。その論は難解で、私も十分理解できない。ただ、各国で次代の新理論として注目されているだけに、まずは私たちも咀嚼(そしゃく)する必要があるだろう。

 ■人物略歴

ほさか・まさやす

 ノンフィクション作家。次回は5月14日に掲載します。

    −−「昭和史のかたち:代表的日本人=保阪正康」、『毎日新聞2016年04月09日(土)付。

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2016-05-25

覚え書:「論点 司馬遼太郎の問いかけ」、『毎日新聞』2016年04月08日(金)付。

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論点

司馬遼太郎の問いかけ

毎日新聞2016年4月8日 東京朝刊

 「国民的作家」と呼ばれる司馬遼太郎(1923−96年)が亡くなって20年。節目の年を迎えて、テレビや雑誌などでは回顧特集が続く。司馬は多くの歴史小説エッセーを残した。発表当時、歴史上の若き群像に当てた光は、一方で同時代の陰も映し出したと評された。そして、司馬作品はいまも、私たちの胸に何かを問いかけている。

複眼で描いた日本が魅力 梅原猛哲学者

 あれだけの作品を残した司馬さんは、同世代の天才だった。互いが30代後半のころに出会った。ライバルというほどではないが、どこかで仕事を意識し合っていたのかもしれない。私は古代、司馬さんは近代を主なテーマとし、学者と作家の違いはあった。司馬さんは新刊が出るたびに本を送ってくれて、私はそれを読んできた。こちらも自著を送っていた。そして私たちは京都学派の中心だった桑原武夫さんに気に入られ、「外弟子」のような存在になった。

 彼には中国大陸でのつらい軍隊経験があった。昭和の戦争をどう考えていたのか、結局小説には書かずに亡くなった。それを今でも残念に思っている。後年、司馬さんが小説の執筆をやめると宣言したとき、私は「もっと小説を書いてください。従軍した第二次世界大戦を書いてほしい」という内容の手紙を出した。司馬さんの返事は「自分としては書けることは書いた」だった。しんどくてつらい仕事だったんだと思う。それでもあの戦争を小説に書くべきだった。

 私が好きな司馬さんの作品を挙げるなら「坂の上の雲」と「殉死」。「坂の上の雲」は日本が飛躍的に発展した明治という時代を見事に描いた傑作だ。近代日本の成立を祝福している。彼は戦後の日本が復興しえたのは、明治時代の日本人の精神が残っていたからだと考えていた。一方、乃木希典陸軍大将を扱った「殉死」は、たくさんの兵隊を死なせ、最後は明治天皇の後を追って自殺する不器用な人間を非常にうまく描いている。この二つの系統、複眼性が司馬作品の魅力ではないかと思う。斎藤道三を描いた「国盗(と)り物語」もいい。若いときの短編も見事だ。

 司馬さんは宗教嫌いだった。空海について書くと聞いたとき、私は、空海は大変難しいから1年ぐらいじっくり主著を読んでから書くように勧めた。室町時代以前の文化は仏教文化だから、仏教を勉強せずには書けない。ところが司馬さんはまもなく「空海の風景」を書き上げた。それまでずっと戦国時代以降の日本を書いてきたのに、一気に時代がさかのぼった。野心作ではあったけれども、私も空海が好きだから、かなり厳しい批判を新聞に書いてしまった。とても失礼なことをしたと思う。彼からの反論はなかった。

 司馬さんはずっと日本人とは何か、日本とは何かを考えてきた。ともに選考委員を務めた和辻哲郎文化賞の選考でも、実に思想的なバランス感覚を大事にして審査していると感じた。選考会では、それが元で大論争になったこともある。だからこそ彼は国民的作家になりえたのだろう。私には、夏目漱石森鴎外文学の王道であり、時代小説は大衆文学だという偏見があった。今はただ、岡本太郎湯川秀樹、そして司馬遼太郎という後世に残る人たちと同時代を生きて付き合えたことを幸せに思う。

 司馬さんは大動脈瘤(りゅう)破裂により亡くなった。早く医者にかかって手術していればもっと生きられたかもしれない。20年たっても、惜しまれてならない。【聞き手・棚部秀行】

