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Essais d’herméneutique このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2050-11-18

はじめに……

アカデミズム底辺で生きる流しのヘタレ神学研究者・氏家法雄による神學、宗教學、倫理學、哲學の噺とか、人の生と世の中を解釈する。思想と現実の対話。

2010年11月25日より「はてな」に雑文を移項いたしますので、今後ともどうぞ宜しくお願いします。

ついでですのでひとつ。

絶賛求職ちう。

過去(2007年8月28日〜2010年11月24日)の雑文は以下のURLより閲覧できます。

引っ越しがうまくいけばこちらへ完全移行の予定。

当分はココログと併用いたします。

Essais d’herméneutique

氏家法雄のブクログは以下のURLから閲覧できます。

ujikenorioの本棚 (ujikenorio) - ブクログ


f:id:ujikenorio:20111229153022j:image

2016-06-26

覚え書:「憲法を考える:自民改憲草案・個人と人:中 『利己主義』の抑え役、本来は」、『朝日新聞』2016年04月27日(水)付。

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憲法を考える:自民改憲草案・個人と人:中 「利己主義」の抑え役、本来は

2016年04月27日

 たかが1文字、されど1文字。自民党改正草案13条は、現行憲法の「個人」から「個」が削られ、「全て国民は、人として尊重される」となっている。

 憲法には「権利」という言葉が20回以上でてくるのに「義務」という言葉は数回しかない。この権利偏重の憲法が「行きすぎた個人主義」を育み、利己的な今の社会を作った――。

 憲法学者小林節慶応大学名誉教授によると、こうした考え方は、自民党議員の間で広く共有されているという。「30年近く自民党議員議論してきたが、もはや、自民党の中の『常識』ですよ」

 2004年に自民党憲法改正プロジェクトチームが出した「論点整理」では、「近代憲法が立脚する『個人主義』が『利己主義』に変質させられた結果、家族や共同体の破壊につながった」と分析する。自民党改憲草案づくりに携わった礒崎陽輔・前首相補佐官も、憲法13条の「すべて国民は、個人として尊重される」という文言が「個人主義を助長してきた嫌いがある」とホームページに書いた。しかし、現行憲法ができる前の社会は「利己的」ではなかったのだろうか。

 「明治憲法下では、社会福祉を定めた条項もなく、炭鉱過酷労働など、強者や権力者が『利己的』にやりたい放題の社会だった。それを変えたのが、権力に対する『個人』の尊重という考えだったのですが……」と小林さんは言う。

 個人主義と利己的な社会と憲法。その関係を考えたいと、静岡大学に笹沼弘志教授を訪ねた。研究のかたわら、ホームレスの人々の法律相談に20年以上のっている憲法学者だ。

 「多くの路上生活者自意識は『究極の個人主義者』ですよ」

 笹沼さんが生活保護を受けるよう勧めると、「生活保護をもらうやつは怠け者」「仕事さえあれば何とかなる」という返事が返ってくることが多い。「自立しなければという強迫観念に近い思いを抱えている。ただそれは、『世間の常識』を彼らが内面化した結果です」

 考えてみたい。

 餓死寸前で救急車が呼ばれたのに、病院への搬送を拒否され、市役所非常食の米だけを渡されて、そのまま亡くなった静岡県の女性がいた。

 彼女は、確かに人である。だが本当に、生命や自由や幸福追求の権利を持った「個人」として生きているといえるだろうか。笹沼さんは言う。

 「自民党草案の前文は『活力ある経済活動を通じて国を成長させる』と、国民の、国への貢献を強調しています。国の成長が何よりも優先する、役に立たない人間の面倒を国が見る必要はない、そうした『常識』が『個人』の尊厳を傷つけ、社会の公正さを損なわせている。そのことを私たちに気づかせてくれる物差し、それが憲法です」

 真に一人一人が「個人」として生きるということはどういうことか。「個人」を「人」に変えようとする自民党改憲草案もまた、私たちに問いかけているのかもしれない。

 (守真弓)

    −−「憲法を考える:自民改憲草案・個人と人:中 『利己主義』の抑え役、本来は」、『朝日新聞2016年04月27日(水)付。

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(憲法を考える)自民改憲草案・個人と人:中 「利己主義」の抑え役、本来は:朝日新聞デジタル


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覚え書:「書評:希望のヴァイオリン ジェイムズ・A・グライムズ 著」、『東京新聞』2016年05月08日(日)付。

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希望のヴァイオリン ジェイムズ・A・グライムズ 著

2016年5月8日

◆暗い時代の記憶刻む

[評者]川成洋=法政大名誉教授

 ヴァイオリンの起源説の一つに、一四九二年にスペインから国外追放されたユダヤ人が作り出したという逸話がある。以降寄る辺なきユダヤ人ヴァイオリンを人生の同伴者として扱い、幾多の世界屈指のヴァイオリニストを輩出してきた。では、第二次大戦期にユダヤ人ヴァイオリンの関係はどうだったのか。

 一九三九年にパレスチナで生まれたアムノンは、父の後を継いで弦楽器製作者となる。縁者でナチスの犠牲になったのは四百人もいたという。戦後、彼の工房にホロコーストを生き延びたヴァイオリンが修理に持ち込まれる。「希望のヴァイオリン」プロジェクトの発端であった。そのヴァイオリンには各々(おのおの)関係者の苦難の人生と記憶が刻印されている。

 例えば強制収容所での、護送されたユダヤ人の到着時、労役隊の隊列が出入りする時、毒ガスを浴びた女性の悲鳴をかき消す時、処刑や点呼に際して、囚人服のオーケストラは勇壮な行進曲を演奏した。それでもユダヤ人にとってささやかな「救世主」だったろう。そんな幾つかの演奏家の逸話が本書で紹介される。

 昨年一月、アウシュヴィッツ解放七十年を記念して、ホロコースト犠牲者が遺(のこ)した十五挺(ちょう)のヴァイオリンと一挺のチェロベルリン・フィルが演奏した。人類史上もっとも暗い時代の慰めとなった音楽。いつまでも銘記しておきたい。

 (宇丹貴代実訳、白水社・3024円)

 <James A.Grymes> アメリカの音楽学者・ノースカロライナ大教授。

◆もう1冊 

 S・ラックスほか著『アウシュヴィッツの音楽隊』(大久保喬樹訳・音楽之友社)。ドイツユダヤ両民族の愛憎劇。

    −−「書評:希望のヴァイオリン ジェイムズ・A・グライムズ 著」、『東京新聞2016年05月08日(日)付。

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東京新聞:希望のヴァイオリン ジェイムズ・A・グライムズ 著:Chunichi/Tokyo Bookweb(TOKYO Web)



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覚え書:「書評:戦後の地層 東京新聞取材班 編」、『東京新聞』2016年05月08日(日)付。

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戦後の地層 東京新聞取材班 編

2016年5月8日

◆9条の空洞化を検証

[評者]吉田司=ノンフィクション作家

 安保法制の成立で<自衛隊の戦争>が間もなく始まる、かつての軍国主義へ回帰するのでは…との不安がよぎる。なぜかくもやすやすと、日本は再び「戦争のできる国」になってしまったのか。反省をこめて戦後七十年の反戦平和(憲法九条)の空洞化の歴史を検証した本だ。

 核廃絶を訴える平和都市長崎佐世保の戦後史を見てみよう。長崎三菱重工戦艦武蔵」を造った軍都で、佐世保軍港だったが、長崎被爆し、佐世保も破壊された。一九五〇年に佐世保市が平和都市宣言をすると、その五ケ月後に朝鮮戦争が勃発。特需景気でドル札が舞い、米軍は基地を開設し、市は海上警備隊(後の海上自衛隊)を誘致した。平和宣言はあっという間に骨抜きにされた。だから今も平和都市長崎自衛隊イージス艦護衛艦、魚雷が造られている。

 本書は「憲法で戦力の不保持を掲げながら、『自衛』という名の武力保持へと方向転換した」と書き、二枚舌の戦後日本の姿を的確に描出している。つまり立憲主義は最初から空洞化していたのだ。

 だとすれば、これから日本は「戦前」(軍国化)に戻るのか。それとも安保法制の本質は<アメリカの戦争>の下請け化なのだから「アメリカ」に戻るのか。いいや、どちらも拒否して今度こそ「空洞なき反戦平和」の世を創る道もあろう。どの道を行くのか、決断を迫る書だ。

 (現代思潮新社・1944円)

 東京新聞中日新聞東京本社)の社会部を中心にした取材班が執筆。

◆もう1冊 

 神奈川新聞取材班編『時代の正体(2)−語ることをあきらめない』(現代思潮新社)。報道規制など時代を問う第二弾。

    −−「書評:戦後の地層 東京新聞取材班 編」、『東京新聞2016年05月08日(日)付。

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東京新聞:戦後の地層 東京新聞取材班 編:Chunichi/Tokyo Bookweb(TOKYO Web)








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戦後の地層 もう戦争はないと思っていました
東京新聞「戦後の地層」取材班
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覚え書:「書評:奇異譚とユートピア 長山靖生 著」、『東京新聞』2016年05月08日(日)付。

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奇異譚とユートピア 長山靖生 著

2016年5月8日

◆未来を思い描く心の起源

[評者]巽孝之慶應義塾大教授

 

