葬式についての雑感(2)




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 私の父は大学を定年引退したあとに熱心な仏教徒になったが、決して寺に行くことも僧侶の話を聞くこともなかった。日本の仏教は戦争犯罪を行い、反省をしていないと考えていたのである。それで父親は死ぬ数日前に、手書きの短い遺言を書いた。自分の死に際して、日本の僧侶の手を触れさせるな。葬式に類するものはいっさいするな、というものであった。私は仏教徒である、だから戦争に荷担した仏教に私の死をゆだねない。ということである。原理はよろしいのだが、これを完全に実現するのはなかなか難しい。それで姉と兄と相談して、しばらくは父親の死を親戚、隣近所、友人、学生などから隠すことにした。日本社会は、父親が考えるところの「戦争荷担の仏教」と「葬式仏教」と一体化しているので、遺言を実行するためにいっさいの行事をせずに一時的に父の死を日本社会から分離したのであった。
 だいたいうまくったのだが、火葬場で係のひとがやってきて、故人は仏教徒でしたか、神道でしたか、クリスチャンでしたか、無宗教でしたかと聞いたので、仏教徒でしたと言ったのがまずかった。お骨がでてきたときに僧侶がやってきて、勝手にお経をあげはじめたのである。あわてて姉と兄と相談したが、途中でやめる必要もなかろう、お父さんスミマセンということで黙っていた。一週間ほどして父親の死をまわりに知らせると、香典を持った人がやってきて拝ませてくれという。しかし仏壇もなければ位牌もないし、戒名もないのである。お香典も受け取るな、と言われている。それで泣きながら事情を説明して断ると、向こうも泣きながら、それでは気持ちがおさまらない、ぜひ香典だけでも受けとってくれ、という押し問答になる。火葬場での読経をやめさせるかどうかの息子と娘たちの緊急立ち話会議も、香典を断る泣きながらの押し問答も喜劇的なのである。体制に対して、それと異なった原理を押し通すことは、悲劇的でもあり喜劇的でもある。
    −−室謙二『非アメリカを生きる  −−〈複数文化〉の国で』岩波新書、2012年、152−154頁。

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葬儀が終わって東京へ戻りました。東京の仮寓の住まいが結局一番、落ち着きますね。

元々は濃厚な人間関係が厭で出奔したようなものですが、その「重力」からは決して逃れることができないから、形式的であろうが、「そんなものよね」と相対化によって適切な落とし所に今となっては着地しましたが、それでも実家世間に帰ってももう「居場所」はないといいますか。

田舎の旧家の人間関係てものすごく疲れるんです。だからデラシネになりたいとは思うものの、人間が生きるにはデラシネであることはできない。だとすればどうつきあっていくのかといいますか−−。

「あほくさ」とは思うものの「爆発しろ」では解決しない。無自覚な馴化・惑溺も全否定でもない聡明さが必要かなあ、と。

そういう人間関係世界の建前とホンネが交差するのが、おそらく生老病死に関するセレモニーになるんだろうと思います。

簡素かつ極度の形式主義ではありましたが、まあ、いい葬儀だったのではないかと思う。92で亡くなった祖母の死顔はいい表情だったし、数年ぶりに従兄弟とも再会する機会になった。

これで私と細君の祖父母は皆亡くなりました。今回は、氏家家に養子に入ったうちの親父の母。甲斐源氏の秋山氏の出の日蓮門流。満州で結婚して、興正派。今回は真宗での葬儀。まあ、それはそれでいいのかとは思った。

末木文美士さんの『日本仏教の可能性 現代思想としての冒険』(新潮文庫)を読んでいた所為かも知れませんが、現実に葬式仏教オワタのは否定できない。ただし、それを消滅作戦的全否定で迎えても始まらないなーという話で、死者を引き受けたそれをどう「内在的超越」していくかで、人間関係も同じなのじゃないのだろうか、と。

なので、その人が自分自身に向ける眼差しとして「これでない絶対だめだ」というのは理解できるが、「これでないと成仏できない」という他者への言葉は、「坊さんを呼ばないと成仏できない」というシステムと五十歩百歩なのじゃないのかも、とネ。

余談ですが、先月が本願寺派で、今回は興正派。念仏の抑揚が違うのよね、少し驚き。それから初七日で使った「正信念仏偈」の参列者用のテクスト、抑揚の発音記号というか、例えば「この音をのばす」という指示書きが教文に振られており、これは親切だなとは思いました。こういう配慮は大事だろうとw

まあ、坊さんのおはなしは少し糞過ぎてツライものがあったのと、ネタ受け用でイスラームの話をしていたけど、少し噴飯モノ過ぎて辛かった(><)

まあ、しかし、坊さんを呼びたいという需要があれば、必要かとは思いつつも、それに安住する構造は、結局の所、需要の側も供給の側にとってもお互いの為にはならないだろうね。