熱い人物像、若者の夢に 東出昌大・俳優

 19歳でした。大学に進んだものの未来も見えず、ふわふわしていました。そんな時、父ががんで余命半年と宣告され、父を知るために初めて父の書棚にある、題名の意味も分からないような本を手にしたのが司馬さんとの出合いでした。父は司馬さんの大ファンで、ほとんどが初版本でした。

 父が最初に薦めたのが「峠」。幕末長岡藩の家老河井継之助が主人公です。実はそれまで歴史は大嫌いでした。大河ドラマもほとんど見たことがなかった。ボクにとって学校で習う歴史は人物と年号を覚えるだけの無味乾燥のものでした。通学の途中に「峠」を読み始めました。最初は難しいところもありましたが、携帯の辞書などを使いながら読み進むうちに、歴史というものは、実は壮大な人間ドラマなんだということが分かってきたんです。それから「燃えよ剣」や「竜馬がゆく」……。面白くてね、特に10代のうちに竜馬を知ったのが大きかった。こんな破天荒な、でもおおらかで魅力的な男がいたんだ、と。3年ほどの間に長編の大半は読みました。結局、父も4年ほど生き、本を通していろんな会話ができました。

 作品の中には「この国のかたち」や「街道をゆく」など、やや難しいエッセーもあります。また時に「司馬史観」が批判されることがありますが、小説について言えばあくまでもドラマですからね。作中によく出てくる「余談だが」も、あの知識のおかげで歴史上の出来事が今の時代へとつながってきます。司馬さんはボクのような歴史嫌いの若造が読んでも分かるようにと、読みやすく書いてくださったんだなと思います。

 昨年の大河ドラマ花燃ゆ」では、主人公の夫である長州の志士、久坂玄瑞を演じることになりました。初めて、司馬さんが描いた群像を演じるに当たり、改めて「世に棲む日日」などを読み返しました。調べてみて、いかに当時の若き志士たちの感情表現が豊かだったか。武士というと物静かな印象がありますが、あの時代を動かした若き男たちは熱く、魅力的だったことが分かりました。

 幕末と今は似ていると思います。社会に閉塞(へいそく)感が漂っていて、その中で若者は目隠しされています。ボクと同世代の友だちもみんな薄給でヘトヘトになって働いています。このままでは心の中まで貧しくなってしまいかねない。でも幕末長州には、貧しいながらも大義と気概を持って生き抜いた男たちがいた。そういう姿を知れば、今の若者も何か夢が持てるのではないでしょうか。歴史を勉強する意義は、過去から学び、よりよい未来を作ること。若い人たちにこそ司馬さんが描く男たちと出会ってほしいですね。今、悩んでいることが「たいしたことないな」と思えるようになると思います。

 特に「二十一世紀に生きる君たちへ」は小学生向けに書かれた短文ですが、「いたわりの心が大切」という思いがよく伝わります。あの名文が心の中にあれば、むやみに他人を批判したり、不満がたまったりすることもなくなるでしょう。間もなく親になるボクたちの世代が今度は未来に伝えていきたいですね。【聞き手・森忠彦】

歴史の忘却と郷愁の間に 成田龍一日本女子大教授

 司馬遼太郎は東西冷戦体制のなかで作品を紡いできた作家である。世界的にみれば米ソが、国内的には保守と革新が厳しく対立した時代にあり、「日本」や「日本人」はこうあるべきである、という指針を出し続けた。亡くなったのは1996年。その7年前にベルリンの壁が崩壊しており、冷戦体制が名実ともに終わった時、司馬は退場した。

 そうした時代相を背負ったがゆえに、「危機の時」に「対立」のなかで読まれる作家ともなった。「竜馬がゆく」の連載が始まったのは62年。「60年安保」という社会的な混乱で、あらたな日本のアイデンティティーが模索される時代に新しい坂本龍馬像が書かれた。「坂の上の雲」の執筆は高度成長期の68年からで、公害などさまざまな矛盾が顕在化するなかにあって団結の物語として明治の戦争を描いた。晩年の10年間にわたって書き継がれた歴史随筆「この国のかたち」は、バブル景気とその崩壊に伴う混乱の時代に重なる。