 日本SFと聞けば、ふつう一九五九年暮れに早川書房が創刊した月刊専門誌『SFマガジン』を根城に成長を遂げた星新一小松左京筒井康隆眉村卓光瀬龍ら第一世代以降の歴史を連想するだろう。しかし日本を代表するSF史家として横田順彌を継ぐ長山靖生の『日本SF精神史』(二〇〇九年)によれば、日本SFは黒船来航以後に徳川斉昭をモデルにすべて漢文で書かれた巌垣月洲の『西征快心篇』(一八五七年)以来百五十年の歴史を誇るという。

 では、いったいどうしてそのようなSF的想像力が培われたのか。長山は本書ではさらにスケールを拡大し、西欧では近代リアリズム小説を指す「ノヴェル」と対照的に潜在してきた驚異の旅に代表される空想物語「ロマンス」の形式を「奇異譚(たん)」と呼び直して、そこにSF的原型を見る。そして『西征快心篇』の本質が、西欧のアジア侵略へ対抗しようとする架空戦記部分ではなく、むしろユートピア精神にあったと見なす。これが江戸時代以前の奇想物語と一線を画するのは、黒船来航以後の日本ではどこか現実につながる有用性を意識した啓蒙(けいもう)的な小説こそが読者の夢をかき立てたからだ。げんに近代化に邁進(まいしん)する開国以後の時代には、どこにもない時空間を求めるオランダSF『新未来記』(一八六五年)を原点とする想像力が大きく羽ばたく。

 そして十九世紀のSF大国フランスからジュール・ヴェルヌアルベール・ロビダといった作家たちの作品群がぞくぞくと送り込まれ、それを承(う)けた明治日本の奇異譚においては宇宙進出から社会進化論、ひいてはフェミニズムに至るまで、二十一世紀SFでは自明のものとなった発想が一気に出そろうのだ。そこには必ずしも目前の現実ではなく、到達できるかどうかわからないほどの未来を構想する力への信頼がある。日本SFの歴史的起源へ立ち戻るのは、未来を想(おも)う心を取り返すことにほかならない。

 (中央公論新社・6264円)

 <ながやま・やすお> 1962年生まれ。評論家。著書『戦後SF事件史』など。

◆もう1冊 

 横田順彌著『近代日本奇想小説史 入門篇』(ピラールプレス)。多角的に日本SFを論じた文章や古典SFの作家研究を収録。

    −−「書評:奇異譚とユートピア 長山靖生 著」、『東京新聞2016年05月08日(日)付。

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東京新聞:奇異譚とユートピア 長山靖生 著:Chunichi/Tokyo Bookweb(TOKYO Web)


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覚え書:「ハンセン病 特別法廷、調査報告書 「暗黒裁判」ようやく謝罪」、『毎日新聞』2016年4月26日(火)付。

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ハンセン病

特別法廷、調査報告書 「暗黒裁判」ようやく謝罪

毎日新聞2016年4月26日 東京朝刊

(写真キャプション熊本県の菊池恵楓園で開かれたハンセン病患者の特別法廷。1951年3月の撮影とされる=菊池恵楓園自治会50年史より

療養所から逃走した入所者らを収監した「重監房」の再現模型を見学する最高裁有識者委のメンバー=群馬県草津町の重監房資料館で今年1月、山本有紀撮影

 最高裁は25日に発表したハンセン病患者の特別法廷の調査報告書で、「暗黒裁判」とも呼ばれた裁判所外での審理の実態を明らかにしたうえで、裁判所までもが差別に加担していた事実を認めた。強制隔離政策を「違憲」と認めた2001年の熊本地裁判決から15年。ようやく実現した司法謝罪を、今なお根深い根強い差別、偏見の解消や再発防止につなげることが求められている。

特例運用、機械的に

 国のハンセン病政策によって社会から隔離された患者は戦前、司法手続きでも枠外に置かれていた。療養所の所長から「重大な規律違反があった」と認定されると、療養所の監禁室や栗生楽泉(くりうらくせん)園(群馬県)にあった「重監房」に送られた。無実を訴えても裁判は行われなかったとみられる。

 終戦間もない1947年、重監房の非人道的な実態が明るみに出る。真冬には気温が氷点下20度近くまで下がるのに暖房器具はなく、食事も満足に与えられない。監禁された93人のうち23人が死亡していたことが判明し、重監房は廃止された。日本国憲法の下で裁判所法が整備され、ハンセン病患者にも法に基づく手続きがとられるようになった。

 だが、差別は根強く、ハンセン病患者が裁判所の法廷に立つことはなかった。極めて例外的な場合に設置が認められる特別法廷で審理されることになったからだ。

 特別法廷はどのように開かれていたのか。今回の最高裁の調査で、手続きや審理の実態が分かってきた。

 特別法廷を開こうとする裁判所は、最高裁に起訴状の写しや患者の診断書などを提出する。本来なら事件ごとに患者の状態や伝染の可能性を検討する必要があったが、最高裁事務総局は衛生上の問題や経費を理由に、ハンセン病感染していることが確認できれば一律に特別法廷とする運用を続けていた。

 ハンセン病を理由に地裁などが最高裁に特別法廷の開廷を求めた上申は96件あり、うち95件(99%)が許可されていた。残る1件は撤回で、不許可とされた例はなかった。一方、ハンセン病以外の病気や老衰の場合は、61件の上申に対して許可はわずか9件。許可率は15%にとどまっていた。明らかな違いがあったが、疑問の声は上がらなかったという。

 調査では、廷内の様子も判明した。53年に菊池恵楓(けいふう)園(熊本県)で開かれた特別法廷では、園内の建物が使われた。患者が立ち入りできない「無菌地帯」と呼ばれる2階席に裁判官が座り、被告は1階の「有菌地帯」で審理を受けたとされる。前橋地裁高崎支部が54年、栗生楽泉園に送ったとみられる文書には「講堂に椅子と机を適当に配置するだけで足りる次第であります」との趣旨の記述があった。

 最高裁は、地裁の掲示板や法廷が開かれる施設の正門に開廷を知らせる張り紙を掲示するよう指示を出していた。療養所の入所者や職員被告の家族らが傍聴していたことをうかがわせる記録も見つかった。ただ特別法廷は療養所や刑務所など社会から隔絶された場所で開かれていたケースが多く、一般市民による「裁判のチェック」はほとんどされていなかった可能性が高い。

 48年に始まったハンセン病患者の特別法廷は72年を境に開かれなくなった。米統治下の沖縄では60年代からハンセン病患者でも地裁支部で裁判が開かれており「72年の沖縄返還と関係しているのではないか」との見方も出た。しかし、はっきりとした理由は今も分かっていない。【山本将克】

患者高齢化、ケア課題 入所者減「将来構想」不可欠

 2001年のハンセン病国賠訴訟判決後、厚生労働省は毎年、元患者代表と定期協議を開いて要望を聞き、対策を進めてきた。一方で全国の療養所入所者は最も多かった時の7分の1程度の約1600人まで減少。平均年齢は約84歳と高齢化が進み、4人に1人が認知症を抱えている。入所者が減り、各療養所の自治会の存続が難しくなる中、元患者の生活と人権をどう守っていくのかが大きな課題になっている。

 全国ハンセン病療養所入所者協議会(全療協)は厚労省に対し、終末期医療生活支援に入所者の希望を反映させる専門のケアチームを各療養所につくるよう提案。入所者への人権侵害などを監視するため、ハンセン病問題に詳しい弁護士など外部の識者を加えた「人権擁護委員会」を設けることも要望している。

 入所者が減る中で療養所の機能を維持するためには、療養所の敷地福祉施設などを誘致して共存する「将来構想」の推進が不可欠だ。一部の療養所は保育所特別養護老人ホームの開設にこぎつけた。ただ、大半の療養所は交通の便の悪い場所にあることなどから、構想が思うように進んでいない。

 将来的に入所者がいなくなった場合に、療養所を負の遺産として保存する動きもある。厚労省は一貫して消極的だったが、全療協などが「歴史を風化させてはいけない」と強く働きかけ、ようやく昨年から話し合いが始まった。

 最大の課題が差別や偏見の解消だ。毎日新聞が今年2月、療養所の入所者・退所者を対象に実施したアンケートでは、回答した約700人のうち77%が「差別や偏見がいまだにある」とした。

 元患者と同様に国の誤った強制隔離政策で差別被害を受けたとして、元患者の家族による新たな国賠訴訟も起こされている。訴訟弁護団裁判を通じ、差別被害の救済と抜本的な再発防止策を求めていく方針だ。【江刺正嘉】

ハンセン病を理由とする開廷場所指定に関する調査報告書」(要旨)

 調査は、最高裁司法行政事務として行ったハンセン病を理由とする開廷場所の指定行為の適法性・相当性を対象としたものである。裁判の独立を侵害する恐れがあるため、個別の裁判でどのような審理が行われたかについては、調査対象としていない。

 ●特別法廷の適法性

 最高裁下級裁判所裁判所以外の場所で法廷を開かせる必要がある場合とは、風水害、火災などのため、本来法廷を開くべき裁判所で法廷を開くことが事実上できなくなった場合や、被告が長期の療養を要する伝染性疾患の患者であって、出頭を求めて審理することが不可能ないしは極めて不相当な場合など、真にやむを得ない場合に限られる。真にやむを得ない場合に該当するかを検討するに当たっては、出頭に耐えられない病状であったり、伝染可能性が相当程度認められたりするなど、裁判所への出頭を求めて審理することが不可能と認められる事情▽病状が改善するか、伝染可能性が低下する見込み▽書面による準備手続きなど他の手段−−などを慎重に考慮すべきである。