しかし、伝統としての宗教(家の宗教)と、個人の自立的受容による宗教の問題とは、ほんとどちらがエライとかいう単純な問題ではないとはここ数年痛感する。宥和的言及が多いですが、個を尊重しない家の宗教にはもの凄い問題はあるのは承知してますが、破壊ではなく創造的な批判であらなければとね。

私個人としては、もうユニテリアンのような感じだけど、それでも、吉満義彦に注目せざるを得なくなってしまう。自身の信仰告白をたえず強要される在り方から、静謐に祈る「伝統」への移項が何を意義するのか。もう一度点検しなければならないとね。


関連エントリ

葬式についての雑感 - Essais d’herméneutique



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日本仏教の可能性―現代思想としての冒険 (新潮文庫)
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覚え書:「書評:卒業式の歴史学 [著]有本真紀 [評者]渡辺靖」、『朝日新聞』2013年04月21日(日)付。




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卒業式の歴史学 [著]有本真紀
[評者]渡辺靖(慶応大学教授・文化人類学)  [掲載]2013年04月21日   [ジャンル]歴史 


■日本に特有の「涙」はいつから

 3月の風物詩といえば卒業式。ふと思い浮かべる曲は何だろう。〈仰げば尊し〉〈贈る言葉〉〈旅立ちの日に〉……。ハレの日にもかかわらず、そこにはうら悲しさが漂う。級友や恩師との別れに涙した人も多いだろう。
 しかし、著者によると、そうした雰囲気の卒業式は「ほとんど日本に特有の学校文化」というから驚きだ。
 しかも「卒業式で泣かないと冷たい人と言われそう」という斉藤由貴のヒット曲の歌詞とは裏腹に、近代的な学校制度が誕生した明治初期には、卒業式は「涙」や「別れ」とは無縁だったという。
 一体いつから、なぜ、どのように卒業式はセンチメンタルな空間へと変容したのだろうか。目から鱗(うろこ)が落ちる史実を丹念に積み重ねながら、そのからくりを鮮やかに解き明かしたのが本書だ。
 キーワードは「感情の共同体」。音楽(唱歌斉唱)の援用によって台本(式次第)にある「劇場作品」はより情操的深みを増し「記憶」として共有され易(やす)くなる。
 しかし、そもそも何のための「共同体」なのか。それは日本社会における「学校」の位相を改めて問い直すことでもある。
 しばしば懐古主義的な精神論や目前の成果主義に陥りがちな教育改革論議。まずは所与の「現実」を歴史的文脈のなかで脱構築する作業が欠かせない。本書の真の醍醐味(だいごみ)はまさにその点にある。
 卒業式といえば、スティーブ・ジョブズが人生哲学を論じた演説は世界中の大学生の間で話題になった。
 日本の卒業式でも「涙」や「別れ」よりも「言葉」が重んじられる日が来るのだろうか。30年後、卒業式はどうなっているのだろうか。
 それは、とりもなおさず学校、そして日本社会の未来を想像し、デザインすることに他ならない。
 本書をそのための貴重な契機としたい。
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 講談社選書メチエ・1680円/ありもと・まき 58年生まれ。立教大教授(音楽科教育、歴史社会学)。
    −−「書評:卒業式の歴史学 [著]有本真紀 [評者]渡辺靖」、『朝日新聞』2013年04月21日(日)付。

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日本に特有の「涙」はいつから|好書好日








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卒業式の歴史学 (講談社選書メチエ)
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覚え書:「書評:ラカン [著]ポールロラン・アスン」、『朝日新聞』2013年04月21日(日)付。




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ラカン [著]ポールロラン・アスン
[掲載]2013年04月21日   [ジャンル]歴史 


著者:ポール=ローラン・アスン、西尾彰泰  出版社:白水社 価格:¥ 1,260

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 フロイトの後継を自認する精神分析家であり、構造主義思想家、哲学者として今も影響を与え続けているジャック・ラカン(1901?1981)。その思想は難解であることでも知られるが、本書は、とっつきにくさのもとだった式や図を減らし、フロイトを参照軸にしながら、思索の軌跡を大づかみに、しかしツボは外さず語る。彼の書いた論文集『エクリ』より、彼の講義=『セミネール』に重点をおいたのが特徴だ。とはいえ、分かりやすいと言えばウソになる。「象徴的な父は思考不可能である」「性関係は存在しない」といった“ラカン節”もちゃんと残っている。謎めいたところが魅力でもあることをわきまえた著者とみた。
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西尾彰泰訳、白水社文庫クセジュ・1260円
    −−「書評:ラカン [著]ポールロラン・アスン」、『朝日新聞』2013年04月21日(日)付。

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謎めいたところが魅力|好書好日






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