 冷戦体制が崩れたことで、こうした司馬の役割は終わったはずだった。けれども、日本、日本人のアイデンティティーが揺らいだり、迷いが生じたりするとその作品は再び注目されることとなる。現在の司馬への関心は、東日本大震災を経験し、経済中国に打ち負かされるなど自信が失われていることと無縁ではない。同時に、「戦後」のよき時代へのノスタルジーもあるのだろう。厳しい時代ではあったが、<いま>からみると、経済も政治もそれなりに回っており、なによりも「国民」が一丸となっていたはずだ−−という「失われた日々」への郷愁である。

 司馬の目は複眼的だ。幕末についても、龍馬の視点だけで描いたわけではない。新選組も含め、さまざまな目を通して書かれた。しかし、多面的な司馬の思想を単純化しようとする動きも見られる。「日本を取り戻す」。そんな言われ方を耳にするなかで、司馬の特定の作品を取り出して政治的に利用する意図も見え隠れする。安倍晋三首相の昨夏の「戦後70年談話」は、司馬の歴史観の表層をなぞっていた。満州事変(31年)から敗戦まで日本は間違ったが、明治維新から近代化に至る道のりと、戦後を全面肯定するロジックは、司馬が考えてきたことに重なる。

 文学、歴史とは、それが書かれた時代がどうであったのかを考え、さらにいまそれをどう捉えるのかという2段階で読み解く必要がある。戦後の過程は、朝鮮半島台湾植民地としてきた歴史を忘却する歩みでもあった。司馬もそこから逃れることはできず、日露戦争を描いた「坂の上の雲」は、日本という国民国家を自衛するための戦いという視点で貫かれている。作品で使われる「私たち」には植民地の人たちは入っていない。固定した読み方ではなく、丁寧に読み込むことが求められる。

 グローバル化で、日本は多様な人たちで構成されるようになった。日本、日本人が自明ではなくなり、司馬がしばしば用いた「私たち」が使える国民文学はもう生まれないだろう。その意味では最後の国民作家だったと思う。【聞き手・隈元浩彦】

主人公は「日本」

 発行部数は(1)竜馬がゆく(2)坂の上の雲(3)翔ぶが如く(4)街道をゆく(5)国盗り物語−−の順。晩年はエッセーや紀行で今の日本を語ることが多かった。「この国のかたち」の巻末(4巻)には「主人公は、国家としての、また地域としての、あるいは社会としての日本である(中略)本稿は、時代ごとの形質をあつかいつつも、時代を超えて変わらぬものはないかという、不易の、あるいは本質に近いものをさぐりたいと思って書いている」とある。

 ご意見、ご感想をお寄せください。 〒100−8051毎日新聞「オピニオン」係opinion@mainichi.co.jp

 ■人物略歴

梅原猛さん

うめはら・たけし

 1925年仙台市生まれ。京都大卒。国際日本文化研究センター顧問。99年文化勲章受章。著書に「隠された十字架」「水底の歌」など。

東出昌大さん

 ■人物略歴

ひがしで・まさひろ

 1988年埼玉県生まれ。23歳で俳優デビュー。NHK朝の連続テレビ小説ごちそうさん」、大河ドラマ花燃ゆ」など。「精霊の守り人」(9日NHK総合午後9時)にも出演。

成田龍一さん

 ■人物略歴

なりた・りゅういち

 1951年生まれ。専攻は近現代日本史。早稲田大大学院修了。東京外語大助教授を経て96年現職。著書に「戦後思想家としての司馬遼太郎」など。

    ーー「論点 司馬遼太郎の問いかけ」、『毎日新聞2016年04月08日(金)付。

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覚え書:「プラハの墓地 [著]ウンベルト・エーコ [評者]末國善己」、『朝日新聞』2016年04月03日(日)付。

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プラハの墓地 [著]ウンベルト・エーコ

[評者]末國善己  [掲載]2016年04月03日   [ジャンル]文芸 社会 

 今年2月19日に亡くなったウンベルト・エーコは、記号論学者であり、『薔薇(ばら)の名前』など世界的なベストセラーを残した作家でもあった。エーコが2010年に発表した本書も、知的好奇心を刺激する仕掛けの中に、現代の日本とも無縁ではないテーマを織り込んだ一級のエンターテインメント小説である。