 ハンセン病以外の病気を理由とする上申は、61件のうちわずか15%である9件が認可されているにすぎず、ハンセン病を理由とする上申は、96件のうち99%である95件が認可され、不指定とされた事例はなく、他の理由と比べて非常に高い認可率となっている。

 1948年2月の最高裁裁判官会議において、ハンセン病患者を被告とする下級裁判所の刑事事件については、事務総局に処理させる旨の議決がなされた。専決権限を付与された事務総局は48−72年、下級裁判所を通じて、ハンセン病の病状▽他者への伝染可能性と将来における病状の改善や伝染可能性の低下の見込み▽科学的な知見−−を検討することなく、ハンセン病罹患(りかん)していることが確認できれば、裁判所外における開廷の必要性を認定して、開廷場所の指定を行う定型的な運用をしていた。

 2001年の熊本地裁判決は60年以降も隔離政策を続けたことを違憲としている。開廷場所の指定についても、ハンセン病患者にのみ定型的な運用が行われていたことは、遅くとも60年以降は合理性を欠く差別的な取り扱いであったことが強く疑われ、裁判所法69条2項に違反するものであった。当時ハンセン病患者に対する施設入所政策が、多くの患者の人権に対する大きな制限・制約になったこと、一般社会において極めて厳しい偏見、差別が存在していたことは明らかであるところ、事務総局による運用は偏見、差別を助長するもので深く反省すべきである。

 ●開廷場所の選定

 開廷場所が要件を満たしているか否かは、最高裁自身が判断すベきであり、法廷が開かれる部屋の広さ、具体的形状、物的設備の状況などが開廷場所としてふさわしいか判断できる資料を収集した上で、その適否を判断すべきと考えられる。

 開廷場所となった刑事収容施設及びハンセン病療養所は、いずれもその場所で訴訟手続きが行われていることを広く国民が認識することが容易ではなく、裁判所施設と比較すると広く国民が傍聴するに適した場所とはいえない。しかし、一般論として、被告が長期療養を要する伝染性疾患の患者であって、裁判所に出頭を求めて審理することが不可能ないしは極めて不相当な場合など必要性の要件を満たしている場合は、伝染予防の観点から、必ずしも国民の傍聴に適した場所とはいえない病院や療養所などを開廷場所とすべき場合もあり得る。開廷を告示するなどの方法により訴訟手続きを国民が認識することが可能で、傍聴のために入室できる場所であれば、公開の要請を満たす場所として許されると考えられる。

 開廷の適否は、伝染予防の観点で他に使用可能な施設の有無や設備の内容がまず検討されなければならず、その上で、法廷が開かれる場所の具体的形状、出頭・押送の負担など個別的事情を勘案しなければならない。しかし、ハンセン病を理由とする開廷場所の指定において、個別事情を勘案して検討されたことを推測させる資料は見当たらなかった。

 各事件で法廷が開かれた場所の具体的形状は判然としない部分が多いが、裁判所法が許容していないと解される具体的形状がある場所が開廷場所として選定された事例があったとまで認定するには至らなかった。下級裁判所が、最高裁の指示に従い、裁判所の掲示場や開廷場所の正門などにおいて告示を行っていたこと、指定された開廷場所において傍聴を許していたことが推認でき、裁判所法が想定する公開の要請を満たさない指定がされたと解される事例があったとは断定できない。

 ●公開原則との関係

 裁判所外における開廷の必要性を認定する運用の問題は、開廷場所における「裁判の公開」の問題とは別の問題であり、必要性の認定の運用が裁判所法に違反するものであったからといって、直ちに憲法37条1項、82条1項の定める公開原則との抵触が問題になるわけではない。公開原則に違反するといえるためには、少なくとも、指定された開廷場所において、実際に公開の要請を満たさないような審理が行われたことを要するものである。

 「裁判の公開」は国民の傍聴が許されていることを意味するものと考えられ、一般論でいえば、傍聴人が入るのに十分な場所的余裕があり、開廷を告示するなどの方法によりその場所で訴訟手続きが行われていることを国民が認識することが可能で、傍聴のために入室することが可能な場所であれば、憲法の定める公開の要請を満たす場所として開廷場所とすることが許される。

 下級裁判所が、最高裁の指示に従い、裁判所の掲示場及び開廷場所の正門等において告示を行っていたことが推認され、開廷場所を指定する運用は憲法の定める公開の要請を念頭に置いて行われたものと認められる。収集できた資料によれば、裁判所法が想定する公開の要請を満たさないと解される具体的形状がある場所が開廷場所として選定された事例があったとまで認定するには至らなかった。

 有識者委員会からは、公開原則を満たしていたかどうか、違憲の疑いはぬぐいきれないとの意見が出された。しかし、ハンセン病療養所や刑事収容施設は、国民が容易に訪問できるような場所ではないとはいえ、訪問が事実上不可能な場所だったとまでは断じがたい。有識者委の意見に沿って結論を変えるまでには至らなかったが、どこを開廷場所とするかについて個別具体的な検討をしないまま定型的にハンセン病療養所などを選定していたことが強く疑われ、療養所それ自体が隔離・差別の場であったことに対する問題意識が欠如していたことからくる誤った運用が問題の根本にあることは否定し難い。有職者委の指摘を重く受け止める。

 ●内部手続きの適法性

 裁判所以外での開廷について事務総局に処理させる議決は、いわゆる行政法上の専決権限の付与である。裁判官会議が、その議決で、開廷場所の指定を事務総局限りの専決とすること自体は法に適合しないものではない。

 遅くとも60年以降においては、療養所長の判断にのみ依拠して直ちに開廷場所の指定を行うのではなく、ハンセン病の病状▽他者への伝染可能性と将来における病状の改善や伝染可能性の低下の見込み▽科学的な知見−−を検討して、裁判所外における開廷の必要性が認められる真にやむを得ない場合に該当するか否かを、個別具体的な事情に即して慎重に吟味する必要があった。ハンセン病罹患していることが確認できれば、原則として開廷場所の指定上申を認可する運用が相当性を欠く状況だった。

 事務総局が、専決権限を付与された後、裁判官会議に認可の状況について報告した事実は確認できない。事務総局が個別具体的な事情に基づく慎重な吟味を怠り、遅くとも60年以降、専決の前提となった状況が変化し運用の考え方が相当性を欠く状況になっていたことを裁判官会議に諮ることなく、その後も専決権限を行使し続けたことは相当ではない。

 ●まとめ

 裁判所外での開廷の必要性の認定判断の運用は、遅くとも60年以降、裁判所法に違反するものだった。誤った運用がハンセン病患者に対する偏見、差別を助長することにつながり、患者の人格と尊厳を傷つけるものだったことを深く反省し、おわび申し上げる。

 ●今後の運用

 疾病を理由とする上申がされる場合、事務総局は、まず開廷場所の指定によらない方法を講じ得ないか検討し、偏見や差別を廃し最新の科学的な知見など可能な限り情報を収集し、裁判所外における開廷の必要性が認められる真にやむを得ない場合に該当するかを精査した上で、裁判官会議に諮るべきである。司法行政事務は、司法制度を利用する国民の権利利益や社会生活に深い影響を及ぼし得る。職員は、上記のような過ちと深い反省を忘れることなく今後の教訓とし、人権に対する鋭敏な意識を持って、誤った運用が二度と行われないよう、具体的な方策を着実に実行していく必要がある。

有識者委員会の意見

 ●平等原則

 「有識者委員会」の役割は憲法人権保障の歴史を踏まえ、意見を述べることであり、個別の裁判の適否について評価するものではない。今回の検証・調査は時間の経過によって多くの困難を伴った。最高裁が自らこの問題に取り組んだことは高く評価されるが、あまりに遅きに失した感は否めない。「時の壁」を作出したことの責めも最高裁は負わなければならない。

 調査委員会の調査によって明らかにされているように、開廷場所指定の上申のうち、96件がハンセン病を理由とするもので、95件が認可され、認可率は99%だった。裁判所法は、例外的に「必要と認めるときは他の場所で法廷を開かせることができる」とし、「真にやむを得ない場合に限る」と必要性について厳格に解してきた。ところが、ハンセン病というだけで個別的、具体的に必要性を判断することなく、機械的、定型的に開廷場所を指定するという運用が行われていた。裁判所法違反であると同時にハンセン病患者への合理性を欠く差別であり、憲法の平等原則に違反していたといわざるを得ない。

 ●公開原則

 調査報告書は公開原則に反していないとするが、残念ながら十分に実証しえているとはいいがたい。問題の本質がハンセン病患者に対する差別であることを考慮しなければならない。形式的に公開要件が満たされていたかの検討にとどまらず、実質的に公開されていたか踏み込んで検証すべきだ。

