1889年(明治22年)2月11日 発布。 1947年(昭和22年)5月2日 廃止。
134年前の今日、1890年11月29日に第日本帝国憲法が施行された日です。 日本の始原図として採用される日付は諸説あり、その中の一つに大日本帝国憲法ができた日(1889年2月11日)が採用されることもあります。 その翌年の施工された日となると影響力は劣るのかもしれませんが、なかなか無視できないホロスコープでした。 いて座の太陽と水星は合。 太水合は帝国憲法ができた日付けでもそうだったので、理知的な国民性をあらわしているといえるかもしれません。 それにふたご座の冥王星と海王星がオポジション(180度)。 なかなかえぐいですね。 列強からの圧力は半端なものじゃなかったのでしょう。 その軸をみずが…
今日は当ブログの本題、作成中の年表地図の20ページ目 ”立憲政治の始まり” になります。 歴史年表地図もいよいよ全体の2/3までやって来てました!。 残すところ1/3になってしまいましたね。少しずつ一歩ずつゴールは近づいて来ています! 今回も勿論、あくまで歴史初心者的な目線で見ていきますのでご了承ください😅。 内容途中に誤字や間違いなども,きっと見落としや勘違いなどもあるかもしれませんが、あくまで自家用として作成しているので、その辺はご勘弁。
成立過程にいろいろとある日本国憲法である。その過程や、内容としてどうであったか。次の流れで見ていく。・日本国憲法の成立・大日本帝国憲法との大きな違い・構成・成立過程・その後の憲法改正論議 ■日本国憲法の成立 1946年11月3日、日本国憲法が公布、1947年5月3日より施行されます。 3つの特徴があり国民主権、基本的人権の尊重、平和主義です。これに「象徴天皇制」、第9条の「戦争放棄」があります。また「前文」は当時の世界の理想を明文化したものといえます。 ■大日本帝国憲法との大きな違い・主権:天皇主権から国民主権へ・人権:法律の範囲内で定められた臣民の権利から基本的人権の尊重・生まれながらにして…
当時、西洋諸国に追いつくことや、不平等条約の改正は当時の重要課題だった。特に条約改正のためには主権や意思決定の仕組みを法制度化する必要があった。ここでは、大日本国憲法、選挙制度の成立、そして宗教を神道に一本化しようと試みた過程をみていく。次の順で紹介。・大日本帝国憲法・中央政府、地方制度、議会の整備・宗教・信仰 ■大日本帝国憲法 1889年、大日本帝国憲法が発布されます。これより、天皇が強い権限を持てるようになります。モデルとしては君主権の強いドイツ憲法を参考としました。憲法草案作成には1886年頃より進められました。伊藤博文を中心としドイツ人顧問・ロエスレルの助言を下に作成しました。天皇が制…
出題数は少ないが、①大日本帝国憲法と日本国憲法の対比的理解はぼちぼち。②「憲法改正手続」が頻出。 大日本帝国憲法 その1 大日本帝国憲法その2 大日本帝国憲法下の民主主義的うねり 日本国憲法の制定過程 マッカーサー草案の三原則 日本国憲法の三大原則 国民主権のもとでの天皇 天皇の国事行為 基本的人権の尊重 平和主義 日本国憲法の特徴 憲法改正のステップ 空欄を全て表示/非表示にする 大日本帝国憲法 その1 ①天皇が統治権を総覧、つまり立法・行政・司法権を全て掌握 → 天皇主権 ②統帥権(軍隊の最高指揮権)については、帝国議会の協賛、 国務大臣の輔弼は不要 → 天皇の大権 ③臣民の権利には「法律…
以前も同じようなことを書いたのですが、他のブログに書いたものを、せっかくですので転載します。 本日は憲法記念日です。おかげで休める。この連休はやることがあるので働いているのだが、今朝の東京は嵐だったので、休む。ひとは今日、いまの憲法について語るのだろうが、つむじ曲がりなので、明治憲法を話題に選びます。 正岡子規は、いまの拙宅のそばに住んでいて、そこで死んだ。時代が違おうとご近所さんに変わりはなく、だから愛着がある。子規は俳人、歌人、文学者と称されることが多く、もちろんその通りだが、職業欄に書くとしたら新聞記者だった。 これは田端にある彼自身が原稿を書いた墓碑に、そう書いてあるのだから間違いない…
もしかしたら、ご迷惑をおかけした方がいらっしゃるかもしれないので御詫びからです。事務的なミスをして、URLを変更せざるを得なくなりました。タイトルやこれまでの記事など、他は全て変更ありません。 今回は少し趣向を変えて、ご案内したい書籍は丸谷才一「文章読本」。文学の本なのだが、同書の第四章「達意といふこと」に、昭和憲法と明治憲法の文章を話題にしているところがある。法学ではなくて、あくまで文学の立場からの意見だから、一言でいうと言葉遣いの話。批判的である。 例を挙げる。明治憲法から行こう。丸谷さんは仮名遣いが旧いので、ここでは現代のものに書き換える。「まず、『大日本帝国』という名乗り方が威張り腐っ…
教育勅語を幼児に音読させる幼稚園があるという妙な話は、もう一年くらい前に聞いていたように思う。今そこは、国有地のたたき売りと、有毒物質の意図的な放置という、本当ならば、とんでもない疑いをかけられている。 調査中のようだから、犯人扱いはしないが、国会から会計検査院に至るまで、他にやるべきことが山ほどある組織の体力と時間と経費を、こんなに消費すること自体、うんざりする話です。 1890年(明治二十三年)は、日本の憲政史上、画期的な年になった。大日本帝国憲法が施行され、帝国議会の第一回招集があった。なんで帝国なんだ。 参議院のサイトによると、議会の準備は憲法に後れをとったのか、議事堂の建設が間に合わ…
◆「歴史総合」の中で明治憲法(大日本帝国憲法)体制をどう評価するかは、たいへん重要だと思っています。日本の近代化の評価に直接関わっているからです。 ◆山川の「歴史総合」は、「立憲体制の成立」という項目で、大日本帝国憲法制定までの経過やその特徴をかなり詳しく述べています。ただ、イギリスの名誉革命後の体制やアメリカ合衆国憲法の体制の記述[*]に比べて、やや明解さを欠いていると思います。明治憲法体制を「どのような立憲体制と呼ぶべきか」は、はっきりしません。 [*]イギリスの名誉革命と立憲君主制にきちんと触れているのは、山川の「歴史総合」だけです。アメリカ合衆国憲法の体制についても詳しく述べられていま…
01 明治憲法は伊藤博文らによって作成されたが、天皇が国民に授ける欽定憲法という形で発布された。 〇 君主権の強いプロイセンの憲法を模範として作成されたことは承知の通り。明治初期の「自由民権運動」の中で人民主権などを盛り込んだ私擬憲法が出されたが、明治政府はあくまで君主主権による国家統治へと舵を切った。なお、私擬憲法の代表的なものが「植木枝盛」によるもので、抵抗権も盛り込んでいた。倫政組は、できるだけ早い段階で明治時代の思想家、植木枝盛だけでなく中江兆民あたりも含めて自学自習しておくことを勧める。 02 明治憲法下、天皇が統治権、つまり立法・行政・司法権を全て掌握していた。 〇 「総覧」してい…