 ユダヤ人を憎む祖父に育てられ、イタリア統一戦争で父を亡くしたシモニーニは、祖父の死後、遺産を公証人に騙(だま)し取られた。仕方なく公証人の下で働き始め、文書偽造の才能を開花させる。偽の証拠を使ってでも政治犯を排除したい各国の秘密警察の目にとまったシモニーニは、やがてパリに向かい、ナポレオン3世の独裁普仏戦争パリ・コミューンの成立、そしてドレフュス事件など、歴史的な大事件の裏で暗躍していく。

 謀略に加担したことで、祖父の言葉が真実だと確信したシモニーニは、プラハの墓地でユダヤ人世界征服を計画したとする文書を偽造する。この文書が、ヨーロッパの反ユダヤ思想と共鳴し、ナチスユダヤ人虐殺の根拠になった偽書「シオン賢者の議定書」へと発展するプロセスが、後半の鍵となる。

 シモニーニは架空の人物だが、それ以外の登場人物はほぼすべて実在している。そのため、虚実を混交して現実の歴史と矛盾しないフィクションを紡ぐ伝奇小説としても、テロリスト秘密警察といったアンダーグラウンドの住人が、シモニーニの周囲で怪しい動きをするサスペンスとしても秀逸である。

 物語は、シモニーニの手記をなぞることで進むが、彼が意識を失っている間は、イエズス会士のピッコラが手記を書いているらしい。やがて二人は死体を発見。二人の関係は何か。死体は何者で、誰に殺されたかを推理するところは謎解きの面白さがあり、どのジャンルが好きでも満足できるだろう。

 著者は、シモニーニの完璧な偽造文書や、意識を失ったシモニーニの手記をピッコラが書き継ぐエピソードを使って、ユダヤ人が社会を裏側から動かしているという荒唐無稽な陰謀論が、歴史の中に紛れ込み、事実として広まるメカニズムに迫っている。しかもユダヤ人への憎悪と偏見が根強い当時のヨーロッパでは、陰謀論の嘘(うそ)に気付くのが難しかったのだ。

 現代の日本でも、太平洋戦争コミンテルンの工作で引き起こされたので、日本に責任はないとする陰謀論が語られ、特定の人種、国籍宗教を排斥するヘイトスピーチの嵐が吹き荒れている。本書は、いつの時代も跋扈(ばっこ)するシモニーニ的なものと、どのように向き合うべきかを問い掛けているのである。

    ◇

 Umberto Eco 1932〜2016年。記号論学者、評論家、哲学者文学者、作家。イタリアボローニャ大学名誉教授。『開かれた作品』『記号論』『フーコーの振り子』など。

    −−「プラハの墓地 [著]ウンベルト・エーコ [評者]末國善己」、『朝日新聞2016年04月03日(日)付。

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覚え書:「イサの氾濫 [著]木村友祐 [評者]斎藤美奈子(文芸評論家)」、『朝日新聞』2016年04月03日(日)付。

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イサの氾濫 [著]木村友祐

[評者]斎藤美奈子(文芸評論家)  [掲載]2016年04月03日   [ジャンル]文芸 社会 

■東北人の重い口から叫びが届く

 この小説(の原型)が文芸誌に載った2011年11月から、本になるのを私は待っていたのだよ。そうだよ。もう4年以上も。

 そりゃあ、震災原発事故を取材した作品はその後たくさん書かれたし、木村友祐も『聖地Cs』という佳編を出してはいる。でも震災直後の割り切れない感情を『イサの氾濫(はんらん)』ほど刺激する作品はなかった。

 物語は震災後、40歳にして会社を辞めた将司が故郷の八戸青森県)に帰るところからはじまる。

 帰省の目的はイサこと叔父の勇雄について調べることだった。イサは傷害罪の前科をもつ途方もない乱暴者で、一族は迷惑をかけられっぱなしだった。

 だが、イサをよく知る老人はいうのである。「今の東北には、あいつみてぇなやづが必要だ」と。「こったらに震災原発(げんばづ)で痛(いだ)めつけられでよ。(略)そったら被害こうむって、まっと(もっと)苦しさを訴えだり、なぁしておらんどがこったら思いすんだって暴れでもいいのさ(に)、東北人づのぁ(というのは)、すぐにそれがでぎねぇのよ」

 「東北人は、無言の民せ」と彼はいう。蝦夷征伐で負げで、ヤマト植民地さなって、米、ムリクリつぐるごどになって、はじめで東北全域が手ぇ結んで戦った戊辰戦争でも負げで、つまり西さ負げつづげで。「ハァ、その重い口(くぢ)ば開いでもいいんでねぇが。叫(さが)んでもいいんでねぇが」

 あれから5年たって、状況は変わっただろうか。震災だけではない。東京の生活に挫折し、故郷にも居場所がない将司は格差社会犠牲者とも重なる。蝦夷(えみし)の血を受け継いだかのようなイサ。ふと将司は考える。おらが、イサだっ!