 確かに公開の手続きについて指示した文書も存在し、傍聴もされていたという資料も存在するが、法廷が療養所外の人々に実質的に公開されていたというには無理があるといわざるを得ない。療養所自体、一般の人々の近づきがたい場所であるから、その中に設けられた法廷は、さらに近づきがたいものであった。ハンセン病患者の隔離・収容の場で行われた裁判が公開原則を満たしていたかどうか、違憲の疑いは拭いきれない。

 ●反省とおわび

 開廷場所指定の定型的運用について「深く反省し、おわび申し上げる」としていることは、人権保障の砦(とりで)としての見識を示したものとして評価したい。しかし事務総局だけではなく、裁判官職員差別的な取り扱いを容認していた点で大いに反省すべきであるし、今後そのようなことのないように人権意識を高めるための方策を採るべきだ。

 調査報告書が開廷場所指定の違法性を認め謝罪しているのは「遅くとも1960年以降」である。しかし60年以前についても、ハンセン病患者への反省と謝罪の表明があってしかるべきだろう。裁判官には高く、鋭敏な人権感覚が求められている。一般国民の偏見・差別が強いことを理由として適正な司法行政を怠ることは許されない。

 ●将来への提言

 最高裁裁判官職員人権意識の向上を常に図り、人権侵害の事態を二度と引き起こさないようにすべきだ。いくつか提言したい。

 (1)感染力が強くない感染症はもちろん、より強力、危険な感染症の場合でも第一に配慮されるべきは患者の人権。その上で、患者以外の人々の人権への配慮がなされるべきだ。

 (2)裁判官職員らへの人権研修が直ちに実施されなければならない。 

 (3)教訓とすべき負の遺産の保存、活用こそ、将来に向けての人権意識向上の重要な教材となる。

 (4)積極的な姿勢を最高裁が示すことは人権教育への模範となる。さまざまな偏見を無くし、差別人権侵害の作出、助長を防止することになる。

 今回の問題は最高裁の責任を問えば済むものではない。検事、弁護士研究者法学界の人権感覚と責任が厳しく問われていることも強調しておきたい。

有識者委員会

 井上英夫・金沢大名誉教授(座長)▽石田法子弁護士▽大塚浩之・読売新聞論説副委員長▽川出敏裕・東京大大学院法学政治学研究科教授▽小西秀宣弁護士

ハンセン病の隔離政策と特別法廷を巡る経緯

1907年    患者隔離を基本とする法律「癩(らい)予防ニ関スル件」制定

  31年    「癩予防法」(旧法)制定

  48年    最高裁ハンセン病を理由とする特別法廷を初めて許可

  52年    世界保健機関(WHO)が隔離の見直し提言

  53年    「らい予防法」(新法)制定

  60年    WHOが隔離を否定し、外来治療を提唱

  72年    ハンセン病を理由とした95件目の特別法廷を許可。以後途絶える

  96年    らい予防法廃止

  98年    元患者13人が国を相手に初の提訴

2001年

      5月 熊本地裁が国の隔離政策を違憲とする判決。国は控訴を断念し、確定。政府首相談話謝罪を表明

      6月 衆参両院が謝罪の意を表明する決議を全会一致で採択。元患者らに補償金を支給するハンセン病補償法施行

  03年11月 熊本のホテルが療養所入所者の宿泊を拒否

  13年11月 療養所入所者らが最高裁に特別法廷の検証を申し入れ

  14年 5月 最高裁が事務総局内に調査委員会を設置

     12月 最高裁が元患者への聞き取り開始

  15年 9月 最高裁有識者委員会が初会合

  16年 4月 最高裁が検証結果を発表

    −−「ハンセン病 特別法廷、調査報告書 「暗黒裁判」ようやく謝罪」、『毎日新聞2016年4月26日(火)付。

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2016-06-25

日記:自民党のいう「憲法改正」の中身とは「基本的人権、国民主権、平和主義、この3つをなくさなければならない」というシロモノ

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覚え書:「ピカソ―二十世紀美術断想 [著]粟津則雄 [評者]横尾忠則(美術家)」、『朝日新聞』2016年05月01日(日)付。

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ピカソ二十世紀美術断想 [著]粟津則雄

[評者]横尾忠則(美術家)  [掲載]2016年05月01日   [ジャンル]アート・ファッション・芸能 

遺跡発掘のように画家を照射

 著者は昭和21(1946)年、18歳のとき初めてピカソの複製画に出会う。「事件」だった。それ以来、少年はピカソに「困惑」させられ、煩わしい問題を抱え込んでしまう。

 バラバラの主題と様式をめまぐるしく展開させるだけでなく「野太い欲情」で貫く複数の「ピカソ」が、一人の若者の中で複数の問題と疑念を放散する時、彼は混乱した問いを突きつけられるが、若年期の原初的な困惑と疑問は、本書では新鮮な感性と錬磨された思考となってピカソの作品と並走しながら、まるでライブ感覚で遺跡を発掘するように光を当てていく。知っている、わかっているはずのピカソが歴史の闇の中から、新しい衣装をまとってゴーレムの如(ごと)く立ち上がってくる。そこにはかつての若者の困惑は影もない。

 「青の時代」にピカソは死のヴィジョンを体感し、「ばら色の時代」の生とエロティシズムを超越して、あのピカソ20世紀最大傑作の一つ「アヴィニョンの娘たち」に到達。それもつかの間、次々と変化変容を繰り返しながら革命的キュビスムを完成。焦点の定まらないオールオーバーすれすれの塀の上を走っていた「概念のレアリスム」から、評家の呼ぶ「総合的キュビスム」、それらを置いてきぼりに、ピカソはさらに未踏の実験と批評へと向かう。ピカソを追って著者の批評もめまぐるしく展開する。

 そしてあの神話的大作「ゲルニカ」。この作品の前では評家たちは冗舌になるが、ピカソは極めて寡黙である。著者は「(ゲルニカ爆撃という出来事は)さまざまな志向をひとつに収斂(しゅうれん)するための強固な重心」と評する。

 しかしここまでで、まだピカソの人生の半分に辿(たど)り着いたばかりだ。ピカソは伝統とカオス、悪意のオマージュ剽窃(ひょうせつ)へとベラスケス、マネを相手に創造の性的行為の反復を重ね、最晩年の主題「画家ピカソ」を大団円に導く。ピカソは何者か。ピカソピカソ

    ◇

 あわづ・のりお 27年生まれ。詩人法政大学名誉教授。『粟津則雄著作集』全11巻が今年完結。

    −−「ピカソ二十世紀美術断想 [著]粟津則雄 [評者]横尾忠則(美術家)」、『朝日新聞2016年05月01日(日)付。

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ピカソ─二十世紀美術断想
粟津則雄
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覚え書:「手話を生きる―少数言語が多数派日本語と出会うところで [著]斉藤道雄 [評者]星野智幸(小説家)」、『朝日新聞』2016年05月01日(日)付。

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手話を生きる―少数言語が多数派日本語と出会うところで [著]斉藤道雄

[評者]星野智幸(小説家)  [掲載]2016年05月01日   [ジャンル]政治 社会 ノンフィクション・評伝 

 

ろう者の表現を取り戻すために

 「ろう者とは、日本手話という、日本語とは異なる言語を話す、言語的少数者である」

 本書の中ほどで紹介されている、ろう者による1995年のこの輝かしい宣言を読んだとき、私にとって世界は急拡大した。

 手話には「日本手話」と「日本語対応手話」の2種類があるという。後者は日本語の一部を手の仕草(しぐさ)に置き換えたもの。前者の日本手話は、日本語とはまったく構造の異なる、外国語と同様の、独立した言語なのだ。

 ろう者の間で自然発生し、長い時間をかけて完成した独自の言語であるこの手話は、ろう者の言語教育の中で、使うべきではない劣った方法として、徹底して抑圧されてきた。なぜなら、日本語ではない以上、日本社会では通じないから。

 1世紀近くにわたって主流だったのは、口話法だ。聴者(耳の聞こえる人)の口の形を真似(まね)ながら発声を学び、日本語の読み書きを覚える。耳の聞こえない人が、聞こえるという前提に無理やり合わせさせられる苦痛と屈辱は、軽い難聴の私でもしばしば経験する。

 この結果、言語の発達期である幼少期に十分な言語能力を身につけることができず、思考力認知力に問題を抱えたまま大人になるケースは多いのだという。

 この失敗を受けて手話の導入が始まるのだが、主流となったのは日本語対応手話だった。ろう者からすれば、情報のやり取りはできても、細かな感情やニュアンスを表現はできない、不完全な言語である。ここでもまた、聴者目線の日本語前提が立ちはだかった。

 ろう者が劣等意識から解放され、十全な言語表現能力を持つために必要なのは、自分たちにとって最も自然な言語である日本手話を「母語」として習得することだという。その上で日本語を学んでバイリンガルとなったとき、ろう者と聴者は初めて対等になれるのだ。手話による文学の登場という著者の夢を、私も今、共有している。

    ◇

 さいとう・みちお 47年生まれ。ジャーナリスト。『もうひとつの手話』『希望のがん治療』など。

    −−「手話を生きる―少数言語が多数派日本語と出会うところで [著]斉藤道雄 [評者]星野智幸(小説家)」、『朝日新聞2016年05月01日(日)付。

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覚え書:「著者に会いたい 我が詩的自伝―素手で焔をつかみとれ! 吉増剛造さん [文]大上朝美」、『朝日新聞』2016年05月08日(日)付。

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著者に会いたい

我が詩的自伝―素手で焔をつかみとれ! 吉増剛造さん

[文]大上朝美  [掲載]2016年05月08日

(写真キャプション吉増剛造さん(77)=山本和生撮影


■詩の源、自分でもびっくり

 前衛的な詩活動で日本芸術院会員、文化功労者。そんな肩書とパフォーマンスのおちゃめさに、すごいギャップがある詩人の「自伝」。

 聞き手と編集者の3人で1年近く対話を重ね、語りを書き起こしては、手を加えた。「楽しい作業でした」という。東京から和歌山疎開した幼年期以来の過去をたどり、記憶を呼び起こす。「年も年だし、本気になり、正直に、慎重に」……ところが、記憶は言葉になる時に微妙にずれて揺らぎ、それを意識する精神の働きでまたずれる。記憶と言葉の揺らぎの奥を探る足取りが、異様に面白い。

 新しく想起されることもあった。例えば初期の詩「空からぶらさがる母親」。自分でマザコンの詩だと思っていたが、疎開先の和歌山で、米軍機が大量の銀紙を空一面にまいた光景が心に焼き付いて詩の源になっていたとわかり、「自分でもびっくり」。

 「僕は戦争の非常時の子で『非常時性』が生命の一番奥深くにあり、詩を書く時にはそこに、瞬間的に接触するんでしょうね。この本を機会に詩の中の無意識と出会い、言語化できました」

 「非常時性」は3・11東日本大震災に触れ、長編詩「怪物君」がいまも進行中。また日々の記録や記号などが詩に何重にも入り込み、テキストの見た目がどんどん奇怪な植物のようになっている。

 この6月から東京国立近代美術館で開かれる「吉増剛造展」で、最近までの詩活動が立体的に展示される予定。タイトルに「全身詩人」とうたっているのもなるほど、だ。

 「舞台に立って、役者のように語った感じ」というこの自伝もまた、吉増さんの詩の一端にほかならない。

    ◇

 講談社現代新書・972円

    −−「著者に会いたい 我が詩的自伝―素手で焔をつかみとれ! 吉増剛造さん [文]大上朝美」、『朝日新聞2016年05月08日(日)付。

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覚え書:「詩の橋を渡って 心の姿、言葉の鏡で=和合亮一(詩人)」、『毎日新聞』2016年4月26日(火)付夕刊。

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詩の橋を渡って

心の姿、言葉の鏡で=和合亮一詩人

毎日新聞2016年4月26日 東京夕刊


4月

故郷でみんなで

うんめもの食って

とんでもね苦しさを

笑顔で語り合う最高の幸せ

 春という季節を迎えての熊本震災の映像に心を痛める。発生からまだ間もないのに、大変な余震の数である。五年前の日々を思い起こしている。当時、抱えていた悲しみや怒り、めまいや片頭痛を思い出す。現地の方々はどれほど恐ろしく、不安なことであるだろう。倒壊した家屋や通りの様子、避難した人々にあふれている避難所などの風景を眺めてまざまざと想像している。

 東日本大震災の発生直後から、これまで好きだった本を読んだりする気が起きなくなってしまった。違うものを読みたいと思うようになり、少なからず今もそれが続いている実感がある、という話を、知人などから時折に聞く。五年前の日々から私も、読むものと書くものへのまなざしは変わった。言葉を失ってしまったあの日から今もなお、何を読むべきか、書くべきかを問いたいと考えつづけて、上手(うま)くまとめられずにいる。

 宮城県河北新報社では震災直後の冬から、コンクール形式で詩を募集して、新聞に掲載してきた。作品は多くの方の心を励ましてきた。多数の詩が今回も寄せられた。ずっと審査に関わって来た。切ない作品の数々の中に、五年という歳月を経て、静かに心が再生している息吹きが感じられるようなフレーズが、今年は少しずつあった。

 「故郷でみんなで/うんめもの食って/とんでもね苦しさを/笑顔で語り合う最高の幸せ」(日野修「うんめな」)。「山を崩し谷を埋め新たな風景が立ち上がる//牡鹿郡女川町竹浦」(鈴木とみ子「名前」)。「風の電話って/会いたい人と話ができるんだって/行ってみようか/妻がうれしそうに言う/そうだね/風の音を聞いて/鳥のさえずりを聞いて/お母さんと話してみようか」(大林幸一郎「電話」)(「想(おも)いを未来へ」より)

 応募の中には、震災を想って初めて書いてみたという詩がとても多い。書くことをきっかけにして、災いの記憶と向きあい、心の中で涙を流すことができたような気がします、というメッセージが、詩の隣に添えられていたことがある。「津波」という言葉を避けてきたが詩に書きました、形にすることが出来ました、感謝しています、というものも。言葉に表すことで初めて、自分の心の姿が鏡のようになって分かった、という発見が伝わってくる。

 また新しい情報が入った。亡くなった方の数が日に日に増えていく。あの時の悲しい状況と同じだ。届けられた詩集を開く。「こころの孔はひらいた/死者の瞳孔/いったん死者になった/わたしだけでない/わたしたちはみな死者になった/黙々とあるいた/あるいはえんえんとテレビをみた/ときどき はっとし/コンビニに入りパンをかう/あるいはお米をとぐ/死者のかけらになった」(関中子(せきなかこ)『三月の扉』思潮社より)

 詩という鏡に、見えるもの、宿るもの。そこに次の岸辺へと渡る心の橋が見えてくる。届いたばかりのもう一冊。「砂に書いた、しろい名まえはこなごなに/なり、気づかぬうちに/変化の途上の胸のふくらみを/聞こえてきたとおい喧騒(けんそう)のつづきへ」(手塚敦史『1981』ふらんす堂より)。あらためて詩集ばかり開いている。=「詩の橋を渡って」は毎月第4火曜に掲載します

    −−「詩の橋を渡って 心の姿、言葉の鏡で=和合亮一詩人)」、『毎日新聞2016年4月26日(火)付夕刊。

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詩の橋を渡って:心の姿、言葉の鏡で=和合亮一(詩人) - 毎日新聞





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2016-06-24

覚え書:「<国連>表現の自由担当、訪日調査 放送法と秘密法、専門家批判」、『毎日新聞』2016年04月25日(月)付。

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国連表現の自由担当、訪日調査 放送法と秘密法、専門家批判

2016年4月25日

毎日ジャーナリズム

日本の報道の自由などについて記者会見して話す国連人権理事会任命のデビッド・ケイ特別報告者=東京都千代田区日本外国特派員協会で2016年4月19日午前11時40分、中村藍撮影

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 国連人権理事会に任命され、表現の自由を担当する専門家「特別報告者」が訪日調査を終えた。調査を踏まえ、放送事業者に「政治的公平」を求めた放送法4条がメディア規制の口実になっているとして廃止を求め、特定秘密保護法が記者や情報源を萎縮させる恐れがあるとして改正を迫るなど、改善点を具体的に指摘した。特別報告者は来年、正式な報告書を人権理事会に提出し、日本に問題点を勧告する。【青島顕】

 ●メディアの独立に力点

 特別報告者として日本の「表現の自由」の現状を調査するため来日したデビッド・ケイ米カリフォルニアアーバイン校教授(国際人権法)は12−19日、政府高官やジャーナリスト、学者ら数十人と面談しA4判8ページの暫定報告書(英文)をまとめた。特に放送を中心とする「メディアの独立」に2ページ以上を費やした。

 高市早苗総務相放送法4条の「政治的公平」の解釈を巡り放送局電波停止を命じる可能性に言及した問題を取り上げ、「何が公平であるか、いかなる政府判断すべきではない。メディア規制の脅しと受け止められている」と批判して「4条廃止」を提言した。

 暫定報告書について、鈴木秀美慶応大教授(憲法)は「放送免許を握る総務省が、4条を事業者の守るべき倫理規定だと解するなら4条はそのままでよいが、政府が圧力の口実に使うような状態が続くなら、廃止した方がいいと思っている」と感想を述べた。

 ケイ氏は匿名で調査に応じたジャーナリストらの話をもとに「(彼らは)政府の強い圧力を感じていた」と暫定報告書に記している。民放の報道番組関係者は「圧力うんぬんは従来言われているが、自分たちに政府の直接のコントロールが及ぶことはない。自分の周囲では自主規制をしないようにするだけだ」と毎日新聞の取材に答えた。

 ●訪日調査のきっかけ

 ケイ氏は大学教員をしながら無報酬で特別報告者を務めており、調査訪問国は限られる。今年は3カ国の予定で、他の2国は厳しい報道規制で知られるタジキスタントルコ。なぜ日本も対象になったのか。

 きっかけは2013年に成立した特定秘密保護法のようだ。

 前任の特別報告者(表現の自由担当)のフランク・ラ・ルー氏(グアテマラ)は同年秋、国会審議中だった同法案について「内部告発者や秘密を報じる記者を脅かす内容を含む」と表明した。14年に特別報告者を引き継いだケイ氏も懸念を示し日本在住の研究者らと連絡を取ってきた。昨年12月の予定だった訪日は日本政府の要請で延期になったが、今回実現した。