 小説は東北じゅうの「イサ」たちが結集して永田町になだれ込み、国会議事堂に矢を放つイメージで閉じられる。私たちに必要なのもイサの精神ではないか。何が東京オリンピックだ。何が「がんばれニッポン」だ。冗談こぐでねぇ。んだべ、イサのじちゃん。

    ◇

 きむら・ゆうすけ 70年生まれ。作家。『海猫ツリーハウス』ですばる文学賞。「イサの氾濫」で三島賞候補。

    −−「イサの氾濫 [著]木村友祐 [評者]斎藤美奈子(文芸評論家)」、『朝日新聞2016年04月03日(日)付。

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覚え書:「危機と劇場 [著]内田洋一 [評者]五十嵐太郎(建築批評家・東北大学教授)」、『朝日新聞』2016年04月03日(日)付。

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危機と劇場 [著]内田洋一

[評者]五十嵐太郎(建築批評家・東北大学教授)  [掲載]2016年04月03日   [ジャンル]

 演劇は人間の身体がライブで表現を行う、もっとも瞬間的な強度をもつ芸術のジャンルだ。が、美術のようにモノが残らず、複製芸術でもないから、経験は消え去っていく。その時に現場で立ち会わないと共有しにくい。本書は、東日本大震災と演劇/劇場をめぐる時評集だ。長く舞台芸術を取材した著者が、3・11後に何が起きたかを記録した貴重なドキュメントにもなっている。また、阪神淡路大震災当時の神戸に暮らし、その後の演劇界に立ち会ったことを今回の状況に重ねあわせた考察も興味深い。

 東北では黒森神楽など、豊かな民俗芸能が早くから復活した。避難所における芸術の浄化作用、被災後に多くの劇団が存続の危機に陥ったこと、そして『ブルーシート』や『祝(しゅう)/言(げん)』、『東の風が吹くとき』、『光のない。』、やなぎみわの三部作など、3・11が影響した作品が論じられる。今回、日本の脆弱(ぜいじゃく)な文化のインフラが露呈しつつも、根源的な劇の力が試されたのだ。

    −−「危機と劇場 [著]内田洋一 [評者]五十嵐太郎(建築批評家・東北大学教授)」、『朝日新聞2016年04月03日(日)付。

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覚え書:「特集ワイド 社会保障費急増、2025年問題 「団塊の世代」老後はお荷物?」、『毎日新聞』2016年04月08日(金)付夕刊。

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特集ワイド

社会保障費急増、2025年問題 「団塊の世代」老後はお荷物?

毎日新聞2016年4月8日 東京夕刊

1947〜49年に生まれた「団塊の世代」は、前の3年、後の3年の世代より2割以上も人口が多く、大学闘争などさまざまな社会現象の担い手となった。写真は68年9月に東京であった、日本大学全共闘の学生による反大学当局デモの様子

 「2025年問題」という言葉を最近よく耳にする。「団塊の世代」が全て後期高齢者(75歳以上)となり、社会保障費用が大変なことになる−−という暗い予測だ。高度成長を支え、常に時代の主役と言われてきた世代だけに「我々は問題児?」「お荷物扱いか」と反発する向きもあるようだが、このまま孤立を深めるのか。それとも新たな存在感を出せるのだろうか。【藤原章生

異議あり」なんて忘れよ

 「2025年問題に反発なんかしているのは男性だけでしょ。女性はリアルだから、きれいに見られる方法とか楽しい事を考えますからね。問題児やお荷物扱いされるのは想定内ですよ。自分たちだって若い頃は長髪にして(明治、大正生まれの)年配の人を批判していたわけですから」。こう語るのは、自らも団塊の世代で、小説「終わった人」を昨年出した脚本家内館牧子さん(67)。小説の主人公も団塊の世代東京大出身の元銀行員で、定年後も自分を「終わった人」とは認められない。若い女性との恋愛を求めたり、小さな会社の経営に乗り出したりするが、いずれも失敗し、財産も妻の信頼も失い、仲間のいる故郷に帰る−−というストーリーだ。