 ケイ氏は今回の調査で秘密保護法を所管する内閣官房の担当者と面談した上で「残念ながら政府関係者の回答で、我々の懸念は払拭(ふっしょく)されなかった」と暫定報告書に記した。そして「記者に対する萎縮効果を生じさせうる部分は全て削除するよう法改正すべきだ」と踏み込んだ。秘密保護法は22条に「報道・取材の自由への配慮」を明記しているが、ケイ氏は調査に応じた人の話を引用して「ないよりはましという程度だ」と皮肉った。

 ケイ氏は12日、調査開始に当たって「日本は民主的で自由な国だが、ジャーナリストが取材で圧力を感じることがあると理解している」と話した。19日の記者会見では「(その)懸念は強くなった」と語った。

 ●外相説明反映されず」

 ケイ氏が離日した翌日の20日の衆院外務委員会岸田文雄外相は「丁寧に説明したが、十分に反映されておらず遺憾。報告書が事実に基づくものになるよう申し入れたい」と述べた。川村泰久外務報道官も同日の記者会見で「報道機関報道関係者に日本政府が圧力をかけたような事実は一切ない」と述べた。

 ケイ氏は19日の記者会見で「高市総務相に面会を求めたが、国会会期中との理由で会えなかった」と述べた。これに対し総務省は「提示された面談日には国会審議があった」と説明する。代わりに13、14日に松下新平総務相、今林顕一情報流通行政局長らが面談したという。

 特定秘密の運用をチェックする衆院情報監視審査会委員岩屋毅氏(自民)は、ケイ氏と額賀福志郎会長(同)の面談日程が合わなかったと明かし「(暫定報告書は)残念に思う。しかるべき部署の人が会って、しっかり説明すればよかった」と語った。

 来年提出される日本への勧告を記した報告書に拘束力はないが、日本政府がどのように受け止めるかが問われる。

特別報告者の暫定報告書(要旨)

 <序論>

 日本は、報道の自由を保障した憲法に誇りを持っているにもかかわらず、報道の独立は深刻な脅威に直面している。

 <メディアの独立>

 放送法3条は、放送メディアの独立を強調している。だが、私の会った多くのジャーナリスト政府からの強い圧力を感じていた。

 放送法4条は「政治的公平」といった原則を定めているが、いかなる政府も何が公平であるかを決定する立場にあるべきではないと私は確信している。ところが政府は対照的な態度を取っている。総務相が2月、4条違反と判断すれば、電波停止する可能性に言及した。メディア規制の脅しだと受け止められている。自民党は2014年11月、アベノミクスを取り上げたテレビ朝日報道ステーション」を批判し、(衆院選挙中の公平中立な報道を求める文書を放送局に送った。

 政府放送法4条を廃止しメディア規制から手を引くよう勧告する。

 独立したメディア横断型のジャーナリストの職能組織があれば政府の影響力に対抗できるが、そうなっていない。いわゆる「記者クラブ」はフリー記者らに対し排他的で情報アクセスを妨げている。

 <歴史教育報道妨害

 中学校の歴史教科書から慰安婦の記述が削除されつつあると聞いた。第二次大戦中の犯罪をどう扱うかに政府干渉するのは、国民の知る権利を侵害する。

 <特定秘密保護法

 特定秘密保護法により、必要以上に情報が隠され、市民の関心の高い原発安全保障防災の分野で知る権利が危機にさらされている。

 指定される秘密の定義があいまいで範囲が広がる余地がある。報道機関や情報源が罰せられる危険がある。秘密保護法改正し、記者に萎縮効果を生じさせる部分を全て削除すべきだ。内部告発者を保護する仕組みも弱い。情報の開示が公益となり安全保障を脅かさないとの信念で秘密を漏らした人を処罰しない例外条項を法に追記すべきだ。法の適用を監視するため、専門家が加わった独立機関の設置を政府に勧告する。

    −−「<国連表現の自由担当、訪日調査 放送法と秘密法、専門家批判」、『毎日新聞2016年04月25日(月)付。

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Listening:<国連>表現の自由担当、訪日調査 放送法と秘密法、専門家批判 - 毎日新聞


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覚え書:「気まぐれコンセプト 完全版 [著]ホイチョイ・プロダクションズ [評者]佐倉統(東京大学大学院情報学環長・科学技術社会論)」、『朝日新聞』2016年05月01日(日)付。

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気まぐれコンセプト 完全版 [著]ホイチョイ・プロダクションズ

[評者]佐倉統(東京大学大学院情報学環長・科学技術社会論)  [掲載]2016年05月01日  

■変わらぬ欲望と時代性で35年

 懐かしい。連載開始は1981年、今も続いている名物4コマ漫画の集大成。

 1980年代といえば日本経済はまだ右肩上がりで、とくに後半はバブル華やかなりしころである。そんな中、ひときわ浮ついた広告業界(ギョーカイ)の、軽薄で下品で野蛮で、だけど笑っちゃう内輪ネタにもとづいて、一応パロディー、一部ノンフィクションの、不思議な世界が繰り広げられる。

 この分厚い「完全版」は3冊目の単行本だが、連載開始以来の35年間にわたり、すべての年から選(え)りすぐりの代表作(?)が並ぶ。いつになってもほとんど中身が変わっていないのに驚く。性欲、物欲、おべんちゃらに、セコイごまかし。そして今ならパワハラセクハラ間違いなしの話ばかり。

 読んでいて、だんだん腹が立ってくる。バブル崩壊後の「失われた20年」を経て、日本はグローバル化に乗り遅れ、国内の経済格差は拡大する一方だ。課題満載、閉塞(へいそく)感充満なのに、相も変わらず上っ面を取り上げてバブルを懐かしむばかり。これでは既得権益でがんじがらめになって時代に適応できない日本社会の姿そのものじゃないか。

 だけどもうちょっと読み進んでいくと、様子が変わってくる。2010年ごろからは話題が今日的になり、作品の雰囲気もずいぶんと柔らかくなるのだ。時代の変化に合わせるべく、必死にもがいているかのようだ。なんだか、健気(けなげ)な印象すら漂ってくる。

 考えてみれば、性欲も物欲も権力者の目を盗むことも、別にホイチョイ専売特許ではない。古来変わらぬ、人類の普遍的特徴だ。ひょっとすると『気まコン』は、人間の普遍性と時代の変化の両方をバランス良く巧みに取り入れていて、だからこそ35年間も続いているのかもしれない。

 しかしこの二つ、古典として残る作品が兼ね備える条件ではないか。だとすると、ホイチョイは現代の夏目漱石なのか。いやまさか、そんな……。

    ◇

 雑誌や映画の企画編集・制作を手掛ける。単行本『東京いい店やれる店』、映画『私をスキーに連れてって』など。

    −−「気まぐれコンセプト 完全版 [著]ホイチョイ・プロダクションズ [評者]佐倉統(東京大学大学院情報学環長・科学技術社会論)」、『朝日新聞2016年05月01日(日)付。

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覚え書:「満洲電信電話株式会社―そのメディア史的研究 [著]白戸健一郎 [評者]武田徹(評論家・ジャーナリスト)」、『朝日新聞』2016年05月01日(日)付。

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満洲電信電話株式会社―そのメディア史的研究 [著]白戸健一郎

[評者]武田徹(評論家・ジャーナリスト)  [掲載]2016年05月01日   [ジャンル]歴史 


多文化共生」現代に通じる視点

 最近、「満洲国」関係の新刊が目立つ。それらの共通点は「先取性」を見る視点だ。たとえば満洲国の計画経済手法は戦後日本の経済政策を先取りしていたという具合に。

 本書が研究対象にする「満洲電電」は通信ラジオ放送を担う民間企業だが、戦後日本の電電公社民営化民間放送を先取りする構図が窺(うかが)える。

 こうした先取性について満洲国が日本の実質的な植民地で先駆的な手法を自在に実験できたからと説明することがあるが、著者の考えは異なる。1930年代の国際情勢の中で独立国家としての「体面」を守る必要が満洲国にはあり、それが公共的性格の強いメディア事業の運営主体として日本直系の政府組織でなく、民間企業が選ばれた理由だったという。

 満洲電電は事業内容でも現実への適応を迫られている。国内最大人口の満漢系住民は日本語を解さず、ラジオ受信機の普及率も低い。ソ連中国と国境を接し、思想戦の最前線にあった満洲国で放送を通じて国民の凝集力を強めるためにともかく満漢系住民に聴いて貰(もら)う「普及第一主義」が採用された。その結果、日本内地の番組を中継した「第一放送」とは別に中国劇など娯楽中心の満洲国独自制作番組を流す「第二放送」が必要とされた。

 しかし現実志向の満洲電電が、それゆえに先取性を持ち得た逆説がある。多民族を意識しながらの模索は「統合」と「制御」を目指す大東亜共栄圏構想の文化政策とは異質の、「接続」と多文化共生」を志向する大東亜放送圏構想を生み出すに至った。

 こうした満洲国のメディア政策はグローバル化が進み、国境を越えた文化接触が当然となった現代のメディアについて考える格好の素材になると著者は書く。ロマンチックに美化されて語られることもある満洲国だが、丁寧な実証を踏まえた本書の論証はその実力を的確に伝えている。

    ◇

 しらと・けんいちろう 81年生まれ。筑波大学助教。専門はメディア史など。『「知覧」の誕生』(共著)など。

    −−「満洲電信電話株式会社―そのメディア史的研究 [著]白戸健一郎 [評者]武田徹(評論家・ジャーナリスト)」、『朝日新聞2016年05月01日(日)付。

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満洲電信電話株式会社: そのメディア史的研究
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覚え書:「新聞と憲法9条―「自衛」という難題 [著]上丸洋一 [評者]保阪正康(ノンフィクション作家)」、『朝日新聞』2016年05月01日(日)付。

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新聞と憲法9条―「自衛」という難題 [著]上丸洋一

[評者]保阪正康(ノンフィクション作家)  [掲載]2016年05月01日   [ジャンル]政治 社会 

表紙画像

著者:上丸洋一、朝日新聞取材班  出版社:朝日新聞出版 価格:¥ 2,808

ブック・アサヒ・コム書店Amazon.co.jp楽天ブックス紀伊國屋書店ウェブストアTSUTAYA online

 日本国憲法施行から69年。その草創期を5年ごとの三つのステージに分けて、それぞれの時代に憲法9条がどのような辛酸をなめたのか、本書はそれを丹念に追いかけた。いわば憲法9条が激流をいかに泳いだか確かめた書だ。

 三つのステージにはそれぞれ主題があり、第1では制定前後の日米間の思惑、そして第2では朝鮮戦争の折にどのような波をかぶったか、そのうえで「憲法改正の歌」などを紹介しつつ改正論の復古主義が語られる。第3では砂川判決の伊達秋雄裁判長を軸にした司法の解釈が吟味される。いずれの記述の中にも新聞の論調や世論調査の結果が語られるが、国民感情は次第に9条容認に落ち着く。

 ときおり文中に挟まれる安倍首相与党幹部の言は、この憲法の歴史・精神、とくに9条を守り抜いた国民を罵倒しているのではとの感がしてくる。しかし9条は強(したた)かであり、歴史的耐用性をもっていると著者は教えている。

    −−「新聞と憲法9条―「自衛」という難題 [著]上丸洋一 [評者]保阪正康(ノンフィクション作家)」、『朝日新聞2016年05月01日(日)付。

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新聞と憲法9条
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覚え書:「憲法を考える:自民改憲草案・個人と人:上 人権、削られた「獲得の努力」」、『朝日新聞』2016年04月26日(火)付。

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憲法を考える:自民改憲草案・個人と人:上 人権、削られた「獲得の努力」

2016年4月26日

 【削除】

 自民党憲法改正草案は、現憲法97条を丸ごと、削除している。

 97条 この憲法日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬(しれん)に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

 なぜ、削ったのか。

 自民党のQ&A集は、草案11条《「国民は、全ての基本的人権を享有する。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利である」》と内容が重複するからだ、と説明している。

 確かに、似ていなくはない。「重複表現は無駄」と子どもの頃から教えこまれてきた者としては、納得しそうにもなる。

 だが、基本的人権の保障こそ、憲法最高法規であることの実質的な根拠だ。人類の多年にわたる努力の成果であること。幾多の試錬に堪えて現在と将来の国民に信託されたものであること。それらを「なかったこと」にしてしまっていいのだろうか。草案11条の「人権」は、過去からも未来からも切り離されて、はかなげに見える。

 さらにQ&A集は、こうも言っている。「現行憲法の規定の中には、西欧の天賦人権説に基づいて規定されていると思われるものが散見されることから、こうした規定は改める必要があると考えました」

 「天賦人権」は西欧だけの概念なのか。福沢諭吉の「天は人の上に人をつくらず」の「天」は、西欧だけのものだったのだろうか。

 「国民が権利は天から付与される、義務は果たさなくていいと思ってしまうような天賦人権論をとるのは止めよう、というのが私たちの基本的考え方です」。2012年12月、起草委員として草案づくりに携わった片山さつき参院議員は自身のツイッターにこう投稿した。

 みなに等しく天から与えられる「西欧の」人権と違い、日本の人権は、義務を果たさなければ手に入らないということなのか――。疑問がさらなる疑問を呼ぶ、無限ループへ。さらに草案をめくると、102条に新たな義務が規定されていた。

 《全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。》

 ……なんなのだ、これは。

 憲法で権力を縛るのが近代立憲主義の要諦(ようてい)なのに、国民に憲法尊重義務を課す。これは近代憲法といえるのだろうか。

 「草案の根底には、近代化そのものを否定したい、個人主義など『近代の病』にむしばまれた社会を救済したいという欲求があるんじゃないでしょうか」

 日本の近代を研究してきた片山杜秀慶応大学教授は、こうみる。「ただそれは、単純な復古とは違って、『安上がり』な国家にしたいという希求をはらんでいると思います。このまま少子高齢化が進めば福祉の切り下げが必要になる、でももう国家は面倒をみませんよ、個人主義を排して、家族や共同体で助け合ってくださいね、と」

 基本的人権に対する「幾多の試錬」は今ふたたび、始まっているのかもしれない。

 (守真弓)

    −−「憲法を考える:自民改憲草案・個人と人:上 人権、削られた「獲得の努力」」、『朝日新聞2016年04月26日(火)付。

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(憲法を考える)自民改憲草案・個人と人:上 人権、削られた「獲得の努力」:朝日新聞デジタル





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2016-06-23

日記:#自民党に質問 ←このハッシュタグの質問群が猛烈である

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覚え書:「脱原発の哲学 [著]佐藤嘉幸・田口卓臣 [評者]諸富徹(京都大学教授・経済学)」、『朝日新聞』2016年05月01日(日)付。

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脱原発哲学 [著]佐藤嘉幸・田口卓臣

[評者]諸富徹(京都大学教授・経済学)  [掲載]2016年05月01日   [ジャンル]科学・生物 

■構造的差別連鎖に終止符を

 熊本地震で改めて、原発地震の関係が注目されている。私たちが活断層から免れられない以上、「地震大国日本と原発共存できるか」という根源的な問いは避けられない。原発を根底から問い直す本書を貫く大きな主題は、「否認」と「差別性」だ。実際、原発推進の歴史は、原発事故の否認の歴史でもある。石橋克彦による「原発震災」の問題提起に対し、原発専門家たちは、科学的論拠を示さないまま「起こりえない」と否認し続けてきた。しかし現実には、石橋の警告通りのことが福島で起きてしまったのだ。

 事故後も、否認は繰り返される。「プルトニウムは飲んでも問題ない」(大橋弘忠)、「放射能の影響はニコニコ笑っている人には来ない」(山下俊一)といった発言はもはや戯画的だが、いずれも専門家とされる人たちの発言だ。同様に、福島県内で小児甲状腺ガンの発症件数が増加しているが、科学論争を避け、問題を否認しようとする空気が支配的だ。「科学」とはいったい何なのか。著者らはアドルノホルクハイマーに拠(よ)りながら、科学が健全な批判精神を失い、中立性の名の下に現状肯定と既得権益の擁護に走る様を痛烈に批判する。

 こうした科学による否認は、公害問題で繰り返し起きてきた。そして、「構造的差別」もまた、公害問題に通底する大きな論点だ。原発はその存続上、不可避的に幾重もの差別性を帯びざるをえない。つまり、(1)原発立地地域への差別性、(2)原発の下請け作業員に対する差別性、そして、(3)被害地域への差別性である。原発最大の難問である放射性廃棄物の最終処分問題も、最終処分施設の立地地域だけでなく、将来世代に大きな影響を与える。なぜなら、私たちが利便性や経済利益を追求する結果として、危険な放射性廃棄物を10万年もの長期にわたって管理する必要を生み出し、それを将来世代に委ねざるをえないからだ。著者らは、ハンス・ヨナスの「未来世代への責任」概念を媒介にしてこれを、将来世代への構造的差別と規定する。もんじゅという座礁しつつある核燃サイクル技術の延命策もまた、巨額の税金の浪費を生み続ける点で、将来世代への新たな構造的差別に他ならない。

 こうした問題を解決するには、国民投票に基づいて、一刻も早く脱原発に舵(かじ)を切るべきだと著者らは結論づける。それは、集権的な官僚統制社会から脱却し、再生可能エネルギー生産に市民が参画する、より分権的で民主的な経済社会への途(みち)でもある。脱原発だけでなく、来たるべき新しい経済社会への展望を切り開いた点に、本書の真骨頂があるといえよう。

    ◇

 さとう・よしゆき 71年京都府生まれ。筑波大人文社会系准教授フーコーに関する著書、訳書など/たぐち・たくみ 73年神奈川県生まれ。宇都宮大国際学部准教授。ディドロに関する著書、訳書など。

    −−「脱原発哲学 [著]佐藤嘉幸・田口卓臣 [評者]諸富徹(京都大学教授・経済学)」、『朝日新聞2016年05月01日(日)付。

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書評:脱原発の哲学 [著]佐藤嘉幸・田口卓臣 - 諸富徹(京都大学教授・経済学) | BOOK.asahi.com:朝日新聞社の書評サイト



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覚え書:「教皇フランシスコ キリストとともに燃えて―偉大なる改革者の人と思想 [著]オースティン・アイヴァリー [評者]柄谷行人(哲学者)」、『朝日新聞』2016年05月01日(日)付。

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教皇フランシスコ キリストとともに燃えて―偉大なる改革者の人と思想 [著]オースティン・アイヴァリー