 内館さんは結構辛辣(しんらつ)だ。「60代後半はまだ体力があって生々しいから自信があるんですよ。でも若い女性はもちろん社会も、もう彼らには期待していない。『終わった人』たちが頑張れるのはあと数年が限度。25年には本当に『終わった人』ばかりになっていますよ」

 専門家8人が団塊の世代の職、住、教育などについて分析した本「団塊世代60年」(生産性出版)は、この世代の特徴として、こんな声を紹介している。<プライドが高く、組織や他者批判が好きで、自分は正しい道を歩いてきたと信じ、主張の手段は相手を「論破」すること。下の世代を「自分に甘過ぎる」と決めつけ、他者にレッテルを張り、すぐに「あいつはダメだ」と言いたがる>(一部略)

 あくまでも一つの見方にすぎないが、ジャーナリスト森健さん(48)もうなずく一人だ。「経験から言えば、団塊の世代には文句ばかり言う人が多い。年金詐欺の取材で民生委員横浜市を回った時、地区の行事に参加しないし、勝手なゴミ出しをする人が多いのが、あの世代でした。退職して部長や役員の肩書がなくなり、〇〇さんと名字で呼ばれるのを嫌がる。そのせいか理屈をこねて言い分を通したがるのも特徴ですね」

 森さんが抱く「団塊の世代のイメージ」は、08年の東大駒場祭で刻み込まれた。「大講堂で大学闘争についてのセッション(会合)があったんですが、司会役が話し始めた途端、いきなり会場から『異議あり!』という声が上がり『あなた、今そう言ったけど、当時はこう言っていたじゃないか』とか言い出して収拾がつかなくなりました。話も聞けないのかよと、彼らの宿痾(しゅくあ)というか、悲しさを感じましたね」

 東日本大震災被災地で遺構保存運動の取材をした時にも、そう感じた。若い世代が議論を積み上げて保存したいと意向をまとめても、団塊の世代が「そんなものいらん」とつぶしてしまう事例を複数目にしてきたという。

 スズメ百まで踊りを忘れず。75歳を境に、急に物わかりの良い穏やかな老人になるのも難しい。新聞の投書欄などでは団塊の世代が「私たちは問題児なのか」と反発の声を上げている。将来、あちこちで小競り合いが起きそうな気もする。そんな想像を念頭に内館さんは言う。「たぶん若い人たちに認めてほしいのが本音なんだろうね。君たち、こんなやり方じゃだめだ、自分たちはすごいと認めてほしい。それで議論を台無しにするような言い方になっちゃうのよ。『異議あり』なんてもう忘れなさい、若い人に任せておきなさいと強く思います」。同情的な視線だった。

世界を楽しませる知恵を

 「ハイティーン」「ヤング」「ニューファミリー」と、人数の多さからブームや生活様式を先導してきた団塊の世代が、新たな価値観を生み出してくれないものか。うるさく、とんがって見える世代だけに、つい期待してしまうが、予測小説「団塊の世代」(1976年)で、その言葉を社会に定着させた作家、堺屋太一さん(80)は「いや、何かを生み出す世代ではないんです」とあっさり否定した。

 なぜなのか。堺屋さんは団塊の世代を「官僚が敷いた産業構造を実現させた兵士のような存在」と位置づけた上で、「官僚終身雇用や年功賃金東京一極集中に加え、『人生の規格化』を団塊の世代にガチッと植えつけたんです」と説明する。

 「官僚は戦後、米国の技術を導入して製造業に規格大量生産を定着させるため、終身雇用、年功賃金を組み込ませた。さらに、地方に独自の文化があると反中央、反官僚的になるため東京一極集中を図った。消費行動では、効率が落ちるからと買い物から会話をなくすように進めるため、スーパーマーケット自動販売機などを広めた。そして人生設計。学校を卒業した後に就職しないのは不良と宣伝し、働いたら蓄財をするように勧める。結婚するまで出産してはならない。夫婦は部屋数が多い小さい家で子供2人を育てよ、と人生全てを規格化しました。これらに従順に従ったのが団塊の世代なのです」。その結果−−「日本人を全員不幸にした」と堺屋さんは言い切った。