[評者]柄谷行人(哲学者)  [掲載]2016年05月01日   [ジャンル]人文 

 

■世界に「希望」を与える貧者の友

 英BBCニュースを見ていたら、ローマカトリック教会教皇フランシスコは、他宗派はむろん、他宗教の信者、さらに無神論者にも人気があるという。彼が類例のない教皇であることは、つぎの事実からもいえる。彼はアメリカ大陸から出た最初の教皇であり、イエズス会から出た最初の教皇であり、また、フランシスコを名乗った最初の教皇である。そして、この三つの点は密接につながっている。

 第一に、中南米カトリック信者は、北米に移住した者もふくめると、世界中の信者の半数を超える。だから、この地域からこれまで教皇が出なかったほうがおかしいぐらいだ。ただ、そのことは、第二の点に原因がある。イエズス会中南米において「解放の神学」を生み出した。また、それは過激な政治運動をもたらした。フランシスコはそれに対して批判的であったものの、もともとアルゼンチン左翼のペロン派を支援していたし、その後もつねに「貧者」の側に立って行動していた。彼が教皇となって、貧者の友、アッシジのフランシスコにちなむ名を選んだことは至極当然である。

 このような中南米に固有の状況は、それ以外の地域のカトリックにとって理解しがたい、むしろ許しがたいものであった。だから、彼のような人物が教皇となったことは空前の出来事である。彼は中南米だけでなく、新自由主義の下に苦しむ世界中の人々にとって「希望」を与える人となった。しかし、そのことこそ、現状がいかに絶望的なものであるかを物語る。

 本書は、いかにしてフランシスコのような人物が出現したかを、複雑な中南米の政治・宗教史から説明しているが、数多いエピソードの中で、私にとって最も印象深かったのは、彼が若い時期からアルゼンチンの世界的作家ボルヘス(まったく非宗教的であった)と親密であったということである。

    ◇

 Austen Ivereigh 英国ジャーナリストカトリック評論家としてBBCなどメディアで活躍している。

    −−「教皇フランシスコ キリストとともに燃えて―偉大なる改革者の人と思想 [著]オースティン・アイヴァリー [評者]柄谷行人(哲学者)」、『朝日新聞2016年05月01日(日)付。

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覚え書:「日本語を作った男―上田万年とその時代 [著]山口謠司 [評者]円城 塔 (作家)」、『朝日新聞』2016年05月01日(日)付。

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日本語を作った男―上田万年とその時代 [著]山口謠司

[評者]円城 塔 (作家)  [掲載]2016年05月01日   [ジャンル]人文 

 

 現在、江戸時代の和本をすらすらと読める人の数はそう多くない。文章はむずかしく見え、それ以前に文字が読めなかったりする。

 このむずかしさは、明治大正時代の本を読むときのむずかしさとは格段に違い、日本語に激変が起こったことがうかがわれる。

 副題の上田万年は、この激変期に活躍した国語学者、言語学者。国として日本語のあり方を検討しなければいけない時代に彼は生まれた。

 本書の話題は、方言や、かな遣い、漢字廃止論、言文一致など幅広く、それをめぐる学者や作家たちの議論を紹介する。上田万年の伝記というよりは、それぞれの話題に上田万年が顔を出すという形である。

 美しい日本語をつくるといっても、その整理にこれだけの分野の人々がかかわってくるのが見所(みどころ)である。

 時代というものの大きさは、これだけの厚さをもつ本書であっても、まだそのほんの一部を眺めることができただけであることからも知れる。

    −−「日本語を作った男―上田万年とその時代 [著]山口謠司 [評者]円城 塔 (作家)」、『朝日新聞2016年05月01日(日)付。

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覚え書:「くらしナビ・学ぶ 部活顧問「教員に選択権を」 ネットで発信、賛同者2万人超」、『毎日新聞』2016年4月25日(月)付。

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くらしナビ・学ぶ

部活顧問「教員に選択権を」 ネットで発信、賛同者2万人超

毎日新聞2016年4月25日 東京朝刊

「部活問題対策プロジェクト」のホームページに掲載されているイラスト。活動に賛同する漫画家の眞蔵修平さんが描いた=眞蔵さん提供


 部活がブラック過ぎて倒れそう−−。学校の部活動で顧問を務める教員の一部から悲鳴が上がっている。若手教員らが昨年12月、部活の顧問を引き受けるかどうかの「選択権」を求めてインターネット上のウェブサイト署名を集める運動を始めたところ、3カ月間で約2万3500人分が集まり、3月初めに文部科学省に届けられた。教員らはなぜこうした行動に出たのだろうか。

 ウェブサイトの名称は「部活問題対策プロジェクト」。30代の公立中学教員ら男女6人で作る。教員の労働時間が過度に長くなることや授業の準備がおろそかになることなどを、部活がもたらす「負の側面」と指摘。その対策に取り組むプロジェクトの第1弾として昨年12月、「教師に部活の顧問をする、しないの選択権をください」と題したキャンペーンを始めた。

 ●全員強制学校も

 「部活動」は国語や社会などの教科と異なり、教育課程に位置付けられていない。文部科学省が定める学習指導要領には「生徒の自主的、自発的な参加により行われる部活動については、スポーツや文化及び科学等に親しませ、学習意欲の向上や責任感、連帯感の涵養(かんよう)等に資するものである」「(部活は)学校教育の一環として、教育課程との関連が図られるよう留意すること」と記されている。

 文科省の教員勤務実態調査によると、2006年の時点で部活動顧問を務めていない中学教員は13・7%。「全員顧問制」の学校もある。

 活動時間はほとんどが放課後や休日だ。文科省の担当者は「一般的に、土曜や日曜に部活動の指導を4時間程度した場合、日額3000円が支給される」と説明する。具体的な支給の要件や額は自治体条例などで定めている。

 ●子育てと板挟み

 「『部活は子どものため』と言うけれど、必ずしもそうではないのではないか」。メンバーの一人の30代男性はこう訴える。男性は関東地方公立中学でテニス部顧問を務める。希望して担当になったが、「指導」と称して生徒に暴言を吐く同僚との間で意見が合わずに「本当に子どものためになっているのだろうか」と疑問を持つようになった。

 かつては土日返上で指導に打ち込んでいたが、結婚し、子どもが生まれた数年前からは「部活と子育ての板挟みになった」という。午前5時半過ぎに起床、6時半に出勤。日中の授業や放課後の部活指導をこなした後の午後6時半ごろ教材研究などの授業の準備に取りかかるという。

 「教員なのに部活指導に疑問を持つ自分はおかしいのかもしれない」。こう思い悩んでいたころ、部活指導に疑問を抱く一人の教員が開設したウェブサイトを見つけ、「部活指導に不満や怒りを持っているのは自分だけではない」と勇気付けられたという。「部活はあって当然、指導は教員がするものという考えが大半で、周りの同僚に訴えるのは難しい。けれど匿名ならば声を上げられる。負の側面を世論に訴えることで、これからの人たちのために部活のあり方を問いたい」と話す。

 プロジェクトに加わる公立中の教員は、3年前から「真由子」の仮名で、全ての教員が部活の顧問を務めなければならない勤務校での「不条理」をつづったブログを続ける。「部活動は付加的なもので、ボランティア的側面を持つものであり、教員の多分な善意によるものだ」と訴える。

 新年度になると、担当教員が前年度の部活の顧問を一覧表にして配る。転出した教員の部分は空欄になっている。教員たちは第3希望まで記入して担当に提出するが、「部活動を担当しない」という欄はない。全ての空欄に斜線を引き「部活動顧問を担当しない」と記入する私には、管理職からの説得が待っている−−。ブログはそんな日常をつづる。「真由子」さんは連続勤務で体調を崩したのをきっかけに、昨年度から部活の顧問は務めていない。

 「真由子」さんのサイトは新聞などに取り上げられて話題となり、閲覧者は延べ110万人を超え、衆議院予算委員会でも取り上げられた。当初はブログのコメント欄に「自分が休みたいだけなのでは」「教師を辞めた方がいい」などの批判が多く寄せられた。今も賛否両論あるが、「先生の大変さが分かった」などの好意的な意見が増えてきたと感じている。

 ●文科相も理解

 プロジェクトのメンバーたちは、自らの学生時代の経験などからも「部活動の教育効果は十分にある」と実感しているという。だが、「そうした教育効果をもたらす場を、学校の部活動に限定しなくていいはず」と話す。プロジェクトは第2弾として、生徒に部活動に入部するかしないかの選択権を与えるよう求める運動を始めている。

 馳浩文科相は3月の定例記者会見で、提出された署名について問われると、「(学校などに)適切な放課後や休日、土曜日の活用を促すことは当然だが、教員の多忙化に一層拍車をかけている現実に向き合わなければいけないという点で、問題意識共通する」と話し、理解を示した。

 日本の教員の勤務時間は世界で突出して長い。文科省の調査では1日の平均勤務時間は10時間36分、このうち休憩は14分だけだ。部活については、外部から指導者を招く動きが出始めていて、文科省補助金などで後押ししている。馳氏は「教職員をサポートする体制を今後とも検討する必要がある」と続けた。【高木香奈】

    −−「くらしナビ・学ぶ 部活顧問「教員に選択権を」 ネットで発信、賛同者2万人超」、『毎日新聞2016年4月25日(月)付。

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