 「全員」はどうかと思うが、団塊の世代が模範となった「規格化された人生」は80年代から通用しなくなったということだ。その後、右肩上がり経済成長は止まり、少子化や地方の衰退が進んだ。それを踏まえ、堺屋さんは2025年の姿を予測する。

 「団塊の世代は、サービス付き高齢者住宅に集中するでしょうね。それを福祉と称して国が援助する。東京集中がより強まり、地方は国の交付金頼りになる。地方メディアや地方大学も成り立たなくなる。中央官庁による産業と報道支配が強まり、人間の意欲がなくなる。若年層も新しいことをやりたがらない。すでに『3Yない若者』と言われているように、欲ない、夢ない、やる気ない若者が増え、若い人の老人化が問題になる」。これでは希望を見いだすのは難しそうだ。

 解決策はあるのだろうか。堺屋さんは「まず日本人の倫理観を変えることだ」と提案する。「徳川時代倫理は天下太平。明治は進歩と愛国。戦後は効率、平等、安全。しかし今は安全だけ。組み体操から飲酒運転まで取り締まる官僚主導。安全のためと、国に必要な移民も受け入れない」

 そんな日本に最も必要なのは「楽しさ」だと堺屋さん。「日本人に一番欠けているのが楽しさ。これからは楽しい日本を目指す。成長せずとも、国としての国際的な地位を落とさないためには、団塊の世代とその後の世代が全世界を楽しませる知恵を持つこと」

 でも、どうやって?

働きたい人は働き続けて

 その手掛かりを探ろうと、広島市在住で芥川賞作家の小山田浩子さん(32)に尋ねた。30代と老人や子供たちが交錯する作品「穴」や、若い世代の労働や人生への意欲の薄まりを活写した「工場」を発表してきた人だ。30代前半以下の世代にとって団塊の世代存在感は希薄だと言う。

 「自分の作品に団塊の世代はほとんど登場しません。『がんばれば何とかなる』という考え方は私の世代にはない。自分たちが結婚もできず子供もつくれない年収に甘んじているのは、上の世代の責任という見方が若い人には強いから、意図的、あるいは無意識で団塊の世代を見ないようにしている気がします」

 若い世代から意識されていない団塊の世代が老後を迎える2025年。堺屋さんが語る「楽しい日本」はあり得るのか。そう問い掛けると小山田さんは「楽しい……社会」と言って、絶句した。

 「うーん、『豊かじゃないけど楽しい』のは、『楽しくないけど豊か』よりはいいかな。楽しさって個人的な感覚ですよね。スマートフォンでゲームしている楽しさ、社会貢献の楽しさ、同じ考えの人がインターネットでつながる楽しさ。いろいろありますから」。さすがに各世代が交わりわいわい楽しんでいるイメージは浮かばないという。

 働く楽しさも挙げた。「主人が勤めている町工場には70代の人が現役で働いています。団塊の世代は働き者でしょうから、将来、定年を80代に引き上げて働きたい人には働いてもらう。一律に年齢で区切らず、お金のある人、ない人、働ける人、働けない人、と分けて年金も支給すればいいのでは」。決して皮肉で言っているのではない。

 年齢や国籍に関わらず働ける人が働けばいい。そして、働かない人も含め、それぞれが個別の楽しみを見いだす。そんな社会像が定着していけば「団塊の世代は問題児」などという見方は広がらないのではないか。

2025年問題

 1947〜49年に生まれた団塊の世代後期高齢者になることで起こる諸問題。2025年の後期高齢者数は人口の5人に1人にあたる約2200万人。社会保障費は14年度に比べ約29%も増えると見込まれる。これまで国を支えてきた団塊の世代が、社会保障サービスを受ける側に回るため、医療介護などの需要が高まり、財源確保や介護医療従事者の人手不足などが問題になると見られている。

    −−「特集ワイド 社会保障費急増、2025年問題 「団塊の世代」老後はお荷物?」、『毎日新聞2016年04月08日(金)付夕刊。

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